金曜日, 2月 27, 2015

20150227_ヨシュア記3 マルコ15@1-20

■ヨシュア記3:15箱をかつぐ者がヨルダン川まで来て、箱をかつぐ祭司たちの足が水ぎわに浸ったとき、──ヨルダン川は刈り入れの間中、岸いっぱいにあふれるのだが──3:16上から流れ下る水はつっ立って、はるかかなたのツァレタンのそばにある町アダムのところで、せきをなして立ち、アラバの海、すなわち塩の海のほうに流れ下る水は完全にせきとめられた。民はエリコに面するところを渡った。
★出エジプトの時、イスラエルは分かれた紅海の中を歩いて渡りました。しかし約束の地カナンに入る時は、まだ水がある中、一歩踏み出した時、川の水が引くのを経験しました。すなわち約束の地へは信仰によって入るものと言うことです。あなたが信仰をもって一歩踏み出すように主から求められているものがありますか?

■マルコ15:21そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。
★人生には無理に負わされる十字架があります。しかし主はそれをご存じです。十字架なしに復活はありません。十字架なしに冠はありません。なにより主が負わせてくださる十字架なら、ひとりで負うことはありません。必ず主が共に負って下さいます。この世の変革は十字架を負う人を通してなされます。十字架を負う人でありましょう。

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