★この事実から人々がそれて行くので、痛みをもってパウロが記した書がガラテヤ書です。決して人にへつらうことのなかったパウロ。その彼が福音を如何に理解し、宣べ伝えたか学んで行きましょう。
■ガラテヤ2:20私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
★ここはまさに信仰の奥義が描かれた箇所です。あなたの罪の負債の代価は、十字架上でキリストがご自身の命でもって、支払って下さったゆえに、完済され赦されました。ハレルヤ。しかしそれだけではありません。あなたの罪深い肉性・古き人は、既にキリスト共に十字架につけらているのです。ゆえにあなたは罪を犯す必然性はないのです。この真理を信仰によって受けとめなければなりません。そこに信仰生活の勝利の扉が開かれます。■ガラテヤ3:23信仰が現れる以前には、私たちは律法の監督の下に置かれ、閉じ込められていましたが、それは、やがて示される信仰が得られるためでした。3:24こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。3:26あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。3:28ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。
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