月曜日, 5月 04, 2009

20090504_申命21 雅歌01 使徒13

■申命21:6 刺し殺された者に最も近い、その町の長老たちはみな、谷で首を折られた雌の子牛の上で手を洗い、21:7 証言して言いなさい。「私たちの手は、この血を流さず、私たちの目はそれを見なかった。21:8 主よ。あなたが贖い出された御民イスラエルをお赦しください。罪のない者の血を流す罪を、御民イスラエルのうちに負わせないでください。」彼らは血の罪を赦される。
★今後約束の地で起こるかも知れない犯人不明の殺人事件。しかしそれを見て見ぬふりをするならイスラエル自体の罪となって行く、それを赦してはならないと聖書は語ります。地の塩、世の光として召された私たちは時にとるべき行動や言うべき言葉があることを覚えましょう。

■雅歌1:15 ああ、わが愛する者。あなたはなんと美しいことよ。なんと美しいことよ。あなたの目は鳩のようだ。
★花婿が歌う花嫁の歌。しかしこれこそが主が私たちに向かって語りかけて下さることばです。

■使徒13:39 モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。
★「サウロ、サウロなぜ私を迫害するのか」と天から巡り照らされる光と共に預かった主の御声。それに続く導きの中でパウロ自らが経験したもの。それがこの結論です。その結論とは「人は自分の努力(律法)によって救われるのではない。すべての救い、解放の御業はキリストの中にあり、キリストによって成し遂げられるのである」です。あなたはこの真理をアーメンと受け取りますか。そしてその告白の通り主を信頼し自分をキリストに委ねて行く時、パウロも経験した主の解放の御業が私たちの内にもはじまるのです。続いて主に信頼し従って行きましょう。ヒデ

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