土曜日, 11月 07, 2009

20091107_2歴代36_ホセア04_使徒20

■2歴代36:13彼はまた、ネブカデネザルが、彼に、神にかけて誓わせたにもかかわらず、この王に反逆した。このように、彼はうなじのこわい者となり、心を閉ざして、イスラエルの神、主に立ち返らなかった。
★ゼデキヤ王と祭司長、そればかりか当時のユダの民衆について、聖書を「はうなじのこわい者と」と記します。ゆうずうの聞かない、遜ることの出来ない頑なな民だと言うのです。まさにその生き方の結末が囚われの身。バビロン捕囚と言えるでしょう。しかし神様は「わたしは何人の死をも喜ばない。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ」と語られます。あの放蕩息子が帰ってきたとき走り寄って接吻した父の姿を心に刻みましょう。

■ホセア4:6わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあなたを退けて、わたしの祭司としない。あなたは神のおしえを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れよう。
★「わたしもまた、あなたの子らを忘れよう」と、神様に忘れられたら大変です。この語りかけ自体、神様の愛と恵みの警告です。どんなときにも立ち帰って生きることができるように、それが神様のあなたに対するはらわたです。神様がどうしてあなたを退けて平気でいることができるでしょう。神様によって与えられた心は閉ざすためではなく、常に神様に向かって開き、祝福と命を受け取るためであることを覚えましょう。

■使徒20:35このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」
★「受けるより与えるほうが……」と、この有名なみことばはパウロが他の弟子より伝え聞き、今や自らが実感し語る言葉です。当然自らに何も分かち合うものがないために、受けることに心が向かうより、与える事に心が向かう方が幸いです。与える為には富まなければ不可能です。まず今日も主によって心満たされ遣わされましょう。ヒデ

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