水曜日, 7月 31, 2019

20190731_エゼキエル10

■主の栄光が神殿の敷居から出て行って、ケルビムの上にとどまった。

★神様の栄光は神殿から去り、それはキリストご自身が新約聖書の時代に神殿を訪れるまで完全な形で現れることはありませんでした。神様のきよさは、イスラエルが神殿をひどく汚したので、そこを離れられたのです。本物の礼拝を復興させるために、神様はイスラエルが曲げてしまったものを完全に破壊し新たにする計画を抱かれました。はばかることなく神様の前に近づくことがゆるされるキリストの救いの恵みをほめたたえましょう。

火曜日, 7月 30, 2019

20190730_エゼキエル9

■4主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行われているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」
9すると、主は私に仰せられた。「イスラエルとユダの家の咎は非常に大きく、この国は虐殺の血で満ち、町も罪悪で満ちている。それは、彼らが、『主はこの国を見捨てられた。主は見ておられない』と言ったからだ。
★神様は忠実だった者にしるしをつけるように命令します。彼らの忠義は、その国民の罪に対して嘆いていることで確認されました。しるしがつけられた者たちは、6人の男が悪人たちを滅ぼすときに、いのちを助けられます。エジプトから脱出するとき、イスラエル人たちは死から逃れるために家の戸口に血のしるしをつけましたが、終わりの日に、神様は救いに定めた者たちの額にしるしをつけられます。神様は、罪を罰するときも、ご自身の民を守るという約束を決して忘れられることはありません。

イスラエルは、主はこの地を見捨てられたので、罪を見ることはないと言いました。イスラエルは、罪を行いやすくするために、多くの都合のいい言い訳をしました。「たいしたことはない」「皆同じことをしている」「誰にも知られることはない」。私たちも罪についての言い訳は要注意です。罪にもっともらしい理由をつけると、その罪を犯すことが簡単になりますが、それで神様は納得なさることはありませんし、罰を帳消しになさることもありません。

月曜日, 7月 29, 2019

20190729_エゼキエル8

■6この方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたは彼らのしていることが見えるか。イスラエルの家は、わたしの聖所から遠く離れようとして、ここで大きな忌みきらうべきことをしているではないか。あなたはなおまた、大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」
★神様はエゼキエルに、いかに民が偶像崇拝と邪悪さを次々と取り入れていったかを明らかにします。聖霊は同じように、私たちの生活の中に隠れている罪を明らかにしてくださいます。光に照らされたものは光になります。告白し明け渡し自由となりましょう。

土曜日, 7月 27, 2019

20190727_エゼキエル6

■7刺し殺された者があなたがたのうちに横たわるとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。
10彼らは、わたしが主であること、また、わたしがゆえもなくこのわざわいを彼らに下すと言ったのではないことを知ろう。」
13彼らのうちの刺し殺された者が、彼らの偶像の間、その祭壇の回りや、すべての高い丘の上、山々のすべての頂、すべての青木の下や、すべての茂った樫の木の下、彼らがすべての偶像になだめのかおりをたいた所に横たわるとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。
わたしが彼らの上に手を伸ばし、すべて彼らの住む所、荒野からリブラまで、その地を荒れ果てさせて荒廃した地とするとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。」

★「わたしが主であることを知ろう。」とくり返される章です。イスラエルにとって目の前に起こるすべてのことは主のみ許しの中で起こることでありました。そこには試練となること、屈辱的なこと、悲しいとも含まれていました。神様によって造られたお互いにとって「主を知ること」の大切さを思います。

金曜日, 7月 26, 2019

20190726_エゼキエル5

■13わたしの怒りが全うされると、わたしは彼らに対するわたしの憤りを静めて満足する。わたしが彼らに対する憤りを全うするとき、彼らは、主であるわたしが熱心に語ったことを知ろう。
★ 親が子どもをしつけるために「今度やったら……するぞ」と言って、言ったとおりにしなければ、子どもは言うことを聞かなくなります。実体のない脅しは逆効果です。神様はイスラエル人たちを、そのあからさまな罪のためにさばくことを決められました。神様は言ったことを必ず成し遂げることを、民は厳しい方法で学ばなければなリませんでした。世の多くの人が神様の警告を空の脅しとして扱って無視することは残念でなりません。「神様はそうは言っていても、そこまですることは考えておられない」との神様へのあなどりは要注意です。なににもまさってキリストの十字架の故に「裁きは終わった」と、決して赦されない罪さえも赦される救いをいただいた私たちはこの恵みを胸に刻みましょう。

木曜日, 7月 25, 2019

20190725_エゼキエル4

■1人の子よ。一枚の粘土板を取り、それをあなたの前に置き、その上にエルサレムの町を彫りつけよ。
4あなたは左わきを下にして横たわり、イスラエルの家の咎を自分の身の上に置け。あなたがそこに横たわっている日数だけ彼らの咎を負え。
5わたしは彼らの咎の年数を日数にして三百九十日とする。その間、あなたはイスラエルの家の咎を負わなければならない。
★エゼキエルはエルサレムの包囲と陥落を、それが実際に起こる前に演じてみせました。神様はエゼキエルに、何をして、何と言うか、どのようにして、どのように言うか、特別な指図をお与えになります。

エゼキエルの普通でない行動は、エルサレムの運命の象徴です。彼は左側を下にして390日間横たわることで、イスラエルが390年間罰せられることを示し、右側を下にして40日間横たわることでユダが40年間にわたって罰せられることを示しました。乾いた人糞の上でパンを焼くことは預言者にとって屈辱的なことでした。それでもなお神様に従順しょうとするエゼキエルの姿に従順とは何かを考えさせられます。

水曜日, 7月 24, 2019

20190724_エレミヤ3

■8見よ。わたしはあなたの顔を、彼らの顔と同じように堅くし、あなたの額を、彼らの額と同じように堅くする。
9わたしはあなたの額を、火打石よりも堅い金剛石のようにする。彼らは反逆の家だから、彼らを恐れるな。彼らの顔にひるむな。」

★神を信じることは、1人で立ち上がるには弱すぎる者のための松葉杖ではありません。神様は信仰者たちを、正しい行いを憎む者たちにも対抗できるほど強くしてくださいます。神様は、エゼキエルに堅い信仰を与えたように、与えられた偉大な役割をあなたが果たすために、必要な勇気と忍耐と洞察カを与えたいと思っておられます。あなた自身を神様の手にゆだね、生活を神様に形作っていただけるようにしましよう。

月曜日, 7月 22, 2019

20190722_エゼキエル1

■ 1第三十年の第四の月の五日、私がケバル川のほとりで、捕囚の民とともにいたとき、天が開け、私は神々しい幻を見た。
5その中に何か四つの生きもののようなものが現れ、その姿はこうであった。彼らは何か人間のような姿をしていた。
6彼らはおのおの四つの顔を持ち、四つの翼を持っていた。
7その足はまっすぐで、足の裏は子牛の足の裏のようであり、みがかれた青銅のように輝いていた。
10彼らの顔かたちは、人間の顔であり、四つとも、右側に獅子の顔があり、四つとも、左側に牛の顔があり、四つとも、うしろに鷲の顔があった。
★ エゼキエルはバビロンにいる捕囚の民に預言しました。彼はイスラエルの捕囚はすぐに終わるという間違った希望をなくさなければならず、彼らの国に下った厳しいさばきの理由について説明し、将来の希望についてのメッセージを語ることを使命として託されました。神の民は説明や指示がないまま放っておかれることがないことは慰めです。

1:5-12の4つの生き物はそれぞれ4つの顔を持ち、神様の完全な本質を象徴しています。ある人は獅子は力強さ、牛は勤勉さ、人間は知能、鷲は神威を表すと考えます。またある人々はこれらは神の被造物の中で最も威厳のあるものであり、神様のすべての被造物を示すと考えます。初期教会の教父たちは、これらの生き物を4つの福音書とのつながりで見ました。獅子はキリストをユダの獅子として紹介するマタイ、雄牛はキリストをしもべとして描くマルコ、人間はキリストを完全な人間として描くルカ、鷲はキリストを高く上げられる神の御子として描くヨハネとして。この部分は黙示録4章にあるヨハネのみた幻と似ています。遍在される神様は今日もあなたと共にいてくださいます。

日曜日, 7月 21, 2019

20190721_エペソ6

■1子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。
4父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。
5奴隷たちよ。あなたがたは、キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。
9主人たちよ。あなたがたも、奴隷に対して同じようにふるまいなさい。おどすことはやめなさい。あなたがたは、彼らとあなたがたとの主が天におられ、主は人を差別されることがないことを知っているのですから。
★教会について記されているエペソ書。その最後の章で記されていることは「子どもたちよ」、「父たちよ」、「奴隷たちよ」、「主人たちよ」との呼びかけです。すなわち教会とは人々を指し、築くべきはキリストにあるこの「関係」です。この関係が聖なる神様の住まいとなりますように。一番に目を向けるものが働きや、業績でなく、関係でありますように。

土曜日, 7月 20, 2019

20190720_エペソ5

■5あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者--これが偶像礼拝者です、--こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。
8あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。
11実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。
14明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」

★行為だけではなく偶像礼拝の本質とは何かがここでは明確です。光の中に飛び込みましょう。キリストがその人を生かします。

金曜日, 7月 19, 2019

20190719_エペソ4

■1さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。
13ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
15むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。

★「愛をもって真理を語る」どちらか一方をもってではありません。どちらがかけても成熟した人格の現れは消されてしまいます。主により頼みましょう。

木曜日, 7月 18, 2019

20190718_エペソ3

■1こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となった私パウロが言います。
5この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。
6その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。
19人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。
★パウロは、キリストを宣べ伝えたためにローマで自宅監禁されました。エルサレムの宗教指導者たちは、キリストの教えに脅威を感じ、キリストがメシャであると信じなかったので、パウロを逮捕し、反逆とユダヤ人の間に反乱を引き起こした罪で彼を裁判にかけるようローマ人に圧力をかけたのです。パウロは、自分の問題が皇帝に審理されるよう上訴したため、裁判を待っ身となっていました。パウロは、たとえ逮捕されていても、神様が自分の身に起こるすべてのことを支配しておられるという固い信仰を保っていました。

神様の計画は前の時代には啓示されていませんでした。それは、ご自分の民から何かを隠したかったからではなく、ご自身の完壁なタイミングですべての人に啓示なさろうとしたからです。神様は、ユダヤ人と異邦人に、1つのからだである教会を構成させることを計画されました。旧約聖書の中で、異邦人が救いを受けることは知られていましたが、異邦人とユダヤ人の信者すべてがキリストのからだにおいて等しくなるということは、決して啓示されていませんでした。しかし、イエス様が「敵意の壁」を打ちこわして「新しいひとりの人」を造り上げたとき (2:14、15)、この平等は成し遂げられました。民族的イスラエルの救いと異邦人クリスチャンの救いと言う2つの救いがあるのではありません。信仰によるアブラハムの子孫「神のイスラエル」としての1つの救いです。極端なユダヤ的解釈に陥り福音からそれることに注意しなければなりません。

水曜日, 7月 17, 2019

20190717_エペソ2

■1あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、3私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
8あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
9行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
10私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。
19こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。
22このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。

★救いは一方的な神の恵みです。しかも完全な赦しであって優劣なく「神のイスラエル」に加えられるものです。あなたがどんな祈りと願いをささげるか神様な非常に高い関心を持っておられます。

火曜日, 7月 16, 2019

20190716_エペソ1

■3私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
4すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
20神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、
21すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。
22また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。

★ここに記されている教会とは、それぞれの地域に立てられている教会を超えた、それら全ての地域教会をも包含した、キリストの唯一のからだとしての教会です。あなたはそこに招かれ召されました。天地創造の基礎が置かれる前からの選びによって。確かにあなたは愛されています。覚えられています。必要とされています。自分を中心とした考えを脇に置き、神様が教会に抱いておられる思いを思い巡らす時を持ってみましょう。

月曜日, 7月 15, 2019

20190715_ガラテヤ6

■7思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。
8自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。
10ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう。
15割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。
16どうか、この基準に従って進む人々、すなわち神のイスラエルの上に、平安とあわれみがありますように。

★ユダヤ主義者の一部は、きよさの証拠として割礼を強調していましたが、その他の律法は無視していました。人はしばしば特定の原理や禁止を選び出して、それを信仰の尺度にすることがあります。大酒飲みを非難して、大食を無視する人たち、不品行は嫌悪するが、偏見は許容する人、また同性愛に強硬に反対するのに、児童虐待には見て見ぬふりをする人。私たちは、従うべき命令と、従わなくてもよい命令を自分勝手に取捨選択するべきではありません。誇りたくなる肉の思いをキリストと共に十字架に付け、日毎に恵みに生かされる、ここにガラテヤ書の中心メッセージがあります。

日曜日, 7月 14, 2019

20190714_ガラテヤ5

■4律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。
16私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
22しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
24キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
★律法の全体の要求は「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」です。それは自分の肉の頑張りによっては行ない得ません。行い得ないのです。キリストを信じる信仰の結果湧き上がる感謝と喜び、平安と希望がそれを可能とします。

土曜日, 7月 13, 2019

20190713_ガラテヤ4

■4しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。
5これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。
17あなたがたに対するあの人々の熱心は正しいものではありません。彼らはあなたがたを自分たちに熱心にならせようとして、あなたがたを福音の恵みから締め出そうとしているのです。
29しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。

★キリストがご自身の命の代価によって罪と律法から贖い出してくださったことはすごいことです。しかし、その素晴らしさの故に何とかその恵みから引きずりおろそうとする力の大きさも事実です。人を自らの前に跪かせようとするサタン。惑わしに騙されてはなりません。

木曜日, 7月 11, 2019

20190711_ガラテヤ2

■13そして、ほかのユダヤ人たちも、彼といっしょに本心を偽った行動をとり、バルナバまでもその偽りの行動に引き込まれてしまいました。
14しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパにこう言いました。「あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活していたのに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いるのですか。
20私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
★ユダヤ主義者はパウロを、異邦人に受け入れやすくするために福音のレベルを落としていると非難しましたが、パウロはユダヤ主義者を、福音に条件を加えることによって、真理を無効にしていると非難しました。救いはキリストだけによるものなのか、キリストと律法を通して与えられるのか。ペテロ、パウロ、ユダヤ主義者、そして一部の異邦人クリスチャンが食事を共にするためにアンテオケに集まったとき、議論は頂点に達します。ペテロは調和を乱さないよう、異邦人から離れます。 ヤコブやユダヤ人クリスチャンの感情を害したくなかったためです。パウロは、そんなペテロの行動は福音を冒漬していると非難しました。ペテロは、キリストは救いに十分ではないというユダヤ主義者の主張を結果的に支持するかたちとなったのです。妥協は、他の人と仲よくやっていくための重要な要素ではありますが、神様のみことばの真理を決して危うくしてはなりません。

日約聖書を学ぶことを通して、パウロは神の律法に従うことによって救われることはできないことを悟ります。法的な意味では、神様は、私たちをキリストとともに死んだ者として見ておられます。私たちの罪はキリストとともに死んだので、私たちはもはや責められることがありません。関係においては、私たちはキリストと1つになったので、キリストの経験は私たちの経験となります。私たちのクリスチャン生活は、キリストにつぎ合わされて、自分の古いいのちに対して死んだときに始まりました。日常生活においては、私たちは、自分をキリストに従わないようにさせる罪深い欲望を、いつも十字架につけなければなりません。このこともまた、キリストとともに死ぬことです。しかし、キリスト教の焦点は死ぬことではなく、生きること。法的な意味では、私たちは神と和解したので、キリストのかたちと同じ姿に自由に成長することができます。

水曜日, 7月 10, 2019

20190710_ガラテヤ1

■4キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。
6私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。
8しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。
★パウロとバルナバが第1回伝道旅行をちょうど終えた頃でした。パウロは幾人かのユダヤ人クリスチャンたちに、異邦人に合わせるためにキリスト教信仰の力を弱めているといって非難されました。彼らは、異邦人は律法に従う必要はないというパウロの意見に異議を唱えたのです。告発者たち
のうち幾人かは、パウロを追ってガラテヤの都市を訪問し、救われるためには割礼を受け、すべてのユダヤ人の律法と慣習に従わなければならないと説く者もいました。彼らによれば、異邦人は、クリスチャンになるために、まずユダヤ人にならなければならなかったのです。この脅威に対応するため、パウロはガラテヤの教会に宛てて、この手紙を書きました。パウロは本書で、旧約聖書の律法やユダヤ人の律法に従うことは救いをもたらさないと説明します。人は、信仰を通して恵みによってのみ救われる。紀元49年頃、エルサレム会議のすぐ前のことでした。

パウロの変えられた人生は、彼に会った人たちや彼について詳しく聞いた人たちに賛美をもたらしました。神様だけが、迫害者パウロをクリスチャンに変えることができたゆえです。人々は神様をあがめました。パウロほどの劇的な変化は誰もが経験することはないでしょう。しかし、私たちの新しい人生も、パウロ同様あらゆる点で、神様をあがめるものです。人々が私たちを見るとき、神様が私たちの内に変化をもたらしたことを認めることができますように。

火曜日, 7月 09, 2019

20190709_エレミヤ哀歌5

■1主よ。私たちに起こったことを思い出してください。私たちのそしりに目を留めてください。顧みてください。
5私たちの先祖は罪を犯しました。彼らはもういません。彼らの咎を私たちが背負いました。
7私たちの頭から冠も落ちました。ああ、私たちにわざわいあれ。私たちが罪を犯したからです。
16私たちの心が病んでいるのはこのためです。私たちの目が暗くなったのもこのためです。
20主よ。あなたのみもとに帰らせてください。私たちは帰りたいのです。

★エレミヤ哀歌の最終章です。苦難の中で民の自覚は「私たち先祖の罪」から、「私たちの罪」の自覚へと導かれます。「あなたのみもとに帰らせてください」はこの結果もたらされた民の神様への叫びでした。神様は悔いし砕かれた魂を軽しめられることはありません。

月曜日, 7月 08, 2019

20190708_エレミヤ哀歌4

■1ああ、金は曇り、美しい黄金は色を変え、聖なる石は、あらゆる道ばたに投げ出されている。
3ジャッカルさえも乳房をあらわし、その子に乳を飲ませるのに、私の民の娘は、荒野のだちょうのように無慈悲になった。
20私たちの鼻の息である者、主に油そそがれた者までも、彼らの落とし穴で捕らえられた。「この者のおかげで、諸国の民の中でも私たちは生きのびる」と私たちが言った者なのに。
★この章は、エルサレムの包囲前と包囲後の状況を対比しています。繁栄の光景は民の罪により消え去りました。この章は私たちに、生活が好調なときに、それが常に続くと考えてはならないと警告しています。自分たちの繁栄を誇るときいつの間にか霊的貧困に陥ってしまうかもしれません。

ゼデキヤ王は「主に油注がれた者」と呼ばれましたが、霊的には浅く、指導者としての力も強くありませんでした。彼は神様を信頼して本物の預言者であるエレミヤのことばを聞くのではなく、にせ預言者たちのことばを聞き、さらに悪いことに、民はその王を信頼し従いました。彼らはすぐに自分が安全であることを確認したかったのです。エレミヤを通して神様がお与えになった命令よりも自己満足の道を選びます。しかし彼らの信頼の源であったゼデキヤ王は捕らえられたのです。誰を何を信頼すべきか、神様はこうしたことを通しても私たちに語りかけられます。

日曜日, 7月 07, 2019

20190707_エレミヤ哀歌3

■22私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。
23それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。
27人が、若い時に、くびきを負うのは良い。
28それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。
32たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる。
38わざわいも幸いも、いと高き方の御口から出るのではないか。
40私たちの道を尋ね調べて、主のみもとに立ち返ろう。
42「私たちはそむいて逆らいました。あなたは私たちを赦してくださいませんでした。
5主よ。あなたは、私がしいたげられるのをご覧になりました。どうか、私の訴えを正しくさばいてください。
64主よ。彼らの手のわざに応じて、彼らに報復し、
65横着な心を彼らに与え、彼らに、あなたののろいを下してください。
66主よ。御怒りをもって彼らを追い、天の下から彼らを根絶やしにしてください。」
★こうしてエレミヤは主の前に心を注ぎ出しました。絶えず、絶えず。そして自らに託された人生を全うしました。彼の心を人々はどれほど理解していたことでしょう。しかし、主は彼の心の全てを知ってくださっていました。こうしてエレミヤが自らの心を神様の前に注ぎ出していたからです。神はあなたの避けどころ、悩める時のいと近き助けです。