月曜日, 4月 10, 2017

20170410_詩篇40

題名 みこころを行うことを喜びます
聖書箇所 詩篇四〇章
金言 その時わたしは言った、「見よ、わたしはまいります。書の巻に、わたしのためにしるされています。(7)
★この詩篇四十章が開かれるとき、神学生時代に奉仕教会としてお世話になった御影福音教会牧師、故山田晴枝先生のことが思い出されます。「主が、罪に支配された人間の救いのために神であることをやめることができないとは考えないで、十字架への道を喜んで選んでくださったとするなら、どうしてこの私がそれ以外の道を選ぶことができるでしょう」。『 わが神よ、わたしはみこころを行うことを喜びます。あなたのおきてはわたしの心のうちにあります』」(8)と、心を注ぎだして祈っておられた先生の、生き様と熱河宣教のお証しを忘れることができません。
昨年相模原の障害者施設で19名の命が奪われた事件は私にとって余りに衝撃でした。もしあの青年の心を聞いてあげる誰かがいたなら、あの様な最悪の事態になっていただろうか。そのときからこの御影の町のために私にもできることがあればと、週に一度阪神御影駅前の広場で「聞き屋」を始めました。
湧いて来る多少の恥ずかしさゆえに、躊躇する思いもありました。現に、高校教師を定年まで勤め上げた壮年の方に「何をやってるんですか。あっ、教会の牧師さんですか。牧師さんも大変ですね。こんなことまでしないといけない時代になったとは」と、少々上から目線の冷ややかな言葉を掛けられたこともありました。しかし不思議です。一歩踏み出し、継続していくとき私の心にも、「私は単に御影福音教会の牧師として遣わされているだけではないんだ。この御影の町の牧師として生きるようにと、神様がこの私をも召してくださったのではないか」との熱い思いと、喜びが心の内に湧いてきました。強いられてではなく、自ら進んであのゴルゴダの十字架をめざして進んでくださった主に、改めて感謝の思いが湧きあがります。
(祈り)父なる神様、十字架をめざして進まれたイエス様の御足の跡を歩めますように。              
新聖歌 四三〇

日本イエス・キリスト教団 聖書日課ベラカむけに執筆した原稿をそのまま掲載しました。

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