木曜日, 5月 19, 2016

20160519_エゼキエル26 1コリント9

■エゼキエル26:2 「人の子よ。ツロはエルサレムについて、『あはは。国々の民の門はこわされ、私に明け渡された。私は豊かになり、エルサレムは廃墟となった』と言ってあざけった。26:21 わたしはおまえを恐怖とする。おまえはもう存在しなくなり、人がおまえを尋ねても、永久におまえを見つけることはない。──神である主の御告げ──
フェニキアの首都ツロとユダは、南はエジプト、北はメソポタミヤとの貿易で競い合うものでした。ユダは陸路、ツロは海路を用いて。ユダの廃墟を喜んだツロへの神様のこの言葉を通して、いかに神様が選びの民を愛していることか。義に満ちておられるお方かが分かります。隣人に関わる動機が恵みと真で満たされるように祈りましょう。


1コリント9:22 弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。9:27 私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。
もちろんパウロの願いは、鎖は別としてすべての人が自分の様になってくれること。しかし具体的には、いま関われる幾人かの人の救いのために仕えることでした。パウロは福音の力を生き方と切り離して、単なることばとして表すことなく、彼自身の存在をかけて証しするものとして理解します。宣べ伝えておきながら失格者とならないように。

0 件のコメント:

コメントを投稿