水曜日, 6月 20, 2012

20120620_申命記28-29

■申命記28:1もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。
★では聞き従わない時はどうでしょう。モーセは「かつて主があなたがたをしあわせにし、あなたがたをふやすことを喜ばれたように、主は、あなたがたを滅ぼし、あなたがたを根絶やしにすることを喜ばれよう。あなたがたは、あなたが入って行って、所有しようとしている地から引き抜かれる。……これら異邦の民の中にあって、あなたは休息することもできず、足の裏を休めることもできない。主は、その所で、あなたの心をおののかせ、目を衰えさせ、精神を弱らせる。」(28:63-65)と語ります。しかもこの章に割く聞き従うことと聞き従わないことへの戒めの比率は1対4で、聞き従うことが断然困難です。本当に主の憐れみを求める以外にありません。

■申命記29:29隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現されたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。
★人が神様に聞き従えないことがあるとするなら、それは知識が不足しているからでしょうか。いえそうではなく、聖書は人が意図的に神様のことばを拒んでいるからだと語ります。また私たちがより成熟するまで知る必要のない知識もあるのです。何か重要な情報を知ったとき、十分な成熟がないとき、人は畏れると言うよりも、それを盾にとって相手を威圧したり、コントロールしようとさえする場合があるのです。あるいは相手の欠点や弱さを掴んだ時、あなたはどうですか。成熟がなければその人の態度と言葉はその人に対してそれ以降大きく変わります。何を知らされても人をあるべき態度に留めるのはその人の成熟です。ヒデ

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