金曜日, 7月 09, 2010

20100709_1サムエル21-22_イザヤ65_マタイ10

■1サムエル21:13それでダビデは彼らの前で気が違ったかのようにふるまい、捕らえられて狂ったふりをし、門のとびらに傷をつけたり、ひげによだれを流したりした。21:14アキシュは家来たちに言った。「おい、おまえたちも見るように、この男は気が狂っている。なぜ、私のところに連れて来たのか。
★妬みのゆえにサウル王に命を狙われるダビデの苦しみはいかばかりだったでしょう。彼はここにあるように、時に気が違った者の様に立ち振る舞わなければ、自らを守れないほどの窮地に立たされたのです。しかし彼はその苦しみの中で主への祈りを詩篇とし、自らを保ちました。詩篇34「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。」はまさにこの時の彼の祈りです。
それにしてもこの時「困窮している者、負債のある者、不満のある者たちもみな、彼のところに集まって来たので、ダビデは彼らの長となった。こうして、約四百人の者が彼とともにいるようになった。」と聖書は紹介しますが、彼は不平不満の渦に自らを投じて、決して自らを失うことはありませんでした。徹底した神様への畏れの姿勢を貫くダビデ。こうして神様はイスラエルの王としての備えを着々とダビデの生涯になして行かれたのです。あなたは今どんな状況にありますか。たとえいかなる状況の中に置かれても、神様を畏れる人への約束はひとつ。1ペテロ5:10の通りです。
「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」この約束を受け取りましょう。そして揺るぎない人生を生きるのです。

■マタイ10:19人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。
★大丈夫です。だから今日も肝心なとき主を仰ぐのです。ヒデ

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