月曜日, 7月 23, 2012

20120723_2サムエル記22-24

■2サムエル記22:10主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして。
★主が、ダビデのすべての敵の手、特にサウルの手から彼を救い出された日に、ダビデが歌った内容の一部です。キリストが十字架に掛かられた時には父なる神様は天を押し曲げ降りて来られませんでした。御子ではなくダビデをそしてあなたを救うために。その打たれた傷によってあなたは癒されるのです。

■2サムエル記23:5まことにわが家は、このように神とともにある。とこしえの契約が私に立てられているからだ。このすべては備えられ、また守られる。まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる。
★「これはダビデの最後のことばである。」と記された内容の一部です。ダビデの確信、それは、神様が私に下さった契約はとこしえのもので途切れることのないもの。しかも自分が願った願いを育て上げて下さる、とのものでした。あの少年ダビデがゴリアテに「イスラエルの神をなじるとは何ごとか。私を用いてゴリアテを滅ぼさせて下さい」と願ったその時から、主はダビデの願いを育てあけ続けて下さいました。

■2サムエル記24:2王は側近の軍隊の長ヨアブに言った。「さあ、ダンからベエル・シェバに知る間でのイスラエルの全部族の間を行き巡り、その民を登録し、私に、民の数を知らせなさい。」
★「天国の入り口の脇にさえ地獄に通じる罠(穴)がある」とはよく言ったものです。生涯の最後の最後にダビデはもう一度過ちを犯します。自分自身の存在と名が消え去ることを恐れて、生涯の功績を歴史に刻もうとしたのでしょうか。しかし私たちがこの事から心に刻むべき事は、人は蒔いたものの刈り取りを必ず求められると言うことです。この時ダビデは7万人の罪なき民の命が奪われる苦しみを、自分の罪の結果として見せられることに。ヒデ

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