月曜日, 7月 25, 2011

20110725_1サムエル9_2コリント10

■1サムエル9:15主は、サウルが来る前の日に、サムエルの耳を開いて仰せられた。9:16「あすの今ごろ、わたしはひとりの人をベニヤミンの地からあなたのところに遣わす。あなたは彼に油をそそいで、わたしの民イスラエルの君主とせよ。彼はわたしの民をペリシテ人の手から救うであろう。民の叫びがわたしに届いたので、わたしは自分の民を見たからだ。」9:17サムエルがサウルを見たとき、主は彼に告げられた。「ここに、わたしがあなたに話した者がいる。この者がわたしの民を支配するのだ。」
★イスラエルの初代の王となるサウルと預言者サムエルとの出会いです。そもそもサウルは父の雌ロバがいなくなったのを尋ねるためにサムエルの元を訪れます。しかしそれは二人を神様が引き合わせようとする為のそれでした。出会いの中に介入し、人を祝福しようとなさる神様がおられることを覚え、一つ一つの出会いを大切にしましょう。

■2コリント10:17誇る者は、主を誇りなさい。10:18自分で自分を推薦する人でなく、主に推薦される人こそ、受け入れられる人です。
★そもそも自分で自分を推薦する人は、人にしてもらえないから、自分で推薦しようとするのでしょうか。それとも人に推薦してもらっても、それでも物足りないので、なお自分で推薦したくなるのでしょうか。いずれにしても問題であり惨めです。しかもその心は人との比較に向かっています。そして人の評価に心が向かう以上、その心は永久に満たされることはありません。人は誰からの評価を求めるべきでしょうか。主からです。主から評価を頂く時、その心は満たされ納得と満足が与えられます。そもそも主はその愛と真実ゆえ、全ての人が誇りとすべきお方。誇るべきお方を誇りましょう。ヒデ

日曜日, 7月 24, 2011

20110724_1サムエル7_篇72_2コリント9

■1サムエル7:10サムエルが全焼のいけにえをささげていたとき、ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来たが、主はその日、ペリシテ人の上に、大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエル人に打ち負かされた。
★ペリシテ人の脅威を感じたイスラエルの民はサムエルに向かって「私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。私たちをペリシテ人の手から救ってくださるように。」と叫びます。そして主はサムエルのその祈りに応えて上の御言葉の通りイスラエルを守ります。あなたは新約の祭司。あなたはあなたが思う以上に神様の前に力ある業をなすために召し出されました。

■詩篇72:1神よ。あなたの公正を王に、あなたの義を王の子に授けてください。72:2彼があなたの民を義をもって、あなたの、悩む者たちを公正をもってさばきますように。
★あなたはどこに自分の身を置いてこの詩を味わいますか。王の子ですか、それとも治められる民としてですか。謙遜ゆえに民としてもよいでしょう。しかし本来は召された祭司として王の子として取りなすべきです。それがキリストに贖われたキリスト者が持つべき新約の価値観です。

■2コリント9:8神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。
★ゆえにパウロは「私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。」と語ります。感謝して自分自身と与えられている賜物をささげましょう。ヒデ

土曜日, 7月 23, 2011

20110723_詩篇77_2コリント8

■詩篇77:10そのとき私は言った。「私の弱いのはいと高き方の右の手が変わったことによる。」
★本当にそうでしょうか。主は「ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ」(1テモテ6:16)るお方です。主が変わったのではなく本当のところは私が変わったのを主が変わられたように感じているのではないでしょうか。そうでないとするなら、あなたは喜ばなければなりません。あなたの生涯における主の特別な介入です。その試練の中で錬られるとき、あなたは豊かに神様の栄光を現わす者として出てくるでしょう。夜の明けない日はありません。必ず朝はおとずれます。そしてこの詩篇作者は「77:12私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。」と語ります。

■2コリント8:5そして、私たちの期待以上に、神のみこころに従って、まず自分自身を主にささげ、また、私たちにもゆだねてくれました。
★この章で主の弟子パウロは「8:9あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」と主の愛を紹介し、主の愛に与った者のささげものに対する考えを助言します。ささげるのはまず自分自身です。誰にですか。主にです。人にささげるならあなたはその人の奴隷です。ですから人にではありません。次に主に自らをささげた者として、主への従順の現れとして御心や人に自らを委ねます。この順番と秩序を重んじるとき、あなたは献げ物を通して、今に勝る幾倍ものを祝福を受け取ります。でも本当に価値ある大切なことは、ささげる行為自体で、その結果ついてくる祝福はおまけですよ。ヒデ

金曜日, 7月 22, 2011

20110722_詩篇66_2コリント7

■詩篇66:10神よ。まことに、あなたは私たちを調べ、銀を精錬するように、私たちを練られました。66:11あなたは私たちを網に引き入れ、私たちの腰に重荷をつけられました。66:12あなたは人々に、私たちの頭の上を乗り越えさせられました。私たちは、火の中を通り、水の中を通りました。しかし、あなたは豊かな所へ私たちを連れ出されました。
★主は時に私たちが願わないところへと私たちを導くことがあります。何の為でしょう。試練を通して私たちの内にある不純物に気づかせ、それを取り除き私たちの内にキリストの形をつくろうとして下さるからです。神様は父としてあなたに関わって下さるのです。試練の時、罪の誘惑に心を閉ざすことは必要です。しかし神様に心を開き、その介入を感謝しましょう。あなたはキリストに似る者として輝きます。

■2コリント7:8あの手紙によってあなたがたを悲しませたけれども、私はそれを悔いていません。あの手紙がしばらくの間であったにしろあなたがたを悲しませたのを見て、悔いたけれども、7:9今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちのために何の害も受けなかったのです。7:10神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。
★パウロは愛のゆえに道を外したコリントの人々のために直言をもって語りました。あなたは直言してくれる人をお持ちですか。それとも、もはや地上であなたに直言できる人は誰もいなくなりましたか。真実を語ってくれる家族、友、指導者、それは神様が恵みによって下さった宝です。ヒデ

木曜日, 7月 21, 2011

20110721_ルツ3_詩篇64_2コリント6

■ルツ3:13今晩はここで過ごしなさい。朝になって、もしその人があなたに親類の役目を果たすなら、けっこうです。その人に親類の役目を果たさせなさい。しかし、もしその人があなたに親類の役目を果たすことを喜ばないなら、私があなたを買い戻します。主は生きておられる。とにかく、朝までおやすみなさい。」
★やもめとなったナオミに対する嫁ルツの真実と愛はその地で評判となりますが、はからずもルツが落ち穂を拾いに出かけた畑はナオミの無き夫エリメレクの親類ボアズの畑でした。ルツを幸せにしてやりたい。よき再婚へと導きたいと願うナオミは買い戻しの権利のあるボアズに憐れみを求めるように勧めます。その意志を伝えた時のボアズの反応が冒頭の御言葉です。あなたの良くしている右手の業を左手に教えてはなりません。神様は知っておられます。また人も見ています。神様の前に善を積みましょう。愛はまた普段の行動で証しされるものであることを確認しましょう。

■詩篇64:1神よ。私の嘆くとき、その声を聞いてください。恐るべき敵から、私のいのちを守ってください。

■2コリント6:12あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです。
★恵みをいかに受け取るかをテーマとした章です。その結論は感謝してです。そうでなければお互いは自分で自分を縛ることになるとパウロは諭します。合わせて感謝するためには心が砕かれていなければ出来ません。自分で自分を救うことが出来ないことを認め、主の救いを感謝して受け入れましょう。旧約聖書はは高ぶるものは退けられ、遜るもののところに恵みは溢れると語っています。ヒデ

水曜日, 7月 20, 2011

20110720_ルツ1_詩篇61_2コリント5

■ルツ1:1さばきつかさが治めていたころ、この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘムの人が妻とふたりの息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。 1:2 その人の名はエリメレク。妻の名はナオミ。ふたりの息子の名はマフロンとキルヨン。
★この後、ナオミは夫に先立たれ、二人の息子は妻を迎えますが、何とその息子たちも共に死ぬのです。飢饉の中、知恵を出してモアブの地に出かけたナオミ家族。しかし今や夫も二人の息子も失うとは。しかしそれが結論ではありません。「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。」と語る嫁ルツを通して、神様の不思議が始まります。あなたは「なかなかの名案」と思ったことが失敗に終わり、そんな決断をした自分を責めたり、諦めたりしていることはないですか。たとえそうしたことがあっても言えることは、それが結論ではないと言うことです。神様は憐れみ深いお方、不思議をなさるお方です。

■詩篇61:2私の心が衰え果てるとき、私は地の果てから、あなたに呼ばわります。どうか、私の及びがたいほど高い岩の上に、私を導いてください。

■2コリント5:17だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
★主の救いにあずかる豊かさが鮮やかに語られます。その立場も、私たちを内側から動機づける思いも、あるいは受け取るべき使命も全く新しくされたのです。今や神の家族の一員であり、私のためにではなく、死んでよみがえった方のための人生となり、和解の使節として遣わされたものとなりました。ヒデ

火曜日, 7月 19, 2011

20110719_2コリント4

■2コリント4:6光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。4:7私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。4:8私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。4:9迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。4:10いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。
★苦しみの中で明らかにされるものがあります。私たちの内にあるイエス様の命の輝きです。信仰によって頂いた永遠の命です。信じたお互いは既に永遠の命によって生かされています。永遠の命とは死んでから生きる命ではありません。既に頂いたその永遠の命で信じたお互いは生かされています。だから、試練の時も窮することがないのです。感謝しましょう。主を仰ぎましょう。いよいよこの命によって輝きましょう。ヒデ

月曜日, 7月 18, 2011

20110718_詩篇89_2コリント3

■詩篇89:48いったい、生きていて死を見ない者はだれでしょう。だれがおのれ自身を、よみの力から救い出せましょう。
★まさにその通り。誰もいません。しかし主は同じこの詩篇の中で「わたしは、わたしの契約を破らない。くちびるから出たことを、わたしは変えない。わたしは、かつて、わが聖によって誓った。わたしは決してダビデに偽りを言わない。彼の子孫はとこしえまでも続き、彼の王座は、太陽のようにわたしの前にあろう。」さらに「わたしは杖をもって、彼らのそむきの罪を、むちをもって、彼らの咎を罰しよう。しかし、わたしは恵みを彼からもぎ取らず、わたしの真実を偽らない。」と語られるのです。__c19__、あなたは必ず主の真実によって支えられるのです。

■2コリント3:16しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。3:17主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。3:18私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
★旧約と新約、律法と福音の対比が表現されています。ぶどう酒と皮袋はどちらが優先されるべきでしょう。ぶどう酒、すなわち命です。神様から離れた罪人にとって、律法がなければ罪の自覚さえ曖昧ですが、示されたその罪をいざ告白し捨てるならば、十字架から注がれる命は、余すところなく私たちの心に注がれ、私たちを栄光から栄光へと主と同じ姿に変え続けます。あの永遠のいのちを求めて主に近づいた金持ちの青年(マルコ10:22)は下を向き、向きを変えて主から遠ざかりました。しかしあなたは主に向きを変えなければなりません。そして生きるのです。ヒデ

日曜日, 7月 17, 2011

20110717_士師13・16_2コリント2

■士師記16:29そして、サムソンは、宮をささえている二本の中柱を、一本は右の手に、一本は左の手にかかえ、それに寄りかかった。16:30そしてサムソンは、「ペリシテ人といっしょに死のう」と言って、力をこめて、それを引いた。すると、宮は、その中にいた領主たちと民全体との上に落ちた。こうしてサムソンが死ぬときに殺した者は、彼が生きている間に殺した者よりも多かった。16:31……サムソンは二十年間、イスラエルをさばいた。
★ここは旧約聖書の中ではよく知られているサムソンとデリラの話です。特別な神様の選びの中で類い希な力を与えられたサムソン。しかし繰り返し言い寄るデリラに、彼も遂に自らの力の源を証しし、それが元で力を失い捕らえられ両目をえぐられるのです。それにしても聖書はその失敗よりも、彼が士師としてイスラエルを20年さばいたことを大きく評価します。あなたは人の5%の欠けを見て、「これじゃだめだな」と言う人ですか。それとも「95%もできたじゃない。すごいね」と励ます人でしょうか。神様に倣う者となりましょう。人は必ず同じ計りで計り返されます。

■2コリント2:10もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。2:11これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。
★この手紙の著者パウロは、サタンの巧妙な罠を知っていました。赦すとは自分で正当な裁きをしたいとの思いを明け渡し、神様に裁きを委ねることも含まれます。さばきの思いを握りしめ続けると、いつの間にかサタンの罠に陥ります。手放し、解放されましょう。そして報復は主に委ねるのです。ヒデ

土曜日, 7月 16, 2011

20110716_詩篇50_2コリント1

■詩篇50:14感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き方に果たせ。50:15苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」
★苦難の中でしか見えず、考えられないことがあり、苦難の中でなければ問えない自分があります。しかし苦難の中で人とは何かを知ることができることは慰めです。見あげましょう。そこにはあなたを助けようと待って下さっている父なる神様がおられます。人は父と言う存在に受止められて力強い一歩が踏み出せます。

■2コリント1:4神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。
★苦難、それは人とはが何かを私たちに悟らせる機会を提供するのみならず、神様の恵みによって、私たちを成熟へと向かわせてくれると聖書は語ります。なぜなら、その苦難を通し、主から注がれる同情、憐れみの霊を私たちが受け取ることができるようになるからです。エペソ書には「4:30神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。4:31無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。4:32お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」と、私たちの目指すゴールが優しさであることを教えます。それこそが本当の苦難であるキリストの再臨を、恵みの中で迎える秘訣です。ヒデ

金曜日, 7月 15, 2011

20110715_詩篇49_1コリント16

■詩篇49:16恐れるな。人が富を得ても、その人の家の栄誉が増し加わっても。49:17人は、死ぬとき、何一つ持って行くことができず、その栄誉も彼に従って下っては行かないのだ。49:18彼が生きている間、自分を祝福できても、また、あなたが幸いな暮らしをしているために、人々があなたをほめたたえても。49:19あなたは、自分の先祖の世代に行き、彼らは決して光を見ないであろう。49:20人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。
★人は何に対して悟りを得る必要があるでしょうか。死後の生です。死んだら終わりではありません。また死後のあとに潜る永遠の世界の評価基準は地上の繁栄とは無縁です。その答えは聖書から見出されなければなりません。

■1コリント16:20すべての兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。聖なる口づけをもって、互いにあいさつをかわしなさい。
★パウロがコリントで主を信じた兄弟姉妹、すなわち教会にむけて書いた手紙の最後の部分です。コリント地方はそれまで、たとえ同性同士であっても接吻をもって挨拶を交わす文化があったわけではありません。ましてや主人と奴隷が同じテーブルで食事を囲み、接吻することなどあり得ないことでした。しかし最も大いなるものである神様の愛を受けた一人一人、すなわち教会はそれを可能にしたのです。あなたはこの世の文化に飲み込まれるために召し出されたわけではありません。むしろ変革をもたらし、この地に神様の支配をもたらすために召し出されました。愛することを躊躇するのは止めましょう。愛は意志であり、行動であり、犠牲です。ヒデ

木曜日, 7月 14, 2011

20110714_詩篇42_1コリント15

■詩篇42:11わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。なぜ、私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の顔の救い、私の神を。
★この詩の著者は「私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。人が一日中『おまえの神はどこにいるのか』と私に言う間。私はあの事などを思い起こし、私の前で心を注ぎ出しています。」と告白するほどに、神様を避け所とし、神様を愛する人物でした。ひょっとすると彼がこれほどに神様を愛さなければ、彼はこんな偏見に満ちた苦しみを経験する必要は無かったのかも知れません。しかし彼は神様を愛し、冒頭の告白の様に、主の愛への信頼を自分自身で自分に語りかけ、励まそうとしたのです。あなたは主にあって、自分自身で自分に語りかけ励ますことがありますか。

■1コリント15:10ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。15:11そういうわけですから、私にせよ、ほかの人たちにせよ、私たちはこのように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです
★復活がいかに史実的、神学的に根拠のあるものか。また世の終わりにおこる再臨がどんな形で現われるのかまで話題を広げるパウロですが、そもそもパウロが「私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」と言うに至った切っ掛けは、冒頭の御言葉です。神様の恵みを受け取るとき人に感謝が生まれます。そしてその人は変わります。将来に対して目が開けます。希望が与えられます。神様の恵みを受け取りましょう。拒んではなりません。ヒデ

水曜日, 7月 13, 2011

20110713_詩篇52_1コリント14

■詩篇52:6正しい者らは見て、恐れ、彼を笑う。52:7「見よ。彼こそは、神を力とせず、おのれの豊かな富にたより、おのれの悪に強がる。」52:8しかし、この私は、神の家にあるおい茂るオリーブの木のようだ。私は、世々限りなく、神の恵みに拠り頼む。
★サウル王の嫉妬を買い執拗にいのちを狙われるダビデですが、彼が寄り頼んだものが何かここでは鮮やかです。神様の恵みです。それは決して目に見えるものではなく、ある人たちにとってはつかみ所がなく、何の役にも立たないもの、むしろ具体的な力や形をもとめることでしょう。しかしダビデは、神様ご自身、そこから流れる恵み、すなわち神様の愛と憐れみ深さというご性質に寄り頼んだのです。そしてそれを信仰と呼びます。あなたは何に寄り頼みますか。信仰がなければ神様を喜ばせることはできません。

■1コリント14:26兄弟たち。では、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれの人が賛美したり、教えたり、黙示を話したり、異言を話したり、解き明かしたりします。そのすべてのことを、徳を高めるためにしなさい。
★新鮮なショックを受けた御言葉をピックアップしました。初代教会と現代の教会の姿って同じでしょうか。初代教会は双方向、互いにですが、何か現代の教会は一方通行の気がします。それが教職中心と言われる所以でしょう。私たちはみなキリストに立てられた祭司。お互いに聖書を通して示されていること、導かれていることを自由に分かち合う、こうした交わりは大切です。祈ってください。そして目指し、行動しましょう。こうしたいのちに満ちた教会の姿を。ヒデ

火曜日, 7月 12, 2011

20110712_士師記4_1コリント13

■士師記4:4 そのころ、ラピドテの妻で女預言者デボラがイスラエルをさばいていた。
★ヨシュアの死からサムエルが生まれるまでの200年、主は12人の裁き司を立てられ、軍事的、政治的指導者として用いられます。その中の一人デボラで、彼女は祭司、預言者として活躍しました。そもそも主が先住民を残されたのはイスラエルが本当に主に従うか、でしたが、イスラエルは先住民との妥協の道を選ぶのです。キリスト者はこの世から遊離してはなりません。しかし分離すべき罪からは妥協なく分離しなければなりません。そうでなければ必ず敗北するのです。ヨシュア記は勝利の歴史でしたが、士師記はある面敗北の歴史の繰り返しです。先の事柄に妥協があったからです。主は「この世と調子を合わせてはいけない」と語られます。あなたはこの士師記から何を学ぶでしょう。

■1コリント13:13こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
★昨日、贖われたクリスチャンはみな「みなの益」に聖霊の賜物が与えられていることを学びました。「使徒、預言者、教師、奇蹟を行う者、賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者」とその現れは様々です。しかし、その中で最も大きなもの、また求むべきものは何でしょう。愛です。聖書は「たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。」と語ります。愛を追い求めましょう。ヒデ

月曜日, 7月 11, 2011

20110711_1コリント12

■1コリント12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
★贖われたクリスチャンに対してパウロは重要な価値観をここで示します。「キリストのからだ」です。それは一人一人なくてはならない存在であり、誰も自分のために存在させられているのではなく、他者を助け、調和の中で大きな働きを成し遂げるためです。そのために聖書は「12:8ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、12:9またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、12:10ある人には奇蹟を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。」と語るのです。そして、これらはすべての人に与えられていますが、しかしそれに全ての人が気づいているかは疑問です。理由は御霊の賜物は「みなの益」の為に分け与えられたものなので、その人が今だ、自分自身のために生きようとの、この世の価値観に捕らわれ、貢献に生きる価値を知らなければ、気づけないからです。あなたはもうご自分に与えられた賜物にお気づきですか。ヒデ

日曜日, 7月 10, 2011

20110710_ヨシュア23_詩篇44_1コリント11

■ヨシュア23:5あなたがたの神、主ご自身が、あなたがたの前から彼らを追いやり、あなたがたの目の前から追い払う。あなたがたは、あなたがたの神、主があなたがたに告げたように、彼らの地を占領しなければならない。23:6あなたがたは、モーセの律法の書にしるされていることを、ことごとく断固として守り行い、そこから右にも左にもそれてはならない。
★約束の地での神様に受け入れられる基準は律法に基づく良き行いです。もちろんそれは昔も今もかわりません。ただそれを守れないのが神様との関係の断絶を経験した罪人で、そのためキリストは十字架の上でいのちを賭けた救い、すなわち信仰による救いを特別備えて下さいました。恵みです。信じて受け取りましょう。
りましょう。

■詩篇44:3彼らは、自分の剣によって地を得たのでもなく、自分の腕が彼らを救ったのでもありません。ただあなたの右の手、あなたの腕、あなたの御顔の光が、そうしたのです。あなたが彼らを愛されたからです
★イスラエルの歴史に対する神様の語りかけです。そうです。私たちは神様に愛され、恵みによって持ち運ばれています。

■1コリント11:1私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。
★パウロの言葉に、全く、逃げ誤魔化しを感じません。いのちを賭けて信じたもの。ならば当然そこに生きるべきでしょう。こうして信仰のバトンは手渡されます。あなたは誰からうけ、誰に渡しますか。あなたで留まってはなりません。ヒデ

土曜日, 7月 09, 2011

20110709_ヨシュア21_詩篇47_1コリント10

■ヨシュア21:44主は、彼らの先祖たちに誓ったように、周囲の者から守って、彼らに安住を許された。すべての敵の中で、ひとりも彼らの前に立ちはだかる者はいなかった。主はすべての敵を彼らの手に渡された。21:45主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、一つもたがわず、みな実現した。
★最後にヨシュアはレビ人の申し出を受け入れて彼らに町と放牧地を割り当てます。こうして全イスラエルは約束の地で安住を得ました。サタンは、神様が何かその愛を出し惜しみするかのようにエバに思わせ、罪を犯させましたが、神様は出し惜しみされることのないお方です。あなたは今欲しいものがありますか。なら遠慮なく申し出て祈りましょう。

■詩篇47:4主は、私たちのためにお選びになる。私たちの受け継ぐ地を。主の愛するヤコブの誉れを。
★主はあなたのために働かれても、あなたを利用するお方ではありません。

■1コリント10:13あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。10:14ですから、私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。
★14節の「ですから」は重要です。どんな試練の時にも神様は必ずあなたを助け出して下さるお方。たとえ八方ふさがりでも、現に上は開いています。ですから、主以外のものに試練の中で寄り頼もうとすることは、主が頼りないので、他の神々に……と、主の力を軽んじ、偶像の前で主を辱めることです。姦淫者になってはなりません。主はあなたを助け出されます。しかも試練の前より、あなたを主の栄光に満ちる者として。ヒデ

金曜日, 7月 08, 2011

20110708_ヨシュア20_1コリント9

■ヨシュア20:2「イスラエル人に告げて言え。わたしがモーセを通してあなたがたに告げておいた、のがれの町をあなたがたのために定め、20:3あやまって、知らずに人を殺した殺人者が、そこに逃げ込むことのできるようにしなさい。その町々は、あなたがたが血の復讐をする者からのがれる場所となる。
★神様がイスラエルに与えようとして下さっている約束の地に、なくてはならないものは何か。それは逃れの場所だと主は語られます。人は誰でも故意ではなくとも過失を犯すもの。その過失に最大限の理解を示し、保護を加えて下さろうとするお方は主ご自身です。神様とは単なる裁き主ではありません。そして、たとえあなたが敵に囲まれ、困難を覚えるような時があっても、あなたは一人ではありません。神様は私たちの避け所であり、悩める時、そこにある助けです。逃げ込みましょう。

■1コリント9:22弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
★主の弟子として自分の立場や能力を最大限注ぎだし、主に仕えた人物の一人としてあげられるのがパウロその人です。そのパウロが抱いた夢は全世界へと及びます。しかし具体的に彼がとった行動は、目の前にいる「幾人か」の祝福です。あなたの生き方は例え風呂敷を広げても、地に足がついたそれですか。聖書はキリストについて「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、実に十字架の死にまでも従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。」と語ります。主とパウロの生き様に倣いましょう。ヒデ

木曜日, 7月 07, 2011

20110707_1コリント8

■1コリント8:12あなたがたはこのように兄弟たちに対して罪を犯し、彼らの弱い良心を踏みにじるとき、キリストに対して罪を犯しているのです。8:13ですから、もし食物が私の兄弟をつまずかせるなら、私は今後いっさい肉を食べません。それは、私の兄弟につまずきを与えないためです。
★コリント地方で起こっていた課題、偶像にささげられた肉を食べるべきかどうかについて、パウロはここで展開します。もちろん食べてよいのです。その理由はすべての食物は祈りによってきよめられますし、唯一の神様以外に実際存在する神はないからです。しかしパウロはその知識を持つ人は、その真理を知っているゆえにあなたは高ぶっていませんかと語りかけます。そしてパウロが問題にするのは自分の良心ではなく弱い良心を持つ人々がそれで躓かないだろうかです。生まれながらの人は、確かにそこにはその人の生育歴の関係もあるでしょう、弱い良心を持つ人と強い良心を持つ人があります。あなたどちらですか。しかしパウロが求めるのは成熟した良心、すなわち自分の為ではなく相手を思いやる良心です。人の目に縛られ自由を失うわけでも、律法主義に逆戻りするわけでもありません。弱いいのちを守るため、愛のゆえに自らの権利をあえて明け渡す生き方です。あなたに与えられた自由をいかに用いるかであなたが何者であるかが明らかになります。願わくはイエスと一緒にいたもの、クリスチャンとよばれる生き方へと導かれますように。

水曜日, 7月 06, 2011

20110706_ヨシュア14_1コリント7

■ヨシュア14:10今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。14:11しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。
★かつてカナン偵察の時、ヨシュアとカレブ以外の者たちは非常に否定的、消極的な言葉を発し、民の心を挫き、荒野において40年放浪する原因をつくりました。しかしカレブはどうでしょう。ここを見ると今なお壮健で神様の恵みに支えられた生活を送っているのを見ます。神様の恵みに応えて積極的、肯定的に応答することの大切さを覚えましょう。その人は不思議な主の祝福の中を歩みます。

■1コリント7:6以上、私の言うところは、容認であって、命令ではありません。7:10次に、すでに結婚した人々に命じます。命じるのは、私ではなく主です。妻は夫と別れてはいけません。7:12次に、そのほかの人々に言いますが、これを言うのは主ではなく、私です。信者の男子に信者でない妻があり、その妻がいっしょにいることを承知している場合は、離婚してはいけません。7:25処女のことについて、私は主の命令を受けてはいませんが、主のあわれみによって信頼できる者として、意見を述べます。
★パウロがいかに言葉を丁寧に使っているかに目を留めましょう。決して自らの思いと考えを神様の言葉と同列に置こうとはしませんでした。どこかの大臣とは違います。信仰と希望と愛。そして与えられた力を自分のためではなく他者を生かし仕えるために用いる人。その人がいつまでも残るのです。ヒデ

火曜日, 7月 05, 2011

20110705_ヨシュア10_1コリント6

■ヨシュア10:11彼らがイスラエルの前から逃げて、ベテ・ホロンの下り坂にいたとき、主は天から彼らの上に大きな石を降らし、アゼカに至るまでそうしたので、彼らは死んだ。イスラエル人が剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった。10:12主がエモリ人をイスラエル人の前に渡したその日、ヨシュアは主に語り、イスラエルの見ている前で言った。「日よ。ギブオンの上で動くな。月よ。アヤロンの谷で。」10:13民がその敵に復讐するまで、日は動かず、月はとどまった。
★聖書は信じがたいことが起こったと記します。どなたかこの史実性の調査にチャレンジする人はいませんか。しかしもう一つ忘れてはならないこと。それは、心から御心を行おうとする者を神様は人間の常識の枠を越えてまでも助けて下さるお方、と言うことです。果たしてヨシュアの内にある、主に対する信頼と従順がお互いの内に見られるでしょうか。

■1コリント6:1あなたがたの中には、仲間の者と争いを起こしたとき、それを聖徒たちに訴えないで、あえて、正しくない人たちに訴え出るような人がいるのでしょうか。6:2あなたがたは、聖徒が世界をさばくようになることを知らないのですか。世界があなたがたによってさばかれるはずなのに、あなたがたは、ごく小さな事件さえもさばく力がないのですか。
★自分の正義を主張しようとするとどこまでも両者の間は平行線です。時にその中であなたのこだわりが、多くの人の知るところとなり、あなたの心の広さが測られることもあります。願わくはキリストの十字架を仰いで赦しましょう。その問題があまりに大きければ、裁きは主に委ねましょう。いずれにしてもあなたは平和と愛の道を選択するのです。ヒデ

月曜日, 7月 04, 2011

20110704_ヨシュア7_1コリント5

■ヨシュア7:20アカンはヨシュアに答えて言った。「ほんとうに、私はイスラエルの神、主に対して罪を犯しました。私は次のようなことをいたしました。7:21私は、分捕り物の中に、シヌアルの美しい外套一枚と、銀二百シェケルと、目方五十シェケルの金の延べ棒一本があるのを見て、欲しくなり、それらを取りました。それらは今、私の天幕の中の地に隠してあり、銀はその下にあります。」
★約束の地における戦いでイスラエルは初めての敗北をなし、民の心は周りの国民に取り囲まれ殺されるのではないかと意気消沈します。それにしてもその原因は?アカンが欲に溺れ、聖絶のものを自分の天幕に隠し持ち返り、自らを聖絶のものとしたからです。罪に対して曖昧な態度をとる時、自分自身を罪とすることになります。罪には断固拒否です。心に刻みましょう。でなければ祝福は失われます。それにしても、何と僅かなもののことで自分を滅びに追いやったことか。それが罪の誘惑です。罪の芽をどんなに小さくても侮るべきではありません。

■1コリント5:4あなたがたが集まったときに、私も、霊においてともにおり、私たちの主イエスの権能をもって、5:5このような者をサタンに引き渡したのです。それは彼の肉が滅ぼされるためですが、それによって彼の霊が主の日に救われるためです。
★パウロは教会内でおこる汚れに対し、教会自体がいわば聖絶のものとならないように上の様に表現します。「外部の人たちをさばくことは、私のすべきことでしょうか。あなたがたがさばくべき者は、内部の人たちではありませんか。」もパウロの言葉です。罪についてはあくまで毅然とした態度を取りましょう。それがあなたを守り、相手を生かす、あなたが取るべきスタンスです。ヒデ

日曜日, 7月 03, 2011

20110703_ヨシュア3_1コリント4

■ヨシュア3:15箱をかつぐ者がヨルダン川まで来て、箱をかつぐ祭司たちの足が水ぎわに浸ったとき、ヨルダン川は刈り入れの間中、岸いっぱいにあふれるのだが3:16上から流れ下る水はつっ立って、はるかかなたのツァレタンのそばにある町アダムのところで、せきをなして立ち、アラバの海、すなわち塩の海のほうに流れ下る水は完全にせきとめられた。民はエリコに面するところを渡った。
★イスラエルがエジプトから脱出する時に渡った紅海は、モーセがアロンの杖を海に向かって差し伸べたとき、紅海は川底を見せ、イスラエルはそこを通って脱出したと記します。しかし、いざ約束の地に入ろうとするここヨルダンでは、決して水が引き、川底を確認してのそれではありませんでした。祭司が神様の言葉を信頼して、一歩川に足を踏み入れたその時、水は上流でせき止められたのです。さてあなたはここから何を受け取られるでしょうか。聖書は信仰がなければ神様に喜ばれることはありませんと語ります。

■1コリント4:16ですから、私はあなたがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください。4:17そのために、私はあなたがたのところへテモテを送りました。テモテは主にあって私の愛する、忠実な子です。彼は、私が至る所のすべての教会で教えているとおりに、キリスト・イエスにある私の生き方を、あなたがたに思い起こさせてくれるでしょう。
★今ある立場と恵みはキリストによってもたらされたものであるのに、それを無視し、キリストの教えを通り越して、一方にくみし、他方に反対し高慢な生き方をする者たちが起こり、教会に混乱を作り出していました。その時パウロは「私にならう者」と彼らのライフスタイルを問うたのです。福音は知ると共に、生きることを通し人を成熟へと向かわせます。ヒデ

土曜日, 7月 02, 2011

20110702_ヨシュア1_詩篇37

■ヨシュア1:1さて、主のしもべモーセが死んで後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げて仰せられた。1:2「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。1:3 あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。
★神様はこの言葉をヨシュアに与えるために30日間モーセの死を悼み、喪に伏し涙する期間を与えられます。もしこの期間がなければ「モーセは死んだ。今、立って……」との励ましに応えることは出来なかったでしょう。また、丁度よいこの時期のこの言葉がなければ、イスラエルの民は立ち上がる機会を逸したかも知れません。与えられたこの期間の何と大きなことか。あなたは新しい決断に歩み出すため、起こった悲しむべき出来事に蓋をし、感情を押し殺すのではなく、十分に涙し、喜ぶことを喜び、泣くことを泣いていますか。主は「私のもとに来なさい。休ませてあげよう」と語られるお方です。人は強すぎる必要はありません。立ち上がるのはそれからです。

■詩篇37:23人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。37:24その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。
★主の恵みによって支えられ、生かされる人生があります。あなたはヨシュアの様に、深い悲しみをも共に受止めて下さり、さらに「モーセは死んだ、今、立って……」と、あなたを励まして下さる方をお持ちですか。そのお方を知らない人生と、知る人生では全く終着点が異なります。このお方の手に支えられる人生を歩むことを心からお勧めします。ヒデ

金曜日, 7月 01, 2011

20110701_申命33_1コリント2

■申命33:26「エシュルンよ。神に並ぶ者はほかにない。神はあなたを助けるため天に乗り、威光のうちに雲に乗られる。33:27昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。あなたの前から敵を追い払い、『根絶やしにせよ』と命じた。33:28こうして、イスラエルは安らかに住まい、ヤコブの泉は、穀物と新しいぶどう酒の地をひとりで占める。天もまた、露をしたたらす。33:29しあわせなイスラエルよ。だれがあなたのようであろう。主に救われた民。主はあなたを助ける盾、あなたの勝利の剣。あなたの敵はあなたにへつらい、あなたは彼らの背を踏みつける。」
★エシュルンとはイスラエルの詩的呼び方で、ここははじめの2-5節と対になったものです。そして結局のところ神様のイスラエル全体に対する思いは祝福です。神様の御腕の中に持ち運ばれ、神様の御腕に支えられて歩んだ民が未だかつつてあったでしょうか。あなたは愛されています。あなたの生涯は主の御手の中以外の奈落へと落ちることはありません。

■コリント2:11いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。2:12ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。
★主の弟子パウロはなにゆえに、あれほどの大きな業績を残すことができたのでしょう。それは彼の豊かな知性に基づくものでも、人一倍の熱心でもありません、ただ受けた御霊によるものでした。あなたはこれを認め、聖霊に餓え渇きますか。御霊に満たされることを求めましょう。神様の愛と御力に対する信頼が広がります。ヒデ

木曜日, 6月 30, 2011

20110630_申命31_詩篇40_1コリント1

■申命31:7ついでモーセはヨシュアを呼び寄せ、イスラエルのすべての人々の目の前で、彼に言った。「強くあれ。雄々しくあれ。主がこの民の先祖たちに与えると誓われた地に、彼らとともに入るのはあなたであり、それを彼らに受け継がせるのもあなたである。
★約束の地を前に「あなたは、このヨルダンを渡ることができない」と主から言われたモーセはそれで腐ることもなく上の御言葉の通りに行動します。ここから人が最後になすべき重要な働きの一つが何であるかが明らかです。バトンタッチです。皆の前でヨシュアを立て、ヨシュアを励ますモーセとは何と偉大な指導者でしょう。バトンが渡されなければ、その働きはそこで終わります。人を育てることがあなたがなすべき最大の働きです。しかしこれも自我を十字架につけなければ出来ないことで、多くの場合、このところで人は失敗します。

■詩篇40:7そのとき私は申しました。「今、私はここに来ております。巻き物の書に私のことが書いてあります。40:8わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。」
★子なる神、イエス様はこの祈りを持って受肉なさいました。

■コリント1:9 神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。
★にもかかわらず「私はパウロにつく」「私はアポロに」、おまけに私はあなた方とは一段格が違うんだと言わんばかりに「私はキリストにつく」と言う者さえ起こってくるとは。この個人的好みで神様の賜物を選り好みし、それに寄りかかり自己実現を目指そうとする依存体質には終止符が打たれなければなりません。私たちを召し出されたのは他でもない真実な神様ご自身なのですから。ヒデ

水曜日, 6月 29, 2011

20110629_申命28_ガラテヤ6

■申命28:11主が、あなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われたその地で、主は、あなたの身から生まれる者や家畜の産むものや地の産物を、豊かに恵んでくださる。28:12主は、その恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。それであなたは多くの国々に貸すであろうが、借りることはない。
★この章では、これから入る約束の地で、主に従う者への祝福と、従わない者への呪いが記されています。その特徴は驚くばかりの祝福か、あるいは恐ろしさゆえに目を覆いたくなるほどの呪いです。と言うことは主に従いつつも試みの中にある人がありますか。その人は格別の主のご愛の御手の中にあると言うことです。いたずらに思い悩み、自分を苦しめるよりも、主の愛に信頼し、主を見あげ、自らなすべきことに力を注ぎましょう。必ず主はあなたを不動の者として練り鍛え、高くあげて下さいます。

■ガラテヤ6:15割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。6:16どうか、この基準に従って進む人々、すなわち神のイスラエルの上に、平安とあわれみがありますように。
★ここで本当の祝福とは何かが明らかにされました。それは変われること。人は命がなければ自分を守るために自分に固執し、変わることは出来ませんし変わりたいとも願いません。それどころかそれをもとめられるなら猛反発の心でいっぱいになります。それが否定し得ないこの世の現実。しかし、主の愛に満たされた者はキリストに似るために変われることが喜びとなるのです。あなたの上に栄光の霊が注がれています。ハレルヤ!ヒデ

火曜日, 6月 28, 2011

20110628_申命26_ガラテヤ5

■申命26:18きょう、主は、こう明言された。あなたに約束したとおり、あなたは主の宝の民であり、あなたが主のすべての命令を守るなら、26:19主は、賛美と名声と栄光とを与えて、あなたを主が造られたすべての国々の上に高くあげる。そして、約束のとおり、あなたは、あなたの神、主の聖なる民となる。
★主がここで命じられた律法は悪いものではなくよいもので、約束の地における当然の基準となるべきものです。しかしそこに自分の力では生きれないのが罪人である人間です。しかしここで驚きは「あなたは主の宝の民」の表現の位置づけです。民が律法を守れば「宝の民」でしょうか。いいえ、守る、守らないの前に、既に主は「あなたは宝の民」とイスラエルに宣言しておられます。同様にあなたは「主の宝の民」とされました。

■ガラテヤ5:1キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。5:2よく聞いてください。このパウロがあなたがたに言います。もし、あなたがたが割礼を受けるなら、キリストは、あなたがたにとって、何の益もないのです。
★今朝の申命記と同じテーマです。良き行いは神様に認めて頂くための条件ではありません。良き行いでご主人様に求められるのは奴隷です。ではイスラエルは、そしてあなたは奴隷でしょうか。いいえ。主はあなたを子とするために召し出されたのです。あなたは神様に愛されています。そして赦されています。これは事実です。受け取りましょう。そして、「……しなければ認めてもらえない。だから頑張らざるを得ない」から解放されましょう。むしろ主の愛に対する感謝の応答として神様と人への貢献の人生を歩むのです。ヒデ

月曜日, 6月 27, 2011

20110627_申命23_ガラテヤ4

■申命23:19金銭の利息であれ、食物の利息であれ、すべて利息をつけて貸すことのできるものの利息を、あなたの同胞から取ってはならない。23:20外国人から利息を取ってもよいが、あなたの同胞からは利息を取ってはならない。それは、あなたが、入って行って、所有しようとしている地で、あなたの神、主が、あなたの手のわざのすべてを祝福されるためである。
★ここには「入って行って、所有しようとしている地で祝福されるため」に、神様との関係において、また人との関係において大切なことが何かを告げられます。さけるべき偶像礼拝。衛生面で清潔に保つべきこと。金銭の貸し借りについて等。そして最後に主は「23:24隣人のぶどう畑に入ったとき、あなたは思う存分、満ち足りるまでぶどうを食べてもよいが、あなたのかごに入れてはならない。23:25隣人の麦畑の中に入ったとき、あなたは穂を手で摘んでもよい。しかし、隣人の麦畑でかまを使ってはならない。」と貪欲に警戒すべきを告げられます。お互いの生活を吟味しましょう。

■ガラテヤ4:19私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。
★この書のテーマは律法と福音です。そして私たちの内にさえキリストの形を造るものは、お互いの内に「赦された。私は主に愛されている」を実感させる福音であることを明確にします。しかし、どうでしょう。その恵みを避けて、元の奴隷生活に惹かれる人があるとパウロは心痛めるのです。自分の行いに寄り頼む生き方の行き着く先は傲慢と滅び。しかし福音に生かされる場合の行き先は感謝と喜び平安です。福音に生かされましょう。ヒデ

日曜日, 6月 26, 2011

20110626_申命20_ガラテヤ3

■申命20:3彼らに言いなさい。「聞け。イスラエルよ。あなたがたは、きょう、敵と戦おうとしている。弱気になってはならない。恐れてはならない。うろたえてはならない。彼らのことでおじけてはならない。20:4共に行って、あなたがたのために、あなたがたの敵と戦い、勝利を得させてくださるのは、あなたがたの神、主である。」
★かつてエジプトを脱出する時も、イスラエルが紅海に面し、後ろからファラオの軍勢が追ってきたとき、主はモーセを通して民に「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。」と語られました。ご自身の血潮の代価によってあなたを贖われた主は、あなたのために立ち上がり、あなたを救われるのです。あなたはこれを信じることが出来ますか。できるなら、あなたが今朝やめなければならない肉策、我策はありませんか。

■ガラテヤ3:23信仰が現われる以前には、私たちは律法の監督の下に置かれ、閉じ込められていましたが、それは、やがて示される信仰が得られるためでした。3:24こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。3:25しかし、信仰が現われた以上、私たちはもはや養育係の下にはいません。
★罪についての正しい認識がなければ、人は神様がくださる赦しについて飢え乾きさえおこりません。しかし神様が私の脇において下さった律法ゆえに、私たちは罪の指摘を受け、悔い改め、罪の告白、キリストの救いへの信仰、赦しへと今や至りました。すべてが恵みです。もはや律法のもとに帰る必要はありません。この恵み、キリストにとどまり生きましょう。ヒデ

土曜日, 6月 25, 2011

20110625_申命18_詩篇38_ガラテヤ2

■申命18:6もし、ひとりのレビ人が、自分の住んでいたイスラエルのうちのどの町囲みのうちからでも出て、主の選ぶ場所に行きたいなら、望むままに行くことができる。
★レビ部族の祭司たちは約束の地においても相続地は与えられていませんでした。なぜなら彼らの嗣業は主ご自身だからです。しかし、その働き場については自由なことがここに記されます。その理由は、彼らは各部族に仕えるために召し出されたのではなく、主に仕えるため、しかも唯一なる神様に仕えるために召し出されたからです。この視点が失われると部族主義、現代では教派主義、マイチャーチ主義に陥り、心は内向きになり力を失います。心の向きをこの朝点検しましょう。新約の祭司である私たちは皆、この地上に神様の支配をもたらすために、御国の拡大のために召し出されました。

■38:1主よ。あなたの大きな怒りで私を責めないでください。あなたの激しい憤りで私を懲らしめないでください。……38:4私の咎が、私の頭を越え、重荷のように、私には重すぎるからです。
★主のもとに行きましょう。そこには赦しがありますから。

■ガラテヤ2:14しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパにこう言いました。「あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活していたのに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いるのですか。
★パウロは自分のためではなく、福音が曲げられることに怒りました。あなたは何の為に怒りますか。この章の中心聖句「わたしはキリストと共に十字架に付けられた」が、そこで輝きます。ヒデ

金曜日, 6月 24, 2011

20110624_申命15_ガラテヤ1

■申命15:7あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたのどの町囲みのうちででも、あなたの兄弟のひとりが、もし貧しかったなら、その貧しい兄弟に対して、あなたの心を閉じてはならない。また手を閉じてはならない。……15:9あなたは心に邪念をいだき、「第七年、免除の年が近づいた」と言って、貧しい兄弟に物惜しみして、これに何も与えないことのないように気をつけなさい。その人があなたのことで主に訴えるなら、あなたは有罪となる。
★こうして主はエジプトから脱出したイスラエルの民は、決して孤立した人の寄り集まりではなく、神様によって召し出された共同体であることを示されます。神様の理想は高いです。召し出されたお互いも、この世の誘惑は強いですが、志を高く、主に愛されているものとして、神の民と共に生きる道を選びとり続けましょう。

■ガラテヤ1:6私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。1:7ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。1:8しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。
★主の弟子パウロがこの章で2回繰り返す「その者はのろわれるべき」の真意は何でしょう。福音が福音としてその人の生涯を変革し、祝福するものであって欲しい。そのために正しく伝えられ、また受け取られるものであって欲しいとのそれでした。福音理解において、あなたはそれが腹の底までストンと落ちましたか。ヒデ

木曜日, 6月 23, 2011

20110623_申命10-11_マルコ16

■申命11:26見よ。私は、きょう、あなたがたの前に、祝福とのろいを置く。11:27もし、私が、きょう、あなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令に聞き従うなら、祝福を、11:28もし、あなたがたの神、主の命令に聞き従わず、私が、きょう、あなたがたに命じる道から離れ、あなたがたの知らなかったほかの神々に従って行くなら、のろいを与える。
★約束の地とはエジプト時代の様に自分で種を蒔かなければならないのではなく、山と谷の地であり、天の雨で潤い、多くの果樹が自然に実る地。そう、それは丁度エデンの園のようなところです。その自由な環境で問われるのは何でしょう。それが主への愛です。アダムは、イスラエルは、その恵みの中で失敗しました。あなたの主への感謝はどうですか。自由の中でこそそれが問われます。

■マルコ16:15それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。16:16信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。16:17信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、16:18蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
★これが復活の主が弟子たちに語られた命令と約束です。教会はこれをお題目にするのではなく、生きることが求められています。そうでなければ主が生けるお方であることを体験することは中中困難です。あなたは主をまだ知らない人に手を置いて、その人の祝福のために祈ったことはありますか。ヒデ

水曜日, 6月 22, 2011

20110622_申命8_マルコ15

■申命8:16あなたの先祖たちの知らなかったマナを、荒野であなたに食べさせられた。それは、あなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたをしあわせにするためであった8:17あなたは心のうちで、「この私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ」と言わないように気をつけなさい。
★約束の地を前に主が様々にイスラエルを諭す場面でが、その結論は高ぶるならば滅びる、しかも必ず滅びると警告するのです。「私の力ではありません。主の恵みです。」と告白しましょう。自分しか見えない人は「全部私がやった」と言うのを耳にします。しかし神様とまわりの人の支えによって、今日あるを得ていることを悟る人は「私ではありません」と、主に栄光をお返しします。約束の地とは神様が褒めたたえられる地です。その時、あなたに最大、最高の恵みが注がれます。

■マルコ15:33さて、十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた。15:34そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
★いざと言うとき自分の救いを最優先にする人には人は救えません。罪のないイエス様です。そして御使いに命じてこの十字架からさえ降りることの出来た、力あるひとり子なる神イエス様です。罪のないこのお方が人類に変わって神様の罰を受け、その罪を一身に担って神様に捨てられる。捨てられるはずのないお方が捨てられ、捨てられて当然の罪人の救いの道が開かれる。これが聖書の救いのメッセージの土台です。すでに裁きは終わったのです。キリストの十字架のゆえにあなたは赦されました。感謝しこの恵みを受け取りましょう。ヒデ

火曜日, 6月 21, 2011

20110621_申命5_詩篇43_マルコ14

■申命5:32あなたがたは、あなたがたの神、主が命じられたとおりに守り行いなさい。右にも左にもそれてはならない。5:33あなたがたの神、主が命じられたすべての道を歩まなければならない。あなたがたが生き、しあわせになり、あなたがたが所有する地で、長く生きるためである。
★約束の地を前にしたこの時、主はもう一度イスラエルの民にモーセを通して十戒を示されます。しかもそれは何の為かを明確にして。ただそれはあなたが幸せになるため。人が人として幸せになるためには、人にまさる権威者からの、間違いのない不偏の戒めがあることは幸いです。与えて下さる主の動機は愛です。その愛を受け取って、約束の地で祝福となりましょう。

■詩篇43:5わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。なぜ、私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の顔の救い、私の神を。

■マルコ14:36またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」
★ゲッセマネの園の祈りです。主がこの祈りで勝利して下さったので、私たちの救いが開かれました。十字架すなわちゴルゴダの前には、霊的ゲッセマネがあります。隠れたところで勝利すれば、公にも勝利できます。主との交わりがいのちです。肝に銘じましょう。ヒデ

月曜日, 6月 20, 2011

20110620_申命4_詩篇36_マルコ13

■申命4:33あなたのように、火の中から語られる神の声を聞いて、なお生きていた民があっただろうか。4:34あるいは、あなたがたの神、主が、エジプトにおいてあなたの目の前で、あなたがたのためになさったように、試みと、しるしと、不思議と、戦いと、力強い御手と、伸べられた腕と、恐ろしい力とをもって、一つの国民を他の国民の中から取って、あえてご自身のものとされた神があったであろうか。4:35あなたにこのことが示されたのは、主だけが神であって、ほかには神はないことを、あなたが知るためであった。
★間違いありません。 あなたは神様の選びによって召し出され、導かれ、祝福されています。不思議をなすことのできる生きておられる主が、あなたを愛しておられます。このお方に聞き従いましょう。

■詩篇36:9いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。36:10注いでください。あなたの恵みを、あなたを知る者に。あなたの義を、心の直ぐな人に。

■マルコ13:5そこで、イエスは彼らに話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。13:6わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそそれだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
★戦争に地震、終末の足音を感じます。そこには家庭崩壊も含みます。その時どんな前兆が、との弟子の質問に、主は上のみ言葉を語られます。人に騙されてはなりません。あなたを救いうるのは神たるキリスト以外にないのです。森はかつて無知ゆえ文鮮明に騙されました。どうか愛する人に伝えて下さい。救いは、人となって来られ、その人の為にも十字架にかかって下さったキリスト以外にないことを。お願いします。ヒデ

日曜日, 6月 19, 2011

20110619_申命1_マルコ12

■1:6私たちの神、主は、ホレブで私たちに告げて仰せられた。「あなたがたはこの山に長くとどまっていた。1:7向きを変えて、出発せよ。そしてエモリ人の山地に行き、その近隣のすべての地、アラバ、山地、低地、ネゲブ、海辺、カナン人の地、レバノン、さらにあの大河ユーフラテス川にまで行け。1:8見よ。わたしはその地をあなたがたの手に渡している。行け。その地を所有せよ。これは、主があなたがたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓って、彼らとその後の子孫に与えると言われた地である。」
★約束の地を前にモーセは、主から民を奮い立たすようにと上の言葉をさずかります。いかがでしょう。「向きを変えて」とは、あなたにも必要な御言葉ですか。チャンスを恵みによって備えて下さるのは主。それを掴むのはあなたです。立ち上がりましょう。その時あなたの前にあるヨルダン川はせき止められます。

■マルコ12:16彼らは持って来た。そこでイエスは彼らに言われた。「これはだれの肖像ですか。だれの銘ですか。」彼らは、「カイザルのです」と言った。12:17するとイエスは言われた。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」彼らはイエスに驚嘆した。
★ご自身を陥れようとした者たちに、主はこれには誰の肖像が彫られているかと尋ねます。カイザルのかたちです。ならカイザルに返せば良い。ではあなたの内はどんな形に似せて彫られているのか。聖書は『神のかたち』に似せて創られたと語ります。主はそれを神様の御心に従ってささげなさいと言われるのです。なぜでしょう。その時あなたの存在が輝くからです。本来の創造の目的が果たされるから。喜びに満たされるからです。ヒデ

土曜日, 6月 18, 2011

20110618_民数35@33-34_マルコ11

■民数35:33あなたがたは、自分たちのいる土地を汚してはならない。血は土地を汚すからである。土地に流された血についてその土地を贖うには、その土地に血を流させた者の血による以外はない。35:34あなたがたは、自分たちの住む土地、すなわち、わたし自身がそのうちに宿る土地を汚してはならない。主であるわたしが、イスラエル人の真ん中に宿るからである。」
★約束の地とは他でもない、主が真ん中にいて下さる地です。そこがたとえ地獄であったとしても主が共にいて下さるなら天国。そこがたとえ天国であっても、主がおられず、自らを神とする人々が集う場所なら、そこは地獄と変わります。誰と人生を共に歩もうと決断するか、それであなたの人生は決まります。祈りましょう。そして間違いのない選択をしましょう。

■マルコ11:3もし、『なぜそんなことをするのか』と言う人があったら、『主がお入用なのです。すぐに、またここに送り返されます』と言いなさい。」11:4そこで、出かけて見ると、表通りにある家の戸口に、ろばの子が一匹つないであったので、それをほどいた。11:5すると、そこに立っていた何人かが言った。「ろばの子をほどいたりして、どうするのですか。」11:6弟子たちが、イエスの言われたとおりを話すと、彼らは許してくれた。
★時満ちた主のエルサレム入場の出来事です。主は戦車にではなく『柔和・平和』の象徴であるロバの子を用いられます。幾人かの主人の所有の子ロバですが、彼らはそれを許します。あなた自身はどうですか。あなたと、あなたの生涯を主の働きのために、喜んで明け渡し、所有権を委ねることができますか。所有権の主張の思いは、内側からも外側からも訪れますが、それを主に許すのです。『貢献』の勝利の人生はそこからがスタートです。ヒデ

金曜日, 6月 17, 2011

20110617_民数32_マルコ10

■民数32:2ガド族とルベン族は、モーセと祭司エルアザルおよび会衆の上に立つ者たちのところに来て、次のように言った。32:4これら主がイスラエルの会衆のために打ち滅ぼされた地は、家畜に適した地です。そして、あなたのしもべどもは家畜を持っているのです。」32:5また彼らは言った。「もし、私たちの願いがかないますなら、どうかこの地をあなたのしもべどもに所有地として与えてください。私たちにヨルダンを渡らせないでください。」
★このガド族とルベン族、何と言うことか、親たちの不信仰のゆえに、約束の地をまえに40年荒野に留まることを強いられ、やっと入れると言うこの時に、私たちは約束の地の手前のこの地に留まらせて下さいとは。普通のリーダーならキレルところでしょう。しかしモーセは忍耐深く彼らの考えを聞き、「全ての部族が約束の地で所有を得るまで、私たちは共に戦うことを誓います」のことばに寛容を示します。そりゃ強い信仰に超したことはないでしょう。しかしそれぞれ違うのです。憐れみは裁きに打ち勝ちます。またガド族とルベン族が最後までその責任を果たしたことも省略する訳には行きません。果たしたのです。

■マルコ10:27イエスは、彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」
★聖書は『イエスはじっと見て』と記します。見ていたのは誰ですか。そう弟子たちで、それはあなたです。だから少なくとも自分に関して、自分で自分を見て諦めることはやめましょう。それより立たせて下さり、完成して下さる主を見上げるのです。ヒデ

木曜日, 6月 16, 2011

20110616_民数30_マルコ9

■民数30:2人がもし、主に誓願をし、あるいは、物断ちをしようと誓いをするなら、そのことばを破ってはならない。すべて自分の口から出たとおりのことを実行しなければならない。
★この章にはまたこうも記されます。「30:14もし夫が日々、その妻に全く何も言わなければ、夫は彼女のすべての誓願、あるいは、すべての物断ちを有効にする。彼がそれを聞いた日に彼女に何も言わなかったので、彼はそれを有効にしたのである。30:15もし夫がそれを聞いて後、それを破棄してしまうなら、夫が彼女の咎を負う。」と。夫婦も家族も神の家族も、互いに責任を負い合う関係に召されています。かつてアダムの息子カインは弟に「知りません。私は弟の番人なのでしょうか。」と無関心を告白しましたが、あなたは大切な人たちの願いを知る努力をしていますか。何も言わない無関心、すなわち愛の無さは神の家族にとって罪です。

■マルコ9:38ヨハネがイエスに言った。「先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、私たちの仲間ではないので、やめさせました。」9:39しかし、イエスは言われた。「やめさせることはありません。わたしの名を唱えて、力あるわざを行いながら、すぐあとで、わたしを悪く言える者はないのです。9:40わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です。
★「やめさせました」の弟子の言葉は、自分たちこそが正統、正しいとの心の現れでしょう。しかし主は、それがあまりに強いと関係を壊し、働きが進まないことを語られます。またその言葉は視野の狭さの表れです。主は弟子たちの内にあるおごりのためにも祈って下さっているのですね。恵みは水と一緒、低いところ、すなわち謙るものに注がれます。ヒデ

水曜日, 6月 15, 2011

20110615_民数29@40_マルコ8

■民数29:40モーセは、主がモーセに命じられたとおりを、イスラエル人に告げた。
★この29章には、いかに礼拝をささげるべきかの規定、罪の赦しを受け取るために必要な様々な規定等が紹介されていますが、それは全て主が語られたことで、モーセはそれを民に忠実に告げたことが紹介されます。鍵の言葉は「主がモーセに命じられたとおりを……告げた」です。畏るべきお方へのピントがずれたり、自分の力が増し加わるとき、人は残念かな、神の言葉に自らの思いを付け加えたり、差し引いたり、裁判においては、力あるものには必要以上に強く当たったり、弱いものには、たとえ弱いものでも加えてはならない憐れみを加えたりと、コントロールの力が働きます。虐待のはじまりもここからでしょう。地上の誰よりも柔和な人と主から呼ばれたモーセの姿勢から学びましょう。

■マルコ8:34 それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。8:35いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。
★イエス様はここで明確に自分の命とは何かを語られます。それは守るものではなく使うもの。このことがぼかされると人生の目的である「貢献」から離れ、必要以上の健康志向や個人主義に陥り、空しい人生の終わりを迎えます。ろうそくはいのちをすり減らして輝きます。神様は使い残したお互いのいのちは数えられません。貢献の為にあなた自身がすり減らしたいのちを数え、それに酬いを加えて下さるお方です。偽りのこの世の価値観に騙されることなく、決断と信仰をもって世の光として輝きましょう。ヒデ

火曜日, 6月 14, 2011

20110614_民数27@12-23_1コリント13

■民数27:12ついで主はモーセに言われた。「このアバリム山に登り、わたしがイスラエル人に与えた地を見よ。27:13それを見れば、あなたもまた、あなたの兄弟アロンが加えられたように、あなたの民に加えられる。
★こうして主から、自らの使命の終わりと死期が近づいたことを教えられたモーセは「ひとりの人を会衆の上に定め、彼が、彼らに先立って出て行き、彼らに先立って入り、また彼らを連れ出し、彼らを入らせるようにしてください。主の会衆を、飼う者のいない羊のようにしないでください。」と、主の前にとりなします。自らの齢がながらえることでも、約束の地まで私をリーダーとして立て続けて下さいとのプライドでもありません。最後に何を求めるか。細かい、あるいは上手な解説がなくても、それでその人の心は明らかです。あなたの願い、あなたの友、それがあなたの心です。そして主の願いは「父よ彼らをお赦し下さい」でした。

■1コリント13:4愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。13:5礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、13:6不正を喜ばずに真理を喜びます。13:7すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。13:8愛は決して絶えることがありません。
★上の御言葉でお互いの愛を点検しましょう。あなたの愛はどこに向かっていますか。自分自身ですか。あるいは自分の分身ですか。それとも神様ですか。神の言葉がなければ、人はうぬぼれから自分を救うことが出来ません。しかし私たちはこの神様の言葉で救われます。キリストの内に置かれ、与えられている恵に感謝しましょう。ヒデ

月曜日, 6月 13, 2011

20110613_マルコ6

■マルコ6:2安息日になったとき、会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行われるこのような力あるわざは、いったい何でしょう。6:3この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。
★「つまづいた」とありますが、つまづく人は何を見ているのでしょう。外見です。しかし内側を見る人は、その人の内にある「神のかたち」に感動や畏敬の念さえ覚えます。そして不思議ですが、感動や畏敬の念を覚える人は、たとえそれがどんな人であっても、その人の内側にある神のかたちを探り、目を留め、そこから教えられるのです。結局のところつまずく人は相手「その人自身」ではなく、自分の内側で持つ、その人に対するイメージと実際を比較し、勝手に失望したり、思い込んで喜んだりするだけなんですね。どんな人からも教えられる人生に飢え乾きましょう。その価値観はあなたを豊かにします。ヒデ

日曜日, 6月 12, 2011

20110612_詩篇28_マルコ5

■詩篇28:3どうか、悪者どもや不法を行う者どもといっしょに、私をかたづけないでください。彼らは隣人と平和を語りながら、その心には悪があるのです。28:4彼らのすることと、彼らの行う悪にしたがって、彼らに報いてください。その手のしわざにしたがって彼らに報い、その仕打ちに報復してください。
★あなたもダビデ同様、不当にあなたを苦しめる者のために、神様の前に心をぶちまけ、注ぎ出しましょう。しかし報復は主に委ねなければなりません。なぜならそれを間違いなくできるのは主以外にないからです。どんな時にも高慢の霊に支配されないよう、お祈りします。

■マルコ5:34そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」
★主はあなたにも「娘よ」と語りかけられるお方です。病のために医者に掛かるはずが、さんざん医者に苦しめられるとはどうしたことでしょう。しかしそれがこの世の現実です。そんなこの婦人のために主は、私の着物を触ったのは誰かと、立ち止まられ、肉体のみならず彼女の霊においても癒やしを与え、更には彼女のために、そこに共同体さえ作り出そうとしたのです。主が留まられるところ、そこに教会は誕生します。そこに奇跡が起こります。そしてあなたが主の御名によって2、3人で集まるとき、主はそこにも立ち止まり、いて下さるお方です。この婦人の個人の生涯の祝福に関心を持ち、あなた個人の生涯の祝福にも関心をもって下さるお方。それが主です。ヒデ

土曜日, 6月 11, 2011

20110611_詩篇29_マルコ4

■詩篇29:10主は、大洪水のときに御座に着かれた。まことに、主は、とこしえに王として御座に着いておられる。29:11主は、ご自身の民に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される。
★創世記1:7-8に「神は大空を造り、大空の下の水と、大空の上の水とを区別された。そのようになった。1:8神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。」とありますが、既にこの時から、いえこれ以前、天地が創られる前から、主はご自身の民、すなわちあなたの祝福の計画を抱いて下さっているお方です。安んじましょう。主の御手の中で憩いましょう。あなたは主の平安を遠慮することなく受け取っていいのです。

■マルコ4:38ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」4:39イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。
★主に従う生涯とは必ずしも、嵐のない順風満帆の人生が約束されるわけでは有りませんで、たとえ嵐の中を通ることがあっても、主はそこで、奇跡をもってあなたを救い出して下さるお方であることを体験すると共に、あなたが人であることを教えられる人生です。弟子たちは「私が溺れて死にそうでも何とも思わないのですか」と語ります。それで良いのです。しかし弟子たちはそこに留まらず、主の不思議を拝するために目を上げました。
仰ぎましょう。そして生きましょう。主は語られました。「私を仰ぎ見て生きよ」。ヒデ

金曜日, 6月 10, 2011

20110610_民数14

■民数14:1全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。14:2イスラエル人はみな、モーセとアロンにつぶやき、全会衆は彼らに言った。「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。
★昨日の続きの箇所です。ヨシュアとカレブ以外の族長の消極的なことばに支配されたイスラエルの人々は、上の御言葉のように止めどなく呟きます。これが神の言葉から離れた人間の姿です。神様は「与える」と語られました。しかし、サタンは様々な形で人に働きかけ、不信仰と高慢のいずれかを持って、神の言葉から人を引き離そうとするのです。あの創世記3章、サタンがエバを誘惑したときと同じです。覚えましょう。神の言葉から人が離れたら、この世とサタンの誘惑に勝つ術のないことを。ヒデ

木曜日, 6月 09, 2011

20110609_民数13

■民数13:1主はモーセに告げて仰せられた。13:2「人々を遣わして、わたしがイスラエル人に与えようとしているカナンの地を探らせよ。父祖の部族ごとにひとりずつ、みな、その族長を遣わさなければならない。」
★こうして遣わされた族長たちが帰って来てモーセと会衆の前に報告したのが以下の言葉です。13:27彼らはモーセに告げて言った。「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きました。そこにはまことに乳と蜜が流れています。そしてこれがそこのくだものです。13:28しかし、その地に住む民は力強く、その町々は城壁を持ち、非常に大きく、そのうえ、私たちはそこでアナクの子孫を見ました。」……13:30そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」13:31しかし、彼といっしょに上って行った者たちは言った。「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから。」13:32 彼らは探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらして言った。……私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」
この結果イスラエルは僅か数十日で約束の地カナンに入るはずでしたが、40十年間荒野を放浪することになりました。彼らは自分がイナゴのように感じた、に留まるならいざ知らず、アナク人もそう見たに違いないとさえ語り、無責任な恐れを増幅し、民の心を挫きます。信仰とは何でしょう。不信仰とは何でしょう。神様はこの地を与えると約束下さっていました。あなたはここから何を教訓として学びますか。ヒデ

水曜日, 6月 08, 2011

20110608_詩篇27_マルコ1

■詩篇27:1主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。27:2悪を行う者が私の肉を食らおうと、私に襲いかかったとき、私の仇、私の敵、彼らはつまずき、倒れた。27:3たとい、私に向かって陣営が張られても、私の心は恐れない。たとい、戦いが私に向かって起こっても、それにも、私は動じない。
★ダビデはここで「それにも、私は動じない。」と宣言します。なぜでしょう。続いて彼は「私は一つのことを主に願った。」とありますが、それが答えです。人は真に畏れるべきものを畏れるときに、あらゆるすべての恐れから解放されることができるのです。本人もなかなか気づくことはありませんが、人が取る行動の多くは、過去に経験した恐れが、その人の内で隠されたトラウマとなり、それを回避するための行動をするようになり、その原因は恐れです。あなたは真の自由と解放を得るために、一つのものを畏れて歩んでいますか。

■マルコ1:7彼は宣べ伝えて言った。「私よりもさらに力のある方が、あとからおいでになります。私には、かがんでその方のくつのひもを解く値うちもありません。1:8私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります。」
★今日からマルコの福音書です。その冒頭の言葉が上の御言葉で、キリストがいかなるお方かを示します。使徒行伝19章でパウロがアポロに「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」と答えたとありますが、あなたは聖霊のバプテスマを知っていますか。体験なさったなら理屈抜きでお分かりでしょう。まだならば主に求めませんか。秘訣は祈りと悔い改めと信仰です。恐れが焼かれ、霊の世界が変わります。ヒデ

火曜日, 6月 07, 2011

20110607_民数9@15-23_使徒28

■民数9:15幕屋を建てた日、雲があかしの天幕である幕屋をおおった。それは、夕方には幕屋の上にあって火のようなものになり、朝まであった。9:17雲が天幕を離れて上ると、すぐそのあとで、イスラエル人はいつも旅立った。そして、雲がとどまるその場所で、イスラエル人は宿営していた。9:23彼らは主の命令によって宿営し、主の命令によって旅立った。彼らはモーセを通して示された主の命令によって、主の戒めを守った。
★出エジプトしたイスラエルが約束の地に向かって歩む時、持ち続けた価値観が上の「どんな時にも主の臨在と共に」でした。私たちが持ち続けるべき価値観は「イエス様ならこの時どうなさるだろうか」との「イエス様中心」です。しかもイスラエルは事実、その基準に生きたのです。「イエス様中心」が絵に描いた餅に終わらないように、主の助けを求めましょう。

■使徒28:30こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、28:31大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。
★使徒行伝の最後の章の最後の部分です。不当な訴えゆえに、自らの信仰をカイザルの前で弁明する道を選ばざるを得なくなったパウロ。それゆえ彼は遂にローマに登りました。上の御言葉は、彼のそこでの生活の紹介ですが、置かれた所で、神の国を宣べ伝え、キリストを証しする彼のライフスタイルは変わりません。キリストにある不偏の価値観を自分のものとしましょう。その人は生涯それによって支えられ、約束の御国を手にします。ヒデ

月曜日, 6月 06, 2011

20110606_詩篇23_使徒27

■詩篇23:4たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
★マーガレット・フッラシュバックパワーズ氏の詩「あしあと」を思い出しました。
ある夜、わたしは夢を見た。わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出されていた。どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。一つはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。そこには一つのあしあとしかなかった。わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。このことがいつもわたしの心を乱していたので、わたしはその悩みについて主にお尋ねした。「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、わたしと語り合ってくださると約束されました。それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、ひとりのあしあとしかなかったのです。いちばんあなたを必要としたときに、あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、わたしにはわかりません。」主は、ささやかれた。「わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた。

■使徒27:23昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、27:24こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』
★もしあなたの生涯に超自然的な印やわざが起こっても不思議がってはなりません。それは一人も滅びる事を願われない主の力の現れです。イエス・キリストの名によって吟味し、受け取りましょう。ヒデ

日曜日, 6月 05, 2011

20110605_民数6@24-26_詩篇22@8-11_使徒26

■民数6:24『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。6:25主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。6:26主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』
★主は上の祈りを、祭司アロンとその子孫に促すとき、「あなたがたはイスラエル人をこのように祝福して言いなさい。」と語られました。そして今や十字架の恵みのゆえに贖われたあなたも、アロン同様、人を祝福する事ができるのですよ。

■詩篇22:8「主に身を任せよ。彼が助け出したらよい。彼に救い出させよ。彼のお気に入りなのだから。」22:9しかし、あなたは私を母の胎から取り出した方。母の乳房に拠り頼ませた方。22:10生まれる前から、私はあなたに、ゆだねられました。母の胎内にいた時から、あなたは私の神です。22:11どうか、遠く離れないでください。苦しみが近づいており、助ける者がいないのです。
★叫び祈ってみましょう。「あなたは私の神です。助ける者がないのです」と。

■使徒26:27アグリッパ王。あなたは預言者を信じておられますか。もちろん信じておられると思います。」26:28するとアグリッパはパウロに、「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている」と言った。26:29パウロはこう答えた。「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」
★アグリッパ王の前に罪状についての弁明の機会がゆるされたパウロの言葉が上の御言葉です。パウロは天国と地獄が見えていた人でした。そして、誰にでも愛を動機として語りかけたのでした。。天国と地獄、あなたにとってそれは現実ですか。ヒデ

土曜日, 6月 04, 2011

20110604_使徒25

■使徒2524そこで、フェストはこう言った。「アグリッパ王、ならびに、ここに同席の方々。ご覧ください。ユダヤ人がこぞって、一刻も生かしてはおけないと呼ばわり、エルサレムでも、ここでも、私に訴えて来たのは、この人のことです。25:25私としては、彼は死に当たることは何一つしていないと思います。しかし、彼自身が皇帝に上訴しましたので、彼をそちらに送ることに決めました。25:26ところが、彼について、わが君に書き送るべき確かな事がらが一つもないのです。それで皆さんの前に、わけてもアグリッパ王よ、あなたの前に、彼を連れてまいりました。取り調べをしてみたら、何か書き送るべきことが得られましょう。25:27囚人を送るのに、その訴えの個条を示さないのは、理に合わないと思うのです。」
★アグリッパ王の機嫌取りと、ユダヤ人の歓心を買おうとするフェストは、主の弟子パウロの無罪であることを知りつつも、自らの出世のための政治の道具として、パウロを利用します。愚かです。霊の目が閉ざされており、必ず蒔いたものの刈り取りは神様が求められるのに、それに気づかないフェストとは。神様は侮られるお方ではなく、そればかりか必ず、つじつまを合わせられるお方です。人の前にではなく主の前に生きましょう。ヒデ

金曜日, 6月 03, 2011

20110603_民数2@34_使徒24

■民数記2:34イスラエル人は、すべて主がモーセに命じられたとおりに行い、それぞれの旗ごとに宿営し、おのおのその氏族ごとに、父祖の家ごとに進んだ。
★イスラエルの民がエジプトの奴隷生活から脱出して2年経ったとき、主はモーセに民の総数を調べよと語られますが、それにちなんで名付けられた民数記の始まりです。神様は、命が、機能しない構造に縛られ窒息することを願われないお方ですが、秩序は重んじられるお方です。部族ごとに、父祖の家ごとに進むことが、当時の彼らにとっては益だったのです。命を守るための構造が、構造の維持の為に利用される命か、見分ける目を持たせて頂きましょう。そして、変えてはならないものは断固死守し、変えるべきものは大胆に変え、命を最優先にする生き方をさせて頂きましょう。

■使徒24:14しかし、私は、彼らが異端と呼んでいるこの道に従って、私たちの先祖の神に仕えていることを、閣下の前で承認いたします。私は、律法にかなうことと、預言者たちが書いていることとを全部信じています。24:15また、義人も悪人も必ず復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神にあって抱いております。24:16そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。
★何と迷いのない主の弟子パウロの明快な答えでしょう。これは自らを訴えるものに対して、その弁明を総督の前に行うパウロの言葉です。信仰のクリアーさはその人の力で、そのクリアーさが祝福の道を開きます。クリアーにするように神様から求められているものを、あなたは今お持ちですか。神様の時を生かして用い、告白と明け渡しをもって、霊におけるクリアーさを保ち続けさせて頂きましょう。ヒデ

木曜日, 6月 02, 2011

20110602_レビ27@30_使徒23

■レビ27:30こうして地の十分の一は、地の産物であっても、木の実であっても、みな主のものである。それは主の聖なるものである。
★「人がもし、自分の○○を主に聖なるものとして聖別する時は……」で始まるレビ記最後の章ですが、旧約に示された聖別の基準は十分の一でした。ここが曖昧になる時、言葉を換えると神様の言葉より自分の思いが優先される時、聖別は絵に描いた餅となり、その人の生涯に祝福と命をもたらす力は失われます。では新約の基準は、すべては主のもの。そして喜んでささげるならです。遣わされた場所で、祝福の祭司として、その時その時、イエス様中心の価値観で歩ませて頂きましょう。

■使徒23:6しかし、パウロは、彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見て取って、議会の中でこう叫んだ。「兄弟たち。私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。」23:7彼がこう言うと、パリサイ人とサドカイ人との間に意見の衝突が起こり、議会は二つに割れた。23:8サドカイ人は、復活はなく、御使いも霊もないと言い、パリサイ人は、どちらもあると言っていたからである。
★人の言い伝えを優先するパリサイ人とサドカイ人の特徴を見抜いた知恵によってパウロは身の危険から自らを守ります。結局のところ世を優先する価値観は一枚岩とはなり得ず、勝利を自らのうちに収めることは出来ません。遠回りに見えても、神様を畏れ、神の言葉に立ち続けるところに勝利はあります。「生きるにしても死ぬにしても、キリストが崇められるために」と語ったパウロの生き様と価値観から教えられましょう。ヒデ

水曜日, 6月 01, 2011

20110601_レビ25@17-19_詩篇25_使徒22

■レビ25:17あなたがたは互いに害を与えてはならない。あなたの神を恐れなさい。わたしはあなたがたの神、主である。25:18あなたがたは、わたしのおきてを行い、わたしの定めを守らなければならない。それを行いなさい。安らかにその地に住みなさい。25:19その地が実を結ぶなら、あなたがたは満ち足りるまで食べ、安らかにそこに住むことができる。
★この章は、人は一生涯中、奴隷とされてはならないし、自ら奴隷で終わってはならない事が繰り返され、さらに土地は主のものであり、人はその地における収穫の回数を売り買いするものであることを教えます。いずれにしても人を滅ぼすものが貪欲であることは間違い有りません。「あなたは隣人の家をむさぼってはならない」との戒めを心に刻みましょう。

■詩篇25:12主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。25:13その人のたましいは、しあわせの中に住み、その子孫は地を受け継ごう。25:14主はご自身を恐れる者と親しくされ、ご自身の契約を彼らにお知らせになる。
★この章に地を継がせる生き方の秘訣があります。主の赦しを受け取り、主に信頼する生き方です。

■使徒22:16さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』
★パウロがキリストとの出会いの経験を鮮やかに語ります。たとえ暴動に巻き込まれようが、命の危険にさらされようが、彼の主への姿勢は変わりません。人の人生と、そのあり方を決定的に変える力あるお方に、あなたは既に出会われましたか。ヒデ

火曜日, 5月 31, 2011

20110531_レビ23@3_詩篇24_使徒21

■レビ23:3六日間は仕事をしてもよい。しかし七日目は全き休みの安息、聖なる会合の日である。あなたがたは、いっさいの仕事をしてはならない。この日はあなたがたがどこに住んでいても主の安息日である。
★主はたとえそれがどんなに良いことであっても、奴隷になり下がってはならないと、ここで語られます。熱心な仕事もその一つです。サタンは2番目によいこと、すなわちベターに人を集中させる事によって、私たちが神様の御心を選び取ることを阻止しようとします。騙されてはなりません。

■詩篇24:3だれが、主の山に登りえようか。だれが、その聖なる所に立ちえようか。24:4手がきよく、心がきよらかな者、そのたましいをむなしいことに向けず、欺き誓わなかった人。24:5 その人は主から祝福を受け、その救いの神から義を受ける。
★主の山とはどこにあるのでしょう。その一つは主の語りかけに深く聞き入り、応答する祈りの中です。明け渡された、砕かれた心をもって御前に近づくその人に、主は豊かな恵みをもって報い返して下さいます。

■使徒21:13するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」と答えた。
★昨日に引き続き、取って付けたものではなく、パウロの内側に息づいていた価値観がここに……。パウロは御名のためなら死ぬことさえも覚悟していると語りましたが、あなたは御名のために何を考え、どんな決断の中に歩みますか。ヒデ

月曜日, 5月 30, 2011

20110530_レビ22@31-33_使徒20

■レビ22:32わたしの聖なる名を汚してはならない。むしろわたしはイスラエル人のうちで聖とされなければならない。わたしはあなたがたを聖別した主である。22:33あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から連れ出した者、わたしは、主である。」
★何が神様の前に「汚れ」かが具体的にこの章では紹介されます。しかしイスラエルは自分が神様に受け入れられるよう努力する必要があって聖を心がけるものではありません。既に主は「私があなたを聖別した」と神様の顧みの中に置かれているのです。だからこそ、生活の中で神様の御名を汚さないようにと、彼らは愛と感謝の動機で聖を求めるのです。それは贖われたクリスチャンにとっても同じで、受け入れられる為にではなく、既に受け入れられている自らゆえに、を動機として聖を求める人は幸いです。

■使徒20:35このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」
★聖霊様に示され死期を感じ「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」と語った最後のパウロの言葉が「受けるよりも与えるほうが幸い」であったことに、今日気づきました。終末のこの時代、主の教会とされたお互いは内向きであってはなりません。手をつなぎ合いましょう。出来ないことを数えるのではなく、どんなに小さいことであっても、できることを行動に移しましょう。それが自分の命をかけても惜しくない、命より価値あるものを見出した人の生き方です。ヒデ

日曜日, 5月 29, 2011

20110529_レビ19@1-4_詩篇13_使徒19

■レビ19:2「イスラエル人の全会衆に告げて言え。あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない。
★神様がここで語られる聖とはどんな意味でしょう。その意味がこの19章にはいっぱいです。「あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈ってはならない。収穫の落ち穂を集めてはならない。……貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。あなたの隣人をしいたげてはならない。かすめてはならない。日雇い人の賃金を朝まで、あなたのもとにとどめていてはならない。不正な裁判をしてはならない。弱い者におもねり、また強い者にへつらってはならない。あなたの隣人を正しくさばかなければならない。」……となお続きます。憐れみが神様のご性質であり、聖の中心的要素であることに目が開かれる時、私たちの生き方は変えられます。

■詩篇13:1主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。13:2いつまで私は自分のたましいのうちで思い計らなければならないのでしょう。私の心には、一日中、悲しみがあります。いつまで敵が私の上に、勝ちおごるのでしょう。
★あなたの霊に戦いを挑む敵のために、いつまでですかと訴えることのできる味方を持てる幸いは何と大きなことでしょう。それが神様を知るものに与えられる特権です。

■使徒19:2「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」と答えた。
★聖霊様に上から臨まれ、満たされる信仰生活があります。あなたは知っていますか。喜んで歓迎しましょう。聖霊様を。ヒデ

土曜日, 5月 28, 2011

20110528_使徒18

■使徒18:1その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。18:2ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、18:3自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。
★パウロの生涯の友となるアクラとプリスキラとの出会いです。コリント地方での出会いでしたが、彼らはパウロと共にエペソにも同行してくれ、更にパウロがガラテヤ地方を巡回するため旅立った後も、エペソに残って責任を果たします。どうしてこうした生涯の友が与えられたのでしょう。パウロが真剣に福音に仕えたからです。福音に生き、福音を語るとき、主は最高の友をあなたに与えて下さるお方です。「わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」と主は語られましたが、あなたの町にも真実な人生、直向きな人生を生きるために悔い改めたい、そう、あなたのような人生を生きたい、あなたの友になりたいと願っている人がいるのではありませんか。そのためにも尻込みしないで福音の為に立ち上がるあなたが必要です。あなたの町にも、あなたを必要としている、多く神の民があなたを待っているのです。ヒデ

金曜日, 5月 27, 2011

20110527_使徒17

■使徒17:24この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。17:25また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。17:26神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。17:27これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。 17:28私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。
★主の弟子パウロのアテネ、アレオパゴスにおける説教です。彼は「私たちは神の中に生き、動き、存在している」と語ります。それは天国、地獄もそんなに遠い所にあるものではなく、次元の違いであることをも教えます。お互いは目には見えませんが、まさに赦されて、神様の顔の前に歩ませて頂いています。心を込めて、「神様あなたによって生かされていること感謝します」とお祈りして一日をはじめませんか。ヒデ
水曜日の夜、無事に福島から帰りました。お祈り有り難うございました。

木曜日, 5月 26, 2011

20110526_レビ10@1-3_使徒16

■レビ10:1さて、アロンの子ナダブとアビフは、おのおの自分の火皿を取り、その中に火を入れ、その上に香を盛り、主が彼らに命じなかった異なった火を主の前にささげた。10:2すると、主の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、彼らは主の前で死んだ。10:3それで、モーセはアロンに言った。「主が仰せになったことは、こういうことだ。『わたしに近づく者によって、わたしは自分の聖を現し、すべての民の前でわたしは自分の栄光を現す。』」それゆえ、アロンは黙っていた。
★祭司の勤めの中心の一つが、かおりよき香をたく、すなわち神様への祈りをささげること。そこに混ざりものがあったのです。人に聞かせるためか、神様にささげるためか、心を見られる主の前に、偽りのない祈りをささげしましょう。

■使徒16:25真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。16:26ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。
★伝道旅行の中で悪霊に憑かれた婦人から汚れた霊を追い出したばかりに、その婦人を利用して金儲けをしようとした主人たちの手によってパウロとシラスは投獄の身に。ところが夜中、獄屋の戸が地震で崩れ落ち、いつでも出られる状況になったのです。何があったのでしょう。聖書はパウロとシラスが神様への賛美をささげていたと記します。人の目に支配されない、神様への賛美は地獄の門をも揺り動かします。神様への賛美と、ささげる祈りを用いて、あなたはこの地に神様の業を来たらす者となりました。ハレルヤ。ヒデ

水曜日, 5月 25, 2011

20110525_レビ9@23-24_使徒15

■レビ9:23ついでモーセとアロンは会見の天幕に入り、それから出て来ると、民を祝福した。すると主の栄光が民全体に現れ、9:24主の前から火が出て来て、祭壇の上の全焼のいけにえと脂肪とを焼き尽くしたので、民はみな、これを見て、叫び、ひれ伏した。
★ここには祭司の使命が明確です。神様の祝福を受け取るために聖所で神様に近づき、出て来て民を祝福します。それが祭司の使命、そのためにあなたは新約の祭司として召し出されました。このクリスチャンの特権を受け取り、アブラハムの子孫として、祝福の基となりましょう。

■使徒5:28聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。15:29すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上。」15:30さて、一行は送り出されて、アンテオケに下り、教会の人々を集めて、手紙を手渡した。15:31それを読んだ人々は、その励ましによって喜んだ。
★キリストの血潮の代価によって罪とこの世の法則から贖い出されたクリスチャンとはどんな人生を生きる人の事でしょうか。どんなに努力しても自分の力では守る事のできない律法に縛られ、敗北感と罪責感に生きる人でしょうか。いいえ、何が罪かを明確にして頂き、その罪からの赦しを、悔い改めと信仰を通してキリストから受け取り、自由を生きる人の事です。宗教の霊に支配される事から解放されましょう。そしてキリストを生きましょう。あなたは天の父なる神様の愛する娘、息子。誇りの娘、息子とされたのですから。ヒデ

火曜日, 5月 24, 2011

20110524_レビ5@1_使徒14

■レビ5:1人が罪を犯す場合、すなわち、証言しなければのろわれるという声を聞きながら──彼がそれを見ているとか、知っている証人であるのに──、そのことについて証言しないなら、その人は罪の咎を負わなければならない。
★弱い立場に立たされている者があり、その人を助けることのできる鍵を持ちながら、保身のために心を閉じることを私は喜ばないと主は語られます。主が預言者ミカを通して「人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」と語られた言葉を思い出しましょう。

■使徒14:22弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」と言った。
★主の弟子パウロは伝道旅行でルステラに訪れたとき、生まれながら足のきかない人を癒やします。しかしユダヤ人の反感を買った彼は石で打たれ半死半生の身に。いえ彼らは死んだ者と思って、パウロを町から引きずり出したのです。そんな中、上の御言葉はパウロが奇跡的に蘇らされたとき弟子たちに語った言葉です。「キリストの贖いは完成したのに、神の国に入るのになぜ多くの苦しみを受けなければならないのか。」これは私の敬愛するH牧師が救われた直後の青年の時、疑問を抱き教会の牧師先生に尋ねた言葉でもあります。その答えを水野源三さんは「もしも私が」と次に詩によって表現しました。
もしも私が苦しまなかったら神様の愛を知らなかった。多くの人が苦しまなかったら神様の愛は伝えられなかった。もしも主イエスが苦しまなかったら神様の愛は現われなかった。
昨日から福島で震災復興の奉仕をさせて頂いています。癒やしのため少しでも用いられるようにお祈り下さい。明日までです。ヒデ

月曜日, 5月 23, 2011

20110523_使徒13

■使徒13:2彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい」と言われた。13:3そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。
★福音が全世界に及ぶ、異邦人伝道の切っ掛けがここには鮮やかです。そして、それは神様の主権的介入と、人の率直な祈り、神様の語りかけに対する従順によって全うされます。神様は偉大なことを成されるとき、お一人だけではなく、人と共に、それ成し遂げようとなさいます。そうあなたと共に歩みたいと願う神の姿がここにあるのです。感謝しましょう。信頼しましょう。そして一歩を踏み出しましょう。クリスチャンがイエス様と共に歩む道とは、いずれにしてもいまだ一度も誰も通ったことのない、あなたの為に神様が備えて下さった道なのですから。ヒデ

日曜日, 5月 22, 2011

20110522_出エ40@34-38_詩篇15_使徒12

■出エ40:36イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。40:37雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。40:38イスラエル全家の者は旅路にある間、昼は主の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があるのを、いつも見ていたからである。
★神様が示された通りに幕屋をイスラエルの民が完成させたとき、主の臨在はそれを覆いました。そして記されている通り、昼は雲の柱、夜は雲の柱として自らを彼らに示し、イスラエルの民の行動規範となりました。あなたの行動規範はなんでしょう。気を付けるべきは、日曜日と週間を分け、日曜日だけの信仰生活にしてしまうことです。むしろ主の臨在を持ち運ぶ新約の祭司としてあなたは召し出されました。週間の生き方の中でこそ、キリストの御名が崇められるそれでありますように。

■詩篇15:1主よ。だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか。15:2正しく歩み、義を行い、心の中の真実を語る人。
★その人はそしらず、悪を言わず、損になっても立てた誓いは変えません。そして普遍の価値観をもつその人は、その価値観によって支えられ守られるのです。

■使徒12:11 そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。
★そうです。絶体絶命のはずの何重もの監視を逃れて救出された時、ペテロは気づきました。神の僕は使命のあるかぎり死なないこと、主に守られることを。御心を選び取り、そこに生きる価値観が一番安全です。ヒデ

土曜日, 5月 21, 2011

20110521_詩篇19_使徒11

■詩篇19:7主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。19:8主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。19:9主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。
★ダビデはこの詩を心の底から歌い、自らを陥れようとする一つ一つの罠から、神様の恵みによって自らを守りました。

■使徒11:17こういうわけですから、私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。」11:18人々はこれを聞いて沈黙し、「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」と言って、神をほめたたえた。
★「よりによってペテロは異邦人コルネリオに招かれて食事までした」との噂が広がったとき、ペテロは同胞のクリスチャンリーダーに、自ら経験した出来事を注意深く説明します。
自分自身、律法で汚れているとされる動物をほふって食べよという幻を見たこと。「ヨッパにいるペテロという人物を招け」との幻を見たコルネリオの使者の訪問と招きを受けたこと。招かれて行き、御言葉を語ったとき聖霊が異邦人にも下ったこと。
その結果、彼らは、神様の異邦人をも救おうとなさる御心をしっかり受け取れました。同じ神様は、本当に大切なことについてあなたにも同様に導いて下さいます。神様の愛を信頼しましょう。そしてのびのび歩みましょう。ヒデ

金曜日, 5月 20, 2011

20110520_使徒10

■使徒10:34そこでペテロは、口を開いてこう言った。「これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、10:35どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるのです。」
★今まで選民ユダヤ人に留められていた福音を、全人類の救いを願われる神様が、異邦人にも広げる為に働かれた事がここで豊かに紹介されます。では神様がとられた方法とはいかなる方法だったのでしょう。それはご自身の弟子ペテロの価値観を変える事でした。選民イスラエルであることに誇りを覚え、他の弟子たちに対しても大きな影響力をもつペテロ。神様はそのペテロに幻を見せ、更に神様を畏れる異邦人コルネリオを出会わせることを通して、ペテロが捕らわれていた今までの古い枠組みを取り除こうとされたのです。「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない」。その結果、ペテロは冒頭の御言葉を語ったのです。ペテロの柔らかな心と、砕かれた霊に脱帽です。
ここから、確かにそれは大切なこと。しかしいつまでもそのことに拘っていては、神の恵みが自分の所で留まってしまうことはないか。そんな視点でこの朝、神様に導きを求めてみてはどうでしょう。もし明確な導きがあるなら、ペテロのように、固執するよりも、神様の恵みによって明け渡し、むしろ変われる自分を感謝して、主に従うものであらせて頂きませんか。ヒデ

木曜日, 5月 19, 2011

20110519_出エ33_使徒9

■出エ33:13……この国民があなたの民であることをお心に留めてください。」33:14すると主は仰せられた。「わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。」
★有名な御言葉ですが、モーセが祭司として民の為に執り成す最中に、この御言葉が与えられたことは偶然ではありません。そう、神様は私たちが霊の親として魂を心に抱き、執り成しに向かうとき、最も近くいて下さるお方で、他でもないあなた自身に安息を下さるのです。思い煩いのため眠れないときがありますか、その時は愛する人のために是非執り成してください。あなたは主の平安に包まれ、よき睡眠が与えられるでしょう。
その時五本の指の祈りが助けになれば幸いです。
親指に象徴される祈り:父よ、あなたが○○さんを大切に思っていて下さることを感謝します。
人差し指に象徴される祈り:○○さんを訴えるサタンの働きをキリストイエスの御名によって縛る。
中指に象徴される祈り:聖霊様が一番深いところに届き、○○さんが罪を自覚でき、悔い改めへと導かれますように。
薬指に象徴される祈り:イエス様の愛が○○さんの心の深いところに注がれますように。
小指に象徴される祈り:この小さい私を○○さんのために用いて下さい。

■使徒9:40ペテロはみなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。そしてその遺体のほうを向いて、「タビタ。起きなさい」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起き上がった。
★執り成しの祈りを積み上げて行きましょう。主は確かに応えて下さるお方です。ヒデ

水曜日, 5月 18, 2011

20110518_出エ32_使徒8@1-25

■出エ32:30翌日になって、モーセは民に言った。「あなたがたは大きな罪を犯した。それで今、私は主のところに上って行く。たぶんあなたがたの罪のために贖うことができるでしょう。」32:31そこでモーセは主のところに戻って、申し上げた。「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。32:32今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら──。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」
★モーセがシナイ山に登り、神様から十戒を授かっている間に民は不安を感じ、目に見える神様の形を求めてアロンに偶像を造るように求めます。神様への畏れのなさゆえに、心定まらず、些細なことを恐れて愚かな行動をとる民。かたやモーセは自らのいのちを差し出して民の為に取りなします。あなたはどちらですか。神様が日本に足を付けられたこの終末の時代、新約の祭司が必要です。

■使徒8:20ペテロは彼に向かって言った。「あなたの金は、あなたとともに滅びるがよい。あなたは金で神の賜物を手に入れようと思っているからです。8:21あなたは、このことについては何の関係もないし、それにあずかることもできません。あなたの心が神の前に正しくないからです。8:22だから、この悪事を悔い改めて、主に祈りなさい。あるいは、心に抱いた思いが赦されるかもしれません。
★やはりこの朝のテーマは祭司としての執り成しです。あなたはイエス様によって祭司として召し出されたのです。そして復活の主はヨハネ20:23で語られました。「あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」と。あなたは誰を覚えて主の前に執り成しますか。ヒデ

月曜日, 5月 16, 2011

20110517_出エ29@44-46_使徒7

■出エ29:44わたしは会見の天幕と祭壇を聖別する。またアロンとその子らを聖別して、彼らを祭司としてわたしに仕えさせよう。29:45わたしはイスラエル人の間に住み、彼らの神となろう。29:46彼らは、わたしが彼らの神、主であり、彼らの間に住むために、彼らをエジプトの地から連れ出した者であることを知るようになる。わたしは彼らの神、主である。
★なぜエジプトすなわち奴隷生活からイスラエルを導き出したのか。その答えを「彼らの間に住むために」と神様ご自身がここに語られます。あなたが召し出された理由もそこにあります。その背後には神様の大いなるご期待があるのです。今日も一日祭司として遣わされたところで主の恵みを反映するあなたであれますように。祝福します。

■使徒7:55しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、7:56こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
★神様の恵みと力によって、民衆の中でめざましい奇跡としるしを行っていたステパノ。しかし宗教家は妬みの為に人々をそそのかし、彼は「モーセと神とを汚す言葉を吐くのを聞いた」と言わせます。その時のステパノの反論が7章の中心ですが、旧約聖書の中心メッセージをダイジェスト版で理解したい方は是非ここを直接読んで下さい。彼の聖書理解の素晴らしさに感嘆です。そして何より、どんな時にも神様の側に立ち続ける人の為には、神様ご自身が立ち上がって応援して下さることが、ここには明らかです。注意しましょう。人を恐れると罠に陥ります。ステパノのように歩みましょう。ヒデ

20110516_使徒6

■使徒6:7こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰に入った。
★あなたは福音が世界に満ちることに興味、関心がありますか。いえそれ以上に、それこそが私が生かされている意味と受け取っておられる人はありますか。あればその人は幸いです。なぜなら「全世界に出て行って造られた人に福音を述べ伝え、人々を弟子としなさい」とは、神様を愛する全ての人に救い主イエス様が語られた命令で、これこそ私たちが受け取るべき人生の究極の使命だからです。神様がお与え下さった究極の使命が宣教だからこそ、このことを尊ぶ人は神様から祝福されます。では初代教会(キリストを信じる人々の集まりで・建物ではありません)が優先したことは何でしょう。
それは「そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。」のとおり、助け合おうとする生き様と、そこから生じる問題に、真摯に向き合おうとする姿勢です。その中で使徒たちは「もっぱら祈りと御言葉」に取り組むことが出来ました。あなたこそが教会、キリストの身体です。自分がおかれた場所と立場、与えられている関係を用いて貢献の人生に生きましょう。イエス様と教会はあなたが必要です。ヒデ

日曜日, 5月 15, 2011

20110515_詩篇14_使徒5

■詩篇14:7ああ、イスラエルの救いがシオンから来るように。主が御民の繁栄を元どおりにされるとき、ヤコブは楽しめ。イスラエルは喜べ。
★イスラエルの王となったダビデは、造り主なる神様を認めず、偶像を利用し、結局のところ己を神とする他国の人々に対して「愚か者は心の中で、神はいないと言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行っている。善を行う者はいない。主は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。彼らはみな、離れて行き、だれもかれも腐り果てている。善を行う者はいない。ひとりもいない。」と叱責しつつ、冒頭の御言葉を語ります。神様を畏れるあなたの生涯に、主の繁栄が上から豊かに注がれますように。

■使徒5:28言った。「あの名によって教えてはならないときびしく命じておいたのに、何ということだ。エルサレム中にあなたがたの教えを広めてしまい、そのうえ、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしているではないか。」5:29ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。5:30私たちの父祖たちの神は、あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。
★迫害の中でのペテロの発言です。なんと力強く大胆なことでしょう。彼はかつて復活の主に触れた後も、自分の内面を見て、一度捨てた網を拾い、漁師に戻ることさえしたのです。ところがこの変化です。ただ神様の恵み、聖霊様の御力の偉大さを覚えましょう。聖霊様に触れられるとき、あなたは変わります。私も変われます。感謝です。共に満たしを求めて祈りましょう。ヒデ

土曜日, 5月 14, 2011

20110514_詩篇12_使徒4

■詩篇12:5主は仰せられる。「悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼を、その求める救いに入れよう。」12:6主のみことばは混じりけのないことば。土の炉で七回もためされて、純化された銀。
★不信と虚偽に満ちた社会を主はそのまま放置し続けることをなさらないお方です。主は神様を畏れるあなたのために立ち上がられます。エジプトからイスラエルを脱出させる時も、ステパノをご自身の元に迎えるときもそうでした。だから報復は主に委ね、混じりけのない主の言葉の内を歩みましょう。そうすれば、あなたを飲み込もうとする洪水も、飛び来る火矢も、あなたを滅ぼすことはできません。

■使徒4:12この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。4:13彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。
★ここから力強い人生を生きる秘訣を受け取りましょう。一言で言うと誰と共にあるかです。あなたが一緒にいる人にあなたは似、あなたが心開くその人の影響をあなたは受けます。主の弟子パウロは「私を強くして下さる方の力によって、私は何事でもすることができる」と語りました。主と共にあり続けるものでありましょう。その時あなたは嵐の湖の中にも立つことが出来、その嵐をキリストの御名の権威をもって静めることさえ出来るのです。ヒデ

金曜日, 5月 13, 2011

20110513_出エ20

■出エ20:2「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。20:3あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
★エジプトの奴隷生活からの脱出を果たし、自由人とされ、神様が下さった約束の地を目指すイスラエルに対して、神様がモーセを通して下さったもの、それがこの章に記された十戒です。実際には神様の指によって、神様ご自身が記して下さったと聖書は記します。何の為でしょう。神様がイスラエルを新たにご自身の奴隷にするためでしょうか。民をパロ以上に束縛するためでしょうか。いいえ、奴隷としてではなく、自由を与えられた者として生きるとは、どの様な生き方かを学ばせるためでした。そして民は与えられたこの十戒が良きものであることを理解しつつも、いざその基準に生きれないことを通して、罪の自覚と共に、自らが神でないことを教えられ、神様を仰ぐ者へと導かれていったのです。なんだ、これくらいの事なら自分の力と努力、および精神力で守る事ができるじゃないかという自信家で、自分の姿が全く見えない鼻持ちならない人がこの朝いらっしゃるでしょうか。もしいらっしゃったなら、その人は憐れです。反対にこの十戒を、自分の心を映し出す鏡とし、日ごとに足らなさを知らされつつも、赦され愛されていることを受止め、感謝して一日を始めることのできる人は何と感謝な事でしょう。「人」とはギリシャ語で「アンソローポス」と表現します。その意味は上を仰ぐ者。真に仰ぐべきお方を持つ人は幸いです。神様が下さる約束の地はその人のものだからです。ヒデ

木曜日, 5月 12, 2011

20110512_出エ14

■出エ14:12 私たちがエジプトであなたに言ったことは、こうではありませんでしたか。『私たちのことはかまわないで、私たちをエジプトに仕えさせてください。』事実、エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです。」14:13それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。14:14主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」
★エジプトの奴隷生活から430年ぶりに脱出したものの、後ろを振り向くとパロとその軍勢が追って来るのを見、前には紅海が広がっているのを見たとき、イスラエルの民の心は恐れに支配されて、冒頭の御言葉のようにモーセにつぶやきました。なぜつぶやいたのでしょう。彼らが見ていたものは何だったのでしょう。それは神様が下さった約束ではなく、目に見える現状でした。知ってください。神様に召し出された神様の民が見るべきものを。それは神様の約束です。主に向かって水の上を歩けたペテロも、いざ嵐に目を留めたとき恐れに支配され、おぼれそうになりました。この後、イスラエルの民は約束の地に向かう荒野の中、繰り返し、繰り返しこのことを神様から問われます。さあこの朝心を定めましょう。神様が託して下さった人生、何に目を留めて歩むのか。主は語られます。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。14:14主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」ヒデ

水曜日, 5月 11, 2011

20110511_出エ12_出エ13@17-22

■出エ12:21そこで、モーセはイスラエルの長老たちをみな呼び寄せて言った。「あなたがたの家族のために羊を、ためらうことなく、取り、過越のいけにえとしてほふりなさい。12:22ヒソプの一束を取って、鉢の中の血に浸し、その鉢の中の血をかもいと二本の門柱につけなさい。朝まで、だれも家の戸口から外に出てはならない。12:23主がエジプトを打つために行き巡られ、かもいと二本の門柱にある血をご覧になれば、主はその戸口を過ぎ越され、滅ぼす者があなたがたの家に入って、打つことがないようにされる。
★主がエジプト中の長子という長子を打つ。しかし門柱に小羊の血が塗られているのを見たなら、主はイスラエルの家の長子を裁き済みとして過越す。これがイスラエルをエジプトの王パロの手から解放する主の方法です。ではキリストが十字架上で、罪のない小羊として血潮を流されたのは何の為でしょう。あなたの罪が神様の前に既に裁き済みとされる為です。_あなたは赦されています。顔を上げてよいのです。あなたの造り主であり、全能者である方の救いです。感謝し、ただ信じて受け取ればよいのです。「神様、有り難うございます」と。

■出エ13:17さて、パロがこの民を行かせたとき、神は、彼らを近道であるペリシテ人の国の道には導かれなかった。神はこう言われた。「民が戦いを見て、心が変わり、エジプトに引き返すといけない。」13:18それで神はこの民を葦の海に沿う荒野の道に回らせた。イスラエル人は編隊を組み、エジプトの国から離れた。
★これがエジプトから脱出したイスラエルに対する神様の考えで、その結果、民はわれた紅海の中を通る経験をします。神様と共に歩む道、それは何の恐れもない人生ではありません。常に神様が共におられ神様の救いを見る最善のそれです。ただ主の真実に寄り頼み、踏み出しましょう。ヒデ

火曜日, 5月 10, 2011

20110510_出エ11_ルカ24

■出エ11:1主はモーセに仰せられた。「わたしはパロとエジプトの上になお一つのわざわいを下す。そのあとで彼は、あなたがたをここから行かせる。彼があなたがたを行かせるときは、ほんとうにひとり残らずあなたがたをここから追い出してしまおう。
★イスラエルを解放するようにと、主がモーセを用いてエジプト全土に様々な災いを下されますが、なおもパロは頑なで解放しようとはしません。しかし時が満ち、パロといえども遂にイスラエルを解放せざるを得ない状況が起る前に、主はモーセに上の御言葉を示されました。知ってください。主は愛する者に大事なことを隠して行うことはありません。創世18:17で「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。」とある通りです。安心しましょう。 あなたは神様に愛されています。ゆえにディボーションは尊ばれる価値があるのです。どうしても必要なことを必ず主は語って下さいます。

■ルカ24:15話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。24:16しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。
★復活の主の姿が描かれていますが、出エ11章と連動の箇所で、ここには大切なことを、愛する弟子たちに示そうとする主の姿が豊かです。なぜでしょう。神様のご計画は教会をこの世において「世の光、地の塩」として輝かせること。そうあなたはやはり神様の喜びと誇りの存在なのです。サタンとこの世の汚れた価値観にだまされて「私には価値がない」などと決して思ってはなりません。神様の愛を今朝も一杯に受け感謝しましょう。さあ今日一日の用意ができました。行ってらっしゃい。ヒデ

月曜日, 5月 09, 2011

20110509_出エ6@1-12_7@1-7_8@16-19_ルカ23@32-34

■出エ6:12しかしモーセは主の前に訴えて言った。「ご覧ください。イスラエル人でさえ、私の言うことを聞こうとはしないのです。どうしてパロが私の言うことを聞くでしょう。私は口べたなのです。」
★神様はこれからどのようにイスラエルの民をエジプトから脱出させようとしているかをモーセに語りましたが、その時の反応が上のモーセの言葉です。たとえどんなに素晴らしい人物でありましても、人にはそれぞれ弱さがあります。(本人がそれに気づいているかどうかは別ですが)神様はその事も知った上でモーセを召し出し、アロンという助けを与えて下さいます。あなたも同じです。神様はあなたを召し出す前から愛し、赦し、助けを与えて下さいました。しかもその最高の助けとは、友なるイエス様です。安心しましょう。最初からはあなたはゆるされているのです。神様はその上であなたが立ち上がることを願って下さるお方です。それが神様はうれしいのです。

■出エ7:1主はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたをパロに対して神とし、あなたの兄アロンはあなたの預言者となる。
■出エ8:16主はモーセに仰せられた。「アロンに言え。あなたの杖を差し伸ばして、地のちりを打て。そうすれば、それはエジプトの全土で、ぶよとなろう。」

■ルカ23:34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
★いかに多くの人は、していることの意味を分からずじまいのまま生きていることか、とこの箇所を読むことを許されるならば、その姿に気づかせ、そこからあなたを解き放って下さるのが、キリストによって語られた、この赦しの基準、物差しです。お互いは既にこの基準に目を開いて頂きました。感謝して一日を始めませんか。ヒデ

日曜日, 5月 08, 2011

20110508_出エ3

■出エ3:14神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた』と。
★『わたしはある』とは、召し出されたモーセが、神様の命を受けてイスラエル人のところに行く時「私が彼らに『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました』と言えば、彼らは、『その名は何ですか』と私に聞くでしょう。私は、何と答えたらよいのでしょうか。」と問うたとき、神様ご自身が、はじめて明らかにされたご自身の名前です。私たちは「有らせられているもの」。しかし、このお方は「有ってあるお方」。モーセに現れたこのお方が、やがて乙女マリヤのお腹を借りて受肉なさったイエス様とは誰が想像できたでしょう。しかしモーセの時代を経た1500年後に、確かにイエス様は、心頑なにする宗教家の前で「もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです」(ヨハ5:46)と、この時のモーセとの出会いを示唆して語られたました。
「有ってあるお方」による召命ゆえに、「足から靴を脱ぎなさい。」です。しかし、その召命は、私たちを有らせて下さっているお方の召命ですから、私たちが信頼し従順するなら、必ず全うされるのです。かつては自らの力でエジプトの不正から、同胞ユダヤ人を救おうと立ち上がったモーセは40歳、しかし神様は今や80歳となったモーセをこの時、ご自身の働きのために、ご自身の方法で召し出されます。神様により頼まなければ、生きて行けない荒野の経験は意味のないものではありません。むしろ荒野の中でこそ、事を成し遂げる人を作られる神様を覚えましょう。ヒデ

土曜日, 5月 07, 2011

20110507_出エ2@1-10_ルカ21

■出エ2:10その子が大きくなったとき、女はその子をパロの娘のもとに連れて行った。その子は王女の息子になった。彼女はその子をモーセと名づけた。彼女は、「水の中から、私がこの子を引き出したのです」と言ったからである。
★飢饉からエジプトを救った宰相ヨセフのことを知らない王がおこった時、エジプトに住むユダヤの民は、強いられる、あまりの奴隷生活の中、神様に叫び求めます。神様はいかにその叫びに耳を傾けたのでしょう。その応えが今朝の箇所です。ではモーセとあなたとの共通点は何でしょう。不思議な神様の選びによっての引き出しと、死の定めからの引き出しです。今あなたがこの箇所を開くのは偶然ではありません。神様はモーセを用いてユダヤの民をエジプトから脱出させました。では神様はあなたを用いて何をなさろうとしておられるのでしょう。細き主の御声を聞き、そこに生きましょう。さあ主の不思議を見る生涯の始まりです。

■ルカ21:33この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
★この箇所は「しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」と、イエス様の言葉が続きます。「天地は滅びるかも知れません」ではないのです。「滅びます。」です。その中で滅びないイエス様の言葉。そして私たちは世の終わりに、このお方の前に立つのです。主が成し遂げられた十字架の贖いの大きさと、主の言葉の重みを思いましょう。そして、この主の言葉を重んじ、そこに生きようと心を砕いているならあなたは何一つ恐れる必要はありません。ヒデ

金曜日, 5月 06, 2011

20110506_創世50_詩篇8_ルカ20@9-19

■創50:24ヨセフは兄弟たちに言った。「私は死のうとしている。神は必ずあなたがたを顧みて、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます。」50:25そうして、ヨセフはイスラエルの子らに誓わせて、「神は必ずあなたがたを顧みてくださるから、そのとき、あなたがたは私の遺体をここから携え上ってください」と言った。
★試練の中に置かれても常に人々に希望を示し続けたヨセフ。その彼は、こうして死んだ後にもエジプトに残るイスラエルの子らに、希望のメッセージを残すのです。あなたは常日頃から、まわりの人々にどんなメッセージを残し続けていますか。あなたの今日の決断が、点となり、やがて線となり、ついには面となるのです。あなたの日頃の決断が、やがて多くの人を包み込む希望のそれで有りますように。

■詩8:3あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、8:4人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。
★本当です。あなたは、私は何者なのでしょう。あなたは既にこの問いにふさわしい答えを見出されましたか。そしてあなたの人生は変えられましたか。

■ルカ20:14ところが、農夫たちはその息子を見て、議論しながら言った。『あれはあと取りだ。あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』
★ノアの時代、洪水で滅ぼされた人々の心がそのままここに描かれています。恩を売る愚かさに生きてはなりません。しかし恩は忘れるべきものではないのです。ヒデ

木曜日, 5月 05, 2011

20110505_ルカ19

■ルカ19:31もし、『なぜ、ほどくのか』と尋ねる人があったら、こう言いなさい。『主がお入用なのです。』」
■ザアカイをアブラハムの子孫として回復させ、エルサレムに登って王となるべく宣言するために、主イエス様が選ばれた乗り物は何だったのでしょうか。それは勇ましい戦車でもなければ、馬でもなく、ただ、まだ誰も乗せたことのないロバの子でした。主はこの世の力にものを言わせ、自らのもとに全てのものをひれ伏させることを願う王ではありません。一人子なる神、神ご自身でありながら「19:10人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」と語られたとおり、あなたを解き放つため、仕えるリーダーシップをもって来て下さったお方です。あなたは既にこのお方のために自分自身を解き放ちましたか。「なぜ、ほどくのか」と訴えるもう一つの内なる声に「主がお入用なのです」と宣言し、一歩踏み出すことを既になさいましたか。このお方こそ、あなたの生涯の全てを賭けるふさわしいお方です。ヒデ

水曜日, 5月 04, 2011

20110504_創世45_ルカ18@15-43

■創45:8だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。
★異母兄弟である10人の兄たちの妬みを買って、若くエジプトに売られたヤコブの息子ヨセフ。どれほど悔しさと悲しさのために涙を流したことでしょう。しかしファラオが見た、エジプトの豊作に続く飢饉の夢の解き明かしによって、一夜のうちに宰相に。上の御言葉は飢饉の中でエジプトに食料を買いに来た、自分を売った兄たちに対する言葉です。ヨセフは、どんな中にも、自分の人生の責任を神様と自分以外の者のせいにはしませんでした。これが試みを乗り切る秘訣です。神様は必ずあなたの生涯につじつまを合わせて下さるお方です。あなたは誰かのせいにすることによって、自分の人生を神様以外のものに投げ出してはなりません。

■ルカ18:24イエスは彼を見てこう言われた。「裕福な者が神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。18:25金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
■天国への道を自分で切り開くこと、人間にはできなくていいんです。だからこそ神様が必要です。人に求められるのは謙遜さです。ひざを屈め、遜って天国行きの十字架の門をくぐらせて頂きましょう。主よ、お金では解決できない問題があるゆえに、遜らざるを得ない時がありますから感謝します。ヒデ

火曜日, 5月 03, 2011

20110503_詩篇5_ルカ17@1-19

■詩5:8主よ。私を待ち伏せている者がおりますから、あなたの義によって私を導いてください。私の前に、あなたの道をまっすぐにしてください。5:9彼らの口には真実がなく、その心には破滅があるのです。彼らののどは、開いた墓で、彼らはその舌でへつらいを言うのです。5:10神よ。彼らを罪に定めてください。彼らがおのれのはかりごとで倒れますように。彼らのはなはだしいそむきのゆえに彼らを追い散らしてください。彼らはあなたに逆らうからです。
★神様は魂の深いところからの感情をあなたが御前に注ぎ出すことをゆるしておられます。どんな感情でもです。しかし報復は主に委ねなければなりません。それは主のなさること。注ぎ出すのです。後は正しい裁きをなさる方に委ねるのです。あなたは縛られてはなりません。

■ルカ17:17そこでイエスは言われた。「十人きよめられたのではないか。九人はどこにいるのか。17:18神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」17:19それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」
■どうやら今日のテーマは赦しです。なぜ赦さなければならないのでしょうか。相手の為ですか。確かにそれも否めません。しかし誰にもましてあなたのためです。神様は神様を畏れるあなたが憎しみに囚われて、祝福を受け取れなくなることに耐えられません。では、理不尽な扱いの中にもあなたを守る一番の秘訣は何ですか。感謝です。苦しければ、苦しい程、悔しければ、悔しい程、主の恵みを数えましょう。そして裁きを神様に委ねるのです。巧妙なサタンの策略の思うつぼに落ちてはなりません。ヒデ

月曜日, 5月 02, 2011

20110502_創世39_ルカ16@1-15

■創世39:2主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。39:3彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。
★「主がヨセフとともにおられたので……」この言葉はまさにヨセフの生涯を表す言葉です。エジプト行きの商隊に兄たちによって売られ、買い取られたパロの廷臣ポティファルの家においても、理不尽な言いがかりのために投獄された獄中においてもです。それゆえに彼は最終的に、一夜のうちに囚人からエジプトの宰相として召し上げられます。「主がヨセフとともにおられた」とは「ヨセフが主と共におることを第一優先とし続けた」と同じ意味です。あなたは新約聖書1ペテロ5:6に「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」とあるのをご存じですか。あなたを陥れようとする悪に屈してはなりません。主と共にあることを選びましょう。

■ルカ16:13「しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」
★何を人生の第一優先として置くか。これは創世記39と同じテーマで、価値観を扱う問題ですね。さて、あなたはどんな価値観を最優先となさるでしょう。祝福のためのその答えはイエス中心にあります。神様ならどうなさるだろう。イエス様ならこの問題にどう向かい、どの様な解決を願い、どんな具体的な行動、愛を示されるだろうか。この世の富はそれを実現するために、あなたを信頼して神様が託されたものです。生かしましょう。ヒデ

日曜日, 5月 01, 2011

20110501_創世37_詩篇7@9-10_ルカ15@1-7

■創世37:6ヨセフは彼らに言った。「どうか私の見たこの夢を聞いてください。37:7見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、しかもまっすぐに立っているのです。見ると、あなたがたの束が回りに来て、私の束におじぎをしました。」
★父に溺愛され、兄たちの妬みの対象であったヨセフ。にも関わらず、彼は上の御言葉のとおり、見た夢をそのまま兄たちに分かち合うのでした。悪気はないにしても、なんと人の気持ちの分からない、まだまだ幼いヨセフだことか。結果ヨセフは兄たちの怒りと妬みを買って、殺されはしないものの、エジプトに売られてしまいます。しかし不思議です。神様は夢見る人に将来を託されるのです。さあヨセフの生涯の始まりです。

■詩篇7:9どうか、悪者の悪があとを絶ち、あなたが正しい者を堅く立てられますように。正しい神は、心と思いを調べられます。7:10私の盾は神にあり、神は心の直ぐな人を救われる。
★ダビデの神様に対するこの確信、あなたはなぜ与えられたと思いますか。

■ルカ15:4「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。
★果たしてそうでしょうか。森は心が曲がっていると言われるかも知れませんが、私は全ての羊飼いが、99匹を残して1匹を探しに行くとは思いません。なぜならそこにはリスクがあります。探しに行くとするなら唯一迷った羊の側に立った時。その寂しさ、孤独、不安など。そうです羊飼いはその一匹の羊を気遣い愛していたのです。そして、それがあなたに向けられている主の心です。ヒデ

土曜日, 4月 30, 2011

20110430_ルカ14

■ルカ14:34ですから、塩は良いものですが、もしその塩が塩けをなくしたら、何によってそれに味をつけるのでしょうか。14:35土地にも肥やしにも役立たず、外に投げ捨てられてしまいます。聞く耳のある人は聞きなさい。」
★「聞く耳のある人は聞きなさい」とは一体どういうことでしょう。以下14章の簡単な概略を記します。ご自身で主からお聞き下さいますか。
安息日にイエス様が人を癒やすのを面白く思わない人たちに主は「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者があなたがたのうちにいるでしょうか。」と語られ。
招かれた時、上座を求めたくなる人には「なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」と語られ。
最後に、もてなしに対する見返りを求めたい人には「祝宴を催す場合には、むしろ、貧しい者、からだの不自由な者、足のなえた者、盲人たちを招きなさい。その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。義人の復活のときお返しを受けるからです。」と語られます。
さて主の生き様と、語られる言葉に魅力を感じるあなたとしては、今日ここから何を受け取りたいですか。主は「聞く耳のある人は聞きなさい」と語られます。ヒデ

金曜日, 4月 29, 2011

20110429_創世33_ルカ13@10-30

■創世33:3ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ。彼は、兄に近づくまで、七回も地に伏しておじぎをした。33:4エサウは彼を迎えに走って来て、彼をいだき、首に抱きついて口づけし、ふたりは泣いた。
★一番注目して欲しいのは「ヤコブ自身は、彼らの先に立って」です。21年ぶりの兄エサウとの再会において、神様が彼の腰の骨に触れて下さる前(自我を砕いて下さる前)には自分がいつでも逃げられるように、一番後に身を置くものでした。それが先頭に立つ者、すなわち責任を取る者へと変えられたのです。人は神様を真に畏れるまでは、どうでも良いものにさえ恐れ、果たすべき責任も果たすことが出来ません。すなわち私たちに取っては神様を畏れ、キリストの十字架による自我の砕きを受け入れるとき、本当の意味で自らを守る事のできない物から解放され、十字架によって自らを守り、立ち上がる者とされるのです。あらゆる者から__c19__を守る事ができるものは十字架以外ないことを心に刻みましょう。

■ルカ13:24「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。
■主は安息日に病の霊につかれ、腰を全く曲げることのできない婦人を癒やされました。すると会堂管理者は「安息日以外に人を癒やせ」と憤ります。その時の主の反論が上の言葉です。ここでいう狭い門とは何でしょう。それは「律法主義に陥る者ではなく、愛に生きる者でありなさい」でした。多くの場合、律法主義は内向きの心で、自己肯定のための道具に化かされます。実際の必要に仕えるため、愛することを、心を注ぎ出すことを、すなわち狭き門を通ることを選び取りましょう。ヒデ

木曜日, 4月 28, 2011

20110428_創世30@22-24_ルカ12@1-12・22-48

■創世30:25ラケルがヨセフを産んで後、ヤコブはラバンに言った。「私を去らせ、私の故郷の地へ帰らせてください。
★兄エサウを避けて母親の兄ラバンのもとに身を寄せたヤコブ。彼はそこで、叔父ラバンの娘、レアとラケルをめとります。結局二人の女奴隷も合わせて、そこで彼は12人の子供を儲けたのです。夫を奪い合おうとする婦人たちの妬みによる激しい戦い。その結果ラケルが産んだヨセフはこの後、兄たちの妬みをかってエジブトに売られることに。その時の父ヤコブの悲しみはいかばかりだったでしょう。しかしヤコブはこの時、結婚および夫婦に関することについて、叔父ラバンと二人の妻の言いなりで、夫としての責任を果たそうとはしませんでした。人は必ず蒔いたものを刈り取ります。この朝、家族として自分が果たすべき責任に光が当てられるように祈りませんか。

■ルカ12:47主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。12:48しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。
■あえてルカによる福音書だけに記されている箇所のピックアップです。あなたは主人の気持ちが分かる人ですか。ならばあなたはリーダーです。全ての人があなたと同様に主人の気持ちが分かるわけではありませんし、あえてそうしたことを知りたくないと願う人さえいます。そう思うと、主人の気持ちが分かること自体、大きな祝福であり賜物で、あなたの成熟の印です。主人はそれを喜んでおられます。主人へのその愛を生かして用いましょう。あなたは必ず祝福されます。ヒデ

水曜日, 4月 27, 2011

20110427_創世28@10-22_ルカ11@1-13・33-36

■創世28:15見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」
★兄エサウに命をねらわれる弟ヤコブのために、父イサクは妻リベカの生まれ故郷に身を避けることを促します。その旅の途中ヤコブは夢の中に冒頭の御言葉の語りかけを聞くのです。神の御使いたちがヤコブの傍らで、天まで届くはしごを使って上り下りする。彼は驚くべき光景と約束を示されました。あなたにとってはどうでしょう。目には見えませんが、イエス様からヤコブと同じ約束が与えられています。いえ実はあなたに現われて下さった同じ主イエス様が、かつてヤコブにも現われて下さったのでした。イエス様は御父の傍らにおられた子なる神様。イエス様は約束されたことを必ず実現して下さる神様です。しかも神様の選びと召しは変えられることがありません。安心しましょう。心を広く持ちましょう。与えられている約束に向かって今日も大きな一歩を踏み出しましょう。主が共におられます。

■ルカ11:8あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。
■ルカによる福音書にだけ記されたイエス様のたとえです。来客が来たので夜中に友人のところに行って、パンを貸してくれと頼む人物。彼に対する友の言葉が上の御言葉です。執拗に迫ることを神様は面倒がられるお方でしょうか。いいえ違います。むしろあなたを愛する神様は執拗に求めて欲しいのです。神様はあなたの天の父です。求めましょう。ヒデ

火曜日, 4月 26, 2011

20110426_創世25@19-34_ルカ10@25-42

■創世25:34ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり、飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである。
★猟から帰ってきたイサクの長男エサウ。見ると弟ヤコブが煮物をつくっているではありませんか。「私にそれを食べさせてもらえないか」とエサウ。「なら兄さん、私にこれで長子の権利を売りなさい。」と弟ヤコブ。その時の兄エサウの言葉は「見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう」でした。ここに霊的祝福の存在に目が開かれていない人の選択が鮮やかです。エサウは軽んじました。しかしあなたはキリストによって神様がお開き下さった霊的祝福に鈍感であってはなりません。祝福には目に見える祝福と、目に見えない霊の祝福があります。しかも、見えるものは一時的であり、見えないものは永遠です。神様を畏れ敬う心で感謝をもって、キリストの十字架の祝福をしっかり受け取りましょう。

■10:37彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」
★これは主イエス様が「良きサマリヤ人のたとえ」を語られたのち、律法の専門家になされたコメントです。神様によって造られた人間は、愛することはしても、しなくてもどちらでもよいものとして造られたのではありません。愛する者、あわれみに生きる者、すなわちご自身に似るものとして造られたのです。今あなたは、愛すべきかどうすべきか、悩んでいることがありますか。愛する道を選び取りましょう。そうすればあなたはその人の隣人となることができます。そしてあなたの生涯は神様によって祝福を受けるでしょう。ヒデ

月曜日, 4月 25, 2011

20110425_創世24@12・26-27_ルカ9@37-62

■創世24:27言った。「私の主人アブラハムの神、主がほめたたえられますように。主は私の主人に対する恵みとまこととをお捨てにならなかった。主はこの私をも途中つつがなく、私の主人の兄弟の家に導かれた。」
★主人アブラハムに信頼され、全財産の管理を委ねられていた年長の僕は、アブラハムからひとり子イサクの嫁探しを命ぜられ、アブラハムの生まれ故郷へと向かいます。そこで自分のためにも、井戸から水をくみ、家畜のためにも走って井戸から水を汲んで飲ませてくれる、アブラハムの親戚の娘リベカに出会います。上の御言葉はその時のアブラハムの僕の喜びの言葉です。人は何を悲しみ、何を憤り、また何を喜ぶかによって、その人が現わされます。アブラハムの僕は主人の命に生き、その事が実現したとき、最高の喜びを表しました。あなたは主からこの世に遣わされた者として、何を喜ぶものでありたいですか。

■ルカ9:62するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」
★これは「主よ。私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついて行きます」と語るある人に、イエス様が語られた言葉です。この世を優先するか、キリストに従うことを優先するか、その選択によって私たちはつくられます。その生涯で、価値あることを成し遂げるためには、どれほど多くの人が決断し、その人生を聖別して一つのことに向かうことでしょう。スポーツ選手しかり、研究者しかり。あなたは何に向かって聖別するものでありたいですか。自然に生きる人生と、価値ある何かを成し遂げるために、あえて聖別する人生の違いについてこの朝、考えてみませんか。ヒデ

日曜日, 4月 24, 2011

20110424_創世21@1-7・21_ルカ8@16-25

■創世21:1主は、約束されたとおり、サラを顧みて、仰せられたとおりに主はサラになさった。21:2サラはみごもり、そして神がアブラハムに言われたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。
★サラが身ごもり子供をもうけたのは「あなたを祝福の基とする」との御声を頂き、アブラム夫妻が旅立った25年後のことでした。神様は新約聖書2テモテ2:13を通して「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」と語らせたまいますが、まさに真実なお方です。知ってください。神様があなたに語って下さったことは必ず、その通りに実現します。しかしそれはあなたにとって一番よい時ではないかもしれません。けれども間違いなく、神様の視点から見てちょうどよい時です。アブラハムを導かれた神様があなたの神様であることを感謝しましょう。

■ルカ8:16あかりをつけてから、それを器で隠したり、寝台の下に置いたりする者はありません。燭台の上に置きます。入って来る人々に、その光が見えるためです。
★ここもそうですが、イエス様は山上の説教の中でも「あなたがたは世の光です」と、信じる者たちを励まして下さいました。どういう意味でしょう。それはキリストの完全な贖いの中にあって、あなたこそが主の臨在をもたらす神殿、キリストの身体なる教会とされましたという意味です。受けた恵みを隠すものではなく、頂いた恵みをもって、人々を潤す者として、この一週も遣わされて行きましょう。ヒデ

土曜日, 4月 23, 2011

20110423_創世19@15-16_詩篇3_ルカ7@1-35

■創世19:15夜が明けるころ、御使いたちはロトを促して言った。「さあ立って、あなたの妻と、ここにいるふたりの娘たちを連れて行きなさい。さもないと、あなたはこの町の咎のために滅ぼし尽くされてしまおう。」19:16しかし彼はためらっていた。すると、その人たちは彼の手と彼の妻の手と、ふたりの娘の手をつかんだ。主の彼に対するあわれみによる。そして彼らを連れ出し、町の外に置いた。
★神様が「さあ」と語られるとき、ためらってはなりません。そこには生死を分ける出来事と、従うものに対する憐れみの御手があるのです。ノアも、モーセとイスラエルの民も、乳呑児イエス様の暗殺をもくろむヘロデの手から逃れたヨセフとマリヤも、主の「さあ」との語りかけに迷うことなく従いました。主語りかけにためらいたくなる何かがあなたにはありますか。もしあれば、この朝それを、まず素直に主の前に告白しましょう。主はあなたの心を変える事のできる力あるお方です。

■詩篇3:4私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる。

■ルカ7:13主はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい」と言われた。★主とはいかなるお方でしょうか。一言で私たちの目から涙をぬぐって下さるために、いのちを掛けて神様の御心の道を選び取って歩んで下さるお方です。人生に迷ったら迷わずこのお方の御名を呼び求めましょう。このお方に信頼しましょう。このお方に従いましょう。その時あなたの目の涙はこのお方がぬぐって下さり、なくてはならないものをもって、このお方はあなたの人生を満たしてくださいます。ヒデ

金曜日, 4月 22, 2011

20110422_創世15_ルカ6@27-49

■創世15:5そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」15:6彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
★ここに初めて神様が人を正しいとする原則が示されました。敬虔な生活、良き行い、それとも修業生活ですか。いいえ違います。ただ神様のみ力と、ご真実を信じる信仰です。使徒パウロはこのことをローマ人の手紙で「4:19アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。4:20彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、4:21神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。」と記します。あなたは不信のゆえに神様を力なきものとし、不真実なお方としてはなりません。

■ルカ6:49聞いても実行しない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家は一ぺんに倒れてしまい、そのこわれ方はひどいものとなりました。」
★イエス様が山上の説教の結論として語られたのが上の御言葉です。「のろう者を祝福しなさい。さばいてはいけません。与えない。まず自分のめの梁を取りのけなさい……」。さて神様の言葉が私たちに与えられている本質は聞くためですか、それとも生きるためでしょうか。冒頭の御言葉の通りです。神様のみ言葉はそれ自体に力があるので、聞くだけでなく生きようとする時、力が現われること、それを生活の中で体験させて頂きましょう。あなたはアブラハムの子孫です。ヒデ

木曜日, 4月 21, 2011

20110421_創世12_ルカ5@1-11

■創世12:1主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。12:2そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
★神様の友、信仰の父と呼ばれたアブラハムへの、神様の最初の語りかけと、アブラハムの応答です。そしてここに神様からの祝福を受けとる秘訣が。神様への分離と従順がそれです。この後のアブラハムの生涯に過ちや愚かさ弱さがなかった訳ではありません。しかし神様を信頼し従順することを選び取り続けた時、神様が彼の生涯を成熟へと導き、祝福の基と呼ばれるまでにされました。祝福をえるために手放す。この視点ゆえに聞こえてくる神様の御声があなたにはありますか。

■ルカ5:4話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた。5:5するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
★シモン・ペテロはこの従順の結果、生涯いまだ経験したことがない程の大漁に与りました。漁師でありガリラヤ湖を知り尽くしたペテロにとって、それは一番得意で誰にも負けない自慢の領域、また譲れない領域でした。彼はそこでキリストが神様であることを経験し、遂に「5:11彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。」とう生涯へと導かれたのです。アブラムとシモンの共通点とは何でしょう。神様によって名前が祝福へと変えられたことと、その原点となる神様への従順です。多くの人は得意分野で「○○の神様」と祭り上げられ、自分が気づけない高慢に知らず知らずの内に侵され祝福を失います。アブラムが始めた道を私たちも選び取らせて頂けた幸いを感謝しましょう。ヒデ

水曜日, 4月 20, 2011

20110420_創世9_ルカ4@14-30

■創世9:6「人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造りになったから。9:7あなたがたは生めよ。ふえよ。地に群がり、地にふえよ。」
★神様は心に計ることがいつも悪へと傾く人の姿を見て、ノアの家族以外は皆滅んでしまう洪水を、実際に起こされました。そして私は洪水によっては二度と人を滅ぼさないと、契約の印として虹を下さいました。その時新たにノアとその子孫に下さったのが冒頭の御言葉です。あなた自身もそうだが、人はみな私が人格を持つ者として、私が霊を吹き入れた者として創造した。ゆえに人の人格を尊びなさいと神様は仰せられます。そして、イエス様は最も大切な二つの戒めの内の一つとして「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」と語られました。あなたは自分の尊厳を認められたいですか。なら同様に人の尊厳を尊ぶ一日を歩ませて頂きましょう。

■ルカ4:22みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。そしてまた、「この人は、ヨセフの子ではないか」と彼らは言った。
★創世記9章と連動していますね。最も大切なことは、神に造られた者として、人としての相手の尊厳を認めることですよと、神様は語られました。しかし人々の現実は、語られる恵みの言葉によってではなく、あいつはヨセフの息子ではないかとイエス様を評価するそれでした。人を人として認められない人間の罪の性質は根深いですね。さて、行き詰まり自ら病むことのないためにもあなたはどんな祈りをささげて一日を始めたいですか。ヒデ

火曜日, 4月 19, 2011

20110419_創世6・7@17-24_ルカ3@21-22

■創世6:14あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。
★心に計ることがいつも悪へと傾く人の姿を見ざるを得ない神様のお心とは、どれ程の痛みだったでしょうか。6章は何が神様を悲しませ、何が人を滅ぼすのかが明確です。それは罪です。そのことを聖書ははっきりと「罪の支払う報酬は死である」と語ります。神様はノアに洪水から逃れるように箱舟造を命じられましたが、永遠の滅びから私たちを救って下さるためには、イエス・キリストに命じて十字架の救いを備えて下さいました。そしてそこには、払われたキリストのいのちの代価と、父なる神様への従順があったのです。ただあなたが滅びないためです。

■ルカ3:21さて、民衆がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマをお受けになり、そして祈っておられると、天が開け、3:22聖霊が、鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」
★罪に死んで新しいいのちに生きるバプテスマ。キリストは罪のないお方ですが、私たちのために模範を示して下さいました。イエス様が十字架の上で成し遂げて下さった救いの恵みを信じながら、まだバプテスマを受けることに躊躇を覚える人がこの朝いませんか。そうですあなたです。何があなたをバプテスマから遠ざけていますか。今朝そのことを思い切って神様の前に持ち出し、お祈りしてみませんか。イエス様は親しくあなたに近づいて下さいます。ヒデ

月曜日, 4月 18, 2011

20110418_創世3_ルカ2@1-21

■創世3:1さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」
★野の蛇の背後に働いたサタン。アダムとエバはこの言葉を切っ掛けに、着ていた神様への信頼と言う着物を脱がされ、裸とされました。確かに誘惑する存在はもってのほか。しかし罪を犯す責任は自分自身にあります。今あなたは何に誘惑を感じていますか。変わらない神様の言葉と、神様の愛と真実に対する信頼をもって、サタンの誘惑を打ち砕きましょう。

【Q】創世3:24こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。
★これ以降、罪を犯したままで、人が永遠に生きることのないように神様は、エデンの園への道を閉ざされました。ここから、時に私たちの人生において感じる「加えられた制限」について、あなたはどのように理解することが幸いだと思いますか。

■ルカ2:6ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、2:7男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
★人の心に宿るために、神様であることをやめて、人となって来て下さったイエス様。人の心には神様でなければ満たし得ない空間がありますが、なんと感謝でしょう。私たちの内には、この神様のご計画が実現したのです。今日も聖なるこのお方を内に頂いた者として、愛と憐れみと正義の中を歩ませて頂きましょう。ヒデ

日曜日, 4月 17, 2011

20110417_創世01_ルカ01@26-38

震災救援で配信が途絶えざるを得なかったことと、2年間用いたロバート・ロバーツ氏の聖書日課の終了が重なり、どのように再開すべきか、しばらく導きを求めるため、配信を休ませて頂き、祈りの中にありました。
結果これらかの一年間は(ファースト ステップ リーディング プラン)に基づいてディボーションメールの配信をさせて頂くことにしました。事前に連絡を差し上げることのできない、突然の変更となり申し訳ありません。けれども新たに、聖書の真理の基本を押さえることを目的としたこの聖書通読プランに基づき、良き人生の土台作りと、信仰の成熟をめざして取り組んで行きたいと願っています。
なお、いつでも自動配信停止できることではありますが、通読プランの一方的な変更もありますので、登録・解除フォームをここにお伝えさせて頂きます。よろしくご対応お願いします。何にもまして震災視察のためには執り成しのお祈りを有り難うございました。https://nowgetta.com/bm/p/f/tf.php?id=inchristmori

■創世1:31 神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。
★「初めに、神が天と地を創造した。」創世1:1と、聖書は神様のみが存在され、他は何もなかった時があった事を私たちに教えていますが、最後に創造された人、延いてはあなたに命を与え、その命を保つために神様はどれほど心を砕かれたことでしょう。人を造られた神様の結論の言葉は「非常に良かった」です。あなたは計画をもって造られました。偶然、意味なく生を受けたのではありません。あなたは愛されています。それでも今は暗闇の中にいるように感じる方がありますか。夕を与え朝とする神様は、決してあなたを忘れることはありません。さあ、あなたの造り主なる主を仰ぎ一日をはじめましょう。

■ルカ1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
★戸惑いながらも主の言葉を受止める乙女マリヤ。この従順と主への信頼こそが信仰の土台であり、成熟の秘訣です。恵まれた女ならぬ神の人であるあなたはどうですか。ヒデ