月曜日, 4月 10, 2017

20170420_ヨハネ20

■題名 マリヤよ
金言 イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。(16)
★世界で最初のクリスマス。救い主の誕生を告げる最初の御使いたちの知らせは、神様を礼拝することを土台として成り立つユダヤ社会において、安息日を守れないゆえに              人々に忘れ去られたかに見える、羊飼いにもたらされました。主が「私は他の誰があなたたちのことを忘れようとも、決して忘れてはいない」と示さんがごとくに。
では復活の主が最初にご自身を示された人々とはどんな人たちだったのでしょう。この章にはそのことが鮮やかです。マグダラのマリヤ(14)。確かにこのマリヤも、羊飼いたち同様、復活の主がご自身をあらわされたとしても、その証人にはなれない存在でした。
その後に主が姿をあらわしてくださった弟子たち(19)といえば、キリストの側についた者としてキリスト同様捕らえられ、ひどい目に合わされるかも知れないと、恐れに飲み込まれて、そこから一歩もでられなくされていた者たちでした。
そんな彼らではありましたが、ともに主を心から愛したいと願う者たちです。そんな思い以外何も持ち合わせない彼ら、主はそんな彼らを忘れてはおられず最初の復活の証人とされました。その目的は、人の知恵や頑張りに基づくのではなく、御力による復活の証人と彼らをするために。「安かれ」(19)と広げて示された釘跡のある両手は「血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない」(ヘブル九・22)の通りの律法の成就。更に「聖霊を受けよ」(22)と息を吹きかけつつ語られる主の姿は、「命の息をその鼻に吹きいれ」(創世記二・7)喜びをもって人を人となした主の姿を彷彿とさせます。まさに神様と人との完全な交わりの回復がキリストの十字架でなされ、その証明としてキリストは死人の中よりよみがえってくださいました。
(祈り)復活の主は、深い絶望、恐れの中でも何とか主を愛したいと願うこの私にも現れてくださることを感謝します。力強い復活の証人としてください。
新聖歌 三〇三

日本イエス・キリスト教団 聖書日課ベラカむけに執筆した原稿をそのまま掲載しました。

御影福音教会森英樹

0 件のコメント:

コメントを投稿