日曜日, 12月 02, 2012

20121202_哀歌1-2

哀歌1:14私のそむきの罪のくびきは重く、主の御手で、私の首に結びつけられた。主は、私の力をくじき、私を、彼らの手にゆだね、もう立ち上がれないようにされた。
★はじめは罪は自由を差し出しているかのようにみえます。しかし、したいことをする自由は、徐々に何でもしたいという欲望に変わって行きます。するといつの間にか私たちは罪の虜となり、そのくびきにつながれてしまうことに。罪に捕らわれている状態から解放して下さるのはまことの神様ただひとりです。神様は私たちに自由をお与え下さいますが、それは私たちがしたいことを何でもするためにではなく、神様が私たちにとって最善と知っていらっしゃることをするためであることを弁えている人は幸いです。ただただ不思議なことですが、本当の自由とは神様に従うことで訪れるのです。

■哀歌2:7主は、その祭壇を拒み、聖所を汚し、その宮殿の城壁を敵の手に渡された。すると、例祭の日のように、彼らは、主の宮でほえたけった。2:8主は、シオンの娘の城壁を荒れすたらせようと決め、測りなわでこれを測り、これを滅ぼして手を引かれなかった。塁と城壁は悲しみ嘆き、これらは共にくずれ落ちた。
★礼拝が行われる場所は、私たちが決める礼拝の優先順位ほど神様にとっては重要でないかも知れません。建物が素晴らしくても、人々が心から神様に従っていなければ教会は内側からいのちを失って行きます。それがまさにエレミヤがこの哀歌を歌ったイスラエルの時代性でした。神様の恵みを日々新たに受け取り、霊とまことの礼拝をこの朝もささげさせて頂きましょう。ヒデ

0 件のコメント:

コメントを投稿