日曜日, 9月 29, 2013

20130929_使徒11@1-30 2歴代33-34

■使徒11:17こういうわけですから、私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。」11:18人々はこれを聞いて沈黙し、「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」と言って、神をほめたたえた。
★何を喜ぶかによって人の価値ははかれます。祝福を独り占めできることではなく、一人でも多くの人が自分同様、いえ自分以上に祝福されることを喜べますように。

■2歴代33:12しかし、悩みを身に受けたとき、彼はその神、主に嘆願し、その父祖の神の前に大いにへりくだって、33:13神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうして、マナセは、主こそ神であることを知った。
★Ⅱコリ7:10のごとく「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。」

■2歴代34:27あなたが、この場所とその住民についての神のことばを聞いたとき、あなたは心を痛め、神の前にへりくだり、わたしの前にへりくだって自分の衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる。──主の御告げです──
★主の宮の奥で忘れられていた神の言葉を発見したとき、心と衣を裂き、遜ってそれに聞こうとしたヨシヤ王に主が語られたのが上の言葉です。主に立ち帰る扉はいつも開かれています。そして常に今がその時です。ヒデ

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