土曜日, 7月 10, 2010

20100710_1サムエル23_イザヤ66_マタイ11

■1サムエル23:26サウルは山の一方の側を進み、ダビデとその部下は山の他の側を進んだ。ダビデは急いでサウルから逃げようとしていた。サウルとその部下が、ダビデとその部下を捕らえようと迫って来ていたからである。23:27そのとき、ひとりの使者がサウルのもとに来て告げた。「急いで来てください。ペリシテ人がこの国に突入して来ました。」23:28それでサウルはダビデを追うのをやめて帰り、ペリシテ人を迎え撃つために出て行った。こういうわけで、この場所は、「仕切りの岩」と呼ばれた。
★妬みのゆえにダビデを殺そうと謀るサウル王。権力をもってダビデを追い詰め、ついにその目的を成し遂げる日が目前に。しかし「王よ。急いで帰って下さい。敵ペリシテ人が国に突入してきましたから」とサウル王は使者を通してその知らせを聞かされます。危機一髪の状況に追い込まれたダビデ。しかし他でもない主ご自身がペリシテ人さえ用いてダビデの命をサウル王の罠から守って下さったのです。そう主を畏れる者の命は神様ご自身がその懐の中にかき抱き守られます。あなたも決して例外ではありません。

■マタイ11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
★主はあなたに安息を与えるために私のもとに来なさいと招かれるお方です。そしてあなたが安息の中を生きるため、ここは大切なことを教えます。知って下さい。人は負うべき重荷と、負ってはならない重荷があることを。負うべきは主が負わせて下さる使命やビジョン。負ってはならないのは罪の報酬。絶望。死の不安。これらは人間が自ら犯した罪の結果当然負うものでしたが、その代価を主は十字架の上で御自身の命をもって払って下さったのです。だからあなたは絶望に留まってはなりません。あなたは十字架を仰いで生きるのです。それが心からの主の願いです。今日も主の願いを受け取り、主の命と赦しの中を歩みましょう。ヒデ

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