水曜日, 6月 08, 2011

20110608_詩篇27_マルコ1

■詩篇27:1主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。27:2悪を行う者が私の肉を食らおうと、私に襲いかかったとき、私の仇、私の敵、彼らはつまずき、倒れた。27:3たとい、私に向かって陣営が張られても、私の心は恐れない。たとい、戦いが私に向かって起こっても、それにも、私は動じない。
★ダビデはここで「それにも、私は動じない。」と宣言します。なぜでしょう。続いて彼は「私は一つのことを主に願った。」とありますが、それが答えです。人は真に畏れるべきものを畏れるときに、あらゆるすべての恐れから解放されることができるのです。本人もなかなか気づくことはありませんが、人が取る行動の多くは、過去に経験した恐れが、その人の内で隠されたトラウマとなり、それを回避するための行動をするようになり、その原因は恐れです。あなたは真の自由と解放を得るために、一つのものを畏れて歩んでいますか。

■マルコ1:7彼は宣べ伝えて言った。「私よりもさらに力のある方が、あとからおいでになります。私には、かがんでその方のくつのひもを解く値うちもありません。1:8私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります。」
★今日からマルコの福音書です。その冒頭の言葉が上の御言葉で、キリストがいかなるお方かを示します。使徒行伝19章でパウロがアポロに「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」と答えたとありますが、あなたは聖霊のバプテスマを知っていますか。体験なさったなら理屈抜きでお分かりでしょう。まだならば主に求めませんか。秘訣は祈りと悔い改めと信仰です。恐れが焼かれ、霊の世界が変わります。ヒデ

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