土曜日, 6月 25, 2011

20110625_申命18_詩篇38_ガラテヤ2

■申命18:6もし、ひとりのレビ人が、自分の住んでいたイスラエルのうちのどの町囲みのうちからでも出て、主の選ぶ場所に行きたいなら、望むままに行くことができる。
★レビ部族の祭司たちは約束の地においても相続地は与えられていませんでした。なぜなら彼らの嗣業は主ご自身だからです。しかし、その働き場については自由なことがここに記されます。その理由は、彼らは各部族に仕えるために召し出されたのではなく、主に仕えるため、しかも唯一なる神様に仕えるために召し出されたからです。この視点が失われると部族主義、現代では教派主義、マイチャーチ主義に陥り、心は内向きになり力を失います。心の向きをこの朝点検しましょう。新約の祭司である私たちは皆、この地上に神様の支配をもたらすために、御国の拡大のために召し出されました。

■38:1主よ。あなたの大きな怒りで私を責めないでください。あなたの激しい憤りで私を懲らしめないでください。……38:4私の咎が、私の頭を越え、重荷のように、私には重すぎるからです。
★主のもとに行きましょう。そこには赦しがありますから。

■ガラテヤ2:14しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパにこう言いました。「あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活していたのに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いるのですか。
★パウロは自分のためではなく、福音が曲げられることに怒りました。あなたは何の為に怒りますか。この章の中心聖句「わたしはキリストと共に十字架に付けられた」が、そこで輝きます。ヒデ

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