金曜日, 6月 04, 2010

20100604_ヨシュア22_イザヤ28_ヘブル11

■ヨシュア22:24しかし、事実、私たちがこのことをしたのは、次のことを恐れたからです。後になって、あなたがたの子らが私たちの子らに次のように言うかもしれないと思いました。『あなたがたと、イスラエルの神、主と何の関係があるのか。22:25主はヨルダン川を、私たちとあなたがた、ルベン族、ガド族との間の境界とされた。あなたがたは主の中に分け前を持っていない。』こうして、あなたがたの子らが私たちの子らに、主を恐れることをやめさせるかもしれません。22:26それで、私たちは言いました。『さあ、私たちは自分たちのために、祭壇を築こう。全焼のいけにえのためではなく、またほかのいけにえのためでもない。……』
★あのヨルダン川の東に割り当て地を求めた部族は何事か。戦いが終わった帰る道で早くも偶像礼拝の祭壇を築くとは。イスラエルの同胞どうしてあわや一触即発の事態。しかし良く話を聞いた時、むしろそこには深い痛みと憂いがあったのです。あなたは人の心の深みにある痛みに耳を傾け、癒しと和解の為に労する人ですか。それとも火に油を注ぎますか。

■イザヤ28:16 だから、神である主は、こう仰せられる。「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない。
★「石」とは「主」のこと。そう、あなたをあわてることのない不動の者として下さるの主キリストです。信じますか。

■ヘブル11:6信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
★この御言葉も是非とも暗唱したい御言葉です。信仰とは何でしょう。神様を真実、愛なるお方とし、このお方にかけた生涯を歩むことです。一度しかない生涯ですから何に人生を懸けるか悩んで当然でしょう。しかし懸けず仕舞で終わることのないように。どんなことがあっても主は復活の命をもってあなたの生涯を栄光にかえて下さるお方なのですから。ヒデ

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