水曜日, 6月 15, 2011

20110615_民数29@40_マルコ8

■民数29:40モーセは、主がモーセに命じられたとおりを、イスラエル人に告げた。
★この29章には、いかに礼拝をささげるべきかの規定、罪の赦しを受け取るために必要な様々な規定等が紹介されていますが、それは全て主が語られたことで、モーセはそれを民に忠実に告げたことが紹介されます。鍵の言葉は「主がモーセに命じられたとおりを……告げた」です。畏るべきお方へのピントがずれたり、自分の力が増し加わるとき、人は残念かな、神の言葉に自らの思いを付け加えたり、差し引いたり、裁判においては、力あるものには必要以上に強く当たったり、弱いものには、たとえ弱いものでも加えてはならない憐れみを加えたりと、コントロールの力が働きます。虐待のはじまりもここからでしょう。地上の誰よりも柔和な人と主から呼ばれたモーセの姿勢から学びましょう。

■マルコ8:34 それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。8:35いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。
★イエス様はここで明確に自分の命とは何かを語られます。それは守るものではなく使うもの。このことがぼかされると人生の目的である「貢献」から離れ、必要以上の健康志向や個人主義に陥り、空しい人生の終わりを迎えます。ろうそくはいのちをすり減らして輝きます。神様は使い残したお互いのいのちは数えられません。貢献の為にあなた自身がすり減らしたいのちを数え、それに酬いを加えて下さるお方です。偽りのこの世の価値観に騙されることなく、決断と信仰をもって世の光として輝きましょう。ヒデ

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