水曜日, 7月 20, 2011

20110720_ルツ1_詩篇61_2コリント5

■ルツ1:1さばきつかさが治めていたころ、この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘムの人が妻とふたりの息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。 1:2 その人の名はエリメレク。妻の名はナオミ。ふたりの息子の名はマフロンとキルヨン。
★この後、ナオミは夫に先立たれ、二人の息子は妻を迎えますが、何とその息子たちも共に死ぬのです。飢饉の中、知恵を出してモアブの地に出かけたナオミ家族。しかし今や夫も二人の息子も失うとは。しかしそれが結論ではありません。「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。」と語る嫁ルツを通して、神様の不思議が始まります。あなたは「なかなかの名案」と思ったことが失敗に終わり、そんな決断をした自分を責めたり、諦めたりしていることはないですか。たとえそうしたことがあっても言えることは、それが結論ではないと言うことです。神様は憐れみ深いお方、不思議をなさるお方です。

■詩篇61:2私の心が衰え果てるとき、私は地の果てから、あなたに呼ばわります。どうか、私の及びがたいほど高い岩の上に、私を導いてください。

■2コリント5:17だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
★主の救いにあずかる豊かさが鮮やかに語られます。その立場も、私たちを内側から動機づける思いも、あるいは受け取るべき使命も全く新しくされたのです。今や神の家族の一員であり、私のためにではなく、死んでよみがえった方のための人生となり、和解の使節として遣わされたものとなりました。ヒデ

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