日曜日, 7月 28, 2013

20130728_ルカ22@39-62 1サムエル25-26

■ルカ22:39それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも従った。22:40いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と言われた。
★イエス様がなぜ十字架の上で、サタンに突き動かされた宗教指導者と群衆の罪に勝利し、彼らを赦すことが出来たのか。その理由はこのゲッセマネの祈りにあります。あなたには「いつもの様に、いつもの場所で」という祈りがありますか。

■1サムエル25:30主が、あなたについて約束されたすべての良いことを、ご主人さまに成し遂げ、あなたをイスラエルの君主に任じられたとき、25:31むだに血を流したり、ご主人さま自身で復讐されたりしたことが、あなたのつまずきとなり、ご主人さまの心の妨げとなりませんように。主がご主人さまをしあわせにされたなら、このはしためを思い出してください。」
★善に変えて悪を報いようとする愚か者の夫ナバルに代わってダビデに執り成す妻アビガイルの姿です。受けた恵みを軽んじるナバルの横柄さと妻アビガイルの違いが印象的です。

■1サムエル26:10ダビデは言った。「主は生きておられる。主は、必ず彼を打たれる。彼はその生涯の終わりに死ぬか、戦いに下ったときに滅ぼされるかだ。26:11私が、主に油そそがれた方に手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。さあ、今は、あの枕もとにある槍と水差しとを取って行くことにしよう。」
★それが本当に与えられたチャンスであっても、どのような意味においてチャンスと捕らえるかでその先が全く変わります。一撃で相手の命を奪う機会が与えられたのでチャンスなのか。自分の無実を証明し、自分が神様を畏れる者であるかを示すためのチャンスなのか。真にチャンスを生かす者でありましょう。ヒデ

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