火曜日, 5月 31, 2011

20110531_レビ23@3_詩篇24_使徒21

■レビ23:3六日間は仕事をしてもよい。しかし七日目は全き休みの安息、聖なる会合の日である。あなたがたは、いっさいの仕事をしてはならない。この日はあなたがたがどこに住んでいても主の安息日である。
★主はたとえそれがどんなに良いことであっても、奴隷になり下がってはならないと、ここで語られます。熱心な仕事もその一つです。サタンは2番目によいこと、すなわちベターに人を集中させる事によって、私たちが神様の御心を選び取ることを阻止しようとします。騙されてはなりません。

■詩篇24:3だれが、主の山に登りえようか。だれが、その聖なる所に立ちえようか。24:4手がきよく、心がきよらかな者、そのたましいをむなしいことに向けず、欺き誓わなかった人。24:5 その人は主から祝福を受け、その救いの神から義を受ける。
★主の山とはどこにあるのでしょう。その一つは主の語りかけに深く聞き入り、応答する祈りの中です。明け渡された、砕かれた心をもって御前に近づくその人に、主は豊かな恵みをもって報い返して下さいます。

■使徒21:13するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」と答えた。
★昨日に引き続き、取って付けたものではなく、パウロの内側に息づいていた価値観がここに……。パウロは御名のためなら死ぬことさえも覚悟していると語りましたが、あなたは御名のために何を考え、どんな決断の中に歩みますか。ヒデ

月曜日, 5月 30, 2011

20110530_レビ22@31-33_使徒20

■レビ22:32わたしの聖なる名を汚してはならない。むしろわたしはイスラエル人のうちで聖とされなければならない。わたしはあなたがたを聖別した主である。22:33あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から連れ出した者、わたしは、主である。」
★何が神様の前に「汚れ」かが具体的にこの章では紹介されます。しかしイスラエルは自分が神様に受け入れられるよう努力する必要があって聖を心がけるものではありません。既に主は「私があなたを聖別した」と神様の顧みの中に置かれているのです。だからこそ、生活の中で神様の御名を汚さないようにと、彼らは愛と感謝の動機で聖を求めるのです。それは贖われたクリスチャンにとっても同じで、受け入れられる為にではなく、既に受け入れられている自らゆえに、を動機として聖を求める人は幸いです。

■使徒20:35このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」
★聖霊様に示され死期を感じ「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」と語った最後のパウロの言葉が「受けるよりも与えるほうが幸い」であったことに、今日気づきました。終末のこの時代、主の教会とされたお互いは内向きであってはなりません。手をつなぎ合いましょう。出来ないことを数えるのではなく、どんなに小さいことであっても、できることを行動に移しましょう。それが自分の命をかけても惜しくない、命より価値あるものを見出した人の生き方です。ヒデ

日曜日, 5月 29, 2011

20110529_レビ19@1-4_詩篇13_使徒19

■レビ19:2「イスラエル人の全会衆に告げて言え。あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない。
★神様がここで語られる聖とはどんな意味でしょう。その意味がこの19章にはいっぱいです。「あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈ってはならない。収穫の落ち穂を集めてはならない。……貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。あなたの隣人をしいたげてはならない。かすめてはならない。日雇い人の賃金を朝まで、あなたのもとにとどめていてはならない。不正な裁判をしてはならない。弱い者におもねり、また強い者にへつらってはならない。あなたの隣人を正しくさばかなければならない。」……となお続きます。憐れみが神様のご性質であり、聖の中心的要素であることに目が開かれる時、私たちの生き方は変えられます。

■詩篇13:1主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。13:2いつまで私は自分のたましいのうちで思い計らなければならないのでしょう。私の心には、一日中、悲しみがあります。いつまで敵が私の上に、勝ちおごるのでしょう。
★あなたの霊に戦いを挑む敵のために、いつまでですかと訴えることのできる味方を持てる幸いは何と大きなことでしょう。それが神様を知るものに与えられる特権です。

■使徒19:2「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」と答えた。
★聖霊様に上から臨まれ、満たされる信仰生活があります。あなたは知っていますか。喜んで歓迎しましょう。聖霊様を。ヒデ

土曜日, 5月 28, 2011

20110528_使徒18

■使徒18:1その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。18:2ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、18:3自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。
★パウロの生涯の友となるアクラとプリスキラとの出会いです。コリント地方での出会いでしたが、彼らはパウロと共にエペソにも同行してくれ、更にパウロがガラテヤ地方を巡回するため旅立った後も、エペソに残って責任を果たします。どうしてこうした生涯の友が与えられたのでしょう。パウロが真剣に福音に仕えたからです。福音に生き、福音を語るとき、主は最高の友をあなたに与えて下さるお方です。「わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」と主は語られましたが、あなたの町にも真実な人生、直向きな人生を生きるために悔い改めたい、そう、あなたのような人生を生きたい、あなたの友になりたいと願っている人がいるのではありませんか。そのためにも尻込みしないで福音の為に立ち上がるあなたが必要です。あなたの町にも、あなたを必要としている、多く神の民があなたを待っているのです。ヒデ

金曜日, 5月 27, 2011

20110527_使徒17

■使徒17:24この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。17:25また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。17:26神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。17:27これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。 17:28私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。
★主の弟子パウロのアテネ、アレオパゴスにおける説教です。彼は「私たちは神の中に生き、動き、存在している」と語ります。それは天国、地獄もそんなに遠い所にあるものではなく、次元の違いであることをも教えます。お互いは目には見えませんが、まさに赦されて、神様の顔の前に歩ませて頂いています。心を込めて、「神様あなたによって生かされていること感謝します」とお祈りして一日をはじめませんか。ヒデ
水曜日の夜、無事に福島から帰りました。お祈り有り難うございました。

木曜日, 5月 26, 2011

20110526_レビ10@1-3_使徒16

■レビ10:1さて、アロンの子ナダブとアビフは、おのおの自分の火皿を取り、その中に火を入れ、その上に香を盛り、主が彼らに命じなかった異なった火を主の前にささげた。10:2すると、主の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、彼らは主の前で死んだ。10:3それで、モーセはアロンに言った。「主が仰せになったことは、こういうことだ。『わたしに近づく者によって、わたしは自分の聖を現し、すべての民の前でわたしは自分の栄光を現す。』」それゆえ、アロンは黙っていた。
★祭司の勤めの中心の一つが、かおりよき香をたく、すなわち神様への祈りをささげること。そこに混ざりものがあったのです。人に聞かせるためか、神様にささげるためか、心を見られる主の前に、偽りのない祈りをささげしましょう。

■使徒16:25真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。16:26ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。
★伝道旅行の中で悪霊に憑かれた婦人から汚れた霊を追い出したばかりに、その婦人を利用して金儲けをしようとした主人たちの手によってパウロとシラスは投獄の身に。ところが夜中、獄屋の戸が地震で崩れ落ち、いつでも出られる状況になったのです。何があったのでしょう。聖書はパウロとシラスが神様への賛美をささげていたと記します。人の目に支配されない、神様への賛美は地獄の門をも揺り動かします。神様への賛美と、ささげる祈りを用いて、あなたはこの地に神様の業を来たらす者となりました。ハレルヤ。ヒデ

水曜日, 5月 25, 2011

20110525_レビ9@23-24_使徒15

■レビ9:23ついでモーセとアロンは会見の天幕に入り、それから出て来ると、民を祝福した。すると主の栄光が民全体に現れ、9:24主の前から火が出て来て、祭壇の上の全焼のいけにえと脂肪とを焼き尽くしたので、民はみな、これを見て、叫び、ひれ伏した。
★ここには祭司の使命が明確です。神様の祝福を受け取るために聖所で神様に近づき、出て来て民を祝福します。それが祭司の使命、そのためにあなたは新約の祭司として召し出されました。このクリスチャンの特権を受け取り、アブラハムの子孫として、祝福の基となりましょう。

■使徒5:28聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。15:29すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上。」15:30さて、一行は送り出されて、アンテオケに下り、教会の人々を集めて、手紙を手渡した。15:31それを読んだ人々は、その励ましによって喜んだ。
★キリストの血潮の代価によって罪とこの世の法則から贖い出されたクリスチャンとはどんな人生を生きる人の事でしょうか。どんなに努力しても自分の力では守る事のできない律法に縛られ、敗北感と罪責感に生きる人でしょうか。いいえ、何が罪かを明確にして頂き、その罪からの赦しを、悔い改めと信仰を通してキリストから受け取り、自由を生きる人の事です。宗教の霊に支配される事から解放されましょう。そしてキリストを生きましょう。あなたは天の父なる神様の愛する娘、息子。誇りの娘、息子とされたのですから。ヒデ

火曜日, 5月 24, 2011

20110524_レビ5@1_使徒14

■レビ5:1人が罪を犯す場合、すなわち、証言しなければのろわれるという声を聞きながら──彼がそれを見ているとか、知っている証人であるのに──、そのことについて証言しないなら、その人は罪の咎を負わなければならない。
★弱い立場に立たされている者があり、その人を助けることのできる鍵を持ちながら、保身のために心を閉じることを私は喜ばないと主は語られます。主が預言者ミカを通して「人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」と語られた言葉を思い出しましょう。

■使徒14:22弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」と言った。
★主の弟子パウロは伝道旅行でルステラに訪れたとき、生まれながら足のきかない人を癒やします。しかしユダヤ人の反感を買った彼は石で打たれ半死半生の身に。いえ彼らは死んだ者と思って、パウロを町から引きずり出したのです。そんな中、上の御言葉はパウロが奇跡的に蘇らされたとき弟子たちに語った言葉です。「キリストの贖いは完成したのに、神の国に入るのになぜ多くの苦しみを受けなければならないのか。」これは私の敬愛するH牧師が救われた直後の青年の時、疑問を抱き教会の牧師先生に尋ねた言葉でもあります。その答えを水野源三さんは「もしも私が」と次に詩によって表現しました。
もしも私が苦しまなかったら神様の愛を知らなかった。多くの人が苦しまなかったら神様の愛は伝えられなかった。もしも主イエスが苦しまなかったら神様の愛は現われなかった。
昨日から福島で震災復興の奉仕をさせて頂いています。癒やしのため少しでも用いられるようにお祈り下さい。明日までです。ヒデ

月曜日, 5月 23, 2011

20110523_使徒13

■使徒13:2彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい」と言われた。13:3そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。
★福音が全世界に及ぶ、異邦人伝道の切っ掛けがここには鮮やかです。そして、それは神様の主権的介入と、人の率直な祈り、神様の語りかけに対する従順によって全うされます。神様は偉大なことを成されるとき、お一人だけではなく、人と共に、それ成し遂げようとなさいます。そうあなたと共に歩みたいと願う神の姿がここにあるのです。感謝しましょう。信頼しましょう。そして一歩を踏み出しましょう。クリスチャンがイエス様と共に歩む道とは、いずれにしてもいまだ一度も誰も通ったことのない、あなたの為に神様が備えて下さった道なのですから。ヒデ

日曜日, 5月 22, 2011

20110522_出エ40@34-38_詩篇15_使徒12

■出エ40:36イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。40:37雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。40:38イスラエル全家の者は旅路にある間、昼は主の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があるのを、いつも見ていたからである。
★神様が示された通りに幕屋をイスラエルの民が完成させたとき、主の臨在はそれを覆いました。そして記されている通り、昼は雲の柱、夜は雲の柱として自らを彼らに示し、イスラエルの民の行動規範となりました。あなたの行動規範はなんでしょう。気を付けるべきは、日曜日と週間を分け、日曜日だけの信仰生活にしてしまうことです。むしろ主の臨在を持ち運ぶ新約の祭司としてあなたは召し出されました。週間の生き方の中でこそ、キリストの御名が崇められるそれでありますように。

■詩篇15:1主よ。だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか。15:2正しく歩み、義を行い、心の中の真実を語る人。
★その人はそしらず、悪を言わず、損になっても立てた誓いは変えません。そして普遍の価値観をもつその人は、その価値観によって支えられ守られるのです。

■使徒12:11 そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。
★そうです。絶体絶命のはずの何重もの監視を逃れて救出された時、ペテロは気づきました。神の僕は使命のあるかぎり死なないこと、主に守られることを。御心を選び取り、そこに生きる価値観が一番安全です。ヒデ

土曜日, 5月 21, 2011

20110521_詩篇19_使徒11

■詩篇19:7主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。19:8主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。19:9主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。
★ダビデはこの詩を心の底から歌い、自らを陥れようとする一つ一つの罠から、神様の恵みによって自らを守りました。

■使徒11:17こういうわけですから、私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。」11:18人々はこれを聞いて沈黙し、「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」と言って、神をほめたたえた。
★「よりによってペテロは異邦人コルネリオに招かれて食事までした」との噂が広がったとき、ペテロは同胞のクリスチャンリーダーに、自ら経験した出来事を注意深く説明します。
自分自身、律法で汚れているとされる動物をほふって食べよという幻を見たこと。「ヨッパにいるペテロという人物を招け」との幻を見たコルネリオの使者の訪問と招きを受けたこと。招かれて行き、御言葉を語ったとき聖霊が異邦人にも下ったこと。
その結果、彼らは、神様の異邦人をも救おうとなさる御心をしっかり受け取れました。同じ神様は、本当に大切なことについてあなたにも同様に導いて下さいます。神様の愛を信頼しましょう。そしてのびのび歩みましょう。ヒデ

金曜日, 5月 20, 2011

20110520_使徒10

■使徒10:34そこでペテロは、口を開いてこう言った。「これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、10:35どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるのです。」
★今まで選民ユダヤ人に留められていた福音を、全人類の救いを願われる神様が、異邦人にも広げる為に働かれた事がここで豊かに紹介されます。では神様がとられた方法とはいかなる方法だったのでしょう。それはご自身の弟子ペテロの価値観を変える事でした。選民イスラエルであることに誇りを覚え、他の弟子たちに対しても大きな影響力をもつペテロ。神様はそのペテロに幻を見せ、更に神様を畏れる異邦人コルネリオを出会わせることを通して、ペテロが捕らわれていた今までの古い枠組みを取り除こうとされたのです。「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない」。その結果、ペテロは冒頭の御言葉を語ったのです。ペテロの柔らかな心と、砕かれた霊に脱帽です。
ここから、確かにそれは大切なこと。しかしいつまでもそのことに拘っていては、神の恵みが自分の所で留まってしまうことはないか。そんな視点でこの朝、神様に導きを求めてみてはどうでしょう。もし明確な導きがあるなら、ペテロのように、固執するよりも、神様の恵みによって明け渡し、むしろ変われる自分を感謝して、主に従うものであらせて頂きませんか。ヒデ

木曜日, 5月 19, 2011

20110519_出エ33_使徒9

■出エ33:13……この国民があなたの民であることをお心に留めてください。」33:14すると主は仰せられた。「わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。」
★有名な御言葉ですが、モーセが祭司として民の為に執り成す最中に、この御言葉が与えられたことは偶然ではありません。そう、神様は私たちが霊の親として魂を心に抱き、執り成しに向かうとき、最も近くいて下さるお方で、他でもないあなた自身に安息を下さるのです。思い煩いのため眠れないときがありますか、その時は愛する人のために是非執り成してください。あなたは主の平安に包まれ、よき睡眠が与えられるでしょう。
その時五本の指の祈りが助けになれば幸いです。
親指に象徴される祈り:父よ、あなたが○○さんを大切に思っていて下さることを感謝します。
人差し指に象徴される祈り:○○さんを訴えるサタンの働きをキリストイエスの御名によって縛る。
中指に象徴される祈り:聖霊様が一番深いところに届き、○○さんが罪を自覚でき、悔い改めへと導かれますように。
薬指に象徴される祈り:イエス様の愛が○○さんの心の深いところに注がれますように。
小指に象徴される祈り:この小さい私を○○さんのために用いて下さい。

■使徒9:40ペテロはみなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。そしてその遺体のほうを向いて、「タビタ。起きなさい」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起き上がった。
★執り成しの祈りを積み上げて行きましょう。主は確かに応えて下さるお方です。ヒデ

水曜日, 5月 18, 2011

20110518_出エ32_使徒8@1-25

■出エ32:30翌日になって、モーセは民に言った。「あなたがたは大きな罪を犯した。それで今、私は主のところに上って行く。たぶんあなたがたの罪のために贖うことができるでしょう。」32:31そこでモーセは主のところに戻って、申し上げた。「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。32:32今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら──。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」
★モーセがシナイ山に登り、神様から十戒を授かっている間に民は不安を感じ、目に見える神様の形を求めてアロンに偶像を造るように求めます。神様への畏れのなさゆえに、心定まらず、些細なことを恐れて愚かな行動をとる民。かたやモーセは自らのいのちを差し出して民の為に取りなします。あなたはどちらですか。神様が日本に足を付けられたこの終末の時代、新約の祭司が必要です。

■使徒8:20ペテロは彼に向かって言った。「あなたの金は、あなたとともに滅びるがよい。あなたは金で神の賜物を手に入れようと思っているからです。8:21あなたは、このことについては何の関係もないし、それにあずかることもできません。あなたの心が神の前に正しくないからです。8:22だから、この悪事を悔い改めて、主に祈りなさい。あるいは、心に抱いた思いが赦されるかもしれません。
★やはりこの朝のテーマは祭司としての執り成しです。あなたはイエス様によって祭司として召し出されたのです。そして復活の主はヨハネ20:23で語られました。「あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」と。あなたは誰を覚えて主の前に執り成しますか。ヒデ

月曜日, 5月 16, 2011

20110517_出エ29@44-46_使徒7

■出エ29:44わたしは会見の天幕と祭壇を聖別する。またアロンとその子らを聖別して、彼らを祭司としてわたしに仕えさせよう。29:45わたしはイスラエル人の間に住み、彼らの神となろう。29:46彼らは、わたしが彼らの神、主であり、彼らの間に住むために、彼らをエジプトの地から連れ出した者であることを知るようになる。わたしは彼らの神、主である。
★なぜエジプトすなわち奴隷生活からイスラエルを導き出したのか。その答えを「彼らの間に住むために」と神様ご自身がここに語られます。あなたが召し出された理由もそこにあります。その背後には神様の大いなるご期待があるのです。今日も一日祭司として遣わされたところで主の恵みを反映するあなたであれますように。祝福します。

■使徒7:55しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、7:56こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
★神様の恵みと力によって、民衆の中でめざましい奇跡としるしを行っていたステパノ。しかし宗教家は妬みの為に人々をそそのかし、彼は「モーセと神とを汚す言葉を吐くのを聞いた」と言わせます。その時のステパノの反論が7章の中心ですが、旧約聖書の中心メッセージをダイジェスト版で理解したい方は是非ここを直接読んで下さい。彼の聖書理解の素晴らしさに感嘆です。そして何より、どんな時にも神様の側に立ち続ける人の為には、神様ご自身が立ち上がって応援して下さることが、ここには明らかです。注意しましょう。人を恐れると罠に陥ります。ステパノのように歩みましょう。ヒデ

20110516_使徒6

■使徒6:7こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰に入った。
★あなたは福音が世界に満ちることに興味、関心がありますか。いえそれ以上に、それこそが私が生かされている意味と受け取っておられる人はありますか。あればその人は幸いです。なぜなら「全世界に出て行って造られた人に福音を述べ伝え、人々を弟子としなさい」とは、神様を愛する全ての人に救い主イエス様が語られた命令で、これこそ私たちが受け取るべき人生の究極の使命だからです。神様がお与え下さった究極の使命が宣教だからこそ、このことを尊ぶ人は神様から祝福されます。では初代教会(キリストを信じる人々の集まりで・建物ではありません)が優先したことは何でしょう。
それは「そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。」のとおり、助け合おうとする生き様と、そこから生じる問題に、真摯に向き合おうとする姿勢です。その中で使徒たちは「もっぱら祈りと御言葉」に取り組むことが出来ました。あなたこそが教会、キリストの身体です。自分がおかれた場所と立場、与えられている関係を用いて貢献の人生に生きましょう。イエス様と教会はあなたが必要です。ヒデ

日曜日, 5月 15, 2011

20110515_詩篇14_使徒5

■詩篇14:7ああ、イスラエルの救いがシオンから来るように。主が御民の繁栄を元どおりにされるとき、ヤコブは楽しめ。イスラエルは喜べ。
★イスラエルの王となったダビデは、造り主なる神様を認めず、偶像を利用し、結局のところ己を神とする他国の人々に対して「愚か者は心の中で、神はいないと言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行っている。善を行う者はいない。主は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。彼らはみな、離れて行き、だれもかれも腐り果てている。善を行う者はいない。ひとりもいない。」と叱責しつつ、冒頭の御言葉を語ります。神様を畏れるあなたの生涯に、主の繁栄が上から豊かに注がれますように。

■使徒5:28言った。「あの名によって教えてはならないときびしく命じておいたのに、何ということだ。エルサレム中にあなたがたの教えを広めてしまい、そのうえ、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしているではないか。」5:29ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。5:30私たちの父祖たちの神は、あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。
★迫害の中でのペテロの発言です。なんと力強く大胆なことでしょう。彼はかつて復活の主に触れた後も、自分の内面を見て、一度捨てた網を拾い、漁師に戻ることさえしたのです。ところがこの変化です。ただ神様の恵み、聖霊様の御力の偉大さを覚えましょう。聖霊様に触れられるとき、あなたは変わります。私も変われます。感謝です。共に満たしを求めて祈りましょう。ヒデ

土曜日, 5月 14, 2011

20110514_詩篇12_使徒4

■詩篇12:5主は仰せられる。「悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼を、その求める救いに入れよう。」12:6主のみことばは混じりけのないことば。土の炉で七回もためされて、純化された銀。
★不信と虚偽に満ちた社会を主はそのまま放置し続けることをなさらないお方です。主は神様を畏れるあなたのために立ち上がられます。エジプトからイスラエルを脱出させる時も、ステパノをご自身の元に迎えるときもそうでした。だから報復は主に委ね、混じりけのない主の言葉の内を歩みましょう。そうすれば、あなたを飲み込もうとする洪水も、飛び来る火矢も、あなたを滅ぼすことはできません。

■使徒4:12この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。4:13彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。
★ここから力強い人生を生きる秘訣を受け取りましょう。一言で言うと誰と共にあるかです。あなたが一緒にいる人にあなたは似、あなたが心開くその人の影響をあなたは受けます。主の弟子パウロは「私を強くして下さる方の力によって、私は何事でもすることができる」と語りました。主と共にあり続けるものでありましょう。その時あなたは嵐の湖の中にも立つことが出来、その嵐をキリストの御名の権威をもって静めることさえ出来るのです。ヒデ

金曜日, 5月 13, 2011

20110513_出エ20

■出エ20:2「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。20:3あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
★エジプトの奴隷生活からの脱出を果たし、自由人とされ、神様が下さった約束の地を目指すイスラエルに対して、神様がモーセを通して下さったもの、それがこの章に記された十戒です。実際には神様の指によって、神様ご自身が記して下さったと聖書は記します。何の為でしょう。神様がイスラエルを新たにご自身の奴隷にするためでしょうか。民をパロ以上に束縛するためでしょうか。いいえ、奴隷としてではなく、自由を与えられた者として生きるとは、どの様な生き方かを学ばせるためでした。そして民は与えられたこの十戒が良きものであることを理解しつつも、いざその基準に生きれないことを通して、罪の自覚と共に、自らが神でないことを教えられ、神様を仰ぐ者へと導かれていったのです。なんだ、これくらいの事なら自分の力と努力、および精神力で守る事ができるじゃないかという自信家で、自分の姿が全く見えない鼻持ちならない人がこの朝いらっしゃるでしょうか。もしいらっしゃったなら、その人は憐れです。反対にこの十戒を、自分の心を映し出す鏡とし、日ごとに足らなさを知らされつつも、赦され愛されていることを受止め、感謝して一日を始めることのできる人は何と感謝な事でしょう。「人」とはギリシャ語で「アンソローポス」と表現します。その意味は上を仰ぐ者。真に仰ぐべきお方を持つ人は幸いです。神様が下さる約束の地はその人のものだからです。ヒデ

木曜日, 5月 12, 2011

20110512_出エ14

■出エ14:12 私たちがエジプトであなたに言ったことは、こうではありませんでしたか。『私たちのことはかまわないで、私たちをエジプトに仕えさせてください。』事実、エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです。」14:13それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。14:14主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」
★エジプトの奴隷生活から430年ぶりに脱出したものの、後ろを振り向くとパロとその軍勢が追って来るのを見、前には紅海が広がっているのを見たとき、イスラエルの民の心は恐れに支配されて、冒頭の御言葉のようにモーセにつぶやきました。なぜつぶやいたのでしょう。彼らが見ていたものは何だったのでしょう。それは神様が下さった約束ではなく、目に見える現状でした。知ってください。神様に召し出された神様の民が見るべきものを。それは神様の約束です。主に向かって水の上を歩けたペテロも、いざ嵐に目を留めたとき恐れに支配され、おぼれそうになりました。この後、イスラエルの民は約束の地に向かう荒野の中、繰り返し、繰り返しこのことを神様から問われます。さあこの朝心を定めましょう。神様が託して下さった人生、何に目を留めて歩むのか。主は語られます。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。14:14主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」ヒデ

水曜日, 5月 11, 2011

20110511_出エ12_出エ13@17-22

■出エ12:21そこで、モーセはイスラエルの長老たちをみな呼び寄せて言った。「あなたがたの家族のために羊を、ためらうことなく、取り、過越のいけにえとしてほふりなさい。12:22ヒソプの一束を取って、鉢の中の血に浸し、その鉢の中の血をかもいと二本の門柱につけなさい。朝まで、だれも家の戸口から外に出てはならない。12:23主がエジプトを打つために行き巡られ、かもいと二本の門柱にある血をご覧になれば、主はその戸口を過ぎ越され、滅ぼす者があなたがたの家に入って、打つことがないようにされる。
★主がエジプト中の長子という長子を打つ。しかし門柱に小羊の血が塗られているのを見たなら、主はイスラエルの家の長子を裁き済みとして過越す。これがイスラエルをエジプトの王パロの手から解放する主の方法です。ではキリストが十字架上で、罪のない小羊として血潮を流されたのは何の為でしょう。あなたの罪が神様の前に既に裁き済みとされる為です。_あなたは赦されています。顔を上げてよいのです。あなたの造り主であり、全能者である方の救いです。感謝し、ただ信じて受け取ればよいのです。「神様、有り難うございます」と。

■出エ13:17さて、パロがこの民を行かせたとき、神は、彼らを近道であるペリシテ人の国の道には導かれなかった。神はこう言われた。「民が戦いを見て、心が変わり、エジプトに引き返すといけない。」13:18それで神はこの民を葦の海に沿う荒野の道に回らせた。イスラエル人は編隊を組み、エジプトの国から離れた。
★これがエジプトから脱出したイスラエルに対する神様の考えで、その結果、民はわれた紅海の中を通る経験をします。神様と共に歩む道、それは何の恐れもない人生ではありません。常に神様が共におられ神様の救いを見る最善のそれです。ただ主の真実に寄り頼み、踏み出しましょう。ヒデ

火曜日, 5月 10, 2011

20110510_出エ11_ルカ24

■出エ11:1主はモーセに仰せられた。「わたしはパロとエジプトの上になお一つのわざわいを下す。そのあとで彼は、あなたがたをここから行かせる。彼があなたがたを行かせるときは、ほんとうにひとり残らずあなたがたをここから追い出してしまおう。
★イスラエルを解放するようにと、主がモーセを用いてエジプト全土に様々な災いを下されますが、なおもパロは頑なで解放しようとはしません。しかし時が満ち、パロといえども遂にイスラエルを解放せざるを得ない状況が起る前に、主はモーセに上の御言葉を示されました。知ってください。主は愛する者に大事なことを隠して行うことはありません。創世18:17で「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。」とある通りです。安心しましょう。 あなたは神様に愛されています。ゆえにディボーションは尊ばれる価値があるのです。どうしても必要なことを必ず主は語って下さいます。

■ルカ24:15話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。24:16しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。
★復活の主の姿が描かれていますが、出エ11章と連動の箇所で、ここには大切なことを、愛する弟子たちに示そうとする主の姿が豊かです。なぜでしょう。神様のご計画は教会をこの世において「世の光、地の塩」として輝かせること。そうあなたはやはり神様の喜びと誇りの存在なのです。サタンとこの世の汚れた価値観にだまされて「私には価値がない」などと決して思ってはなりません。神様の愛を今朝も一杯に受け感謝しましょう。さあ今日一日の用意ができました。行ってらっしゃい。ヒデ

月曜日, 5月 09, 2011

20110509_出エ6@1-12_7@1-7_8@16-19_ルカ23@32-34

■出エ6:12しかしモーセは主の前に訴えて言った。「ご覧ください。イスラエル人でさえ、私の言うことを聞こうとはしないのです。どうしてパロが私の言うことを聞くでしょう。私は口べたなのです。」
★神様はこれからどのようにイスラエルの民をエジプトから脱出させようとしているかをモーセに語りましたが、その時の反応が上のモーセの言葉です。たとえどんなに素晴らしい人物でありましても、人にはそれぞれ弱さがあります。(本人がそれに気づいているかどうかは別ですが)神様はその事も知った上でモーセを召し出し、アロンという助けを与えて下さいます。あなたも同じです。神様はあなたを召し出す前から愛し、赦し、助けを与えて下さいました。しかもその最高の助けとは、友なるイエス様です。安心しましょう。最初からはあなたはゆるされているのです。神様はその上であなたが立ち上がることを願って下さるお方です。それが神様はうれしいのです。

■出エ7:1主はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたをパロに対して神とし、あなたの兄アロンはあなたの預言者となる。
■出エ8:16主はモーセに仰せられた。「アロンに言え。あなたの杖を差し伸ばして、地のちりを打て。そうすれば、それはエジプトの全土で、ぶよとなろう。」

■ルカ23:34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
★いかに多くの人は、していることの意味を分からずじまいのまま生きていることか、とこの箇所を読むことを許されるならば、その姿に気づかせ、そこからあなたを解き放って下さるのが、キリストによって語られた、この赦しの基準、物差しです。お互いは既にこの基準に目を開いて頂きました。感謝して一日を始めませんか。ヒデ

日曜日, 5月 08, 2011

20110508_出エ3

■出エ3:14神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた』と。
★『わたしはある』とは、召し出されたモーセが、神様の命を受けてイスラエル人のところに行く時「私が彼らに『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました』と言えば、彼らは、『その名は何ですか』と私に聞くでしょう。私は、何と答えたらよいのでしょうか。」と問うたとき、神様ご自身が、はじめて明らかにされたご自身の名前です。私たちは「有らせられているもの」。しかし、このお方は「有ってあるお方」。モーセに現れたこのお方が、やがて乙女マリヤのお腹を借りて受肉なさったイエス様とは誰が想像できたでしょう。しかしモーセの時代を経た1500年後に、確かにイエス様は、心頑なにする宗教家の前で「もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです」(ヨハ5:46)と、この時のモーセとの出会いを示唆して語られたました。
「有ってあるお方」による召命ゆえに、「足から靴を脱ぎなさい。」です。しかし、その召命は、私たちを有らせて下さっているお方の召命ですから、私たちが信頼し従順するなら、必ず全うされるのです。かつては自らの力でエジプトの不正から、同胞ユダヤ人を救おうと立ち上がったモーセは40歳、しかし神様は今や80歳となったモーセをこの時、ご自身の働きのために、ご自身の方法で召し出されます。神様により頼まなければ、生きて行けない荒野の経験は意味のないものではありません。むしろ荒野の中でこそ、事を成し遂げる人を作られる神様を覚えましょう。ヒデ

土曜日, 5月 07, 2011

20110507_出エ2@1-10_ルカ21

■出エ2:10その子が大きくなったとき、女はその子をパロの娘のもとに連れて行った。その子は王女の息子になった。彼女はその子をモーセと名づけた。彼女は、「水の中から、私がこの子を引き出したのです」と言ったからである。
★飢饉からエジプトを救った宰相ヨセフのことを知らない王がおこった時、エジプトに住むユダヤの民は、強いられる、あまりの奴隷生活の中、神様に叫び求めます。神様はいかにその叫びに耳を傾けたのでしょう。その応えが今朝の箇所です。ではモーセとあなたとの共通点は何でしょう。不思議な神様の選びによっての引き出しと、死の定めからの引き出しです。今あなたがこの箇所を開くのは偶然ではありません。神様はモーセを用いてユダヤの民をエジプトから脱出させました。では神様はあなたを用いて何をなさろうとしておられるのでしょう。細き主の御声を聞き、そこに生きましょう。さあ主の不思議を見る生涯の始まりです。

■ルカ21:33この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
★この箇所は「しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」と、イエス様の言葉が続きます。「天地は滅びるかも知れません」ではないのです。「滅びます。」です。その中で滅びないイエス様の言葉。そして私たちは世の終わりに、このお方の前に立つのです。主が成し遂げられた十字架の贖いの大きさと、主の言葉の重みを思いましょう。そして、この主の言葉を重んじ、そこに生きようと心を砕いているならあなたは何一つ恐れる必要はありません。ヒデ

金曜日, 5月 06, 2011

20110506_創世50_詩篇8_ルカ20@9-19

■創50:24ヨセフは兄弟たちに言った。「私は死のうとしている。神は必ずあなたがたを顧みて、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます。」50:25そうして、ヨセフはイスラエルの子らに誓わせて、「神は必ずあなたがたを顧みてくださるから、そのとき、あなたがたは私の遺体をここから携え上ってください」と言った。
★試練の中に置かれても常に人々に希望を示し続けたヨセフ。その彼は、こうして死んだ後にもエジプトに残るイスラエルの子らに、希望のメッセージを残すのです。あなたは常日頃から、まわりの人々にどんなメッセージを残し続けていますか。あなたの今日の決断が、点となり、やがて線となり、ついには面となるのです。あなたの日頃の決断が、やがて多くの人を包み込む希望のそれで有りますように。

■詩8:3あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、8:4人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。
★本当です。あなたは、私は何者なのでしょう。あなたは既にこの問いにふさわしい答えを見出されましたか。そしてあなたの人生は変えられましたか。

■ルカ20:14ところが、農夫たちはその息子を見て、議論しながら言った。『あれはあと取りだ。あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』
★ノアの時代、洪水で滅ぼされた人々の心がそのままここに描かれています。恩を売る愚かさに生きてはなりません。しかし恩は忘れるべきものではないのです。ヒデ

木曜日, 5月 05, 2011

20110505_ルカ19

■ルカ19:31もし、『なぜ、ほどくのか』と尋ねる人があったら、こう言いなさい。『主がお入用なのです。』」
■ザアカイをアブラハムの子孫として回復させ、エルサレムに登って王となるべく宣言するために、主イエス様が選ばれた乗り物は何だったのでしょうか。それは勇ましい戦車でもなければ、馬でもなく、ただ、まだ誰も乗せたことのないロバの子でした。主はこの世の力にものを言わせ、自らのもとに全てのものをひれ伏させることを願う王ではありません。一人子なる神、神ご自身でありながら「19:10人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」と語られたとおり、あなたを解き放つため、仕えるリーダーシップをもって来て下さったお方です。あなたは既にこのお方のために自分自身を解き放ちましたか。「なぜ、ほどくのか」と訴えるもう一つの内なる声に「主がお入用なのです」と宣言し、一歩踏み出すことを既になさいましたか。このお方こそ、あなたの生涯の全てを賭けるふさわしいお方です。ヒデ

水曜日, 5月 04, 2011

20110504_創世45_ルカ18@15-43

■創45:8だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。
★異母兄弟である10人の兄たちの妬みを買って、若くエジプトに売られたヤコブの息子ヨセフ。どれほど悔しさと悲しさのために涙を流したことでしょう。しかしファラオが見た、エジプトの豊作に続く飢饉の夢の解き明かしによって、一夜のうちに宰相に。上の御言葉は飢饉の中でエジプトに食料を買いに来た、自分を売った兄たちに対する言葉です。ヨセフは、どんな中にも、自分の人生の責任を神様と自分以外の者のせいにはしませんでした。これが試みを乗り切る秘訣です。神様は必ずあなたの生涯につじつまを合わせて下さるお方です。あなたは誰かのせいにすることによって、自分の人生を神様以外のものに投げ出してはなりません。

■ルカ18:24イエスは彼を見てこう言われた。「裕福な者が神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。18:25金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
■天国への道を自分で切り開くこと、人間にはできなくていいんです。だからこそ神様が必要です。人に求められるのは謙遜さです。ひざを屈め、遜って天国行きの十字架の門をくぐらせて頂きましょう。主よ、お金では解決できない問題があるゆえに、遜らざるを得ない時がありますから感謝します。ヒデ

火曜日, 5月 03, 2011

20110503_詩篇5_ルカ17@1-19

■詩5:8主よ。私を待ち伏せている者がおりますから、あなたの義によって私を導いてください。私の前に、あなたの道をまっすぐにしてください。5:9彼らの口には真実がなく、その心には破滅があるのです。彼らののどは、開いた墓で、彼らはその舌でへつらいを言うのです。5:10神よ。彼らを罪に定めてください。彼らがおのれのはかりごとで倒れますように。彼らのはなはだしいそむきのゆえに彼らを追い散らしてください。彼らはあなたに逆らうからです。
★神様は魂の深いところからの感情をあなたが御前に注ぎ出すことをゆるしておられます。どんな感情でもです。しかし報復は主に委ねなければなりません。それは主のなさること。注ぎ出すのです。後は正しい裁きをなさる方に委ねるのです。あなたは縛られてはなりません。

■ルカ17:17そこでイエスは言われた。「十人きよめられたのではないか。九人はどこにいるのか。17:18神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」17:19それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」
■どうやら今日のテーマは赦しです。なぜ赦さなければならないのでしょうか。相手の為ですか。確かにそれも否めません。しかし誰にもましてあなたのためです。神様は神様を畏れるあなたが憎しみに囚われて、祝福を受け取れなくなることに耐えられません。では、理不尽な扱いの中にもあなたを守る一番の秘訣は何ですか。感謝です。苦しければ、苦しい程、悔しければ、悔しい程、主の恵みを数えましょう。そして裁きを神様に委ねるのです。巧妙なサタンの策略の思うつぼに落ちてはなりません。ヒデ

月曜日, 5月 02, 2011

20110502_創世39_ルカ16@1-15

■創世39:2主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。39:3彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。
★「主がヨセフとともにおられたので……」この言葉はまさにヨセフの生涯を表す言葉です。エジプト行きの商隊に兄たちによって売られ、買い取られたパロの廷臣ポティファルの家においても、理不尽な言いがかりのために投獄された獄中においてもです。それゆえに彼は最終的に、一夜のうちに囚人からエジプトの宰相として召し上げられます。「主がヨセフとともにおられた」とは「ヨセフが主と共におることを第一優先とし続けた」と同じ意味です。あなたは新約聖書1ペテロ5:6に「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」とあるのをご存じですか。あなたを陥れようとする悪に屈してはなりません。主と共にあることを選びましょう。

■ルカ16:13「しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」
★何を人生の第一優先として置くか。これは創世記39と同じテーマで、価値観を扱う問題ですね。さて、あなたはどんな価値観を最優先となさるでしょう。祝福のためのその答えはイエス中心にあります。神様ならどうなさるだろう。イエス様ならこの問題にどう向かい、どの様な解決を願い、どんな具体的な行動、愛を示されるだろうか。この世の富はそれを実現するために、あなたを信頼して神様が託されたものです。生かしましょう。ヒデ

日曜日, 5月 01, 2011

20110501_創世37_詩篇7@9-10_ルカ15@1-7

■創世37:6ヨセフは彼らに言った。「どうか私の見たこの夢を聞いてください。37:7見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、しかもまっすぐに立っているのです。見ると、あなたがたの束が回りに来て、私の束におじぎをしました。」
★父に溺愛され、兄たちの妬みの対象であったヨセフ。にも関わらず、彼は上の御言葉のとおり、見た夢をそのまま兄たちに分かち合うのでした。悪気はないにしても、なんと人の気持ちの分からない、まだまだ幼いヨセフだことか。結果ヨセフは兄たちの怒りと妬みを買って、殺されはしないものの、エジプトに売られてしまいます。しかし不思議です。神様は夢見る人に将来を託されるのです。さあヨセフの生涯の始まりです。

■詩篇7:9どうか、悪者の悪があとを絶ち、あなたが正しい者を堅く立てられますように。正しい神は、心と思いを調べられます。7:10私の盾は神にあり、神は心の直ぐな人を救われる。
★ダビデの神様に対するこの確信、あなたはなぜ与えられたと思いますか。

■ルカ15:4「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。
★果たしてそうでしょうか。森は心が曲がっていると言われるかも知れませんが、私は全ての羊飼いが、99匹を残して1匹を探しに行くとは思いません。なぜならそこにはリスクがあります。探しに行くとするなら唯一迷った羊の側に立った時。その寂しさ、孤独、不安など。そうです羊飼いはその一匹の羊を気遣い愛していたのです。そして、それがあなたに向けられている主の心です。ヒデ