月曜日, 8月 16, 2010

20100816_1列王11_エレミヤ37_マルコ11

■1列王11:2この女たちは、主がかつてイスラエル人に、「あなたがたは彼らの中に入って行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる」と言われたその国々の者であった。それなのに、ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった。
★なんと言う残念。ついに国が北と南の二つに分かれ、互いに争い合うその時が。聖書はその原因を、ここで「それなのに」と記します。あれほどのソロモンなのに。しかしソロモンとて例外ではありません。神の恵みを軽んじ、神様の戒めを脇に置き、私は大丈夫とおごる時、人は滅びる以外にないのです。馬鹿のようになって神の言葉に従うこと、これ以上に人に祝福をもたらし、勇気ある決断のないことを心に刻みましょう。ソロモンは神様からの警告を聞きつつも離れる決断をしなかったのです。

■エレミヤ37:18エレミヤはゼデキヤ王に言った。「あなたや、あなたの家来たちや、この民に、私が何の罪を犯したというので、私を獄屋に入れたのですか。
★エレミヤによる王への直言です。かつての「ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいか分かりません」とおじ惑うエレミヤの姿はありません。信じましょう。主は従う者を造り上げて下さいます。

■マルコ11:5すると、そこに立っていた何人かが言った。「ろばの子をほどいたりして、どうするのですか。」11:6弟子たちが、イエスの言われたとおりを話すと、彼らは許してくれた。
★主がエルサレム入場に用いられたのは戦車でも馬でもなく、弱々しげなろばの子でした。持ち主は、主のことばを語ると許してくれたとここは証しします。自らの生涯に「主の用なり」と御声が掛かった時あなたはどうでしょう。それを許しますか。許すとき、あなたが主を運ぶのではなく、主があなたを運んで下さることを信じて従う者でありましょう。ヒデ

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