木曜日, 7月 05, 2012

20120705_士師記13-15

■士師記13:5見よ。あなたはみごもっていて、男の子を産もうとしている。その子の頭にかみそりを当ててはならない。その子は胎内にいるときから神へのナジル人であるからだ。彼はイスラエルをペリシテ人の手から救い始める。」
★マノアの妻にあらわれた主の使いの言葉です。この後マノアの妻はナジル人サムソンを産みますが、主の使いが語られたとおりにイスラエルを救うものとなります。あなたが心の内に迎え入れたキリストとの交わりを大切にしましょう。あなたの人生を完成へと導かれるのはまさにこのお方です。

■士師記14:19そのとき、主の霊が激しくサムソンの上に下った。彼はアシュケロンに下って行って、そこの住民三十人を打ち殺し、彼らからはぎ取って、なぞを明かした者たちにその晴れ着をやり、彼は怒りを燃やして、父の家へ帰った。
★サムソンの気性の激しさが描かれています。サムソンは宴会の席でなぞかけを持ち出しますが、その解き明かしに妻が脅されたことを知ったとき、彼は上の行動にでたのです。

■士師記15:14サムソンがレヒに来たとき、ペリシテ人は大声をあげて彼に近づいた。すると、主の霊が激しく彼の上に下り、彼の腕にかかっていた綱は火のついた亜麻糸のようになって、そのなわめが手から解け落ちた。15:15サムソンは、生新しいろばのあご骨を見つけ、手を差し伸べて、それを取り、それで千人を打ち殺した。
★その名を「不思議」と呼ばれる主の使いがイスラエルに立てた裁き司サムソン。まさにイスラエルをペリシテ人の手から救い出す方法は不思議です。あなたは神様の救いのパターンを自分の考え、枠の中に押し込み受けとろうとしていませんか。神様の偉大さと豊かさの中を生きましょう。ヒデ

水曜日, 7月 04, 2012

20120704_士師記10-12

■士師記10:14行け。そして、あなたがたが選んだ神々に叫べ。あなたがたの苦難の時には、彼らが救うがよい。」……10:16彼らが自分たちのうちから外国の神々を取り去って、主に仕えたので、主は、イスラエルの苦しみを見るに忍びなくなった。
★バアル、アラム、シドン、モアブ、アモン、ペリシテの神々とありとあらゆる神々と霊的姦淫をなすイスラエルへの主の言葉です。こんな破廉恥極まりないイスラエルからさえ、命に至る悔い改めを引き出そうとされる主の心に触れましょう。どんなことがあっても主は、そのご自身の愛のご性質ゆえに、イスラエルを捨てることができないのです。

■士師記11:30エフタは主に誓願を立てて言った。「もしあなたが確かにアモン人を私の手に与えてくださるなら、11:31私がアモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る、その者を主のものといたします。私はその者を全焼のいけにえとしてささげます。」
★イスラエルを救おうと立ち上がったエフタは主の前に十分な思慮のないまま誓願を立てます。結果、一人娘をいけにえとしてささげることに。神様はあなたに将来への約束を望んでおられるのではなく、今日の従順を願われるお方です。

■士師記12:1エフライム人が集まって、ツァフォンへ進んだとき、彼らはエフタに言った。「なぜ、あなたは、あなたとともに行くように私たちに呼びかけずに、進んで行ってアモン人と戦ったのか。私たちはあなたの家をあなたもろとも火で焼き払う。」
★他の人を侮辱することや嫉妬することは、自分がのけ者にされているように感じる時の正しい反応ではありません。それは滅びを身に招きます。まず自分の側に落ち度、自己本位な考えがなかったか主に求めましょう。ヒデ

火曜日, 7月 03, 2012

20120703_士師記8-9

■士師記8:26ギデオンが願った金の耳輪の目方は金で一千七百シェケルであった。このほかに、三日月形の飾りや、垂れ飾りや、ミデヤンの王たちの着ていた赤紫の衣、またほかに、彼らのらくだの首の回りに掛けていた首飾りなどもあった。8:27ギデオンはそれで、一つのエポデを作り、彼の町のオフラにそれを置いた。すると、イスラエルはみな、それを慕って、そこで淫行を行った。それはギデオンとその一族にとって、落とし穴となった。
★ミデヤンとの戦いの勝利を感謝し、主によき動機でささげものをしようとしたギデオン。しかしそれが民にとっては偶像礼拝に繋がる誘惑となるとは。神様への感謝と信仰を形にすることの難しさを覚えます。計画を立てて決断する時、この視点に立って、問題を起こす可能性を主に聞き、その要素を取り除くことは大切です。

■士師記9:53そのとき、ひとりの女がアビメレクの頭にひき臼の上石を投げつけて、彼の頭蓋骨を砕いた。9:54アビメレクは急いで道具持ちの若者を呼んで言った。「おまえの剣を抜いて、私を殺してくれ。女が殺したのだと私のことを人が言わないように。」それで、若者が彼を刺し通したので、彼は死んだ。
★権力に目が眩み、自分の兄弟70人さえ殺したアビメレクの生涯の結実です。人は権力を求めますが、その権力が、権力を用いているはずの人を飲み込み、支配してしまうことの恐ろしさを覚えます。彼が最初に力を求め民に語った言葉は「どうかシェケムのすべての者に、よく言って聞かせてください。エルバアルの息子七十人がみなで、あなたがたを治めるのと、ただひとりがあなたがたを治めるのと、あなたがたにとって、どちらがよいか。私があなたがたの骨肉であることを思い起こしてください。」ですが、その動機を神様に尋ねることをしなかったのです。力を神様に求めるものでありましょう。ヒデ

月曜日, 7月 02, 2012

20120701_士師記6-7

■士師記6:11さて主の使いが来て、アビエゼル人ヨアシュに属するオフラにある樫の木の下にすわった。このとき、ヨアシュの子ギデオンはミデヤン人からのがれて、酒ぶねの中で小麦を打っていた。6:12主の使いが彼に現れて言った。「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」
★ミデアン人の侵略からイスラエルを救うために主は裁き司としてギデオンを立てます。ミデアン人を恐れ、酒ぶねの中に隠れて穀物を打つギデオン、しかもギデオンの臆病さはそればかりではありません。幾度も主を試すのです(17-2337-40)。しかしそんな彼に、主は「勇士よ。」と語りかけられます。臆病さが問題ではありません。主があなたを強くされるのです。

■士師記7:2そのとき、主はギデオンに仰せられた。「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、わたしに向かって誇るといけないから。
★神様がミデアン人を滅ぼし完全な勝利をイスラエルに与えようとしたとき、神様の心の中心にあったことは、イスラエルを高慢の罪から守る事でした。民が成熟に至らず、まだ幼い時、主がもたらしてくださる勝利であっても、彼らの心に湧き上がる思いとは「私がやった。自分で救った」です。主は愛のゆえに、その高慢から生じる刈り取りを民にさせたくなかったのです。そして主はこの時300人の信仰の精鋭を用いてイスラエルに勝利をもたらします。「栄光は主のもの」。常にこの様に告白するあなたでありますように。ヒデ

日曜日, 7月 01, 2012

20120701_士師記3-5

■士師記3:15イスラエル人が主に叫び求めたとき、主は彼らのために、ひとりの救助者、ベニヤミン人ゲラの子で、左ききのエフデを起こされた。イスラエル人は、彼を通してモアブの王エグロンにみつぎものを送った。
★「主に叫び求めたとき」はいい言葉です。しかしどの様な背景の中で叫び求めるに至ったかは問われるべきです。その結果は偶像礼拝と堕落です。しかもこの章だけでも同じことがパターン化され2回も繰り返されているとは。いとも簡単に、なぜこんなにもイスラエルは堕落するのでしょう。あなたはどうしてだと思いますか。

■士師記4:4そのころ、ラピドテの妻で女預言者デボラがイスラエルをさばいていた。
★聖書には国を治める地位についた何名かの女性のことを記します。その中でも特にすぐれているのがこのデボラです。彼女の品性と決断力を見れば確かに神様が彼女を召されたことは明白です。神様はご自身の民を導くためには老いも若きも、男でも女でも誰でも思うままに召し出すことができるのです。そして神様はあなたを召し出しておられるのではないですか。あなたは自分を偏見で判断してはいけません。

■士師記5:31「主よ。あなたの敵はみな滅び、主を愛する者は、力強く日がさし出るようにしてください。」こうして、この国は四十年の間、穏やかであった。
★4章でイスラエルに勝利をもたらした女預言者デボラは、イスラエルのこれまでの敗北と勝利の歴史を歌にして、神様の恵みと、敗北の原因を民にしっかりと悟らせます。そして賛美をもって神様に近づくイスラエルは、この後40年間国を平安に保つのです。「数えて見よ。主の恵み」とありますが、恵みをあなたが数えるとき、あなたは自分ではない、恵みによって保たれている自分自身を発見することになるでしょう。ヒデ

土曜日, 6月 30, 2012

20120630_士師記1-2

■士師記1:1さて、ヨシュアの死後、イスラエル人は主に伺って言った。「だれが私たちのために最初に上って行って、カナン人と戦わなければならないでしょうか。」
★ヨシュアが死ぬと、その地を支配する力は、イスラエルから失われて行きます。民は偉大な指揮官の軍事的戦術を失っただけでなく、神様と神様の目的に焦点を合わせるようにと導く霊的なリーダーも失ったのです。ヨシュアがモーセの後継者であることは確かなことでしたが、ヨシュアには確かな後継者がいませんでした。強力なリーダーシップのもとでは依存的になりがちですが、神様は次のステップにおいて、一人一人が神様によって自立し、割り当てられた地を神様にあって治めることを願われたのです。さあなお取るべき地多しです。

■士師記2:18主が彼らのためにさばきつかさを起こされる場合は、主はさばきつかさとともにおられ、そのさばきつかさの生きている間は、敵の手から彼らを救われた。これは、圧迫し、苦しめる者のために彼らがうめいたので、主があわれまれたからである。2:19しかし、さばきつかさが死ぬと、彼らはいつも逆戻りして、先祖たちよりも、いっそう堕落して、ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んだ。彼らはその行いや、頑迷な生き方を捨てなかった。
★悲しいイスラエルの現実です。イスラエルは約束の地において自分たちのこの現実を受けとめ、そこから神様に叫び求め、自分自身が変えられる以外に道はないのです。全てが恵みによって導かれたイスラエル。さてイスラエルはそのことにいつ気づきが与えられるでしょう。ヒデ

木曜日, 6月 28, 2012

20120629_ヨシュア記22-24

■ヨシュア記22:11イスラエル人はこういううわさを聞いた。「ルベン族、ガド族、およびマナセの半部族が、カナンの地の国境、ヨルダン川のほとりの地、イスラエル人に属する側で、一つの祭壇を築いた。」
★イスラエル12部族がみな割り当て地を得るまで、ヨルダン川の東に割り当て地を得ていた2部族半は戦い抜きます。そんな彼らをヨシュアは「この長い間、あなたがたは同胞を捨てず……」と賞賛をもって送り出します。にもかかわらず、ヨルダン川に着くやいなや、彼らが祭壇を築くとは。一触即発の事態の発生です。しかし長老達が彼らから話しを聞くと、彼らが築いたのは偶像の祭壇ではなく、自分たちの子孫がやがて同胞から忘れられないかとの心配から築いた記念の塚でした。人とは皆例外なく思い込みやすい者、先走りせず、柔和な心をもって物事に当たることの尊さを覚えさせられます。

■ヨシュア記23:14見よ。きょう、私は世のすべての人の行く道を行こうとしている。あなたがたは、心を尽くし、精神を尽くして知らなければならない。あなたがたの神、主が、あなたがたについて約束したすべての良いことが一つもたがわなかったことを。それは、一つもたがわず、みな、あなたがたのために実現した。
★どこまでも民の心を主の恵みに向けようとするヨシュアの晩年の言葉です。

■ヨシュア記24:15もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」
★何とか民を祝福に導きたいと願う、有名なヨシュアの言葉です。自由のなかでどんな道を選ぶか私たちも問われています。ヒデ

20120628_ヨシュア記19-21

■ヨシュア記19:51これらは、祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュア、およびイスラエル人の部族の一族のかしらたちが、シロにおいて会見の天幕の入口、主の前で、くじによって割り当てた相続地であった。こうして彼らは、この地の割り当てを終わった。
★12部族全部の割り当て地が決まるまで一致を保ち続けたイスラエル。神様は「割り当て」という価値観を通して部族内の絆を深めさせ、かつ固有の特権とそれに似合う責任を求め、人々を成長へと導きました。この「割り当て」は、現代においては「バウンダリー」(境界線)と表現できるかも知れません。あなたは他者に引きずられることなく、また排除することなく、他者との関係に良いバウンダリーが引けてますか。

■ヨシュア記20:9これらは、すべてのイスラエル人、および、彼らの間の在留異国人のために設けられた町々で、すべて、あやまって人を殺した者が、そこに逃げ込むためである。会衆の前に立たないうちに、血の復讐をする者の手によって死ぬことがないためである。
★神様は逃れの町を設けることを設けることを通して、ご自身がいかなるお方かを、約束の地のただ中で明らかになさいました。この神様を越えて、人は自らを神とし、裁き人になってはなりません。報復を主の手に委ねることによって、自ら罪に陥ることから身を守る、これがイスラエルに求められる神様からのメッセージでした。

■ヨシュア記21:3それで、イスラエル人は、主の命令で、彼らの相続地から、次の町々とその放牧地とをレビ人に与えた。
★民に代わって神様に仕えるレビ人の相続地は約束の地全土に振り分けられ、そこに行くのに丸一日掛かることはほとんどありませんでした。そしてあなたもレビ族としてこの時代に召し出されました。ヒデ

水曜日, 6月 27, 2012

20120627_ヨシュア記16-18

■ヨシュア記16:10彼らはゲゼルに住むカナン人を追い払わなかったので、カナン人はエフライムの中に住んでいた。今日もそうである。カナン人は苦役に服する奴隷となった。
15:63,17:12にもと、ここに記された短いフレーズが折に触れて出て来ます。「彼らは追い払わなかったので……」。結果このことは、これからのイスラエル国家に多くの問題を引き起こす原因となりました。なすべきことが明らかなとき、迷いや情に流されることは禁物です。神様からの励ましによって立つべき所に立ちましょう。

■ヨシュア記17:14ヨセフ族はヨシュアに告げて言った。「主が今まで私を祝福されたので、私は数の多い民になりました。あなたはなぜ、私にただ一つのくじによる相続地、ただ一つの割り当て地しか分けてくださらなかったのですか。」
上のヨセフ族の直訴に対するヨシュアの答えは以下です。「もしもあなたが数の多い民であるなら、ペリジ人やレファイム人の地の森に上って行って、そこを自分で切り開くがよい。エフライムの山地は、あなたには狭すぎるのだから」。受け身だったヨセフ族にとってこの答えは彼らの霊の目を開くものでした。神様への完全な依存はキリストに繋がると言う意味において絶対です。しかしそれは心を内向きにと言う意味ではありません。あなたの信仰姿勢はどうでしょう。

■ヨシュア記18:3そこで、ヨシュアはイスラエル人に言った。「あなたがたの父祖の神、主が、あなたがたに与えられた地を占領しに行くのを、あなたがたはいつまで延ばしているのか。
17章のヨセフ族だけではありません。他の7部族はまだ出て行くことが出来ていませんでした。人が成熟に向かって踏み出す困難さとその必要を思います。励まし合って進みましょう。ヒデ

火曜日, 6月 26, 2012

20120626_ヨシュア記12-15

■ヨシュア記12:1イスラエル人は、ヨルダン川の向こう側、日の上る方で、アルノン川からヘルモン山まで、それと東アラバの全部を打ち、それを占領したが、その地の王たちは次のとおりである。
★この章は1-11章までの要約です。民が主に信頼し、従っている時、勝利につぐ勝利と、神様がご自身約束して下さった通りになって行くことが描かれます。神様への最高のささげもの、それは従順であることを学びましょう。

■ヨシュア記13:1ヨシュアは年を重ねて老人になった。主は彼に仰せられた。「あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている。
★「取るべき地なお多し」。キリストの花嫁としてキリストに似る者へと召された私たちも同じです。自分で自分に満足するとき、成長は止まります。主の愛への応答の生涯を完成しましょう。

■ヨシュア記14:12どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。あの日、あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう。」
★ヨシュアと共に荒野を生き残って約束の地に入ったもう一人の人物カレブの言葉です。85歳となった今も主への従順は少しも変わりません。確かに主はその愛によって信じる者の内なる人を日ごとに新しくしてくださるのです。

■ヨシュア記15:16そのとき、カレブは言った。「キルヤテ・セフェルを打って、これを取る者には、私の娘アクサを妻として与えよう。」
★カレブの娘をめとったオテニエルがやがて最初のさばきつかさに。こうして主への従順の信仰が引き継がれました。ヒデ

月曜日, 6月 25, 2012

20120624_ヨシュア記9-11

■ヨシュア記9:14そこで人々は、彼らの食料のいくらかを取ったが、主の指示をあおがなかった。
★神様はイスラエルにカナンの居住者とはどんな契約も結んではならないとしていましたがヨシュアは「非常に遠くから私たちは来ました」の言葉を受けて、主に聞くことなく、自分たちの判断で彼らと同盟関係を結んでしまいました。新しい状況に直面するときこそ、そこには罠が仕組まれているかも知れないとの視点は大切です。

■ヨシュア記10:11彼らがイスラエルの前から逃げて、ベテ・ホロンの下り坂にいたとき、主は天から彼らの上に大きな石を降らし、アゼカに至るまでそうしたので、彼らは死んだ。イスラエル人が剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった。
★イスラエルがカナンに住むことを願う以上に、イスラエルがカナンを治めることを主が願っておられることを感じさせられる文面です。いかに神を畏れる民が約束の地で増え広がることを願っておられることか。あなたが願う以上に、あなたを助けようとしてくださる神様がおられることを感謝しましょう。

■ヨシュア記11:23こうしてヨシュアは、その地をことごとく取った。すべて主がモーセに告げたとおりであった。ヨシュアはこの地を、イスラエルの部族の割り当てにしたがって、相続地としてイスラエルに分け与えた。その地に戦争はやんだ。
★イスラエル12部族は心を合わせ、こうして約束の地を勝ち取ります。これで先にヨルダン川の東側の土地を求めた2部族半も自分たちに嗣業として与えられた地に帰ることができます。彼らはこの戦いを通して、神様を畏れ心一つにすることの尊さの意味を受けとったのです。ヒデ

日曜日, 6月 24, 2012

20120624_ヨシュア記5-8

■ヨシュア記5:15すると、主の軍の将はヨシュアに言った。「あなたの足のはきものを脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。」そこで、ヨシュアはそのようにした。
★ヨシュアはヨルダン川を渡り、約束の地カナンに入ったものの、高くそびえるエリコの城壁を前に非常な圧迫感の中にいました。その時語られたのが上の言葉です。自らの戦いと思っていたヨシュア。しかし主はまた、「これは主の戦い。私は軍の将として来た」とも語られました。あなた一人で戦っているのではないことを知る人は幸いです。

■ヨシュア記6:20そこで、民はときの声をあげ、祭司たちは角笛を吹き鳴らした。民が角笛の音を聞いて、大声でときの声をあげるや、城壁がくずれ落ちた。そこで民はひとり残らず、まっすぐ町へ上って行き、その町を攻め取った。
★神様の民には神様民としての戦い方があることを教えられます。

■ヨシュア記7:20アカンはヨシュアに答えて言った。「ほんとうに、私はイスラエルの神、主に対して罪を犯しました。私は次のようなことをいたしました。7:21私は、分捕り物の中に、シヌアルの美しい外套一枚と、銀二百シェケルと、目方五十シェケルの金の延べ棒一本があるのを見て、欲しくなり、それらを取りました。それらは今、私の天幕の中の地に隠してあり、銀はその下にあります。」
★隠されている小さな侮り、不従順が全体に敗北をもたらします。それらは神様の前に決して小さくはないのです。

■ヨシュア記8:26ヨシュアは、アイの住民をことごとく聖絶するまで、投げ槍を差し伸べた手を引っ込めなかった。
★偶像礼拝がいかに主の前に罪かを教えられます。ヒデ

土曜日, 6月 23, 2012

20120623_ヨシュア記1-4

■ヨシュア記1:2「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。
★モーセの死を30日間悼んだイスラエルに主は「モーセは死んだ。さあ立って……」と語られます。悲しむべきを悲しみ、悔いるべきを悔い、嘆くべきを嘆かなければ、新たな一歩を踏み出せない場合があります。あなたは踏み出すべき所なのに、踏み出しきれず、何かに留まったままと言うことはありませんか。

■ヨシュア記2:18私たちが、この地に入って来たなら、あなたは、私たちをつり降ろした窓に、この赤いひもを結びつけておかなければならない。また、あなたの父と母、兄弟、また、あなたの父の家族を全部、あなたの家に集めておかなければならない。
★ヨシュアが遣わした二人の斥候をかくまってくれたラハブへの約束です。赤いひも、それは天においては信仰によって信者に塗られたキリストの血です。その記しによって滅びから救われます。

■ヨシュア記3:15箱をかつぐ者がヨルダン川まで来て、箱をかつぐ祭司たちの足が水ぎわに浸ったとき、……塩の海のほうに流れ下る水は完全にせきとめられた。民はエリコに面するところを渡った。
★約束の地への入り方。それは信仰によって、そのことが明確な場面です。開かれた道ではなく、あなたが主の言葉に基づき決断し、一歩済み出すときに開かれる道があるのです。

■ヨシュア記4:18主の契約の箱をかつぐ祭司たちが、ヨルダン川の真ん中から上がって来て、祭司たちの足の裏が、かわいた地に上がったとき、ヨルダン川の水はもとの所に返って、以前のように、その岸いっぱいになった。
★まぎれもなく主の守りの結果です。あなたもこの御手に支えられて生かされているのがまぎれもない事実です。ヒデ

金曜日, 6月 22, 2012

20120622_申命記32-34

■申命記32:50あなたの兄弟アロンがホル山で死んでその民に加えられたように、あなたもこれから登るその山で死に、あなたの民に加えられよ。32:51あなたがたがツィンの荒野のメリバテ・カデシュの水のほとりで、イスラエル人の中で、わたしに対して不信の罪を犯し、わたしの神聖さをイスラエル人の中に現さなかったからである。32:52あなたは、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地を、はるかにながめることはできるが、その地へ入って行くことはできない。」
★こうしてモーセはカナンという約束の地ではなく、父なる神様のふところと言う約束の地へと移されます。そして永遠に、主とは侮るべきお方でないことをあらわすリーダーとして立てられたのです。主の御心のうちにあって自分に死ぬモーセの姿は続く人々にチャレンジを与えます。

■申命記33:26「エシュルンよ。神に並ぶ者はほかにない。神はあなたを助けるため天に乗り、威光のうちに雲に乗られる。33:27昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。」
★モーセが最後にイスラエル12部族を祝福したことばの一つです。主はあなたのために雲に乗り、あなたを下から支えるために働いてくださるお方です。

■申命記34:4そして主は彼に仰せられた。「わたしが、アブラハム、イサク、ヤコブに、『あなたの子孫に与えよう』と言って誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたはそこへ渡って行くことはできない。」
★理由は自らそこに入るよりもバトンを次の世代のヨシュアに渡すという、もっと大きな使命を果たすためです。しかしこの使命、どれ程の人が成功することでしょう。最後に麗しいその生涯を汚す人のどれ程多いことか。誘惑は天国の入り口に至るまで存在することを認めざるをえません。ヒデ

木曜日, 6月 21, 2012

20120621_申命記30-31

■申命記30:4たとい、あなたが、天の果てに追いやられていても、あなたの神、主は、そこからあなたを集め、そこからあなたを連れ戻す。
★イスラエルに向けた主の心いっぱいの決心です。確かに彼らの前に「私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。」と主は語られますが、それさえ彼らが祝福からそれないためです。主は、あなたの心と、あなたの子孫の心を包む皮を切り捨てて、あなたが心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神、主を愛し、それであなたが生きるようにされます。

■申命記31:21多くのわざわいと苦難が彼に降りかかるとき、この歌が彼らに対してあかしをする。彼らの子孫の口からそれが忘れられることはないからである。わたしが誓った地に彼らを導き入れる以前から、彼らが今たくらんでいる計画を、わたしは知っているからである。」
★約束の地を前にしたモーセのイスラエルへの言葉ですが「今たくらんでいる計画」との表現には驚きです。約束に地において神様が見ているものと、民が見ているものとの間には相違があるのです。主が約束して下さった繁栄の中で何を夢みるのか。「幻のない民は滅びる」とも主は語られましたが、主は民の心が戯れに向かうことに深い痛みと悲しみを覚えられます。何のために召し出されたか、何の為にキリストのいのちの代価によって買い取られたのか。この朝もう一度、(1コリント6:19-20)「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。6:20あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。」の言葉を心に刻みましょう。ヒデ

水曜日, 6月 20, 2012

20120620_申命記28-29

■申命記28:1もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。
★では聞き従わない時はどうでしょう。モーセは「かつて主があなたがたをしあわせにし、あなたがたをふやすことを喜ばれたように、主は、あなたがたを滅ぼし、あなたがたを根絶やしにすることを喜ばれよう。あなたがたは、あなたが入って行って、所有しようとしている地から引き抜かれる。……これら異邦の民の中にあって、あなたは休息することもできず、足の裏を休めることもできない。主は、その所で、あなたの心をおののかせ、目を衰えさせ、精神を弱らせる。」(28:63-65)と語ります。しかもこの章に割く聞き従うことと聞き従わないことへの戒めの比率は1対4で、聞き従うことが断然困難です。本当に主の憐れみを求める以外にありません。

■申命記29:29隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現されたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。
★人が神様に聞き従えないことがあるとするなら、それは知識が不足しているからでしょうか。いえそうではなく、聖書は人が意図的に神様のことばを拒んでいるからだと語ります。また私たちがより成熟するまで知る必要のない知識もあるのです。何か重要な情報を知ったとき、十分な成熟がないとき、人は畏れると言うよりも、それを盾にとって相手を威圧したり、コントロールしようとさえする場合があるのです。あるいは相手の欠点や弱さを掴んだ時、あなたはどうですか。成熟がなければその人の態度と言葉はその人に対してそれ以降大きく変わります。何を知らされても人をあるべき態度に留めるのはその人の成熟です。ヒデ

火曜日, 6月 19, 2012

20120619_申命記24-27

■申命記24:10隣人に何かを貸すときに、担保を取るため、その家に入ってはならない。24:11あなたは外に立っていなければならない。あなたが貸そうとするその人が、外にいるあなたのところに、担保を持って出て来なければならない。24:12もしその人が貧しい人である場合は、その担保を取ったままで寝てはならない。
★イスラエルはエジプトの奴隷生活から解放して下さった主の恵みを忘れてはなりません。

■申命記25:13あなたは袋に大小異なる重り石を持っていてはならない。25:14あなたは家に大小異なる枡を持っていてはならない。25:15あなたは完全に正しい重り石を持ち、完全に正しい枡を持っていなければならない。あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたが長く生きるためである。
■申命記26:18きょう、主は、こう明言された。あなたに約束したとおり、あなたは主の宝の民であり、あなたが主のすべての命令を守るなら、26:19主は、賛美と名声と栄光とを与えて、あなたを主が造られたすべての国々の上に高くあげる。そして、約束のとおり、あなたは、あなたの神、主の聖なる民となる。

■申命記27:15「職人の手のわざである、主の忌みきらわれる彫像や鋳像を造り、これをひそかに安置する者はのろわれる。」27:16「自分の父や母を侮辱する者はのろわれる。」27:17「隣人の地境を移す者はのろわれる。」27:18「盲人にまちがった道を教える者はのろわれる。」27:19「在留異国人、みなしご、やもめの権利を侵す者はのろわれる。」27:24「ひそかに隣人を打ち殺す者はのろわれる。」27:25「わいろを受け取り、人を打ち殺して罪のない者の血を流す者はのろわれる。」
★約束の地に入る新たな世代のための律法確認です。ヒデ

月曜日, 6月 18, 2012

20120618_申命記21-23

■申命記21:22もし、人が死刑に当たる罪を犯して殺され、あなたがこれを木につるすときは、21:23その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地を汚してはならない。
★私たちの主イエス・キリストはこうして罪がないにもかかわらず、私たちの身代わりとなって木に掛けられました。その打たれた傷によってあなたは癒されるのです。

■申命記22:1あなたの同族の者の牛または羊が迷っているのを見て、知らぬふりをしていてはならない。あなたの同族の者のところへそれを必ず連れ戻さなければならない。
★イスラエルは愛しいたわり合う関係の中に生きるようにと招かれました。どんな時にも憐れみの心を大切にしましょう。あなたの人生に呪いを招かないためです。

■申命記23:24隣人のぶどう畑に入ったとき、あなたは思う存分、満ち足りるまでぶどうを食べてもよいが、あなたのかごに入れてはならない。23:25隣人の麦畑の中に入ったとき、あなたは穂を手で摘んでもよい。しかし、隣人の麦畑でかまを使ってはならない。
★民の中に飢える人がいないようにと主が定めた規則です。だからといって、隣人を利己的に利用してもよいということではありません。果たすべき責任と、主張すべき権利のバランスをあなたの生涯に保ってくださるのは主です。あなたの存在が同族の中にあって祝福となりますように。ヒデ

日曜日, 6月 17, 2012

20120617_申命記17-20

■申命記17:14あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地に入って行って、それを占領し、そこに住むようになったとき、あなたが、「回りのすべての国々と同じく、私も自分の上に王を立てたい」と言うなら、17:15あなたの神、主の選ぶ者を、必ず、あなたの上に王として立てなければならない。あなたの同胞の中から、あなたの上に王を立てなければならない。同胞でない外国の人を、あなたの上に立てることはできない。
★当然のことかも知れませんが、主はこの時既に王制も予測していたんですね。あなたの人生も上から把握しておられます。だからこそ、このお方の示されることに信頼し、従うことに意味が。

■申命記18:15あなたの神、主は、あなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。彼に聞き従わなければならない。
★ステパノはこの箇所を用いてイエス・キリストが救い主であることを証ししましたが、まさにその通りです。(使徒7:37

■申命記19:15どんな咎でも、どんな罪でも、すべて人が犯した罪は、ひとりの証人によっては立証されない。ふたりの証人の証言、または三人の証人の証言によって、そのことは立証されなければならない。

■申命記20:17すなわち、ヘテ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたとおり、必ず聖絶しなければならない。
★すべてはイスラエルを偶像礼拝の罪から守るためでした。国をも滅ぼす罪とは偶像礼拝と家庭を滅ぼす姦淫です。神様の目に容赦し得ない罪があることを知りましょう。ヒデ

土曜日, 6月 16, 2012

20120616_申命記14-16

■申命記14:28三年の終わりごとに、その年の収穫の十分の一を全部持ち出し、あなたの町囲みのうちに置いておかなければならない。
★主を愛する者が、貧しい人々を助けることを主は願っておられます。自発的かつ組織的にそのことをするようにと。主は「あなたは、そこでその金をすべてあなたの望むもの、牛、羊、ぶどう酒、強い酒、また何であれ、あなたの願うものに換えなさい。あなたの神、主の前で食べ、あなたの家族とともに喜びなさい。」(14:26)と人生を喜ぶことを願われますが、貧しい人に対するこの命令に従順することで、さらにイスラエルは豊かな中を歩めたのです。

■申命記15:10必ず彼に与えなさい。また与えるとき、心に未練を持ってはならない。このことのために、あなたの神、主は、あなたのすべての働きと手のわざを祝福してくださる。
★なぜ与えるのでしょう。主はイスラエルが、エジプトの地で奴隷であったところから、主によって贖い出されたことを忘れることなく、憐れみ深い者として生きることを願っておられるからです。

■申命記16:19あなたはさばきを曲げてはならない。人をかたよって見てはならない。わいろを取ってはならない。わいろは知恵のある人を盲目にし、正しい人の言い分をゆがめるからである。16:20正義を、ただ正義を追い求めなければならない。そうすれば、あなたは生き、あなたの神、主が与えようとしておられる地を、自分の所有とすることができる。
★正義は憐れみ深さの延長線上にあるもので異なるものではありません。自らに与えられた力は主から委ねられた恵みで、正しく管理し用いることが求められます。あなたの生き方が神様のご性質を反映するそれでありますように。ヒデ

金曜日, 6月 15, 2012

20120615_申命記11-13

■申命記11:12そこはあなたの神、主が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、主が、絶えずその上に目を留めておられる地である。11:13もし、私が、きょう、あなたがたに命じる命令に、あなたがたがよく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くして仕えるなら、11:14「わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう。あなたは、あなたの穀物と新しいぶどう酒と油を集めよう。
★「年の初めから年の終わりまで……」と、有名な御言葉です。主があなたに語りかけられるとき、それはあなたを顧みようとして下さっているゆえです。あなたの生涯を恵みによって満ち足らせたいのです。

■申命記12:20あなたの神、主が、あなたに告げたように、あなたの領土を広くされるなら、あなたが肉を食べたくなったとき、「肉を食べたい」と言ってよい。あなたは食べたいだけ、肉を食べることができる。
★主は約束の地でご自身の民が、与えられた人生を喜び楽しむことを願っておられます。あなたは人生を楽しんでいますか。それとも楽しめない何かを心に抱えていますか。抱え込むことのないように主に告白しましょう。あなたが大切にすべき人、忘れてはならない人と共に人生の喜びを分かち合いましょう。

■申命記13:1あなたがたのうちに預言者または夢見る者が現れ、あなたに何かのしるしや不思議を示し、13:2あなたに告げたそのしるしと不思議が実現して、「さあ、あなたが知らなかったほかの神々に従い、これに仕えよう」と言っても、13:3その預言者、夢見る者のことばに従ってはならない。……
★あなたが拠って立つ所、より頼むべきは神のことば。それ以外に代わる何かはありません。ヒデ

木曜日, 6月 14, 2012

20120614_申命記8-10

■申命記8:2あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。
★人が祝福を受け取る為には、自分自身を知ることが大切と、主は考えられます。自分を知ったその時、はじめて人は「私を憐れんで下さい」と祈る事ができるのです。さらに主は8:17で「あなたは心のうちで、『この私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ』と言わないように気をつけなさい。」と語られます。

■申命記9:5あなたが彼らの地を所有することのできるのは、あなたが正しいからではなく、またあなたの心がまっすぐだからでもない。それは、これらの国々が悪いために、あなたの神、主が、あなたの前から彼らを追い出そうとしておられるのだ。また、主があなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブになさった誓いを果たすためである。
★うぬぼれと言う言葉を思い出しました。何か恵まれたことがおこった時、その原因を自分自身と関連づけ理解しようとする試みです。このうぬぼれが強いと、人にあきれられ嫌われます。主はこの章でハッキリとその考えは捨てなさい。約束の地に入れるのは、私の一方的な憐れみによってであると語られます。自分に栄光を帰そうと模索する者ではなく、ただ主に感謝をささげるものでありましょう。

■申命記10:16あなたがたは、心の包皮を切り捨てなさい。もううなじのこわい者であってはならない。
★約束の地を前に主は徹底してイスラエルの内面を取り扱われます。裁きではなく、愛ゆえです。約束の地でイスラエルを誇りたい父の心を受けとりましょう。ヒデ

水曜日, 6月 13, 2012

20120613_申命記5-7

■申命記5:6「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。5:7あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
★約束の地を前にして主はもう一度十戒を民の前に示します。どんなに環境が変わっても変わらない神のことばでこそイスラエルが人生を築き上げることを願われるからです。あなたは十戒を暗唱できますか。また意識して生活していますか。安息日(主にある安息の日)をとっていますか。

申命記6:11あなたが満たさなかった、すべての良い物が満ちた家々、あなたが掘らなかった掘り井戸、あなたが植えなかったぶどう畑とオリーブ畑、これらをあなたに与え、あなたが食べて、満ち足りるとき、6:12あなたは気をつけて、あなたをエジプトの地、奴隷の家から連れ出された主を忘れないようにしなさい。
★逆境と順境。人は神の恵みを忘れ、神様から離れていつ堕落するでしょう。順境です。神様がおられなくても何とか自分でやって行ける。神様がいない方が都合がよい。自分の思うとおりに生きれると目を眩まされるのです。人を高い所に登らせ手を離すのは神様ではありません。あなたの高慢を利用し滅ぼそうとさせるサタンです。

■申命記7:22あなたの神、主は、これらの国々を徐々にあなたの前から追い払われる。あなたは彼らをすぐに絶ち滅ぼすことはできない。野の獣が増してあなたを襲うことがないためである。
★神様はこれらの国を一瞬にして滅ぼすことのできるお方。あなたの人生も奇跡的に一瞬に変えることのできるお方。しかし神様はあなたが神様に信頼し、一歩一歩落ち着いて悟ったことを感謝して歩むことを願われるお方です。ヒデ

火曜日, 6月 12, 2012

20120612_申命記3-4

■申命記3:25どうか、私に、渡って行って、ヨルダンの向こうにある良い地、あの良い山地、およびレバノンを見させてください。」3:26しかし主は、あなたがたのために私を怒り、私の願いを聞き入れてくださらなかった。そして主は私に言われた。「もう十分だ。このことについては、もう二度とわたしに言ってはならない。3:27ピスガの頂に登って、目を上げて西、北、南、東を見よ。あなたのその目でよく見よ。あなたはこのヨルダンを渡ることができないからだ。」
★「あなたはこのヨルダンを渡ることができないからだ」。主がモーセに語られた言葉です。非常に厳粛です。水のことで民がつぶやいたとき怒って岩を二度打ったばっかりに、主ではなく思わず、「私がこの岩から水を出さなければならないのか」と言ったばっかりに。人の上に立つ人の言葉と行いとはどんなものかを教えられます。誘惑はどこにあるかわかりません。ただ自分を神とすることがありませんように。

■申命記4:36主はあなたを訓練するため、天から御声を聞かせ、地の上では、大きい火を見させた。その火の中からあなたは、みことばを聞いた。4:37主は、あなたの先祖たちを愛して、その後の子孫を選んでおられたので、主ご自身が大いなる力をもって、あなたをエジプトから連れ出された。4:38それはあなたよりも大きく、強い国々を、あなたの前から追い払い、あなたを彼らの地に入らせ、これを相続地としてあなたに与えるためであった。今日のとおりである。
★モーセの民への最後の言葉です。その中心は何処までも「偶像礼拝をしてはならない。不信仰になってはならない」です。まさにモーセの遺言ともいえる内容です。ヨセフは「神はあなたがたを必ず顧みてくださる」と遺言を残しました。こうして遂にイスラエルは新しいリーダーヨシュアのもとヨルダンを渡るのです。あなたの中に偶像はありませんか。大丈夫ですか。ヒデ

月曜日, 6月 11, 2012

20120611_申命記1-2

■申命記1:6私たちの神、主は、ホレブで私たちに告げて仰せられた。「あなたがたはこの山に長くとどまっていた。1:7向きを変えて、出発せよ。そしてエモリ人の山地に行き、その近隣のすべての地、アラバ、山地、低地、ネゲブ、海辺、カナン人の地、レバノン、さらにあの大河ユーフラテス川にまで行け。1:8見よ。わたしはその地をあなたがたの手に渡している。
★本来なら1週間の道のりでした。しかしイスラエルがここに来るには40年を要しました。遂に民は不信仰を精算し、今約束の地カナンに入ろうと。その時、主はモーセを通してイスラエルに過去の不信の40年を振り返らせます。信じる者の不信に終止符を打ち、新たな道を開かれるのは主です。人は誰でも後悔や傷を人生に背負う者です。しかしそれを止めさせ、あなたを立ち上がらせて下さるお方があるのです。このお方、主の御声に耳を傾けましょう。

■申命記2:18「あなたは、きょう、モアブの領土、アルを通ろうとしている。2:19それで、アモン人に近づくが、彼らに敵対してはならない。彼らに争いをしかけてはならない。あなたには、アモン人の地を所有地としては与えない。ロトの子孫に、それを所有地として与えているからである。
★立ち止まってた民が行動に移そうとするのです。様々な恐れが湧いて来て当然です。しかし神様は、その恐れゆえにイスラエルが過度の自己防衛の反応として、好戦的になることのないように導かれます。主は選ばれた民のために心配して下さるお方です。あなたもその愛の中に招かれています。主にあって恐れに解決を頂きましょう。ヒデ

日曜日, 6月 10, 2012

20120610_民数記35-36

■民数記35:10「イスラエル人に告げて、彼らに言え。あなたがたがヨルダンを渡ってカナンの地に入るとき、35:11あなたがたは町々を定めなさい。それをあなたがたのために、のがれの町とし、あやまって人を打ち殺した殺人者がそこにのがれることができるようにしなければならない。35:12この町々は、あなたがたが復讐する者から、のがれる所で、殺人者が、さばきのために会衆の前に立つ前に、死ぬことのないためである。
★この町はレビ人に与えられた48の町のうちの6つの町として命じられました。それだけレビ人には公平性が求められたのです。現代のレビ人とは主の血潮によってあがなわれたクリスチャンです。あなたは憐れみ深く、かつ公平であることが求められています。主を仰ぎましょう。また6つの町とは一日路を行けば必ずたどり着ける所にあると言うこと。主は過ちを犯すあなたを守られ、いと近き助けとなって下さるお方です。

■民数記36:5そこでモーセは、主の命により、イスラエル人に命じて言った。「ヨセフ部族の訴えはもっともである。36:6主がツェロフハデの娘たちについて命じて仰せられたことは次のとおりである。『彼女たちは、その心にかなう人にとついでよい。ただし、彼女たちの父の部族に属する氏族にとつがなければならない。
★5人の娘を持つが息子を持たないツェロフハデの要求です。娘が嫁いでしまえば我々部族の嗣業がなくなる。それに「もっとも」と応えたモーセの回答です。世の中には特例が認められる必要のあることがあります。あなたが特殊な事情の中にあっても正義と公平に生きる人でありますように。ヒデ

土曜日, 6月 09, 2012

20120609_民数記33-34

■民数記33:1モーセとアロンの指導のもとに、その軍団ごとに、エジプトの地から出て来たイスラエル人の旅程は次のとおりである。33:2モーセは主の命により、彼らの旅程の出発地点を書きしるした。その旅程は、出発地点によると次のとおりである。
★ピハヒロテ、シンの荒野、レフィデム、キブロテハッタワ、ツィンの荒野、書き記されたこうした出発点を見て、あなたは何を感じるでしょう。まさにそれはイスラエルの不信仰とつぶやきの歴史でした。人の弱さを思います。と共に神様の憐れみ深さを思います。人は試練の中においてはつぶやき易い者、ゆたかさの中にあっては貪欲と堕落によって道を踏み外しやすい者。
人の成熟とはこの罪深さを自分と受けとめ、神様の憐れみ深さによって今日あるを受けとめること。約束の地に入ることは何処までも神様の恵みによることを感謝しましょう。

■民数記34:2「イスラエル人に命じて、彼らに言え。あなたがたがカナンの地に入るとき、あなたがたの相続地となる国、カナンの地の境界は次のとおりである。
★約束の地を前にした民に、主はモーセを通して勝ち取るべき地の東西南北の境界線を明確にします。その広さは12部族にとって十分なものでした。その上で彼らは自分の足で約束の地を勝ち取ることを求められたのです。では主の者とされ、愛する御子の支配の中に移されたあなたの境界線は何処でしょう。「キリストの内に留まる」です。そこは決して狭い地ではありません。豊かさが埋蔵された地です。サタンはこの支配の中を通り過ぎさせ、自分勝手な地に進ませようとします。人は自分のおるべき境界線を理解してはじめて、他者との関係に自信をもってかかわることが出来ます。境界線の不明確さは幼稚さを意味し、自身の混乱、他者へのわがままを増幅させる要因となります。キリストのもとに留まる。それが自身をつけるべき十字架であり、霊的命の源泉です。ヒデ

金曜日, 6月 08, 2012

20120608_民数記31-32

■民数記31:15モーセは彼らに言った。「あなたがたは、女たちをみな、生かしておいたのか。31:16ああ、この女たちはバラムの事件のおり、ペオルの事件に関連してイスラエル人をそそのかして、主に対する不実を行わせた。それで神罰が主の会衆の上に下ったのだ。
★この章の始めに主はモーセに「ミデヤン人にイスラエル人の仇を報いよ。その後あなたは、あなたの民に加えられる。」と命じられます。ミデアン人とはイスラエルをバアル礼拝に引き込んだ張本人。しかしイスラエル軍はミデアン人の罪深い暮らしぶりの誘惑に取り憑かれ女達を捕虜として連れてきます。この罪を警戒しない態度が、約束の地に入ってのち彼らを滅びへと向かわせました。しかしモーセはこの時迅速かつ完全に対応します。神様から罪を指摘された時、罪から速やかに離れることは、あなたを救います。

■民数記32:10その日、主の怒りが燃え上がり、誓って言われた。32:11『エジプトから上って来た者たちで二十歳以上の者はだれも、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った地を見ることはできない。彼らはわたしに従い通さなかった。32:12 ただ、ケナズ人エフネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアは別である。彼らは主に従い通したからである。』
★約束の地の手前、ヨルダン川の手前の地を相続地として与えて欲しいと申し出たガド族、ルベン族、マナセの半部族に対する主の怒りです。しかし、彼らの動機が戦いから逃げるためではないことへと主は導かれます。全てのイスラエル部族が約束の地で嗣業を得るまで先頭に立って戦い通す決断へと導き、彼らの申し出を赦されます。神の民にとって最も恐ろしいことは一致が失われること。それぞれの個性、賜物の違いを認めつつ、それを喜び一致して進むことは、現代においても家族からはじまり、全てのキリストにある共同体において最も重要なテーマです。ヒデ

木曜日, 6月 07, 2012

20120607_民数記28-30

■民数記28:1主はモーセに告げて仰せられた。28:2「イスラエル人に命じて彼らに言え。あなたがたは、わたしへのなだめのかおりの火によるささげ物として、わたしへの食物のささげ物を、定められた時に、気をつけてわたしにささげなければならない。
★ささげものは規則どおり、命じられた儀式に従ってささげなければなりません。これらには時間を要し礼拝のために心を備える機会となりました。もし心が整っていなければ礼拝の意味はなくなります。感謝をもって神様の前に出ることを主は喜ばれ、豊かな酬いをもってあなたを恵まれます。

■民数記29:1第七月には、その月の一日にあなたがたは聖なる会合を開かなければならない。あなたがたはどんな労役の仕事もしてはならない。これをあなたがたにとってラッパが吹き鳴らされる日としなければならない。
★神様はイスラエルのカレンダーにたくさんの祝日を設けられました。過越しの祭り、初穂の祭りもその一つです。これらの祝日のおかげで民の気持ちと身体は新たにされ、神様との約束も再確認できました。もしあなたが今疲れていると感じるなら、しばし日常から自らを切り離し霊的な祝日をとるようにしましょう。神様が下さった約束をもとに自らを見直すことは、あなたの霊をリフレッシュさせます。

■民数記30:5もし父がそれを聞いた日に彼女にそれを禁じるなら、彼女の誓願、または、物断ちはすべて無効としなければならない。彼女の父が彼女に禁じるのであるから、主は彼女を赦される。
★誓いは必ず守るのが原則です。しかしイスラエルの律法のもとでは子供がばかげた約束や代償を払うような誓いをしたとき、親が却下することで守られました。今主は天上で私たちのためにとりなして下さっています。ヒデ

水曜日, 6月 06, 2012

20120606_民数記26-27

■民数記26:64しかし、このうちには、モーセと祭司アロンがシナイの荒野でイスラエル人を登録したときに登録された者は、ひとりもいなかった。
★非常に厳粛な箇所です。主はモーセにエジプトから脱出したイスラエルの民の数を数えよと2回命じられます。1回目は出エジプト直後(1:2)、2回目は40年の荒野の生活が終わろうとしているこの時です。そして御言葉は当初登録した人で残っているのはヨシュアとカレブだけであると告げています。どういう意味でしょう。それは不信仰の民は約束の地を嗣ぐことはできないと言うことです。信仰がなくては神様に喜ばれることはできません。

■民数記27:22モーセは主が命じられたとおりに行った。ヨシュアを取って、彼を祭司エルアザルと全会衆の前に立たせ、27:23自分の手を彼の上に置いて、主がモーセを通して告げられたとおりに彼を任命した。
★約束の地を前にしたとき、主はモーセに今までとは違った語りかけを与えます。ヨシュアの上に手を置けと。人生をどのように締めくくるかは大事です。その中でも後継者にいかにバトンを渡すかは最も重要なことの一つです。そのために主に祈り、そのために主の御声を聞く。主は神の人の生涯をそのようにして完成へと導かれます。願わくはあなたの目が見えるものにではなく見えないものに注がれ、宝を天に積むそれであり、「神は必ずあなた方を顧みられる」と語ったヨセフのようなそれでありますように。ヒデ

火曜日, 6月 05, 2012

20120605_民数記23-25

■民数記23:27バラクはバラムに言った。「さあ、私はあなたをもう一つ別の所へ連れて行きます。もしかしたら、それが神の御目にかなって、あなたは私のために、そこから彼らをのろうことができるかもしれません。」
★モアブの王バラクの要請を受け、イスラエルを呪うために出かけて行こうとする預言者バラムの言葉です。もうこれが3回目。もっと早く出て行くことを止めなければなりません。いえ呪うことなど、行動に移す以前に御心でないことを悟る、霊の目の開かれた預言者バラムであるべきでした。バラムの中には隠された罪が潜んでいたのでしょう。要注意です。

■民数記24:15そして彼のことわざを唱えて言った。「ベオルの子バラムの告げたことば。目のひらけた者の告げたことば。24:16神の御告げを聞く者、いと高き方の知識を知る者、全能者の幻を見る者、ひれ伏して、目のおおいを除かれた者の告げたことば。……
★確かに主の憐れみによって霊の目を開いて頂いたバラム。しかしそれは一方的な主の憐れみゆえでした。ゆえにそれを脇において、上の様に自分を表現するバラムの霊性こそが、イスラエルを呪うようにとの願いをもったバラク王に利用されようとしたのでしょう。自分で自分を誇る者ではなく、人から賞賛される人であることの尊さを黙想しましょう。

■民数記25:1イスラエルはシティムにとどまっていたが、民はモアブの娘たちと、みだらなことをし始めた。25:2娘たちは、自分たちの神々にいけにえをささげるのに、民を招いたので、民は食し、娘たちの神々を拝んだ。
★世は自分の楽しみのために偶像を造ります。それに引き込まれるイスラエルの姿がここに。このために24000人の民が神罰によって命を落とします。何と偶像を心に抱くことは恐ろしいことでしょう。ヒデ

月曜日, 6月 04, 2012

20120604_民数記21-22

■民数記21:8すると、主はモーセに仰せられた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」21:9モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。
★迂回路を通ることになった民は途中で我慢できなくなりモーセに逆らいます。あまりの民の態度に主は燃えるヘビを送られ、民を噛ませたので多くの民が息絶えます。恐れを抱いた民がモーセを通して神様に憐れみを求めたとき、上の御言葉の解決策を与えて下さいました。「仰ぎ見れば生きる」とはまさに主の救いの方法です。主は「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。」(イザヤ45:22)と語られ、また主はご自身、全人類の罪をご自身身に負われて、いわば呪いのヘビとなって十字架に掛かかれ、仰ぐものを永遠の滅びから救う道を開いて下さいました。仰ぐのです。そうすれば救われるのです。

■民数記22:38バラムはバラクに言った。「ご覧なさい。私は今あなたのところに来ているではありませんか。私に何が言えるでしょう。神が私の口に置かれることば、それを私は語らなければなりません。」
★イスラエルを恐れた王バラクは預言者バラムを招いてイスラエルを呪わせようとします。イスラエルを呪うべきか、そうすべきでないかはあまりに明白なことですが、預言者バラムは目の前におかれた報酬と様々な誘惑に心が揺れ動きます。結果、彼を乗せたロバと抜き身の剣を持つ御使いによって悔い改めへと導かれた彼は、やっとの事で悔い改めに導かれ、上の言葉を語る者とされました。人は神様に用いられるためにはまず聖別が必要です。そうでなければ自らに死を招きます。ヒデ


日曜日, 6月 03, 2012

20120603_民数記18-20


■民数記18:6今ここに、わたしは、あなたがたの同族レビ人をイスラエル人の中から取り、会見の天幕の奉仕をするために、彼らを主にささげられたあなたがたへの贈り物とする。
★モーセを用いてご自身の御心を明らかにあさった主は、キリスト者として贖い出されたあなたに対して、世への贈り物であると記します。確かにそう。あなたは世の光であり、地の塩です。

■民数記19:13すべて死んだ人の遺体に触れ、罪の身をきよめない者はだれでも、主の幕屋を汚す。その者はイスラエルから断ち切られる。その者は、汚れをきよめる水が振りかけられていないので、汚れており、その汚れがなお、その者にあるからである。
★主はイスラエルに様々な機会を捉えてきよくあるよに、きよくあるとはどんなことかを示します。キリストは十字架を通して、ご自身のいのちを注ぎ出された愛によって、その愛への応答としてのきよさをあなたのうちに願われます。

■民数記20:10そしてモーセとアロンは岩の前に集会を召集して、彼らに言った。「逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から私たちがあなたがたのために水を出さなければならないのか。」20:11モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、たくさんの水がわき出たので、会衆もその家畜も飲んだ。
★ミリアムが死んだ時、またもや民はモーセとアロンに不平をぶつけます。彼らはそこで感情的な反応は避け、主の前に退き、主の語りかけを受けとりますが、その行動において、遂に堪忍袋の緒が切れ、怒りをもってそれに当たりました。岩を2度打ったモーセの行動がそれです。あなたへの誘惑はどこに潜んでいるかわかりません。柔和さにおいて誰も彼の右に出る者のないモーセでもしかりなのですから。「試みにあわせないで悪しき者よりお守り下さい」の重要性を思います。ヒデ

土曜日, 6月 02, 2012

20120602_民数記16-17

■民数記16:31モーセがこれらのことばをみな言い終わるや、彼らの下の地面が割れた。16:32地はその口をあけて、彼らとその家族、またコラに属するすべての者と、すべての持ち物とをのみこんだ。
★コラとその子たちに臨んだ神様の裁きです。背景には、彼らは集まって、モーセとアロンとに逆らい、彼らに言った。「あなたがたは分を越えている。全会衆残らず聖なるものであって、主がそのうちにおられるのに、なぜ、あなたがたは、主の集会の上に立つのか。」とか、「あなたが私たちを乳と蜜の流れる地から上らせて、荒野で私たちを死なせようとし、そのうえ、あなたは私たちを支配しようとして君臨している。それでも不足があるのか。しかも、あなたは、乳と蜜の流れる地に私たちを連れても行かず、畑とぶどう畑を受け継ぐべき財産として私たちに与えてもいない。あなたは、この人たちの目をくらまそうとするのか。私たちは行かない。」との態度がありました。モーセはその時、「あなたとあなたの仲間のすべて、あなたと彼らとそれにアロンとは、あす、主の前に出なさい。」と、裁きを主に委ねます。その立場に立ってみなければ分からないことがあることを知り、謙虚な姿勢で神様と人に仕えることのできる人は幸いです。

■民数記17:2「イスラエル人に告げて、彼らから、杖を、父の家ごとに一本ずつ、彼らの父祖の家のすべての族長から十二本の杖を、取れ。その杖におのおのの名を書きしるさなければならない。……17:5わたしが選ぶ人の杖は芽を出す。こうしてイスラエル人があなたがたに向かってつぶやく不平をわたし自身が静めよう。」
★上の御言葉は民の中にうずまく不平を取り除くために神様が用いた方法です。結果、芽はアロンの杖からでましたが、人間的に動くよりもまず神様の御声に耳を傾けることの尊さを覚えましょう。ヒデ

金曜日, 6月 01, 2012

20120601_民数記14-15

■民数記14:24ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者と違った心を持っていて、わたしに従い通したので、わたしは彼が行って来た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる。14:25低地にはアマレク人とカナン人が住んでいるので、あなたがたは、あす、向きを変えて葦の海の道を通り、荒野へ出発せよ。」
★神様に対する不信仰、不従順の刈り取りが鮮やかに記されます。信じるなら一週間で行ける地が、40年掛かることに。向きを変えて荒野に出発せよと。ただ残念でなりません。しかし、神様を信じられない民にとっては、心を支配する恐れの中でどうすることも出来なかったのです。あなたはこの章で何を学ぶべきでしょう。それはいかに不信仰が祝福の道を塞ぐかです。決して二度と巡って来ないチャンスを不信仰の結果失うようなことがあってはなりません。

■民数記15:32イスラエル人が荒野にいたとき、安息日に、たきぎを集めている男を見つけた。15:33たきぎを集めているのを見つけた者たちは、その者をモーセとアロンおよび全会衆のところに連れて来た。
★安息日を主にささげるのか、自分の楽しみを優先するのか。その結果、彼はいのちを奪われました。不信仰の民の中で、不信仰が支払う報酬がいかに大きいかが示されたのです。律法によって導かれた旧約から、キリストの十字架によって成し遂げられた贖いゆえに恵みの中に生かされているお互いですが、神様を畏れるスピリットがぼかされませんように。強いられてではなく、むしろ赦された感謝としての主への礼拝姿勢をあなたが確立できますように。その姿勢があなたを守りあなたを祝福へと導きます。ヒデ

木曜日, 5月 31, 2012

20120531_民数記11-13

■民数記11:10モーセは、民がその家族ごとに、それぞれ自分の天幕の入口で泣くのを聞いた。主の怒りは激しく燃え上がり、モーセも腹立たしく思った。
★エジプトを出たのち、荒野を行く民の中に、かつてはただで肉やキュウリを食べることができたと欲望に駆られ大声で泣く者、また家族で涙を流すものがありました。その時の主とモーセの反応です。伝道者の書には「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。……泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。」と記されます。今朝、自らの涙を点検しましょう。自己憐憫のために流す涙は自らを滅ぼします。流す涙の中には止めるべき涙もあるのです。

■民数記12:10雲が天幕の上から離れ去ると、見よ、ミリヤムはツァラアトになり、雪のようになっていた。アロンがミリヤムのほうを振り向くと、見よ、彼女はツァラアトに冒されていた。
★「神様はモーセとだけ話されるのか。私にも話されたではないか」とミリアムの妬みを主が聞かれたとき、上の御言葉のようになりました。妬みは骨を腐らせます。要注意です。

■民数記13:32彼らは探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらして言った。「私たちが行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。13:33そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」
★約束の地カナンの偵察に遣わされたヨシュアとカレブ以外の反応です。彼らに有り、彼らになかったものがイスラエルの将来を大きく変えました。「恐れと信仰」は今も変わることのない神の民のテーマです。あなたの思いが恐れによって見るべきものを見失いませんように。ヒデ

火曜日, 5月 29, 2012

20120529_民数記7

■民数記7:89モーセは、主と語るために会見の天幕に入ると、あかしの箱の上にある「贖いのふた」の二つのケルビムの間から、彼に語られる御声を聞いた。主は彼に語られた。
★幕屋を建て終わり、それに油が注がれ、聖別された後、12部族の族長達が、幕屋で使用したり、幕屋を維持したりするための贈り物とささげ物をもって来ましたが、このためには民の全てが参加しました。理由はみんなの幕屋だから。そうして神様はご自身からの御声の聞き方をモーセを通して示されました。贖いの蓋のケルビムの間から。贖罪のなされるところから。
では新約時代はそれは何処でしょう。キリストが成し遂げて下さった十字架の救いの間からです。主は「父よ彼らをおゆるし下さい」と祈られました。あなたはここから語られる主の御声を聞かなければなりません。十字架を仰ぐあなたを主はすでに赦して下さっています。あなたを訴える悪しき霊にだまされないように、縛られないように。主はあなたを解放するために召し出されたのです。イザヤ43:1の「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」との御声を受けとりましょう。ヒデ

月曜日, 5月 28, 2012

20120528_民数記5-6

■民数記5:6「イスラエル人に告げよ。男にせよ、女にせよ、主に対して不信の罪を犯し、他人に何か一つでも罪を犯し、自分でその罪を認めたときは、5:7自分の犯した罪を告白しなければならない。その者は罪過のために総額を弁償する。また、それにその五分の一を加えて、当の被害者に支払わなければならない。
★このことは新約においても同じで「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(1ヨハネ1:9)、「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」(ヤコブ5:16)とあります。これが曖昧にされると命はにごり、共同体に愛は流れなくなります。特に夫婦間の不信の罪について、この章は曖昧にせず深く心に問いかけます。家庭が祝福の源だからです。

■民数記6:23「アロンとその子らに告げて言え。あなたがたはイスラエル人をこのように祝福して言いなさい。6:24『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。6:25主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。6:26主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』6:27彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」
★旧約時代に示された祝福の祈りで、現在の祝祷の原型です。あなたはこの祈りのスピリットをもって、あなたの大切な人々のために祈りの手をあげることができます。あなたが多くの人を祝福できますように。ヒデ

日曜日, 5月 27, 2012

20120527_民数記3-4

■民数記3:6「レビ部族を近寄らせ、彼らを祭司アロンにつき添わせ、彼に仕えさせよ。
★主に仕えるようにと召されたレビ人は25歳から奉仕をはじめ5年の実地訓練を受け、30歳にしてすべての奉仕をすることが許されました。ではキリストを通して生ける神様に仕えるものとされた私たちはどうでしょう。同じく主はあなたを試され、働きに間に合うようにとその資質を練り上げ、祝福し用いられます。そうあなたは最も尊い魂に仕える者として召し出されたのです。喜んで主の訓練を受け入れましょう。

■民数記4:15宿営が進むときは、アロンとその子らが聖なるものと聖所のすべての器具をおおい終わって、その後にケハテ族が入って来て、これらを運ばなければならない。彼らが聖なるものに触れて死なないためである。これらは会見の天幕で、ケハテ族のになうものである。
★エジプトの偶像は人間が操作することができました。しかしイスラエルの神様は人間が操作することなど出来ず、またこの世に存在する何らかの形に当てはめることもゆるされませんでした。イスラエルにご自身を顕された神様は被造物を越えられたお方。軽々しく扱うべきお方でないことが、アロンの子孫に語られた祭司規定を通してしめされたのです。主を畏れることは知識のはじめであることをもう一度覚えましょう。ヒデ

土曜日, 5月 26, 2012

20120526_民数記1-2


■民数記1:2「イスラエル人の全会衆を、氏族ごとに父祖の家ごとに調べ、すべての男子の名をひとりひとり数えて人口調査をせよ。
★この主の名を受けてモーセはイスラエルの民の数を数えます。その数20歳以上の軍務につくことのできる男子だけで603550人でした。同じようにダビデも王となってイスラエルの数を数えたことがあります。(Ⅱサム24:10)ダビデは、民を数えて後、良心のとがめを感じた。そこで、ダビデは主に言った。「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。主よ。今、あなたのしもべの咎を見のがしてください。私はほんとうに愚かなことをしました。」と。同じ行為でも動機を主は見られます。あなたの行動が自分の力を誇り、自分に栄光を帰そうとするものでなく、ただ主に栄光を帰そうとするものでありますように。

■民数記2:2「イスラエル人は、おのおのその旗のもと、その父祖の家の旗じるしのもとに宿営しなければならない。会見の天幕の回りに、距離をおいて宿営しなければならない。
★男だけで603550人、全体では200万とも言われるイスラエルの民。主はこの人々に「軍団ごとに幕屋を中心とした宿営として移動せよ」と命じます。家系を中心に。そして父なる神様は約束の地、すなわち「天国」に導くために、あなたをキリストの家系に信仰によって接ぎ木して下さいました。この後イスラエルは荒野の旅の中で様々つぶやき、祝福を失い試練の中を通りますが、あなたはどうでしょう。主の十字架の愛に対する感謝と信仰をもって祝福の中を歩ませて頂きましょう。ヒデ

金曜日, 5月 25, 2012

20120525レビ記26-27

■レビ記26:3もし、あなたがたがわたしのおきてに従って歩み、わたしの命令を守り、それらを行うなら、……26:14もし、あなたがたがわたしに聞き従わず、これらの命令をすべて行わないなら、
★この章は上の二つの対比が明確です。聞き従うものには地の産物、畑の木々の実、満ち足りるパン、安らかな地、平和、だれにも悩まされない睡眠が約束されていますが、聞き従わないものには、あなたを憎む者があなたがたを踏みつけ、だれも追いかけて来ないのに、あなたがたは逃げると語られます。神様がどれほどイスラエルを、選びの民を、あなたを愛しておられることか。神様があなたを大切に思って居てくださる感謝の応答としての生き方を選び取りましょう。

■レビ記27:34以上は、主がシナイ山で、イスラエル人のため、モーセに命じられた命令である。
★レビ記の締めくくりの言葉が上の御言葉です。このレビ記を通して、読者は神様のご性質を学ぶことができます。どんなに時代が変わろうとも一貫した姿勢をもって選びの民と関わって下さろうとする主があなたの神です。このお方への信頼によってあなたの生涯は生かされます。ヒデ

木曜日, 5月 24, 2012

20120524_レビ記24-25

■レビ記24:16主の御名を冒涜する者は必ず殺されなければならない。全会衆は必ずその者に石を投げて殺さなければならない。在留異国人でも、この国に生まれた者でも、御名を冒涜するなら、殺される。
★神様への冒涜に対する処罰はあまりに厳しくも見えますが、反対に、それはどれだけ真摯に神様が私たちとの関係に期待しておられるかの表れでもあります。いとも簡単に神の御名にかけて誓い、それを破り、また神様がさも存在しないかのように振る舞う。注意すべきです。しかしイエス・キリストの誠実と憐れみは昨日も今日もいつまでも変わることがありません。

■レビ記25:39もし、あなたのもとにいるあなたの兄弟が貧しくなり、あなたに身売りしても、彼を奴隷として仕えさせてはならない。
★この章で繰り返し繰り返し使われる言葉は「わたしにとって、イスラエル人はしもべだからである。彼らは、わたしがエジプトの地から連れ出したわたしのしもべである。わたしはあなたがたの神、主である。」です。土地も人も主のもの。自分が所有者のごとく振る舞うべきではないことを教えます。あなたが、あなたの人生と所有物に対して忠実な管理者であれますように。ヒデ

水曜日, 5月 23, 2012

20120523_レビ記22-23

■レビ記22:2「アロンとその子らに告げよ。イスラエル人の聖なるものは、わたしのために聖別しなければならない。彼らはわたしの聖なる名を汚してはならない。それは彼らがわたしのために、聖なるものとすべきものである。わたしは主である。
★イスラエルはエジプトでの400年の奴隷生活を通してエジプトの祭司を熟知していました。宗教、それは国の勢力を増すための道具。しかし主はイスラエルの人々に、主の祭司の働きはそうではない。人々の心を神様へと向けるものであることを明確にしたのです。主はあなたの存在が世の光、地の塩として、人々の心を聖さと恵みに満ちた神様に向かわせるものであるようにと願っておられます。

■レビ記23:42あなたがたは七日間、仮庵に住まなければならない。イスラエルで生まれた者はみな、仮庵に住まなければならない。
★仮庵の祭りはイスラエルの民にとって家族全員で行う特別な祭りです。400年も続いたエジプトの奴隷生活から脱出させて下さった神様の恵みを覚えるのです。主の救いは個人単位ではなく家族、親族の救いであることを受けとりましょう。そしてその実現のために祈りましょう。信仰をもってささげる祈りに応え、主は不思議をもって働いてくださり、やがての日、必ずあなたにその日を備えて下さる事を信じます。ヒデ

火曜日, 5月 22, 2012

20120522_レビ記19-21

■レビ記19:9あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない。19:10またあなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。あなたのぶどう畑の落ちた実を集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。
★あなたは父なる神様について誤解していることがあるかも知れません。いかに憐れみ深いお方であるか。ぜひこの章はご自身でよみ味わって頂きたい箇所です。自身か家族に痛みや弱さを持つ者として味わってみて下さい。

■レビ記20:24それゆえ、あなたがたに言った。『あなたがたは彼らの土地を所有するようになる。わたしが乳と蜜の流れる地を、あなたがたに与えて、所有させよう。わたしは、あなたがたを国々の民からえり分けたあなたがたの神、主である。
★神様はイスラエルに先住民族がもっていたものとは異なる価値基準を示します。その目的が上の御言葉です。父なる神様は、神の民が生きる場所が、御心が天でなるごとく地でもなる場所になるようにと願っています。それを造り出すようにと召し出されたのがあなたです。

■レビ記21:5彼らは頭をそってはならない。ひげの両端をそり落としてもいけない。からだにどんな傷もつけてはならない。
★この「どんな傷もつけてはならない」と同じ章に淫行をしてはならなが記されています。自傷行為も、入れ墨も、また淫行もあなた自身を傷つけるもの。そうした思いに駆られるなら、それらの行動に移す前に、その思いを主の前に持ち出すことを、主は願っておられます。ヒデ

月曜日, 5月 21, 2012

20120521_レビ記16-18

■レビ記16:9アロンは、主のくじに当たったやぎをささげて、それを罪のためのいけにえとする。16:10アザゼルのためのくじが当たったやぎは、主の前に生きたままで立たせておかなければならない。これは、それによって贖いをするために、アザゼルとして荒野に放つためである。
★贖罪の日にささげられるこの2頭のやぎの意味は、イスラエルの罪に対す2通りの神様の対処法です。いけにえのやぎを通して民の罪が赦され、アザゼルとして解き放たれるやぎを通して罪からの解放を表したのです。旧約時代祭司は多くの準備をして神様の前に出なければなりませんでしたが、あなたはキリストの贖いゆえにいつでも神様に近づく罪の赦しと解放を受けとることができます。

■レビ記17:4主の幕屋の前に主へのささげ物としてささげるために、それを会見の天幕の入口の所に持って来ないなら、血はその人に帰せられる。その人は血を流した。その人はその民の間から断たれる。
★イスラエルの民が偶像礼拝に陥ったのは「めいめいが自分の目に正しいと見える行った」ためでした。この時神様は罪の赦しのためのいけにえ、すなわち献げ物について明確な時間と場所を指定したのです。

■レビ記18:30あなたがたは、わたしの戒めを守り、あなたがたの先に行われていた忌みきらうべき風習を決して行わないようにしなさい。それによって身を汚してはならない。わたしはあなたがたの神、主である。」
★神様はイスラエルをご自身へと分離させることによって民を導き祝福されます。功績中心、業績中心のこの世の価値観の中で、神の子供としての命を失わないようにキリストにつきましょう。ヒデ

日曜日, 5月 20, 2012

20120520_レビ記14-15

■レビ記14:57これは、どんなときにそれが汚れているのか、またどんなときにそれがきよいのかを教えるためである。これがツァラアトについてのおしえである。
★イスラエルの民にそのツァラアトが深刻な病気やカビであるか診断する方法を告げることによって、彼らが感染しないように、また対処できるように主はして下さいました。たとえこれらの律法の医学的根拠を全て民は知らなくても、定められた律法に従順することを通して命が守られたのです。愛の動機で語られる主の心をまず受け取り、神のことばに信頼し、従う者でありましょう。その信仰と従順が永遠の滅びからあなたを救います。

■レビ記15:32以上が、漏出のある者、また精を漏らして汚れた者、15:33また月のさわりで不浄の女、また男か女で漏出のある者、あるいは汚れている女と寝る男についてのおしえである。
★神様はあなたの健康について気遣って下さっています。人間の尊厳、からだの尊厳、性の尊厳、主はそれらを守って下さるお方です。健康ときよくあるという両方の意味において性交に高い意識を人が保つことを主は願われます。ヒデ

土曜日, 5月 19, 2012

20120519_レビ記11-13

■レビ記11:45わたしは、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出した主であるから。あなたがたは聖なる者となりなさい。わたしが聖であるから。」
主は一つ一つ汚れた食べ物を紹介し、最後にこのことばを語られます。身を守る鱗、すなわち神のことばを重んじ、ひづめの分かれた足を持つもの、それは世的なところにだけとどまるのではなく、信仰の高嶺にも登る事ができるものであって欲しいと、さまざま語られます。しかし同時に失敗の場合の赦しも語られています。新約に生きる私たちはすべて祈りによってきよめられるので、これらの規定に縛られる必要はありませんが、このスピリットは受け継ぎましょう。

■レビ記12:7祭司はこれを主の前にささげ、彼女のために贖いをしなさい。彼女はその出血からきよめられる。これが男の子でも、女の子でも、子を産む女についてのおしえである。
★全文をお読み下さい。ここから主がいかに婦人を尊び、守ろうとしているかを読み取ることができるでしょう。聖書はあなたに対する、全てここと同じ神様の愛と憐れみのメッセージです。受けとりましょう。滅ぼすためではなく、あなたが愛といのちに輝くためです。

■レビ記13:3祭司はそのからだの皮膚の患部を調べる。その患部の毛が白く変わり、その患部がそのからだの皮膚よりも深く見えているなら、それはツァラアトの患部である。祭司はそれを調べ、彼を汚れていると宣言する。
★聖書は伝染性がありほとんどの場合、人を死に至らせるツァラアトについても規定します。その人を守り群れを守るためです。癒された時の群れへの復帰の道筋も明確です。全ては神様の愛の心です。ヒデ

金曜日, 5月 18, 2012

20120518_レビ記8-10

■レビ記8:6 それから、モーセはアロンとその子らを近づかせ、水で彼らを洗った。
★神様の一方的な選びと召しによってアロンの子孫が祭司の名誉と責任を負うことに。祭司とされた彼らは、人々がいけにえをささげるのを助ける前に、きよめられ、自らをささげなければなりませんでした。あなたもこの時代、神様によって祭司とされました。大切な人々の救いのために神様の前に取りなしましょう。

■レビ記9:23ついでモーセとアロンは会見の天幕に入り、それから出て来ると、民を祝福した。すると主の栄光が民全体に現れ、9:24主の前から火が出て来て、祭壇の上の全焼のいけにえと脂肪とを焼き尽くしたので、民はみな、これを見て、叫び、ひれ伏した。
★主の定めに従ってイスラエルが献げ物をしたとき、主は火をもって応えて下さいました。この時代、主は信者の心の内に聖霊の火を注ぎ、その心をきよめ愛に満たされます。このことを通して今の時代も世界は神様が生き働いておられることを知ることができるのです。

■レビ記10:1さて、アロンの子ナダブとアビフは、おのおの自分の火皿を取り、その中に火を入れ、その上に香を盛り、主が彼らに命じなかった異なった火を主の前にささげた。10:2すると、主の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、彼らは主の前で死んだ。
★召し出された者の責任を思います。神様の前に混ざりもの。すなわち肉の欲をこめ、自分の考えに基づく献げ物はゆるされません。神様に仕える者は行いではなく、心の動機から問われるのです。愛はおうおうにして、自分の甘えを他者に強いても見えなくすることもあるかも知れません。さまざまな関係において他者を愛するゆえに自分が守るべき約束や義務がおろそかになっていないか点検してみましょう。ヒデ

木曜日, 5月 17, 2012

20120517_レビ記5-7

■レビ記5:4あるいは人が口で軽々しく、害になることでも益になることでも誓う場合、その人が軽々しく誓ったことがどんなことであれ、そのことを知ってはいたのに彼の目から隠れ、後でそれらの一つについて咎を覚える場合、5:5これらの一つについて咎を覚えるときは、犯した罪を告白しなさい。
★イエス様は「誓ってはならない。ただはいをはい、いいえをいいえとしなさい。それ以上は罪からくる」と語られました。あなたがもし、誓うことであなたの言葉を強めなければならないと感じるなら、あなたの誠意はどこかがおかしくなっていると警告するのです。告白を通して罪に陥る誘惑から自分を守れる恵みを感謝しましょう。

■レビ記6:12祭壇の火はそのまま燃え続けさせ、それを消してはならない。かえって、祭司は朝ごとに、その上にたきぎをくべ、その上に全焼のいけにえを整え、和解のいけにえの脂肪をその上で焼いて煙にしなさい。6:13火は絶えず祭壇の上で燃え続けさせなければならない。消してはならない。
★祭壇の聖なる火は神様がおこされたものでした。あなたの内に聖なる思いへの情熱を与えられたのも主です。それを保ち続けるために用いられるのはあなたの意志と祈りです。肉の頑張りによってではなく、主の愛に対する感謝の応答として、内に頂いた聖なる思いを大切にし続けましょう。そのために誘惑から離れるのです。

■レビ記7:26また、あなたがたのどこの居住地においても、鳥でも動物でも、その血をいっさい食べてはならない。
★血はいのちの川であり、いのちは神様からの賜物です。ゆえにすべて神様に返されるもので人によって使われることがなかったのです。いのちを神様のために用いる生涯を意識しましょう。ヒデ

水曜日, 5月 16, 2012

20120516_レビ記1-4

■レビ記1:4その人は、全焼のいけにえの頭の上に手を置く。それが彼を贖うため、彼の代わりに受け入れられるためである。
★人はアダムの子孫として、いのちの贖いなしに神様の前にでることができない者との自覚がイスラエルを罪と裁きから守る事を教えます。自分をどんな者として自覚するかが問われます。残念ですが、行いによって神様に受け入れられるほど、人間の動機と行為は聖いものではありません。それを謙虚に受け入れ、いけにえをささげて神様の前に出るのです。

■レビ記2:11あなたがたが主にささげる穀物のささげ物はみな、パン種を入れて作ってはならない。パン種や蜜は、少しでも、主への火によるささげ物として焼いて煙にしてはならないからである。
★主にささげる供え物にはまぜものがあってはならない。事実以上に大きく膨らまそうとするものがあってはならないと教えます。献げ物によって自分が崇められるようなささげ方をしてはなりません。

■レビ記3:2その人はささげ物の頭に手を置く。それは会見の天幕の入口の所でほふられる。そして、祭司であるアロンの子らは祭壇の回りにその血を注ぎかけなさい。
★神の小羊であるキリストは全人類の罪をその身に負うために、自ら十字架の上にいのちを捧げられました。ゆえに十字架を通って神様に近づく人をいつも救うことができるのです。

■レビ記4:3もし油そそがれた祭司が罪を犯し、民が咎を覚えるなら、その人は自分の犯した罪のために、傷のない若い雄牛を、罪のためのいけにえとして主にささげなければならない。
★良心の呵責なく生きることの尊さを教えます。ヒデ

火曜日, 5月 15, 2012

20120515_出エジプト39-40

■出エジプト39:6彼らは、しまめのうを、金のわくにはめ込み、これに印を彫るようにして、イスラエルの子らの名を彫った。39:7彼らはそれをエポデの肩当てにつけ、主がモーセに命じられたとおりに、イスラエルの子らの記念の石とした。
★祭司が身につけるエポデ、そこに刻まれたのはイスラエル12部族の名前です。あなたも神様によって召し出された神の皇太子。イエス様の胸にはあなたの名前が刻まれています。光り輝く宝石として。日ごとに天であなたのために父なる神様の前に出てとりなして下さるお方があることを感謝しましょう。聖書には「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」(ヘブル7:25)と主の天上での働きを証します。

■出エジプト40:35モーセは会見の天幕に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。40:36イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。40:37雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。
★神様が命じられた通り、モーセと民が幕屋を備えたとき、神様は約束通りイスラエルの民の中に留まり、イスラエルと共に歩み始めて下さいました。いよいよ約束の地をめざしたイスラエルの神様中心の生活のスタートです。この生活のスタイルを通してイスラエルは、荒野においても食べるものに困ることなく、靴もすり切れず守られたのです。キーワードは神様をおいて勇み足になることなく、また、神様が進まれるのに、そこにとどまって自らを神とすることなくです。天国とはイエス様が共にいて下さるところ、主が共にいてくだされば荒野も御国に変えられます。ヒデ

月曜日, 5月 14, 2012

20120514_出エジプト36-38


■出エジプト36:3彼らは、聖所の奉仕の仕事をするためにイスラエル人が持って来たすべての奉納物をモーセから受け取った。しかしイスラエル人は、なおも朝ごとに、進んでささげるささげ物を彼のところに持って来た。
★聖所で仕える祭司の働きのために、イスラエルの人々は定められた以上の奉納物をささげようと、朝ごとにやって来ました。主への感謝の応答としての自発の心です。これがまさに朝の聖書通読、ディボーションの心です。あなたの内にかつてのイスラエルの民の内にあった同じ主を愛する心が与えられていることに感謝。

■出エジプト37:9ケルビムは翼を上のほうに伸べ広げ、その翼で「贖いのふた」をおおい、ケルビムは互いに向かい合い、その顔は「贖いのふた」に向いていた。
★契約の箱の上の造りです。「贖いのふた」を一心に見つめるケルビムを通して、神様の関心が何かを鮮やかに示します。すわわちそれは罪の赦し。ひとりも滅びる事を願われず今も時を長くしている主の心です。急がれ、求められるのは福音宣教です。

■出エジプト38:3彼は、祭壇のすべての用具、すなわち、つぼ、十能、鉢、肉刺し、火皿を作った。そのすべての用具を青銅で作った。
★主の幕屋の建設を託されたベツァルエルの取り組みです。ひとつひとつ忠実に働きを進めます。そしてその働きは神様の前に覚えられています。人の前にではありません。神様の前に最高の仕事をするのです。隠れた所も、人の目に映るところも同様です。人の関心に心奪われれば罠に陥ります。報いは主から与えられるのです。ヒデ

日曜日, 5月 13, 2012

20120513_出エジプト33-35

■出エジプト33:14すると主は仰せられた。「わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。」33:15それでモーセは申し上げた。「もし、あなたご自身がいっしょにおいでにならないなら、私たちをここから上らせないでください。33:16私とあなたの民とが、あなたのお心にかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。それは、あなたが私たちといっしょにおいでになって、私とあなたの民が、地上のすべての民と区別されることによるのではないでしょうか。」
★民が金の子牛を造ったあとの出来事です。民を愛するモーセの姿。主とモーセの関係が鮮やかに描かれています。あなたがモーセのごとく立つところはどこでしょう。

■出エジプト34:29それから、モーセはシナイ山から降りて来た。モーセが山を降りて来たとき、その手に二枚のあかしの石の板を持っていた。彼は、主と話したので自分の顔のはだが光を放ったのを知らなかった。
★二度目に授かった石の板「十戒」です。何と言う神様の憐れみ深さ。神様は悔い改める民に何度でも神のことばを授けて下さいます。人生はどこからでもやり直すことができ、かつ人を輝かさせるのは神のことばとの交わりです。

■出エジプト35:20イスラエル人の全会衆は、モーセの前から立ち去った。35:21感動した者と、心から進んでする者とはみな、会見の天幕の仕事のため、また、そのすべての作業のため、また、聖なる装束のために、主への奉納物を持って来た。
★主の赦しに応答した人々の証しです。彼らは荒野を生きるために、共に心を合わせて主が臨在される幕屋の建設のための作業に取り掛かります。新約の時代。この地にも神の御国「支配」が、あなたという存在を通して広がりますように。ヒデ

土曜日, 5月 12, 2012

20120512_出エジプト30-32

■出エジプト30:37あなたが作る香は、それと同じ割合で自分自身のために作ってはならない。あなたは、それを主に対して聖なるものとしなければならない。30:38これと似たものを作って、これをかぐ者はだれでも、その民から断ち切られる。」
★主の前にささげる最も香りよき香。それを自分に向けて焚いてはならない。主におささげすべき栄光を自分にささげてはならない。すなわち主が受けとるべき栄光を自分が奪ってはならない。栄光は主のもの。「誇るものは主を誇れ」と言うことです。主が受けるべき栄光を奪おうとする者は自分自身が分からなくても、主とまわりの人には臭いと共に分かります。しかし本人は分からないからこそ、私たちは愛をもって指摘されなければならないのかも知れません。

■出エジプト31:14これは、あなたがたにとって聖なるものであるから、あなたがたはこの安息を守らなければならない。これを汚す者は必ず殺されなければならない。この安息中に仕事をする者は、だれでも、その民から断ち切られる。
★礼拝中でもカバンをあけ、仕事をしたくなる誘惑にかられる現代です。その真っ直中で主に心を向けるあなたは主の誇りです。

■出エジプト32:34しかし、今は行って、わたしがあなたに告げた場所に、民を導け。見よ。わたしの使いが、あなたの前を行く。わたしのさばきの日にわたしが彼らの罪をさばく。」
★自分たちのために金の子牛を造ったイスラエルに怒りを抱いたモーセに対して、主が語られた言葉です。ここからも、やがての日に、今まで留めておいたすべての罪を裁かれ主の姿を垣間見ます。まさに「報復は私のすることである。」です。主が再び来られた時にそれは実現します。神様を畏れる者であり続けましょう。ヒデ

金曜日, 5月 11, 2012

20120511_出エジプト28-29

■出エジプト28:1あなたは、イスラエル人の中から、あなたの兄弟アロンとその子、すなわち、アロンとその子のナダブとアビフ、エルアザルとイタマルを、あなたのそばに近づけ、祭司としてわたしに仕えさせよ。
★祭司制度の誕生です。イスラエルの同胞を胸に抱き、神様の前に出て執り成す祭司。彼らだけが聖所の中に入ることをゆるされ、神様と民との間に立って仕えるのです。今やその働きは主の臨在を自らの内に宿すものとなったクリスチャンに託されました。あなたは祝福の祭司です。

■出エジプト29:42これは、主の前、会見の天幕の入口で、あなたがたが代々にわたって、絶やすことのない全焼のいけにえである。その所でわたしはあなたがたに会い、その所であなたと語る。
★主が語られる場所は契約の箱の上に置かれた『贖いのふた』の間だから、そこを翼で覆い一心に見つめるケルビムの間だから語られることを既に確認しました。祭司はその御声を聞くために聖所の中に入り、細き御声を聞くのです。その御声は一方通行ではありません。主は「そのところであなたと語る」と約束されました。語り合うために、さあ主はあなたを待っておられます。ヒデ

木曜日, 5月 10, 2012

20120510_出エジプト25-27

■出エジプト25:22わたしはそこであなたと会見し、その『贖いのふた』の上から、すなわちあかしの箱の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人について、あなたに命じることをことごとくあなたに語ろう。
★神様は約束の地に向かうイスラエルと、ご自身が共にあるために、聖所と契約の箱を造ることを指示します。上の御言葉は、そうするならと語られた御声です。主は『贖いのふた』から語られる方。すなわちそのメッセージは赦しです。あなたを訴えるものはサタン。人はヘビににらまれたカエルではありませんが、以外と不健康でありつつも主からの赦しを受けとるよりも、自虐的なサタンからの言葉を受け取り、自己憐憫の中に留まり続ける事も。あなたは『贖いのふた』の合いだから語られる主の御声によって生きるのです。

■出エジプト26:1幕屋を十枚の幕で造らなければならない。すなわち、撚り糸で織った亜麻布、青色、紫色、緋色の撚り糸で作り、巧みな細工でそれにケルビムを織り出さなければならない。
★今度は聖所と契約の箱が収まる幕屋についての神様からの指示です。あの少年サムエルも、バプテスマのヨハネの父となったザカリヤもこの幕屋の中で主に仕えたのです。

■出エジプト27:1祭壇をアカシヤ材で作る。その祭壇は長さ五キュビト、幅五キュビトの四角形でなければならない。高さは三キュビトとする。27:2その四隅の上に角を作る。その角は祭壇の一部でなければならない。青銅をその祭壇にかぶせる。
★祭壇とはいけにえの動物の血を注ぐために用意されたもの。民はここで主の前に出るとき、自らの罪深さを自覚したのです。あなたの赦しのためにはキリストの血の犠牲があったこと心に刻みましょう。ヒデ

水曜日, 5月 09, 2012

20120509_出エジプト22-24

■出エジプト22:2──もし、盗人が、抜け穴を掘って押し入るところを見つけられ、打たれて死んだなら、血の罪は打った者にはない。22:3もし、日が上っていれば、血の罪は打った者にある──盗みをした者は必ず償いをしなければならない。もし彼が何も持っていないなら、盗んだ物のために、彼自身が売られなければならない。
★約束の地カナンに向かうイスラエルの民の中に問題が生じた場合の一つの基準を主がモーセを通して示されます。起こってくる内容はさまざまであっても確認されることは同じです。他者に危害を及ぼしたものの動機は故意か偶然か。故意の場合は厳しく、それ相当に償いが求められ裁かれますが、故意でない場合は寛大な対応をしなければならないということです。

■出エジプト23:6あなたの貧しい兄弟が訴えられた場合、裁判を曲げてはならない。23:7偽りの告訴から遠ざからなければならない。罪のない者、正しい者を殺してはならない。わたしは悪者を正しいと宣告することはしないからである。23:8わいろを取ってはならない。わいろは聡明な人を盲目にし、正しい人の言い分をゆがめるからである。

■出エジプト24:12主はモーセに仰せられた。「山へ行き、わたしのところに上り、そこにおれ。彼らを教えるために、わたしが書きしるしたおしえと命令の石の板をあなたに授けよう。」
★主は約束の民のためにはご自身のことばを必ず授けて下さいます。かつては石の板にでしたが今はあなたの心に刻みつけて下さいます。「登って来なさい」と語られる時、ひとりになることを躊躇せず主の前にでましょう。世々の聖徒はそこで細き主の御声にあずかり、主の臨在によって輝く生涯へと移されました。ヒデ

火曜日, 5月 08, 2012

20120508_出エジプト19-21

■出エジプト19:17モーセは民を、神を迎えるために、宿営から連れ出した。彼らは山のふもとに立った。
★モーセがシナイ山で主から十戒を授かる前の話ですが、ここに神様に仕える働き人の歩みが。多くの人は実際の生活の安定を求めて、宿営に留まることを願うのかも知れません。変化よりむしろ安定への願いが強い場合があるからでしょう。しかし主に仕える働き人は、更なる祝福を民が主から受けとれるようにと召されます。人々は新約の祭司とされたあなたの生き方を見ています。

■出エジプト20:2「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。20:3あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
★モーセがシナイ山の頂きで主から受けとった10の戒めの一つです。主は神様との関係と隣人との関係について戒めを与えられましたが、イエス様は、新約時代これを二つに集約されます。すなわち、「神を愛し、自分を愛するように隣人を愛せよ」です。そしてこの戒めは今の時代にも効力を持っています。

■出エジプト21:24目には目。歯には歯。手には手。足には足。……21:26自分の男奴隷の片目、あるいは女奴隷の片目を打ち、これをそこなった場合、その目の代償として、その奴隷を自由の身にしなければならない。
★主から十戒を授かった民としての人の道を、主はモーセを通して語られます。「目には目を」とは人を悪意なく傷つけてしまったものが守られるようにとの戒めです。人の欲と憎しみは時に際限なく増殖します。神様はそうした力で神の民が動くことを願われないのです。いつの時代も自分の罪深い自我を十字架に付けて、人間関係を築くようにと主は願われます。ヒデ

月曜日, 5月 07, 2012

20120507_出エジプト16-18

■出エジプト16:2そのとき、イスラエル人の全会衆は、この荒野でモーセとアロンにつぶやいた。16:3イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。」
★荒野で上の様な不信の言葉を民が語った時、主はイスラエルの日ごとの糧のために、天から「マナ」を降らせて下さいました。同時に民はこの恵みの中で試されます。神様に信頼するか否か。主は人のつぶやきを赦されました。人が自分自身どの様なものか深く理解させて下さるために。高ぶりと、不信の愚かさに気づく人は自分自身を救います。

■出エジプト17:11モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった。
★アマレク人との戦いの一コマです。主はこれを記録として書き記せと命じられます。もちろん大切な教訓だからです。主はあなたの祈りを聞かれます。

■出エジプト18:17するとモーセのしゅうとは言った。「あなたのしていることは良くありません。18:18あなたも、あなたといっしょにいるこの民も、きっと疲れ果ててしまいます。このことはあなたには重すぎますから、あなたはひとりでそれをすることはできません。
★重荷を負い合うことの尊さを主はイテロを遣わしモーセとイスラエルの民に諭させます。結果、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長が召し出され民に仕える事となります。あなたは一人で多くを抱えすぎて、見るべきものを見れない状況になっていませんか。ヒデ

日曜日, 5月 06, 2012

20120506_出エジプト13-15

■出エジプト13:19モーセはヨセフの遺骸を携えて来た。それはヨセフが、「神は必ずあなたがたを顧みてくださる。そのとき、あなたがたは私の遺骸をここから携え上らなければならない」と言って、イスラエルの子らに堅く誓わせたからである。
★いかにヨセフによってエジプトが飢饉から守られたことか、しかしそのことを知らない新しい王が生まれてから、イスラエルは400年間の奴隷生活をエジプトで強いられます。そんな中にあってもイスラエルの民を支えたのが、まさにこのヨセフの遺言でした。あなたの残りの地上の生涯が、このメッセージを深く刻み続けるものでありますように。

■出エジプト14:13それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。
★前には紅海、後ろはエジプトの戦車と、逃げ場を失ったイスラエルの民は、呪いとも言うべき苦々しい言葉をモーセにぶつけます。その時主が語られた言葉、それが上の御言葉です。時代は変わっても選びの民を絶対絶命の状態から救われるお方は変わりません。静まって主の救いを見る信仰に立ちましょう。

■出エジプト15:25モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。その所で主は彼に、おきてと定めを授け、その所で彼を試みられた。
★一本の木とは、やがてのキリストの十字架を象徴します。十字架は投ぜられるそこを人が生きることのできる地とします。ヒデ

土曜日, 5月 05, 2012

20120505_出エジプト10-12

■出エジプト10:23三日間、だれも互いに見ることも、自分の場所から立つこともできなかった。しかしイスラエル人の住む所には光があった。
★心頑ななパロに対して神様が次にモーセに命じられたことは、エジプト全土を闇で打つことです。しかし不思議、イスラエルの人々の住むゴシェン地には光があったのです。死を意味する闇を極端に嫌うエジプトの中で一際神様の臨在の輝きが際立ちます。

■出エジプト11:4モーセは言った。「主はこう仰せられます。『真夜中ごろ、わたしはエジプトの中に出て行く。11:5エジプトの国の初子は、王座に着くパロの初子から、ひき臼のうしろにいる女奴隷の初子、それに家畜の初子に至るまで、みな死ぬ。11:6そしてエジプト全土にわたって、大きな叫びが起こる。このようなことはかつてなく、また二度とないであろう。』
★なぜこれほどの試練を経験しなこれば、パロはイスラエルを去らせることが出来ないのか。ここに人の罪深さの現実が描かれます。イエス・キリストが成し遂げられた救いによって自我を十字架につける恵みが開かれたことを感謝しましょう。

■出エジプト12:13あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。
★「鴨居に塗られた血を見て私は過ぎ越す」。その意味は裁き済みとの意です。信仰によってイエス・キリストを受け入れたあなたの全身にはキリストの血が塗られています。ゆえに神の御前における裁きの日においても、あなたは守られるのです。ヒデ

金曜日, 5月 04, 2012

20120504_出エジプト7-9

■出エジプト7:3わたしはパロの心をかたくなにし、わたしのしるしと不思議をエジプトの地で多く行おう。7:4パロがあなたがたの言うことを聞き入れないなら、わたしは、手をエジプトの上に置き、大きなさばきによって、わたしの集団、わたしの民イスラエル人をエジプトの地から連れ出す。
★エジプトの王パロは、主がモーセとアロンを用いて杖をヘビに、ナイル川の水を血に変えたとき、呪法師を用いて同じ事をなし、心を頑なにします。結局、主によらなくても私でもできるというのです。主の前でも、自らの損益に支配され、心頑なにする人の姿がパロの存在を通して浮き彫りとなります。

■出エジプト8:15ところが、パロは息つく暇のできたのを見て、強情になり、彼らの言うことを聞き入れなかった。主の言われたとおりである。
★今度はカエルとぶよの災いが、主の前に心頑ななパロの上に臨みます。そして彼の特長は「喉元過ぎれば熱さを忘れる」です。そしてこの箇所のもう一つの特長はイスラエルとエジプトの民の間を区別して救いを置くと神様が宣言なさったことです。その救いは今あなたの上にも注がれています。

■出エジプト9:7パロは使いをやった。すると、イスラエル人の家畜は一頭も死んでいなかった。それでも、パロの心は強情で、民を行かせなかった。
★心頑なになるパロ。「……。それでも」でしょうか。「それだからこそ」でしょうか。状況がどうであれ、いえ悪くなれば悪くなる程に従いたくない。それがまさに強情の特長です。その結果、パロは最愛の息子を失います。自分は神様に取って変われない。この真理を心の底から受けとることが求められているのです。ヒデ

水曜日, 5月 02, 2012

20120503_出エジプト4-6

■出エジプト4:10モーセは主に申し上げた。「ああ主よ。私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。」4:11主は彼に仰せられた。「だれが人に口をつけたのか。だれが口をきけなくし、耳を聞こえなくし、あるいは、目を開いたり、盲目にしたりするのか。それはこのわたし、主ではないか。
★エジプトから民を脱出させた指導者モーセ。しかしモーセといえども恐れや、弱さのない人ではありません。人を強くされるお方は神様です。神様はあなたにも、あなたでなければなし得ない使命を与え、あなたを強く支えて下さるお方です。

■出エジプト5:2パロは答えた。「主とはいったい何者か。私がその声を聞いてイスラエルを行かせなければならないというのは。私は主を知らない。イスラエルを行かせはしない。」
★「イスラエルを去らせよ」とのモーセの言葉に「主とはいったい何者か。私は主を知らない」とはエジプトの王パロの言葉です。いえ彼の本音は「私こそが主である」でした。しかし人はたとえどんな王国を築くことのできる王であっても、主にとって変わることはできません。結果パロは紅海の底に沈むのです。主を知ることに富む者でありましょう。

■出エジプト6:29主はモーセに告げて仰せられた。「わたしは主である。わたしがあなたに話すことを、みな、エジプトの王パロに告げよ。」6:30しかしモーセは主の前に申し上げた。「ご覧ください。私は口べたです。どうしてパロが私の言うことを聞くでしょう。」
★神様にお仕えするために召し出された者が心に留めるべき教訓です。自分を見たら神様の使命を果たすことはできません。成し遂げさせて下さる主を仰ぐのです。ヒデ

20120502_出エジプト1-3

■出エジプト1:6そしてヨセフもその兄弟たちも、またその時代の人々もみな死んだ。1:8さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。
★結果イスラエルの苦難の生活がエジプトの地で始まります。しかしエジプトがイスラエルを虐げるようになった動機を見ますと「見よ。イスラエルの民は、われわれよりも多く、また強い。さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くといけないから。」と、恐れと貪欲であることが分かります。恩を忘れる人になってはなりません。自分の内にある恐れの為に力で相手をねじ伏せる人になってはいけません。

■出エジプト2:10その子が大きくなったとき、女はその子をパロの娘のもとに連れて行った。その子は王女の息子になった。彼女はその子をモーセと名づけた。彼女は、「水の中から、私がこの子を引き出したのです」と言ったからである。
★多産のイスラエルを恐れたパロは男の子なら殺せと命令します。3ヶ月目となり隠しきれなくなったレビ人が赤子をナイル川に流した時、それをパロの娘が拾い上げるとは。乳母(実はモーセの産みの母)によって成長したヘブル人が王女の息子となったのです。その名はモーセ。

■出エジプト3:9見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプトが彼らをしいたげているそのしいたげを見た。3:10今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」
★何のためにモーセはナイル川から引き出されたのか。このことのためです。主はまたあなたをもこの世から引き出されました。ヒデ

火曜日, 5月 01, 2012

20120501_創世記48-50

■創世記48:21イスラエルはヨセフに言った。「私は今、死のうとしている。しかし、神はあなたがたとともにおられ、あなたがたをあなたがたの先祖の地に帰してくださる。
★父ヤコブが危ないと知らされたときヨセフは二人の息子を連れて父の元を訪れます。そこでヤコブはヨセフの子マナセとエフライムを祝福し、ヨセフに希望を与えます。すなわち約束の地であり、先祖の地であるカナンへの帰還です。あなたは大切な人の為にどんなメッセージをもっているでしょう。その為にどのように神様からの語りかけに耳を傾けているでしょう。

■創世記49:1ヤコブはその子らを呼び寄せて言った。「集まりなさい。私は終わりの日に、あなたがたに起こることを告げよう。
★ヤコブの息子達への遺言が語られる章です。神様から託された12人の子供達への預言と、自らの願望を語ります。神様は確かにアブラハム、イサク、ヤコブと、ご自身の立てた選びの器を用いてみわざを進められました。それが証拠にここで預言されることがことごとく成就するのです。「押しのける者」ヤコブを召しだし、神の皇太子「イスラエル」と定められた神様のご計画がここに完成します。そして神様はあなたの人生も必ず完成へと導かれます。

■創世記50:24ヨセフは兄弟たちに言った。「私は死のうとしている。神は必ずあなたがたを顧みて、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます。」50:25そうして、ヨセフはイスラエルの子らに誓わせて、「神は必ずあなたがたを顧みてくださるから、そのとき、あなたがたは私の遺体をここから携え上ってください」と言った。
★人生いかに生きたか、そして何を残すか。人は生きたようにしか死ねません。ヨセフはここで希望を残します。それが神様と共に歩んだヨセフの生き様でした。ヒデ