水曜日, 11月 26, 2014

20141126_イザヤ28 ヨハネ9@24-41

■イザヤ28:16だから、神である主は、こう仰せられる。「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない。
★救い主キリストに関する預言の箇所です。イエス様は「あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。』」(マタイ21:42)とも、ご自身のことを語られました。悲惨に向かう旧約の中で常に聖書はキリストにある希望を指し示します。まさに、「これを信じる者は、あわてることがない」です。流れの速い時代の中で、このお方抜きで慌てることがありませんように。

■ヨハネ9:40パリサイ人の中でイエスとともにいた人々が、このことを聞いて、イエスに言った。「私たちも盲目なのですか。」9:41イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」
★宗教家たちが少しでも「自分も本当のところ、見えていないかも」との思いを抱くことができたら、彼らの人生は違っていたことでしょう。しかし権威を失うことを恐れたゆえにそれができません。彼らは神にある平安・シャロームより権威と欲を求めました。「私は盲目であったのに、今は見えるということです」と語った盲人のようにキリストとの関係の中に歩む者でありましょう。

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