火曜日, 8月 24, 2010

20100824_1列王19_エレミヤ45-46_1コリント4-5

■1列王19:4自分は荒野へ一日の道のりを入って行った。彼は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言った。「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」
★アハブ王に仕えるバアルの預言者450人と戦い、みごと彼らを討ち滅ぼしたエリヤ。しかしそのことゆえ、「もしも私が、あすの今ごろまでに、あなたの命をあの人たちのひとりの命のようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」と、怒りと憎しみをあらわに、アハブの妻イゼベルが告げたとき、たとえエリヤであっても上の言葉のように意気消沈し、40日間人の前に立てないほどの鬱症状に見舞われるのです。
バアルの預言者450人を一人で滅ぼした大預言エリヤの姿はどこに?しかし、これが人間の現実です。しかし、神様はエリヤを責められません。ゆっくりと彼の回復を見守り、やさしく声を掛けられるのです。しかも神様はエリヤにバアルにひざを屈めない7千人の預言者を残して下さっていましたが「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。彼らは私のいのちを取ろうとねらっています」と、エリヤは自分に囚われた言葉を語るのです。人間とは極度の緊張とそれに続く恐怖に、何と弱いものでしょう。しかもそれは一人の婦人の言葉でした。
ですから人は自分を過大評価することは禁物です。むしろ主は弱くて良い、弱いままで良い。と、しかし、その弱さの中にこそ私は働き「私の恵みはあなたに対して十分である」と主は告げられるのです。自らの弱さを知った者だけが、主を仰ぐことができ、そこら「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」と再び、この方の力によって立ち上がれる世界があることを受け止めましょう。あなたの弱さは既に主に受け止められていますか。それとも一人で頑張っていますか。さあ今日も主に自らを明け渡し、祈りをもって始めましょう。主はあなたを豊かに支えて下さるお方です。ヒデ

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