金曜日, 4月 30, 2010

20100430_申命17_伝道9_使徒8

■申命17:7 死刑に処するには、まず証人たちが手を下し、ついで、民がみな、手を下さなければならない。こうしてあなたがたのうちから悪を除き去りなさい。
★約束の地に於ける神の民の生き方は、無責任な言葉によって混乱を招くものであってはなりません。あなたは自分の発する言葉に責任を持たなければならないのです。そのあらわれが「まず証人たちが手を下し……」となったのです。愛を基とした共同体は無責任な発言によって命を失います。あなたの言葉が今日も責任を負い合おうとする正義の塩に味付けされた愛の言葉でありますように。

■伝道9:2すべての事はすべての人に同じように起こる。同じ結末が、正しい人にも、悪者にも、善人にも、きよい人にも、汚れた人にも、いけにえをささげる人にも、いけにえをささげない人にも来る。善人にも、罪人にも同様である。誓う者にも、誓うのを恐れる者にも同様である。
★同じ結末が全ての人に来るというこの事のゆえに、「それなら人生太く短く」と、人の心は悪と狂気に傾く傾向を持っています。しかし人は知らなければなりません。キリストが再び来られ、なされる最後の審判の時、全ての人はよみがえらされ、裁き主なるキリストの前に立つことを。その時あなたは「わが愛する者。さあ天国に。最も小さい者にしたのは私にしたのである」との御声を聞くのです。

■使徒8:36 道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。「ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」
★これはキリストの十字架を心を開いて受け入れることによって人は救われるという真理を知ったエチオピアの宦官の質問です。その答えは「あなたが心底から信じるならよいのです」でした。神様の恵みはいつも、そして今日も開かれているのです。あなたはもう洗礼の恵みにあずかられましたか。まだなら躊躇することなく大胆に信仰によって受けることをお勧めします。主はあなたの生涯を豊かに祝福して下さいます。ヒデ

木曜日, 4月 29, 2010

20100429_申命16_伝道8_使徒7

■申命16:16 あなたのうちの男子はみな、年に三度、種を入れないパンの祭り、七週の祭り、仮庵の祭りのときに、あなたの神、主の選ぶ場所で、御前に出なければならない。主の前には、何も持たずに出てはならない。
★神様はイスラエルの民に、自分の霊性の顧みと信仰の継承のために家族と共に過ごす時間を年3回必ず聖別するようにと3度の祭りを命じます。「いつでも良いので年に3回、時間のある時にこうした時を持ちましょう」では結局忙しく日々を過ごし、その時間の実現は難しいでしょう。あなたの年間計画にはこうした自らの霊性と家族の交わりを重んじた時間を既に組み込んでいますか。この時間の過ごし方は将来の為の良き種まきで、やがての日、必ず大きな祝福となってあなた返ってくるのです。

■伝道8:11悪い行いに対する宣告がすぐ下されないので、人の子らの心は悪を行う思いで満ちている。
★私たちは自由に人を愛し祝福する特権が与えられています。にもかかわらず現実は何と人とは損得に支配されて生きているのでしょう。罰せられず見つからなければ、どこかで抜けかけしてでも、不正な得を願う心があるのです。決して悪を羨んではなりません。その終着駅は滅びです。

■使徒7:55しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、7:56こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
★こう語ったばかりにステパノは殉教します。しかし「この罪を彼らに負わせないで下さい」とのステパノの最後の祈りは、迫害者サウロ(後のキリストの弟子パウロ)の心を砕きます。結局世界を変えるのは内にキリストの命を宿した者の祈りです。神様は今朝もあなたの祈りを重んじて下さいます。最後にここでステパノが語ったイスラエル史ほど的を得た豊かなものは新約聖書中ありません。時間を取って一度目を通されることをお勧めします。そうすればあなたは旧約聖書の概観を最も相応しいかたちで把握することが出来るでしょう。ヒデ

水曜日, 4月 28, 2010

20100428_申命15_伝道07_使徒05-06

■申命15:12もし、あなたの同胞、ヘブル人の男あるいは女が、あなたのところに売られてきて六年間あなたに仕えたなら、七年目にはあなたは彼を自由の身にしてやらなければならない。15:13彼を自由の身にしてやるときは、何も持たせずに去らせてはならない。15:15あなたは、エジプトの地で奴隷であったあなたを、あなたの神、主が贖い出されたことを覚えていなさい。それゆえ、私は、きょう、この戒めをあなたに命じる。
★あなたはかつての失敗や敗北または挫折と、そうした要素を、あなたの人生のマイナス要因と考えてはいませんか。もしそうならそれは違います。主はその経験をしたあなただからこそ、抱くことのできる思いやりがあるでしょうとここで語ります。かつて辛い中にありつつも、今こうして神様を愛し、前に向かって生きようとするあなた、そのあなたは人々の前で希望であり、そんなあなたを神様はまぶしく見つめて下さっています。

■伝道7:10「どうして、昔のほうが今より良かったのか」と言ってはならない。このような問いは、知恵によるのではない。
★誰でも抱きやすい思いです。でも神様は今もあなたが輝けるよう、あなたを助けたく願っておられるお方。あなたの中で何が昔と今と変わったのでしょう。あなたは環境に支配されてはなりません。受け身ではない能動的なあなたの生き方を主は決して忘れてはおられません。あなたもかつて主と共にペテロ同様、水の上を歩いたでしょう。

■使徒6:1そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。
★教会でもえこひいきや虐めまがいのことが起こります。信仰告白と同時に、必ずしも信者の心の全ての領域で罪が自覚されるわけではないからです。まだ自分の心で福音が届いていない領域に気づかされた時、そこに十字架を打ち立て、主の命の注ぎを受けましょう。ヒデ

火曜日, 4月 27, 2010

20100427_申命13-14_伝道06_使徒03-04

■申命13:9必ず彼を殺さなければならない。彼を殺すには、まず、あなたが彼に手を下し、その後、民がみな、その手を下すようにしなさい。13:10 彼を石で打ちなさい。彼は死ななければならない。彼は、エジプトの地、奴隷の家からあなたを連れ出したあなたの神、主から、あなたを迷い出させようとしたからである。
★彼とは民を主から離れさせようとする魔術師、預言者、夢見る者のことです。あなたはなぜ地獄は火で燃えているかご存知ですか。それは神様の怒りによってです。決して神様が赦されないもの、それが人を惑わす偶像礼拝です。偶像はあなたの人生に責任をとることはないのです。しかも偽預言者、魔術師の背後には悪霊の働きがあるのです。もしあなたが神様以外のものに密かに心ひかれ、礼拝しているなら断固それをイエス・キリストの御名によって断ち切らなければなりません。そうでなければその偶像があなたを滅びに至らせるのです。これは冗談ではないのです。ある人は示されネットゲームから手をきりました。

■伝道6:12 だれが知ろうか。影のように過ごすむなしいつかのまの人生で、何が人のために善であるかを。だれが人に告げることができようか。彼の後に、日の下で何が起こるかを。
★その人にとって何が善であるかを告げることができるのは神様以外にありません。あなたは神様の愛の計画の中、神様の御手によって形づくられました。神様に聞きましょう。

■使徒3:6すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と言って、3:7彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、3:8おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に入って行った。
★強められる必要があるのは人の内にある霊です。その時人は立ち上がることが出来ます。環境にだまされてはなりません。神様に近づき求めましょう。「主よ。私の内なる人を強めて下さい」と。ヒデ

月曜日, 4月 26, 2010

20100426_申命12_伝道5_使徒2

■申命12:23 ただ、血は絶対に食べてはならない。血はいのちだからである。肉とともにいのちを食べてはならない。
★エホバの証人はこの箇所をもって輸血はしてはならない。罪であると人々を組織の奴隷とします。いつの間にか「輸血」と「食すること」が同列に? けれどもこの章の最後でモーセは約束の地において「あなたがたは、私があなたがたに命じるすべてのことを、守り行なわなければならない。これにつけ加えてはならない。減らしてはならない。」とも語るのです。何と人は神の言葉に自分の思い、考え努力を付け足し、神の恵みと救いから遠ざかることでしょうか。福音を通り過ぎるといつの間にか私たちは組織や自らの考え思いの奴隷となってしまいます。自由を喜ぶために福音に留まることを学びましょう。

■伝道5:18見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。
★あなたは人生を楽しんでいますか。生かされていることを楽しんでいますか。喜び楽しんで良いのです。それが神様の願いです。だからこそ神様は人の生きづらさの原因を解決しようと御子キリストを遣わされました。

■使徒2:7 彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。 2:8 それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。
★聖霊なる神様が弟子たちに臨まれ、教会の誕生と共に起こったこと? それはバベルの塔の出来事によって乱された言葉の世界の回復で、下られた聖霊様は信者の中にわかり合える世界を回復したのです。聖霊様ご自身を求めましょう。それが祝福の生涯の要であり望みです。主は「パンを求めるのにヘビを与える親があるだろうか。まして天の父は求めて来る者になおさら、よきもの聖霊様を下さらないことがあろうか」と語られました。ヒデ

日曜日, 4月 25, 2010

20100425_申命10-11_伝道04_使徒01

■申命11:12そこはあなたの神、主が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、主が、絶えずその上に目を留めておられる地である。
★神様がモーセを通してイスラエルに約束された地は、さながらエデンの園のごとく潤った土地でした。聖書は最初の人アダムが神様の戒めを守りさえすれば、人は食べていくために働く必要はなかった。むしろ人は神様の栄光を現すために食し、一切の必要は満たされ供えられていたと主張します。そしてあなたはすでに約束の地、愛する御子イエス様の支配の中に移されました。それゆえ「主が絶えずその上に目を留めて」は成就したのです。信頼しましょう。そして約束の地で輝きましょう。

■伝道4:9ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。4:10どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。
★クリスチャンにとっても友は財産です。ことに信仰の友は。あなたが愛すればあなたはその人の友になることが出来ます。友の為に祈りその友情を深めるためにあなたは心掛けていることがありますか。

■使徒1:14 この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。
★教会の誕生が記された使徒行伝。神様の不思議がおこる背景には何があったのでしょうか。その答えがここにあります。祈りなくして不思議が起こった試しはありません。しかし心を合わせた祈りが神様にささげられる時、何が起こるのか。これまた使徒行伝のストーリーそのものです。信じましょう。祈りましょう。あなたが心を合わせて祈るその所に主は天の窓を開き祝福と御力を注がれるのです。主よ、現実に支配される者ではなく、祈りによって現実を変える人として下さい。ヒデ

土曜日, 4月 24, 2010

20100424_申命8-9_伝道3_ヨハネ20

■申命9:4あなたの神、主が、あなたの前から彼らを追い出されたとき、あなたは心の中で、「私が正しいから、主が私にこの地を得させてくださったのだ」と言ってはならない。これらの国々が悪いために、主はあなたの前から彼らを追い出そうとしておられるのだ。
★約束の地を前にしたモーセはくどいと思うほどに2回、3回このメッセージを繰り返します。「私が正しいから……」。くれぐれもそう思い込むことがないように、「主の恵みなんだ」と語るのです。立っていると思った瞬間に倒れてしまう私たちです。人はひと日の内にどれ程「全部私が……」と語る事でしょう。しかし我らは「私ではなく主が……」と、その栄光を主に帰す歩みをするのです。その報いは必ず主から来るのです。またうぬぼれは骨の腐りです。

■伝道3:14私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。
★神様とは文字通りこの通りのお方。そのお方がふたり3人が祈る祈りに耳を傾けて、私は聞くと仰って下さいます。どれほどに神様はご自身が贖い出した神の民を愛しているのでしょう。あなたもそのお一人です。

■ヨハネ20:25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と言った。
★仲間から復活の主に出会った報告を聞かされたトマス。「主は何でわざわざ私のいない時に御姿をあらわされたのか」その思いに捕らわれたトマスはもう素直な心を保つことができません。そして上の「……してみなければ決して信じない」との告白になったのです。失望感が人にもたらす影響の大きさを思います。そして人は時に勝手に失望し、勝手に自分を悲劇のヒロインにして、自己憐憫に陥り関係を絶ってしまうことがあるのです。トマスが本当のところ確認したかったのは何でしょう。主の愛です。トマスは「……してみなければ(主の愛を確かめてみなければ)決して信じない」と語ります。しかし主は「わたしは決してあなたを離れずあなたを捨てない」と語って下さるお方です。あなたは確かに主に愛されています。ヒデ

金曜日, 4月 23, 2010

20100423_申命6-7_伝道2_ヨハネ19

■申命7:22 あなたの神、主は、これらの国々を徐々にあなたの前から追い払われる。あなたは彼らをすぐに絶ち滅ぼすことはできない。野の獣が増してあなたを襲うことがないためである。
★主は約束の地に入ったなら直ちに罪深いカナン人をイスラエルに渡し、イスラエルが葛藤なく生活できるようにするとは語られませんでした。私たちの目に良いように見えても、必ずしもそれが私たちに益をもたらすとは限りません。今試練の中にある人がいますか。知って下さい。忍耐や、謙遜、柔和と言った品性は試練の中でしか育まれないのです。み言葉は「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」と語ります。神様の愛と真実に信頼しましょう。

■伝道2:25 実に、神から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができようか。
★「誰もできない」。しかしこの答えに到達するまでに、人はどれほどの時間を要することでしょう。「神様から与えられた人生を神様にあって楽しませてください」この祈りがあなたの祈りでありますように。

■ヨハネ19:28この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。
★十字架にかかられた主。このお方が「この後すべてのことが完了したのを知って……」と安堵なさった出来事とは何でしょう。それは「子よ、これはあなたの母です」との主の言葉に基づき、弟子ヨハネが、主の母マリヤを引き取った事でした。主の十字架の贖いの目的は、個人の罪からの救いと、神の家族の関係の回復です。永遠に存在するこの神の家族・教会の交わりを尊び、積極的にこの交わりの中であなたが輝きますように。ヒデ

木曜日, 4月 22, 2010

20100422_申命5_伝道1_ヨハネ17-18

■申命5:15あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主が力強い御手と伸べられた腕とをもって、あなたをそこから連れ出されたことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、主は、安息日を守るよう、あなたに命じられたのである。
★約束の地を前にしたイスラエルの民への指導者モーセの語りかけです。あのシナイ山で受けた十戒の一つ「安息日の覚えて聖とせよ」。
しかしここで新しい意味づけが。それは奴隷の悲惨を体験した者として社会的に弱い立場にある人たちへの思いやりでした。あなたが休まなければ、休めない人がいるのを知りつつ、あえてあなたはプレッシャーを掛けるようなことはしていませんか。あるは動き続けていなければ気が落ち着かず休めないと言ったことがありませんか。まずはキリストにあって、ありのままで赦されている自分自身を受け入れるのです。これが「福音を生きる」と言うことです。事実あなたはすでに赦され、受け入れられているのですから。

■伝道1:18実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す。
★「空の空。すべては空」との言葉をもって書き始められるソロモンの伝道者の書の最初の部分の結論です。何を為そうが、何を得ようが、そこに神様との関係、愛すべき人々との関係がなければ人の心は満足を得ることができず、虚しいとソロモンは語るのです。

■ヨハネ17:24父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。
★キリストは世の始まる前、すなわち永遠の初めから父なる神様との交わりの中におられた三位一体の子なる神様。そのお方があなたとの関係を結ぶために来られたのです。あなたは確かに愛されています。ヒデ

水曜日, 4月 21, 2010

20100421_申命04_箴言31_ヨハネ15-16

■申命4:2 私があなたがたに命じることばに、つけ加えてはならない。また、減らしてはならない。私があなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令を、守らなければならない。
★聖書の最後の書「ヨハネの黙示録」にも「わたしの言葉に付け加えても、減らしてもならない」との言葉が。なぜでしょう。聖書は神様が私たち人に向かって結んで下さった契約の書で、そこには、記されたとおりの祝福と酬いがあるからです。旧約はモーセを、新約はイエス・キリストを中保者としてたてられたのです。そしてこの為にモーセもイエス・キリストもいのちを懸けました。あなたはこの聖書の契約の言葉に信頼し、従順するなら必ず生きるのです。キリストがいのちを懸けられたこの契約は、あなたがいのちを懸けて従うのに足る神の言葉、契約です。


■箴31:29「しっかりしたことをする女は多いけれど、あなたはそのすべてにまさっている」と。31:30麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。
★ここには女性のみならず、全ての人が心に留めるべき真理が。箴言は最初から最後まで一貫し「主をおそれることこそが祝福」と語りかけます。あなたの関心はどこに向かっているでしょう。願わくは外見の麗しさや美しさにではなく、主をおそれることでありますように。

■ヨハネ15:5わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
★祝福の生涯の秘訣は自分の「努力」にではなく「関係」にあることに気づきが与えられることは幸いです。「努力」は疲れ、徒労に終わることも。しかし、いのち基づく関係は自然な流れの中で自ずと実を結ぶのです。あなたが何に信頼し誰とつながるか、それことが人生においてもっとも重要なテーマです。ヒデ

火曜日, 4月 20, 2010

20100420_申命03_箴言30_ヨハネ13-14

■申命3:28 ヨシュアに命じ、彼を力づけ、彼を励ませ。彼はこの民の先に立って渡って行き、あなたの見るあの地を彼らに受け継がせるであろう。」
★モーセが40年間夢にまでみた約束の地カナンが今や目の前の対岸に。モーセは思わず渡って行かせて下さいと主に願いましたが、主はヨシュアに託しなさいと語られました。ここまで頑張ったのになぜ。120歳でありつつもスゴぶる元気であったモーセ。しかしここから彼は人知れず神の元へと召されたのです。彼が失敗したからですか。不従順だったからですか。違います。主は最も人々が困難とする世代交代のモデルを最愛のモーセを通して私たちに示されたのです。「誰誰にはまだ任せられない。私が……についてはしなければ……」の思いにばかり捕らわれていては人を育てることは出来ません。任せることを前提に人を育てるのです。あなたは誰に関わりバトンを渡すべきでしょう。

■箴30:4だれが天に上り、また降りて来ただろうか。だれが風をたなごころに集めただろうか。だれが水を衣のうちに包んだだろうか。だれが地のすべての限界を堅く定めただろうか。その名は何か、その子の名は何か。あなたは確かに知っている。
★はい知っています。それは「子なる神・神の知恵たるキリストです」と答えられるあなたは何と幸いな事でしょう。確かに主はそんなあなたの生涯をご自身の御力によって完成して下さいます。

■ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
★人は道を通り、道を踏んで目的地に到達できます。主イエス様は「さあ私を踏んで、天国に入りなさい」とあなたの為に、神であるにも関わらず、遜って人となった下さったお方です。ヒデ

月曜日, 4月 19, 2010

20100419_申命2_箴言29_ヨハネ12

■申命2:30しかし、ヘシュボンの王シホンは、私たちをどうしても通らせようとはしなかった。それは今日見るとおり、彼をあなたの手に渡すために、あなたの神、主が、彼を強気にし、その心をかたくなにされたからである。2:31主は私に言われた。「見よ。わたしはシホンとその地とをあなたの手に渡し始めた。占領し始めよ。その地を所有せよ。」
★「強気になる。心頑なになる」とは、すなわち「聞く耳を持たない」ということで、決してよいことではなく、滅びを自らに招き入れる行為です。祝福を招き入れるならいざ知らず。そしてこの反応は約束の地に向かって進むイスラエルにとったヘシュボンの王シホンの行動です。恐れと妬みは人の心を頑なにします。あなたが自らの内面を見つめる時はこの視点で見つめ、痛んだところがあるなら惜しみなく恵みを注いで下さるイエス様の愛と命をそのところに迎え入れましょう。

■箴29:1責められても、なお、うなじのこわい者は、たちまち滅ぼされて、いやされることはない。
★扱われているテーマは申命記2章と同じです。「恐れと妬み」に、主のいのちを受けとりましょう。

■ヨハネ12:35イエスは彼らに言われた。「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。やみがあなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。12:36あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」
★この御言葉は今が「恵みの時」であることを知らせます。やがて永遠に損なわれることのない神の事業のために誰も働けなくなる夜が来るのです。生かされているのは今です。今日一日です。その為に、あなたのこの朝の決断が、悔いなき永遠のために祝福の決断となりますように。ヒデ

日曜日, 4月 18, 2010

20100418_申命01_箴言28_ヨハネ11

■申命1:7 向きを変えて、出発せよ。そしてエモリ人の山地に行き、その近隣のすべての地、アラバ、山地、低地、ネゲブ、海辺、カナン人の地、レバノン、さらにあの大河ユーフラテス川にまで行け。
★「向きを変えて」といよいよ神様が約束の地として示した下さったカナンに入る時がやってきました。ここに至るまでの40年。それは不信仰との決別のためにイスラエルが要した時間でした。信仰とはある時点で他のものにではなく、ただ神様にのみ信頼して一歩踏み出す行為です。その時あなたを押し流すはずの流はせき止められ、あなたの前で水が左右に分かれて行くのをあなたは見るのです。いつか知らないうちにではありません。主よ信じますと祈るあなたを、主は今日約束の地へと導いて下さいます。

■箴28:1悪者は追う者もないのに逃げる。しかし、正しい人は若獅子のように頼もしい。
★「追う者もないのに逃げる。」罪が人に求める代価がまさにここに。自己正当化のための言い訳と逃避のために休むことが出来なくなるのです。罪を犯して得することは何一つないことを知る人は幸いです。

■ヨハネ11:39 イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだ人の姉妹マルタは言った。「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。」
★「その石を取りのけなさい」主はラザロを甦らせるためにこう語られました。主の全能の力が足りないからではありません。不信仰の「石」は神の全能の御力さえ自らの内に働くことを留めてしまうからです。あなたには気づかされる「その」石がありますか。あれば感謝ですね。なぜならそれを取り除くことであなたは更に豊かに輝けるのですから。やはりあなたは神様の愛の中心です。ヒデ

土曜日, 4月 17, 2010

20100417_民数36_箴言27_ヨハネ9-10

■民数36:3 もし彼女たちが、イスラエル人の他の部族の息子たちにとついだなら、彼女たちの相続地は、私たちの父祖の相続地から差し引かれて、彼女たちがとつぐ部族の相続地に加えられましょう。こうして私たちの相続の地所は減ることになります。
★男子の相続者のないツェロフハデにとって娘の結婚によって、与えられた相続地を将来失なうかも知れないことは正直不安でした。共同体として生きる意味をここから教えられます。神様にある共同体とは確認すべきは確認し、それぞれの思いと不安をすなおに共有しつつ進む共同体です。あなたは自分の思いを押し殺してはいませんか。むしろ共同体を信頼し、あるいは教会が、そうした共同体になるように、まずあなたがその輪を広げませんか。価値ある歴史は勇気ある神の僕の一歩から造られます。心配はみんなあるのです。

■箴27:17鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。
★あなたが成功と向上を求めるなら、友の存在を脇に置いてはなりません。また「私には友など必要ない。それよりもっと……したい」との価値観を選んではなりません。それはやがて貪欲と孤独の中にあなたを突き落とします。友は待つものではなく、自分からなるものであることを知る人は幸いです。

■ヨハネ9:31神は、罪人の言うことはお聞きになりません。しかし、だれでも神を敬い、そのみこころを行うなら、神はその人の言うことを聞いてくださると、私たちは知っています。
★一人の名もない生まれつき盲人の青年、しかし何と大胆な。彼は当時の権威パイサイ人に対して上の言葉を語ります。しかしその背後には主イエス様の励ましが。あなたに必要なことは何でしょう。イエス様に触れて頂くことです。主に触れられた主の弟子パウロは「私を強くしてくださる方によって何事でもすることができる」と語りました。このお方が今朝もあなたの前に今おられるのです。さあ触れて頂きましょう。あなたは強められ、今日一日祝福の中を歩みます。ヒデ

金曜日, 4月 16, 2010

20100416_民数35_箴言26_ヨハネ8

■民数35:11 あなたがたは町々を定めなさい。それをあなたがたのために、のがれの町とし、あやまって人を打ち殺した殺人者がそこにのがれることができるようにしなければならない。
★神様はご自身の選びの民が住む約束の地カナンには、逃れの場所が必要であるあると語られます。その目的は12節で殺人者が、さばきのために会衆の前に立つ前に、死ぬことのないようにと記しています。誰であっても誤って犯した事柄の動機が明確になるまで守られなければなりません。また故意に過ちを犯した者は動機を誤魔化すことなく明らかにする責任を求められます。ここを誤魔化すことは益になりません。なぜなら十字架による完全な救いの完成以来、キリストは恐れる必要のない私たちの完全な逃れの町となって下さったのですから。大切なことは神様の前にはその動機を誤魔化さないこと。神様の前の正直者は決して馬鹿をみることはないのです。むしろあわれみを受けます。さあキリストの中に隠れ込みましょう。

■箴26:26憎しみは、うまくごまかし隠せても、その悪は集会の中に現れる。26:27穴を掘る者は、自分がその穴に陥り、石をころがす者は、自分の上にそれをころがす。
★この事を新約聖書では「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります」と警告します。神様は人の単なる行動ではなく、心からの変化をもたらして下さるお方であることを感謝しましょう。

■ヨハネ8:11 彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」
★なぜキリストは十字架に掛かられたのでしょう。あなたが当然負うべき罪に「赦し」を与えられたからです。律法は要求します。イエスよ「赦す」ことはいいが、その代価はいったい誰が払うのか。そしてキリストはその代価としてご自身の命を確かにささげられたのです。あなたは赦されています。ヒデ

木曜日, 4月 15, 2010

20100415_民数34_箴言25_ヨハネ7

■民数34:2「イスラエル人に命じて、彼らに言え。あなたがたがカナンの地に入るとき、あなたがたの相続地となる国、カナンの地の境界は次のとおりである。
★主は約束の地において一つ一つの部族のために相続地をそなえて下さっているお方。そしてキリストはあなたに、あなたのための場所を御国にそなえて下さるお方です。イエス様は語られました。「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです」と。あなたはイエス様にあって永遠に顧みられています。

■箴言25:15忍耐強く説けば、首領も納得する。柔らかな舌は骨を砕く。
★柔和さは弱さの象徴ではなく、霊の世界においては力であることを覚えましょう。柔和な人が最終的に勝利者となるのです。イエス様は語られました。「柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです」と。

■ヨハネ7:37さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。7:38わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
★あなたはあなたのために本気になって叫んで下さる方を何人お持ちですか。すでに親を天に送られた方は、果たしてそうした人を何人持てるでしょう。しかし主はあなたの祝福のために心を注ぎだして下さるお方です。あなたは確かに、あなたの為に真剣になって下さり、命を懸けて下さるお方を得たのです。主イエス様に感謝し、この一日もこのお方と一緒に歩みましょう。ヒデ

水曜日, 4月 14, 2010

20100413_民数33_箴言24_ヨハネ6

■民数33:1モーセとアロンの指導のもとに、その軍団ごとに、エジプトの地から出て来たイスラエル人の旅程は次のとおりである。
★あなたは自分の人生に大きな影響や変化をもたらした霊的な出来事を自分史として記したことがあるでしょうか。モーセは出エジプトからはじめて40年間荒野における宿営の地を書きしるし続けました。そうすることによって一つ一つの点が線となり、霊的に確かに神様の恵みがあることや、本来決断し進むべきところで不信仰に陥り留まってしまった事等教えられることがあります。一度、記してみませんか。神様の恵みの大きさに大いなる感謝をささげる事となるでしょう。
をことを知り信仰が強められることに

■箴言24:10もしあなたが苦難の日に気落ちしたら、あなたの力は弱い。
★気落ちする時ありますよね。しかしその時「私は……だ。しかし主は……することができるお方。」で、幾つかの文章を作り告白してみませんか。主は確かにあなたを引き上げあなたの心を軽くして下さるでしょう。

■ヨハネ6:60そこで、弟子たちのうちの多くの者が、これを聞いて言った。「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」
★なぜ人々はこの様な言葉を語ったのでしょう。それはイエス様が「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。私は天から下って来たパンです。あなたがたの父祖たちが食べて死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。……いのちを与えるのは御霊で、私があなた方に話したことは霊です」と語ったからです。あなたはこれをひどい言葉としますか。それとも「人は主のみ口からでる霊の言葉によって生きる」と更に神のことばに飢え渇き祈りの内に聖書を読み進めますか。そうするあなたはやがて必ず強められ、立ち上がる人となるでしょう。ヒデ

火曜日, 4月 13, 2010

20100413_民数32_箴言23_ヨハネ5

■民数32:4これら主がイスラエルの会衆のために打ち滅ぼされた地は、家畜に適した地です。そして、あなたのしもべどもは家畜を持っているのです。」32:5また彼らは言った。「もし、私たちの願いがかないますなら、どうかこの地をあなたのしもべどもに所有地として与えてください。私たちにヨルダンを渡らせないでください。」
★「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」とありますが、ここに記されたルベン族とガド族の言葉は非常に残念で、他のイスラエル10部族の心をもくじくものでした。神様がアブラハム語り、それ以来イスラエルが心に抱き続けてきた「乳と蜜の流れる約束の地」を前に、彼らは約束の地の手前のヨルダン川を前に、この地は「羊を飼うのに適しているので、私たちはこちらに留まりたい」と語ったのです。それは信仰による歩みと言うより、目に見える所に基づいた判断でした。確かに全ての人が強い信仰に生きることができる訳ではないでしょう。しかしあなたは折角信仰によって始めた歩みを、それ以外のもので完成しようとしてはなりません。しかも最後まで神様を信じ続けるなら、神様が責任を取って下さいますが、信仰による歩みを止めたなら、その責任は自分が取ることになるのです。

■箴言23:26わが子よ。あなたの心をわたしに向けよ。あなたの目は、わたしの道を見守れ。
★受肉前の「神の知恵たるキリスト」の言葉です。主はあなたに対して「わが子よ」と語られます。

■ヨハネ5:5そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。
★彼の長年の苦しみはいかばかりでしょう。主はそこに向かいました。あなたには長年の痛みと苦しみがありますか。今、主はあなたの前におられます。心を注ぎ出し主の慰めを受け取りましょう。ヒデ

月曜日, 4月 12, 2010

20100412_民数31_箴言22_ヨハネ4

■民数31:15モーセは彼らに言った。「あなたがたは、女たちをみな、生かしておいたのか。31:16ああ、この女たちはバラムの事件のおり、ペオルの事件に関連してイスラエル人をそそのかして、主に対する不実を行わせた。それで神罰が主の会衆の上に下ったのだ。
★国をも滅ぼす罪とは何でしょう「偶像礼拝」です。しかも、性的に不道徳な儀式を行うバールペオルに仕えるむすめ達をイスラエルは戦利品として、喜び持ち帰ったのです。人を生かすいのちの流れは「それで人は父と母を離れ二人の者は一体となるのである。二人は裸であったが恥ずかしいとは思わなかった」との自立した夫婦から以外にありません。神様は恵みによってこの関係を正し、修復し、祝福しようと為さるお方です。悪魔は様々な方法手段を用いてこれを破壊しようと近づきます。興味本位の情報に騙され翻弄されてはなりません。

■箴言22:26あなたは人と誓約をしてはならない。他人の負債の保証人となってはならない。22:27あなたに、償うものがないとき、人があなたの下から寝床を奪い取ってもよかろうか。
★「あなたの寝床さえ奪われるかも知れない」保証人になるとはそういうことです。ですから「なってはならない」と主は語ります。もしあなたがあげる覚悟があるなら別でしょう。いずれにしてもあなたのバウンダリー(他者と自分との境界線)の成熟度が試されます。あなたの生き方が愛に根ざしつつも、他者を誘惑と滅びから守るものでありますように。

■ヨハネ4:29「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。」
★過去の過ちに捕らわれ人間関係を結ぶことのできなかった女性が今や自ら人々の中へ。あなたにも過去の痛みがヒョッとすると心の中に残ったままといったことがありますか。その心の棘を抜き、励まし強めてくださるお方はイエス様です。恐れなく近づきましょう。ヒデ

日曜日, 4月 11, 2010

20100411_民数29-30_箴言21_ヨハネ2-3

■民数30:5もし父がそれを聞いた日に彼女にそれを禁じるなら、彼女の誓願、または、物断ちはすべて無効としなければならない。彼女の父が彼女に禁じるのであるから、主は彼女を赦される。
★祝福と命の流がここに顕著に記されています。父や牧師や主イエス様は束縛の為ではなく解放と保護のために立てられています。父たちよ。この責任を放棄してはなりません。そして責任の大きさゆえに御前に跪き、託された愛する者たちを守るのです。子たちよ、父なし子になってはなりません。主イエス様はいつでもあなたの保護者です。

■箴言21:2人は自分の道はみな正しいと思う。しかし主は人の心の値うちをはかられる。
★どんな時にあなたは「全部私が・私は絶対」と言う言葉を使いますか。正しい使い方は私ではく主の愛と真実に用いる時です。生かされている憐れみに、主を仰ぎ感謝しましょう。

■ヨハネ2:7イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。2:8イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。
★これはカナと呼ばれる地方の結婚式の一こまです。主の母マリヤが言いました。「来客を持てなすぶどう酒がなくなりました。」主イエス様が語られました。「かめに水をいっぱいに満たしなさい。」そしてしばらく後に「さあ今宴会の世話役のところに持って行きなさい」と。するとどうでしょう。水がぶどう酒に変えられたのです。同様に主は人を酔わせる愛が私の心からなくなったとき、心に愛を満たして下さるお方です。あなたはありのままの渇いた心をキリストのみ前に持ち出し、心満たして頂いた経験がおありですか。知って下さい。愛は自分の心の中で歯を食いしばって造り出すものではありません。注いで頂いた上からの愛でまず自らを潤し、その溢れる愛を他者と分かち合うべきものです。さあ遜りましょう。そして心を主の愛でいっぱいに満たして頂きましょう。ヒデ

土曜日, 4月 10, 2010

20100410_民数28_箴言20_ヨハネ1

■民数28:2「イスラエル人に命じて彼らに言え。あなたがたは、わたしへのなだめのかおりの火によるささげ物として、わたしへの食物のささげ物を、定められた時に、気をつけてわたしにささげなければならない。
★このあと具体的に日毎の朝と夕の常供のいけにえ、安息日ごとの、月の第1日に、年に一度の過越しの時には、更に初穂の日には聖なる会合をもってと続きます。すなわち常に主を目の前において生活することを聖書は神の民に勧めるのです。そして罪は魔が差すと言われるごとく、これらの間隙をぬって思わぬ小さな心のゆるみ、妬み、怒り、貪欲を用いて私たちを罪に陥れ、良心の呵責と挫折感に苛まさせるのです。心に留めましょう。だからこそ主は私たちの罪を赦すため十字架にかかって下さいました。自分を責める以上に主の赦しを信じ仰ぎましょう。主はあなたが赦しを受け取り、自由を生きることを願われます。

■箴言20:17だまし取ったパンはうまい。しかし、後にはその口はじゃりでいっぱいになる。
★サタンは常に罪の誘惑を仕掛けてきます。しかし決してその責任をとることはありません。悔いのない生涯のため異なる二種類のおもりを用いることを止めましょう。この章では2回そのことに対する警告を促します。

■ヨハネ1:29その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
★バプテスマのヨハネはイエス・キリストの本質を見てとり、上の言葉を語ります。人を外見だけで判断する人、ホントのところよく知らないのに多くを語り人にレッテルを付ける人、自分の内にある劣等感と不安から、常に人を引きずり落とす衝動にかられてさげすむ発言をする人と、人それぞれです。願わくはその人の良きところを発見し、それを励まし平和を作り出す人となれますように。ヒデ

金曜日, 4月 09, 2010

20100409_民数27_箴言19_ピリピ 3-4

■民数27:12ついで主はモーセに言われた。「このアバリム山に登り、わたしがイスラエル人に与えた地を見よ。27:13それを見れば、あなたもまた、あなたの兄弟アロンが加えられたように、あなたの民に加えられる。27:14ツィンの荒野で会衆が争ったとき、あなたがたがわたしの命令に逆らい、その水のほとりで、彼らの目の前に、わたしを聖なる者としなかったからである。」これはツィンの荒野のメリバテ・カデシュの水のことである。
★約束の地を目前になぜモーセは先に召天したアロン同様、召されなければならないのか。それは民が神様の前に不信仰の罪を犯したとき、怒りによって2度岩を打ち、私が水を出さなければならないのかと語り、神様を聖なる者としなかったためです。ここにはリーダーが受け取るべき驚くべき忠告が。リーダーはどんな時でも、不信仰に同調して神様をおとしめてはならないのです。むしろ神様を聖なるお方と肯定し、積極的により頼むことこそが求められているのです。感情的にではなく、あなたが置かれた場所で不信仰に陥らず神様を聖とすることはどんなことでしょう。

■箴言19:21人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。

■ピリピ3:20けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。3:21キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。
★当時の社会で誰より多くのライセンスと特権をあわせ持ったパウロ。にも関わらずなぜ彼はこの世に支配されず、またこの世にあぐらをかくことなく、ひたむきな人生を選択し続けることができたのでしょう。その理由がここに。彼は明確に自らの国籍を把握していたのです。その価値観は「私が父の家にいることをご存知なかったのですか」と語られた少年イエス様にも見られるものでした。ヒデ

木曜日, 4月 08, 2010

20100408_民数26 箴言18 ピリピ 1-2

■民数26:64しかし、このうちには、モーセと祭司アロンがシナイの荒野でイスラエル人を登録したときに登録された者は、ひとりもいなかった。26:65それは主がかつて彼らについて、「彼らは必ず荒野で死ぬ」と言われていたからである。彼らのうち、ただエフネの子カレブとヌンの子ヨシュアのほかには、だれも残っていなかった。
★非常な教訓に満ちた箇所です。そもそも7日間で行ける地に40年後やっとたどり着いたのはなぜでしょう。「無理。カナンの人々は強すぎる。私たちに勝てるはずがない」との不信仰でした。そしてその時に無理と語った人々は誰も約束の地を踏むに至らなかったのです。あなたが何かを考え、何かをしようとするその時、もし「無理」との思いが心によぎるなら要注意です。不信仰は可能な道もふさぐのです。志しは高く持つためにあります。そして主を見上げましょう。御心ならば必ず主は道を開いてくださいます。

■箴言18:1おのれを閉ざす者は自分の欲望のままに求め、すべてのすぐれた知性と仲たがいする。
★傷付けられた経験のある人はそれ以上傷付けられる事を恐れ心を閉ざし、結果自分を守ろうとする力の増幅から、わがまま貪欲に陥り、愚か者とならざるを得ない場合があります。それではあまりに払う代償が大きすぎます。心を神様に向けましょう。

■ピリピ2:6キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、2:7ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、2:8自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
★イエス・キリストはまぎれもなく神ご自身、ひとり子なる神です。あなたはこれを信じていらっしゃいますか。聖書信仰の約束と祝福とはこのパイプを通してこそ流れます。ヒデ

水曜日, 4月 07, 2010

20010407_民数24-25_箴言17_エペソ5-6

■民数25:1イスラエルはシティムにとどまっていたが、民はモアブの娘たちと、みだらなことをし始めた。25:2娘たちは、自分たちの神々にいけにえをささげるのに、民を招いたので、民は食し、娘たちの神々を拝んだ。25:3こうしてイスラエルは、バアル・ペオルを慕うようになったので、主の怒りはイスラエルに対して燃え上がった。
★なぜ主の怒りはイスラエルに対して燃え上がったのでしょう。モアブの娘がイスラエルの男達の心を偶像によってコントロールしようとしているのに、それに気づかずうつつを抜かしていたからです。偶像礼拝の恐ろしさは本来のいのちの流れ、愛の流れがゆがめられようとするにも関わらず、人をそのことに関して鈍感にさせ、注がれるべき神様の祝福の枠の外へ人を押しやり、秩序の破壊とその人の生涯を混乱に至らせることです。騙されてはなりません。あなたが利用しようとするならむしろ利用され遂に不安の中に投げ込まれるのです。偶像は決してあなたの生涯に責任をとってはくれません。離れましょう。

■箴言17:18思慮に欠けている者はすぐ誓約をして、隣人の前で保証人となる。
★人の前で等身大の自分より、さも大きく見せたいとの誘惑に負けてはなりません。むしろ愛の視点からその人との最善の関わりのため祈り求めることは大切です。

■エペソ5:25夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。5:26キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、5:27ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
★キリストが花嫁なる教会のために為したこと、それは花嫁なる教会を変えようとしたのではなく、自らを愛によって変えたこと。自分は動かず相手を変えようとすることは男のすべき事ではありません。男性方よ、心に主の愛を注いで頂きましょう。ヒデ

火曜日, 4月 06, 2010

20100406_民数22-23_箴言16_エペソ3-4

■民数22:5そこで彼は、同族の国にあるユーフラテス河畔のペトルにいるベオルの子バラムを招こうとして使者たちを遣わして、言わせた。「今ここに、一つの民がエジプトから出て来ている。今や、彼らは地の面をおおって、私のすぐそばにとどまっている。22:6どうかいま来て、私のためにこの民をのろってもらいたい。この民は私より強い。そうしてくれれば、たぶん私は彼らを打って、この地から追い出すことができよう。私は、あなたが祝福する者は祝福され、あなたがのろう者はのろわれることを知っている。」
★神様の民イスラエルを呪って欲しいと願うモアブの王バラク。なんと言う無知でしょう。相手の祝福を願えば、相手の祝福と共に自分自身も祝福をうけますが、呪いの場合は別で呪った呪いを自分自身が被ることになります。神様を求め、神様を愛そうとするあなたは決して人を呪ってはなりません。

■箴言16:3あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。
★言葉を変えると1羽のすずめも神様のみゆるしなしに地に落ちることはないと言うこと。握りしめる人生ではなく、完成者である神様に信頼する人生の尊さを覚えましょう。

■エペソ4:30神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。4:31無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。4:32お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。
★キリストの身体なる教会。教会そのものである「あなた」がめざす人格的ゴールがここに。それは心の優しい人になることです。あなたの正義感が振り回すものでなく、さやに納められたものであり、その行動が愛とあわれみに満ち溢れたものとなりますように。ヒデ

月曜日, 4月 05, 2010

20100405_民数20-21_箴言15_エペソ1-2

■民数20:10そしてモーセとアロンは岩の前に集会を召集して、彼らに言った。「逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から私たちがあなたがたのために水を出さなければならないのか。」20:11モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、たくさんの水がわき出たので、会衆もその家畜も飲んだ。20:12しかし、主はモーセとアロンに言われた。「あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。それゆえ、あなたがたは、この集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」
★何と言うことでしょう。地上の人の中で最も柔和な人と神様から言われたモーセ。しかしこの出来事を通して神様からの約束の地カナンにモーセは入れなくなったと言うのです。そもそも原因は民のつぶやきにありました。水のない荒野に来たとき「モーセは私たちを殺そうとしているんだ」と。モーセからして見れば「またか」との思いでしょう。この時神様は「岩に命じなさい。そうすれば私が岩からは水を出す」でした。しかし思わず、いえ、積もり積もった怒りの感情のせいかも知れません。モーセは岩に命じるのではなく、岩を打ち「私がこの岩から、あなたがたのために水を出さなければならないのか」との言動をとってしまったのです。水を出されるのは「モーセ」ではなく「主」でした。あなたはここから何を学ぶでしょう。1.日頃からの正しい感情処理の重要さ。あなたには日頃から何でも話せる信頼できる友やパートナーの存在がありますか。あればあなたは大いに守られます。2.リーダーの責任の重要さ。モーセが200万人を率いるリーダーでなければ贖うことができたかも知れません。先生、長と名の付く人は委ねられた力の用い方を吟味すべきです。3.「私が出さなければならないのか」。全ては主の恵みです。そのことを誰よりも承知していたのがモーセでした。人生の中が「私が……」の思いが心に込み上げて来たとき、この箇所を思い出しましょう。そして主のあわれみに寄りすがりましょう。ヒデ

日曜日, 4月 04, 2010

20100404_民数19_箴言14_ガラテヤ5-6

■民数19:13すべて死んだ人の遺体に触れ、罪の身をきよめない者はだれでも、主の幕屋を汚す。その者はイスラエルから断ち切られる。その者は、汚れをきよめる水が振りかけられていないので、汚れており、その汚れがなお、その者にあるからである。
★この章は「汚れる。汚れる。汚れる」と汚れで満ちています。そう聞かされるだけで心が暗くなります。重くなります。悲しくなります。一体どうすればいいんですか。そう叫びたい気持ちです。でも主は「わが心だきよくなれ」と命じて下さいました。そうしたら全てきよくなりました。律法は、汚れないように人を汚れから隔てることは出来ても、清くすること、いのちを注ぐことは出来ません。しかし主はいのちを注ぎ祝福に変えて下さいます。「わが心だきよくなれ」主よ、感謝します。

■箴言14:12人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。

■ガラテヤ6:7思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。6:8自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。6:9善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。6:10ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう。
★この箇所は聖書を読む全ての人が心に刻むべき法則です。読まない人にもこの法則は働きますが、読むことのできるあなたは何と幸せでしょう。人は蒔いた物を必ず刈り取るのです。例外はありません。悪に蒔けば滅び。いのちに蒔けば祝福を。これが物理ではなく霊の世界の法則です。だから法則の力と方向性およびその結果を変えることの出来るのは、唯一キリストの十字架の完全な贖いに基づく血潮の力以外にないのです。だからあなたは、悔い改めを通して、キリストの血潮による赦しの力を受け取り、人生の方向性を変え、キリストに従う道を選び取るのです。主は全てを働かせて益に変えて下さいます。ヒデ

土曜日, 4月 03, 2010

20100403_民数17-18_箴言13_ガラテヤ3-4

■民数17:5わたしが選ぶ人の杖は芽を出す。こうしてイスラエル人があなたがたに向かってつぶやく不平をわたし自身が静めよう。」17:6モーセがイスラエル人にこのように告げたので、彼らの族長たちはみな、父祖の家ごとに、族長ひとりに一本ずつの杖、十二本を彼に渡した。アロンの杖も彼らの杖の中にあった。17:8その翌日、モーセはあかしの天幕に入って行った。すると見よ、レビの家のためのアロンの杖が芽をふき、つぼみを出し、花をつけ、アーモンドの実を結んでいた。
★アロンの部族がイスラエル12部族から妬みをかったとき、主ご自身が弁護されました。あなたを弁護して下さるのも主です。このお方の前に歩みましょう。あなたの生涯に花を咲かせ、御霊の実を結ばせ1000代に渡る祝福を下さいます。あなたは新約の祭司アロンの職に召し出されたのです。

■箴言13:10高ぶりは、ただ争いを生じ、知恵は勧告を聞く者とともにある。

■ガラテヤ4:30しかし、聖書は何と言っていますか。「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。」4:31こういうわけで、兄弟たちよ。私たちは奴隷の女の子どもではなく、自由の女の子どもです。
★奴隷の女の子、自由の女の子とは何でしょう。自分の行いの正しさを主張して生きようとする生き方と、神の救いと赦しを信じ、その恵みと哀れみにより頼もうとする生き方を表します。そして神様は自分の正しい行い主張して生きようとする生き方をやめなさいと語るのです。なぜでしょう。その人は人を裁くことには長けるでしょう。あたかもそれは自分の方が勝っているかのごとくで、時には優越さえ感じるでしょう。しかし結局それは自分を孤独に追いやり、人との関係を断ち切ることになり孤立させ、遂には自分自身が人を裁いた計りで計りかえされ、結局自分自身のことを誰よりも見えてないのは自分自身であることを思い知らされるからです。あわれみは裁きに打ち勝つことを知る人は幸いです。ヒデ

金曜日, 4月 02, 2010

20100402_民数16_箴言12_ガラテヤ1-2

■民数16:1レビの子ケハテの子であるイツハルの子コラは、ルベンの子孫であるエリアブの子ダタンとアビラム、およびペレテの子オンと共謀して、16:2会衆の上に立つ人たちで、会合で選び出された名のある者たち二百五十人のイスラエル人とともに、モーセに立ち向かった。16:3彼らは集まって、モーセとアロンとに逆らい、彼らに言った。「あなたがたは分を越えている。全会衆残らず聖なるものであって、主がそのうちにおられるのに、なぜ、あなたがたは、主の集会の上に立つのか。」
★祭司として召されたモーセとアロンに妬みをおぼえたコラの言葉です。しかしこの時モーセとアロンは裁きを神様の御手に委ねました。その結果、主は地の口を開きコラに属するすべての者と、すべての持ち物とをのみこませました。あなたが地上に歩む間だ、必ず誤解や妬みは起こるでしょう。しかしそこで裁きは神様に委ねなければなりません。主は必ず正しく裁いて下さいます。

■箴言12:18軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。
★生涯の中で受けた傷がまだ癒されていないなら前者の言葉とならざるを得ないでしょう。しかしあなたの言葉が後者であることを祈ります。

■ガラテヤ2:20私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
★まさに信仰の奥義と言うべき箇所です。キリストを信じた時あなたの罪は十字架上のキリストの上に釘つけられ赦されましたが、あなたの罪深い自我の構造も実は一緒に十字架に神様は付けて下さっていたのです。そしてあなたは内に生きて下さっているイエス様によって生かされているのです。聖霊様が霊の目を開きこの奥義をあなたが受け取ることが出来ますように。ヒデ

木曜日, 4月 01, 2010

20100401_民数15_箴言11_ルカ24

■民数15:15一つの集会として、定めはあなたがたにも、在留異国人にも、同一であり、代々にわたる永遠の定めである。主の前には、あなたがたも在留異国人も同じである。15:16あなたがたにも、あなたがたのところにいる在留異国人にも、同一のおしえ、同一のさばきでなければならない。」
★神様はイスラエルが在留異国人を愛し、宗教的にも社会的にも同じ義務と権利で守られるようにしなさいと命じられます。なぜでしょう。それは「イスラエルよ。あなたたちはかつてエジプトで在留異国人として苦しい思いをしただろう」と言うのです。「私もかつて苦しめられたのだから、この人が苦しんでもいいんだ」ではありません。神様はあわれみ深いお方。そうして実は私たちもあわれみ深い神様に赦され受け入れられ愛され生かされているのです。

■箴言11:1欺きのはかりは主に忌みきらわれる。正しいおもりは主に喜ばれる。
★間違ってはなりません。貪欲が刈り取る報酬は滅びです。偏らない規準に生きれるよう主に求めましょう。

■ルカ24:6ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。
★これは安息日が明けるのをまって墓に葬られたイエス様の身体の処置をするため出かけた婦人達が遭遇した出来事で、御使いに上の言葉を語られたのです。「墓にはもはやいない。甦られた。」そうです。主は人類の最後の敵である死を墓の内側から、その死を蹴破って甦られたのです。それは復活のいのちの象徴です。今あなたは何かの困難に押しつぶされそうですか。行き詰まりを感じていますか。八方塞がりの状況ですか。大丈夫です。明確に心の内にキリストを迎えましょう。その時あなたの内におられるキリストは、あなたの内側からあなたを助け、復活の勝利をもってあなたの生涯を導くことのできるお方です。主はよみがえられました。ヒデ