月曜日, 12月 29, 2014

20141229_ホセア1 ヘブル10

■ホセア1:10イスラエル人の数は、海の砂のようになり、量ることも数えることもできなくなる。彼らは、「あなたがたはわたしの民ではない」と言われた所で、「あなたがたは生ける神の子らだ」と言われるようになる。
★神ならぬものを主とする、偶像礼拝につぐ偶像礼拝に陥るイスラエル。それでも神様は選びの民を愛されます。神様は人の移ろいゆく心のことくではありません。もう神様はどんなことがあってもあなたをイエス・キリストによって愛することを決めておられるのです。

■ヘブル10:36あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。10:37「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。10:38わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」10:39私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。
★主はただ信じていなさいと語られるお方です。では、どんな根拠もなく信じていなさいと語られるのでしょうか。いいえ。十字架の上にご自身のいのちさえあなたのためにささげて下さる愛と真実に満ちたお方として。キリストにある忍耐は天に宝を積む、神様への祈りであることを覚えましょう。

1 件のコメント:

  1. 「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。」(ヘブル人への手紙第10章36から38)そのとおりだ。本当だ。何と、完璧なみことば。「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」(ヘブル人への手紙第10章36)必要なのは、忍耐である、信じて待つこと、すべてをご存知の主がおられる、主は今も生きておられる、その主が報いを携えてこられる、すぐに来るともおっしゃた、御一人子を十字架に架からせることを通してまで、この者を愛してくださっている憐れみ深い主がおられる。なのに、なのに、この者は、これっぽちのことに、この忍耐の何と忍耐を要することか。今なすべき事も手に着かなくなるほどに悩む自分ここにあり。年齢からして、あと数えられるほどにしかこの世にいないことは明確である。この日々は、一瞬も無駄に出来ないはずなのに、こんな事ではいけない。赤子が母親の腕の中で安心して寝ているように、私も主の御腕の中で、安心して、今を忍耐出来る者に、主よ、ならせてください。願わくば、解決もお与えください。「天地を造られし主は、人をも造り変えて、正しく清き魂持つ身とならせ給う」(新聖歌21)

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