土曜日, 5月 16, 2009

20090516_申命33-34 イザヤ06 コロサイ03-04

■申命33:26「エシュルンよ。神に並ぶ者はほかにない。神はあなたを助けるため天に乗り、威光のうちに雲に乗られる。33:27昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。あなたの前から敵を追い払い、『根絶やしにせよ』と命じた。
★この章の冒頭には「これは神の人モーセが、その死を前にして、イスラエル人を祝福した祝福のことばである。」と記されています。モーセがその生涯で神の民に一番伝えたかったこと。それがこの言葉です。神様はあなたのためには雲にさえ乗られるんだ。あなたの生涯はご自身の御手で下から支えて下さるんだ。だから決して落ちてしまうことはないんだ。必ず帰って来れるんだ。立ち上がれるんだ。信じましょう。

■イザヤ6:5そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」
★これは「聖なるかな。聖なるかな。聖なるかな。」と御使いが互いに呼び交わす主を見たイザヤの叫びです。本当にもうだめでしょうか。いいえ。神様の光と基準で自分を見ることができたその時、そこから真の癒しと赦し成長が始まるのです。むしろチャンスです。仰ぎましょう。

■コロサイ3:13互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。
★これは主の弟子パウロの言葉です。パウロほどにきよめられた人であっても人に不満を抱くことがあったのでしょうか?ありました。けれども彼は誰よりも主の前に不満な生き方(キリスト者を迫害し殺害する)をする自分が赦されたことを知り、それを克服したのです。キリスト者の人格の高潔さは自分の努力によりますか。いいえ。そのスタートも完成も受け取った主の赦しです。一つ質問させて下さい。あなたは赦された罪人ですか。そこに希望があるのです。ヒデ

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