土曜日, 4月 23, 2011

20110423_創世19@15-16_詩篇3_ルカ7@1-35

■創世19:15夜が明けるころ、御使いたちはロトを促して言った。「さあ立って、あなたの妻と、ここにいるふたりの娘たちを連れて行きなさい。さもないと、あなたはこの町の咎のために滅ぼし尽くされてしまおう。」19:16しかし彼はためらっていた。すると、その人たちは彼の手と彼の妻の手と、ふたりの娘の手をつかんだ。主の彼に対するあわれみによる。そして彼らを連れ出し、町の外に置いた。
★神様が「さあ」と語られるとき、ためらってはなりません。そこには生死を分ける出来事と、従うものに対する憐れみの御手があるのです。ノアも、モーセとイスラエルの民も、乳呑児イエス様の暗殺をもくろむヘロデの手から逃れたヨセフとマリヤも、主の「さあ」との語りかけに迷うことなく従いました。主語りかけにためらいたくなる何かがあなたにはありますか。もしあれば、この朝それを、まず素直に主の前に告白しましょう。主はあなたの心を変える事のできる力あるお方です。

■詩篇3:4私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる。

■ルカ7:13主はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい」と言われた。★主とはいかなるお方でしょうか。一言で私たちの目から涙をぬぐって下さるために、いのちを掛けて神様の御心の道を選び取って歩んで下さるお方です。人生に迷ったら迷わずこのお方の御名を呼び求めましょう。このお方に信頼しましょう。このお方に従いましょう。その時あなたの目の涙はこのお方がぬぐって下さり、なくてはならないものをもって、このお方はあなたの人生を満たしてくださいます。ヒデ

0 件のコメント:

コメントを投稿