土曜日, 12月 31, 2011

20111231_詩篇148_黙示録21

■詩篇128:1幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。128:2あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、幸福で、しあわせであろう。
★この励ましの言葉のあとに祝福された妻、子供の姿が展開されます。すなわち祝福された家庭の背後には、主を畏れ勤勉な父の存在があると言うことです。家族の養いのために召し出されたお互い男性は、きよい手を上げて守るべきものを守れるように祈りましょう。

■黙示録21:1また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。21:2私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。21:3そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、21:4彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」21:5すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
★黙示録もこの章と残すところ22章のみですがついに神様の経綸の完成である新天新地の記述が。あの創世記3章で人が罪を犯し、永遠の死を身に受けるものとなったその時から、神様はご自身の一方的な主権のうちに歴史を導き、救いを備えて下さいましたが、完全な救いがここに実現するのです。もはや涙のない世界。あなたの流した全ての涙の意味をキリストが理解し癒しぬぐい去って下さる世界が訪れます。ヒデ

金曜日, 12月 30, 2011

20111230_詩篇145_黙示録20

■詩篇145:14主は倒れる者をみなささえ、かがんでいる者をみな起こされます。……145:18主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられる。145:19また主を恐れる者の願いをかなえ、彼らの叫びを聞いて、救われる。145:20すべて主を愛する者は主が守られる。しかし、悪者はすべて滅ぼされる。
★ここには主とはいかなるお方かが明確で、その結論は「すべて主を愛する者は主が守られる。しかし、悪者はすべて滅ぼされる。」です。そして、あなたもこのすべての人の中に含まれています。あなたを守られるのは他でもないこのお方主です。

■黙示録20:4また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行う権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
★19章のハルマゲドンの戦いの後、ここに記される千年王国がおとずれます。この時キリストは地上において支配し、サタンは行動の自由を奪われ、聖徒たちは繁栄し、世界は平和となり、地は豊かに実を結びます。またこの千年王国の終わりと同時に、再び自由にされたサタンは、キリストに最後の戦いをいどみますが敗北します。不信仰を悔い改め艱難時代に殉教しつつも信仰を告白した聖徒も、ここに記されている通り、憐れみによる復活にあずかり、彼らも千年王国の恵みに生きることに。またこれ以降憐れみによる恵みの救いの道はありません。それぞれ自分の行いによって裁かれる最後の審判の座に立つために甦らされるのです。既に千年王国にあずかる者、神様の経綸を知った者として生きましょう。ヒデ

木曜日, 12月 29, 2011

20111229_詩篇110_エゼキエル36_黙示録19

■詩篇110:4主は誓い、そしてみこころを変えない。「あなたは、メルキゼデクの例にならい、とこしえに祭司である。」110:5あなたの右にいます主は御怒りの日に、王たちを打ち砕かれる。
★キリストが大祭司であることは今も変わりません。あなたのために十字架におかかり下さいましたが、甦られ父なる神様の右の座についておられます。ゆえに怒りや誘惑、憤りに目と心を奪われないように。正しい報復は主がやがての日なさいます。あなたが直向きに見つめるべきは、主があなたに託して下さっている御心です。

■エゼキエル33:17あなたの民の者たちは、『主の態度は公正でない』と言っている。しかし、彼らの態度こそ公正でない。33:18正しい人でも、自分の正しい行いから遠ざかり、不正をするなら、彼はそのために死ぬ。33:19悪者でも、自分の悪から遠ざかり、公義と正義とを行うなら、そのために彼は生きる。33:20それでもあなたがたは、『主の態度は公正でない』と言う。イスラエルの家よ。わたしはあなたがたをそれぞれの態度にしたがってさばく。」
★主の態度について「公正ではない」という人の心の動機の中には「自分が栄光を受けたい」との動機が強すぎるのかも知れません。しかし主は選びの民の全てにとって父なのです。

■黙示録19:7私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。19:8花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」
★神様に敵対する大バビロンが滅ぼされたときキリストと教会の婚姻の時がもたれます。ではこの世での婚姻は?このキリストと教会の婚姻のひな形です。主に贖われた全ての人は、やがて最高の婚姻を経験します。ヒデ

水曜日, 12月 28, 2011

20111228_エゼキエル33_黙示録18

■エゼキエル33:10人の子よ。イスラエルの家に言え。あなたがたはこう言っている。『私たちのそむきと罪は私たちの上にのしかかり、そのため、私たちは朽ち果てた。私たちはどうして生きられよう』と。33:11彼らにこう言え。『わたしは誓って言う。─神である主の御告げ─わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ。悔い改めよ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。』
★今平行して黙示録が開かれていますが、生きることを喜ばれる神様の姿は、アダムとエバが神様のもとを離れた時から、一貫して変わることがありません。私たちは自らのプライドを優先し、時に自らの非を認め、悔い改めることのできない場合があります。しかし神様はご自身ではなく、他者を生かすこと、すなわち私たちが罪に死なないことを優先し行動されます。あなたは何を基準に生きるでしょう。

■黙示録18:2彼は力強い声で叫んで言った。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、悪霊の住まい、あらゆる汚れた霊どもの巣くつ、あらゆる汚れた、憎むべき鳥どもの巣くつとなった。18:3それは、すべての国々の民が、彼女の不品行に対する激しい御怒りのぶどう酒を飲み、地上の王たちは、彼女と不品行を行い、地上の商人たちは、彼女の極度の好色によって富を得たからである。」18:4それから、私は、天からのもう一つの声がこう言うのを聞いた。「わが民よ。この女から離れなさい。その罪にあずからないため、また、その災害を受けないためです。
★多くの人が、どんなことがあってもまさかこの価値は変わることがないと信頼し、より頼み、あぐらをかいていた大バビロン。それが何を指すかは分かりません。しかし倒れ無に帰するときが来ます。キリストは語られました。「天地は滅びます。しかし私のことばは滅びることがありません」と。ヒデ

火曜日, 12月 27, 2011

20111227_詩篇81_ダニエル3_黙示録17

■詩篇81:9あなたのうちに、ほかの神があってはならない。あなたは、外国の神を拝んではならない。81:10わたしが、あなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。
★主はこの詩篇を通し、モーセに導かれつつも偶像礼拝に流れた民の姿を示し、選びの民の必要と心を満たすことができるのはご自身以外にないことを示されます。あなたは必要をまず誰に訴えますか。

■ダニエル3:28ネブカデネザルは言った。「ほむべきかな、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神。神は御使いを送って、王の命令にそむき、自分たちのからだを差し出しても、神に信頼し、自分たちの神のほかはどんな神にも仕えず、また拝まないこのしもべたちを救われた。3:29それゆえ、私は命令する。諸民、諸国、諸国語の者のうち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神を侮る者はだれでも、その手足は切り離され、その家をごみの山とさせる。このように救い出すことのできる神は、ほかにないからだ。」
★ネブカデネザル王が建てた金の像を拝まないなら……その結果、燃える炉に投げ込まれた彼らでした。しかし、それでも信仰を全うすることを通して、彼らは神様に助け出され、ネブカデネザル王から上の言葉を引き出すことに。信仰ゆえの霊的戦いを避けてはなりません。神様はそれを用いてご自身の御業をなされます。

■黙示録17:14この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。また彼とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実な者だからです。」
★「小羊とともにいる者」とはあなたです。ヒデ

月曜日, 12月 26, 2011

20111226_ダニエル1_黙示録16

■ダニエル1:15十日の終わりになると、彼らの顔色は、王の食べるごちそうを食べているどの少年よりも良く、からだも肥えていた。1:16そこで世話役は、彼らの食べるはずだったごちそうと、飲むはずだったぶどう酒とを取りやめて、彼らに野菜を与えることにした。1:17神はこの四人の少年に、知識と、あらゆる文学を悟る力と知恵を与えられた。ダニエルは、すべての幻と夢とを解くことができた。
★バビロンのネブカデネザル王は捕囚の民としたイスラエルの王族貴族の中から有能な若者を召し集め、結局のところみな骨抜きにして、自ら思い通りに操るために、毎日王の食べるごちそうを彼らに与えます。しかしこの箇所はその王の思惑を見抜き、それに乗らなかったダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤのことがこの章に記されます。世はあの手この手を使って選びの民の霊的いのちを奪おうとします。目覚める必要があります。そうでなければ天の父の心を受け取った者としての貢献をすることはできません。

■黙示録16:15─見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物を着け、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである─16:16こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。
★今や聖霊と教会が地上か引き上げられた7年の艱難時代も終わり、ハルマゲドンの戦いが始まろうとしています。空中まで教会を迎えるために7年前に来られたキリストは、今度は地上にまで来られ、オリブ山に立たれます。そこで反キリストの勢力と戦います。主は最後まで悔い改めの時を備え、罪人が立ち返るのを願われるお方。まさに反キリストの王達にとっては永遠に生きる者となる最後のチャンスです。お互いは王になってはいけません。王なるキリストによって生かされている存在です。悔い改めることの尊さを覚えましょう。永遠を開く扉は唯一悔い改めと信仰以外にないのです。ヒデ

日曜日, 12月 25, 2011

20111225_哀歌3_黙示録15

■哀歌3:22 私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。3:23それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。3:24主こそ、私の受ける分です」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。3:25主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。
★どんな試練も恵みに変えるキリスト者の祈りと生活がここに。主との交わりはおつとめではなく命です。飢え渇き、せつに主を求めさせて頂きましょう。

■黙示録15:3彼らは、神のしもべモーセの歌と小羊の歌とを歌って言った。「あなたのみわざは偉大であり、驚くべきものです。主よ。万物の支配者である神よ。あなたの道は正しく、真実です。もろもろの民の王よ。15:4主よ。だれかあなたを恐れず、御名をほめたたえない者があるでしょうか。ただあなただけが、聖なる方です。すべての国々の民は来て、あなたの御前にひれ伏します。あなたの正しいさばきが、明らかにされたからです。」
★最後の7つの災害、神様の激しい怒りの七つの鉢が地にぶちまけられる前の光景です。御使い達は主を褒めたたえていますが、新天新地の完成の前には痛みがあったことを覚えましょう。関係を傷つけ、汚し、踏みにじるもの、それが罪です。その回復のためには高慢の悔い改めと、御子の血潮による赦しを受け取ることが土台です。これ無しに決して新天新地への門は開かれないことを覚えましょう。ヒデ

土曜日, 12月 24, 2011

20111224_黙示録14

■黙示録14:9また、第三の、別の御使いも、彼らに続いてやって来て、大声で言った。「もし、だれでも、獣とその像を拝み、自分の額か手かに刻印を受けるなら、14:10そのような者は、神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた神の怒りのぶどう酒を飲む。また、聖なる御使いたちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。14:11そして、彼らの苦しみの煙は、永遠にまでも立ち上る。獣とその像とを拝む者、まただれでも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も休みを得ない。14:12神の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続ける聖徒たちの忍耐はここにある。」14:13また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行いは彼らについて行くからである。」
★この時すでに聖霊と教会は主の元に引き上げられています。ここに描かれているのは反キリストが地上を治める艱難時代の出来事です。何より注目はこの後「鎌をもって刈り取れ」の命令が御使いによって下されますが、そこで異邦人の救いは終わると言うことです。この後異邦人が救われるチャンスはないのです。長く続いた神様の恵みと憐れみの忍耐から、傷つけられ殺され不当な扱いでその人生を終わらざるを得なかった人々の血と涙に酬いるための正しい裁きが始まるのです。容赦のない裁きです。真実な、正義に基づいた裁きです。だからこそ、この場面が異邦人にとっての最後の救いのチャンスです。問われるのは偶像礼拝。あなたは真の神様以外のものを神として拝んでいませんか。ここではもう救いのためには殉教以外にありませんが、教会として引き上げられなかった人々のためにも「聖徒」と呼んで下さるお方が、この父なる神様以外、どこにあるでしょうか。今この時、「主よ信じます」と祈る恵みに生きましょう。ヒデ

金曜日, 12月 23, 2011

20111223_詩篇48_エレミヤ42_黙示録13

■詩篇48:10神よ。あなたの誉れはあなたの御名と同じく、地の果てにまで及んでいます。あなたの右の手は義に満ちています。48:11あなたのさばきがあるために、シオンの山が喜び、ユダの娘が楽しむようにしてください。
★さばきがあるために楽しめるように……そのためには、条件として、裁く権限が与えられている人に対して負債のない生活と存在であることが求められることになるでしょう。果たしてその条件を神様に対して果たし得る人があるでしょうか。ひとりもありません。だからこそ神様はクリスマスにキリストを遣わして下さいました。

■エレミヤ42:13 しかしあなたがたが、『私たちはこの国にとどまらない』と言って、あなたがたの神、主の御声を聞かず、42:14『いや、エジプトの国に行こう。あそこでは戦いに会わず、角笛の音も聞かず、パンにも飢えることがないから、あそこに、私たちは住もう』と言っているのなら、42:15今、ユダの残りの者よ、主のことばを聞け。イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。『もし、あなたがたがエジプトに行こうと堅く決心し、そこに行って寄留するなら、42:16あなたがたの恐れている剣が、あのエジプトの国であなたがたに追いつき、あなたがたの心配しているききんが、あのエジプトであなたがたに追いすがり、あなたがたはあそこで死のう。
★勘違いしてはなりません。何の戦いも飢えもないことが幸いな生涯ではありません。間違った価値観に基づいて生きるために、大事な人生を棒にふることがないように。

■黙示録13:8地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。
★反キリストが7年の間だ世を支配する艱難時代の光景です。この時、悔い改めて主を信じようとするなら、殉教以外ありません。今こそが本当に救いの日、恵みの時なのです。ヒデ

木曜日, 12月 22, 2011

20111222_2歴代36_黙示録12

■2歴代36:23「ペルシヤの王クロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私に賜った。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神、主がその者とともにおられるように。その者は上って行くようにせよ。』」
★信じがたいことです。神様は破壊された神殿建設のために異邦人であるペルシャの王クロスさえ用いられます。偶像礼拝のため、イスラエルはエジプトへ、バビロンへと青銅の足かせにつながれ連行されていた時のことです。神様の選びの民に対する、憐れみと、諦めない愛に驚かされます。これ以降イスラエルはどんなに苦しい時にも偶像礼拝をしない民となりますが、その背後には、この神様の憐れみ深さと、イスラエルの罪深さにたいする徹底したした自己認識があったのです。徹底しない罪深さに対する自己認識こそが問題です。それが人を神様から引き離します。あなたはもう、このところをお通りになりましたか。

■黙示録12:9こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。……12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
★やがて訪れる7年間の艱難時代の出来事です。地上から聖霊は引き上げられ、さらにサタンは地に投げ落とされと、今の私たちでは想像できないほど、悲惨極まりない時を世界はくぐることに。それにしてもそこに残された「兄弟たち」とは誰でしょう。口先だけの信者、ただつきあいによっての信者でしょうか。私たちはキリストに対する主体的信仰が問われているのです。十字架に対するあなたの信仰の確信に揺らぎはありませんか。ヒデ

水曜日, 12月 21, 2011

20111221_エゼキエル31_黙示録11

■エゼキエル31:3見よ。アッシリヤはレバノンの杉。美しい枝、茂った木陰、そのたけは高く、そのこずえは雲の中にある。31:4水がそれを育て、地下水がこれを高くした。川々は、その植わっている地の回りを流れ、その流れを野のすべての木に送った。31:5それで、そのたけは、野のすべての木よりも高くそびえ、その送り出す豊かな水によって、その小枝は茂り、その大枝は伸びた。31:6その小枝には空のあらゆる鳥が巣を作り、大枝の下では野のすべての獣が子を産み、その木陰には多くの国々がみな住んだ。
★だからと言ってレバノンの杉は自ら誇ることはできません。どうしてでしょう。それは全て上より、神様の恵みによって備えられた環境あってのことでした。「誇るものは主を誇れ」と語った主の弟子パウロの言葉を思い出しましょう。

■黙示録11:17 言った。「万物の支配者、今いまし、昔います神である主。あなたが、その偉大な力を働かせて、王となられたことを感謝します。11:18諸国の民は怒りました。しかし、あなたの御怒りの日が来ました。死者のさばかれる時、あなたのしもべである預言者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあなたの御名を恐れかしこむ者たちに報いの与えられる時、地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時です。」
★そう神様は義なるお方ですから、正しい裁きをなさらず、物事をそのまま放置し続けることはなさいません。死者さえ裁きのために甦らされ、御名をかしこみ畏れるものに対しては、神様ご自身が豊かな報いをもって酬い返して下さいます。主が来られます。神様に会う備えをさせて頂きましょう。ヒデ

火曜日, 12月 20, 2011

20111220_エゼキエル28_黙示録10

■エゼキエル28:11……あなたは全きものの典型であった。知恵に満ち、美の極みであった。28:13 あなたは神の園、エデンにいて…。28:14わたしはあなたを油そそがれた守護者ケルブとともに、神の聖なる山に置いた。あなたは火の石の間を歩いていた。28:15あなたの行いは、あなたが造られた日からあなたに不正が見いだされるまでは、完全だった。28:16あなたの商いが繁盛すると、あなたのうちに暴虐が満ち、あなたは罪を犯した。そこで、わたしはあなたを汚れたものとして神の山から追い出し、守護者ケルブが火の石の間からあなたを消えうせさせた。
28:17あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせた。……28:18あなたは不正な商いで不義を重ね、あなたの聖所を汚した。わたしはあなたのうちから火を出し、あなたを焼き尽くした。28:19国々の民のうちであなたを知る者はみな、あなたのことでおののいた。あなたは恐怖となり、とこしえになくなってしまう。」
★天使長のひとりルシファーがいかに堕落したか、その動機が記されます。あなたを永遠に滅ぼすものそれは高慢です。その思いは悔い改め手放すのです。

■黙示録10:5それから、私の見た海と地との上に立つ御使いは、右手を天に上げて、10:6永遠に生き、天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを創造された方をさして、誓った。「もはや時が延ばされることはない。10:6……ラッパの音が響くその日には、神の奥義は、神がご自身のしもべである預言者たちに告げられたとおりに成就する。」
★この章には「言ったことは封じて、書きしるすな」との箇所も。が、確実なことは、告げられたことは、必ずその通りになること。信じましょう。主のお出では、もうそこまで来ています。ヒデ

月曜日, 12月 19, 2011

20111219_エゼキエル22_エゼキエル23_黙示録9

■エゼキエル22:21わたしはあなたがたをかり集め、あなたがたに向かって激しい怒りの火を吹きつけ、あなたがたを町の中で溶かす。22:22銀が炉の中で溶かされるように、あなたがたも町の中で溶かされる。このとき、あなたがたは、主であるわたしがあなたがたの上に憤りを注いだことを知ろう。」
★主がこのように語らなければならないイスラエル。その状況は偶像礼拝によって人々の心は汚され、愛は倒錯し、幼子を偶像にささげる有様です。主の怒りは、まさにそこに下されました。しかしその怒りも彼らを愛しきよめるため。本当に主が呵責のない怒りを下されたのは十字架のキリストの上。父なる神様は人類のすべての罪をキリストの上に置き、呵責のない裁きと怒りを下されたのです。それは「もはや裁きはおわった」と、全世界に宣言するため。父なる神様は語られます。「私はもはやあなた方の罪を思うことをしない」と。キリストが受けて下さったその傷によって全ての人は救われるのです。

■黙示録9:20これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、9:21その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。
★御使いのラッパによってもたらされた第一の裁きの結果です。聖霊によって教会が地上から取り上げられたのちの艱難時代は、死さえ逃げて行く時代で、真に悔い改め、神様に立ち返るためには殉教以外、道はありません。ここに記された殺されずに残った人とは、罪が完全にその人を覆い、神様が見えなくなっている人。いのちを取られても決して神様だけには頭を下げたくない人々です。この状況に置かれる前に全ての人は主の名を呼ばなければなりません。主の名を呼ぶものは全て救われるのですから。ヒデ

日曜日, 12月 18, 2011

20111218_詩篇111_エゼキエル20_黙示録8

■詩篇111:9主は、御民に贖いを送り、ご自分の契約をとこしえに定められた。主の御名は聖であり、おそれおおい。111:10主を恐れることは、知恵の初め。これを行う人はみな、良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ。
★主から送られた贖いのプレゼント。そこには御子のいのちがかけられました。受け取りましょう。それ以外に人の救いがないからです。御子のいのちの代価によってもたらされた贖いは人の罪を赦し、その霊を解放し、その人の知恵を上からのよきもので満たされます。

■エゼキエル20:13それなのに、イスラエルの家は荒野でわたしに逆らい、わたしのおきてに従って歩まず、それを行えば生きることのできるそのわたしの定めをもないがしろにし、わたしの安息日をひどく汚した。だから、わたしは、荒野でわたしの憤りを彼らの上に注ぎ、彼らを絶ち滅ぼそうと考えた。
★それなのに、それなのにと繰り返し語られる章です。神様がイスラエルをどれ程愛しておられることか。それなのに民は心を頑なにし偶像を心に抱こうとするか。父なる神様のご自身の民への愛がいかばかりのものか受け取りましょう。そして全ての偶像から聖別されましょう。

■黙示録8:10第三の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が天から落ちて来て、川々の三分の一とその水源に落ちた。8:11この星の名は苦よもぎと呼ばれ、川の水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ。
★チェルノブイリとは「苦よもぎ」の意なので、かつて、原発事故はこのラッパの裁きの預言の結果だと語られていた時代のことを思い出しました。いずれにしても主の再臨はそう遠いものではありません。世界に福音が宣べ伝えられたその時、主は再び来られます。主に会う備えをするのです。ヒデ

土曜日, 12月 17, 2011

20111217_エゼキエル18_黙示録7

■エゼキエル18:2「あなたがたは、イスラエルの地について、『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く』という、このことわざをくり返し言っているが、いったいどうしたことか。
★濃いぶどう……子供の歯が浮くとは、父の行為が子に結果を及ぼすという、連帯責任を教えるユダヤのことわざですが、民はエルサレムの審判は、先祖の罪の結果で私たちの責任ではないと、このことわざを使って弁解していました。その時、主はエゼキエルを通して、「罪を犯した者は、その者が死に、子は父の咎について負いめがなく、父も子の咎について負いめがない。正しい者の義はその者に帰し、悪者の悪はその者に帰する。しかし、悪者でも、自分の犯したすべての罪から立ち返り、わたしのすべてのおきてを守り、公義と正義を行うなら、彼は必ず生きて、死ぬことはない。…─神である主の御告げ─彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。」と語られました。父の心を知ってその愛と赦しに生きましょう。

■黙示録7:13長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか」と言った。7:14そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。……7:16彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。7:17なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」
★御使いの「このひとたちは誰ですか」の答え、それはあなた、主が涙をぬぐって下さるのはあなたですよ。ヒデ

金曜日, 12月 16, 2011

20111216_詩篇70_エゼキエル16_黙示録6

■詩篇70:1神よ。私を救い出してください。主よ。急いで私を助けてください。70:2私のいのちを求める者どもが、恥を見、はずかしめを受けますように。私のわざわいを喜ぶ者どもが退き卑しめられますように。70:3「あはは」とあざ笑う者どもが、おのれの恥のためにうしろに退きますように。
★悲しみ悔しさ苦々しさは、心の内に溜めても、人にぶつけて解決になりません。この詩篇の記者のように神様の前に注ぎ出すのです。

■エゼキエル16:59まことに、神である主はこう仰せられる。わたしはあなたがしたとおりの事をあなたに返す。あなたは誓いをさげすんで、契約を破った。16:60だが、わたしは、あなたの若かった時にあなたと結んだわたしの契約を覚え、あなたととこしえの契約を立てる。
★神の民とされたイスラエルであるにもかかわらず、繰り返し繰り返し、まことの神様以外のものにより頼む姦淫の罪を犯す姿が。その節操のなさはあわれなほどです。そんな民をも救われる神様。それはまさにご自身偽ることのない真実な神様のご性質ゆえ。どんなことがあっても契約を反故になさらない神様により頼む人は幸いです。

■黙示録6:3小羊が第二の封印を解いたとき、私は、第二の生き物が、「来なさい」と言うのを聞いた。6:4すると、別の、火のように赤い馬が出て来た。これに乗っている者は、地上から平和を奪い取ることが許された。人々が、互いに殺し合うようになるためであった。また、彼に大きな剣が与えられた。
★聖霊が取り去られたこの世とは何と恐ろしいことでしょう。人々の心の愛は完全に失われ、殺戮と復讐が繰り返されることになるのです。なんとしてもキリストの再臨に備えなければなりません。キリストの手によってこの封印が解かれる時は誰も知らず、今はまさにその備えのために与えられた時間なのですから。ヒデ

木曜日, 12月 15, 2011

20111215_エゼキエル14_黙示録5

■エゼキエル14:13「人の子よ。国が、不信に不信を重ねてわたしに罪を犯し、そのためわたしがその国に手を伸ばし、そこのパンのたくわえをなくし、その国にききんを送り、人間や獣をそこから断ち滅ぼすなら、14:14たとい、そこに、ノアとダニエルとヨブの、これら三人の者がいても、彼らは自分たちの義によって自分たちのいのちを救い出すだけだ。神である主の御告げ
★紀元前586年のエルサレム滅亡の時のことです。この時イスラエルはバビロン帝国に攻略され、民は連行されて行きます。神様は預言者エゼキエルを通してその原因を偶像礼拝によるものと指摘します。恐ろしいものです。国さえ滅ぼすことのできる罪は、偶像礼拝と姦淫しかないのです。ここで旧約の3義人と呼ばれるノア、ダニエル、ヨブがあえて引用されているのは「人ではなく、あなたはどうですか」と神様が問われるためです。偶像礼拝、それは断固止めなければなりません。

■黙示録5:6さらに私は、御座─そこには、四つの生き物がいる─と、長老たちとの間に、ほふられたと見える小羊が立っているのを見た。これに七つの角と七つの目があった。その目は、全世界に遣わされた神の七つの御霊である。5:7小羊は近づいて、御座にすわる方の右の手から、巻き物を受け取った。
★ここには私たちの知っているイエス様とは違うイエス様のお姿が。7つの角と7つの目。全知全能、完全な義をもって裁かれる主を見たとき、弟子ヨハネにはこう映ったのです。いよいよ巻物の封印が解かれる裁きの始まりです。もはやこの時教会は聖霊様と共に地上か引き上げられ、父なる神様のもとにあります。地上では反キリストと呼ばれるものが支配し始め、地上に残された人々が悔い改めを願うなら殉教しかない状況となるのです。ああ今主を信じることができたお互いとは何と幸いなことでしょう。ヒデ

水曜日, 12月 14, 2011

20111214_エゼキエル11_黙示録4

■エゼキエル11:17それゆえ言え。『神である主はこう仰せられる。わたしはあなたがたを、国々の民のうちから集め、あなたがたが散らされていた国々からあなたがたを連れ戻し、イスラエルの地をあなたがたに与える。』11:18彼らがそこに来るとき、すべての忌むべきもの、すべての忌みきらうべきものをそこから取り除こう。 11:19わたしは彼らに一つの心を与える。すなわち、わたしはあなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。
★偶像礼拝のためにバビロン帝国に連れ去られたイスラエル。しかし神様は預言者エゼキエルを通して主の一方的な恵みによる回復を語られます。その方法は戒めを心に書き付けるというものでした。律法が私たちの外にある時、それは、私たちを支配し、律法主義か律法破りの罪人へと私たちを引き下ろしますが、心の内側にある時、私たちは内に律法を持つ者として自由が与えられるのです。

■黙示録4:1その後、私は見た。見よ。天に一つの開いた門があった。また、先にラッパのような声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った。「ここに上れ。この後、必ず起こる事をあなたに示そう。」
★この黙示録の4章以降におこる7つの巻物、7つのラッパ、7つの鉢の裁きを、主に贖われた者たちは、やがて主が再び来られた時、天に引き上げられた場所、すなわち、天で見ることになります。決してこの災いを地上で体験する者となってはなりません。この災いから免れる唯一の方法は、キリストが十字架の上で完成して下さった救いを信じ受け取ることです。主はもう一度来られます。全世界の民を正しく裁かれるために。今、主の名を呼び求めましょう。なぜなら、主の名を呼び求める人は全て救われるからです。ヒデ

火曜日, 12月 13, 2011

20111213_黙示録3

■黙示録3:20見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。3:21勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。3:22耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。
★信じられないことがここには記されています。キリストが教会から閉め出され、中に入れず外に立って戸を叩いているというのです。教会とは建物ではありません。クリスチャン一人一人であり、またその交わりですが、そこからキリストが閉め出されているというのです。終末時代の教会をキリストが預言した内容、それがこのラオデキヤ教会のこの箇所ですが、残念なかぎりです。経済的には、確かに豊かになったのかも知れません。しかし、だからといて神様を求めなくなり、神様の御心に対して鈍感になり、自己満足のレベルの信仰生活にあぐらをかくとしたならば……。キリスト者とは、ご自身のいのちをかけて救って下さった主の愛に感動し、自らをささげて、直向きに、その愛に応答しようとする者ではないでしょうか。主は愛するものを叱ったり、懲らしめたりなさるお方です。あなたの主への愛は最初のままですか。ヒデ

月曜日, 12月 12, 2011

20111212_エゼキエル3_黙示録2

■エゼキエル3:18わたしが悪者に、『あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もしあなたが彼に警告を与えず、悪者に悪の道から離れて生きのびるように語って、警告しないなら、その悪者は自分の不義のために死ぬ。そして、わたしは彼の血の責任をあなたに問う。3:19もしあなたが悪者に警告を与えても、彼がその悪を悔い改めず、その悪の道から立ち返らないなら、彼は自分の不義のために死ななければならない。しかしあなたは自分のいのちを救うことになる。
★神様が預言者エゼキエルに語られた言葉です。なぜ悪者の行いの責任をエゼキエルが問われるのでしょうか。神様は3:17「人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人としたからだ」と語られます。キリストのいのちの代価によって贖われたキリスト者も同じように時代の見張り人とされました。世に対して無関心であってはなりません。重荷を持ち、執り成し、愛し、必要があれば警鐘を鳴らさなければなりません。あなたは世の塩、世の光です。

■黙示録2:1エペソにある教会の御使いに書き送れ。『右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が言われる。……2:3あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。2:4しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。2:5それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。
★キリスト者がキリスト者であるゆえんは「あなたは私を愛するか」と問われる主に「はい主よ。私があなたを愛することはあなたがご存じです。」との告白にかかっています。熱心さや頑張りが度を超してキリストを通り過ぎることがありませんように。ヒデ

日曜日, 12月 11, 2011

20111211_詩篇143_詩篇144_黙示録1

■詩篇143:7主よ。早く私に答えてください。私の霊は滅びてしまいます。どうか、御顔を私に隠さないでください。私が穴に下る者と等しくならないため。143:8朝にあなたの恵みを聞かせてください。私はあなたに信頼していますから。私に行くべき道を知らせてください。私のたましいはあなたを仰いでいますから。143:9主よ。私を敵から救い出してください。私はあなたの中に、身を隠します。143:10あなたのみこころを行うことを教えてください。あなたこそ私の神であられますから。あなたのいつくしみ深い霊が、平らな地に私を導いてくださるように。
★ぜひこの詩篇全体を何度か朗読なさることをお勧めします。ここにはあなたが悩みの時にもあなたを立ち上がらせる力と信仰に満ちた祈りがあります。寂しい所でこの祈りを心を込めて主にささげましょう。

■詩篇144:2主は私の恵み、私のとりで。私のやぐら、私を救う方。私の盾、私の身の避け所。私の民を私に服させる方。144:3主よ。人とは何者なのでしょう。あなたがこれを知っておられるとは。人の子とは何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。144:4人はただ息に似て、その日々は過ぎ去る影のようです。
★そんなお互いが今日も神様の恵みによって生かされています。感謝の礼拝をささげさせて頂きましょう。

■黙示録1:7見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。
★今日から黙示録。まずは主の再臨の宣言です。主が来られます。嘘ではありません。この言葉を鼻で笑ったイスラエルは、そのとき胸を打って嘆くのです。あなたはその輪に入ってはなりません。ヒデ

土曜日, 12月 10, 2011

20111210_エレヤミ51_3ヨハネ1

■エレミヤ51:15主は、御力をもって地を造り、知恵をもって世界を堅く建て、英知をもって天を張られた。51:16主が声を出すと、水のざわめきが天に起こる。主は地の果てから雲を上らせ、雨のためにいなずまを造り、その倉から風を出される。51:17すべての人間は愚かで無知だ。すべての金細工人は、偶像のために恥を見る。その鋳た像は偽りで、その中に息がないからだ。……51:20「あなたはわたしの鉄槌、戦いの道具だ。わたしはあなたを使って国々を砕き、あなたを使って諸王国を滅ぼす。
★神様を畏れることなく侮るバビロンに対して、主はエレミヤを通して上の警告をあたえ、さらにイスラエルの民に、私は必ずあなたを回復し用いると約束されます。神様の召しと選びとはとこしえに変わることがありません。そしてあなたは神様の恵みによって選ばれ召し出されたのです。召された特権を感謝し今日一日のために心からの祈りをささげましょう。

■3ヨハネ1:2愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。1:3兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいるその真実を証言してくれるので、私は非常に喜んでいます。1:4私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。
★パウロはなんら照れ隠すこともなく、教会を愛する自らの思いを率直に伝えることができました。なんと自由な解放された霊を、主の恵みによって回復された人物でしょう。聖霊は信じる者の内に父の心、母の心を注いで下さるお方です。そうです。神様の御心は贖い出されたクリスチャンひとりひとりが、人を救いに導き、霊的な親として、魂の成長に関わることによって、かかわるその人自身がキリストに似た者として成熟に向かうことです。あなたは誰の救いのために仕えようとしていますか。ヒデ

金曜日, 12月 09, 2011

20111209_エレヤミ38_2ヨハネ1

■エレミヤ38:19しかし、ゼデキヤ王はエレミヤに言った。「私は、カルデヤ人に投降したユダヤ人たちを恐れる。カルデヤ人が私を彼らの手に渡し、彼らが私をなぶりものにするかもしれない。」38:20エレミヤは言った。「彼らはあなたを渡しません。どうぞ、主の声、私があなたに語っていることに聞き従ってください。そうすれば、あなたはしあわせになり、あなたのいのちは助かるのです。
★この時までに既に相当のユダヤ人がバビロンに投降していましたが、彼らにとって、ゼデキヤ王のバビロンへの抵抗は不利に働いたので、ゼデキヤ王は自分が降伏するなら、妬みをかった人々にきっと殺されるに違いないと恐れていたのです。そこにはエレミヤをとおして語られた神様の「大丈夫だ」との御声があったにもかかわらずです。私たちも神様に信頼するのか、自分の蒔いた種ゆえにそれに支配され、恐れに支配されるか、いずれを受けるか選択が迫られる時があるのです。神様を畏れ、恐れを打ち砕く決断をする者とさせて頂きましょう。

■2ヨハネ1:9だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。
★キリストの教えにとどまるとは、恵みの中にとどまる事で、その人には御父と御子の祝福が流れます。でも、もったいなく、また残念なことが時にあります。はじめは「私ではなく、神様の恵みです。」と謙虚に応える魂が、いつの間にか「私がやった」と、神様にお返しすべき栄光を自分が受ける誘惑に駆られ、せっかくの神様の祝福を失う魂を見ることがあるのです。神様から受ける報いの二重取りは決してありません。しかも神様は高ぶる者を退け、へりくだるものに恵みを与えられるお方です。どんな時にもキリストの内に留まりましょう。それこそが命なのです。ヒデ

木曜日, 12月 08, 2011

20111208_エレヤミ33_1ヨハネ5

■エレミヤ33:3わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。
★「あなたの知らない、理解をこえた大いなる事」とは神様をあなどるイスラエルへの審判とその後に来る回復についてです。その回復の様とは、「33:9 この町は世界の国々の間で、わたしにとって喜びの名となり、栄誉となり栄えとなる。彼らはわたしがこの民に与えるすべての祝福のことを聞き、わたしがこの町に与えるすべての祝福と平安のために、恐れおののこう。」と、まさに理解を越えた驚くべき内容です。神様はあなたを愛しあなたを祝福するとの確固たる約束です。それを留めるものは唯一、罪以外にありません。十字架を仰ぎ赦しの中を歩みましょう。

■1ヨハネ5:11そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。5:12御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。5:13私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。
★何のためにヨハネはこの手紙を記したのか。キリストを信じた人の内には永遠のいのちが既にあることを悟らせるためです。残念です。キリスト者の中にはキリストを信じても天国に行ける確信を持てていない人が当時あったと言うのです。あなたはどうですか。この確信こそがクリスチャンの究極の希望であり力、悪に支配されないために寄って立つ砦です。曖昧にすべきでありません。主からのチャレンジとして自分の確信を吟味しましょう。あなたが自由を生きるためです。ヒデ

水曜日, 12月 07, 2011

20111207_エレヤミ32_1ヨハネ4

■エレミヤ32:42まことに、主はこう仰せられる。「わたしがこの大きなわざわいをみな、この民にもたらしたように、わたしが彼らに語っている幸福もみな、わたしが彼らにもたらす。32:43あなたがたが、『この地は荒れ果てて、人間も家畜もいなくなり、カルデヤ人の手に渡される』と言っているこの国で、再び畑が買われるようになる。
★自分の息子さえ、自分の願望の成就のために生け贄にするイスラエルの偶像礼拝におぼれる様がこの章には描かれます。今まさにバビロンの王に自らの土地が奪われようとするその時、ひとりの人物はエレミヤのところに来て「私の土地を買って下さい」と。なんと都合のよい話し。しかし神様はエレミヤに「買い取りなさい。やがて私はこの国を再興する。そのための預言だ。彼らが私から離れることがいかに愚かなことを悟って私のもとに帰って来るとき、土地が売買されるほど国に自由がもたらされる時がくるのだ」と語られました。選ばれた民を捨てないため、どんなことをしても関わり愛そうとする神様がおられます。

■1ヨハネ4:9神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。……4:12いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。
★これほどまでに愛して下さった神様の愛に酬いる生き方は兄弟を赦し愛する生き方です。まだ裁いたままになっていて和解のために近づいたことがない。そんな関係があなたにはありませんか。聖霊様に励まされ一歩踏み出しましょう。誰かのためではありません。あなたが崇め慕うキリストにあなた自身が似るためです。主はユダに対してさえ「友よ」と呼びかけられ近づかれました。ヒデ

火曜日, 12月 06, 2011

20111206_エレヤミ29_1ヨハネ3

■詩篇29:11わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。主の御告げ─それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。29:12あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。29:13もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。29:14 わたしはあなたがたに見つけられる。─
★イスラエルに望む試練。しかしそこには隠された神様の愛が。なんとか立ち返って欲しい。神様ご自身を見出して欲しいとの。神様は「捜し求めるならあなたがたに見つけられる」と語られます。神様があなたを母の胎に造られた最初から、あなたへの計画は祝福でした。それを受け取って欲しいとの神様の願いです。神様を離れてその計画は成就しません。神様に飢え乾きましまう。神様に聞きましょう。

■1ヨハネ3:17世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。3:18子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。3:19それによって、私たちは、自分が真理に属するものであることを知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのです。
★主は「神を愛し、隣人を愛するこの二つの戒めが大切です」と語られましたが、律法は隣人を愛する一語(ガラ5:14)をもって成就されます。「自分と神様との関係、確かにそれは大切です。しかし隣人愛がなければ何の意味も無いのです。神様はあなたが内面の癒しにとどまることなく、世に愛による影響を与える人となることを願っておられるお方です。ヒデ

月曜日, 12月 05, 2011

20111205_詩篇118_エレヤミ24_1ヨハネ2

■詩篇118:6主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。118:7主は、私を助けてくださる私の味方。私は、私を憎む者をものともしない。118:8主に身を避けることは、人に信頼するよりもよい。118:9主に身を避けることは、君主たちに信頼するよりもよい。118:10すべての国々が私を取り囲んだ。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。118:11彼らは私を取り囲んだ。まことに、私を取り囲んだ。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。
★よき励ましの言葉、主への信仰の告白ですね。それにしても作者は何のためにこの告白をしたのでしょうか。自分の生活を守るために決めた枠を越えて入って来ようとするもののためでしょうか。それとも神様の恵み深さを宣べ伝えようと働くその状況においてでしょうか。

■エレミヤ24:5「イスラエルの神、主は、こう仰せられる。この良いいちじくのように、わたしは、この所からカルデヤ人の地に送ったユダの捕囚の民を良いものにしようと思う。24:6わたしは、良くするために彼らに目をかけて、彼らをこの国に帰らせ、彼らを建て直し、倒れないように植えて、もう引き抜かない。
★主は関わられるお方です。何の為に関わられるのか。あなたを良い者としたいと願うためです。あなたへの主の動機は愛、期待です。

■1ヨハネ2:1私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。
★人が死んだら全ての人が立つことになる神様が定めた審判の席において、最大の救いはキリストを受け入れた者の弁護者としてイエス様がたって下さる事。「私は彼のその罪のためにも十字架に掛かったのです」。その時はじめて本当の意味で人はキリストの救いの大きさと豊かさを知ることになるでしょう。ヒデ

日曜日, 12月 04, 2011

20111204_詩篇67_1ヨハネ1

■詩篇67:1どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。67:2それは、あなたの道が地の上に、あなたの御救いがすべての国々の間に知られるためです。67:3神よ。国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。
★神様の祝福を願い求めるイスラエルの姿がここに。その目的は「あなたの御名が全世界で崇められるためです。」とイスラエルは語ります。最もきよい祈り、大義の中に人間の罪深さは潜みます。自らの欲のために、聖なる神様のを御名を利用することがありませんように。神様はかかげられる大義と同時に私たちの動機も尋ねて下さり、約束の民が滅びることのないように導いて下さるお方です。主の愛と導きに感謝。

■1ヨハネ1:6もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいません。1:7しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。1:8もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。1:9もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
★9節の「その罪」とはどんな罪かを知ることは重要です。一般的な罪でも、誰かの罪でもありません。直球です。あなたが今神様と人の前に隠し持っているあなたの心にあるその罪です。主はなぜそれを指摘なさるのでしょう。赦す用意と根拠があるからです。永遠の滅びではない、永遠のいのちをあなたに選びとって欲しいとの願いがあるからです。あなたは主に愛されています。ヒデ

土曜日, 12月 03, 2011

20111203_詩篇105_ヨハネ21

■詩篇105:1主に感謝して、御名を呼び求めよ。そのみわざを国々の民の中に知らせよ。105:2主に歌え。主にほめ歌を歌え。そのすべての奇しいみわざに思いを潜めよ。105:3主の聖なる名を誇りとせよ。主を慕い求める者の心を喜ばせよ。105:4主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。
★神様によって造られた人間は、本来何を中心に生活すべきでしょう。主です。主に歌い、主にほめ歌を歌い、奇しいみわざに思いを潜め、主の名を誇りとし、主ご自身を慕い求めるなら、その人は主から必ず祝福されます。ハマルティアとはヘブル語の罪の意味ですが、語源は的を外すという内容です。そしてソロモンは箴言を最後に「伝12:13結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」と外してはならない的をまとめました。

■ヨハネ21:9こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。
★一時主の復活を喜ぶも、結果的にガリラヤに帰り漁をしている弟子たちに主が現れて下さった場面です。なぜガリラヤにと言うなら、「わたしはその人を知らない」と、3度主を裏切ったことが重荷となっていたペテロの心がそうしたのでしょう。主を裏切ったその時もペテロの前には炭火がおこしてあって、それに当たるふりをして主の弟子であることを彼はかくしていました。そんなペテロの重荷と悲しみを知ってか、主はこのところでも炭火をおこして待ち「あなたは私を愛するか」と尋ねて下さいました。裁くためではありません。愛するため。赦すため。励ますためでした。主はあなたの全ての過ちをしておられます。しかし責めてはおられません。そのための十字架です。ペテロ同様「主よ、あなたは私があなたを愛していることをご存じです」と申し上げましょう。そこから新しい人生が始まります。ヒデ

金曜日, 12月 02, 2011

20111202_エレミヤ35_ヨハネ20

■エレミヤ35:15わたしはあなたがたに、わたしのしもべであるすべての預言者たちを早くからたびたび送って、さあ、おのおの悪の道から立ち返り、行いを改めよ。ほかの神々を慕ってそれに仕えてはならない。わたしがあなたがたと先祖たちに与えた土地に住めと言ったのに、あなたがたは耳を傾けず、わたしに聞かなかった。35:16レカブの子ヨナダブの子たちは、先祖が命じた命令を守ってきたのに、この民はわたしに聞かなかった。』
★預言者を通して神様が嘆きを語られます。人が定めた戒めでさえレカブの子孫たちはこれを重んじるのに、どうしてあなたがたは私の言葉を重んじないのかと。神様は目に見えないので、その定めをまもり続けるのに困難が生じるのでしょうか。イエス様は、ある時「あなたがたは神のことばを差し置いて、人間の言い伝えを優先し、神の権威を無効にしている」と語られました。何にもまさって優先して受け取るべきは神のことばです。

■ヨハネ20:27それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
★なんとトマスは幸いでしょうか。最初に復活の主が現れたとき彼はその場にいなかったのです。喜びにあふれる他の弟子たち。しかし、彼はその中に心を開いて入ることが出来ませんでした。「わたしのいないときになぜ主は現れたのか?」そんな、さみしさや嫉妬にも似た気持ちが働いたのかも知れません。思わず「私の指を、手を釘あとに差し入れなければ信じない。」。しかし自分の気持ちを正直に訴える彼の前に主は現れて下さいました。主の前に自分を偽ることなくでる人は幸いです。その人に復活の主は出会って下さいます。ヒデ

木曜日, 12月 01, 2011

20111201_エレミヤ25_ヨハネ19

■エレミヤ25:5主は仰せられた。「さあ、おのおの、悪の道から、あなたがたの悪い行いから立ち返り、主があなたがたと先祖たちに与えた土地で、いつまでも、とこしえに住め。25:6ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んではならない。あなたがたが手で造った物によって、わたしの怒りを引き起こしてはならない。そうでないと、わたしもあなたがたにわざわいを与える。
★神様が忌み嫌われるもの、それは偶像礼拝。このことはこの箇所も、聖書全体を通しても明白です。ただ偶像の形はそれぞれ違います。要は真の神様以外でその人が依存し神にしようとするもの。しかも目に見えるものばかりでなく、目に見えないものも偶像となり得ます。神様はその罪と愚かさを止めさせるために、時に私たちの人生を震われます。頼りにならないものを神とし、その人が永遠に滅びる事がないためです。

■ヨハネ19:26イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます」と言われた。19:27それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。19:28この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。
★十字架上のイエス様の言葉です。「父よ彼らをおゆるし下さい」と祈られた主は「女の方、そこにあなたの息子が。そこにあなたの母がいます」と語られます。イエス・キリストは十字架上で罪の赦しと神の家族の回復、関係の回復のために祈られたのです。罪とは関係が切れる断絶です。キリストはその断絶を、ご自身のいのちの犠牲と愛によってひとつとするために来られました。和解の道を選び取る人は幸いです。ヒデ