金曜日, 4月 16, 2010

20100416_民数35_箴言26_ヨハネ8

■民数35:11 あなたがたは町々を定めなさい。それをあなたがたのために、のがれの町とし、あやまって人を打ち殺した殺人者がそこにのがれることができるようにしなければならない。
★神様はご自身の選びの民が住む約束の地カナンには、逃れの場所が必要であるあると語られます。その目的は12節で殺人者が、さばきのために会衆の前に立つ前に、死ぬことのないようにと記しています。誰であっても誤って犯した事柄の動機が明確になるまで守られなければなりません。また故意に過ちを犯した者は動機を誤魔化すことなく明らかにする責任を求められます。ここを誤魔化すことは益になりません。なぜなら十字架による完全な救いの完成以来、キリストは恐れる必要のない私たちの完全な逃れの町となって下さったのですから。大切なことは神様の前にはその動機を誤魔化さないこと。神様の前の正直者は決して馬鹿をみることはないのです。むしろあわれみを受けます。さあキリストの中に隠れ込みましょう。

■箴26:26憎しみは、うまくごまかし隠せても、その悪は集会の中に現れる。26:27穴を掘る者は、自分がその穴に陥り、石をころがす者は、自分の上にそれをころがす。
★この事を新約聖書では「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります」と警告します。神様は人の単なる行動ではなく、心からの変化をもたらして下さるお方であることを感謝しましょう。

■ヨハネ8:11 彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」
★なぜキリストは十字架に掛かられたのでしょう。あなたが当然負うべき罪に「赦し」を与えられたからです。律法は要求します。イエスよ「赦す」ことはいいが、その代価はいったい誰が払うのか。そしてキリストはその代価としてご自身の命を確かにささげられたのです。あなたは赦されています。ヒデ

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