★エジプトの王パロは、主がモーセとアロンを用いて杖をヘビに、ナイル川の水を血に変えたとき、呪法師を用いて同じ事をなし、心を頑なにします。結局、主によらなくても私でもできるというのです。主の前でも、自らの損益に支配され、心頑なにする人の姿がパロの存在を通して浮き彫りとなります。
■出エジプト8:15ところが、パロは息つく暇のできたのを見て、強情になり、彼らの言うことを聞き入れなかった。主の言われたとおりである。
★今度はカエルとぶよの災いが、主の前に心頑ななパロの上に臨みます。そして彼の特長は「喉元過ぎれば熱さを忘れる」です。そしてこの箇所のもう一つの特長はイスラエルとエジプトの民の間を区別して救いを置くと神様が宣言なさったことです。その救いは今あなたの上にも注がれています。
■出エジプト9:7パロは使いをやった。すると、イスラエル人の家畜は一頭も死んでいなかった。それでも、パロの心は強情で、民を行かせなかった。
★心頑なになるパロ。「……。それでも」でしょうか。「それだからこそ」でしょうか。状況がどうであれ、いえ悪くなれば悪くなる程に従いたくない。それがまさに強情の特長です。その結果、パロは最愛の息子を失います。自分は神様に取って変われない。この真理を心の底から受けとることが求められているのです。ヒデ
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