土曜日, 11月 24, 2012

20121124_ヨブ記21-23

ヨブ21:22彼は神に知識を教えようとするのか。高い所におられる方がさばきを下すのだ。
★ヨブは苦しみの理由について当惑していますが「神様に知識を教えようとするのか」と問うことをとおして、神様の主権と計画の完全性を告白します。人は自分の苦しみにどのように応答するかによって、自分自身の神様への態度を明らかにすることになります。一羽の雀も神様のみゆるしなしに地に落ちることはないと語られたキリストの言葉に信頼し行動する人は、やがて幸せをその生涯で刈り取ります。

■ヨブ22:2人は神の役に立つことができようか。賢い人さえ、ただ自分自身の役に立つだけだ。22:3あなたが正しくても、それが全能者に何の喜びであろうか。あなたの道が潔白であっても、それが何の益になろう。
★テマン人エリファズの答えですが、この彼の考えでは自己満足と自己中心から一生抜け出すことはできません。そうではなく神様は、あなたが神様に、隣人にいかに喜んで頂こうかと考え心砕くことを喜ばれます。神を愛し、隣人を愛する、すなわち礼拝の生涯を歩みましょう。

■ヨブ23:10しかし、神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。
★試練に対するヨブの理解です。もちろん試練は無いにこしたことはありません。しかし試練を通して出なければ造りあげられないものがあります。あなたの品性です。いつも試練から逃げようとするか、あるいは受けるべき試練は甘んじて受け、試練の中を主と共に歩もうとするか。キリストは十字架の試練さえも父なる神様と共に歩まれました。どうかお互いの品性から愛と憐れみがしみ出すものでありますように。ヒデ

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