金曜日, 7月 30, 2010

20100730_2サムエル16_エレミヤ20_ローマ5-6

■2サムエル16:11ダビデはアビシャイと彼のすべての家来たちに言った。「見よ。私の身から出た私の子さえ、私のいのちをねらっている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。16:12たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。」
★息子アブサロムの反逆でエルサレムから陥落するダビデ王。その前には何とサウルの家の人々が立って「出て行け。血まみれの男、よこしまな者。主がサウルの家のすべての血をおまえに報いたのだ。だから主はお前に敵対するお前の息子アブサロムをお前に代えてて王として立てお前を苦しめるのだ。お前が災いにあうのは血まみれの男だから。」となじります。が、その時ダビデが語った言葉は先の御言葉です。確かにダビデにも落ち度が。しかしなぜ主はダビデを用いるのか。裁きを主に委ねる彼の姿から教えられましょう。

■ローマ6:3それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。6:4私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。
★ここにはバプテスマの意味が明確です。キリストにあって罪に死に、キリストと共に復活の命によみがえる。これもまたキリスト教教理の根幹で、イエス・キリストにある信仰の土台です。あなたはもはや、かつての人ではありません。新しくされた使命と希望に目を留め、新しい人として進むのです。ヒデ

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