木曜日, 3月 31, 2016

20160331_哀歌1使徒5@1-16

哀歌1:14 私のそむきの罪のくびきは重く、主の御手で、私の首に結びつけられた。主は、私の力をくじき、私を、彼らの手にゆだね、もう立ち上がれないようにされた。
初めは、罪は自由を差し出しているかのように見えます。しかし、したいことを何でもする自由は、徐々に何でもしたいという欲望に変わります。すると私たちは罪のとリこになり、そのくびきにつながれてしまいます。罪に捕らわれている状態から解放してくれるのは神様のみです。神様は私たちに自由をお与えくださいますが、それは私たちがしたいことを何でもするためではなく、神様が私たちにとって最善と知っていらっしやることをするためです。不思議に思うかもしれませんが、本当の自由とは、神に従うことで訪れるのです。神様の最善を受け取るために、神様の導きに従いましょう。

使徒の働き5:41 そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。
何に価値を置くかでその人の生き方は変わります。物にではなく神様との関係に価値を見いだした人ほど強いものはありません。ただ独善的にならないように遜って主の御心を求めましょう。キリスト者の命はきよさにあるのですから。

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