木曜日, 6月 28, 2012

20120629_ヨシュア記22-24

■ヨシュア記22:11イスラエル人はこういううわさを聞いた。「ルベン族、ガド族、およびマナセの半部族が、カナンの地の国境、ヨルダン川のほとりの地、イスラエル人に属する側で、一つの祭壇を築いた。」
★イスラエル12部族がみな割り当て地を得るまで、ヨルダン川の東に割り当て地を得ていた2部族半は戦い抜きます。そんな彼らをヨシュアは「この長い間、あなたがたは同胞を捨てず……」と賞賛をもって送り出します。にもかかわらず、ヨルダン川に着くやいなや、彼らが祭壇を築くとは。一触即発の事態の発生です。しかし長老達が彼らから話しを聞くと、彼らが築いたのは偶像の祭壇ではなく、自分たちの子孫がやがて同胞から忘れられないかとの心配から築いた記念の塚でした。人とは皆例外なく思い込みやすい者、先走りせず、柔和な心をもって物事に当たることの尊さを覚えさせられます。

■ヨシュア記23:14見よ。きょう、私は世のすべての人の行く道を行こうとしている。あなたがたは、心を尽くし、精神を尽くして知らなければならない。あなたがたの神、主が、あなたがたについて約束したすべての良いことが一つもたがわなかったことを。それは、一つもたがわず、みな、あなたがたのために実現した。
★どこまでも民の心を主の恵みに向けようとするヨシュアの晩年の言葉です。

■ヨシュア記24:15もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」
★何とか民を祝福に導きたいと願う、有名なヨシュアの言葉です。自由のなかでどんな道を選ぶか私たちも問われています。ヒデ

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