火曜日, 4月 09, 2013

20130409_マタイ8:01-22 創世記25-26

■マタイ8:2すると、ツァラアトに冒された人がみもとに来て、ひれ伏して言った。「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」
Amazing Graceと言う賛美はもと奴隷船の船長をだったジョン・ニュートンによってつくられました。自らの汚れを知るものは幸いですね。そうでなければ「主よ」と告白し、本当の意味で主の前に近づくことはできないのですから。

■創世記25:8アブラハムは平安な老年を迎え、長寿を全うして息絶えて死に、自分の民に加えられた。25:9彼の子らイサクとイシュマエルは、彼をマクペラのほら穴に葬った。このほら穴は、マムレに面するヘテ人ツォハルの子エフロンの畑地の中にあった。
★父の命の終焉の中で回復されたイサクとイシマエルの姿がここにあります。主の前にささげられる命がもたらす影響力を思います。主は自ら進んでご自身の命を十字架の上に捨てて下さいました。それによって父なる神様との和解の道が私たちの前に開かれたのです。

■創世記26:6イサクがゲラルに住んでいるとき、26:7その土地の人々が彼の妻のことを尋ねた。すると彼は、「あれは私の妻です」と言うのを恐れて、「あれは私の妹です」と答えた。リベカが美しかったので、リベカのことでこの土地の人々が自分を殺しはしないかと思ったからである。
★まさかイサクまでが父アブラハムと同じ誘惑を受けるとは。アダムの子孫として家系に流れている弱さですね。イサクはこの時神様の一方的な憐れみによって守られると共に、自分の内にあるものを知りました。あなたはあなたの家系に流れる弱さを知り、それを知った上で神様の憐れみにより頼みながら歩んでいらっしゃいますか。そこに人生の勝利の秘訣があります。ヒデ

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