金曜日, 7月 29, 2011

20110729_1サムエル15-16_マタイ1

■1サムエル16:6彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「確かに、主の前で油をそそがれる者だ」と思った。16:7しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」
★初代の王サウルは聖絶の問題で罪を犯しますが、「私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前で私の面目を立ててください。どうか私といっしょに帰って、あなたの神、主を礼拝させてください。」と、なお自らの面目を保とうとします。神様はその時、ダビデを新しい王に立てようと動かれます。その時の基準が上の御言葉です。外見ではなく内側。いかに神様を畏れ、民を愛そうとするか。あなたの内側を見て、酬いて下さるお方がいらっしゃいます。

■マタイ1:19夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。1:20彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
★人間が持つ愛と正義だけでは越えられない課題があります。まさにそのことがここに。ヨセフの苦悩はどれ程だったことでしょう。しかし、神様は正しい人(神様の義と憐れみを求め、そこに生きようとする人)を不思議に助け、真実を不思議な形で明らかにし、その課題を越えさせて下さるお方です。正しく生きようと願うゆえに、苦悩の中にある方がありますか。主を仰ぎましょう。主の助けを求めましょう。主が不思議な解決法を備えて下さいます。ヒデ

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