土曜日, 2月 09, 2013

20130209_マルコ8-9

マルコ8:34それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。8:35いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。8:36人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。
★十字架がなければ冠はありません。十字架を負わなければ、神様のお役にたてたとの満足を心に与えられることもありません。心配しないでも大丈夫です。主があなたに負わせようとなさる十字架であれば、主があなたと共に負って下さいます。「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」の通りです。

■マルコ9:38ヨハネがイエスに言った。「先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、私たちの仲間ではないので、やめさせました。」9:39しかし、イエスは言われた。「やめさせることはありません。わたしの名を唱えて、力あるわざを行いながら、すぐあとで、わたしを悪く言える者はないのです。9:40わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です。
★主はあえてここで「見方」との表現を使いました。それにしても主の理解は何と広いことでしょうか。人はおうおうにして「敵か、味方か」を、あまりに狭い意味において用いようとする傾向があります。本当のところはみんな見方、神様に愛されている一人一人なのです。ヒデ

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