水曜日, 5月 16, 2012

20120516_レビ記1-4

■レビ記1:4その人は、全焼のいけにえの頭の上に手を置く。それが彼を贖うため、彼の代わりに受け入れられるためである。
★人はアダムの子孫として、いのちの贖いなしに神様の前にでることができない者との自覚がイスラエルを罪と裁きから守る事を教えます。自分をどんな者として自覚するかが問われます。残念ですが、行いによって神様に受け入れられるほど、人間の動機と行為は聖いものではありません。それを謙虚に受け入れ、いけにえをささげて神様の前に出るのです。

■レビ記2:11あなたがたが主にささげる穀物のささげ物はみな、パン種を入れて作ってはならない。パン種や蜜は、少しでも、主への火によるささげ物として焼いて煙にしてはならないからである。
★主にささげる供え物にはまぜものがあってはならない。事実以上に大きく膨らまそうとするものがあってはならないと教えます。献げ物によって自分が崇められるようなささげ方をしてはなりません。

■レビ記3:2その人はささげ物の頭に手を置く。それは会見の天幕の入口の所でほふられる。そして、祭司であるアロンの子らは祭壇の回りにその血を注ぎかけなさい。
★神の小羊であるキリストは全人類の罪をその身に負うために、自ら十字架の上にいのちを捧げられました。ゆえに十字架を通って神様に近づく人をいつも救うことができるのです。

■レビ記4:3もし油そそがれた祭司が罪を犯し、民が咎を覚えるなら、その人は自分の犯した罪のために、傷のない若い雄牛を、罪のためのいけにえとして主にささげなければならない。
★良心の呵責なく生きることの尊さを教えます。ヒデ

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