木曜日, 7月 18, 2019

20190718_エペソ3

■1こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となった私パウロが言います。
5この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。
6その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。
19人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。
★パウロは、キリストを宣べ伝えたためにローマで自宅監禁されました。エルサレムの宗教指導者たちは、キリストの教えに脅威を感じ、キリストがメシャであると信じなかったので、パウロを逮捕し、反逆とユダヤ人の間に反乱を引き起こした罪で彼を裁判にかけるようローマ人に圧力をかけたのです。パウロは、自分の問題が皇帝に審理されるよう上訴したため、裁判を待っ身となっていました。パウロは、たとえ逮捕されていても、神様が自分の身に起こるすべてのことを支配しておられるという固い信仰を保っていました。

神様の計画は前の時代には啓示されていませんでした。それは、ご自分の民から何かを隠したかったからではなく、ご自身の完壁なタイミングですべての人に啓示なさろうとしたからです。神様は、ユダヤ人と異邦人に、1つのからだである教会を構成させることを計画されました。旧約聖書の中で、異邦人が救いを受けることは知られていましたが、異邦人とユダヤ人の信者すべてがキリストのからだにおいて等しくなるということは、決して啓示されていませんでした。しかし、イエス様が「敵意の壁」を打ちこわして「新しいひとりの人」を造り上げたとき (2:14、15)、この平等は成し遂げられました。民族的イスラエルの救いと異邦人クリスチャンの救いと言う2つの救いがあるのではありません。信仰によるアブラハムの子孫「神のイスラエル」としての1つの救いです。極端なユダヤ的解釈に陥り福音からそれることに注意しなければなりません。

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