火曜日, 9月 07, 2010

20100907_2列王13_エゼキエル3_2コリント10-11

■2列王13:19神の人は彼に向かい怒って言った。「あなたは、五回、六回、打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを打って、絶ち滅ぼしたことだろう。しかし、今は三度だけアラムを打つことになろう。」
★イスラエルの王ヨアシュはアラムとの戦いの導きを求めて神の預言者エリシャのもとに。エリシャは「弓を取り地面を打て」と預言的言葉をヨアシュに語ります。そしてヨアシュが3度地面を打って止めた時、エリシャは上のことばをヨアシュ王に向かって語ったのです。あなたは神様から「せよ」と語られたことを2、3回実行し、それで満足してしまっているとこがありませんか。あるいは成し遂げるべきものを2、3回挑戦して、それでもうまく行かない時、そのまま諦めてしまっていることはありませんか。主は「更に打て、諦めるな。私があなたを助ける」と語られるお方、そしてあなたの信仰を用いて、歴史を変えられるお方です。

■エゼキエル3:17「人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人とした。あなたは、わたしの口からことばを聞くとき、わたしに代わって彼らに警告を与えよ。3:18わたしが悪者に、『あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もしあなたが彼に警告を与えず、悪者に悪の道から離れて生きのびるように語って、警告しないなら、その悪者は自分の不義のために死ぬ。そして、わたしは彼の血の責任をあなたに問う。
★厳粛です。主はキリストの血によって贖われた私たちに対して「あなたはこの世の見張り人である」と語られ、責任があると語られるのです。だからこそ私たちは曇りのない神の御心を日毎にしっかり受け取る必要があるのです。

■2コリント10:7あなたがたは、うわべのことだけを見ています。もし自分はキリストに属する者だと確信している人がいるなら、その人は、自分がキリストに属しているように、私たちもまたキリストに属しているということを、もう一度、自分でよく考えなさい。
★人は自分の以外見え難くなることがあります。しかし、こうした言葉を主から掛けられるあなたは主の期待の中にあると言うことです。今日も世の光、地の塩として、味のある歩みをさせて頂きましょう。あなたは主の誇りの器です。ヒデ

月曜日, 9月 06, 2010

20100906_2列王11-12_エゼキエル2_2コリント8-9

■2列王12:15また、工事する者に支払うように金を渡した人々と、残高を勘定することもしなかった。彼らが忠実に働いていたからである。
★ヨアシュ王の時代に立てられた祭司達は神の宮の修理についてさえも不忠実で、その働きを取り上げられてしまいます。しかし、実際に仕えた石工や石切り工たちは残高を勘定する必要もないほどに、彼らの忠実さゆえ信頼されたのです。主は「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。」と語られ、忠実な人生を生きようとする人の中から人を召し出されるお方です。人の目ではありません、内側を見られる神様の前に呵責のない生き方をこの朝も選び取りましょう。

■エゼキエル2:1その方は私に仰せられた。「人の子よ。立ち上がれ。わたしがあなたに語るから。」
★神の言葉とは聞き従う備えの出来た人の心に豊かに語られます。語られたなら、信仰をもって立ち上がりましょう。必ず主はあなたを支えて下さいます。

■2コリント8:9あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。
★これが福音の本質です。そう、主はご自身の持てる全てを、持てるもののみならず命さえもおしみなく注ぎだして下さいました。そしてその恵みをあなたは、ただ信仰によって受け取る事が出来るのです。あなたが富む者となるためにとの御心の成就のため、さあ、心を開いて今キリストを心の内にお迎えしましょう。ヒデ

日曜日, 9月 05, 2010

20100905_2列王10_エゼキエル1_2コリント5-7

■2列王10:28このようにして、エフーはバアルをイスラエルから根絶やしにした。10:29ただし、エフーは、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪、すなわち、ベテルとダンにあった金の子牛に仕えることをやめようとはしなかった。
★バアル崇拝によってイスラエルに混乱をもたらしたアハブ王とその妻イゼベル、および彼らの子供達70人には呵責のない裁きを下したエフー。しかしそんな彼であってもサマリヤに祭壇をつくった先祖ヤロブラムの罪、金の子牛礼拝を止めることはできませんでした。あなたは家系に流れる罪を知っていますか。それはそれぞれの家によって異なりますが、一つのパターンのあることを否めません。主はそのためにも十字架の上で救いを完成して下さいました。自分ではどうしようもない罪が示されたなら、それだからこそ必要だった十字架の恵みを覚え、その愛の中に積極的に飛び込み癒しを受け取る者でありましょう。

■2コリント5:14というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。5:15また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
★このところからクリスチャンの人生の価値観とは、どれほど多くのものを獲得し使うことができるかと言う、消費の人生ではなく、与えられた命をいかに神様と人にとって意味あるものとして、注ぎだし貢献できたかにあることを覚えましょう。クリスチャンの「死んで甦った方のために」との人生の目的は明確で、新たに考える必要はないのです。与えられ生かされているあなたの地上の生涯が、迷うことなく御心を成し遂げるものでありますように。ヒデ

土曜日, 9月 04, 2010

20100904_2列王9_哀歌5_2コリント3-4

■2列王9:6エフーは立って、家に入った。そこで若い者は油をエフーの頭にそそいで言った。「イスラエルの神、主は、こう仰せられる。『わたしはあなたに油をそそいで、主の民イスラエルの王とする。9:7あなたは、主君アハブの家の者を打ち殺さなければならない。こうしてわたしは、わたしのしもべである預言者たちの血、イゼベルによって流された主のすべてのしもべたちの血の復讐をする。
★イスラエルに混乱をもたらすバアルに仕える悪妻イゼベルとその夫アハブの悪政に義憤を感じていたエフー。神様はそんなエフーに「アハブの子ヨラム王を打ち殺しなさい」と。その時エフーは即座にヨラム王を討つ計画を実行するのです。神様は御自身の民の内面の汚れや、不道徳な行動について、「それを討ちなさい。明け渡しなさい」と指摘し私たちを罪から解放して下さろうとするお方です。エフーは即座に従い神様の祝福を受けましたが、さてあなたはいかがでしょう。従順をもって神様の備えたもう祝福を受け取るものでありましょう。

■1コリント3:7それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。
★パウロは語ります。教会とはどんなところでしょう。それはただ天のお父様と私たちの罪のために死んで甦ってくださったイエス様を心一杯誉めたたえ、希望を神様に向けるところです。ですから高ぶるものは引き下ろされ、謙る者には恵みが主より注がれるのです。さてそこで質問です。あなたが今日一日責任を負うべきお方は誰ですか。聖書は「鼻で息をする人間をたよりにするな。そんな者に、何の値うちがあろうか」と語ります。主を恐れるあなたの心に主が自由の霊を豊かに注ぎ今日一日を祝福の中に導かれますように。ヒデ

金曜日, 9月 03, 2010

20100903_2列王8_哀歌4_2コリント1-2

■2列王8:5彼が王に、死人を生き返らせたあのことを話していると、ちょうどそこに、子どもを生き返らせてもらった女が、自分の家と畑のことについて王に訴えに来た。そこで、ゲハジは言った。「王さま。これがその女です。これが、エリシャが生き返らせたその子どもです。」8:6王が彼女に尋ねると、彼女は王にそのことを話した。そこで、王は彼女のためにひとりの宦官に命じて言った。「彼女の物は全部返してやりなさい。それに、彼女がこの地を離れた日から、きょうまでの畑の収穫もみな、返してやりなさい。」
★なんと不思議なことでしょう。イスラエルの王がエリシャの功績を語って欲しいとエリシャの僕ゲハジから聞いているとき、まさに今ゲハジが王に語ったその証詞の婦人が自分の家と畑の困窮の解決を求め王の前に訪れたのです。結果。王は特別な計らいをこの婦人に与えます。しかし聖書を見るとこの婦人はかつて神の預言者エリシャに好意を示し、助けた経緯があったのです。主は昔も今も「最も小さい者の一人にしたのはすなわち私にしたのである」とあなたの愛と善意に酬いて下さるお方です。ゆえに聖書は「堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい」と語るのです。

■2コリント2:10もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。
★神様は御自身の僕パウロを通してここで祝福を受ける赦しの法則を明らかにします。赦しとは、赦しを選び取った後は裁きは神様に委ねることですよと、パウロはそれを「キリストの前で赦したのです」と表現します。単に心の思いの中だけでなく、あなたの赦しは、その結果が相手への愛の行動となって証しされるほどとなることが望ましいと語るのです。赦さない者の足もとを、サタンは巧妙な策略をもってすくおうとしますが、キリストの御前で赦す者には歯が立ちません。サタンのわざを愛によって打ち砕きましょう。赦しを選び取る人に注がれる神様の酬いは測り知ることが出来ません。ヒデ

木曜日, 9月 02, 2010

20100902_2列王7_哀歌3_1コリント16

■2列王7:9彼らは話し合って言った。「私たちのしていることは正しくない。きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。もし明け方まで待っていたら、私たちは罰を受けるだろう。さあ、行って、王の家に知らせよう。」
★アラムの全軍に包囲されたイスラエル、結果城壁から一歩も外に出られなくなったイスラエルは極度の食料不足に見舞われ、サマリヤの城壁内では婦人が産み落とした子供を煮て食べるといった悲惨が。そうした中、重い皮膚病にかかりイスラエル社会から締め出された4人はどっちにしても死ぬなら、敵アラムの陣営に行って憐れみを求めよう。ヒョッとすると生かしておいてくれるかもと。ところが行って見ると実際はアラムの全軍はどんな大きな軍隊に襲われたのかと思うほど、着るべき物、食べるべき物もそのままに、慌てふためいて逃げ去っているではありませんか。上の言葉は、腹を満たし、奪えるものは奪おうとする中、我に返った4人が語った言葉です。
しかしこのことについて、誰も信じませんでしたが神様は預言者エリシャを用いて「明日の今頃、全てのものがただで手に入り飢饉は解消されるだろう」と預言していたのです。
困難の中にあればあるほどに神の言葉にこそ耳を傾ける価値を覚えましょう。神の言葉は、語られた通りに事を成し遂げるのです。しかも人々に実質ある希望をもたらす良き知らせは既にキリストによって成し遂げられているのですから。

■哀歌3:22私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。主こそ、私の受ける分です」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。主の救いを黙って待つのは良い。人が、若い時に、くびきを負うのは良い。それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。口をちりにつけよ。もしや希望があるかもしれない。自分を打つ者に頬を与え、十分そしりを受けよ。主は、いつまでも見放してはおられない。
★それぞれに御言葉そのものを味わいましょう。主の祝福を祈ります。ヒデ

水曜日, 9月 01, 2010

20100901_2列王6_哀歌2_1コリント15

■2列王6:16すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」と言った。6:17そして、エリシャは祈って主に願った。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。
★アラムの王がイスラエルを倒そうと密室で策略を練るにも関わらず、果たしてどうしたことでしょう。立てた計画はことごとくイスラエルの王に筒抜けです。誰かスパイがいるのかと叫ぶアラムの王。何とその時、家来の一人はイスラエルの預言者エリシャの耳にはあなたが寝室で語られることでも筒抜けなのですと語ります。憤ったアラムの王はエリシャを討伐する軍隊をおくり、突然彼らがエリシャの召使の前に明け方あらわれた時、召使いは怖じ恐れますが、その時エリシャが語った言葉が上の御言葉です。あなたは知っていますか。神を畏れ、神を愛し、信頼する人のまわりには神様が御使いを送り、火の馬と戦車を持って、あなたに敵が手を掛ける事の出来ないように守って下さることを。私の霊の目を開いて下さいと祈りましょう。

■1コリント15:9私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。15:10ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。
★上の言葉は主の弟子パウロの告白です。そう、誰でもその生涯において主に敵対し、主の御心を痛めることもあるのです。しかし、パウロはたとえそうであっても、神の恵みは私を成長させ、私の人生を完成して下さいますと語ります。主に赦されて、主を信じて仰ぐ信仰。これこそがあなたを生かす信仰です。ハレルヤ。ヒデ

火曜日, 8月 31, 2010

20100831_2列王5_哀歌1_1コリント14

■2列王5:14そこで、ナアマンは下って行き、神の人の言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。
★これは重い皮膚病に冒されていたアラムの王の将軍ナアマンの皮膚を癒した行動です。ナアマンの妻に仕える若い奴隷がイスラエル出身で「イスラエルの預言者エリシャのところに行けばきっと癒して下さるでしょうに」との言葉を受けて、ナアマンは彼のもとを訪ねます。その時エリシャは使いをやって「ヨルダン川へ行って7度身を洗いなさい」と言うのです。てっきり預言者エリシャが患部見て心を痛め憐れみ、その上で手を動かし直してくれると思ったナアマンは、顔も出さないエリシャに、憤りを感じ、預言者の言葉を退け国に帰ろうとするのです。しかし、その時知恵あるナアマンの僕は「もしも、むずかしいことを命じられたら、あなたはそれをなさるに違いありません。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい』と言っただけではありませんか」と。
さて、その言葉に心を変え、自らのプライドを捨てナアマンが預言者の言葉に従った時、どうなったでしょう。なんと皮膚病は癒されたのです。まさに奇蹟、不思議。そう神様による癒し、救いの方法はまさに奇蹟です。そして私たちの癒しの為には神の奇蹟が必要です。頭をもたげるプライドに支配される事無く、語られる神の言葉への従順をもって神様の奇蹟を受け取りましょう。

■1コリント14:32預言者たちの霊は預言者たちに服従するものなのです。14:33それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。
★神様の御名による共同体の秩序と平和は何によって築かれるのでしょう。それは神の言葉への従順と聖霊様の導きです。ただよく犯す過ちは隠れた自分の欲求を聖霊様の導きとして受け取ろうとすることで、そこに混乱が生じるのです。今日も砕かれ明け渡された心を持って神の言葉に従順しましょう。主はあなたを祝福して下さいます。ヒデ

月曜日, 8月 30, 2010

20100830_2列王4 エレミヤ52 1コリント12-13

■2列王4:2エリシャは彼女に言った。「何をしてあげようか。あなたには、家にどんな物があるか、言いなさい。」彼女は答えた。「はしための家には何もありません。ただ、油のつぼ一つしかありません。」
★エリシャのもとで神様に仕える一人の預言者が召され、彼が残した負債のゆえにその子供が貸し主に奴隷とされようとした時、エリシャがその子の母に語った言葉が上の御言葉です。家には何があるか。彼はその婦人が唯一持っていた壺に油を満たして、彼らを危機から脱出させます。あなたは、まさにこれが神様の方法である事をご存知ですか。人は窮乏に直面するとき、於かれた環境に支配され落胆します。が、見方や発想を変えると問題を解く糸口と祝福が、多くの場合そこに隠されているのです。その為に用いられるのが感謝の心。あなたはどんな時感謝をささげますか。聖書は「いつも喜び、絶えず祈り、全てのことについて感謝しなさい」と。なぜならそれが問題を祝福に変える鍵だから。

■1コリント13:4愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。13:5礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、13:6不正を喜ばずに真理を喜びます。13:7すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
★上の御言葉の「愛」の部分に自分の名前を入れてもう一度朗読してみましょう。そうすれば、聖霊様はいかに自分に愛がないことを示して下さる事でしょう。そう、それが、私たちの姿です。愛がない。だからこそ主を仰ぎ、主の憐れみを求めるのです。人間の愛には限界がありますが、主の十字架を仰ぐ者に注がれる神様の愛には限界がなく、それは私たちの限界を取り除き、自分自身から解き放ち、神と人を愛する者へと変えて下さいます。決断を持ってこの愛の中に飛び込みましょう。その時、主の愛があなたを支えて下さいます。ヒデ

日曜日, 8月 29, 2010

20100829_2列王3_エレミヤ51_1コリント11

■2列王3:11ヨシャパテは言った。「ここには主のみこころを求めることのできる主の預言者はいないのですか。」すると、イスラエルの王の家来のひとりが答えて言った。「ここには、シャファテの子エリシャがいます。エリヤの手に水を注いだ者です。」
★これはイスラエルに背いたモアブを懲らしめるため、イスラエルの王ヨラムの要請に応じて出陣したユダの王ヨシャパテが語った言葉です。1週間、荒野の旅を続ける中で水を使い果たし、思わぬ劣勢に追い込まれようとする中、預言者を通して神様の助けを求める姿勢を示したのです。その結果、部隊は守られ、そればかりか神様の奇跡的な介入の末、イスラエルに勝利をもたらします。試練や劣勢の時に右往左往する人もあれば、ヨシャパテのように神に心を向ける人も……。あなたは「静まって私こそ神であることを知りなさい」との御言葉をご存知ですか。神様は信じて仰ぐ人を助けて下さるお方です。

■エレミヤ51:36それゆえ、主はこう仰せられる。見よ。わたしはあなたの訴えを取り上げ、あなたのために報復する。わたしはその海を干上がらせ、その泉をからす。
★聖書はご自身を畏れる者のためには立ち上がって、あなたの為に戦って下さる神様を示します。ゆえに報復は神様に委ねるのです。この正しい裁きをなさるお方に報復を委ねることが出来る魂は幸いです。

■1コリント11:11とはいえ、主にあっては、女は男を離れてあるものではなく、男も女を離れてあるものではありません。11:12女が男をもとにして造られたように、同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から発しています。
★聖書は、優劣ではなく祝福のための秩序を神様が自然界に設けられたことを教えます。あなたの生き方が今日も回りに潤いと命のハーモニーをもたらすものでありますように祝福します。ヒデ

土曜日, 8月 28, 2010

20100828_2列王1-2_エレミヤ50_1コリント10

■2列王2:9 渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。「私はあなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に、求めなさい。」すると、エリシャは、「では、あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように」と言った。
★ソロモンは主に願えと命じられたとき、民を正しく裁く知恵を求め、御心に適った願いゆえに豊かに聞き入れられました。なおかつエリシャの求めは預言者エリヤの継承者となることでした。エリヤは、そのことは最後まで歩みを、生活を共にする中で継承されることを示します。キリストの預言者とされた私たちも、自分を十字架につける生き方の中でキリストに似る者とされて行くのです。あなたは負うべき十字架を避け、あなたの中にキリストのかたちが造り上げられるチャンスを失ってはいませんか。

■エレミヤ50:34彼らを贖う方は強く、その名は万軍の主。主は、確かに彼らの訴えを支持し、この国をいこわせるが、バビロンの住民を震え上がらせる。
★あなたを解放されるお方は主です。

■1コリント10:13あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。10:14ですから、私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。
★ここには試練の時に避けるべきことが明確です。何ですか。偶像礼拝です。試練の時にこそ私たちの内面は明らかにされ、弱さも露わにされますが、そこでこそ心を主に向け、主の脱出の奇蹟を見るのです。自分や偶像にではなく主にこそより頼み、神として崇めましょう。たとえ回りは八方塞がりでも主に向かうあなたの天は常に開かれています。ヒデ

金曜日, 8月 27, 2010

20100827_1列王22_エレミヤ49_1コリント8-9

■1列王22:34ところが、ひとりの兵士が何げなく弓を放つと、イスラエルの王の胸当てと草摺の間を射抜いた。そこで、王は自分の戦車の御者に言った。「手綱を返して、私を敵陣から抜け出させてくれ。傷を負ってしまった。」
★これは妻イゼベルによってイスラエルに偶像礼拝を持ち込み民を苦しめたアハブ王の最後です。彼は戦いに出るとき「私は変装して戦いに行こう。でも、あなたは、自分の王服を着ていてください。」とユダの王ヨシャパテに語りますが、敵国アラムの王の目は誤魔化せても、主の目は誤魔化せませんでした。国を滅ぼすほどの罪とは偶像礼拝を他にしてありません。しかし主は今やこの偶像礼拝の罪のためにもキリストを私たちの罪の身代わりに十字架に付け、救いの道を開いて下さっいました。いかに偶像礼拝から離れるか。まさにこれそこが人生の命題です。キリストを仰ぎましょう。

■1コリント9:22弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
★パウロは、「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建て、人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです」と語ります。そして全世界の異邦人の救いの為に生涯をささげたパウロの実際は、まさに幾人かであり、目の前の一人でした。私の話に耳を傾けてくれる人が三千人いたら、いや百人、五十人いたらではありません。まさに目の前の一人のために自分の命を注ぎ出そうとしたのです。それが主ご自身の生き方であり、パウロはそれを自らの生き方としたのです。一人の為にとは、それをしたあなたが公にしなければ、ほとんど明らかになることはない愛のわざです。即ちパウロは人々の関心を自分に向けさせるためではなく、ただキリストに仕えたのです。あなたは与えられた今日一日をいかに生きますか。ヒデ

木曜日, 8月 26, 2010

20100826_1列王21_エレミヤ48_1コリント7

■1列王21:25アハブのように、裏切って主の目の前に悪を行った者はだれもいなかった。彼の妻イゼベルが彼をそそのかしたからである。
★アハブ王の幼児性には驚くべきものがあります。彼はイスラエルの王でありながら、宮殿のそばにあった民、ナボテのブドウ畑が欲しくなり、それ相当の代価で購入したいと申し出ますが、それがかなわなかった時、なんとふて寝をしていたと言うのです。そこに関わったのが過干渉で、全く神を畏れない悪妻イゼベル。あなた、どうしたのですか。アハブ王はこうこうしかじか、その理由を伝えます。ならば私があなたの為にそのブドウ畑を手に入れてあげましょうと、よこしまな者たちを雇ってナボテを殺し、さあナボテは死んだので、ぶどう園をあなたのものとするために出かけなさいとイゼベルは語るのです。そしてここにはそれを喜んで出かけるアハブの姿があるのです。なんと言う幼児性。夫と妻の関係ではなく、子供の事しか目にない愚かな母と幼稚な息子の関係です。王が男として立たなければ国は滅び、夫が男として立たなければ家は滅んでしまいます。幼児性を自らの中に温存するものではなく、主の前に差し出し癒しを受けることは幸いです。

■1コリント7:35ですが、私がこう言っているのは、あなたがた自身の益のためであって、あなたがたを束縛しようとしているのではありません。むしろあなたがたが秩序ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるためなのです。
★パウロはこの章で、主にある夫婦、親子、奴隷と主人の有りようを取り上げ、クリスチャンの生き方についてのアドバイスを書き送ります。が、その書き方は、「……してはいけません。……が良いと思います。……のほうがもっと幸いです。私も神の御霊を頂いていると思います。」と自分の分を弁えたもので、聖霊様よりも先んじることはありませんでした。人は慎み深いクリスチャンの発言と行動によって始めて慰め生かされます。逃げないで人と関わろうとしたパウロを、温かみのある人格者として造り上げた主は、あなたもそのような温かみある人へと導いて下さるお方です。主を仰ぎましょう。ヒデ

水曜日, 8月 25, 2010

20100825_1列王20_エレミヤ47_1コリント6

■1列王20:34ベン・ハダデは彼に言った。「私の父が、あなたの父上から奪い取った町々をお返しします。あなたは私の父がサマリヤにしたように、ダマスコに市場を設けることもできます。」「では、契約を結んであなたを帰そう。」こうして、アハブは彼と契約を結び、彼を去らせた。
★主はイゼベルを妻とし、イスラエルをバアルの預言者によって悩ました優柔不断なアハブ王のもとにある民をあわれんで、アラムの王ベン・ハダデの剣から奇蹟をもって救われます。その時、主は勝利を収めたアハブ王にベン・ハダデを打てと命じますが、どうでしょう。アハブは彼と同盟を結んで帰すのです。結局のところいつも神を畏れず、優柔不断をもって自分の思いを優先させるアハブ。聖書はそのつけがやがて彼の子孫に及ぶことを語ります。優柔不断。それは神様に忌み嫌われるものであることを心に刻みましょう。

■エレミヤ47:6「ああ。主の剣よ。いつまで、おまえは休まないのか。さやに納まり、静かに休め。」
★剣は自分をも、相手をも共に傷付けるもの、ゆえにキリストにあって、あなたの剣をサヤに収めよと主は語られるお方です。剣ではなく神の前に湧きあがる思いを留めていた栓を抜き、その心を主の前に注ぎ出すのです。その時、主はあなたの心に神にある平安を創って下さるお方です。

■1コリント6:20あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。
★聖書は「すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません」と、全てが許されていることを教えますが、その中にあっても贖われた者としての歩みの尊さを教えます。即ちどんな時にも神様に愛されている存在であることを覚えていなさいと言うのです。それがあなたが生きるための規準です。ヒデ

火曜日, 8月 24, 2010

20100824_1列王19_エレミヤ45-46_1コリント4-5

■1列王19:4自分は荒野へ一日の道のりを入って行った。彼は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言った。「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」
★アハブ王に仕えるバアルの預言者450人と戦い、みごと彼らを討ち滅ぼしたエリヤ。しかしそのことゆえ、「もしも私が、あすの今ごろまでに、あなたの命をあの人たちのひとりの命のようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」と、怒りと憎しみをあらわに、アハブの妻イゼベルが告げたとき、たとえエリヤであっても上の言葉のように意気消沈し、40日間人の前に立てないほどの鬱症状に見舞われるのです。
バアルの預言者450人を一人で滅ぼした大預言エリヤの姿はどこに?しかし、これが人間の現実です。しかし、神様はエリヤを責められません。ゆっくりと彼の回復を見守り、やさしく声を掛けられるのです。しかも神様はエリヤにバアルにひざを屈めない7千人の預言者を残して下さっていましたが「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。彼らは私のいのちを取ろうとねらっています」と、エリヤは自分に囚われた言葉を語るのです。人間とは極度の緊張とそれに続く恐怖に、何と弱いものでしょう。しかもそれは一人の婦人の言葉でした。
ですから人は自分を過大評価することは禁物です。むしろ主は弱くて良い、弱いままで良い。と、しかし、その弱さの中にこそ私は働き「私の恵みはあなたに対して十分である」と主は告げられるのです。自らの弱さを知った者だけが、主を仰ぐことができ、そこら「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」と再び、この方の力によって立ち上がれる世界があることを受け止めましょう。あなたの弱さは既に主に受け止められていますか。それとも一人で頑張っていますか。さあ今日も主に自らを明け渡し、祈りをもって始めましょう。主はあなたを豊かに支えて下さるお方です。ヒデ

月曜日, 8月 23, 2010

20100823_1列王18_エレミヤ44_1コリント3

■1列王18:36ささげ物をささげるころになると、預言者エリヤは進み出て言った。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのみことばによって私がこれらのすべての事を行ったということが、きょう、明らかになりますように。
18:38すると、主の火が降って来て、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしまった。
★神様を畏れないアハブ王と彼に仕えるバアルの預言者450人と正面から戦う預言者エリヤ。彼はアハブ王に翻弄されるイスラエルの民に「火をもって答える神を神としなさい」。「あなたがたはいつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であればそれに従い、もしバアルが神ならそれに従え」と決断を迫ります。この所から主とはあなたの純粋な愛を求めるお方であることを知って下さい。そして神様に純粋に愛を返す者に、かつて火を下された主は、今やキリストの十字架の救いを通して、信じる者の心に聖霊の火を下して下さるお方です。決断のない信仰は二心の信仰、混ざった信仰で、神様の不思議を見ることが出来ません。どちらに転んでも大丈夫なように安全策を講じるのは人のすべき事ではありません。あなたのすべきは、ただ神様を信じ、神様の救いの不思議を見ることです。主は今も御言葉を通し、変わることなく「もし、主が神であればそれに従い、もしバアルが神ならそれに従え」と語られます。

■1コリント3:13その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。3:14もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。3:15もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。
★キリストを信じるあなたの永遠は既に保証されています。だから、主の酬いに預かれる真心と良き行いは感謝の応答です。主はそこに生きるあなたの歩みを今週も喜び祝福して下さいます。ハレルヤ。ヒデ

日曜日, 8月 22, 2010

20100822_1列王17_エレミヤ43_1コリント1-2

■1列王17:3「ここを去って東へ向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ。17:4そして、その川の水を飲まなければならない。わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」
★この御言葉は、神様を畏れないアハブに対して「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」と、主から賜った言葉をエリヤが語ったのを受け、主が彼に語り返された言葉です。神様は預言者の従順と存在を通して御自身が生けるお方であることを示されますが、同時に、その従順に報い、溢れるばかりの恵み注いで下さるお方です。そして神様はこの時代の預言者としてあなたを召し出されたのです。

■1コリント1:18十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
★十字架とは何でしょう。それは罪の赦しであり、人間の罪の現実の現れです。律法主義や道徳教はいつの時代にも興っては消え興っては消えの繰り返しですが、そこには罪の明確な赦しがないのです。この世は十字架を愚かとし、それを退けようとしますが、何をそんなに恐れるのでしょう。主は既に全ての人のために命を捨てて下さったのに。解決のない戦いではありません。ゆえに自らの罪の内面を誤魔化すことなく、向き合うことを選び取り、主にある十字架の勝利を世に証詞しましょう。神の力は信じる者うちに豊かに働くのですから。ヒデ

土曜日, 8月 21, 2010

20100821_1列王16_エレミヤ42_マルコ16

■1列王16:25オムリは主の目の前に悪を行ない、彼以前のだれよりも悪いことをした。16:26彼はネバテの子ヤロブアムのすべての道に歩み、イスラエルに罪を犯させ、彼らのむなしい神々によってイスラエルの神、主の怒りを引き起こした。
★この章は「ヤロブアムのすべての道に歩み、イスラエルに罪を犯させ」との表現を王位を受け継いだ王たちに4回連続で用います。そして極めつけはオムリの子アハブで「彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであり、それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、それを拝んだ」とさえ記します。真の神様が見えなくなるとき、人は愚かとなり混乱、殺戮、権威争いの歴史を繰り返します。その上で「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」との主の御声を聞くあなたはいかに幸いな人でしょう。知って下さい。永遠の光を得たあなたは既に勝利者です。

■エレミヤ42:11あなたがたが恐れているバビロンの王を恐れるな。彼をこわがるな。「主の御告げ」わたしはあなたがたとともにいて、彼の手からあなたがたを救い、彼の手からあなたがたを救い出すからだ。

■マルコ16:6青年は言った。「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。
★そう主は確かに甦られました。そして主の救いを信じたあなたの中にも確かに生きておられます。そして今朝も「これは私の愛する子、私の心にかなう者である」と主は、あなたに対して語られるのです。ヒデ

金曜日, 8月 20, 2010

20100820_1列王15_エレミヤ41_マルコ15

■1列王15:4しかし、ダビデに免じて、彼の神、主は、エルサレムにおいて彼に一つのともしびを与え、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てられた。15:5それはダビデが主の目にかなうことを行い、ヘテ人ウリヤのことのほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことにそむかなかったからである。
★レハベアム王のあと南ユダ王国を治める事となったアビヤム。しかし聖書は彼の事を「彼は父がかつて犯したすべての罪を行い、彼の心は父ダビデの心のようには、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。」と記録します。にも関わらず受けるに相応しくない憐れみを彼は受けたのです。まさにそれが「ダビデに免じて」との恩寵でした。そして私たちは「キリストに免じて」の恩寵の中に迎え入れられたのです。主はあなたの犯した罪の量りに従って、酬い返すことを決してなさらな事実を受け止め感謝しましょう。

■マルコ15:34そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
★マルコによる福音書のゴールデンテキストとも言うべき言葉がこの御言葉で、ここにはキリストの贖いの根拠が明確です。キリストは確かにここで父なる神様に捨てられました。今まで「父」と呼んでいたお方を「父」と呼び得ず「神」と呼ばざるを得なかったのです。捨てられる根拠のないお方が捨てられたのは、まさに自らの犯した罪のために捨てられて当然の私たちが捨てられなくても済むようになるためでした。キリストは神様の前に「神様、罪のない私がこうして血を流しつつ彼らのために血を流していますから、この私の血に免じて彼らを赦して下さい」と、取りなして下さったのです。聖書には「血をながすことなしには罪の赦しはあり得ない」とありますが、キリストは御自身の命を懸けてこの律法を全うされたのです。信じましょう。そして生きるのです。ヒデ

木曜日, 8月 19, 2010

20100819_1列王14_エレミヤ40_マルコ14

■1列王14:6アヒヤは戸口に入って来る彼女の足音を聞いて言った。「お入りなさい。ヤロブアムの奥さん。なぜ、ほかの女のようなふりをしているのですか。私はあなたにきびしいことを伝えなければなりません。
★サマリヤに自らの為、礼拝所を設けたヤロブアム王は、息子アビヤの病を案じて預言者アヒヤのもとに妻を送ります。変装していましたが、神様は預言者を通して上の言葉をヤラベアムの妻に語られたのです。主はなんでもお見通しであられるお方であるこを覚えましょう。全てをご存知の上で赦される主。だからこそ、そこに救いがあるのです。あなたは自分を隠す必要はありません。

■エレミヤ40:9そこで、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤは、彼らとその部下たちに誓って言った。「カルデヤ人に仕えることを恐れてはならない。この国に住んで、バビロンの王に仕えなさい。そうすれば、あなたがたはしあわせになる。
★主がエレミヤに語られた言葉。まさにこれは新約の宣教方策以外の何ものでもありません。遣わされたこの世においてあなたは輝くのです。世を恐れてはなりません。むしろキリストにあって世に生きる一人一人を愛するのです。

■マルコ14:36またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」
★有名なゲッセマネの祈りです。確かにこの時、父なる神様に向かってささげるキリストの祈りは叶えられました。祈りの叶えられかたとは、そのまま願いが聞かれることもあるでしょう。しかし祈りを祈る側の存在が変えられることもあるのです。あなたは祈りを通して自分自身が変えられて行く恵みの世界を知っていますか。まさに真の神様のみがなし得る奇蹟です。主はあなたの生涯に介入し、力を注いて下さるお方であることを感謝しましょう。ヒデ

水曜日, 8月 18, 2010

20100818_1列王13_エレミヤ39_マルコ13

■1列王13:33このことがあって後も、ヤロブアムは悪い道から立ち返ることもせず、引き続いて、一般の民の中から高き所の祭司たちを任命し、だれでも志願する者を任職して高き所の祭司にした。13:34このことによって、ヤロブアムの家が罪を犯すこととなり、ついには、地の面から根絶やしにされるようになった。
★真の神様に礼拝をささげたいとの民の思いを偶像礼拝へと向かわせたヤロブアムの罪は重すぎます。なにゆえそんなことにと、その動機を探るときに、自らが王で居続けたいとの願望の為でした。偶像礼拝者のスピリットは見える形は違っても自ずと大切な人々をも偶像礼拝に巻き込み、滅びを刈り取らせます。だからこそ神様以外のものを断固神としてはならないのです。

■エレミヤ39:17しかしその日、わたしはあなたを救い出す。主の御告げ あなたはあなたが恐れている者たちの手に渡されることはない。39:18わたしは必ずあなたを助け出す。あなたは剣に倒れず、あなたのいのちはあなたの分捕り物としてあなたのものになる。それは、あなたがわたしに信頼したからだ。」
★リンカーンは神を信頼し、「神の側」に立ち続けることによって勝利を獲得しました。目に見える状況ではなく、御言葉と内なる聖霊様の声に従いましょう。

■マルコ13:30まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。13:31この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
★永遠に変わることのない主の言葉だからこそ、この言葉に信頼する私たちの人生は滅びることの無いものとして建て上げられることができるのです。知って下さい。神の言葉を心と霊で受け止めるあなたは、すでに永遠の存在とされているのです。今日も目先のことに右往左往するものではなく、神の言葉に基づいて判断する一日となりますように。ヒデ

火曜日, 8月 17, 2010

20100817_1列王12_エレミヤ38_マルコ12

■1列王12:26ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。12:27この民が、エルサレムにある主の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」12:28そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。」12:29それから、彼は一つをベテルに据え、一つをダンに安置した。
★なんと言うイスラエルの悲しい歴史。このヤロブアム王の決断ゆえにイスラエルの礼拝に関する混迷の歴史が始まってしまいました。エルサレムかサマリヤか。しかし、そもそもの原因はこのヤラベアム王ではなくソロモンの息子レハベアム王の民への荒々しい言葉です。「私の父はおまえたちのくびきを重くしたが、私はおまえたちのくびきをもっと重くしよう。父はおまえたちをむちで懲らしめたが、私はさそりでおまえたちを懲らしめよう。」と。それに伴いイスラエル12部族は分裂したのです。しかし民を偶像礼拝へと導いたヤラベアムの罪が帳消しにされる訳ではありません。将来に向けて悔いの無い決断の大切さを覚えましょう。

■エレミヤ38:20エレミヤは言った。「彼らはあなたを渡しません。どうぞ、主の声、私があなたに語っていることに聞き従ってください。そうすれば、あなたはしあわせになり、あなたのいのちは助かるのです
★主に降伏するのはよいことです。あなたを奴隷ではなく罪から解放するために命を懸けて救いを成し遂げて下さったお方ですから。

■マルコ12:17するとイエスは言われた。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」彼らはイエスに驚嘆した。
★あなたの中には「神のかたち」が刻まれています。神様に向かって生きるためです。ささげましょう。輝くために。ヒデ

月曜日, 8月 16, 2010

20100816_1列王11_エレミヤ37_マルコ11

■1列王11:2この女たちは、主がかつてイスラエル人に、「あなたがたは彼らの中に入って行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる」と言われたその国々の者であった。それなのに、ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった。
★なんと言う残念。ついに国が北と南の二つに分かれ、互いに争い合うその時が。聖書はその原因を、ここで「それなのに」と記します。あれほどのソロモンなのに。しかしソロモンとて例外ではありません。神の恵みを軽んじ、神様の戒めを脇に置き、私は大丈夫とおごる時、人は滅びる以外にないのです。馬鹿のようになって神の言葉に従うこと、これ以上に人に祝福をもたらし、勇気ある決断のないことを心に刻みましょう。ソロモンは神様からの警告を聞きつつも離れる決断をしなかったのです。

■エレミヤ37:18エレミヤはゼデキヤ王に言った。「あなたや、あなたの家来たちや、この民に、私が何の罪を犯したというので、私を獄屋に入れたのですか。
★エレミヤによる王への直言です。かつての「ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいか分かりません」とおじ惑うエレミヤの姿はありません。信じましょう。主は従う者を造り上げて下さいます。

■マルコ11:5すると、そこに立っていた何人かが言った。「ろばの子をほどいたりして、どうするのですか。」11:6弟子たちが、イエスの言われたとおりを話すと、彼らは許してくれた。
★主がエルサレム入場に用いられたのは戦車でも馬でもなく、弱々しげなろばの子でした。持ち主は、主のことばを語ると許してくれたとここは証しします。自らの生涯に「主の用なり」と御声が掛かった時あなたはどうでしょう。それを許しますか。許すとき、あなたが主を運ぶのではなく、主があなたを運んで下さることを信じて従う者でありましょう。ヒデ

日曜日, 8月 15, 2010

20100815_1列王10_エレミヤ36_マルコ10

■1列王10:4シェバの女王は、ソロモンのすべての知恵と、彼が建てた宮殿と、10:5その食卓の料理、列席の家来たち従者たちが仕えている態度とその服装、彼の献酌官たち、および、彼が主の宮でささげた全焼のいけにえを見て、息も止まるばかりであった。
★ダビデに変わって王になったソロモンに神様は「何を求めるか。願え」と語られました。さて御心にそった願いをささげたソロモンに与えられた知恵とはいかなる知恵だったでしょう。ここにはそれが明確で、息も止まるばかりのそれでした。神様の真実は昨日も今日も永久までも変わりません。

■エレミヤ36:23エフディが三、四段を読むごとに、王は書記の小刀でそれを裂いては、暖炉の火に投げ入れ、ついに、暖炉の火で巻き物全部を焼き尽くした。36:24王も、彼のすべての家来たちも、これらのすべてのことばを聞きながら、恐れようともせず、衣を裂こうともしなかった。
★心を裂き、悔い改めのうちに赦しを受けるようにと主が下さった御言葉。にも関わらずユダの王エホヤキムは、心ではなく、与えられた神の言葉を小刀で裂き、暖炉の中に投げ込んだのです。その結果彼の生涯から光は消え、結果彼自身が火の中に投げ込まれる者となりました。間違ってはなりません。人は蒔いたものを必ず刈りとることになるのです。

■マルコ10:49 すると、イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい」と言われた。そこで、彼らはその盲人を呼び、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている」と言った。
★主に大声で憐れみを求めるこの盲人。しかし人々は黙らせようと取り押さえます。けれど主の耳にはしっかりとこの人の叫びが届いていたのです。あなたの叫びも同様で、主の耳にはしっかり届いています。そして主はあなたに語られます。「私に何をして欲しいのか」。率直に主に申し上げる願いを持つ人は幸いです。ヒデ

土曜日, 8月 14, 2010

20100814_1列王9_エレミヤ35_マルコ9

■1列王9:25ソロモンは、主のために建てた祭壇の上に、一年に三度、全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげ、また、主の前にある壇で香をたいた。彼は宮を完成した。
★定期的に、また時々刻々と神様の前に礼拝をささげることは、自らを罪より守り、神様の御心を成し遂げるためにはなくてはならない秘訣です。主はかつて預言者サムエルに「わたしを尊ぶ者を、わたしは尊ぶ」と語られたことを思い出しましょう。

■エレミヤ35:19それゆえ、イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。『レカブの子、ヨナダブには、いつも、わたしの前に立つ人が絶えることはない。』」
★レカブ人とは遊牧生活を守り通すことによって,世俗化から身を守り,主に対する忠誠を尽そうとした人々ですが、主はその形のあらわれは様々であっても、忠誠と誠実をもって御自身に近づこうとする人を喜び、真理をもって完成して下さるお方です。

■マルコ9:35イエスはおすわりになり、十二弟子を呼んで、言われた。「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」
★これは道々、誰が一番偉いかと論じ合う弟子たちへの主の答えです。主は影響力を持つリーダーになってはならないとは決して言われません。むしろあなたに真のリーダーになって欲しいと願われるお方です。その秘訣が仕えるリーダーシップです。人が生かされ、その結果自分も生きることができるそんな一日となるように祈りませんか。ヒデ

金曜日, 8月 13, 2010

20100813_1列王8_エレミヤ34_マルコ8

■1列王8:38だれでも、あなたの民イスラエルがおのおの自分の心の悩みを知り、この宮に向かって両手を差し伸べて祈るとき、どのような祈り、願いも、8:39あなたご自身が、あなたの御住まいの所である天で聞いて、赦し、またかなえてください。ひとりひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心を知っておられます。あなただけがすべての人の子の心を知っておられるからです。
★これはソロモンが神殿奉献の際、主にささげた祈りの一部です。そこには隣人への罪、敵との戦い、相続地の祝福、病からの守り、異邦人の祝福と、祈りのテーマは様々です。同様に重要な事は、主は今もソロモン以上にあなたのために、天の御位に座し、祈りをささげて下さっている事実です。その為でしょうか黙示録の主は白髪です。(黙示録1:14)主の執り成しの励ましを受け取り、強められましょう。

■エレミヤ34:11しかし、彼らは、そのあとで心を翻した。そして、いったん自由の身にした奴隷や女奴隷を連れ戻して、彼らを奴隷や女奴隷として使役した。
★主にあって同胞のヘブル人を奴隷としないという契約を交わしながら、欲に着かれた民はそれを覆したのです。主はそれを小さい事とは見ておられません。主はあなたを祝福の基として召し出される為にこそ、命を捨てられたことを心に刻みましょう。

■マルコ8:35いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。8:36人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。
★主は命の用い方について内向きに保護すべきものではなく、使命の為に使うものと語ります。私たちが使命の為に命を使うとき、主ご自身がそれを保護し強めて下さるのです。私たちの内に主が下さった永遠の命は、与えても与えも減ることのない命であることを覚えましょう。ヒデ

木曜日, 8月 12, 2010

20100812_1列王7_エレミヤ33_マルコ7

■1列王7:1ソロモンは自分の宮殿を建て、十三年かかって宮殿全部を完成した。
★神殿を七年かけて完成させたソロモンは、次ぎに自らの宮殿を建設に取りかかります。ここに祝福の優先順位があることを覚えましょう。まず神の国とその義です。しかし人間とは弱いもの。こんなソロモンでさえ、いえこのきれるソロモンのゆえかも知れません。貿易の成功を願ってエジプトの王ファラオの娘をめとるのです。神様の栄光の為にとの素晴らしい目的。しかし、どこまでもその手段において純粋性を保つことの何と困難なことでしょう。ただ「はいをはい、いいえをいいえ」とする事の尊さを心に刻みましょう。

■エレミヤ33:3わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。
★韓国の教会は祈り始める時。大きな声で心から「主よ、主よ、主よ!」と3回叫んでから祈る習慣があるようです。あなたは主の隠された大いなる事を知るためにどんな習慣を持っていらっしゃいますか。

■マルコ7:28しかし、女は答えて言った。「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます。」
★自分を無にしてでも大切な人を救いたいと願う人は幸せです。では宇宙で一番幸せな人、偉大な人とは誰でしょう。その答えは人類の救いの為には自分を無にして十字架にまでかかられたイエス様です。ですから信仰によってイエス様につながるあなたの心にもその祝福と命と幸せが、豊かに豊かに注ぎ込まれるのです。主を愛しましょう。そしてあなたの助けを必要としている人の隣人になりましょう。ヒデ

水曜日, 8月 11, 2010

20100811_1列王6_エレミヤ32_マルコ6

■1列王6:38第十一年目のブルの月、すなわち第八の月に、神殿のすべての部分が、その明細どおりに完成した。これを建てるのに七年かかった。
★ここにはソロモンが神殿を建てるために用いた時間が明確です。彼は決してあせって中途半端なことはしませんでした。ましてや主が私たちの内に立てて下さる生ける神殿は永久に関わる神殿です。あなたはいっこうに変わらない自分を見つめて失望落胆していませんか。自分に心縛られることなく、主の恵みと愛に目を留めさせて頂きましょう。ソロモンの父ダビデは「私の救いは天地を造られた主から来る」と詠みました。

■エレミヤ32:40わたしが彼らから離れず、彼らを幸福にするため、彼らととこしえの契約を結ぶ。わたしは、彼らがわたしから去らないようにわたしに対する恐れを彼らの心に与える。
★あなたの心の中には神様への恐れの気持ちがありますか。それともあなたにとって神など取るに足りない存在ですか。あなたの中に神様への恐れがあるなら感謝しましょう。まさにそこから全ての祝福は始まるのですから。

■マルコ6:10また、彼らに言われた。「どこででも一軒の家に入ったら、そこの土地から出て行くまでは、その家にとどまっていなさい。
★キリスト者とは誰ですか。心が内向きゆえに道徳的禁酒禁煙に留まり、自らを義とする存在ではありません。むしろ愛ゆえに勇気をもって関係を造り出す存在と主は語られます。豊かな関係を築き上げることなくして、どうして一つの家に留まることが出来るでしょう。あなたはその生き方を避けたいですか。それとも勇気を持って一歩踏み出しますか。関わることは愛ゆえに、居心地よい自分が崩されてゆく経験でもあります。しかし福音とは恵みによってあなたが変われるからこそ福音です。福音を生きましょう。ヒデ

火曜日, 8月 10, 2010

20100810_1列王4-5_エレミヤ31_マルコ5

■1列王4:29神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた。4:30それでソロモンの知恵は、東のすべての人々の知恵と、エジプト人のすべての知恵とにまさっていた。
★注目すべきはソロモンの知恵と広い心の関係で、そこには連動性があるのです。閉鎖的な心、あるは自己実現に集中する心で到達できる知恵には限界が。しかし広い寛容な心には、更なる恵みの知恵が加えられるのです。忘れてならないこと、それは良き知恵は全て上から来ると言うことです。どれほど多くの偉人が、上からのインスピレーションによって事を成し遂げた事でしょう。

■エレミヤ31:3主は遠くから、私に現れた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。
★主の愛はあなたの人格を最大限信頼し尊重しようとする愛。けれど、ここぞという時は身を乗り出して関わって下さいます。さてあなたの愛の距離感はいかがでしょう。過干渉過ぎて煙たがられていませんか。大丈夫。あなたの大切な人は、あなたの祈りと合わせて主の永遠の愛によって支えられているのですから。

■マルコ5:12彼らはイエスに願って言った。「私たちを豚の中に送って、彼らに乗り移らせてください。」5:13イエスがそれを許されたので、汚れた霊どもは出て行って、豚に乗り移った。すると、二千匹ほどの豚の群れが、険しいがけを駆け降り、湖へなだれ落ちて、湖におぼれてしまった。
★あなたに質問させて下さい。主は二千匹の豚と一人の人と、どちらを尊ばれるお方ですか。主がその愛でいつもあなたを愛しておられることを覚えていて下さい。宇宙ひろしと言えど、あなたに変わるスペアーはどこにもないのです。ヒデ

月曜日, 8月 09, 2010

20100809_1列王3_エレミヤ30_マルコ4

■1列王3:9 善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」
★これはダビデのあとを継いで王となったソロモンに、「あなたに何を与えようか願え」と、主が語られた時、その応答としてソロモンが願ったものです。願いには、人そのものが表れます。そして主はこのソロモンの願いを喜ばれ、全て添えて与えられる恵みにソロモンはあずかったのです。祝福の秘訣は今も昔も「まず神の国とその義」を求めること。主は語られます。「願え!」と。

■エレミヤ30:21その権力者は、彼らのうちのひとり、その支配者はその中から出る。わたしは彼を近づけ、彼はわたしに近づく。わたしに近づくためにいのちをかける者は、
いったいだれなのか。主の御告げ。
★これが主の偽らざる思い。命を懸けて成し遂げて下さった福音に、あなたはいかに応えるか。その酬いは30倍60倍100倍に留まることなく1000代の祝福となって酬い返されるのです。

■マルコ4:20良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。」
★蒔かれる種とは御言葉で、蒔かれる土地とは私たちの心です。種は自ずと実をならせるものですが、主は聞き方によって、その結果は異なると言うのです。けれど等しく言えること。それは最初から良い地なんて無いないと言うことです。悔いし砕けた心をもって主に近づくあなたの上に主の祝福は豊かです。ヒデ

日曜日, 8月 08, 2010

20100808_1列王2_エレミヤ29_マルコ3

■1列王2:17彼は言った。「どうかソロモン王に頼んでください。あなたからなら断らないでしょうから。シュネム人の女アビシャグを私に与えて私の妻にしてください。」
★これはかつて野心を抱き「自分が王になろう」といったダビデ王の3男、ソロモンにとっては異母兄弟の兄、アドニヤの言葉です。アビシャグとはタビデが年老い、身体が温まらなくなった時に、王に仕えるようにと召し出された娘。そして彼は欲のゆえに、「父ダビデ王の妻をこの私の妻に」と、自分が王位に就くべきと主張したのです。父亡き後、ソロモンに最初に訪れたことはこうした家督相続の難題です。しかし聖書はこうしたことについても、主を仰ぎ、主の導きを求めることを教えます。決断すべきは決断し、語るべきは語るソロモン。そうした中、国を確立する力は上から来ることを覚えたいものです。

■エレミヤ29:11わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。─主の御告げ─それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。29:12あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。
★主がこれを語られたのはいつですか。イスラエルが罪の為、バビロンに連れ去られようとする直前です。にも関わらず、イスラエルに対する主の愛と選びは変わることがないのです。まさに不思議。そしてあなたもこのお方の不思議によって支えられているのです。

■マルコ3:14そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、3:15悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。
★主はあなたを何の目的の為に選び、召し出されたのでしょう。ここではそれが明確です。認めて頂きたいこと、それは決して偶然ではなく、祝福であり、特権であると言うことです。知っていますか。神様は今日もあなたの神の子としての祈りと宣言を用いて不思議を為そうとしておられるのです。特権を隠すことなく用いましょう。ヒデ

土曜日, 8月 07, 2010

20100807_1列王1_エレミヤ28_マルコ2

■1列王1:30私がイスラエルの神、主にかけて、『必ず、あなたの子ソロモンが私の跡を継いで王となる。彼が私に代わって王座に着く』と言ってあなたに誓ったとおり、きょう、必ずそのとおりにしよう。」
★いよいよダビデの時代からソロモン王の時代へ。この列王記の概略は王が神様に従うとき、イスラエルは神様の繁栄と祝福を受け、神様に背くとき、罪と悲惨を味わわなければならないと言うものです。あなたもいずれかの領域において王として立てられた存在ではないですか。覚えましょう。あなたが神様に従順することはもちろんあなたの祝福ですが、王としてたてられたあなたの影響は、あなたのもとにある全ての人にもあることを。悪影響もしかりです

■エレミヤ28:15そこで預言者エレミヤは、預言者ハナヌヤに言った。「ハナヌヤ。聞きなさい。主はあなたを遣わされなかった。あなたはこの民を偽りに拠り頼ませた。
★偽りに拠り頼ませることは預言者のなすべきことではありません。さらに人はその人の語ることよりも生き様にならうもの。神様の恵み深さへの感謝と、峻厳なる神様を畏れる姿勢の中に歩ませて頂きましょう。

■マルコ2:4群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。
★中風を患うその人と、4人の友の信仰を主は喜ばれ、中風の人の病を癒されます。群衆は我先にと、ばらばらに主に近づきますが、彼等は心を合わせ、一つの目的のために病める人をキリストの御もとに導くのです。まさにここに教会の本質の姿が。主は、あなたが愛するならその人の友になれると語られました。豊かな人生とは、あなたが主にあって誰かをお助けしたいと願うとき、あなたと共に心を合わせてくれる友を持つことです。あなたにはそんな友がありますか。友のために祈りましょう。ヒデ

金曜日, 8月 06, 2010

20100806_2サムエル24_エレミヤ27_マルコ1

■2サムエル24:10ダビデは、民を数えて後、良心のとがめを感じた。そこで、ダビデは主に言った。「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。主よ。今、あなたのしもべの咎を見のがしてください。私はほんとうに愚かなことをしました。」
★側近である将軍ヨアブは「王よ。一体何の為に」とこれを留めさせようとしますが、ダビデ王はこの時それを説き伏せてまで「さあ、イスラエルの全部族の間を行き巡り、その民を登録し、私に、民の数を知らせなさい。」と命じます。さすがのダビデも年老い、自分の影響力に不安を感じはじめた事がこうした形で現れたのか。罪はまさに人間の弱さを足がかりに、人の人生を滅びに向かわせようとするのです。かつての力が誇れない所からくる妬み、寂しさ、不安には注意が必要です。

■エレミヤ27:17彼らに聞くな。バビロンの王に仕えて生きよ。どうして、この町が廃墟となってよかろうか。27:18もし彼らが預言者であり、もし彼らに主のことばがあるのなら、彼らは、主の宮や、ユダの王の家や、エルサレムに残されている器がバビロンに持って行かれないよう、万軍の主にとりなしの祈りをするはずだ。
★預言者と偽預言者を見分ける事は困難です。その違いは罪を曖昧に誤魔化すことをゆるすか、悔い改めて離れるよう、涙の内に訴えるかのどちらかです。耳ざわりのよい言葉だけが神の言葉ではないことを覚えましょう。

■マルコ1:15「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」
★主の弟子マルコの記述によるイエス・キリストの第一声がここに。私たちが神様から祝福を受ける手段は単純です。神様から離れようとする方向から、神様に向かう方向へと心の向きを変え、神様の恵みを信じ、ただ受け取るのです。あなたの人生の祝福のための全ては、既に主によって備えられました。さあ主を仰ぎ、今日も感謝して一日遣わされましょう。ヒデ

木曜日, 8月 05, 2010

20100805_2サムエル23_エレミヤ26_ローマ15-16

■2サムエル23:5まことにわが家は、このように神とともにある。とこしえの契約が私に立てられているからだ。このすべては備えられ、また守られる。まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる。
★「これはダビデの最後のことばである。」と記されている中に含まれる内容です。ここにはダビデの確信が明確です。神様が私に与えて下さった約束は永遠のもの。神様は信頼をもって近づく私の生涯を育て上げて下さる。そしてその通りとなったのです。ヘブル11:6には「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」とありますが、まさにダビデは信仰の人でもあったのです。あなたも事実、永遠の契約に招かれています。あなたの信仰の確信はどうですか。

■エレミヤ26:2「主はこう仰せられる。主の宮の庭に立ち、主の宮に礼拝しに来るユダのすべての町の者に、わたしがあなたに語れと命じたことばを残らず語れ。一言も省くな。26:3彼らがそれを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすれば、わたしは、彼らの悪い行いのために彼らに下そうと考えていたわざわいを思い直そう。
★ここには主が民に向かってなぜ叱責するかが明確です。それはひとえに赦しを与えたいから。この父なる神様のはらわたを心深く留めることは大切です。なぜなら父の心を知った者と知らない者の生き方は自ずと変わって来るのです。主は既にあなたを赦しておられます。赦されたものとして生きるのです。

■ローマ16:20平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。
★ここはパウロがローマに宛てて記した手紙の最後の部分です。ここでパウロは「……よろしく」と16回繰り返し、様々な人に向けて感謝をあらわします。真に神に仕えるとは、人を励まし育てる人になることを意味します。パウロのようにあなたは周りの人の良き点を認め評価し感謝と励ましを率直にあらわしていますか。あなたの足でサタンを踏み砕くとはまさにそうした生き方をすることです。ヒデ

水曜日, 8月 04, 2010

20100804_2サムエル22_エレミヤ25_ローマ13-14

■2サムエル22:10 主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして。22:31神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。22:32まことに、主のほかにだれが神であろうか。私たちの神のほかにだれが岩であろうか。22:33この神こそ、私の力強いとりで。私の道を完全に探り出される。22:34彼は私の足を雌鹿のようにし、私を高い所に立たせてくださる。22:35戦いのために私の手を鍛え、私の腕を青銅の弓でも引けるようにされる。
★この詩はサウルの手より救い出された時ダビデが詠んだもの。主とはどんな方ですか。ダビデは、あなたの腕を強くして下さる方。あなたが事を成し遂げる人となるように助けて下さるお方。その為には天をおし曲げて下り、あなたに関わり助けて下さるお方と語ります。このお方によって彼は強められ国と自らの人生を治めて頂いたのです。

■ローマ14:4あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。
★まず知って下さい。キリストを告白したあなたに対して神様はどんな時でもあなたの味方であることを。そして主こそがあなたを完成して下さるお方であることを。主はあなたの人生、人格、存在そして永遠までも完成して下さるお方です。今まで私たちは自分の人生にそこまで関わって下さるお方を経験したことがありません。しかし、このお方は罪の支払う報酬として私たちに求められる命の代価を、御自身の命をもって払い、私たちを買いとって下さったのです。それゆえ今朝も主はあなたに対してハッキリと「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。」と語られるのです。周りの「人」の評価にではなく、このお方を意識して歩ませて頂きましょう。そうするならあなたの人生は約束どうり必ず主にあって完成し倒れることはないのです。ヒデ

火曜日, 8月 03, 2010

20100803_2サムエル20-21_エレミヤ24_ローマ12

■2サムエル21:1ダビデの時代に、三年間引き続いてききんがあった。そこでダビデが主のみこころを伺うと、主は仰せられた。「サウルとその一族に、血を流した罪がある。彼がギブオン人たちを殺したからだ。」
★ダビデは飢饉のため、主に御心求めます。その時、主はかつてサウル王が罪のないギブオン人を殺したことを指摘されたのです。聖書は無慈悲な殺戮はその地に呪いをもたらし、家系の祝福を奪うことを教えます。ダビデはそのためギブオン人の心の癒しと和解のために心を砕き、具体的に流された血の恨みを解き、イスラエルの土地に癒しをもたらします。聖書は「家系の罪」の存在を示します。が、同時に私たちの主キリストが十字架の上で救いのみ業を完成させ、呪いを祝福に変えられたことをも示します。あなたはその力ある十字架の癒しと和解の力を家系に流れる罪と家族の間に打ち立てるためにも召し出されたのです。キリストの贖いの完全さを信じ感謝して告白しましょう。主はあなたとあなたの家族を祝福されます。

■ローマ12:1そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。12:2この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
★人間にとって一番困難なこと。それは自分を変えること。人を変えようとする試みは、たとえ強引であっても、それを成し遂げようとするのに、自分を変える力がないのです。しかしキリスト者には自分を変える希望がある事をここは謳います。自分の命を懸けても惜しくないものを発見した者の特権です。ああ何と感謝でしょう。主はあなたのために命を捨てて下さったのです。今日もこのお方を仰いで一日を始めるあなたの上に神様の祝福は一杯です。ハレルヤ。ヒデ

月曜日, 8月 02, 2010

20100802_2サムエル19_エレミヤ23_ローマ10-11

■2サムエル19:5 ヨアブは王の家に行き、王に言った。「あなたは、きょう、あなたのいのちと、あなたの息子、娘たちのいのち、それに、あなたの妻やそばめたちのいのちを救ったあなたの家来たち全部に、きょう、恥をかかせました。19:6あなたは、あなたを憎む者を愛し、あなたを愛する者を憎まれるからです。あなたは、きょう、隊長たちも家来たちも、あなたにとっては取るに足りないことを明らかにされました。今、私は知りました。もしアブシャロムが生き、われわれがみな、きょう死んだのなら、あなたの目にかなったのでしょう。
★民を苦しめた反逆の子アブシャロムを悼むダビデに対する将軍ヨアブの直言です。この直言ゆえにダビデは我を取りもどし、民への感謝を語ります。あなたには直言してくれる友がありますか。それともあえて避けますか。またそれを聞き、受け入れる用意がありますか。

■ローマ11:13そこで、異邦人の方々に言いますが、私は異邦人の使徒ですから、自分の務めを重んじています。11:14そして、それによって何とか私の同国人にねたみを引き起こさせて、その中の幾人でも救おうと願っているのです。
★これは迫害者から主の弟子とされ、当時の世界を福音によって変えたパウロの言葉です。パウロは何と語っているでしょう。「私は私に与えられたこの知恵と能力を用いて全世界を変えるのだ」でしょうか。いいえ。「幾人かでも」です。良き感化を与えたいと願う人は野心によってではなく動機の純粋さが求められるのです。さらに、愛の心、たとえ一人でものスピリットです。まさにそれは主の心。主はたとえ全世界であなただけしか罪を犯さなかったとしても、あなたの為に十字架の上で命を捨てて下さるお方です。今週もこの愛に感動し、ひとりの人との出会いを大切に、遣わされて行きましょう。主の目にあなたはスペシャルな存在です。ヒデ

日曜日, 8月 01, 2010

20100801_2サムエル18_エレミヤ22_ローマ9

■2サムエル18:33すると王は身震いして、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」
★これは自らに謀反を起こし、民を苦しめた息子アブシャロムが心臓をひと突きにされた伝令を聞いた時のダビデの反応です。王を守る為に命を懸けた兵士達。しかしその兵士達の献身よりも謀反を起こし、国を滅ぼそうとしたアブシャロムの死をダビデは悼むのです。ダビデも人の子であることを思います。が、その事を通して兵士の心は、どれほど急速にダビデから離れて行ったことでしょう。危機一髪、ダビデの窮地。しかしそこから彼は立ち直らせたのは……?その顛末は明日の箇所。ただ一つ、人は時に誰でも盲目になりうるもの。その為に真実な助言を与えてくれる友が必要なことを覚えましょう。

■ローマ9:33それは、こう書かれているとおりです。「見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
★確かにイエス・キリストの十字架と復活の福音ほど、愚かに見え、躓き、妨げと感じる人々のあることは否めません。にも関わらず神様はあえてその道を備えられたのです。そんな愚かではなく、もっと知的納得を与える救いをさえ備えて下さったなら……。ではどんな救いなら人は信じるとこができるのでしょう。問題の本質は決して神様の側にではなく、神様を感謝できない人の側にあるのです。神様が備えて下さったものを感謝して受け取ることが全ての始まりであることを知るあなたを、主は今日も祝して用いて下さいます。ハレルヤ。ヒデ

土曜日, 7月 31, 2010

20100731_2サムエル17_エレミヤ21_ローマ7-8

■2サムエル17:14アブシャロムとイスラエルの民はみな言った。「アルキ人フシャイのはかりごとは、アヒトフェルのはかりごとよりも良い。」これは主がアブシャロムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェルのすぐれたはかりごとを打ちこわそうと決めておられたからであった。
★ダビデを蹴散らして王座についた息子アブシャロムに、今すぐ1万2千の兵で父ダビデを奇襲すべきとアヒトフェルは語ります。これはまさに名案で、そうすれば、さすがのダビデも首を跳ねられていたことでしょう。しかし神様はダビデを守ろうとし、もう一人の高官フシャイの口を通して、王は昔からの戦士なのでイスラエルの全軍をもって出なければ立ち向かうことが出来ないでしょうと語らせ、アブシャロムとその兵士達を納得させ、結果ダビデを救う道を開かれたのです。聖書は「主のはかりごとはとこしえに立ち、そのみこころの思いは世々に立つ」と語ります。大切なことは神様の側に立ち続けること。そうすれば他でもなく主御自身があなたを守って下さるのです。

■エレミヤ21:8「あなたは、この民に言え。主はこう仰せられる。『見よ。わたしはあなたがたの前に、いのちの道と死の道を置く。
★道とは人を目的地に導くと共に、人の終着点を分けるもの。間違いのないキリストにある道を選び取りましょう。

■ローマ8:15あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。
★ここではキリストを信じる人に与えられる聖霊について明確です。結論はたとえ失敗しても奴隷ではないので、あなたは裁かれ、むち打たれる必要も無ければ、捨てられる必要もないと言うこと。またあなたは神様の目には誇りの息子であり娘であると言うことです。さあ今日もこの励ましの内に遣わされて行きましょう。ヒデ

金曜日, 7月 30, 2010

20100730_2サムエル16_エレミヤ20_ローマ5-6

■2サムエル16:11ダビデはアビシャイと彼のすべての家来たちに言った。「見よ。私の身から出た私の子さえ、私のいのちをねらっている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。16:12たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。」
★息子アブサロムの反逆でエルサレムから陥落するダビデ王。その前には何とサウルの家の人々が立って「出て行け。血まみれの男、よこしまな者。主がサウルの家のすべての血をおまえに報いたのだ。だから主はお前に敵対するお前の息子アブサロムをお前に代えてて王として立てお前を苦しめるのだ。お前が災いにあうのは血まみれの男だから。」となじります。が、その時ダビデが語った言葉は先の御言葉です。確かにダビデにも落ち度が。しかしなぜ主はダビデを用いるのか。裁きを主に委ねる彼の姿から教えられましょう。

■ローマ6:3それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。6:4私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。
★ここにはバプテスマの意味が明確です。キリストにあって罪に死に、キリストと共に復活の命によみがえる。これもまたキリスト教教理の根幹で、イエス・キリストにある信仰の土台です。あなたはもはや、かつての人ではありません。新しくされた使命と希望に目を留め、新しい人として進むのです。ヒデ

木曜日, 7月 29, 2010

20100729_2サムエル15_エレミヤ19_ローマ3-4

■2サムエル15:4さらにアブシャロムは、「ああ、だれかが私をこの国のさばきつかさに立ててくれたら、訴えや申し立てのある人がみな、私のところに来て、私がその訴えを正しくさばくのだが」と言っていた。15:5人が彼に近づいて、あいさつしようとすると、彼は手を差し伸べて、その人を抱き、口づけをした。15:6アブシャロムは、さばきのために王のところに来るすべてのイスラエル人にこのようにした。こうしてアブシャロムはイスラエル人の心を盗んだ。
★ダビデ王に助けを求めて近づこうとする人々の前に立って、「私が王でさえあったなら」と語るアブシャロム。聖書はそんな彼の行為を明確に盗みと告発します。背後に自分の野望を隠し持ち、人に善意を施すこと。それは盗み、罪なのです。主よ、私たちが人の心を盗むことが有りませんようにお守り下さい。

■ローマ3:21しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。3:22すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。3:23すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、3:24ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
★ここには信仰義認と言うキリスト教教理が明確です。おこないではなく。おこないでは成し得ないために。だからこそ神様の恵みによって備えられた救い。それが福音で、ただ感謝して受け取る以外になく、そこでは誰も誇れませんし、いえ誇る必要がないのです。御子の命の代価によってなし遂げられた福音は値付けすることが出来ません。すなわち「誇るものは主を誇れ」です。どうか福音を理解し福音に生き、福音が輝くことができますように。ヒデ

水曜日, 7月 28, 2010

20100728 2サムエル14_エレミヤ18_ローマ1-2

■2サムエル14:13女は言った。「あなたはどうして、このような神の民に逆らうようなことを、計られたのですか。王は、先のようなことを語られて、ご自分を罪ある者とされています。王は追放された者を戻しておられません。14:14私たちは、必ず死ぬ者です。私たちは地面にこぼれて、もう集めることのできない水のようなものです。神は死んだ者をよみがえらせてはくださいません。どうか追放されている者を追放されたままにしておかないように、ご計画をお立てください。
★息子アムノンを殺した、やはり我が子アブサロムをダビデは赦しきれません。その時、用いられたのがこの婦人。男や兵士には出来ない和解の務めが彼女に託されたのです。今日、主の前に立ち上がろうとするあなたですが、ここに至までには背後における多くの執り成しが。それを覚えて一日を始めましょう。

■エレミヤ18:23しかし、主よ。あなたは、私を殺そうとする彼らの計画をみな、ご存じです。彼らの咎をおおわず、彼らの罪を御前からぬぐい去らないでください。彼らを、御前で打ち倒し、あなたの御怒りの時に、彼らを罰してください。
★預言者エレミヤの赤裸々な告白です。それで良いのです。主の前には正直な気持ちを告白すべきです。またそうする人にこそ、主は癒しの霊を注ぎ、涙の預言者とし、新たに遣わされるのです。子として近づきましょう。神様の前では上品すぎてはなりません。

■ローマ2:6神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。
★「その行いによって」と、ここは神様の裁きの規準が明らかです。であれば誰がその規準をクリアーできるでしょうか。皆五十歩百歩です。だからこそ福音が神の恵みによって備えられたのです。この原則を抑えて、今日も生かされている感謝をもって始めましょう。ヒデ

火曜日, 7月 27, 2010

20100727_2サムエル13_エレミヤ17_マタイ28

■2サムエル13:32しかしダビデの兄弟シムアの子ヨナダブは、証言をして言った。「王さま。彼らが王の子である若者たちを全部殺したとお思いなさいませんように。アムノンだけが死んだのです。それはアブシャロムの命令によるので、アムノンが妹のタマルをはずかしめた日から、胸に持っていたことです。13:33今、王さま。王子たち全部が殺された、という知らせを心に留めないでください。アムノンだけが死んだのです。」
★イスラエル統一については偉大な王ダビデ。しかし家庭を納めることにおいては困難を極めます。複数の妻、そばめの子供達の憎しみ合いが原因です。そのことはたとえ王ダビデにもどうしようもありません。ただ神のことばに従う以外に祝福はないのです。そして聖書は明確に「それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」と語ります。蒔いた種は必ず刈り取ることに!良き種を蒔きましょう。

■エレミヤ17:14私をいやしてください。主よ。そうすれば、私はいえましょう。私をお救いください。そうすれば、私は救われます。あなたこそ、私の賛美だからです。
★何と正直な神に向かった告白。私たちも神様への良き賛美をささげさせて頂きましょう。

■マタイ28:20また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
★マタイ1章にはインマヌエルの救い主となるために主が来られたクリスマスの説明が。そしてマタイ福音書最後の主の約束はやはりインマヌエル。それは「私たちと共におられる神」と言う意味です。御自身決して約束をたがえない主は今日もあなたと共にいて下さいます。そしてそのお方はあなたのために天においても地においても一切の権威が授けられているのです。ヒデ

月曜日, 7月 26, 2010

20100726_2サムエル12_エレミヤ16_マタイ27

■2サムエル12:13ダビデはナタンに言った。「私は主に対して罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。
★「あなたがその男です」と、預言者ナタンに兵士ウリヤとその妻バテシェバへの罪を糾弾されたダビデ。その時のダビデの告白が上の御言葉です。何と言う神様の哀れみ深さ。彼が悔い改めると同時に、主もまたダビデの罪を赦されたのです。預言者を通して厳格に罪を指摘する神様のはらわたを受け取りましょう。それは決して裁きの為ではなく赦しのため。また主にあるあなたは勇気を失い、預言者の心を失ってはなりません。あなたのこの世に対する武器は真実な言葉と、愛の心、主はそんなあなたの生き様を喜び助け、用いて下さるのです。

■エレミヤ16:21「だから、見よ、わたしは彼らに知らせる。今度こそ彼らに、わたしの手と、わたしの力を知らせる。彼らは、わたしの名が主であることを知る。」
★何と感謝。やっぱり主はあなたの味方!この言葉に心励まされて、先走り裁くことがありませんように。今週も前に進んで下さる主を仰ぎ見つつ進みましょう。

■マタイ27:17それで、彼らが集まったとき、ピラトが言った。「あなたがたは、だれを釈放してほしいのか。バラバか、それともキリストと呼ばれているイエスか。」27:18ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていたのである。
★使徒信条には「ポンテオ・ピラトのもとに十字架につけられ」と。何という屈辱をピラトは負ったことか。しかし彼はローマの総督として正しさを明らかにする目的のために裁判をすべきであるにも関わらず、それを自分の益のために利用しようとしたのです。聖書はただ「ハイをハイ、いいえをいいえとしないさい」と。これこそがあなたの生涯を誘惑から守り、神様の祝福を受ける秘訣です。主を信じる生き方は、確かに勇気も求められます。しかし、忘れないで下さい。この生き方を選び取るあなたの傍らには、常に真実な主がおられ、あなたを助けて下さることを。ヒデ

日曜日, 7月 25, 2010

20100725_2サムエル11_エレミヤ15_マタイ26

■2サムエル11:5女はみごもったので、ダビデに人をやって、告げて言った。「私はみごもりました。」
★今や王国の全体から信任を受けている王ダビデ。しかしこの時ダビデは王の持つ特権を濫用し、今まさに国のために命をかけて戦っている兵士ウリヤの妻バテシェバを辱めたのです。「私はみごもりました」。この報告ほどダビデの目の前を真っ暗にしたものは、彼の生涯今だかつてあったでしょうか。ここから心に刻みましょう。蒔いた物は必ず刈り取ること。たとえどんな人物であっても、様々な誘惑に対して私は絶対大丈夫と言い得る人はいないこと。さらに、祝福、自由、充実の中でこそ人は神様から離れ、道を踏み外すということを。

■エレミヤ15:16私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。万軍の神、主よ。私にはあなたの名がつけられているからです。
★「私にはあなたの名がつけられているからです」と、恥ずかしがることなく告白する魂はなんと幸いでしょう。神様は聖書を通してはっきりと「あなたは私のものだ」と宣言しておられます。あなたはご存知ですか。

■マタイ26:32しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」
★十字架を前にした主が弟子たちに語った話です。ガリラヤとはどこですか、彼らが生まれ育った故郷でもありますが、そこは彼らが自らの弱さを自覚させられたところでもありました。しかし復活の主はあなたをそこに一人で行かせることはなさいません。私が先にそこに行き、あなたを歓迎するために迎えようと語られるのです。この週も復活の主を見上げつつ神様の恵みの中を歩みましょう。ヒデ

土曜日, 7月 24, 2010

20100724_2サムエル10_エレミヤ14_マタイ25

■2サムエル10:3アモン人のつかさたちは、彼らの主君ハヌンに言った。「ダビデがあなたのもとに悔やみの使者をよこしたからといって、彼が父君を敬っているとでもお考えですか。この町を調べ、探り、くつがえすために、ダビデはあなたのところに家来をよこしたのではありませんか。」10:4そこでハヌンはダビデの家来たちを捕らえ、彼らのひげを半分そり落とし、その衣を半分に切って尻のあたりまでにし、彼らを送り返した。
★かつてダビデがサウル王の妬みのゆえに苦しみを受けた時に助けてくれたハヌンの父ナハシュが死にました。ダビデはその真実に酬いる為に家来を遣わしますが、ナハシュの重臣たちは若き王ハヌンに上の言葉を語ります。そして結局ダビデが遣わした家来を辱め、自ら滅びを選び取るのです。聖書は「悪者は追う者もないのに逃げる」と語り、私たちは計る計りで計りかえされると警告します。大切な事は偽りのない心で普段から生きること。あなたはその為に主を仰ぐのです。

■エレミヤ14:14主は私に仰せられた。「あの預言者たちは、わたしの名によって偽りを預言している。わたしは彼らを遣わしたこともなく、彼らに命じたこともなく、語ったこともない。彼らは、偽りの幻と、むなしい占いと、自分の心の偽りごとを、あなたがたに預言しているのだ。
★言葉が氾濫している時代。目を閉じて心を開き「父よ、聞き分ける霊を私に与えて下さい」と心静める者でありましょう。

■マタイ25:39また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』25:40すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
★神様を愛するとは自分を愛するように隣人を愛すること。困窮の中にある人を助けること。そして愛は言葉だけでなく、行動としてあらわされます。主はあなたのその行動を決して忘れることはなさいません。人生とは、早く行くことでも、いかに多くを所有するかでもなく、分かち合うためにあることを心に刻みましょう。ヒデ

金曜日, 7月 23, 2010

20100723_2サムエル8-9_エレミヤ13_マタイ24

■2サムエル9:1ダビデが言った。「サウルの家の者で、まだ生き残っている者はいないか。私はヨナタンのために、その者に恵みを施したい。」
★イスラエル12部族を統一し王となったダビデが、かつての王サウルの家を預かるツィバに語った言葉が上の御言葉です。聖書には「神に誓願を立てるときには、それを果たすのを遅らせてはならない。神は愚かな者を喜ばないからだ。誓ったことは果たせ。」とありますが、ダビデはこの御言葉を重んじたのです。かつてダビデは「たとい、私が死ぬようなことがあっても、あなたの恵みをとこしえに私の家から断たないでください。主がダビデの敵を地の面からひとり残らず断ち滅ぼすときも。」と語るヨナタンと、とこしえの契約を結んでいたのです。ダビデのように誓ったにもかかわらず果たせていない誓いはないだろうかと、気づきを主に求めることは祝福の生涯を全うする為に外せない土台の一つです。

■エレミヤ13:23クシュ人がその皮膚を、ひょうがその斑点を、変えることができようか。もしできたら、悪に慣れたあなたがたでも、善を行うことができるだろう。
★イスラエルの祝福のために主がどれほど真理の言葉を語っても、結局民は、自らの欲望を満たすため偶像礼拝を。そんな民の姿を主は預言者エレミヤを通して上の御言葉の様に語らせました。人は本質において自分で自分を変えることは出来ません。しかしそれを認めて、主を仰ぐ者のために神様は救いの御手を伸ばして下さいます。ここに希望があるのです。

■マタイ24:10そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。24:11 また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。24:12不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
★主が語られた世の終わりの預言です。まさに今が残念かなそうした時代であることを感じます。襟を正しましょう。主を仰ぎ、豊かな命を受け続けましょう。あなたの場所の用意をし、再び来られる主のおいでは近いのです。ヒデ

木曜日, 7月 22, 2010

20100722_2サムエル7_エレミヤ12_マタイ23

■2サムエル7:18ダビデ王は行って主の前に座し、そして言った。「神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、あなたはここまで私を導いてくださったのですか。
★ダビデは周囲のすべての敵から守られて王国が確立した時、預言者ナタンに「ご覧ください。この私が杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕の中にとどまっています。」と、主の為に杉材の神殿を建てることを自ら進んで願い出ました。その動機と志を喜ばれた主はダビデにとこしえの王国と子孫の繁栄までも約束して下さったのです。その恵みの応答として告白したのが上の御言葉です。この世は自分が栄光を受けようとそれを奪い合います。しかしその前には必ず、当然ささげるべき主への感謝があり、そこには大きな報いが伴うのです。

■エレミヤ12:1主よ。私があなたと論じても、あなたのほうが正しいのです。それでも、さばきについて、一つのことを私はあなたにお聞きしたいのです。なぜ、悪者の道は栄え、裏切りを働く者が、みな安らかなのですか。
★神の裁きに対する疑問がぬぐえない預言者エレミヤ。主は何とあわれみ深い、深すぎる?お方でしょうか。しかし「毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ」と世の終わりには二度と覆すことのない正しい裁きを為されるのです。峻厳なる神様に委ねるべき裁きは委ね、今日あなたが生きるべき道があるのです。

■マタイ23:25わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。
★十字架を前にし「偽善なるかな律法学者、パリサイ人たちよ」と激しい主の叱責が続きます。しかし主の目には涙があったことを忘れてはなりません。単に滅ぼし退ける為ではなく回心を願ってのそれなのです。キリストにある者の動機。それはいつも愛であるべきです。主にあるあなたの心から湧き出る愛が、今日も人々を生かしますように。ヒデ

水曜日, 7月 21, 2010

20100721_2サムエル6_エレミヤ11_マタイ22

■2サムエル6:16主の箱はダビデの町に入った。サウルの娘ミカルは窓から見おろし、ダビデ王が主の前ではねたり踊ったりしているのを見て、心の中で彼をさげすんだ。
★ここでサウルの娘ミカルは「ダビデをさげすんだ」と。しかし聖書はかつてのミカルのダビデへの思いを「サウルの娘ミカルはダビデを愛していた。」と記します。当時は父であるサウル王がダビデの命をゆえなく狙っていた時でした。しかし今や、不従順の為に命を神によって絶たれた父サウル王の亡き後です。ダビデの神への姿勢が変わったわけではありません。ミカルの方が変わったのです。かつては王の娘として安定の中でダビデにあわれみを掛けたミカル。しかし今は妬みとさげすみが心に。人の心から湧きあがる愛について、どれほど人は父の影響を受ける事でしょう。だからこそ私たちは「悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださる」天の父の愛でまず自らが受け止められる体験が生涯で決定的に重要なのです。

■マタイ22:21彼らは、「カイザルのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」
★「税金をカイザルに納めることは法に適っているか。いないのか」。問をする宗教家の心に悪意のあることを読み取った主が彼らに答えた内容が上の御言葉です。大切なことは納税の義務の当然さと合わせ、「神のかたち」に似せて作られた人には「神に帰すべき当然の義務がある」と言うこと。しかし残念なるかな、宗教家はその義務とも言うべき真心と愛を主におささげすることが見えていなかったのです。「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。そしてあなたは命をかけた主の贖いで「神のかたち」を回復された「神のもの」。神様にお返しできる出来るものを持つ人の生涯がいかに光栄かを心に留め、感謝の中を歩みましょう。今日も一日、主はあなたを御自身の誇りとしてこの世に遣わして下さいます。ヒデ

火曜日, 7月 20, 2010

20100720_2サムエル4-5_エレミヤ10_マタイ21

■2サムエル5:4 ダビデは三十歳で王となり、四十年間、王であった。
★かつての主人であるサウル王の子イシュ・ボシェテの首をとってダビデに気に入られようとやって来たバアナとレカブに、ダビデは正しい審判をくだし、それをもて遂にサウル全家からの信頼をも勝ち取り、イスラエル12部族をまとめる王となりました。それはダビデが預言者サムエルから王としての油の注ぎを受け、あのペリシテ人ゴリアテを倒してから十数年後の事でした。
モーセがイスラエルを救う決心をして立ちがあったのは40才。実際に解放者となったのは、その後の40年の荒野の訓練を経た80才の時。神様の選びと召しは変わる事ことなく、やがてリーダーになった彼らです。では何が彼らをリーダとしたのでしょう。目の前に置かれた事柄を一つ一つ主にあって決断した結果と合わせ、時間によって練られた人格であることは否めません。聖書が語るリーダーとは立場ではなく実質です。その道は、今日も目の前に置かれた課題に真摯に向き合おうとするあなたの眼差しの延長線上にあるのです。

■エレミヤ10:23主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。
★エレミヤはこの時、人の道を確立できるお方はただお一人、主であると告白しました。告白によって人の人生は造り上げられます。

■マタイ21:28ところで、あなたがたは、どう思いますか。ある人にふたりの息子がいた。その人は兄のところに来て、『きょう、ぶどう園に行って働いてくれ』と言った。21:29兄は答えて『行きます。お父さん』と言ったが、行かなかった。21:30それから、弟のところに来て、同じように言った。ところが、弟は答えて『行きたくありません』と言ったが、あとから悪かったと思って出かけて行った。
★兄は処世術として頭のみを用いましたが、弟は心を用いました。主は私たちが自ら心を用い判断し、神と人への愛を選び取ることを願われ、それを助けて下さるお方です。今日も健康の為、身体と知性と合わせ、なにより心をも用いさせて頂きましょう。そんなあなたを主は今日も豊かに祝福して下さいます。ヒデ

20100720_2サムエル4-5_エレミヤ10_マタイ21

■2サムエル5:4 ダビデは三十歳で王となり、四十年間、王であった。
★かつての主人であるサウル王の子イシュ・ボシェテの首をとってダビデに気に入られようとやって来たバアナとレカブに、ダビデは正しい審判をくだし、それをもて遂にサウル全家からの信頼をも勝ち取り、イスラエル12部族をまとめる王となりました。それはダビデが預言者サムエルから王としての油の注ぎを受け、あのペリシテ人ゴリアテを倒してから十数年後の事でした。
モーセがイスラエルを救う決心をして立ちがあったのは40才。実際に解放者となったのは、その後の40年の荒野の訓練を経た80才の時。神様の選びと召しは変わる事ことなく、やがてリーダーになった彼らです。では何が彼らをリーダとしたのでしょう。目の前に置かれた事柄を一つ一つ主にあって決断した結果と合わせ、時間によって練られた人格であることは否めません。聖書が語るリーダーとは立場ではなく実質です。その道は、今日も目の前に置かれた課題に真摯に向き合おうとするあなたの眼差しの延長線上にあるのです。

■エレミヤ10:23主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。
★エレミヤはこの時、人の道を確立できるお方はただお一人、主であると告白しました。告白によって人の人生は造り上げられます。

■マタイ21:28ところで、あなたがたは、どう思いますか。ある人にふたりの息子がいた。その人は兄のところに来て、『きょう、ぶどう園に行って働いてくれ』と言った。21:29兄は答えて『行きます。お父さん』と言ったが、行かなかった。21:30それから、弟のところに来て、同じように言った。ところが、弟は答えて『行きたくありません』と言ったが、あとから悪かったと思って出かけて行った。
★兄は処世術として頭のみを用いましたが、弟は心を用いました。主は私たちが自ら心を用い判断し、神と人への愛を選び取ることを願われ、それを助けて下さるお方です。今日も健康の為、身体と知性と合わせ、なにより心をも用いさせて頂きましょう。そんなあなたを主は今日も豊かに祝福して下さいます。ヒデ

月曜日, 7月 19, 2010

20100719_2サムエル3_エレミヤ9_マタイ20

■2サムエル3:39この私は油そそがれた王であるが、今はまだ力が足りない。ツェルヤの子らであるこれらの人々は、私にとっては手ごわすぎる。主が、悪を行う者には、その悪にしたがって報いてくださるように。」
★今は亡きサウル王に仕えた将軍アブネルとダビデに仕える将軍ヨアブの間では王ダビデの知らない所で激しい権力闘争が。そしてヨアブは自分の兄弟アサヘルの血に酬いるために、アブネルの腹を剣で刺し通して殺したのです。あなたに力が増し加われば加わるほど、あなたの回りには恵みと共に、あなたの立場を利用し、自らの思いをなし遂げようとする人も集います。その時ダビデが祈った祈りが上の祈りです。私たちも「試みに合わせないで悪しき者からお守り下さい。」と主の祈りを心を込めて祈りましょう。

■エレミヤ9:8彼らの舌はとがった矢で、欺きを語る。口先では友人に平和を語るが、腹の中では待ち伏せを計る。9:9これらのために、わたしは彼らを罰しないだろうか。─主の御告げ─このような国に対して、わたしが復讐しないだろうか。」
★主はあなたがおかれているこの地が、上の聖書の言葉の様であることを知って下さっています。だからこそ私たちは、岩なる主の裂け目に隠れ込み、細き主の御声に耳を傾けるのです。

■マタイ20:28人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」
★人生の目的とはまさに「分かち合うこと」と、そのことが主によってここで明確に。しかしこの前には他の弟子に隠れて「イエス様。あなたが御国の位に着かれた時には私の二人の息子をあなたの右と左においてやって下さい」と願う母の姿が。何と多くの人が損しないこと、騙されないこと、少しでも他の人より得することを人生の目的にして、友さえも出し抜こうとすることでしょう。残念です。しかし主は「分かち合うこと・愛し合うこと」こそが人生の目的だと示されたのです。この神の国の価値観に生きる者の為には全てのものを備え給う主がおられることを証詞する為にあなたは召し出されました。主があなたと共におられます。ヒデ

日曜日, 7月 18, 2010

20100718_2サムエル2_エレミヤ8_マタイ19

■2サムエル2:14アブネルはヨアブに言った。「さあ、若い者たちを出して、われわれの前で闘技をさせよう。」ヨアブは言った。「出そう。」2:15そこで、ベニヤミンとサウルの子イシュ・ボシェテの側から十二人、ダビデの家来たちから十二人が順番に出て行った。2:16彼らは互いに相手の頭をつかみ、相手のわき腹に剣を刺し、一つになって倒れた。それでその所はヘルカテ・ハツリムと呼ばれた。それはギブオンにある。
★サウル王亡きあともサウルの兵士とダビデの兵士との間で憎み合いが。しかしよく考えるなら彼らは皆ヤコブの子孫、イスラエル12部族の一員で兄弟でした。一人の人の罪深さ、不従順がもたらす影響の大きさを思います。罪は決して自分だけに留まらず、結果的には最も愛する者をも巻き込むもの、だからこそ聖書は神の前に罪は告白し離れなさいと語るのです。

■エレミヤ8:10それゆえ、わたしは彼らの妻を他人に与え、彼らの畑を侵略者に与える。なぜなら、身分の低い者から高い者まで、みな利得をむさぼり、預言者から祭司に至るまで、みな偽りを行っているからだ。8:11彼らは、わたしの民の娘の傷を手軽にいやし、平安がないのに、『平安だ、平安だ』と言っている。
★今や大国バビロンがイスラエルを飲み尽くそうとしているのに「大丈夫。大丈夫」とにせ預言者は語ります。しかし聖書は「人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。」と警告します。大丈夫かどうかの規準は神の言葉。神の言葉に留まり続ける以外に自分を守る術はないのです。

■マタイ19:2 弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるのでしょう。」19:26イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」
★「人には出来なくても神にはできる」これが聖書の語る究極です。それを実証したのが神たるキリストが人となって来られた受肉(クリスマス)であり身代わりの十字架です。信仰とはこのお方を見上げること。さあこの一日も主を仰ぎ、始めましょう。ヒデ

土曜日, 7月 17, 2010

20100717_2サムエル1_エレミヤ7_マタイ18

■2サムエル1:14ダビデは言った。「主に油そそがれた方に、手を下して殺すのを恐れなかったとは、どうしたことか。」1:15ダビデは若者のひとりを呼んで言った。「近寄って、これを打て。」
★ペリシテ軍との戦いで深い傷を負い、自ら剣に覆い被さり命を絶ったサウル。しかしダビデの前に報告に出た青年は「ひどいけいれんが起こったのでサウル王が、この私に殺してくれと頼んだのでそうしました」と。この青年はダビデから誉れを受けれると思いそう語りました。が、ダビデは「主が油注がれた方の命にふれることを畏れなかったのか」と。「主が油注がれた者を畏れる」べき。それがダビデの一貫した姿勢であり、結果として神様の祝福を受けることになったスピリットでした。聖書は「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです」と。よって立てられた両親、夫、先生、上司の祝福を祈るとこは大切で、反発反抗でなく和解の道の模索が祝福です。

■エレミヤ7:5もし、ほんとうに、あなたがたが行いとわざとを改め、あなたがたの間で公義を行い、7:6在留異国人、みなしご、やもめをしいたげず、罪のない者の血をこの所で流さず、ほかの神々に従って自分の身にわざわいを招くようなことをしなければ、7:7わたしはこの所、わたしがあなたがたの先祖に与えたこの地に、とこしえからとこしえまで、あなたがたを住ませよう。
★神様を愛するとは公義とあわれみに生きること。これが昔も今も変わることのない祝福の選択です。

■マタイ18:21そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」18:22イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。
★「無限に」と言うことは「赦し」とは自分の力や頑張りで与えることのできるものではなく、聖霊様の力によって開かれるもの。そして今日も神様に向かって開かれたあなたのその心に、聖霊様は喜んで住まわれます。ハレルヤ。ヒデ

金曜日, 7月 16, 2010

20100716_1サムエル31_エレミヤ6_マタイ17

■1サムエル31:3攻撃はサウルに集中し、射手たちが彼をねらい撃ちにしたので、彼は射手たちのためにひどい傷を負った。31:4サウルは、道具持ちに言った。「おまえの剣を抜いて、それで私を刺し殺してくれ。あの割礼を受けていない者どもがやって来て、私を刺し殺し、私をなぶり者にするといけないから。」しかし、道具持ちは、非常に恐れて、とてもその気になれなかった。そこで、サウルは剣を取り、その上にうつぶせに倒れた。
★これがサウル王、生涯最後の記述であり残念です。なぜ主は「わたしはサウルを王としたことを悔いる。」と語られたのか。それは彼が心からの悔い改めをしなかったから。聖書には「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない」と記述が。悔い改めの機会が与えられていること自体、祝福でありチャンスであることを覚えたいものです。

■エレミヤ6:9万軍の主はこう仰せられる。「ぶどうの残りを摘むように、イスラエルの残りの者をすっかり摘み取れ。ぶどうを収穫する者のように、あなたの手をもう一度、その枝に伸ばせ。」
★ぶどうの収穫の時、農夫は良い実を取り残して無駄にしないように、同様に神様は「私を畏れる正しい人が捨てられてしまわないように。」と預言者に注意を促します。それは時代の暗さをいたまれると共に、その中にあっても神様は、神を畏れるあなたを覚え、支えて下さっていると言うことです。

■マタイ17:17イエスは答えて言われた。「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。その子をわたしのところに連れて来なさい。」
★ここは、てんかんの癒しを求めて訪れた親子に、弟子たちが右往左往しつつ対応しても癒されなかった後、主が弟子たちに語られたことばです。「その子を私の所に」。ここに生じた問題の解決法が。そう、問題の解決は主の中に。祈りはその問題・課題を主のもとにもって行く手段。さあ今日も主の前に課題を持ち出し、委ねて一日を始めましょう。主はあなたを祝福して下さいます。ヒデ

木曜日, 7月 15, 2010

20100715_1サムエル29-30_エレミヤ5_マタイ16

■1サムエル29:8ダビデはアキシュに言った。「私が何をしたというのでしょうか。私があなたに仕えた日から今日まで、このしもべに何か、あやまちでもあったのでしょうか。王さまの敵と戦うために私が出陣できないとは。」29:9アキシュはダビデに答えて言った。「私は、あなたが神の使いのように正しいということを知っている。だが、ペリシテ人の首長たちが、『彼はわれわれといっしょに戦いに行ってはならない』と言ったのだ。
★ダビデの生涯における数少ない汚点です。執拗なサウル王の脅威から逃れて、以前気が違った者を装ったガテのアキシュ王のもとに逃げ込んだダビデ。ところがペリシテ人とアキシュは同盟を結び、今やイスラエルに向かおうとしているのです。そしてペリシテ人がダビデの存在を知ったとき「彼は私たちの首をもって主君サウルの好意を得ようとしないでしょうか」と語ります。その時のダビデの反論が上の言葉。しかしこの場面は神様が憐れみによってダビデが神の民イスラエルと戦わなくても済むようにして下さった箇所で、ダビデがアキシュ王に上の言葉を誓っても、いざ戦いに出たならば上滑りせざるを得ない言葉でした。言うべきでない言葉。しかし私たちもダビデの様に時に失敗を……。けれどそれ以上に輝くのは神様の選びの器に対する憐れみです。そしてあなたもその選びの器の一人として神様から選び出されたのです。主があなたの生涯を勝利の右の手をもって支えて下さるために。

■エレミヤ5:18しかし、その日にも、【─主の御告げ─】わたしはあなたがたを、ことごとくは滅ぼさない。」

■マタイ16:19わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
★「あなたこそ生ける神の御子キリストです」と告白する人に、神様は驚くばかりの特権を授けて下さいました。さてその特権である鍵はどこで力を発揮するのでしょう。鍵穴です。今日も託された鍵を用いて、あなたが神の国の支配を広める鍵穴がどこにあるか見出し、それを用いることが出来ますように。ヒデ

水曜日, 7月 14, 2010

20100714_1サムエル28_エレミヤ4_マタイ15

■1サムエル28:19主は、あなたといっしょにイスラエルをペリシテ人の手に渡される。あす、あなたも、あなたの息子たちも私といっしょになろう。そして主は、イスラエルの陣営をペリシテ人の手に渡される。28:20すると、サウルは突然、倒れて地上に棒のようになった。
★上の言葉は霊媒の女にサウル王が「死んだサムエルを呼び出して欲しい」と願った時、呼び出された預言者サムエルがサウル王に語った言葉です。「あすあなたも息子達も私と一緒になる。」すなわち死ぬと。それで彼は突然棒の様になって地に倒れたのです。彼が主の言葉を退けて以来、主は彼に語られず、その為サウル王は口寄せ霊媒に頼ることがありました。しかしそれらに頼る時、もっと彼自身苦しめられる為、口寄せ霊媒をイスラエルから彼が追い出し禁じていたのです。にも関わらずペリシテ人が迫り来る中、誰も頼る者がいなくなったサウルは自らその禁じ手を破り口寄せを。
神様から離れた人間が落ちて行く姿が残念ながらここに。混乱から混乱。混沌から混沌。こうなる前に本来彼は「あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。」の御言葉に従い心を裂くべきでした。
更に霊媒の女を通して呼び出されたサムエルとは本当に今や主の懐に憩う彼だったのでしょうか。非常に怪しいです。むしろそれは人を混乱から混乱へと導く、惑わす霊に他なりません。だからこそ真の神様は聖書を通し、決して口寄せ霊媒占いをしてはならないと。決してしてはならないのです。もしあなたにその経験があるなら今その関係を断ち切ります。「汚れた霊よこの人から立ち去れ。今までの関係をキリストの血潮によって破棄する。今キリストの御名によってそれを宣言する。この人はキリストの者である」。
あなたが真に信頼すべきお方、それは胎内にいる時から白髪になる迄あなたを担い「私は造ったゆえ必ず負い持ち運びかつ救う」と語って下さる神様です。あなたは神様に愛されている者。ゆえに今日もこのお方以外にではなくこのお方に聞いていいのです。さあ今日も「主よ感謝します。よろしくお願いします」と遣わされていきましょう。目には見えませんが主があなたの前を進んで下さっていますよ。ヒデ

火曜日, 7月 13, 2010

20100713_1サムエル26-27_エレミヤ3_マタイ14

■1サムエル26:21サウルは言った。「私は罪を犯した。わが子ダビデ。帰って来なさい。私はもう、おまえに害を加えない。きょう、私のいのちがおまえによって助けられたからだ。ほんとうに私は愚かなことをして、たいへんなまちがいを犯した。」
★以前三千人の精鋭をえり抜き、ダビデ討伐に出かけたサウルは洞穴から出た所で、自らの衣の裾だけを切ったダビデが「王よ、私があなたに対する殺意の無いことをご承知下さい」と語ったとき、「あなたは私よりも正しい。主が私をあなたの手に渡されたのに私を殺さなかったからだ」と泣きながら語り、殺意をもってダビデを追うことを悔い、止めたはずでした。ところがここでサウル王は再度ダビデ討伐に出かけるのです。
上の言葉は、野営している討伐隊の中心で眠っているサウル王のテントの中から槍と水差しだけを取り、丘の上に登ったダビデがサウル軍の将軍アブネルに「なぜお前は王を守るために見張っていないのか」とサウル王への殺意のないことを示した時、サウル王みずから語った言葉です。
自己保身の為にダビデ(人)を信じる事が出来なくなったサウル王の姿は何とあわれで惨めなことでしょう。しかし、これが語りかけられる神の言葉がありながら、それを無視し続けることによって、心の深い部分に責めを感じ続ける者が払うことになる代償です。彼に必要なのは敵を追い、攻めることでもなければ、何かに没頭して気を紛らわすことでもありません。ただ神様への真の悔い改めが必要なのです。真に明け渡しきれない罪によって、あるは真に悔い改め切れない生き様によってどれほど多くの人が心の平安を保つことが出来ず苦しんでいることでしょう。サウルを教訓としたいものです。
さらにあなたの回りには訳なくサウル王のようにあなたを傷付けようとするものがありますか。ダビデはその時「主は生きておられる。主は、必ず彼を打たれる。彼はその生涯の終わりに死ぬか、戦いに下ったときに滅ぼされるかだ。」と、主の裁きにサウルを委ね、自ら罪を犯すことをしませんでした。イエス・キリストは「世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」と語られます。さあ勇気をもって今週も罪に手を染めぬ生き方を全うさせて頂きましょう。主があなたを助けて下さいます。ヒデ

月曜日, 7月 12, 2010

20100712_1サムエル25_エレミヤ2_マタイ13

■1サムエル25:34私をとどめて、あなたに害を加えさせられなかったイスラエルの神、主は生きておられる。もし、あなたが急いで私に会いに来なかったなら、確かに、明け方までにナバルには小わっぱひとりも残らなかったであろう。」25:35ダビデはアビガイルの手から彼女が持って来た物を受け取り、彼女に言った。「安心して、あなたの家へ上って行きなさい。ご覧なさい。私はあなたの言うことを聞き、あなたの願いを受け入れた。」
★荒野にいるナバルの羊と僕たちを守ったダビデとその家来。しかしナバルはそんなダビデに「ダビデとは、いったい何者だ。このごろは、主人のところを脱走する奴隷が多くなっている。私のパンと私の水、それにこの肉を取って、どこから来たかもわからない者どもに、くれてやらなければならないのか。」と語ります。その報告を聞いたダビデは即座に「剣を付けよ」と、ナバルにかかわる者の全てを殺すために出で立ちます。しかし夫ナバルの愚かを聞いた妻アビガイルは、用意できるだけのパンと肉とぶどう酒を携えてダビデのもとに謝罪に向かいダビデに出会った時にこう語るのです。「主が、あなたについて約束されたすべての良いことを、ご主人さまに成し遂げ、あなたをイスラエルの君主に任じられたとき、むだに血を流したり、ご主人さま自身で復讐されたりしたことが、あなたのつまずきとなり、ご主人さまの心の妨げとなりませんように。ナバルは本当に愚か者です。どうぞこの私に免じておゆるし下さい」。
このアビガイルの言葉を受けて語ったのが冒頭のダビデの言葉で、彼女はダビデの怒りを収めたのです。配慮の無さと高慢、またその人の愛のわざを見抜けず人の心に油を注ぐナバルの様な者があるかと思えば、アビガイルの様に、怒りに燃える心に理解と慰め、あるいは感謝をもって臨み、その人の心の嵐が静まるように助ける執り成し手もいます。私たちは愚か者ナバルにならないように、感謝を忘れ恩を仇で返す者であってはなりません。また私たちには怒りに燃える心に理解と慰めをもって関わって下さり、私たちの心の嵐を沈めて下さる救い主であり友なる主イエス様が必要です。今週もこのお方と共に歩みましょう。ヒデ

日曜日, 7月 11, 2010

20100711_1サムエル24_エレミヤ1_マタイ12

■1サムエル24:19人が自分の敵を見つけたとき、無事にその敵を去らせるであろうか。あなたがきょう、私にしてくれた事の報いとして、主があなたに幸いを与えられるように。24:20あなたが必ず王になり、あなたの手によってイスラエル王国が確立することを、私は今、確かに知った。
★これは妬みのゆえにダビデを殺そうと謀るサウル王がダビデに直接語りかけた言葉です。その背景には三千人の精鋭をえり抜いてのダビデ討伐でサウルは用をたすため、たまたまほら穴に。しかしそこにはダビデと部下が息を潜めて身を隠していた場所だったとは。「今こそ、主があなたの手にサウル王を渡して下さった時です。さあ一突きにして殺して下さい。」そう迫る部下達でしたがダビデは「どうして主が油注がれた人に手を掛ける事ができようか」と、衣の裾だけを切り、サウロが洞穴から出たところで、皆の見ている前でその切った衣の裾を示しつつ殺意の無いことを示したのです。このダビデの姿から神様を畏れる生き様を教えられます。報復は私のすることではなく主の為されること。そしてこの姿勢が結局彼をイスラエルの王へと導いたのです。神様を信じ神様を畏れる者にはそれにふさわしい生き様のあることを覚えましょう。蒔いた種は必ず刈り取ることになるのです。

■エレミヤ1:7すると、主は私に仰せられた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。1:8彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。
★無理もないように思います。二十歳ほどのエレミヤに預言者としての重荷が担わされたのですから。自らの乏しさを見てその職の不可能なことを彼は並べ立てようとします。が、しかし主は「まだ若いというな」と語られたのです。人は逃げようと思えば、あるいは使命を回避しようと思えばいくらでも出来るもの。けれども彼はここで主の言葉を信じて立ち上がったのです。「まだ若いというな」とはあなたにとってはどんな意味となるのでしょう。不可能を、乏しさを数えたらきりはありません。しかし主を信じて立ち上がるとき、あなたは主にあって事を成し遂げる人になるのです。その為にあなたは召し出されました。祝福はあなたの前に既に主がおいて下さっています。さあ主の約束を信じて立ち上がりましょう。ヒデ

土曜日, 7月 10, 2010

20100710_1サムエル23_イザヤ66_マタイ11

■1サムエル23:26サウルは山の一方の側を進み、ダビデとその部下は山の他の側を進んだ。ダビデは急いでサウルから逃げようとしていた。サウルとその部下が、ダビデとその部下を捕らえようと迫って来ていたからである。23:27そのとき、ひとりの使者がサウルのもとに来て告げた。「急いで来てください。ペリシテ人がこの国に突入して来ました。」23:28それでサウルはダビデを追うのをやめて帰り、ペリシテ人を迎え撃つために出て行った。こういうわけで、この場所は、「仕切りの岩」と呼ばれた。
★妬みのゆえにダビデを殺そうと謀るサウル王。権力をもってダビデを追い詰め、ついにその目的を成し遂げる日が目前に。しかし「王よ。急いで帰って下さい。敵ペリシテ人が国に突入してきましたから」とサウル王は使者を通してその知らせを聞かされます。危機一髪の状況に追い込まれたダビデ。しかし他でもない主ご自身がペリシテ人さえ用いてダビデの命をサウル王の罠から守って下さったのです。そう主を畏れる者の命は神様ご自身がその懐の中にかき抱き守られます。あなたも決して例外ではありません。

■マタイ11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
★主はあなたに安息を与えるために私のもとに来なさいと招かれるお方です。そしてあなたが安息の中を生きるため、ここは大切なことを教えます。知って下さい。人は負うべき重荷と、負ってはならない重荷があることを。負うべきは主が負わせて下さる使命やビジョン。負ってはならないのは罪の報酬。絶望。死の不安。これらは人間が自ら犯した罪の結果当然負うものでしたが、その代価を主は十字架の上で御自身の命をもって払って下さったのです。だからあなたは絶望に留まってはなりません。あなたは十字架を仰いで生きるのです。それが心からの主の願いです。今日も主の願いを受け取り、主の命と赦しの中を歩みましょう。ヒデ

金曜日, 7月 09, 2010

20100709_1サムエル21-22_イザヤ65_マタイ10

■1サムエル21:13それでダビデは彼らの前で気が違ったかのようにふるまい、捕らえられて狂ったふりをし、門のとびらに傷をつけたり、ひげによだれを流したりした。21:14アキシュは家来たちに言った。「おい、おまえたちも見るように、この男は気が狂っている。なぜ、私のところに連れて来たのか。
★妬みのゆえにサウル王に命を狙われるダビデの苦しみはいかばかりだったでしょう。彼はここにあるように、時に気が違った者の様に立ち振る舞わなければ、自らを守れないほどの窮地に立たされたのです。しかし彼はその苦しみの中で主への祈りを詩篇とし、自らを保ちました。詩篇34「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。」はまさにこの時の彼の祈りです。
それにしてもこの時「困窮している者、負債のある者、不満のある者たちもみな、彼のところに集まって来たので、ダビデは彼らの長となった。こうして、約四百人の者が彼とともにいるようになった。」と聖書は紹介しますが、彼は不平不満の渦に自らを投じて、決して自らを失うことはありませんでした。徹底した神様への畏れの姿勢を貫くダビデ。こうして神様はイスラエルの王としての備えを着々とダビデの生涯になして行かれたのです。あなたは今どんな状況にありますか。たとえいかなる状況の中に置かれても、神様を畏れる人への約束はひとつ。1ペテロ5:10の通りです。
「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」この約束を受け取りましょう。そして揺るぎない人生を生きるのです。

■マタイ10:19人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。
★大丈夫です。だから今日も肝心なとき主を仰ぐのです。ヒデ

木曜日, 7月 08, 2010

20100708_1サムエル20_イザヤ64_マタイ9

■1サムエル20:30 サウルはヨナタンに怒りを燃やして言った。「このばいたの息子め。おまえがエッサイの子にえこひいきをして、自分をはずかしめ、自分の母親の恥をさらしているのを、この私が知らないとでも思っているのか。20:31エッサイの子がこの地上に生きているかぎり、おまえも、おまえの王位も危うくなるのだ。今、人をやって、あれを私のところに連れて来い。あれは殺さなければならない。」
★息子ヨナタンをあらんかぎりの言葉をもって叱責するイスラエルの王サウル。サウルは息子を愛していなかったからでしょうか。いいえ王として他の父に勝って息子を愛していたと言えるでしょう。「ダビデが民衆の人気を博する事はお前の将来の王としての立場が危うくなるんだぞ。なのに、なぜダビデの肩を持つのか。私はただお前の将来の為を思って行動しているんだぞ。お前は、この父の気持ちが分からないのか。」その結果「このばいたの息子め」と最悪の言葉となったのです。まさに息子の将来と心を勝ち取ろうと願いつつ、自ら息子の心を引き裂き、踏みにじる結果となりました。どこに問題が。それは民の心を引き付けつつも自ら損をしないようにと上手に立ち振る舞う2面性のあるサウルの生き方でした。あなたは多くの人に尊敬され信頼されている人ですね。そんなあなたを信頼する人や、神様があなたに求めておられる生き方は、純粋に生きようとするあなた本来の生き方であり価値観です。あなたを大切に思う人も、神様もその生き方を応援して下さっています。主にあって輝きましょう。

■マタイ9:12イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。9:13『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
★正しい聖書知識は私たちを救います。神様に近づく人生ではなく、神様から遠ざかろうとする生き方。それを聖書は罪と呼び、その意味において全ての人は罪人であり医者を必要とするのです。しかしそれを認める人には、おしげもなく注がれるキリストの赦しと愛の特権が。キリストにあって新たにされたあなたは今日もこのキリストの愛を受け取って輝くのです。ヒデ

水曜日, 7月 07, 2010

20100707_1サムエル19_イザヤ63_マタイ8

■1サムエル19:9ときに、わざわいをもたらす、主の霊がサウルに臨んだ。サウルは自分の家にすわっており、その手には槍を持っていた。ダビデは琴を手にしてひいていた。19:10サウルが槍でダビデを壁に突き刺そうとしたとき、ダビデはサウルから身を避けたので、サウルは槍を壁に打ちつけた。ダビデは逃げ、その夜は難をのがれた。
★イスラエルを救うために戦ったダビデに対し、サウル王の息子ヨナタンもダビデの妻となったサウル王の娘ミカルも、心からの尊敬と信頼を寄せていました。ゆえに彼らは父に「ダビデを憎まないで」と説得します。そして父サウル王も「そうしよう」と。けれども御霊がサウル王に臨んだ時に、彼は上記の如くダビデを槍で刺し殺そうとしたのです。聖書は、御霊は人の心の奥底の思いさえも明らかにすると紹介します。自分さえ気づかなかった罪深さに気づかされた時、そこには御霊様の恵みの介入があり、思いやりがあるのです。その恵みに対する応答によって人の人生は変わります。

■イザヤ63:9彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。
★あなたは知っていらっしゃいましたか。これまでのあなたの生涯どんな時にも決して一人ではなかったことを。主は絶えずあなたと共におられたのです。そしてあなたが苦しみの中にある時、このお方もあなたの苦しみに心を合わせ、あなたがそこから脱出できるよう支え続けて下さっていたのです。いいですか。あなたは一人ではありません。主の瞳の中には常にあなたと言うかけがえのない存在があるのです。

■マタイ8:3イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐに彼のツァラアトはきよめられた。
★知って下さい。主は決して主に近づくあなたを退けるお方ではありません。そうではなく、かかわり、手を伸ばして下さるのです。今日もあなたはこのお方の愛と真実の御手に触れられて一日遣わされます。ヒデ

火曜日, 7月 06, 2010

20100706_1サムエル18_イザヤ62_マタイ7

■1サムエル18:7女たちは、笑いながら、くり返してこう歌った。「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」18:8サウルは、このことばを聞いて、非常に怒り、不満に思って言った。「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。」18:9その日以来、サウルはダビデを疑いの目で見るようになった。
★これは巨人ゴリアテをはじめ、王の命令によって送り出された戦に、ことごとく勝利を治めたダビデを迎えに出た、イスラエルのむすめ達の言葉を聞いたサウル王の反応です。ここには命のないリーダーと、真に命あるリーダーの対比が明確です。物事で何が一番大変かと言えば自分の後を次ぐ後継者を育てること。よって真のリーダーは自分を越える後継者が起こったなら、これほどの光栄と喜びはありません。しかし命のないリーダーにあっては同じ事が妬みとなるのです。あなたは人の成長を喜べる人ですか。それとも妬む人ですか。共に喜び続ける人であれるよう自分自身主の御手の中で成長させて頂くのです。

■マタイ7:24だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
★主によって語られた山上の説教を締め括る譬えがこの話です。岩の上に家を建てた賢い者と、砂の上に家を建てた愚かな者との対比はあまりにも有名で、その結果は誰もが知るところ。洪水が来ようが嵐が来ようが倒れなかったのは、もちろん岩の上に建てた方。しかし賢い者と愚かな者を分ける規準は?と言われるとそれは時に曖昧です。その違いは岩なるキリストを土台とするか、しなかったかということですか。いいえ違います。キリストの言葉を聞いてもそれを素通りにするかしないかです。すなわちキリストの言葉は、ただありがたい話として聞き流すものではないと言うことです。是非生きようとする決心をして下さい。そして新たな一歩を主と共に踏み出すのです。その時あなたの足と存在は御使いと主の御腕に支えられていることを発見するのです。「見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた」これがあなたへの主の約束です。ヒデ

月曜日, 7月 05, 2010

20100705_1サム17_イザヤ61_マタイ6

■1サムエル17:39ダビデは、そのよろいの上に、サウルの剣を帯び、思い切って歩いてみた。慣れていなかったからである。それから、ダビデはサウルに言った。「こんなものを着けては、歩くこともできません。慣れていないからです。」ダビデはそれを脱ぎ、17:40自分の杖を手に取り、川から五つのなめらかな石を選んできて、それを羊飼いの使う袋、投石袋に入れ、石投げを手にして、あのペリシテ人に近づいた。
★ダビデ以外の兵士はペリシテの代表戦士ゴリアテの280センチの体格とその轟きのような声に支配され、立ち上がることが出来ません。しかしダビデは王の鎧を脱ぎ、河原で拾った5つの石と石投げを持ち、ゴリアテの声にではなく「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。」とゴリアテを倒したのです。人の人生と価値は何を見ているかによって変わります。見上げ信頼すべきお方は主。大事にすべきは「しかし私は、主の御名によって…」のスピリットです。

■マタイ6:31そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。6:32こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。6:33だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。6:34だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
★主イエス様は山上の説教の全体を通して人生には優先順位があることを教えられました。神様は私たちが敬虔な宗教家となることを願っておられる訳ではありません。この世には、すれば良いことは一杯です。しかし神様は良い事ではなく、あなたが神に託された御心を、キリストと共に行う人となることを願っておられるのです。この世に遣わされるあなたが、今週もその所で御国をこの地にもたらすものとなりますように、キリストの御名で祝福します。ヒデ

日曜日, 7月 04, 2010

20100704_1サムエル16_イザヤ60_マタイ5

■1サムエル16:6彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「確かに、主の前で油をそそがれる者だ」と思った。16:7しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」
★サウルを王位から退けた神様はエッサイの子供達の中にその器を見つけ預言者サムエルを遣わします。長男エリアブを見たサムエルはまさにこの人物がと。しかしその時主が語られた言葉が上の6節のお言葉です。別にエリアブや後から次ぎ次ぎと連れて来られる7人の兄弟たちが悪いと言うのではありません。しかし国を治めるリーダーとなるべき人ではないと言うのです。そして主はダビデに王としての油をサムエルによって注がれました。なぜダビデが…?それがこのサムエル記のテーマです。そしてそれはまさに神の国を治めるために召し出されたあなたのテーマです。興味を持ってその真理を発見することをお勧めします。

■イザヤ60:1起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。60:2見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる。60:3国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。
★上の御言葉は平たく言うと。「あなたは自らを誰と心得るか」「あなたは我が誇りの息子、娘ではないか」と言うことです。これは他でもない、あなた自身の自覚の問題です。あなたはこの真理を既に受け取りましたか。遠慮しなくて良いのです。受け取って主の輝きの反映の中に歩みましょう。

■マタイ5:8心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。
★ここは有名な山上の説教の一節です。そしてここにキリスト教の本質が。きよいとは単一の意。混ざりものではないと言うこと。すなわちキリスト教はお参りの宗教ではなく、信じた所に従って生きるもの。だから神様の奇蹟を拝し、神様が生きておられることを体験できると言うのです。生きましょう。あなたのために全ての事を成し遂げて下さる主を信じて。ヒデ

土曜日, 7月 03, 2010

20100703_1サム15_イザヤ59_マタイ3-4

■1サムエル15:22するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。
★恵みによってイスラエル最初の王となったサウル。しかし彼は神様から命じられたことよりも民を恐れて物事を曖昧に処理しようとする者でした。主は預言者サムエルを通しそんなサウルに「私は悔いる」と語られます。以下はそれ以降のやり取りです。「私は主の言葉を守りました。」「ではこれはなんですか」「それは私ではなく民のせいです」「いい加減止めなさい。言い訳は」「私は罪を犯しました。でも今は人々の前で、王としての私の面目を立てて下さい」。聖書は人を恐れると罠に陥ると明確に語ります。また罪を悔い改めようと言う者が「今は人の前での面目を立てさせて」とはゼスチャーでなくて何でしょう。最初は素晴らしいスタートを切ったサウル。にも関わらず彼は神の関心から人の関心に心を奪われ、結果全てを失うことになったのです。繁栄と栄誉のそばには常に罠が!しかしそれを主の助けによって退けてこそ、イスラエルを治める王足りうるのです。主の恵みの光の中で心の動機の点検を日毎に頂ける私たちは何と幸いなことでしょう。

■イザヤ59:1見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。59:2あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。
★上記御言葉は、罪とは神様の側に関することでなく、私に与えられた自由をいかに私が用いるかである事を教えます。委ねられている自由をもってキリストの十字架を仰ぎましょう。

■マタイ4:19イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」4:20彼らはすぐに網を捨てて従った。
★「ついて来なさい」と、主は召し出されるお方。そしてその中にある希望を受け取れるようにと備えられたのが今日一日。あなたの前を進んで下さる主がこの朝も見えますか。ヒデ

金曜日, 7月 02, 2010

20100702_1サムエル14_イザヤ57-58_マタイ1-2

■1サムエル14:45すると民はサウルに言った。「このような大勝利をイスラエルにもたらしたヨナタンが死ななければならないのですか。絶対にそんなことはありません。主は生きておられます。あの方の髪の毛一本でも地に落ちてはなりません。神が共におられたので、あの方は、きょう、これをなさったのです。」こうして民はヨナタンを救ったので、ヨナタンは死ななかった。
★ペリシテ軍の脅威から、勇敢な行動ゆえにイスラエルに勝利をもたらしたサウル王の息子ヨナタン。しかし父サウル王は、極度のプレッシャーの中で「夕方、私が敵に復讐するまで、食物を食べる者はのろわれる」と。結局その父の言葉を聞く前に戦いにでたヨナタンと道具持ちは戦いに勝利を治めますが、途中ミツバチの巣の蜂蜜に手をつけ、王の命令に背いた者として罪に問われてしまったのです。その全容を知った時サウル王は息子ヨナタンに対して「あなたは死ななければならない」と。しかし民が冒頭の言葉を語りヨナタンを死から免れさせたのです。ここからリーダーは極度のプレッシャーの中に置かれた時、いかに自らを処すべきか。また例え王と言えども間違った判断をした時、その王に対して進言する事のできる勇気ある民のあることの幸いを覚えます。またサウル王はイスラエルに勝利をもたらした息子ヨナタンを王の命令を破った者として、本心では殺したくなくても立場上「死ななければならない」と語らざるを得なかったのです。そう思うと何と国を愛し、王を愛し、会社を愛し、家庭を愛し、教会を愛して、リーダーに進言することのできる勇気ある人物のいる共同体は幸いなことか。また、立てられたリーダーは本当に共同体を愛する者の進言を聞き分ける心と謙虚さが求められる事でしょう。キリストにあるものとされ、なくてはならない共同体の中に世の光、地の塩として遣わされるお一人お一人を主が今日も豊かに祝福して下さいますように。主はこの朝もあなたの祈りに耳を傾け、あなたと共に戦い勝利を治めて下さるお方です。ハレルヤ ヒデ

木曜日, 7月 01, 2010

20100701_1サムエル13_イザヤ56_黙示21-22

■1サムエル13:11サムエルは言った。「あなたは、なんということをしたのか。」サウルは答えた。「民が私から離れ去って行こうとし、また、あなたも定められた日にお見えにならず、ペリシテ人がミクマスに集まったのを見たからです。13:12今にもペリシテ人がギルガルの私のところに下って来ようとしているのに、私は、まだ主に嘆願していないと考え、思い切って全焼のいけにえをささげたのです。」
★全焼のいけにえをささげる日を決めたのはサムエル。けれども預言者サムエルの到着は1週間遅れ、しかも自分たちの2倍以上のペリシテの軍隊の圧迫によって兵士がサウルのもとを去ることを恐れて、預言者でもない王サウルは全焼のいけにえをささげてしまったのです。遅れたのはサムエルなのに。しかしここからリーダーにとってのなくてはならない気質が何かが浮かび上がります。それは人の目を恐れない。人気に支配されない。むしろその心を捕らえられる必要があるのは神への畏れと御心を神様の方法によって成し遂げる決断です。リーダーは試されざるを得ず、しかも誘惑も一杯です。ただ主に目を留めましょう。それ以外勝利の道はないのですから。

■イザヤ56:7わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。
★私たちの祈りを楽しみへと導くのはイエス様。祈りの言葉も願いもまずは脇において、イエス様を思いましょう。新しいことはそこからおこることを信じます。

■黙示録22:18私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。22:19また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。
★ここに外せない聖書の本質が。それは聖書は神様が人にお与え下さった契約書と言うこと。だから加えても削除もならないというのです。信じて文字どおり、永遠の祝福を受け取りましょう。ヒデ

水曜日, 6月 30, 2010

20100630_1サムエル11-12_イザヤ55_黙示19-20

■1サムエル12:23私もまた、あなたがたのために祈るのをやめて主に罪を犯すことなど、とてもできない。私はあなたがたに、よい正しい道を教えよう。
★「主よお語り下さい。僕は聞きます。」と、合わせてこの「祈るのをやめて主に罪を……」の表現は、主の預言者とされたサムエルの生涯を代表する言葉です。そして主がサムエルの生涯を祝福された理由を私たちはこの告白の中に垣間見させられます。自らの何者でもないことを知るゆえに、ひたすらに神様を求めるサムエルの姿。まさにそれが幼い頃より一貫して彼が持ち続けていたものでした。時代は変わり民は変わり、人々の求めは目に見えない神様から目に見える王へと変わってしまいました。しかし主は目に見えるものではない、この神を畏れるサムエルの生涯を終わりに至まで持ち運び用いられたのです。

■イザヤ55:9天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。55:10雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。55:11そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。
★神様の口から出る言葉の特徴を述べなさいと試験に出題されたらあなたは何と答えますか。その答えは「必ずその通りの事を成し遂げ、むなしく返らない」です。だからこそ私たちは御言葉を下さいと主に求めるのです。

■黙示録20:10そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。
★多くの人は地獄の存在理由についての理解が曖昧です。悪魔が人に危害をくわえることのないよう、悪魔を永遠に縛ることを目的として神様御自身が設けられたもの。それが地獄です。にも関わらずここに「にせ預言者も」と人が。あってはならない事です。何のための主の十字架か、その意味を噛み締め、今日も一日主の恵みの中で歩ませて頂きましょう。ヒデ

火曜日, 6月 29, 2010

20100629_1サムエル10_イザヤ54_黙示17-18

■1サムエル10:6主の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えられます。
★主が王制を求めるイスラエルにはじめて立てられたサウルに対する励ましです。ここから神様が人を召し出される時は、その立場や使命を全うすることができる賜物を与えずして、召し出されることのないお方であることを受け取りましょう。神様は決して意地悪なお方ではありません。かならず召命と共に賜物も分け与えて下さるのです。ただ、それを信じて受け取り踏み出すか。踏み出す前にそれを見せて下さらなければ踏み出せませんと信じ切れない自分のために、その祝福を長きに渡って留めるかのどちらかです。神様はご自身を偽る事の出来ないお方であることをもう一度覚えましょう。

■イザヤ54:10たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない」とあなたをあわれむ主は仰せられる。
★主があなたに対してもっておられる正直な思いを分かち合って下さいました。主はあなたを愛しておられるのです。そのまま受け取りましょう。私は決してあなたを離れず、あなたを捨てないと主は語られました。

■黙示録17:14この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。また彼とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実な者だからです。」
★御言葉によると「彼とともにいる者たち」はどんなものと紹介されているでしょう。それは召された者、選ばれた者、忠実な者です。この規準はあなたが自分を見てどう思うかではなく、あなたについて主がどう思っておられるかです。そして自分の思いではなく主の思いを受け取ることが信仰の原点です。そうあなたは召され、選ばれ、忠実な者なのです。感謝してこの事実を受け取りましょうです。そしてあなたは、あなたの中におられるキリストによって今日も一日輝くのです。ヒデ

月曜日, 6月 28, 2010

20100628_1サムエル9_イザヤ53_黙示15-16

■1サムエル9:17サムエルがサウルを見たとき、主は彼に告げられた。「ここに、わたしがあなたに話した者がいる。この者がわたしの民を支配するのだ。」
★私たちにも回りの国々同様、王を与えて下さいと王制を求めるイスラエルに、神様はサウルを民に与えようと働かれます。迷った父の雌ロバを探すために山地を行き巡るサウル。不思議ですがその途中で預言者サムエルとの出会いへと導かれます。あなたは、人を祝福する為に人との出会いを求めていますか。それとも神様の祝福と助けを求めて人との出会いを求めていますか。いずれにしても神様は私たちの祈りに耳を傾け、その必要に答えようと不思議な出会いを下さるお方です。どうか私たちとの視点がすべての人の中にイエス様を見出すもので有りますように。

■イザヤ53:6私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。…12彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。
★預言者イザヤがキリストの十字架を目の当たり、まるで見ていたかのような記述です。是非目を通してみて下さい。そこから受け取って頂きたいことは、主は人の心の中に御自身の御思いを示されたり、見せて下さる幻を通して、将来の祝福を示して下さるお方と言うことです。だからこそ、それを正しく受け取る方法を知る必要があるのです。

■黙示録16:21また、一タラントほどの大きな雹が、人々の上に天から降って来た。人々は、この雹の災害のため、神にけがしごとを言った。その災害が非常に激しかったからである。
★世の終わりにある7つの鉢の裁きの一こまです。災いが起こる度、聖書はこの時代の人々の多くは神様に対して汚し事を言ったと記します。しかし災いの中で全ての人が神様への汚し事を言ったわけではありません。ヨブは「主、我を試み給わば、われ金のごとくいで来たらん」(ヨブ23:10)と歌いました。心にあることの全てが明らかになるやがての日に備え、よき信仰の決断を主の助けによって、今週もさせて頂くことが出来ますように。ヒデ

日曜日, 6月 27, 2010

20100627_1サムエル7-8_イザヤ52_黙示14

■1サムエル8:19それでもこの民は、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。そして言った。「いや。どうしても、私たちの上には王がいなくてはなりません。8:20私たちも、ほかのすべての国民のようになり、私たちの王が私たちをさばき、王が私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」
★神性政治のイスラエルが王制にとって変わる一瞬です。民から王制への移行を訴えられたサムエルに対し、主は「民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。」と語られました。形はどんなであるにせよ真に治めておられるのは「主である」と、この本質が失われる時、そこから命は失われ、すべてのものは形骸化し形式主義へと流れ、命の流れは内向き、守りの姿勢となってしまいます。「すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」との約束を心に刻みましょう。

■イザヤ52:11去れよ。去れよ。そこを出よ。汚れたものに触れてはならない。その中から出て、身をきよめよ。主の器をになう者たち。
★主の器を担う者、主の器とは誰でしょう。それはあなただと主は語られます。私たちの祝福と生涯の成熟はこれを受け取る所からスタートです。

■黙示録14:14また、私は見た。見よ。白い雲が起こり、その雲に人の子のような方が乗っておられた。頭には金の冠をかぶり、手には鋭いかまを持っておられた。
★これは世の終わりの光景の一こまで、神の言葉は一貫して、人はその行いによって報いを受ける時が来ると語ります。するとどうしましょう。自分の姿の見えない幼な子ならいざ知らず、一体誰が自らの行いを持って神の前に立てると言うのでしょう。だからこそ十字架の上で主は私たちの足りないその分を払って下さったと言うのです。さあ、もう一度主を仰ぎ、感謝をもって今日のこの日もはじめさせて頂きましょう。ヒデ

土曜日, 6月 26, 2010

20100626_1サム5-6_イザヤ51_黙示12-13

■1サムエル5:9それがガテに移されて後、主の手はこの町に下り、非常な大恐慌を引き起こし、この町の人々を、上の者も下の者もみな打ったので、彼らに腫物ができた。5:10そこで、彼らは神の箱をエクロンに送った。神の箱がエクロンに着いたとき、エクロンの人たちは大声で叫んで言った。「私たちのところにイスラエルの神の箱を回して、私たちと、この民を殺すのか。」
★ペリシテ人に奪われた契約の箱(この箱の上部は贖罪所を中心に、そこに向かうセラピム「御使い」が彫られ、箱の中にはモーセの十戒の石の板と40年の荒野の生活支えたマナの入った壺、更には芽を出したアロンの杖が入っていました)は、何と行くところ行くところ災いをもたらしたのです。その箱が留まる所に神の臨在と祝福をもたらすはずの箱なのに。しかしこれがある面、神様の祝福の原則です。示される臨在の中で悔い改めに導かれるならばその人は命を得、しかし臨在を軽んじる時、その人の心は曇り身体の健やかさはやがてむしばまれて行くのです。まさに主を畏れることが知識のはじめであることを覚えましょう。

■イザヤ51:1義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見よ。51:2あなたがたの父アブラハムと、あなたがたを産んだサラのことを考えてみよ。わたしが彼ひとりを呼び出し、わたしが彼を祝福し、彼の子孫をふやしたことを。51:3まことに主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。
★主とはどのようなお方ですかとの質問にいかに答えましょう。それは主以外誰も見出しえない可能性をあなたの中に見出し、それを引き上げ、あなたの生涯を麗しく飾って下さるお方。あなたはあなたの内にある良きものを誰よりも尊び、それを輝かせようとして下さるお方が主であることをご存知ですか。そして日ごとに心を開いて主に近づいていらっしゃいますか。主の御手によって形づくられるほど安全で間違いの無い生き方はありません。拒む必要はないのです。今日もヨロシクお願いしますと歩み出させて頂きましょう。ヒデ

金曜日, 6月 25, 2010

20100625_1サム4_イザヤ50_黙示10-11

■1サムエル4:8ああ、困ったことだ。だれがこの力ある神々の手から、われわれを救い出してくれよう。これらの神々は、荒野で、ありとあらゆる災害をもってエジプトを打った神々だ。4:9さあ、ペリシテ人よ。奮い立て。男らしくふるまえ。さもないと、ヘブル人がおまえたちに仕えたように、おまえたちがヘブル人に仕えるようになる。男らしくふるまって戦え。」
★これらの言葉はイスラエルの宿敵ペリシテのもので、その理由は前の戦いでイスラエルがペリシテに敗れたとき「なぜ主は、きょう、ペリシテ人の前でわれわれを打ったのだろう。シロから主の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。」と言った為でした。結果イスラエルの力ある神を恐れて、今まで以上に命がけで戦ったペリシテ軍が勝利を治めたのです。ここにひとつの教訓が。主を迎え入れたと言っても、そこに真摯な主への従順と畏れがなければ、むしろ敵の必死によって打ち負かされることがあるということ。信仰とは格好では無く、生きざま、本気そのものであることを心に刻みましょう。

■イザヤ50:8私を義とする方が近くにおられる。だれが私と争うのか。さあ、さばきの座に共に立とう。どんな者が、私を訴えるのか。私のところに出て来い。
★ハレルヤ!胸がすくような神様理解がここに、まさにここにある通り。主を信じたあなたのためには、いざと言うとき、キリストがあなたを訴える者の前に、あなたと共に立って、十字架の上で流された命の代価を根拠に「私は彼の罪のためにも命を捨てたんだ。裁きは終わった。負債は支払済みだ。」と仰るのです。キリストが十字架で成し遂げられ贖い。それは人類が捕らえられていた死の恐怖さえ打ち砕くものです。いいですか。あなたは自分を訴える者に対して自分で戦おうとしてはなりません。このキリストの中に隠れこんで、このお方に戦って頂くのです。「イエス・キリストの御名によって命じる。サタンよ退け。私はキリストにあって赦されたものである」と。キリストはあなたを救うために命を捨てられたのです。ヒデ

木曜日, 6月 24, 2010

20100624_1サム3_イザヤ49_黙示7-9

■1サムエル3:10そのうちに主が来られ、そばに立って、これまでと同じように、「サムエル。サムエル」と呼ばれた。サムエルは、「お話しください。しもべは聞いております」と申し上げた。
★この章の終わりは「こうして全イスラエルは、ダンからベエル・シェバまで、サムエルが主の預言者に任じられたことを知った。」と、サムエルがイスラエルの霊的リーダーとなったことを明らかにします。ではその理由はと問われるならその答えが10節に。「主よお話し下さい。しもべは聞いております」。そう、人を成長させるものとは、神への従順と謙遜です。詩篇の記者はそれを「84:11主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。84:12万軍の主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。」と謳いました。言い訳ではなく、従順をもって神への賛美に生きる者に変えられたことを心一杯感謝しましょう。

■イザヤ49:2主は私の口を鋭い剣のようにし、御手の陰に私を隠し、私をとぎすました矢として、矢筒の中に私を隠した。
★なぜ私たちは御言葉を尊び、心の内に御言葉を蓄えようとするのでしょう。ここにはその答えが明確です。それは神様の時にあなたが神様の御手から放たれた矢のごとく、事を成し遂げる人として召し出された人だからです。そうです。あなたは神様の人、神様の期待の存在です。勝手に自分を低く見積もらないようにしっかりと心を見張りましょう。

■黙示録7:13長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか」と言った。7:14そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。
★知って下さい。上の言葉はやがてあなたが天で聞く御使いの語りかけです。御使いの間であなたは誇りです。その事を心に受けとめさあ今日一日も始めましょう。ヒデ

水曜日, 6月 23, 2010

20100623_1サム2_イザヤ48_黙示5-6

■1サムエル2:6主は殺し、また生かし、よみに下し、また上げる。2:7主は、貧しくし、また富ませ、低くし、また高くするのです。2:8主は、弱い者をちりから起こし、貧しい人を、あくたから引き上げ、高貴な者とともに、すわらせ、彼らに栄光の位を継がせます。まことに、地の柱は主のもの、その上に主は世界を据えられました。2:9主は聖徒たちの足を守られます。悪者どもは、やみの中に滅びうせます。まことに人は、おのれの力によっては勝てません。2:10主は、はむかう者を打ち砕き、その者に、天から雷鳴を響かせられます。主は地の果て果てまでさばき、ご自分の王に力を授け、主に油そそがれた者の角を高く上げられます。」
★このハンナの主への賛美、どこかで聞き覚えのある気がしませんか。そうマリヤがイエス様を身ごもった時の。ここから共通して言えること、それは神様に望みを置く者を神様は決して辱められないこと。主はあなたの涙の祈りも決して忘れられません。

■イザヤ48:10見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた。
★ということは試練は考え方によってはチャンスと言うことですか?ならば今あなたが遭遇していらっしゃる試み、どう受け取りましょうか。少なくとも絶望では無いことは確かです。たとえ八方塞がりでも天は開いています。仰ぐことによって練りきよめられましょう。

■黙示録5:4巻き物を開くのにも、見るのにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。5:5すると、長老のひとりが、私に言った。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」
★今あなたの抱えている課題。それを失望と落胆、涙で終わらせてなりません。それを解くことのできるお方がいらっしゃるのです。そう今日もこのお方に望みを置き、このお方を拝して一日を始めるのです。このお方の側に立つあなたを主は必ず勝利へと導いて下さいます。ヒデ

火曜日, 6月 22, 2010

20100622_1サム1 イザヤ46-47 黙示3-4

■1:15ハンナは答えて言った。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。
★「その頃イスラエルには王がなくめいめいが自分の目に正しいと見える事を行っていた」というイスラエルに、神様の祝福の秩序をもたらしたのが祭司サムエル。この箇所はそのサムエルの誕生についての経緯です。夫エルカナに愛されつつも子供がないためにもう一人の妻ペニンナにいじめられるハンナ。彼女はその苦しみの為に15節のように心を神様の前に注ぎ出していたのです。主はそんな彼女に「安心して行きなさい」と語り、幼子をくださる約束さえくださったのでした。誰にも分かってもらえない悲しい思い、しかし、それをそのままで終わらせない神様の恵み。心を注ぎだして神様に求める尊さを覚えましょう。

■イザヤ46:3わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。46:4あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。
★上の御言葉からの質問です。さてあなたの生涯を責任持って導いて下さるお方は誰でしょう。あなたはこの質問に既に答えを見出されましたか。

■黙示録3:20見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
★ここに表現されている『戸』とは私たちの心です。人の心は外からではなく内側からしか開けれません。そして何に心を開くかによって私たちの生涯は決まるのです。私たちのために十字架の上で命を注ぎ出して下さった主にこそ心開くあなたの上に主の祝福はこの朝も豊かに注がれます。ハレルヤ!ヒデ

月曜日, 6月 21, 2010

20100621_ルツ3-4_イザヤ45_黙示録1-2

■ルツ4:16ナオミはその子をとり、胸に抱いて、養い育てた。4:17近所の女たちは、「ナオミに男の子が生まれた」と言って、その子に名をつけた。彼女たちは、その名をオベデと呼んだ。オベデはダビデの父エッサイの父である。
★しばしの飢饉を逃れるために夫と二人の息子を連れてモアブの野に赴いたナオミ。けれどそこで夫と二人の息子に先立たれるとは、一体誰が想像したでしょう。しかし深い悲しみを越え、自分より嫁ルツの幸せに立ったとき、神様は驚くばかりの祝福をナオミに備えられます。まさに「自分のいのちを救おうと努める者はそれを失い、それを失う者はいのちを保ちます」ルカ17:33です。更にこのルツとボアズの子オベデの子孫からダビデが、キリストが誕生する事となるとは驚きです。神を畏れる生き方は必ず後には100倍にも勝る恵みを受けるのです。そして、あなたに報いて下さる神様は今も生きておられます。

■イザヤ45:4わたしのしもべヤコブ、わたしが選んだイスラエルのために、わたしはあなたをあなたの名で呼ぶ。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに肩書を与える。
★どうしても肩書きが求められるサラリーマンの皆さん吉報です。主はあなたに肩書きを与えて下さるお方です。もう受け取られましたか。まだの方は積極的に願って下さい。主は特別な肩書きをあなたの為に用意しておられますよ。

■黙示録2:10あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。
★私たちが獲得できる中で最高の冠。それがいのちの冠です。その為には忠実さと忍耐が必要。知って下さい。かん難はしばし、しかも期限付きです。どうかあなたの心が今日一日も主の愛と真実に励まされ、いのちの冠が約束されているものに相応しく整えられ輝きますように。ヒデ

日曜日, 6月 20, 2010

20100620_ルツ1-2_イザヤ44_ユダ1

■ルツ2:8ボアズはルツに言った。「娘さん。よく聞きなさい。ほかの畑に落ち穂を拾いに行ったり、ここから出て行ったりしてはいけません。私のところの若い女たちのそばを離れないで、ここにいなさい。2:9刈り取っている畑を見つけて、あとについて行きなさい。私は若者たちに、あなたのじゃまをしてはならないと、きつく命じておきました。のどが渇いたら、水がめのところへ行って、若者たちの汲んだのを飲みなさい。」
★ルツに対する思いやり深いボアズのことばです。夫と二人の息子を失った母を慰めようと「あなたの民は私の民。あなたの神は私の神です」と、母と行動を共にしたルツ。そんな彼女の生き様の噂は既にベツレヘムの町に広がっていたのです。しかしそれは昔の事、現代はそんなことで、どうして生きて行けますか……。そうですか。しかしいつの時代も献身の姿は見える人は見えるのです。

■イザヤ44:19彼らは考えてもみず、知識も英知もないので、『私は、その半分を火に燃やし、その炭火でパンを焼き、肉をあぶって食べた。その残りで忌みきらうべき物を造り、木の切れ端の前にひれ伏すのだろうか。』とさえ言わない。
★偶像礼拝の矛盾と愚かさについて、聖書の中で最もが鮮やかに表現されている箇所はどこですかと問われるなら、この44章でしょう。あなた自身とあなたの愛する人の祝福のため一度読まれることをお勧めします。救って下さるお方は「私に帰れ。わたしはあなたを贖ったからだ。」と力強く語って下さる主以外にないことを覚えましょう。

■ユダ1:24あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、
★主とはどんなお方ですか。そう尋ねるあなたのために天のお父様が用意下さった答えが今朝の御言葉です。あなたを傷なきものとして立たせて下さるお方。それが主です。さあ今日もこのお方への感謝と信頼の一日を始めましょう。祝福はあなたの前に置かれています。ヒデ

土曜日, 6月 19, 2010

20100619_士師21_イザヤ43_2・3ヨハネ

■士師21:16そこで、会衆の長老たちは言った。「あの残った者たちに妻をめとらせるにはどうしたらよかろう。ベニヤミンのうちから女が根絶やしにされたのだ。」21:17ついで彼らは言った。「ベニヤミンののがれた者たちの跡継ぎがなければならない。イスラエルから一つの部族が消し去られてはならない。
★ベニヤミン部族の神を畏れない汚れに対して呵責のない裁きを下したイスラエル。しかしそのイスラエルの長老の中にベニヤミン部族へのあわれみの思いがわき起こりました。それが「1部族であっても神様の約束の民イスラエルから欠けることがあってはならない」の表現です。全部族の長老達は心砕いてベニヤミンの回復の道を模索し、全イスラエルに理解を求めます。御言葉は平和を造り出す者は幸い、また憐れみは裁きに打ち勝つと語ります。和解は自然には訪れませんが、主の赦しを霊に深く深く受け取ったあなたの歩みが、今日も一日、多くの人の慰めと罪を執り成す歩みとなりますように。
■イザヤ43:1だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。43:2あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。
★「わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは私のもの」とは何というと励ましでしょう。「私のもの」と言う以上、主はあなたに他のものによっては補えない価値を認め、その価値ゆえに自らの所有として持ち運び、それを喜び誇りとして下さるというのです。合わせてあなたは人生に押し流されない秘訣を知りたいですか。それは何かを自分で握りしめることではありません。「あなたは私のもの」との主の宣言にあなた自身許可を与えることです。そうしてイスラエルはかつて押し流されることなく紅海を渡りました。「主よあなたのものです。」と告白して一日を始めるあなたを今日も主は祝福で覆って下さいます。ヒデ

金曜日, 6月 18, 2010

20100618_士師20_イザヤ42_1ヨハネ5

■士師20:28当時、アロンの子エルアザルの子ピネハスが、御前に仕えていた。そして言った。「私はまた、出て行って、私の兄弟ベニヤミン族と戦うべきでしょうか。それとも、やめるべきでしょうか。」主は仰せられた。「攻め上れ。あす、彼らをあなたがたの手に渡す。」
★前章の続きです。信じたくもない汚れの報告を聞いた他の全イスラエルは40万の部隊となって主のみ前に結集し、御心をもとめます。その時の主の命令がこの「攻め上れ」で、ここに汚れに対する明確な主の指針が示されます。主は神を畏れることを捨て、ご自身の民の愛が倒錯し、汚れの中に落ちて行くことを赦し得ないのです。天の父はもちろん憐れみと恵みに満ちたるお方。しかし自らを滅ぼし家庭、国家を滅ぼす汚れには断固峻厳なる態度をとられます。この朝、私たちの全てのものに向かう愛が、このお方を畏れる所から流れ出ますように。

■イザヤ42:2彼は叫ばず、声をあげず、ちまたにその声を聞かせない。42:3彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。
★やがて人となって来られる救い主イエス・キリストの預言です。彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すことのないお方と聖書は語ります。人としての弱さを抱える私たちはどんなに頑張っても、時に折れてしまいそうな、あるいはくすぶり今にも消えてしまいそうな思いに支配されることがあるのではないでしょうか。しかしこのお方はそれを決して折らず消さないというのです。すなわち決して「だめだなーお前は」とは言われず、大丈夫だ。私があなたと共に歩み。あなたを支えるのだと語られるのです。さあ心を静めましょう。「大丈夫だ。あなたは私の目に高価で貴い。私はあなたを愛している」との御声は、この朝もあなた向かって語りかけられています。ヒデ

木曜日, 6月 17, 2010

20100617_士師19_イザヤ41_1ヨハネ3-4

■士師19:30それを見た者はみな言った。「イスラエル人がエジプトの地から上って来た日から今日まで、こんなことは起こったこともなければ、見たこともない。このことをよく考えて、相談をし、意見を述べよ。」
★旅人をもてなし、寄留者とやもめにあわれみをかけることがイスラエルの文化であるはずが、一体どうしたことでしょう。ギブアの土地に住むベニアミン族の男達は、その地に宿泊を求めたレビ人を辱めようと日が暮れてから迫ったのです。恐怖の中でそのレビ人は自分のそばめを戸口から彼らに渡しましたが、その結果は、一晩中男達はそのそばめを辱め遂に朝方彼女は息を引き取りました。あり得ないことです。神様を畏れることをやめたなら一体人はどこまで落ちてしまうのでしょう。この朝もう一度お互いの主への愛を点検させて頂き、愛が倒錯した時代の中にあっても過ちに陥ることなく、むしろ麗しい愛と命をまわりに流せる器として用いられるよう主の助けを祈りましょう。

■イザヤ41:9わたしは、あなたを地の果てから連れ出し、地のはるかな所からあなたを呼び出して言った。「あなたは、わたしのしもべ。わたしはあなたを選んで、捨てなかった。」41:10恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。

■1ヨハネ4:18愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。
★「愛には恐れがない」このみことばは私たちの内にある愛が、神様の御心にそうものかどうかを点検してくれる物差しです。愛するよりもむしろ傷つくことを恐れて関わりがいつの間にか消極的になることはありませんか。主もあなたと同じです。それで十字架に掛かられ前3度同じ言葉で祈られました。ヒデ

水曜日, 6月 16, 2010

20100616_士師17-18_イザヤ40_1ヨハネ1-2

■士師17:1エフライムの山地の出で、その名をミカという人がいた。17:2彼は母に言った。「あなたが、銀千百枚を盗まれたとき、のろって言われたことが、私の耳に入りました。実は、私がその銀を持っています。私がそれを盗んだのです。」すると、母は言った。「主が私の息子を祝福されますように。」
★聖霊によって罪を示された息子ミカが母にその罪を告白した時、母は「正直に罪を告白した私の息子を主が祝福して下さるように」と祈りました。原罪ゆえに罪人となった人が罪を認めるためには聖霊様の助けがなければできるものではありません。ゆえにこの時、母は主への感謝をもって息子を神様の前に導いたのです。人を罪によって縛る生き方ではなく、私たちもこの婦人の選んだ道を選択することが出来ますように。

■イザヤ40:31しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

■1ヨハネ2:1私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。2:2この方こそ、私たちの罪のための私たちの罪だけでなく、世全体のためのなだめの供え物です。
★聖書はキリストを愛するあなたのためには、たとえあなたが失敗して罪を犯すことがあっても誰がいると語っていますか。そうあなたを弁護して下さるイエス・キリストです。ここから神様の御心を知って下さい。神様はあなたがプログラムされた通りにしか動けないロボットのような人生を生きることを願っておられません。むしろ自由を生きて欲しいと願っておられるのです。自由には失敗も伴います。しかしそれをも赦される主の愛を知って、主はあなたが失敗をも恐れないで、神と人を愛し、人生を感謝して生きることを願っておられるのです。さあ既に赦されているのですから、今日もこのお方と一日を楽しみつつ始めましょう。ヒデ

火曜日, 6月 15, 2010

20100615_士師16_イザヤ39_2ペテロ3

■士師16:16こうして、毎日彼女が同じことを言って、しきりにせがみ、責め立てたので、彼は死ぬほどつらかった。16:17それで、ついにサムソンは、自分の心をみな彼女に明かして言った。「私の頭には、かみそりが当てられたことがない。私は母の胎内にいるときから、神へのナジル人だからだ。もし私の髪の毛がそり落とされたら、私の力は私から去り、私は弱くなり、普通の人のようになろう。」
★聖書は、サムソンはソレクの谷にいる一人の女を愛したと語りますが、果たしてこの遊女のもとに彼は留まり続けるべきだったでしょうか。留まり続けようとするばかりに彼は苦しみ、遂には銀貨数千枚にかえて自分を売り渡そうとするデリラに、自らの力の源の秘密を明らかにせざるを得なくなってしまったのです。その結果彼は力を失いペリシテ人から目をくり抜かれ笑い者とされてしまいます。そうです。サムソンはそこを去るべきでした。そこに留まる為の言い訳を探すべくもなく去るべきだったのです。あなたにはそこを去るべきと示されることはありますか。主を仰ぎ将来のために勇気ある決断をさせて頂きましょう。

■2ペテロ3:16その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所のばあいもそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。
★あなたはヒョッとするとまだ一度も聖書通読の経験のない方でいらっしゃるかも知れませんね。その上でなぜ私たちは聖書通読にこだわったライフスタイルの確立をこうしてめざそうとするのでしょうか。ここにはその問に対する一つの答えが記されています。それは聖書を曲解し自らに滅びを招かないためです。その為には文脈を無視した読み方は控えましょう。また、単に知的に読む以上に心に語りかけられる神様の御声を大切に通読を進めるのです。主はそうした生き様を重んじようとするあなたの生涯において、必ずみ言葉に霊感を与えて、いよいよの時あなたの命と希望を守って下さるお方です。ヒデ

月曜日, 6月 14, 2010

20100614_士師14-15_イザヤ38_2ペテロ1-2

■士師14:3すると、父と母は彼に言った。「あなたの身内の娘たちのうちに、または、私の民全体のうちに、女がひとりもいないというのか。割礼を受けていないペリシテ人のうちから、妻を迎えるとは。」サムソンは父に言った。「あの女を私にもらってください。あの女が私の気に入ったのですから。」14:4彼の父と母は、それが主によることだとは知らなかった。主はペリシテ人と事を起こす機会を求めておられたからである。そのころはペリシテ人がイスラエルを支配していた。
★その名を不思議とよばれる主によって地上に生を受けたサムソンの人生の一こまです。「異邦の娘をめとってはならない」との律法の中、サムソンが抱いたペリシテの娘をめとりたいとの思いは、主もゆるされた事だったとは。私たちはここから物事をみ言葉の規準で評価できる目を持つ必要と、その上で、なお主権的に許される主のわざのあることを教えられます。後になって始めて分かる世界、そこには信じる者の為に、すべての事を働かせて益として下さる神様の存在があるのです。仰ぎ、へりくだりましょう。

■イザヤ38:17ああ、私の苦しんだ苦しみは平安のためでした。あなたは、滅びの穴から、私のたましいを引き戻されました。あなたは私のすべての罪を、あなたのうしろに投げやられました。
★神から投ぜられる光ゆえの苦しみは無駄ではありません。むしろ人は自分の事が見えなさ過ぎ、知らなさ過ぎるのです。しかし私たちの苦悩を苦悩で終わらせないのが神の恵み。自分の本当の姿を知り、主を仰ごうとする人の罪を、主はご自身の後ろに投げ捨てられるのです。たまたまではありません。主が投げ捨てられたものを訴える者がもう一度拾って「これですよ。主よ」と差し出したとしても、同じように主はあなたの罪をご自身の後ろに投げ捨てられるのです。理由はあなたに請求すべき罪の負債は、キリストにあって徴収済だからです。それが十字架の効力です。キリストにあるあなたを誰も罪に定める事は出来ません。主はあなたの罪を永遠にご自身の後ろに投げ捨てられました。ヒデ

日曜日, 6月 13, 2010

20100613_士師12-13_イザヤ37_1ペテロ3-5

■士師13:22それで、マノアは妻に言った。「私たちは神を見たので、必ず死ぬだろう。」13:23妻は彼に言った。「もし私たちを殺そうと思われたのなら、主は私たちの手から、全焼のいけにえと穀物のささげ物をお受けにならなかったでしょう。これらのことをみな、私たちにお示しにならなかったでしょうし、いましがた、こうしたことを私たちにお告げにならなかったでしょう。」
★これはあのロバのあご骨で1000のペリシテ人を打ち殺す士師となったサムソンの父マノアの言葉に対する妻の言葉です。まさに主の心を言い当てた言葉です。夫マノアは主を見たので必ず死ぬと恐れます、しかし妻は神様が私たちを愛し御計画を持って下さっているからこそ顕れて下さったのであって、神様は必ず私たちを守り用いて下さいますと語ります。健全な信仰です。私たちもこの信仰に生きるのです。あなたが滅びることを願わないゆえになし遂げらた十字架。その意味をこの朝もしっかり受け取りましょう。

■1ペテロ5:9堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。5:10あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
★私たちの生涯が不動の生涯になれるとはなんたる感謝。もちろん棚ぼた式ではありません。「しばらくの苦しみ」「あらゆる恵みに満ちた神」。あなたの心はどこに留まりますか。しかしその明確な結論は「不動の者となる」なのです。何度となく様々なものに揺り動かされ、主を裏切ったペテロ。しかし彼の生涯の結論はこれでした。そうです。主は信じ従う者の生涯を作るのです。あなたの生涯を作るのです。不動の者となるか、うつろい行く者となるか。主はこの朝も「あなたは私に従って来なさい」と語られます。今日もあなたを神の側に立たせて下さる主を崇め、さあ一日を始めましょう。ヒデ

土曜日, 6月 12, 2010

20100612_士師10-11_イザヤ36_1ペテロ2

■士師11:30エフタは主に誓願を立てて言った。「もしあなたが確かにアモン人を私の手に与えてくださるなら、11:31私がアモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る、その者を主のものといたします。私はその者を全焼のいけにえとしてささげます。」
★たとえ神の人エフタと言えども愚かな契約を神様の前にしたことか。結局アモン人には勝利したものの、愛する娘を全焼のいけにえとしてささげなければならなくなったのです。人とは何と愚かで、近視眼的かつ表面的な判断をもって自らに滅びと災いを招き入れるものでしょう。けれども更に心に留めるべき厳粛な出来事とは、一度交わした霊的な契約は破棄されることがないにも関わらず、多くの人はこの事実を知らず、滅びを身に招いていることです。ここはどんなことがあっても曖昧にしてはなりません。キリストの十字架はその呪いの契約を唯一白紙にすることの出来る神の力です。
ですから知って、信じて、こう祈って下さい。「知らずとはいえ。私が交わした……の契約は間違いでした。今その過ちを認め、キリストの十字架の力を信じて祈る私を赦し、その霊的支配から解放して下さい」と。主は速かにあなたの生涯を祝福の中に移して下さいます。

■1ペテロ2:2生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
★聖書は人が救いを得、成長するためには純粋なみことばが必要と語ります。なぜですか。それは人が神の形ににせて作られたから。すなわち霊を持ち、神の霊である聖霊とのまじわりの中に生きるものとして作られたからです。「人はパンだけで生きるのではなく神の口からでる一つ一つの言葉によって」とはまさにそのことです。朝ごとに御言葉の前に静まる選択をしたあなたは何と幸いな大路を選んだことでしょう。あなたの上には今日も主の祝福が置かれています。ヒデ

金曜日, 6月 11, 2010

20100611_士師9_イザヤ35_1ペテロ1

■士師9:54アビメレクは急いで道具持ちの若者を呼んで言った。「おまえの剣を抜いて、私を殺してくれ。女が殺したのだと私のことを人が言わないように。」それで、若者が彼を刺し通したので、彼は死んだ。9:56こうして神は、アビメレクが彼の兄弟七十人を殺して、その父に行なった悪を、彼に報いられた。
★あの12万のミデヤン人をわずか300人で打ち負かしたギデオン。今日はそのギデオンがそばめエルバアルとの間にもうけたアビメレクの生涯の結末です。なんと妬みゆえに異母兄弟70人を殺し、彼は王位を確立しようとするのです。が、ひとりの婦人が、彼の頭めがけて投げたひき臼が頭蓋骨に命中し、アビメレクは命を落とします。人生の教訓です。あまりのあわれみのなさは、敵のみならず身内や、味方からも忌み嫌われます。箴言16:18の「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ」のみ言葉はいつの時代も真実です。

■1ペテロ1:21 あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。
★日本では「いわしの頭も信心から」とよく言われますが、この御言葉は全く反対のことを語ります。それは私たちの熱心さではなく、神様はそれをすることが可能なお方かどうかで、その答えはもちろんアーメンということです。あなた自身が何をしたかに関心を縛り付けようとするのは悪魔で、そこに救いはありません。むしろ神様がなし遂げて下さった救いの御業を仰ぎましょう。聖書は「地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。わたしは神であって、ほかに神はないからだ。」と語ります。神様にこそ望みをおくあなたの上に、今日も豊かな命と祝福を注いで下さいます。ヒデ

木曜日, 6月 10, 2010

20100610_士師7-8_イザヤ34_ヤコブ5

■士師7:2そのとき、主はギデオンに仰せられた。「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った。』と言って、わたしに向かって誇るといけないから。7:3今、民に聞こえるように告げ、『恐れ、おののく者はみな帰りなさい。ギルアデ山から離れなさい。』と言え。」すると、民のうちから二万二千人が帰って行き、一万人が残った。
★この章は前章に続く、主の民イスラエルがミデヤン人を滅ぼす経緯について紹介された箇所です。12万以上の軍隊と戦うのに、神様はここで33000人から更に300人へと絞り込まれます。その理由は神様の栄光を人が取らないためです。「私ではありません。主です。私は出来ることをしたに過ぎません。」と心から語れることが恵みであることを覚えましょう。あなたは栄光を握りしめますか。それとも神様にお返ししますか。

■ヤコブ5:12私の兄弟たちよ。何よりもまず、誓わないようにしなさい。天をさしても地をさしても、そのほかの何をさしてもです。ただ、「はい。」を「はい。」、「いいえ。」を「いいえ。」としなさい。それは、あなたがたが、さばきに会わないためです。
★ここには私たちの生涯に勝利をもたらす秘訣が明確です。それは決して難しいものではなく読んで字のごとく「はい」を「はい」、「いいえ」を「いいえ」とすることです。では何がそれを難しくし、時には玉虫色の表現や決断としてしまうことがあるのでしょうか。それが、貪欲、名誉欲、密かに隠れ持つプライド等、絡みつく罪です。当然のことを当然とできない心には既にイエローカードが点滅中。レッドカードとなる前に教会の祈りの中で解放されましょう。御言葉は5:16「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」と勧めます。ヒデ

水曜日, 6月 09, 2010

20100609_士師6_イザヤ33_ヤコブ3-4

■士師6:11さて主の使いが来て、アビエゼル人ヨアシュに属するオフラにある樫の木の下にすわった。このとき、ヨアシュの子ギデオンはミデヤン人からのがれて、酒ぶねの中で小麦を打っていた。6:12主の使いが彼に現われて言った。「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」
★ここはイスラエルを苦しめるミデヤン人から民を救った預言者ギデオンの召命の箇所です。主はこのギデオンを用いてどれほど大きなことをなさったことか。何と12万以上の軍隊をわずか300人で滅ぼしたのです。しかしここに描かれたギデオンの姿は敵を恐れて自らの身を酒ぶねに隠す者でした。
「勇士よ。主があなたと共におられます」との召命とはあまりにもかけ離れています。それはギデオン自身が誰よりも受け取れない言葉。しかし知って下さい。主はその時のギデオンだけではなく、神の恵みによって強められる将来のギデオンの姿を見て、そう声をかけられたのです。あなたに主が御声をかけられる時も同じです。どうぞ自分を見ないで神様の御声に信頼しましょう。「御子の命の代価を払ってでも」と御父が語られる存在、それがあなたです。

■ヤコブ4:7ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。……4:10主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。
★ここには霊的勝利の秘訣が明確です。勝利を与えてあなたを高くして下さるのは主、あなたではありません。その上で私たちのすべき事は霊的戦いから逃げる事ではなく、主にあって立ち向かうことです。いいですか。闇は暗さで脅すことはできても、主と共に主の光をかざして主の聖徒が立ち向かう時、消え去る以外ないのです。それが主にあって光の子とされた神の子であるあなたが持つ特権です。あなたは必ず霊的戦いに勝利できるのです。キリストの御名の権威を持って今日一日のためにもあなたを祝福します。ヒデ

火曜日, 6月 08, 2010

20100608_士師4-5_ザヤ32_ヤコブ2

■士師4:4そのころ、ラピドテの妻で女預言者デボラがイスラエルをさばいていた。
★イスラエルにおける初の女預言者の登場です。彼女の召命の背景を主は「イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行なった。それで、主はハツォルで治めていたカナンの王ヤビンの手に彼らを売り渡した。彼は鉄の戦車九百両を持ち、そのうえ二十年の間、イスラエル人をひどく圧迫したので、イスラエル人は主に叫び求めた。」と紹介します。
神様は何と憐れみ深いお方でしょう。どんな不信仰の中にあっても神様に助けを求める時、救いを与えて下さるお方です。また不信仰が蔓延する中、主に向かって叫ぶ者が起こされる事を願われるお方です。まさか女の私が預言者に?いえ神様は外の顔かたちではなく内側を見られるのです。そしてこの時代も誰が私に向かって叫びをあげるかとご覧になられます。愛する者の救いの為、あなたもその預言者の一人ではありませんか。

■イザヤ32:20ああ、幸いなことよ。すべての水のほとりに種を蒔き、牛とろばとを放し飼いするあなたがたは。
★聖書は物事を信頼できる魂を持てること。それは幸いの証拠と語ります。主に感謝しましょう。事実神様はどんな中でも神を畏れるあなたに生きる道を必ず開いて下さるお方です。

■ヤコブ2:23そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた。」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
★アブラハムに与えられた「神の友」とは何と栄誉ある称号でしょう。その背景には信仰に伴う、信仰に基づく行いがありました。世はこの信仰と行いを分離させようと働きます。まさに本音と建て前の世界、そして私たちの生活から奇蹟を奪うのです。しかし神の恵みは私たちの信仰と行いが一つとなるよう励まし助け、ここに奇蹟をあらわされます。さあ今日もまだ誰も通った事のない道があなたの前に開かれました。キリストと共に歩みましょう。ヒデ

月曜日, 6月 07, 2010

20100607_士師02-03_イザヤ31_ヤコブ1

■士師2:19しかし、さばきつかさが死ぬと、彼らはいつも逆戻りして、先祖たちよりも、いっそう堕落して、ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んだ。彼らはその行いや、頑迷な生き方を捨てなかった。
★何と残念な記述でしょう。神様の約束の地。祝福の地。神様がイスラエルに愛を示すために与えて下さった地カナン。しかし彼らは自分たちの割り当て地が与えられるや、神様から離れたのです。そして思い思いの罪深い生活に向かって行きました。残念ですがキリスト出現までイスラエルの歴史はこのひとことの繰り返しです。確かに聖書はこの後も「イスラエル人が主に叫び求めたとき、主はイスラエル人のために、彼らを救うひとりの救助者……を起こされた。」と続きますが、そこにはただ神様の憐れみ深いことが浮かび上がるのみなのです。しかしこれが人間。人間の本質です。だからこそ救いが必要です。主を仰ぎましょう。

■ヤコブ1:21ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。
★イエス・キリストの実弟ヤコブのことばです。あなたが魂に救いを得るためには何が必要でしょうか。御言葉です。素直さです。汚れを握りしめず、心に思い浮かぶ悪をもてあそばないことです。その上で救いの条件には2つのステップがある事を心に留めたいのです。御言葉はどこにありますか。既に心の中に。にもかかわらず、その上で示された御言葉をもう一度あなたはそれを心の中心に抱き込むのです。知っている事と、それを抱き込み御言葉の種から芽が出るよう生きようとすることとは違います。御言葉の力は受けとめられるその心の土壌の中で大きく働き、あなたを救い。やがてあなたを揺るぎない祝福の器として建て上げるのです。今あなたは神様からどんな御言葉で励まされ、悔い改めを促され、祝福の為に不信仰を捨て去りなさいと示されていますか。その語りかけを受け取りましょう。御言葉はあなた自身とその人生を救う力があるのです。ヒデ

日曜日, 6月 06, 2010

20100606_士師1_イザヤ30_ヘブル13

■士師1:2すると、主は仰せられた。「ユダが上って行かなければならない。見よ。わたしは、その地を彼の手に渡した。」
★出エジプトを導いたモーセの後、イスラエルはヨシュアと共に約束の地カナンに。そしてヨシュアは12部族にカナンの土地の割り当をなし、主のみ御もとへ。さてその後残されたイスラエルの民の使命とは?それは具体的に割り当てられた土地をどう攻略するか。まさに、「どうやって誰が最初に上るのか」です。その時の主からの答えは「ユダが最初に上がってゆかなければならない」でした。ユダとは「賛美」の意。そうです主の民の戦い方とは、先ずは神様に賛美をささげ信頼し神様を礼拝することです。あなたは神様への賛美と感謝がどれほど私たちの心を整え強く明るくし、日々の生活を祝福へと導いてくれるかご存知ですか。賛美から始めさせて頂きましょう。

■イザヤ30:15神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」しかし、あなたがたは、これを望まなかった。
★主が望まれるべきこと。それが心を静め、神への信頼に生きること。主はそれで十分だと仰います。

■ヘブル13:8イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
★イエス・キリストがいつまでも同じとはどういう意味ですか。成長がないとの意味ですか。違います。その誠実、その愛、その清さ、その正義。それら全てにブレがないと言うことです。そう今日あなたに向けられているまなざしも変わることなく愛なのです。さあこの変わらないお方にささげる祈りをもって始めさせて頂きましょう。主はあなたと共におられます。ヒデ

土曜日, 6月 05, 2010

20100605_ヨシュア23-24_イザヤ29_ヘブル12

■ヨシュア24:15もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」
★110才で主の御もとに召されたヨシュアは死の直前のこの時であっても、なくてはならない物をイスラエルに伝えるためにハッキリと自らの姿勢を示しました。そのヨシュアの姿勢のゆえに「私たちが主を捨てて、ほかの神々に仕えるなど、絶対にそんなことはありません」と民は答えます。リーダーとは自分の生き様を通して人々の中にある最も良きものを引き出す存在。主はあなたをどんな立場においてリーダーとして立てて下さっていますか。

■イザヤ29:15ああ。主に自分のはかりごとを深く隠す者たち。彼らはやみの中で事を行ない、そして言う。「だれが、私たちを見ていよう。だれが、私たちを知っていよう。」と。
★それは誰か。簡単ですね。主です。何一つこのお方の前に隠されたものはありません。全ての事は知られているのです。にも関わらず受け入れられる。これが恵みで、人を生かすのです。

■ヘブル12:2信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
★主はここでどんなお方と紹介されていますか。それは創始者であり完成者です。にもかかわらず残念なことが一つあることを知って下さい。スタートは主を仰ぐ恵みの信仰ではじめたのに、その完成は自分の力で成し遂げなければならないと勘違いする人がいるのです。あなたが恵みを保つのではありません。恵みがあなたを保ってくれるのです。この朝、主を求める全ての人がこの霊的奥義に開かれますようにキリスト・イエスの御名によって祝福します。ヒデ

金曜日, 6月 04, 2010

20100604_ヨシュア22_イザヤ28_ヘブル11

■ヨシュア22:24しかし、事実、私たちがこのことをしたのは、次のことを恐れたからです。後になって、あなたがたの子らが私たちの子らに次のように言うかもしれないと思いました。『あなたがたと、イスラエルの神、主と何の関係があるのか。22:25主はヨルダン川を、私たちとあなたがた、ルベン族、ガド族との間の境界とされた。あなたがたは主の中に分け前を持っていない。』こうして、あなたがたの子らが私たちの子らに、主を恐れることをやめさせるかもしれません。22:26それで、私たちは言いました。『さあ、私たちは自分たちのために、祭壇を築こう。全焼のいけにえのためではなく、またほかのいけにえのためでもない。……』
★あのヨルダン川の東に割り当て地を求めた部族は何事か。戦いが終わった帰る道で早くも偶像礼拝の祭壇を築くとは。イスラエルの同胞どうしてあわや一触即発の事態。しかし良く話を聞いた時、むしろそこには深い痛みと憂いがあったのです。あなたは人の心の深みにある痛みに耳を傾け、癒しと和解の為に労する人ですか。それとも火に油を注ぎますか。

■イザヤ28:16 だから、神である主は、こう仰せられる。「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない。
★「石」とは「主」のこと。そう、あなたをあわてることのない不動の者として下さるの主キリストです。信じますか。

■ヘブル11:6信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
★この御言葉も是非とも暗唱したい御言葉です。信仰とは何でしょう。神様を真実、愛なるお方とし、このお方にかけた生涯を歩むことです。一度しかない生涯ですから何に人生を懸けるか悩んで当然でしょう。しかし懸けず仕舞で終わることのないように。どんなことがあっても主は復活の命をもってあなたの生涯を栄光にかえて下さるお方なのですから。ヒデ

木曜日, 6月 03, 2010

20100603_ヨシュア20-21_イザヤ26-27_ヘブル10

■ヨシュア20:3 あやまって、知らずに人を殺した殺人者が、そこに逃げ込むことのできるようにしなさい。その町々は、あなたがたが血の復讐をする者からのがれる場所となる。
★21章の後半で約束の地を遂に占領したイスラエルの事を「主は、彼らの先祖たちに誓ったように、周囲の者から守って、彼らに安住を許された。すべての敵の中で、ひとりも彼らの前に立ちはだかる者はいなかった。」と聖書に語らせます。なぜその祝福にイスラエルはあずかることができたのでしょう。
ここにはその大きな要因とも言えるイスラエルの稀有なルールが描かれます。「のがれの場」。イスラエルには誤って犯す失敗に関して、たとえそれが殺人であっても、悪意のない場合、安全が担保される居場所があったのです。どんな状況の中にも理解され安全が担保される居場所!人にはこれが必要です。その中で人は立ち上がる準備と赦されたものとしての生き方を受け取るのです。その居場所がキリストとは、私たちは何たる恵みの中に置かれていることでしょうか。

■イザヤ26:4いつまでも主に信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから。
★「ヤハ」とは「主なる神を誉め讃えよ」の意。まさにその通り。なぜなら主こそが信じるあなたを「不動の存在」にする事のできる唯一のお方なのですから。

■ヘブル10:36あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。10:37「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。……10:39私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。
★先には「従順とは学ぶべきもの」を確認し、けさは約束のものを主にあって受け取る方法で、その答えは「忍耐」です。それは将来に希望が見えない人には出来ません。究極の希望とはキリスト。今朝このお方とあなたの関係はどうでしょう。「大丈夫」ならば胸を張りましょう。今日も勝利は神の側に立つあなたにおしみなく注がれるのですから。ヒデ

水曜日, 6月 02, 2010

20100602_ヨシュア19_イザヤ25_ヘブル8-9

■ヨシュア19:49この地について地域ごとに、相続地の割り当てを終えたとき、イスラエル人は、彼らの間に一つの相続地をヌンの子ヨシュアに与えた。
★ここに主にあるリーダーの姿勢を垣間見ます。聖書はヨシュアの子孫が土地を手にして、相続地の割り当てを終わったと紹介します。クジでなされた割り当て。そうヨシュアは残った土地を手にするとしたのです。それは「もし私がそうしなければあなたの部族が最後のクジになるかも知れない。」とのメッセージを族長達に与えることとなりました。結果部族達が心がけたのは公平な割り当てとなるようにでした。まさにヨシュアに主にあるリーダーを感じます。決してそれはまず自分のものを損しないよう確保してではありません。
どうでしょう。あなたはリーダーになれそうですか。無理そうですか。しかし主にあって豊かに与える者には、主は必ずまさる量りをもって量り返して下さるお方です。それを知る我らとは何と幸いなことでしょう。

■ヘブル9:22それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。
★ここには覚えるべき御言葉が3つあります。ぜひ挑戦して下さい。必ずあなたの生涯の宝になります。①22節「血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです」②27節「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」③28節「キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです」。そう、その通りです。人は必ず一度死に、罪には必ず払うべき報酬が求められ、何より曖昧にされてきた裁きゆえに虐げられ続けて来た人々を救うためにキリストは再び来て下さるのです。キリスト共に立つか。キリストの前に立たされるか。大きすぎる違いです。けれどお互いは既にキリストと共に立つ者にされました。何たる感謝。さあ今日もこの感謝をもって始めましょう。ヒデ

火曜日, 6月 01, 2010

20100601_ヨシュア18_イザヤ24_ヘブル6-7

■ヨシュア18:4部族ごとに三人の者を選び出しなさい。彼らが立ってその地を行き巡るように、私は彼らを送り出そう。彼らはその地についてその相続地のことを書きしるし、私のところに来なければならない。
★約束の地の主要な町をイスラエル全体で攻略した後も、割り当て地を自ら主体的に勝ち取って行こうとするより、その後どうしていいか分からず、今ある状況に留まろうとする部族は12部族中7部族もありました。それで指導者ヨシュアは「いつまで占領することを先延ばしにするのか」と語り、それぞれの部族から3人づつを選び出し、相続地に関するレポートを出すよう指示したのです。
奴隷生活が長くなると人はなかなか指示待ち体質から抜け出せません。主はそんな7部族に上からの決定よりも、自分たちの足を使い行動と相談で分割方法を決めるよう促すのです。神の子とされた者の生涯にはしっかり立ち止まる時が必要です。しかしまた足を使った情報収集の中から御霊の一致の中で主体的に事を進めることも大切です。今あなたは待つ時ですか。それとも信仰の一歩を踏み出す時ですか。

■ヘブル7:24しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。7:25したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
★あなたが主と仰ぐキリストは一度死なれましたがよみがえり、弟子たちの目の前で天に帰って行かれたお方。このお方の成し遂げられた完全な贖いゆえに、たとえ悪魔が私たちを訴えようとも、「天のお父さま。確かに悪魔の訴えるとおりです。しかし私はその彼の罪のためにも十字架上で罪の代価としての命を注ぎ出したのです」と言ってくださるお方です。そして天の父はすでにあなたの罪を御自身の後ろに投げ捨てられました。主の救いは完全です。もはやあなたを罪に定めることは誰も出来ません。主を誉めましょう。ヒデ