日曜日, 2月 19, 2012

20120219_ヨブ28_ガラテヤ2

■ヨブ28:24神は地の隅々まで見渡し、天の下をことごとく見られるからだ。28:25神は風を重くし、水をはかりで量られる。28:26神は、雨のためにその降り方を決め、いなびかりのために道を決められた。28:27そのとき、神は知恵を見て、これを見積もり、これを定めて、調べ上げられた。28:28こうして、神は人に仰せられた。「見よ。主を恐れること、これが知恵である。悪から離れることは悟りである。」
★27-31章までヨブがその心の内に抱いていた格言とも言うべき言葉が披瀝されます。その中でも驚くことは、どんな試練の中でも神様に対する呪いや不信仰、つぶやきのないことです。あなたはどうですか。ただただヨブの偉大さに敬服します。

■ガラテヤ2:20私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。2:21私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」
★「二千年も前に赦されていた」というワーシップソングがあります。歌詞を紹介しますと「自分の弱さや至らなさのため、時には悩み沈むこともある、だけどイエス様を見上げたのならば十字架の意味押し寄せてくる。もう二千年も前に、私は赦されてた。イエス様の大きな、大きな愛を感謝します」です。そして今日の御言葉は、まさにこの讃美に現れたイエス・キリストの赦しをしっかりと受け取った存在としてのパウロの告白です。存在が赦され、認められた者は自分を十字架に付けることが出来、赦しに対する感謝としての貢献の生涯を歩み始めることが出来ます。あなたはもうご自身を十字架につけられましたか。ヒデ

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