水曜日, 6月 10, 2015

20150610_詩篇90-91使徒17

■詩篇90:10私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。90:11だれが御怒りの力を知っているでしょう。だれがあなたの激しい怒りを知っているでしょう。その恐れにふさわしく。90:12それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。

■詩篇91:15彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。91:16わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。

■使徒17:30神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。17:31なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」
★パウロは自分が語ることばを曖昧にせず、キリストの復活とその意味をはっきりと語ります。ギリシャ人は多くの神々を拝し、さばきに関する概念を持っていませんでしたが、祝福かさばきかのどちらかのもたらす復活を明らかにします。パウロは会衆によって話の組み立てをしばしば変えますが、十字架と復活という核心は決して変えることをしていません。

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