日曜日, 6月 27, 2010

20100627_1サムエル7-8_イザヤ52_黙示14

■1サムエル8:19それでもこの民は、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。そして言った。「いや。どうしても、私たちの上には王がいなくてはなりません。8:20私たちも、ほかのすべての国民のようになり、私たちの王が私たちをさばき、王が私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」
★神性政治のイスラエルが王制にとって変わる一瞬です。民から王制への移行を訴えられたサムエルに対し、主は「民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。」と語られました。形はどんなであるにせよ真に治めておられるのは「主である」と、この本質が失われる時、そこから命は失われ、すべてのものは形骸化し形式主義へと流れ、命の流れは内向き、守りの姿勢となってしまいます。「すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」との約束を心に刻みましょう。

■イザヤ52:11去れよ。去れよ。そこを出よ。汚れたものに触れてはならない。その中から出て、身をきよめよ。主の器をになう者たち。
★主の器を担う者、主の器とは誰でしょう。それはあなただと主は語られます。私たちの祝福と生涯の成熟はこれを受け取る所からスタートです。

■黙示録14:14また、私は見た。見よ。白い雲が起こり、その雲に人の子のような方が乗っておられた。頭には金の冠をかぶり、手には鋭いかまを持っておられた。
★これは世の終わりの光景の一こまで、神の言葉は一貫して、人はその行いによって報いを受ける時が来ると語ります。するとどうしましょう。自分の姿の見えない幼な子ならいざ知らず、一体誰が自らの行いを持って神の前に立てると言うのでしょう。だからこそ十字架の上で主は私たちの足りないその分を払って下さったと言うのです。さあ、もう一度主を仰ぎ、感謝をもって今日のこの日もはじめさせて頂きましょう。ヒデ

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