木曜日, 10月 07, 2010

20101007_1歴代23_エゼキエル33_エペソ5-6

■1歴代23:1ダビデは老年を迎え、長寿を全うして、その子ソロモンをイスラエルの王とした。23:2ついで、彼はイスラエルのすべてのつかさ、祭司、レビ人を集めた。……23:5そして、四千人は門衛となり、四千人は私が賛美するために作った楽器を手にして、主を賛美する者となりなさい。」。
★ここにはダビデが生涯の最後に為した事業が記されます。レビ人の構成と使命、仕事内容の確認です。それは、かつて受けた祝福に感謝して「神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、あなたはここまで私を導いてくださったのですか。」と、主にささげた感謝の具体的な応答でした。切り出された岩、掘り出された穴を心に覚え、主の恵みに対する感謝の応答の生涯を全うしましょう。

■エゼキエル33:14わたしが悪者に、『あなたは必ず死ぬ』と言っても、もし彼が自分の罪を悔い改め、公義と正義とを行い、33:15その悪者が質物を返し、かすめた物を償い、不正をせず、いのちのおきてに従って歩むなら、彼は必ず生き、死ぬことはない。33:16彼が犯した罪は何一つ覚えられず、公義と正義とを行った彼は必ず生きる。
★これが良き訪れ。救い主キリストがなしてくださった御業です。

■エペソ5:11実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。……5:14明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」
★明るみ出された全てに対して聖書は「御子イエスの血は全ての罪からきよめる」と宣言します。物事を明るみに出す生き方によって、主の助けを受け入れることを告白し、破れた関係の修復にキリストと共に生きましょう。そうして蒔かれた命の種は必ず生涯の祝福となってあなたの生涯を励まします。ヒデ

水曜日, 10月 06, 2010

20101006_1歴代22_エゼキエル32_エペソ3-4

■1歴代22:11 そこで今、わが子よ、主があなたとともにおられ、主があなたについて語られたとおり、あなたが、あなたの神、主の宮をりっぱに建て上げることができるように。22:12ただ、主があなたに思慮と分別を与えて、あなたをイスラエルの上に任命し、あなたの神、主の律法を守らせてくださるように。
★これはイスラエル王位を受け継ぐソロモンの励ましに父ダビデが語った言葉です。そしてリーダーの最も大切な働きが何かがここには明確です。聖なるビジョンを共有し、励ましを与えること。ダビデはその生涯の終盤まで王として君臨しましたが、世代交代のための準備は怠ることなく進めていました。どんな国においても世代交代は永遠の課題です。あなたが御心にかなうビジョンを持ち、人を育てる良きリーダーでありますように。

■エペソ4:25ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。
★人が隣人にささげることのできる最高のプレゼントとは何でしょう。それは正直な自分を分かち合うこと。相手を優劣のない自分と対等の人として認め、心を開いて自分の思いや考え、時には弱ささえ分かち与えることです。それは人類に罪が入るまで神様が人にご計画して下さった「相互依存」の関係、互いになくてはならない「助け手」の関係でした。ところが罪は「相互依存」の関係を破壊し、人類に「共依存」(アルコール依存症など問題を抱える家族がいる場合、面倒を見続け、相手に必要とされるとことを自己評価のよりどころとして、その関係に依存する状態)の関係をもたらしたのです。共依存関係は、その関係に優劣やさげすみが生まれ、諦めさえ生じ、心の底から自分を喜びの内に相手にプレゼントする事ができません。だからこそキリストにある赦しと癒し、また、あなたも私もキリストの身体としてなくてはならない存在との価値観が必要です。あなたが心を開いて他者との関係を築くことを可能にする安全地帯。その担保はキリストの愛と赦しの中にこそあるのです。今日もこのお方の愛の中から始めましょう。ヒデ

火曜日, 10月 05, 2010

20101005_1歴代20-21_エゼキエル31_エペソ1-2

■1歴代21:1ここに、サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた。
★神様と民に愛され、イスラエルに統一王国と平安をもたらしたダビデ。ところがどうしたことか彼が高慢、おごり、不遜の誘惑に陥り、自らの成功と偉大さを確認する目的で王国の規模を数えさせようとしたのです。これは驚くべき、しかも誰もが真摯に受け取るべき警告です。すなわち人は成功の中でも、いえ成功の中でこそ、その誘惑は衝動となって強まり人の心を襲うのです。お金、異性、地位プライド。「あなたは大丈夫ですか」とは言いません。なぜならこのことに付いて誰も大丈夫な人はいないからです。そこで神様の語りかけに耳を傾けるのはもちろんですが、家族やあなたを愛する友の語りかけにも耳を傾けましょう。ヨナタン亡き後、残念かな、ダビデは直言も辞さない友を持たなかったのです。誰も主と愛する者を傍らにおいて王様となってはなりません。

■エペソ2:19こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。2:20あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。2:21この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、2:22このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。
★ここには主を信じるあなたがどんな存在かが明確です。神様が父となって下さり、孤独から解放される神の家族に加えられ、あなた自身がキリストを心に宿す、倒されない神様の生ける宮となるのです。そんなあなたに主は「彼は必ず立つようになる。私は彼を立たせることができるからである」と語られます。大丈夫です。今日も主の御目の中心にあなたが置かれています。ヒデ

日曜日, 10月 03, 2010

20101004_1歴代18-19_エゼキエル30_ガラテヤ5-6

■1歴代19:4そこでハヌンはダビデの家来たちを捕らえ、彼らのひげをそり落とし、その衣を半分に切って腰のあたりまでにし、彼らを送り返した。
★人は誰でもいろんな意味におけるメガネを掛けていると言われますが、さああなたメガネはどんなメガネでしょうか。かつてサウル王に命を狙われ苦しんだダビデ。それを助けてくれたアンモン人ナハシュ。ゆえにダビデはその子ハヌンに感謝と真実を尽くすために彼のもとに家来を遣わしたのです。しかし、その結果が上の御言葉です。父ナハシュ亡き後アンモン人の王となったハヌンに仕える司達は「ダビデがあなたのもとに悔やみの使者をよこしたからといって、彼が父君を敬っているとでもお考えですか。この地を調べ、くつがえし、探るために、彼の家来たちがあなたのところに来たのではありませんか。」と父に代わって王となったハヌンに語り。国に滅びを招いたのです。度を越えた偏見、妬み、敵対心、高慢、怒りは取り扱われ、癒されなければ自らに滅びを招くことを覚えましょう。

■ガラテヤ6:2互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。
★キリストは十字架に掛かる直前に弟子たちに向かってこう語られました。「私は新しい戒めをあなた方に与える。あなたがたは互いに愛し合いなさい」と。パウロはここで、人には負うべき重荷と、負うべきでない重荷のあることを伝えます。負うべきでない重荷とは人を滅ぼす罪で決してそれを心に持ち続けてはいけません。では負うべき重荷とは何でしょう。互いに愛し合うことです。その為に主はあなたを教会へと招いて下さったのです。関係を通して痛んだ心は、あなたが心開くなら、神の家族の関係を通して癒されます。そうして受けた愛と癒されたあなたの命は、遣わされたこの世で祝福となるのです。新しい戒め、愛を学びましょう。教会として学びましょう。主はあなたを待って下さっています。ヒデ

20101003_1歴代17_エゼキエル29_ガラテヤ3-4

■1歴代17:16ダビデ王は行って、主の前に座し、そして言った。「神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、あなたはここまで私を導いてくださったのですか。17:17神よ。この私はあなたの御目には取るに足りない者でしたのに、あなたは、このしもべの家について、はるか先のことまで告げてくださいました。神、主よ。あなたは私を、高い者として見ておられます。
★ダビデが「私が杉材の家に住んでいるのに、あなたの契約の箱は天幕の下にあります。」と語った時、主は彼の息子ソロモンに神殿建築の許可を与えると共に、子々孫々の祝福の約束を下さったのです。それで思わず上のことばを語るのです。昔も今も主の祝福に預かる生き方は変わりません。神様は高ぶる者を退け、謙る者に恵みを下さいます。何をするかの前に、どんな心で生きているかが、思わぬ所で私たちの生涯をわける事を心に刻みましょう。

■ガラテヤ3:13キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。
★パウロはガリラヤ地方で主を信じた人々のために、人の救いはキリストの十字架を見あげる信仰によって、ただ恵みとして受け取るべきものであることを語ります。そしてキリストの十字架の根拠は、旧約聖書に既に証しされているものと強調するのです。良き行いによって救いを勝ち取る事ができるなら、キリストが自ら進んで十字架に掛かられる必要はありません。しかもキリストが十字架の上で「父よ彼らをおゆるし下さい」と祈られたのは、旧約聖書の成就を目的としたものでした。「木に掛けられる者は呪われ、血を流すことなしに罪の赦しはあり得ない」と。その旧約聖書の掟の中で主は、罪のない自身の血を示しつつ、父なる神様の前に完全な救いを拓いて下さったのです。この犠牲の中でどうしてあなたが祝福されないはずがあるでしょう。あなたが恵みを保つのではなく、このキリストの恵みがあなたを保ち、あなたを祝福の人生へと導くのです。信じましょう。ヒデ

土曜日, 10月 02, 2010

20101002_1歴代16_エゼキエル28_ガラテヤ1-2

■1歴代16:43民がみなそれぞれ自分の家に帰ってから、ダビデは自分の家族を祝福するために戻って行った。
★王ダビデは遂に奪われていた契約の箱を取り戻したとき、それをエルサレムに張った天幕の真ん中に安置しました。そして神様の前に、全焼のいけにえと和解のいけにえを捧げ、その後、主の名によって民を祝福し、イスラエルのひとりひとりに、丸型のパン、なつめやしの菓子、干しぶどうの菓子を分け与えたました。今日の御言葉はその後の事。彼はその後、家族のもとに帰って家族を祝福することを忘れませんでした。即ち外に向かっても内側においても、神様の恵みに対する感謝と果たすべき責任を忘れなかったのです。会社で学校で地域で、私はすべき事をしている。だから家に帰ってまではとの思いを、あなたは見直す必要が有りそうですか。神様の祝福はあなたを通して流れます。

■エゼキエル28:17あなたの心は自分の美しさに高ぶり、の輝きのために自分の知恵を腐らせた。そこで、わたしはあなたを地に投げ出し、王たちの前に見せものとした。
★ここはサタンの堕落した動機が記された箇所。彼はもともと知恵の天使長ルシファーです。神様が天地創造全体の御計画の進展のために、恵みとして彼に驚くばかりの知恵を与えられたのです。しかし彼は自分でその知恵を勝ち取ったかのように、与え主から離れ、自己実現のためにその知恵を用い、栄光を自分に帰そうとしたのです。しかしそれは与えられた知恵でした。あなたの知恵を腐らせてはなりません。

■ガラテヤ2:20私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
★暗記する価値あるみ言葉です。キリストを告白したあなたの内にはキリストの霊が宿られました。一人ではありません。耳を傾ける時、このお方が絶えずあなたに語りかけ、導き支え、あなたの人生を完成して下さるのです。信じ従いましょう。ヒデ

金曜日, 10月 01, 2010

20101001_1歴代15_エゼキエル27_ルカ24

■1歴代15:2そのとき、ダビデは言った。「レビ人でなければ、神の箱をかついではならない。主は、主の箱をかつがせ、とこしえまでも、ご自身に仕えさせるために、彼らを選ばれたからである。」
★ペリシテの地より契約の箱を持ち帰る途中、主は契約の箱に手を差し伸べたウザを打たれ彼の命を取られました。そのことを畏れたダビデ王とイスラエルの人々。しかし、ウザは神様に仕えるようにと、神様から聖別されたレビ人ではなく、また肩に担いで運ぶべきこの箱を牛車に載せて運んでいたのです。それに気づいたダビデはその教訓を生かして上の御言葉のように語ります。プライドがきづ付けられる失敗によって事を投げ出してしまうのではなく、そこから教えられたことをもって再び立ち上がる彼の生き方こそ時代をつくります。恥は我がもの、栄光は主のもの。主はあなたが勇気を持って立ち上がることを期待しています。さあ立ち上がりましょう。

■ルカ24:6ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。
★主は遂に「父よ彼らをお赦し下さい。父よ我が霊を御手に委ねます」と、私たちを罪から救うために、私たちに代わって父なる神様からの罰を受け十字架の上で息を引き取られ、十分な死体処置をする間もなく弟子の手によって墓に納められました。それを憂いた主にある婦人たちが安息日の明けるのを待って主が納められた墓に行ったとき「ここにはおられません」と語る御使いの声を聞くのです。「ここ」とはどこでしょう。それは墓の中、死の中、絶望の中です。サタンは何とかその中にキリストを閉じ込めようとしましたが、不可能でした。そう主は甦られたのです。そして御自身を信じる人々をキリストは甦らされるのです。あなたは今どんな深い絶望の淵を歩んでおられるでしょうか。しかし、主は必ずキリストにあるあなたを甦らされるのです。信じましょう。感謝しましょう。あらん限りいっぱいに心を開いて主を受け入れましょう。あなたは必ず甦るのです。ヒデ

木曜日, 9月 30, 2010

20100930_1歴代13-14_エゼキエル26_ルカ23

■1歴代13:3私たちの神の箱を私たちのもとに持ち帰ろう。私たちは、サウルの時代には、これを顧みなかったから。」13:4すると全集団は、そうしようと言った。すべての民がそのことを正しいと見たからである。
★ここはサウル王の後イスラエルの王となったダビデが、なおペリシテ人に略奪されたままになっている契約の箱の事を憂い、民に「その箱を持ち替えろう」と語りかけた場面です。最も正しいことを正しいとし、神様への愛と人々の祝福の為に、勇気と決断と意志をもって語りかける事のできるダビデの素晴らしさを思います。あなたも神様にある平和を作り出す為に、主のご計画によって召し出されました。あなたが御心に立ち上がるなら、主がそれを支えて下さることをあなたはご存知ですか。

■エゼキエル26:20わたしがおまえを穴に下る者たちとともに昔の民のもとに下らせるとき、わたしはおまえを穴に下る者たちとともに、昔から廃墟であったような地下の国に住ませる。わたしが誉れを与える生ける者の地におまえが住めないようにするためだ。
★何たる恐怖。ここには主が神であることを認めない者が行くことが定められている地獄が明確です。救いの道が示され、神を畏れることを教えられている恵みを改めて噛み締め、感謝して受け取った恵みの中を歩みましょう。

■ルカ23:33「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。
★直球勝負です。「イエスを十字架につけた」とありますが、誰がキリストを十字架に付けたのでしょう。他の誰でもないあなたです。そんなばかな失礼な、と心外なさいますか。それともアーメンと頷かれるでしょうか。しかしこれ以外に救いを受け取る方法が無いのです。主はアーメンと告白する全ての人のために、いえそれを否む人の為にさえ、十字架の上で「父よ。彼らをお赦しください。」と執り成して下さいました。主の赦しを受け取りましょう。そしてあなたは生きるのです。ヒデ

水曜日, 9月 29, 2010

20100929_1歴代12_エゼキエル25_ルカ22

■1歴代12:17そこで、ダビデは彼らの前に出て行き、彼らに答えて言った。「もし、あなたがたが穏やかな心で、私を助けるために私のもとに来たのなら、私の心はあなたがたと一つだ。もし、私の手に暴虐がないのに、私を欺いて、私の敵に渡すためなら、私たちの父祖の神が見て、おさばきくださるように。」
★上の言葉はサウルの王としてのあり方に納得が行かず、サウルに追われるダビデを慕い、訪れた勇士達に語ったダビデの言葉です。リーダーは自らの立場を明確にし、語るビジョンによって一致することの大切さを覚えましょう。決断力、実行力、あなたは他に何を加えますか。あなたが遣わされたその場において、祭司、預言者、王として主の祝福を注ぎ出す器でありますように。

■エゼキエル25:17わたしは憤って彼らを責め、ひどい復讐をする。彼らは、わたしが彼らに復讐するとき、わたしが主であることを知ろう。」
★主はかつて「私のしようとしていることをアブラハムに隠しておいてよいであろうか」と、どれほど彼を愛しているかを示されました。同様に主はここにおいても選びの民の前に御自身の考えを明らかにしておられます。そうです主はあなたを尊び愛して下さっているのです。

■ルカ22:32しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
★ここには弱さを覚える時にも共にいて下さる主の姿が明らかです。弱さを覚えることがあるのはあなただけでしょうか。いいえ。あなただけでは決してありません。むしろ主はあなたのその経験を通して、真の弱さの中にある人を助け励まそうとしておられるのです。そのためにも主と深く交わり遣わされましょう。あなたに対する主の信頼は絶大です。ヒデ

火曜日, 9月 28, 2010

20100928_1歴代11_エゼキエル24_ルカ21

■1歴代11:19言った。「そんなことをするなど、わが神の御前に、絶対にできません。これらいのちをかけた人たちの血が、私に飲めましょうか。彼らはいのちをかけてこれを運んで来たのです。」彼は、それを飲もうとはしなかった。三勇士は、このようなことをしたのである。
★ペリシテ人との激戦の中で思わずダビデ王が「だれか、ベツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらなあ。」と語ったとき、王のその願いを受けて、命を懸けてそれを実行したのがこの3勇士です。これ以降さまざまな場面で他の勇士も活躍しますが、その結論は常に「あの3人にはおよばなかった」との記述です。ダビデ王同様、主は命を懸けてその使命を成し遂げようとする人を御自身の胸に刻みつけ、その志を助けて下さるお方です。人の価値と人生の豊かさは、いかに多くを所有し消費したかではなく、いかに貢献したかで計られることを心に刻みましょう。

■ルカ21:33この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
★これは有名なキリストの言葉ですが、語られた背景には「そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです」との再臨の強調と「しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」との励ましがあるのです。さて、キリスト者の希望はどこにあるのでしょうか。その答えは、事実であるキリストの再臨と、その時なされる公平な神様の審判に備え、そこに立つ備えと励ましを、共にいて下さるイエス様から受ける事ができることです。ゆえにキリストは語られました。「見よ。私は世の終わりまであなたと共にいる」と。さあ、真実を語って下さるこのお方と共に、今日も一日始めましょう。ヒデ

月曜日, 9月 27, 2010

20100927_1歴代10_エゼキエル23_ルカ20

■1歴代10:13このように、サウルは主に逆らったみずからの不信の罪のために死んだ。主のことばを守らず、そのうえ、霊媒によって伺いを立て、10:14主に尋ねなかった。それで、主は彼を殺し、王位をエッサイの子ダビデに回された。
★このサウルの生涯の結末は「すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます」との御言葉を思い出さされます。多くを受けようとする時、その責任も同様に重くなることを覚え、いたずらに人と比較したり立場を求めたりするものではなく、先ずは置かれた所で忠実に生きることの大切さを心に刻みましょう。

■ルカ20:25すると彼らに言われた。「では、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」
★ここは有名な一節です。キリストを思想犯として陥れるため「あえてカイザルに税を納めるべきか」と質問した相手に対し、主はデナリ銀貨を見せなさいと語り「カイザルの形はカイザルに、神のかたちは神様の前にささげなさい」と語られたのです。コインには皇帝の形が刻まれていますが、あなたには神のかたちに似せて造られた「神の形」があるのです。そうです。だからこそ、あなたは真心からの礼拝を神様にささげ、祝福の生涯を生きるのです。あなたのうちにあるキリストの血潮によって贖われた神の形は、決して誰にも奪われてはなりません。主の恵みによって守り抜きましょう。ヒデ

日曜日, 9月 26, 2010

20100926_1歴代9_エゼキエル22_ルカ19

■ルカ19:8ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」
★人々から嫌われていた取税人ザアカイの悔い改めで、信じがたい光景です。その変化は何によってもたらされたのでしょう。それは主が語られた言葉「ザアカイ。急いで降りて来なさい。今日あなたの家にとまることにしてあるから」との、主の彼への関心と受容の言葉でした。このところから、よく言われることですが、ただ愛だけが人を変化させることが可能なことを覚えましょう。さあ、あなたの心はこの朝、人に安全な居場所を提供できる準備ができているでしょうか。今日もまずキリストの中に隠れ込み「あなたは高価で尊い」とのみ声に預かり、平和を作り出す人としての整えを頂きましょう。主の愛はあなたにも、あなた家族にも友にも必要です。ヒデ

土曜日, 9月 25, 2010

20100925_1歴代8_エゼキエル21_ルカ18

■ルカ18:41彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです」と言った。
★生まれ付き盲人であった人物は主が自分の町エリコに来たと聞くやいなや、主との出会いを切望し「主よ、私を憐れんで下さい」と叫びました。彼には主がどこにおられるか分からないにも関わらずです。更にそれは弟子や群衆が止めさせようとしてでものことでした。何と感謝でしょう。彼の目に主は見えず、どこに向かって叫んで良いかも分からないにも関わらず、主の目には彼の姿と叫びがハッキリと見えていたのです。そして彼にとって最も適切な言葉「何をして欲しいのか」と、彼の飢え渇きを引き出す質問を投げかけて下さったのです。その主の姿勢はあなたに対しても少しも変わりません。あなたはその質問に何と答えられますか。聖書は心の貧しい者は幸いである。天の御国はその人のものだからと記します。あなたの切なる求めが、あなたの生涯の渇きを、真に潤す飢え渇きでありますように。ヒデ

金曜日, 9月 24, 2010

20100924_1歴代7_エゼキエル20_ルカ17

■ルカ17:18神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」17:19それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」
★当時の社会でかかってしまったなら将来の全ての夢を絶ちきられてしまう重い皮膚病「ツァラアト」。何とサマリヤの町の10人の患者たちは、主が来られたとのうわさを聞き付けた時、命がけで「主よ、憐れんで下さい」と叫び主に近づいたのです。その結果、信じがたい事が……。主が命じられたとおりに祭司に身体を見せに行こうとする途中、彼らは全て癒されたのです。その後、彼らはどうしたでしょう。聖書は9人のその後については語らず、一人の人物は癒されたその喜びを胸に、主を礼拝するために帰って来たと言うのです。その時、主が返された応答が上の「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです」でした。
ここから教えられること、それはどれほど多くの人は主の目に見える癒しや不思議という恵みを頂いたとしても、主ご自身を頂くことなく主の元を過ぎ去ってしまうものかと言うことです。福音の本質とは主ご自身に与ることを心に刻みましょう。そして「安心して行きなさい」との安息の中に生きるのです。ヒデ

木曜日, 9月 23, 2010

20100923_1歴代6_エゼキエル19_ルカ16

■ルカ16:10小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。16:11ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。
★十字架の上で命さえも惜しみなく与え尽くして下さった主は、命のみならず、ご自身の持てる全ての祝福を、ご自身の血潮によって贖った民に与えたくてしかたありません。けれども受け取る側の受け取り方によっては、必ずしも、全てのものが祝福となる訳ではないのです。むしろ正しく管理できる以上の恵みが与えられる時、それは私たちの誘惑となり、私たちを滅ぼす事となります。そこで主が見られるものに信者の「不正の富み」(この地上の富みの意味)の用い方が。
決してうばうためではなく、より多くのものを管理させたい。祝福を受け取らせたいとの父なる神様のはらわたを知りましょう。ゆえに小事に忠実な者とならせて頂きましょう。今日も主はあなたの動機を見て喜んで下さるお方です。ヒデ

水曜日, 9月 22, 2010

20100922_1歴代5_エゼキエル18_ルカ15

■1歴代誌5:24彼らの一族のかしらたちは次のとおり。エフェル、イシュイ、エリエル、アズリエル、エレミヤ、ホダブヤ、ヤフディエル。この人たちは、勇士であり、名のある人々であって、彼らの一族のかしらであった。5:25ところが、彼らは、その父祖の神に対して不信の罪を犯し、神が彼らの前からぬぐい去って滅ぼされたその地の民の神々を慕って不貞を犯した。
★マナセの半部族の勇士であり、名のある人々。しかし彼らは神々を慕う不貞の罪を犯したと語るのです。聖書は「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。」と、時代を越えて私たちにも警告します。弱さのない人は誰もいません。また与えられている賜物がいつの間にかおごりになることのないように主を仰ぎましょう。

■エゼキエル18:31あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。こうして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。18:32わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。神である主の御告げだから、悔い改めて、生きよ。
★主の御心は余りにも明確です。あなたに生きて欲しいのです。霊を殺すのは罪。だから告白によって罪をあなたの心の中から放り出すのです。主はそれを認めて、あなたの心に赦しと平安を一杯に満たされます。

■ルカ15:8また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。
★主のあなたへの愛は「見つけるまで」の愛です。そこには諦め妥協はありません。どんな時にも決してあなたは一人でも孤独でもないのです。主の心の真ん中にはいつもあなたがあるのです。さあこの愛をこの朝も受け取って始めましょう。あなたは当然主の愛の中におるべき大切な人なのですから。ヒデ

火曜日, 9月 21, 2010

20100921_1歴代4_エゼキエル17_ルカ13-14

■1歴代誌4:10ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。
★ここでユダ族の系図は、誰か誰を生んだかの紹介に殆ど留まりますが、このヤベツについては、主が彼の願いに答えて下さったことがあえて紹介されています。聖書の「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです」が心に響きます。あなたは大いに祝福を受け、地上でも成功を収め、試みに合わせず悪よりお救い下さいと祈ってよいのです。主を愛する者が主にあって祝福を受けること、それは御心であることを受け取りましょう。

■エゼキエル17:23わたしがそれをイスラエルの高い山に植えると、それは枝を伸ばし、実を結び、みごとな杉の木となり、その下にはあらゆる種類の鳥が住みつき、その枝の陰に宿る。17:24 このとき、野のすべての木は、主であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし、緑の木を枯らし、枯れ木に芽を出させることを知るようになる。主であるわたしが語り、わたしが行う。」
★あなたは主によって高められる木となるために召し出されました。そして人々はあなたのまわりに憩うのです。誰も留められません。主がそう語られ、主がそうなさるのですから。

■ルカ13:16この女はアブラハムの娘なのです。それを十八年もの間サタンが縛っていたのです。安息日だからといってこの束縛を解いてやってはいけないのですか。」13:17こう話されると、反対していた者たちはみな、恥じ入り、群衆はみな、イエスのなさったすべての輝かしいみわざを喜んだ。
★いのちが優先される事が本来の姿である事は分かりつつも闇の力に縛られ身動きが取れない中で必要なのは、キリストにある癒しと解放の宣言です。その実行者として期待され召し出されたのがあなたです。信じて一歩踏み出すとき、そこにあるのが主の助け。神様の御心に生きるため、さあ勇気を振り絞りましょう。ヒデ

月曜日, 9月 20, 2010

20100920_1歴代3_エゼキエル16_ルカ12

■1歴代誌3:1ヘブロンで生まれたダビデの子は次のとおりである。長子はイズレエル人アヒノアムによるアムノン。次男はカルメル人アビガイルによるダニエル。
★ダビデは神様がお与え下さるその恵みに「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。」と、その感謝を神様にあらわします。しかしそうしたダビデも、王位継承の時期に父としてつらい中を通らされるのです。その原因の全てではないにしてもここには重大な理由が明らかで、その原因はダビデが愛した女性の多さにあります。一人の人を生涯愛することの恵みを覚えましょう。そして何より生涯を掛けて一人の主を愛するためにあなたはキリストの血潮によって贖い出されたのです。

■ルカ12:6五羽の雀は二アサリオンで売っているでしょう。そんな雀の一羽でも、神の御前には忘れられてはいません。12:7それどころか、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。
★あなたは他の何ものとも較べることのできない私にとっての特別な存在なんだ。これが神様のあなたへのメッセージです。思い煩うことを止め、その思いをあなたの後ろに投げ捨てるのです。そして主の愛を真っ直ぐに受け取りましょう。そう「私は神様にとって誇りの存在。喜びの存在なんだ」と。そして立ち上がるのです。事実そうなのですから。キリストはそれを示すため十字架の上でいのちを注ぎだし、取りなして下さったのです。このキリストの愛を信じ、仰いで受け取り、あなたは生きるのです。ハレルヤ!ヒデ

日曜日, 9月 19, 2010

20100919_1歴代2_エゼキエル15_ルカ11

■1歴代誌2:1イスラエルの子は次のとおりである。ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン、……2:3ユダの子は、エル、オナン、シェラ。この三人は、カナンの女シュアの娘から彼に生まれた。しかし、ユダの長子エルは主の目の前に悪を行ったため、主が彼を殺された。
★2章から4章まではイスラエルの系図の中でも特にユダ族について語られます。ダビデを生み出し、ダビデの子孫としてキリストを生み出したユダ族。その特徴は讃美にありました。あなたはどんな時、讃美をささげますか。彼らはどんな時にも12部族の中でまず先頭に立って神を誉め讃えたのです。状況に支配されるものではなく、神様への讃美は状況を変える事を可能にします。その良き信仰に倣いましょう。

■ルカ11:26そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。」
★なぜ偶像礼拝や占いをしてはならないのでしょう。それは人を祝福ではなく滅びに向かわせ、最終的には自ら行くことが既に決まっている地獄に、偶像礼拝や占いに心を開いた人々を引きずり込もうとする汚れた霊と、そのリーダー「サタン」が存在するからです。これは事実です。ゆえに汚れた霊と結んだ関係と契約をキリストの御名によって断ち切るのです。神様の前に具体的に言葉に出して告白し、その罪を認め悔い改め、キリストをあなたの心に迎えるのです。その時、御子イエスの血はすべての罪からあなたを聖め、あなたの生涯はそれ以降、内側おられるキリストの霊によって守られ、祝福の人生へと導かれるのです。いたずらに恐れる必要はありません。キリストは既に悪魔の業を打ち砕かれたのです。ヒデ

土曜日, 9月 18, 2010

20100918_1歴代1_エゼキエル14_ルカ10

■1歴代誌1:1アダム、セツ、エノシュ、1:2ケナン、マハラルエル、エレデ、1:3エノク、メトシェラ、レメク、1:4ノア、セム、ハム、それにヤペテ。
★歴代誌に入りました。9章までは淡々とイスラエルの系図が紹介されます。が、今日の私たちには無味乾燥で退屈なもののようにも思われます。しかし、このアダムから始められた系図を通し、神の選びと召しは変わることがないことを改めて教えられ、一羽のすずめも神様のみゆるしなしには地に落ちることはないと言われる中、私たちの生涯の歩みについても、神様の前にはしっかりと記録されていることを感じます。そう、あなたは神様の御計画に基づき、御旨のよしとされるところに基づいて創造されたのです。神様にとってあなたのスペアーはどこにもないことをもう一度、心に刻みましょう。

■エゼキエル14:3「人の子よ。これらの者たちは、自分たちの偶像を心の中に秘め、自分たちを不義に引き込むものを、顔の前に置いている。わたしは、どうして彼らの願いを聞いてやれようか。
★偶像を顔の前に置いては主が見えません。うしろに投げすてるのです。そして栄光から栄光へと変えられて行きましょう。

■ルカ10:42しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
★主から、直々の弁護を受けたマリヤ。何と幸せなことでしょう。主は御自身につけるものをとことんまで弁護して下さるお方です。それは死の川並を渡る時さえも。良いほうとは、何をしたかというよりも、いかなる思いでそれを為したかとの心の姿勢にあることを覚えましょう。そう私たちは生きるにも死ぬにもただキリストの御名が崇められますようにと、主に礼拝を捧げつつ歩むのです。主はあなたの良き動機を受け止め励まして下さるお方です。ヒデ

金曜日, 9月 17, 2010

20100917_2列王24-25_エゼキエル13_ルカ9

■2列王25:27ユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十七日に、バビロンの王エビル・メロダクは、彼が王となったその年のうちに、ユダの王エホヤキンを牢獄から釈放し、彼とともにいた王たちの位よりも高くした。25:29彼は囚人の服を着替え、その一生の間、いつも王の前で食事をした。25:30彼の生活費は、その一生の間、日々の分をいつも王から支給されていた。
★遂に南ユダ王国の滅びです。国は完全にバビロンに捕囚されてしまいました。サタンがキリストを滅ぼそうと語った、荒野の誘惑の一節が心に浮かびます。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう」。確かにユダの王エホヤキンはバビロンの王と共に食事をする特権が与えられます。しかし彼は自由を奪われ、夢、使命、誇りを奪われ、バビロンの王の言いなりで、その手の上で踊らされる存在になったのです。これが偶像礼拝者の行き着く終着駅で、その生涯の最後は虚しい奴隷です。間違ってはなりません。あなたはキリストにあって王なる祭司、神の預言者、キリストの花嫁として召し出され、その誇りは誰にも奪われてはならないのです。贖い主なる唯一の主キリストを崇めましょう。

■エゼキエル13:10実に、彼らは、平安がないのに『平安』と言って、わたしの民を惑わし、壁を建てると、すぐ、それをしっくいで上塗りしてしまう。
★赦しがなければ、人は自分自身の汚れと弱さに向き合うことができず、問題の部分を何もないかの如くに誤魔化し、フタをする以外できません。主はしっくいを塗って問題を誤魔化すのではなく、その問題の部分にあなたが向き合い、キリストの前でその課題を開き、キリストの赦しの血潮を受けるように願われるお方です。どんな時にもキリストの赦しの中であなたは生きるのです。そのために召し出されました。そしてあなたは真実と赦しの中で輝くのです。

■ルカ9:16するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福して裂き、群衆に配るように弟子たちに与えられた。
★問題を祝福に変える方法。それは課題を神様の前に持ち出し感謝することです。神様の御目の中心、そこにあなたがいるのです。ヒデ

木曜日, 9月 16, 2010

20100916_2列王22-23_エゼキエル12_ルカ8

■2列王23:2王は主の宮へ上って行った。ユダのすべての人、エルサレムの住民のすべて、祭司と預言者、および、下の者も上の者も、すべての民が彼とともに行った。そこで彼は、主の宮で発見された契約の書のことばをみな、彼らに読み聞かせた。
★主から決定的な滅びの宣告を受けた南ユダ王国。しかし神様はその憤りを思い直されました。一体なにがあったのでしょう。そこには、神殿における神の言葉「モーセの律法の書」の発見があったのです。新たに南ユダの王となったヨシヤ。彼はあれ廃れた神殿の修復工事を命じましたが、その時大祭司ヒルキヤが見つけ、それを聞いたヨシヤは上の御言葉の様に、すべての民の前でその神様の言葉を読み聞かせたのです。そしてイスラエルの滅びの歴史は変えられました。「神の言葉の発見」の持つ意味と力の大きさを心に刻みましょう。あなたは神様による変化を求めますか。それは神の言葉の発見から始まります。神の言葉に飢え渇きましょう。

■ルカ8:18だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。」
★同じ神の言葉に耳を傾けても、成長する人と成長しない人のあることを主は明確に語られます。なぜでしょう。すべての人が豊かに実を結ぶ生涯を生きることが可能であり、主がそれを望まれるからです。ではその秘訣とは、それは、よい土地に種を蒔くことだと主は語られます。土地とは心をあらわし、種とは神様の御言葉を意味します。ポイントは最初からよい土地はありません。石地の石を取り除き、生い茂るいばらを取り除き、継続的に耕し続けることでよい土地とされて行くのです。神の言葉を柔らかな心で受け取りましょう。受け取りやすい心となるように主に求めましょう。神様が喜ばれるものは、砕かれた霊。砕かれた悔いた心。神様はそれをさげすまれません。ヒデ

水曜日, 9月 15, 2010

20100915_2列王21_エゼキエル11_ルカ7

■2列王21:3彼は、父ヒゼキヤが打ちこわした高き所を築き直し、バアルのために祭壇を立て、イスラエルの王アハブがしたようにアシェラ像を造り、天の万象を拝み、これに仕えた。
★父ヒゼキヤに変わって南ユダ王国の王に12歳でなったマナセ。彼は何と残念かな、父がなした宗教改革路線を変更し、それまでのほとんどの王達同様バアルとアシュラに仕えるため、偶像を築き直します。いえ、それだけではありません。自分の子供を人身御供とし、幼児犠牲を求める偶像モレクにさえ仕え、まじない、霊媒、口寄せまでしたのです。マナセはのしかかる重圧と恐怖の中で偶像に逃げたのです。私たちが向かう所はどんな時にも主です。主は「だれか自分の命をかけてわたしに近づく者があろうか」と語りかけ、それを願い、その人を大きく用い祝福することを願っておられるお方です。

■エゼキエル11:19わたしは彼らに一つの心を与える。すなわち、わたしはあなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。
★人に批判されないようにと動く自己保身の心は内向きで、他者と関係を築くことができません。しかし主は聖霊にあってあなたを肯定し、あなたの心を他者と関係を築き祝福するものに変えると約束されるお方です。十字架からあふれ出るキリストのいのちの豊かさの中に今一度飛び込みましょう。

■ルカ7:47だから、わたしは『この女の多くの罪は赦されている』と言います。それは彼女がよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」7:48そして女に、「あなたの罪は赦されています」と言われた。
★人々が求めているのは赦しです。あなたの人格と言葉から、今日もキリストにある赦しが溢れ流れ出ますように。いってらっしゃい。ヒデ

火曜日, 9月 14, 2010

20100914_2列王20_エゼキエル10_ルカ6

■2列王20:5「引き返して、わたしの民の君主ヒゼキヤに告げよ。あなたの父ダビデの神、主は、こう仰せられる。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたをいやす。三日目には、あなたは主の宮に上る。20:6わたしは、あなたの寿命にもう十五年を加えよう。わたしはアッシリヤの王の手から、あなたとこの町を救い出し、わたしのために、また、わたしのしもべダビデのためにこの町を守る。』」
★上の御言葉はユダの王ヒゼキヤが病にかかり主に癒しを求めたとき、主が預言者イザヤを通してヒゼキヤに語り返して下さった言葉です。主はあなたの涙と叫びと祈りと願いに応えて下さるお方。その痛みと憂いを理解し慰め、あなたの内側に新たな力を注いで下さるお方です。ヒゼキヤはこの時同時に迫り来るアッシリヤ帝国の脅威の中、バビロンと反アッシリヤ同盟を結び汚点を残しますが、いつまでも、どこまでも心を尽くして私たちが拠り頼むべきは主であることを心に刻みましょう。

■ルカ6:37さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。6:38与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」
★これは「リンゴは木から落ちる」のニュートンの法則ではありません。霊の法則です。法則とは何でしょう。それは一定の条件のもとで、必ず成立する物事相互の関係です。人は様々な法則を理解し、それを有効利用し豊かさに与りますが、果たして霊の法則はどうでしょう。法則とはこちらが認めず否定しても、なお法則として存在するもの。この事を理解し今日も一日、良き刈り取りを期待して良き種を蒔きましょう。ヒデ

月曜日, 9月 13, 2010

20100913_2列王19_エゼキエル9_ルカ5

■2列王19:20アモツの子イザヤはヒゼキヤのところに人をやって言わせた。「イスラエルの神、主は、こう仰せられます。『あなたがアッシリヤの王セナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた。』
★神様はヒゼキヤ王の捧げた祈りゆえにアッシリヤからイスラエルを救われました。さてヒゼキヤはどんな祈りを捧げたのでしょうか。聖書は彼が主の前に以下の様に祈ったことを記します。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。主よ。御耳を傾けて聞いてください。主よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたアッシリヤの王セナケリブのことばを聞いてください。主よ。アッシリヤの王たちが、国々と、その国土とを廃墟としたのは事実です。彼らはその神々を火に投げ込みました。しかし、それらは神ではなく、人の手の細工、木や石にすぎなかったので、滅ぼすことができたのです。しかし私たちの神であられる、主よ。あなたは生きておられるお方です。どうか今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、主よ、あなただけが神であることを知りましょう。」
即ち主の主権と御力を認め、神様の正面に存在を懸けて立ち、心を注ぎだして祈ったのです。そして主はあなたの祈りも聞かれるのです。

■ルカ5:5するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
★ここには主の祝福を受ける秘訣が鮮やかです。「……でした。でもお言葉どおり、……してみましょう。」その時、人はキリストが神であり、キリストの言葉には力があることを体験し、始めて畏れるべき神様を知ることができるのです。またこれ以外信仰生活の原点はありません。キリストと人を競べたり、キリストと自分の考えを競べたり、それは愚かです。まず従いましょう。あなたが今立っているところはすでに全能者の愛の御手の中なのですから。ヒデ

日曜日, 9月 12, 2010

20100912_2列王18_エゼキエル8_ルカ4

■2列王18:29王はこう言われる。ヒゼキヤにごまかされるな。あれはおまえたちを私の手から救い出すことはできない。18:30ヒゼキヤが、主は必ずわれわれを救い出してくださる、この町は決してアッシリヤの王の手に渡されることはない、と言って、おまえたちに主を信頼させようとするが、そうはさせない。
★ここには神様に敵対する霊、サタンの働きが明確です。ユダの王の中でヒゼキヤは「彼はすべて父祖ダビデが行ったとおりに、主の目にかなうことを行い、高き所を取り除き、石の柱を打ちこわし、アシェラ像を切り倒した」と、神様に従順する姿勢を明確にした数少ない王でした。ですから、それを止めさせようとする霊の働きも人一番強いのは当然で、サタンは大国アッシリヤの王を用いてヒゼキヤに揺さぶりを掛けたのです。主に従順しようとするものは必ず揺さぶられます。しかしその試練の中で動機が試され錬られ不動の者とされるのです。主のあなたへの期待を胸にサタンの業を打ち砕き、神様と共に御心を成し遂げる人になりましょう。

■ルカ4:42朝になって、イエスは寂しい所に出て行かれた。群衆は、イエスを捜し回って、みもとに来ると、イエスが自分たちから離れて行かないよう引き止めておこうとした。4:43しかしイエスは、彼らにこう言われた。「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。」
★主の悪霊も黙らせる御力とその麗しいご人格ゆえに多くの人は主と共にいたいと思い、主が自分たちの町から出て行かないよう引き留めました。主と共にあるために何かいい方法はないのでしょうか。あります。自分の所に主を留めようとするのではなく、あなたが自分の心の町囲みを取り除き、主に従うようにするのです。主によって栄光から栄光へと変えられて行く人生ほど祝福に満ちたものはありません。従いましょう。ならばあなたは主によって創られるのです。ヒデ

土曜日, 9月 11, 2010

20090911_2列王17_エゼキエル7_ルカ3

■2列王17:21主がイスラエルをダビデの家から引き裂かれたとき、彼らはネバテの子ヤロブアムを王としたが、ヤロブアムは、イスラエルを主に従わないようにしむけ、彼らに大きな罪を犯させた。17:22イスラエルの人々は、ヤロブアムの犯したすべての罪に歩み、それをやめなかったので、17:23ついに、主は、そのしもべであるすべての預言者を通して告げられたとおり、イスラエルを御前から取り除かれた。こうして、イスラエルは自分の土地からアッシリヤへ引いて行かれた。今日もそのままである。
★ヤロブアムの罪とは、人々の心を主に向けさせようとするのではなく、むしろ自分が王であり続けられるようにとの目的で、偶像をサマリヤに設置したものでした。その結果イスラエルは遂にアッシリヤに捕囚の民として捕らえ移されてしまうのです。何と自分の目先の欲やメンツに縛られることは後々の子孫にまで呪いと災いをもたらすことでしょう。偶像礼拝の目的は結局のところ自己保身です。あなたは、あなた自身とあなたの愛する者の将来のために造りだし、担ぎ上げようとする偶像礼拝への思いを断固聖別しなければなりません。

■ルカ3:4「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。3:5すべての谷はうずめられ、すべての山と丘とは低くされ、曲がった所はまっすぐになり、でこぼこ道は平らになる。3:6こうして、あらゆる人が、神の救いを見るようになる。』」
★旧約聖書に預言された救いの招きです。まさにこの預言の成就のためにキリストは来られました。このお方によってあなたの生涯の谷間の部分は癒しを受け、曲がった部分はまっすぐに修復され、神様の御力とみ恵みの豊かさを反映する器とされるのです。さあ主を仰ぎましょう。今日ひと日のためにも主はあなたのために既に祝福を備えて下さっているのですから。ヒデ

金曜日, 9月 10, 2010

20100910_2列王16_エゼキエル6_ルカ2

■2列王16:7アハズは使者たちをアッシリヤの王ティグラテ・ピレセルに遣わして言った。「私はあなたのしもべであり、あなたの子です。どうか上って来て、私を攻めているアラムの王とイスラエルの王の手から私を救ってください。」
★主が忌み嫌われる偶像礼拝によって、自分の子供を生け贄として祭壇の上で焼くことまでしたユダの王アハズは、試練の時、結局まことの主に拠り頼むのではなく、人にへつらい、人に頼む者へと堕ちました。ここに偶像礼拝の恐ろしさの本質があるのです。軽い気持ちで始めた偶像礼拝であったとしても、それは人にとって真により頼むべきものを見えなくさせてしまい、まことの救いの道を閉ざします。主より愛するものを持つこと、それが偶像礼拝です。そして、それはあなたを救うことはできません。自分の命を救うため、断じて聖別することが祝福です。

■ルカ2:49するとイエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」
★これはイエス様の少年時代が描かれた唯一の記述です。イエス様が宮もうでで迷子になってしまったと思った両親がイエス様を見つけた時、少年イエスは両親にこう語られたのです。そしてこの後イエス様は両親と共にガリラヤに下り、公生涯に立ち上がる時まで両親に仕えるのです。この時点でさえ、宮の中心で、集う教師達を驚かす知恵を持ったイエス様。ではいったいどうして神の御子たるこのお方が、異邦人のガリラヤと呼ばれる所に下ることを甘んじ、両親に仕えることができたのでしょうか。その秘訣がここにはあるのです。自分は「天の父」から遣わされたとの明確な自覚。それがここの答えです。あなたは遣わされた所においてピースメーカーですか。それともトラブルメーカーですか。「天の父」から遣わされた自覚が、あなたの置かれたところで、あなたをなくてはならない器へと形づくるのです。今日もあなたが遣わされた所に一緒に行って下さる主を意識し、さあ一日を始めましょう。ヒデ

木曜日, 9月 09, 2010

20100909_2列王15_エゼキエル5_ルカ1

■2列王15:24彼は主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪を離れなかった。
★ソロモン王の後イスラエルは北イスラエル(ヤラベアム王)と南ユダ(レハベアム王)に分かれましたが、ほとんどの王について同様の記述がなされているのは上の御言葉と「その他の業績、彼の行ったすべての事は、イスラエルの王たちの年代記の書にまさしくしるされている」との表現です。ではここから教えられることは何でしょう。それは王なる祭司として召し出されたあなたの記録も、天で「命の書」に名前が記されているのと同様、その業績、行いが全て記されていると言うことです。そして、普通に生活するならば、先祖の罪に埋没し、私たちは神様の前に事を成し遂げられないと言うことです。列王紀の中で事を為した王はわずかで、彼らはみな置かれた状況で、主を見上げたことを心に留めましょう。変わる為には、変える為には、主を見上げて、上から力を頂く必要があるのです。

■エゼキエル5:12あなたの三分の一はあなたのうちで疫病で死ぬか、あるいは、ききんで滅び、三分の一はあなたの回りで剣に倒れ、残りの三分の一を、わたしは四方に散らし、剣を抜いて彼らのあとを追う。
★神を畏れないイスラエルにエゼキエルを通して語られた言葉が上の言葉です。日本の為に祈りましょう。為政者・国家の様々なリーダーが神を畏れることを。疫病や飢饉や災害で国が打たれることがないように。

■ルカ1:64 すると、たちどころに、彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるようになって神をほめたたえた。
★この背後には「その名はヨハネ」と、主の御使いが命じた通りに幼子の名を名付けたゼカリヤの姿があることを忘れてはなりません。人ではなく、どんなときにも主が命じられたことを忠実に貫くことが人生の祝福の秘訣です。あなたの今日一日が流されることのない祝福の日となりますように。ヒデ

水曜日, 9月 08, 2010

20100908_2列王14_エゼキエル4_2コリント12-13

■2列王14:10あなたは、エドムを打ちに打って、それであなたの心は高ぶっている。誇ってもよいが、自分の家にとどまっていなさい。なぜ、争いをしかけてわざわいを求め、あなたもユダも共に倒れようとするのか。」
★エドム人との戦いに勝利を収めたユダの王アマツヤは気を大きくしてイスラエルの王ヨアシュに「さあ、勝敗を決めようではないか」と挑発の言葉をぶつけます。その時イスラエルの王ヨアシュから帰って来た言葉が上の御言葉であり「レバノンのあざみが、レバノンの杉に使者を送って、『あなたの娘を私の息子の嫁にくれないか』と言ったが、レバノンの野の獣が通り過ぎて、そのあざみを踏みにじった」との言葉です。人は何と自分が見えず思い上がりやすく、感謝を忘れやすいものでしょう。そして結局彼は、自ら治める民に愛想つかされ、謀反によって命を絶たれてしまうのです。いつの時代も高ぶる者は退けられ、へりくだる者に恵みが注がれることは真理です。

■2コリント12:9しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。12:10ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
★人が本来の生き方、即ちキリストにあって「生かされている人生の目的」を神様と共に成し遂げようとする時、聖書は弱さは全く問題や障害となることはないと語ります。にも関わらず多くの場合、人はどうして「弱さ」に劣等感を抱いたり負い目を感じたりするのでしょう。聖書はその原因を自分の栄光を求めることにあると語ります。自分を誇る生き方ではなく、私の為に死んで甦って下さったイエス様を誇る価値観にあなたの心が貫かれますように。なぜならそれ以外、人の心に真に満足を与えてくれる価値観はありませんし、主は既にあなたのために、御国においてあなた用の命の冠を用意して下さっているお方なのですから。ヒデ

火曜日, 9月 07, 2010

20100907_2列王13_エゼキエル3_2コリント10-11

■2列王13:19神の人は彼に向かい怒って言った。「あなたは、五回、六回、打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを打って、絶ち滅ぼしたことだろう。しかし、今は三度だけアラムを打つことになろう。」
★イスラエルの王ヨアシュはアラムとの戦いの導きを求めて神の預言者エリシャのもとに。エリシャは「弓を取り地面を打て」と預言的言葉をヨアシュに語ります。そしてヨアシュが3度地面を打って止めた時、エリシャは上のことばをヨアシュ王に向かって語ったのです。あなたは神様から「せよ」と語られたことを2、3回実行し、それで満足してしまっているとこがありませんか。あるいは成し遂げるべきものを2、3回挑戦して、それでもうまく行かない時、そのまま諦めてしまっていることはありませんか。主は「更に打て、諦めるな。私があなたを助ける」と語られるお方、そしてあなたの信仰を用いて、歴史を変えられるお方です。

■エゼキエル3:17「人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人とした。あなたは、わたしの口からことばを聞くとき、わたしに代わって彼らに警告を与えよ。3:18わたしが悪者に、『あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もしあなたが彼に警告を与えず、悪者に悪の道から離れて生きのびるように語って、警告しないなら、その悪者は自分の不義のために死ぬ。そして、わたしは彼の血の責任をあなたに問う。
★厳粛です。主はキリストの血によって贖われた私たちに対して「あなたはこの世の見張り人である」と語られ、責任があると語られるのです。だからこそ私たちは曇りのない神の御心を日毎にしっかり受け取る必要があるのです。

■2コリント10:7あなたがたは、うわべのことだけを見ています。もし自分はキリストに属する者だと確信している人がいるなら、その人は、自分がキリストに属しているように、私たちもまたキリストに属しているということを、もう一度、自分でよく考えなさい。
★人は自分の以外見え難くなることがあります。しかし、こうした言葉を主から掛けられるあなたは主の期待の中にあると言うことです。今日も世の光、地の塩として、味のある歩みをさせて頂きましょう。あなたは主の誇りの器です。ヒデ

月曜日, 9月 06, 2010

20100906_2列王11-12_エゼキエル2_2コリント8-9

■2列王12:15また、工事する者に支払うように金を渡した人々と、残高を勘定することもしなかった。彼らが忠実に働いていたからである。
★ヨアシュ王の時代に立てられた祭司達は神の宮の修理についてさえも不忠実で、その働きを取り上げられてしまいます。しかし、実際に仕えた石工や石切り工たちは残高を勘定する必要もないほどに、彼らの忠実さゆえ信頼されたのです。主は「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。」と語られ、忠実な人生を生きようとする人の中から人を召し出されるお方です。人の目ではありません、内側を見られる神様の前に呵責のない生き方をこの朝も選び取りましょう。

■エゼキエル2:1その方は私に仰せられた。「人の子よ。立ち上がれ。わたしがあなたに語るから。」
★神の言葉とは聞き従う備えの出来た人の心に豊かに語られます。語られたなら、信仰をもって立ち上がりましょう。必ず主はあなたを支えて下さいます。

■2コリント8:9あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。
★これが福音の本質です。そう、主はご自身の持てる全てを、持てるもののみならず命さえもおしみなく注ぎだして下さいました。そしてその恵みをあなたは、ただ信仰によって受け取る事が出来るのです。あなたが富む者となるためにとの御心の成就のため、さあ、心を開いて今キリストを心の内にお迎えしましょう。ヒデ

日曜日, 9月 05, 2010

20100905_2列王10_エゼキエル1_2コリント5-7

■2列王10:28このようにして、エフーはバアルをイスラエルから根絶やしにした。10:29ただし、エフーは、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪、すなわち、ベテルとダンにあった金の子牛に仕えることをやめようとはしなかった。
★バアル崇拝によってイスラエルに混乱をもたらしたアハブ王とその妻イゼベル、および彼らの子供達70人には呵責のない裁きを下したエフー。しかしそんな彼であってもサマリヤに祭壇をつくった先祖ヤロブラムの罪、金の子牛礼拝を止めることはできませんでした。あなたは家系に流れる罪を知っていますか。それはそれぞれの家によって異なりますが、一つのパターンのあることを否めません。主はそのためにも十字架の上で救いを完成して下さいました。自分ではどうしようもない罪が示されたなら、それだからこそ必要だった十字架の恵みを覚え、その愛の中に積極的に飛び込み癒しを受け取る者でありましょう。

■2コリント5:14というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。5:15また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
★このところからクリスチャンの人生の価値観とは、どれほど多くのものを獲得し使うことができるかと言う、消費の人生ではなく、与えられた命をいかに神様と人にとって意味あるものとして、注ぎだし貢献できたかにあることを覚えましょう。クリスチャンの「死んで甦った方のために」との人生の目的は明確で、新たに考える必要はないのです。与えられ生かされているあなたの地上の生涯が、迷うことなく御心を成し遂げるものでありますように。ヒデ

土曜日, 9月 04, 2010

20100904_2列王9_哀歌5_2コリント3-4

■2列王9:6エフーは立って、家に入った。そこで若い者は油をエフーの頭にそそいで言った。「イスラエルの神、主は、こう仰せられる。『わたしはあなたに油をそそいで、主の民イスラエルの王とする。9:7あなたは、主君アハブの家の者を打ち殺さなければならない。こうしてわたしは、わたしのしもべである預言者たちの血、イゼベルによって流された主のすべてのしもべたちの血の復讐をする。
★イスラエルに混乱をもたらすバアルに仕える悪妻イゼベルとその夫アハブの悪政に義憤を感じていたエフー。神様はそんなエフーに「アハブの子ヨラム王を打ち殺しなさい」と。その時エフーは即座にヨラム王を討つ計画を実行するのです。神様は御自身の民の内面の汚れや、不道徳な行動について、「それを討ちなさい。明け渡しなさい」と指摘し私たちを罪から解放して下さろうとするお方です。エフーは即座に従い神様の祝福を受けましたが、さてあなたはいかがでしょう。従順をもって神様の備えたもう祝福を受け取るものでありましょう。

■1コリント3:7それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。
★パウロは語ります。教会とはどんなところでしょう。それはただ天のお父様と私たちの罪のために死んで甦ってくださったイエス様を心一杯誉めたたえ、希望を神様に向けるところです。ですから高ぶるものは引き下ろされ、謙る者には恵みが主より注がれるのです。さてそこで質問です。あなたが今日一日責任を負うべきお方は誰ですか。聖書は「鼻で息をする人間をたよりにするな。そんな者に、何の値うちがあろうか」と語ります。主を恐れるあなたの心に主が自由の霊を豊かに注ぎ今日一日を祝福の中に導かれますように。ヒデ

金曜日, 9月 03, 2010

20100903_2列王8_哀歌4_2コリント1-2

■2列王8:5彼が王に、死人を生き返らせたあのことを話していると、ちょうどそこに、子どもを生き返らせてもらった女が、自分の家と畑のことについて王に訴えに来た。そこで、ゲハジは言った。「王さま。これがその女です。これが、エリシャが生き返らせたその子どもです。」8:6王が彼女に尋ねると、彼女は王にそのことを話した。そこで、王は彼女のためにひとりの宦官に命じて言った。「彼女の物は全部返してやりなさい。それに、彼女がこの地を離れた日から、きょうまでの畑の収穫もみな、返してやりなさい。」
★なんと不思議なことでしょう。イスラエルの王がエリシャの功績を語って欲しいとエリシャの僕ゲハジから聞いているとき、まさに今ゲハジが王に語ったその証詞の婦人が自分の家と畑の困窮の解決を求め王の前に訪れたのです。結果。王は特別な計らいをこの婦人に与えます。しかし聖書を見るとこの婦人はかつて神の預言者エリシャに好意を示し、助けた経緯があったのです。主は昔も今も「最も小さい者の一人にしたのはすなわち私にしたのである」とあなたの愛と善意に酬いて下さるお方です。ゆえに聖書は「堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい」と語るのです。

■2コリント2:10もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。
★神様は御自身の僕パウロを通してここで祝福を受ける赦しの法則を明らかにします。赦しとは、赦しを選び取った後は裁きは神様に委ねることですよと、パウロはそれを「キリストの前で赦したのです」と表現します。単に心の思いの中だけでなく、あなたの赦しは、その結果が相手への愛の行動となって証しされるほどとなることが望ましいと語るのです。赦さない者の足もとを、サタンは巧妙な策略をもってすくおうとしますが、キリストの御前で赦す者には歯が立ちません。サタンのわざを愛によって打ち砕きましょう。赦しを選び取る人に注がれる神様の酬いは測り知ることが出来ません。ヒデ

木曜日, 9月 02, 2010

20100902_2列王7_哀歌3_1コリント16

■2列王7:9彼らは話し合って言った。「私たちのしていることは正しくない。きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。もし明け方まで待っていたら、私たちは罰を受けるだろう。さあ、行って、王の家に知らせよう。」
★アラムの全軍に包囲されたイスラエル、結果城壁から一歩も外に出られなくなったイスラエルは極度の食料不足に見舞われ、サマリヤの城壁内では婦人が産み落とした子供を煮て食べるといった悲惨が。そうした中、重い皮膚病にかかりイスラエル社会から締め出された4人はどっちにしても死ぬなら、敵アラムの陣営に行って憐れみを求めよう。ヒョッとすると生かしておいてくれるかもと。ところが行って見ると実際はアラムの全軍はどんな大きな軍隊に襲われたのかと思うほど、着るべき物、食べるべき物もそのままに、慌てふためいて逃げ去っているではありませんか。上の言葉は、腹を満たし、奪えるものは奪おうとする中、我に返った4人が語った言葉です。
しかしこのことについて、誰も信じませんでしたが神様は預言者エリシャを用いて「明日の今頃、全てのものがただで手に入り飢饉は解消されるだろう」と預言していたのです。
困難の中にあればあるほどに神の言葉にこそ耳を傾ける価値を覚えましょう。神の言葉は、語られた通りに事を成し遂げるのです。しかも人々に実質ある希望をもたらす良き知らせは既にキリストによって成し遂げられているのですから。

■哀歌3:22私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。主こそ、私の受ける分です」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。主の救いを黙って待つのは良い。人が、若い時に、くびきを負うのは良い。それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。口をちりにつけよ。もしや希望があるかもしれない。自分を打つ者に頬を与え、十分そしりを受けよ。主は、いつまでも見放してはおられない。
★それぞれに御言葉そのものを味わいましょう。主の祝福を祈ります。ヒデ

水曜日, 9月 01, 2010

20100901_2列王6_哀歌2_1コリント15

■2列王6:16すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」と言った。6:17そして、エリシャは祈って主に願った。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。
★アラムの王がイスラエルを倒そうと密室で策略を練るにも関わらず、果たしてどうしたことでしょう。立てた計画はことごとくイスラエルの王に筒抜けです。誰かスパイがいるのかと叫ぶアラムの王。何とその時、家来の一人はイスラエルの預言者エリシャの耳にはあなたが寝室で語られることでも筒抜けなのですと語ります。憤ったアラムの王はエリシャを討伐する軍隊をおくり、突然彼らがエリシャの召使の前に明け方あらわれた時、召使いは怖じ恐れますが、その時エリシャが語った言葉が上の御言葉です。あなたは知っていますか。神を畏れ、神を愛し、信頼する人のまわりには神様が御使いを送り、火の馬と戦車を持って、あなたに敵が手を掛ける事の出来ないように守って下さることを。私の霊の目を開いて下さいと祈りましょう。

■1コリント15:9私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。15:10ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。
★上の言葉は主の弟子パウロの告白です。そう、誰でもその生涯において主に敵対し、主の御心を痛めることもあるのです。しかし、パウロはたとえそうであっても、神の恵みは私を成長させ、私の人生を完成して下さいますと語ります。主に赦されて、主を信じて仰ぐ信仰。これこそがあなたを生かす信仰です。ハレルヤ。ヒデ

火曜日, 8月 31, 2010

20100831_2列王5_哀歌1_1コリント14

■2列王5:14そこで、ナアマンは下って行き、神の人の言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。
★これは重い皮膚病に冒されていたアラムの王の将軍ナアマンの皮膚を癒した行動です。ナアマンの妻に仕える若い奴隷がイスラエル出身で「イスラエルの預言者エリシャのところに行けばきっと癒して下さるでしょうに」との言葉を受けて、ナアマンは彼のもとを訪ねます。その時エリシャは使いをやって「ヨルダン川へ行って7度身を洗いなさい」と言うのです。てっきり預言者エリシャが患部見て心を痛め憐れみ、その上で手を動かし直してくれると思ったナアマンは、顔も出さないエリシャに、憤りを感じ、預言者の言葉を退け国に帰ろうとするのです。しかし、その時知恵あるナアマンの僕は「もしも、むずかしいことを命じられたら、あなたはそれをなさるに違いありません。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい』と言っただけではありませんか」と。
さて、その言葉に心を変え、自らのプライドを捨てナアマンが預言者の言葉に従った時、どうなったでしょう。なんと皮膚病は癒されたのです。まさに奇蹟、不思議。そう神様による癒し、救いの方法はまさに奇蹟です。そして私たちの癒しの為には神の奇蹟が必要です。頭をもたげるプライドに支配される事無く、語られる神の言葉への従順をもって神様の奇蹟を受け取りましょう。

■1コリント14:32預言者たちの霊は預言者たちに服従するものなのです。14:33それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。
★神様の御名による共同体の秩序と平和は何によって築かれるのでしょう。それは神の言葉への従順と聖霊様の導きです。ただよく犯す過ちは隠れた自分の欲求を聖霊様の導きとして受け取ろうとすることで、そこに混乱が生じるのです。今日も砕かれ明け渡された心を持って神の言葉に従順しましょう。主はあなたを祝福して下さいます。ヒデ

月曜日, 8月 30, 2010

20100830_2列王4 エレミヤ52 1コリント12-13

■2列王4:2エリシャは彼女に言った。「何をしてあげようか。あなたには、家にどんな物があるか、言いなさい。」彼女は答えた。「はしための家には何もありません。ただ、油のつぼ一つしかありません。」
★エリシャのもとで神様に仕える一人の預言者が召され、彼が残した負債のゆえにその子供が貸し主に奴隷とされようとした時、エリシャがその子の母に語った言葉が上の御言葉です。家には何があるか。彼はその婦人が唯一持っていた壺に油を満たして、彼らを危機から脱出させます。あなたは、まさにこれが神様の方法である事をご存知ですか。人は窮乏に直面するとき、於かれた環境に支配され落胆します。が、見方や発想を変えると問題を解く糸口と祝福が、多くの場合そこに隠されているのです。その為に用いられるのが感謝の心。あなたはどんな時感謝をささげますか。聖書は「いつも喜び、絶えず祈り、全てのことについて感謝しなさい」と。なぜならそれが問題を祝福に変える鍵だから。

■1コリント13:4愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。13:5礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、13:6不正を喜ばずに真理を喜びます。13:7すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
★上の御言葉の「愛」の部分に自分の名前を入れてもう一度朗読してみましょう。そうすれば、聖霊様はいかに自分に愛がないことを示して下さる事でしょう。そう、それが、私たちの姿です。愛がない。だからこそ主を仰ぎ、主の憐れみを求めるのです。人間の愛には限界がありますが、主の十字架を仰ぐ者に注がれる神様の愛には限界がなく、それは私たちの限界を取り除き、自分自身から解き放ち、神と人を愛する者へと変えて下さいます。決断を持ってこの愛の中に飛び込みましょう。その時、主の愛があなたを支えて下さいます。ヒデ

日曜日, 8月 29, 2010

20100829_2列王3_エレミヤ51_1コリント11

■2列王3:11ヨシャパテは言った。「ここには主のみこころを求めることのできる主の預言者はいないのですか。」すると、イスラエルの王の家来のひとりが答えて言った。「ここには、シャファテの子エリシャがいます。エリヤの手に水を注いだ者です。」
★これはイスラエルに背いたモアブを懲らしめるため、イスラエルの王ヨラムの要請に応じて出陣したユダの王ヨシャパテが語った言葉です。1週間、荒野の旅を続ける中で水を使い果たし、思わぬ劣勢に追い込まれようとする中、預言者を通して神様の助けを求める姿勢を示したのです。その結果、部隊は守られ、そればかりか神様の奇跡的な介入の末、イスラエルに勝利をもたらします。試練や劣勢の時に右往左往する人もあれば、ヨシャパテのように神に心を向ける人も……。あなたは「静まって私こそ神であることを知りなさい」との御言葉をご存知ですか。神様は信じて仰ぐ人を助けて下さるお方です。

■エレミヤ51:36それゆえ、主はこう仰せられる。見よ。わたしはあなたの訴えを取り上げ、あなたのために報復する。わたしはその海を干上がらせ、その泉をからす。
★聖書はご自身を畏れる者のためには立ち上がって、あなたの為に戦って下さる神様を示します。ゆえに報復は神様に委ねるのです。この正しい裁きをなさるお方に報復を委ねることが出来る魂は幸いです。

■1コリント11:11とはいえ、主にあっては、女は男を離れてあるものではなく、男も女を離れてあるものではありません。11:12女が男をもとにして造られたように、同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から発しています。
★聖書は、優劣ではなく祝福のための秩序を神様が自然界に設けられたことを教えます。あなたの生き方が今日も回りに潤いと命のハーモニーをもたらすものでありますように祝福します。ヒデ

土曜日, 8月 28, 2010

20100828_2列王1-2_エレミヤ50_1コリント10

■2列王2:9 渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。「私はあなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に、求めなさい。」すると、エリシャは、「では、あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように」と言った。
★ソロモンは主に願えと命じられたとき、民を正しく裁く知恵を求め、御心に適った願いゆえに豊かに聞き入れられました。なおかつエリシャの求めは預言者エリヤの継承者となることでした。エリヤは、そのことは最後まで歩みを、生活を共にする中で継承されることを示します。キリストの預言者とされた私たちも、自分を十字架につける生き方の中でキリストに似る者とされて行くのです。あなたは負うべき十字架を避け、あなたの中にキリストのかたちが造り上げられるチャンスを失ってはいませんか。

■エレミヤ50:34彼らを贖う方は強く、その名は万軍の主。主は、確かに彼らの訴えを支持し、この国をいこわせるが、バビロンの住民を震え上がらせる。
★あなたを解放されるお方は主です。

■1コリント10:13あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。10:14ですから、私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。
★ここには試練の時に避けるべきことが明確です。何ですか。偶像礼拝です。試練の時にこそ私たちの内面は明らかにされ、弱さも露わにされますが、そこでこそ心を主に向け、主の脱出の奇蹟を見るのです。自分や偶像にではなく主にこそより頼み、神として崇めましょう。たとえ回りは八方塞がりでも主に向かうあなたの天は常に開かれています。ヒデ

金曜日, 8月 27, 2010

20100827_1列王22_エレミヤ49_1コリント8-9

■1列王22:34ところが、ひとりの兵士が何げなく弓を放つと、イスラエルの王の胸当てと草摺の間を射抜いた。そこで、王は自分の戦車の御者に言った。「手綱を返して、私を敵陣から抜け出させてくれ。傷を負ってしまった。」
★これは妻イゼベルによってイスラエルに偶像礼拝を持ち込み民を苦しめたアハブ王の最後です。彼は戦いに出るとき「私は変装して戦いに行こう。でも、あなたは、自分の王服を着ていてください。」とユダの王ヨシャパテに語りますが、敵国アラムの王の目は誤魔化せても、主の目は誤魔化せませんでした。国を滅ぼすほどの罪とは偶像礼拝を他にしてありません。しかし主は今やこの偶像礼拝の罪のためにもキリストを私たちの罪の身代わりに十字架に付け、救いの道を開いて下さっいました。いかに偶像礼拝から離れるか。まさにこれそこが人生の命題です。キリストを仰ぎましょう。

■1コリント9:22弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
★パウロは、「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建て、人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです」と語ります。そして全世界の異邦人の救いの為に生涯をささげたパウロの実際は、まさに幾人かであり、目の前の一人でした。私の話に耳を傾けてくれる人が三千人いたら、いや百人、五十人いたらではありません。まさに目の前の一人のために自分の命を注ぎ出そうとしたのです。それが主ご自身の生き方であり、パウロはそれを自らの生き方としたのです。一人の為にとは、それをしたあなたが公にしなければ、ほとんど明らかになることはない愛のわざです。即ちパウロは人々の関心を自分に向けさせるためではなく、ただキリストに仕えたのです。あなたは与えられた今日一日をいかに生きますか。ヒデ

木曜日, 8月 26, 2010

20100826_1列王21_エレミヤ48_1コリント7

■1列王21:25アハブのように、裏切って主の目の前に悪を行った者はだれもいなかった。彼の妻イゼベルが彼をそそのかしたからである。
★アハブ王の幼児性には驚くべきものがあります。彼はイスラエルの王でありながら、宮殿のそばにあった民、ナボテのブドウ畑が欲しくなり、それ相当の代価で購入したいと申し出ますが、それがかなわなかった時、なんとふて寝をしていたと言うのです。そこに関わったのが過干渉で、全く神を畏れない悪妻イゼベル。あなた、どうしたのですか。アハブ王はこうこうしかじか、その理由を伝えます。ならば私があなたの為にそのブドウ畑を手に入れてあげましょうと、よこしまな者たちを雇ってナボテを殺し、さあナボテは死んだので、ぶどう園をあなたのものとするために出かけなさいとイゼベルは語るのです。そしてここにはそれを喜んで出かけるアハブの姿があるのです。なんと言う幼児性。夫と妻の関係ではなく、子供の事しか目にない愚かな母と幼稚な息子の関係です。王が男として立たなければ国は滅び、夫が男として立たなければ家は滅んでしまいます。幼児性を自らの中に温存するものではなく、主の前に差し出し癒しを受けることは幸いです。

■1コリント7:35ですが、私がこう言っているのは、あなたがた自身の益のためであって、あなたがたを束縛しようとしているのではありません。むしろあなたがたが秩序ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるためなのです。
★パウロはこの章で、主にある夫婦、親子、奴隷と主人の有りようを取り上げ、クリスチャンの生き方についてのアドバイスを書き送ります。が、その書き方は、「……してはいけません。……が良いと思います。……のほうがもっと幸いです。私も神の御霊を頂いていると思います。」と自分の分を弁えたもので、聖霊様よりも先んじることはありませんでした。人は慎み深いクリスチャンの発言と行動によって始めて慰め生かされます。逃げないで人と関わろうとしたパウロを、温かみのある人格者として造り上げた主は、あなたもそのような温かみある人へと導いて下さるお方です。主を仰ぎましょう。ヒデ

水曜日, 8月 25, 2010

20100825_1列王20_エレミヤ47_1コリント6

■1列王20:34ベン・ハダデは彼に言った。「私の父が、あなたの父上から奪い取った町々をお返しします。あなたは私の父がサマリヤにしたように、ダマスコに市場を設けることもできます。」「では、契約を結んであなたを帰そう。」こうして、アハブは彼と契約を結び、彼を去らせた。
★主はイゼベルを妻とし、イスラエルをバアルの預言者によって悩ました優柔不断なアハブ王のもとにある民をあわれんで、アラムの王ベン・ハダデの剣から奇蹟をもって救われます。その時、主は勝利を収めたアハブ王にベン・ハダデを打てと命じますが、どうでしょう。アハブは彼と同盟を結んで帰すのです。結局のところいつも神を畏れず、優柔不断をもって自分の思いを優先させるアハブ。聖書はそのつけがやがて彼の子孫に及ぶことを語ります。優柔不断。それは神様に忌み嫌われるものであることを心に刻みましょう。

■エレミヤ47:6「ああ。主の剣よ。いつまで、おまえは休まないのか。さやに納まり、静かに休め。」
★剣は自分をも、相手をも共に傷付けるもの、ゆえにキリストにあって、あなたの剣をサヤに収めよと主は語られるお方です。剣ではなく神の前に湧きあがる思いを留めていた栓を抜き、その心を主の前に注ぎ出すのです。その時、主はあなたの心に神にある平安を創って下さるお方です。

■1コリント6:20あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。
★聖書は「すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません」と、全てが許されていることを教えますが、その中にあっても贖われた者としての歩みの尊さを教えます。即ちどんな時にも神様に愛されている存在であることを覚えていなさいと言うのです。それがあなたが生きるための規準です。ヒデ

火曜日, 8月 24, 2010

20100824_1列王19_エレミヤ45-46_1コリント4-5

■1列王19:4自分は荒野へ一日の道のりを入って行った。彼は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言った。「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」
★アハブ王に仕えるバアルの預言者450人と戦い、みごと彼らを討ち滅ぼしたエリヤ。しかしそのことゆえ、「もしも私が、あすの今ごろまでに、あなたの命をあの人たちのひとりの命のようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」と、怒りと憎しみをあらわに、アハブの妻イゼベルが告げたとき、たとえエリヤであっても上の言葉のように意気消沈し、40日間人の前に立てないほどの鬱症状に見舞われるのです。
バアルの預言者450人を一人で滅ぼした大預言エリヤの姿はどこに?しかし、これが人間の現実です。しかし、神様はエリヤを責められません。ゆっくりと彼の回復を見守り、やさしく声を掛けられるのです。しかも神様はエリヤにバアルにひざを屈めない7千人の預言者を残して下さっていましたが「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。彼らは私のいのちを取ろうとねらっています」と、エリヤは自分に囚われた言葉を語るのです。人間とは極度の緊張とそれに続く恐怖に、何と弱いものでしょう。しかもそれは一人の婦人の言葉でした。
ですから人は自分を過大評価することは禁物です。むしろ主は弱くて良い、弱いままで良い。と、しかし、その弱さの中にこそ私は働き「私の恵みはあなたに対して十分である」と主は告げられるのです。自らの弱さを知った者だけが、主を仰ぐことができ、そこら「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」と再び、この方の力によって立ち上がれる世界があることを受け止めましょう。あなたの弱さは既に主に受け止められていますか。それとも一人で頑張っていますか。さあ今日も主に自らを明け渡し、祈りをもって始めましょう。主はあなたを豊かに支えて下さるお方です。ヒデ

月曜日, 8月 23, 2010

20100823_1列王18_エレミヤ44_1コリント3

■1列王18:36ささげ物をささげるころになると、預言者エリヤは進み出て言った。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのみことばによって私がこれらのすべての事を行ったということが、きょう、明らかになりますように。
18:38すると、主の火が降って来て、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしまった。
★神様を畏れないアハブ王と彼に仕えるバアルの預言者450人と正面から戦う預言者エリヤ。彼はアハブ王に翻弄されるイスラエルの民に「火をもって答える神を神としなさい」。「あなたがたはいつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であればそれに従い、もしバアルが神ならそれに従え」と決断を迫ります。この所から主とはあなたの純粋な愛を求めるお方であることを知って下さい。そして神様に純粋に愛を返す者に、かつて火を下された主は、今やキリストの十字架の救いを通して、信じる者の心に聖霊の火を下して下さるお方です。決断のない信仰は二心の信仰、混ざった信仰で、神様の不思議を見ることが出来ません。どちらに転んでも大丈夫なように安全策を講じるのは人のすべき事ではありません。あなたのすべきは、ただ神様を信じ、神様の救いの不思議を見ることです。主は今も御言葉を通し、変わることなく「もし、主が神であればそれに従い、もしバアルが神ならそれに従え」と語られます。

■1コリント3:13その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。3:14もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。3:15もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。
★キリストを信じるあなたの永遠は既に保証されています。だから、主の酬いに預かれる真心と良き行いは感謝の応答です。主はそこに生きるあなたの歩みを今週も喜び祝福して下さいます。ハレルヤ。ヒデ

日曜日, 8月 22, 2010

20100822_1列王17_エレミヤ43_1コリント1-2

■1列王17:3「ここを去って東へ向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ。17:4そして、その川の水を飲まなければならない。わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」
★この御言葉は、神様を畏れないアハブに対して「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」と、主から賜った言葉をエリヤが語ったのを受け、主が彼に語り返された言葉です。神様は預言者の従順と存在を通して御自身が生けるお方であることを示されますが、同時に、その従順に報い、溢れるばかりの恵み注いで下さるお方です。そして神様はこの時代の預言者としてあなたを召し出されたのです。

■1コリント1:18十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
★十字架とは何でしょう。それは罪の赦しであり、人間の罪の現実の現れです。律法主義や道徳教はいつの時代にも興っては消え興っては消えの繰り返しですが、そこには罪の明確な赦しがないのです。この世は十字架を愚かとし、それを退けようとしますが、何をそんなに恐れるのでしょう。主は既に全ての人のために命を捨てて下さったのに。解決のない戦いではありません。ゆえに自らの罪の内面を誤魔化すことなく、向き合うことを選び取り、主にある十字架の勝利を世に証詞しましょう。神の力は信じる者うちに豊かに働くのですから。ヒデ

土曜日, 8月 21, 2010

20100821_1列王16_エレミヤ42_マルコ16

■1列王16:25オムリは主の目の前に悪を行ない、彼以前のだれよりも悪いことをした。16:26彼はネバテの子ヤロブアムのすべての道に歩み、イスラエルに罪を犯させ、彼らのむなしい神々によってイスラエルの神、主の怒りを引き起こした。
★この章は「ヤロブアムのすべての道に歩み、イスラエルに罪を犯させ」との表現を王位を受け継いだ王たちに4回連続で用います。そして極めつけはオムリの子アハブで「彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであり、それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、それを拝んだ」とさえ記します。真の神様が見えなくなるとき、人は愚かとなり混乱、殺戮、権威争いの歴史を繰り返します。その上で「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」との主の御声を聞くあなたはいかに幸いな人でしょう。知って下さい。永遠の光を得たあなたは既に勝利者です。

■エレミヤ42:11あなたがたが恐れているバビロンの王を恐れるな。彼をこわがるな。「主の御告げ」わたしはあなたがたとともにいて、彼の手からあなたがたを救い、彼の手からあなたがたを救い出すからだ。

■マルコ16:6青年は言った。「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。
★そう主は確かに甦られました。そして主の救いを信じたあなたの中にも確かに生きておられます。そして今朝も「これは私の愛する子、私の心にかなう者である」と主は、あなたに対して語られるのです。ヒデ

金曜日, 8月 20, 2010

20100820_1列王15_エレミヤ41_マルコ15

■1列王15:4しかし、ダビデに免じて、彼の神、主は、エルサレムにおいて彼に一つのともしびを与え、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てられた。15:5それはダビデが主の目にかなうことを行い、ヘテ人ウリヤのことのほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことにそむかなかったからである。
★レハベアム王のあと南ユダ王国を治める事となったアビヤム。しかし聖書は彼の事を「彼は父がかつて犯したすべての罪を行い、彼の心は父ダビデの心のようには、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。」と記録します。にも関わらず受けるに相応しくない憐れみを彼は受けたのです。まさにそれが「ダビデに免じて」との恩寵でした。そして私たちは「キリストに免じて」の恩寵の中に迎え入れられたのです。主はあなたの犯した罪の量りに従って、酬い返すことを決してなさらな事実を受け止め感謝しましょう。

■マルコ15:34そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
★マルコによる福音書のゴールデンテキストとも言うべき言葉がこの御言葉で、ここにはキリストの贖いの根拠が明確です。キリストは確かにここで父なる神様に捨てられました。今まで「父」と呼んでいたお方を「父」と呼び得ず「神」と呼ばざるを得なかったのです。捨てられる根拠のないお方が捨てられたのは、まさに自らの犯した罪のために捨てられて当然の私たちが捨てられなくても済むようになるためでした。キリストは神様の前に「神様、罪のない私がこうして血を流しつつ彼らのために血を流していますから、この私の血に免じて彼らを赦して下さい」と、取りなして下さったのです。聖書には「血をながすことなしには罪の赦しはあり得ない」とありますが、キリストは御自身の命を懸けてこの律法を全うされたのです。信じましょう。そして生きるのです。ヒデ

木曜日, 8月 19, 2010

20100819_1列王14_エレミヤ40_マルコ14

■1列王14:6アヒヤは戸口に入って来る彼女の足音を聞いて言った。「お入りなさい。ヤロブアムの奥さん。なぜ、ほかの女のようなふりをしているのですか。私はあなたにきびしいことを伝えなければなりません。
★サマリヤに自らの為、礼拝所を設けたヤロブアム王は、息子アビヤの病を案じて預言者アヒヤのもとに妻を送ります。変装していましたが、神様は預言者を通して上の言葉をヤラベアムの妻に語られたのです。主はなんでもお見通しであられるお方であるこを覚えましょう。全てをご存知の上で赦される主。だからこそ、そこに救いがあるのです。あなたは自分を隠す必要はありません。

■エレミヤ40:9そこで、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤは、彼らとその部下たちに誓って言った。「カルデヤ人に仕えることを恐れてはならない。この国に住んで、バビロンの王に仕えなさい。そうすれば、あなたがたはしあわせになる。
★主がエレミヤに語られた言葉。まさにこれは新約の宣教方策以外の何ものでもありません。遣わされたこの世においてあなたは輝くのです。世を恐れてはなりません。むしろキリストにあって世に生きる一人一人を愛するのです。

■マルコ14:36またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」
★有名なゲッセマネの祈りです。確かにこの時、父なる神様に向かってささげるキリストの祈りは叶えられました。祈りの叶えられかたとは、そのまま願いが聞かれることもあるでしょう。しかし祈りを祈る側の存在が変えられることもあるのです。あなたは祈りを通して自分自身が変えられて行く恵みの世界を知っていますか。まさに真の神様のみがなし得る奇蹟です。主はあなたの生涯に介入し、力を注いて下さるお方であることを感謝しましょう。ヒデ

水曜日, 8月 18, 2010

20100818_1列王13_エレミヤ39_マルコ13

■1列王13:33このことがあって後も、ヤロブアムは悪い道から立ち返ることもせず、引き続いて、一般の民の中から高き所の祭司たちを任命し、だれでも志願する者を任職して高き所の祭司にした。13:34このことによって、ヤロブアムの家が罪を犯すこととなり、ついには、地の面から根絶やしにされるようになった。
★真の神様に礼拝をささげたいとの民の思いを偶像礼拝へと向かわせたヤロブアムの罪は重すぎます。なにゆえそんなことにと、その動機を探るときに、自らが王で居続けたいとの願望の為でした。偶像礼拝者のスピリットは見える形は違っても自ずと大切な人々をも偶像礼拝に巻き込み、滅びを刈り取らせます。だからこそ神様以外のものを断固神としてはならないのです。

■エレミヤ39:17しかしその日、わたしはあなたを救い出す。主の御告げ あなたはあなたが恐れている者たちの手に渡されることはない。39:18わたしは必ずあなたを助け出す。あなたは剣に倒れず、あなたのいのちはあなたの分捕り物としてあなたのものになる。それは、あなたがわたしに信頼したからだ。」
★リンカーンは神を信頼し、「神の側」に立ち続けることによって勝利を獲得しました。目に見える状況ではなく、御言葉と内なる聖霊様の声に従いましょう。

■マルコ13:30まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。13:31この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
★永遠に変わることのない主の言葉だからこそ、この言葉に信頼する私たちの人生は滅びることの無いものとして建て上げられることができるのです。知って下さい。神の言葉を心と霊で受け止めるあなたは、すでに永遠の存在とされているのです。今日も目先のことに右往左往するものではなく、神の言葉に基づいて判断する一日となりますように。ヒデ

火曜日, 8月 17, 2010

20100817_1列王12_エレミヤ38_マルコ12

■1列王12:26ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。12:27この民が、エルサレムにある主の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」12:28そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。」12:29それから、彼は一つをベテルに据え、一つをダンに安置した。
★なんと言うイスラエルの悲しい歴史。このヤロブアム王の決断ゆえにイスラエルの礼拝に関する混迷の歴史が始まってしまいました。エルサレムかサマリヤか。しかし、そもそもの原因はこのヤラベアム王ではなくソロモンの息子レハベアム王の民への荒々しい言葉です。「私の父はおまえたちのくびきを重くしたが、私はおまえたちのくびきをもっと重くしよう。父はおまえたちをむちで懲らしめたが、私はさそりでおまえたちを懲らしめよう。」と。それに伴いイスラエル12部族は分裂したのです。しかし民を偶像礼拝へと導いたヤラベアムの罪が帳消しにされる訳ではありません。将来に向けて悔いの無い決断の大切さを覚えましょう。

■エレミヤ38:20エレミヤは言った。「彼らはあなたを渡しません。どうぞ、主の声、私があなたに語っていることに聞き従ってください。そうすれば、あなたはしあわせになり、あなたのいのちは助かるのです
★主に降伏するのはよいことです。あなたを奴隷ではなく罪から解放するために命を懸けて救いを成し遂げて下さったお方ですから。

■マルコ12:17するとイエスは言われた。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」彼らはイエスに驚嘆した。
★あなたの中には「神のかたち」が刻まれています。神様に向かって生きるためです。ささげましょう。輝くために。ヒデ

月曜日, 8月 16, 2010

20100816_1列王11_エレミヤ37_マルコ11

■1列王11:2この女たちは、主がかつてイスラエル人に、「あなたがたは彼らの中に入って行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる」と言われたその国々の者であった。それなのに、ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった。
★なんと言う残念。ついに国が北と南の二つに分かれ、互いに争い合うその時が。聖書はその原因を、ここで「それなのに」と記します。あれほどのソロモンなのに。しかしソロモンとて例外ではありません。神の恵みを軽んじ、神様の戒めを脇に置き、私は大丈夫とおごる時、人は滅びる以外にないのです。馬鹿のようになって神の言葉に従うこと、これ以上に人に祝福をもたらし、勇気ある決断のないことを心に刻みましょう。ソロモンは神様からの警告を聞きつつも離れる決断をしなかったのです。

■エレミヤ37:18エレミヤはゼデキヤ王に言った。「あなたや、あなたの家来たちや、この民に、私が何の罪を犯したというので、私を獄屋に入れたのですか。
★エレミヤによる王への直言です。かつての「ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいか分かりません」とおじ惑うエレミヤの姿はありません。信じましょう。主は従う者を造り上げて下さいます。

■マルコ11:5すると、そこに立っていた何人かが言った。「ろばの子をほどいたりして、どうするのですか。」11:6弟子たちが、イエスの言われたとおりを話すと、彼らは許してくれた。
★主がエルサレム入場に用いられたのは戦車でも馬でもなく、弱々しげなろばの子でした。持ち主は、主のことばを語ると許してくれたとここは証しします。自らの生涯に「主の用なり」と御声が掛かった時あなたはどうでしょう。それを許しますか。許すとき、あなたが主を運ぶのではなく、主があなたを運んで下さることを信じて従う者でありましょう。ヒデ

日曜日, 8月 15, 2010

20100815_1列王10_エレミヤ36_マルコ10

■1列王10:4シェバの女王は、ソロモンのすべての知恵と、彼が建てた宮殿と、10:5その食卓の料理、列席の家来たち従者たちが仕えている態度とその服装、彼の献酌官たち、および、彼が主の宮でささげた全焼のいけにえを見て、息も止まるばかりであった。
★ダビデに変わって王になったソロモンに神様は「何を求めるか。願え」と語られました。さて御心にそった願いをささげたソロモンに与えられた知恵とはいかなる知恵だったでしょう。ここにはそれが明確で、息も止まるばかりのそれでした。神様の真実は昨日も今日も永久までも変わりません。

■エレミヤ36:23エフディが三、四段を読むごとに、王は書記の小刀でそれを裂いては、暖炉の火に投げ入れ、ついに、暖炉の火で巻き物全部を焼き尽くした。36:24王も、彼のすべての家来たちも、これらのすべてのことばを聞きながら、恐れようともせず、衣を裂こうともしなかった。
★心を裂き、悔い改めのうちに赦しを受けるようにと主が下さった御言葉。にも関わらずユダの王エホヤキムは、心ではなく、与えられた神の言葉を小刀で裂き、暖炉の中に投げ込んだのです。その結果彼の生涯から光は消え、結果彼自身が火の中に投げ込まれる者となりました。間違ってはなりません。人は蒔いたものを必ず刈りとることになるのです。

■マルコ10:49 すると、イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい」と言われた。そこで、彼らはその盲人を呼び、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている」と言った。
★主に大声で憐れみを求めるこの盲人。しかし人々は黙らせようと取り押さえます。けれど主の耳にはしっかりとこの人の叫びが届いていたのです。あなたの叫びも同様で、主の耳にはしっかり届いています。そして主はあなたに語られます。「私に何をして欲しいのか」。率直に主に申し上げる願いを持つ人は幸いです。ヒデ

土曜日, 8月 14, 2010

20100814_1列王9_エレミヤ35_マルコ9

■1列王9:25ソロモンは、主のために建てた祭壇の上に、一年に三度、全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげ、また、主の前にある壇で香をたいた。彼は宮を完成した。
★定期的に、また時々刻々と神様の前に礼拝をささげることは、自らを罪より守り、神様の御心を成し遂げるためにはなくてはならない秘訣です。主はかつて預言者サムエルに「わたしを尊ぶ者を、わたしは尊ぶ」と語られたことを思い出しましょう。

■エレミヤ35:19それゆえ、イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。『レカブの子、ヨナダブには、いつも、わたしの前に立つ人が絶えることはない。』」
★レカブ人とは遊牧生活を守り通すことによって,世俗化から身を守り,主に対する忠誠を尽そうとした人々ですが、主はその形のあらわれは様々であっても、忠誠と誠実をもって御自身に近づこうとする人を喜び、真理をもって完成して下さるお方です。

■マルコ9:35イエスはおすわりになり、十二弟子を呼んで、言われた。「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」
★これは道々、誰が一番偉いかと論じ合う弟子たちへの主の答えです。主は影響力を持つリーダーになってはならないとは決して言われません。むしろあなたに真のリーダーになって欲しいと願われるお方です。その秘訣が仕えるリーダーシップです。人が生かされ、その結果自分も生きることができるそんな一日となるように祈りませんか。ヒデ

金曜日, 8月 13, 2010

20100813_1列王8_エレミヤ34_マルコ8

■1列王8:38だれでも、あなたの民イスラエルがおのおの自分の心の悩みを知り、この宮に向かって両手を差し伸べて祈るとき、どのような祈り、願いも、8:39あなたご自身が、あなたの御住まいの所である天で聞いて、赦し、またかなえてください。ひとりひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心を知っておられます。あなただけがすべての人の子の心を知っておられるからです。
★これはソロモンが神殿奉献の際、主にささげた祈りの一部です。そこには隣人への罪、敵との戦い、相続地の祝福、病からの守り、異邦人の祝福と、祈りのテーマは様々です。同様に重要な事は、主は今もソロモン以上にあなたのために、天の御位に座し、祈りをささげて下さっている事実です。その為でしょうか黙示録の主は白髪です。(黙示録1:14)主の執り成しの励ましを受け取り、強められましょう。

■エレミヤ34:11しかし、彼らは、そのあとで心を翻した。そして、いったん自由の身にした奴隷や女奴隷を連れ戻して、彼らを奴隷や女奴隷として使役した。
★主にあって同胞のヘブル人を奴隷としないという契約を交わしながら、欲に着かれた民はそれを覆したのです。主はそれを小さい事とは見ておられません。主はあなたを祝福の基として召し出される為にこそ、命を捨てられたことを心に刻みましょう。

■マルコ8:35いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。8:36人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。
★主は命の用い方について内向きに保護すべきものではなく、使命の為に使うものと語ります。私たちが使命の為に命を使うとき、主ご自身がそれを保護し強めて下さるのです。私たちの内に主が下さった永遠の命は、与えても与えも減ることのない命であることを覚えましょう。ヒデ

木曜日, 8月 12, 2010

20100812_1列王7_エレミヤ33_マルコ7

■1列王7:1ソロモンは自分の宮殿を建て、十三年かかって宮殿全部を完成した。
★神殿を七年かけて完成させたソロモンは、次ぎに自らの宮殿を建設に取りかかります。ここに祝福の優先順位があることを覚えましょう。まず神の国とその義です。しかし人間とは弱いもの。こんなソロモンでさえ、いえこのきれるソロモンのゆえかも知れません。貿易の成功を願ってエジプトの王ファラオの娘をめとるのです。神様の栄光の為にとの素晴らしい目的。しかし、どこまでもその手段において純粋性を保つことの何と困難なことでしょう。ただ「はいをはい、いいえをいいえ」とする事の尊さを心に刻みましょう。

■エレミヤ33:3わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。
★韓国の教会は祈り始める時。大きな声で心から「主よ、主よ、主よ!」と3回叫んでから祈る習慣があるようです。あなたは主の隠された大いなる事を知るためにどんな習慣を持っていらっしゃいますか。

■マルコ7:28しかし、女は答えて言った。「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます。」
★自分を無にしてでも大切な人を救いたいと願う人は幸せです。では宇宙で一番幸せな人、偉大な人とは誰でしょう。その答えは人類の救いの為には自分を無にして十字架にまでかかられたイエス様です。ですから信仰によってイエス様につながるあなたの心にもその祝福と命と幸せが、豊かに豊かに注ぎ込まれるのです。主を愛しましょう。そしてあなたの助けを必要としている人の隣人になりましょう。ヒデ

水曜日, 8月 11, 2010

20100811_1列王6_エレミヤ32_マルコ6

■1列王6:38第十一年目のブルの月、すなわち第八の月に、神殿のすべての部分が、その明細どおりに完成した。これを建てるのに七年かかった。
★ここにはソロモンが神殿を建てるために用いた時間が明確です。彼は決してあせって中途半端なことはしませんでした。ましてや主が私たちの内に立てて下さる生ける神殿は永久に関わる神殿です。あなたはいっこうに変わらない自分を見つめて失望落胆していませんか。自分に心縛られることなく、主の恵みと愛に目を留めさせて頂きましょう。ソロモンの父ダビデは「私の救いは天地を造られた主から来る」と詠みました。

■エレミヤ32:40わたしが彼らから離れず、彼らを幸福にするため、彼らととこしえの契約を結ぶ。わたしは、彼らがわたしから去らないようにわたしに対する恐れを彼らの心に与える。
★あなたの心の中には神様への恐れの気持ちがありますか。それともあなたにとって神など取るに足りない存在ですか。あなたの中に神様への恐れがあるなら感謝しましょう。まさにそこから全ての祝福は始まるのですから。

■マルコ6:10また、彼らに言われた。「どこででも一軒の家に入ったら、そこの土地から出て行くまでは、その家にとどまっていなさい。
★キリスト者とは誰ですか。心が内向きゆえに道徳的禁酒禁煙に留まり、自らを義とする存在ではありません。むしろ愛ゆえに勇気をもって関係を造り出す存在と主は語られます。豊かな関係を築き上げることなくして、どうして一つの家に留まることが出来るでしょう。あなたはその生き方を避けたいですか。それとも勇気を持って一歩踏み出しますか。関わることは愛ゆえに、居心地よい自分が崩されてゆく経験でもあります。しかし福音とは恵みによってあなたが変われるからこそ福音です。福音を生きましょう。ヒデ

火曜日, 8月 10, 2010

20100810_1列王4-5_エレミヤ31_マルコ5

■1列王4:29神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた。4:30それでソロモンの知恵は、東のすべての人々の知恵と、エジプト人のすべての知恵とにまさっていた。
★注目すべきはソロモンの知恵と広い心の関係で、そこには連動性があるのです。閉鎖的な心、あるは自己実現に集中する心で到達できる知恵には限界が。しかし広い寛容な心には、更なる恵みの知恵が加えられるのです。忘れてならないこと、それは良き知恵は全て上から来ると言うことです。どれほど多くの偉人が、上からのインスピレーションによって事を成し遂げた事でしょう。

■エレミヤ31:3主は遠くから、私に現れた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。
★主の愛はあなたの人格を最大限信頼し尊重しようとする愛。けれど、ここぞという時は身を乗り出して関わって下さいます。さてあなたの愛の距離感はいかがでしょう。過干渉過ぎて煙たがられていませんか。大丈夫。あなたの大切な人は、あなたの祈りと合わせて主の永遠の愛によって支えられているのですから。

■マルコ5:12彼らはイエスに願って言った。「私たちを豚の中に送って、彼らに乗り移らせてください。」5:13イエスがそれを許されたので、汚れた霊どもは出て行って、豚に乗り移った。すると、二千匹ほどの豚の群れが、険しいがけを駆け降り、湖へなだれ落ちて、湖におぼれてしまった。
★あなたに質問させて下さい。主は二千匹の豚と一人の人と、どちらを尊ばれるお方ですか。主がその愛でいつもあなたを愛しておられることを覚えていて下さい。宇宙ひろしと言えど、あなたに変わるスペアーはどこにもないのです。ヒデ

月曜日, 8月 09, 2010

20100809_1列王3_エレミヤ30_マルコ4

■1列王3:9 善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」
★これはダビデのあとを継いで王となったソロモンに、「あなたに何を与えようか願え」と、主が語られた時、その応答としてソロモンが願ったものです。願いには、人そのものが表れます。そして主はこのソロモンの願いを喜ばれ、全て添えて与えられる恵みにソロモンはあずかったのです。祝福の秘訣は今も昔も「まず神の国とその義」を求めること。主は語られます。「願え!」と。

■エレミヤ30:21その権力者は、彼らのうちのひとり、その支配者はその中から出る。わたしは彼を近づけ、彼はわたしに近づく。わたしに近づくためにいのちをかける者は、
いったいだれなのか。主の御告げ。
★これが主の偽らざる思い。命を懸けて成し遂げて下さった福音に、あなたはいかに応えるか。その酬いは30倍60倍100倍に留まることなく1000代の祝福となって酬い返されるのです。

■マルコ4:20良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。」
★蒔かれる種とは御言葉で、蒔かれる土地とは私たちの心です。種は自ずと実をならせるものですが、主は聞き方によって、その結果は異なると言うのです。けれど等しく言えること。それは最初から良い地なんて無いないと言うことです。悔いし砕けた心をもって主に近づくあなたの上に主の祝福は豊かです。ヒデ

日曜日, 8月 08, 2010

20100808_1列王2_エレミヤ29_マルコ3

■1列王2:17彼は言った。「どうかソロモン王に頼んでください。あなたからなら断らないでしょうから。シュネム人の女アビシャグを私に与えて私の妻にしてください。」
★これはかつて野心を抱き「自分が王になろう」といったダビデ王の3男、ソロモンにとっては異母兄弟の兄、アドニヤの言葉です。アビシャグとはタビデが年老い、身体が温まらなくなった時に、王に仕えるようにと召し出された娘。そして彼は欲のゆえに、「父ダビデ王の妻をこの私の妻に」と、自分が王位に就くべきと主張したのです。父亡き後、ソロモンに最初に訪れたことはこうした家督相続の難題です。しかし聖書はこうしたことについても、主を仰ぎ、主の導きを求めることを教えます。決断すべきは決断し、語るべきは語るソロモン。そうした中、国を確立する力は上から来ることを覚えたいものです。

■エレミヤ29:11わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。─主の御告げ─それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。29:12あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。
★主がこれを語られたのはいつですか。イスラエルが罪の為、バビロンに連れ去られようとする直前です。にも関わらず、イスラエルに対する主の愛と選びは変わることがないのです。まさに不思議。そしてあなたもこのお方の不思議によって支えられているのです。

■マルコ3:14そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、3:15悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。
★主はあなたを何の目的の為に選び、召し出されたのでしょう。ここではそれが明確です。認めて頂きたいこと、それは決して偶然ではなく、祝福であり、特権であると言うことです。知っていますか。神様は今日もあなたの神の子としての祈りと宣言を用いて不思議を為そうとしておられるのです。特権を隠すことなく用いましょう。ヒデ

土曜日, 8月 07, 2010

20100807_1列王1_エレミヤ28_マルコ2

■1列王1:30私がイスラエルの神、主にかけて、『必ず、あなたの子ソロモンが私の跡を継いで王となる。彼が私に代わって王座に着く』と言ってあなたに誓ったとおり、きょう、必ずそのとおりにしよう。」
★いよいよダビデの時代からソロモン王の時代へ。この列王記の概略は王が神様に従うとき、イスラエルは神様の繁栄と祝福を受け、神様に背くとき、罪と悲惨を味わわなければならないと言うものです。あなたもいずれかの領域において王として立てられた存在ではないですか。覚えましょう。あなたが神様に従順することはもちろんあなたの祝福ですが、王としてたてられたあなたの影響は、あなたのもとにある全ての人にもあることを。悪影響もしかりです

■エレミヤ28:15そこで預言者エレミヤは、預言者ハナヌヤに言った。「ハナヌヤ。聞きなさい。主はあなたを遣わされなかった。あなたはこの民を偽りに拠り頼ませた。
★偽りに拠り頼ませることは預言者のなすべきことではありません。さらに人はその人の語ることよりも生き様にならうもの。神様の恵み深さへの感謝と、峻厳なる神様を畏れる姿勢の中に歩ませて頂きましょう。

■マルコ2:4群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。
★中風を患うその人と、4人の友の信仰を主は喜ばれ、中風の人の病を癒されます。群衆は我先にと、ばらばらに主に近づきますが、彼等は心を合わせ、一つの目的のために病める人をキリストの御もとに導くのです。まさにここに教会の本質の姿が。主は、あなたが愛するならその人の友になれると語られました。豊かな人生とは、あなたが主にあって誰かをお助けしたいと願うとき、あなたと共に心を合わせてくれる友を持つことです。あなたにはそんな友がありますか。友のために祈りましょう。ヒデ

金曜日, 8月 06, 2010

20100806_2サムエル24_エレミヤ27_マルコ1

■2サムエル24:10ダビデは、民を数えて後、良心のとがめを感じた。そこで、ダビデは主に言った。「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。主よ。今、あなたのしもべの咎を見のがしてください。私はほんとうに愚かなことをしました。」
★側近である将軍ヨアブは「王よ。一体何の為に」とこれを留めさせようとしますが、ダビデ王はこの時それを説き伏せてまで「さあ、イスラエルの全部族の間を行き巡り、その民を登録し、私に、民の数を知らせなさい。」と命じます。さすがのダビデも年老い、自分の影響力に不安を感じはじめた事がこうした形で現れたのか。罪はまさに人間の弱さを足がかりに、人の人生を滅びに向かわせようとするのです。かつての力が誇れない所からくる妬み、寂しさ、不安には注意が必要です。

■エレミヤ27:17彼らに聞くな。バビロンの王に仕えて生きよ。どうして、この町が廃墟となってよかろうか。27:18もし彼らが預言者であり、もし彼らに主のことばがあるのなら、彼らは、主の宮や、ユダの王の家や、エルサレムに残されている器がバビロンに持って行かれないよう、万軍の主にとりなしの祈りをするはずだ。
★預言者と偽預言者を見分ける事は困難です。その違いは罪を曖昧に誤魔化すことをゆるすか、悔い改めて離れるよう、涙の内に訴えるかのどちらかです。耳ざわりのよい言葉だけが神の言葉ではないことを覚えましょう。

■マルコ1:15「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」
★主の弟子マルコの記述によるイエス・キリストの第一声がここに。私たちが神様から祝福を受ける手段は単純です。神様から離れようとする方向から、神様に向かう方向へと心の向きを変え、神様の恵みを信じ、ただ受け取るのです。あなたの人生の祝福のための全ては、既に主によって備えられました。さあ主を仰ぎ、今日も感謝して一日遣わされましょう。ヒデ

木曜日, 8月 05, 2010

20100805_2サムエル23_エレミヤ26_ローマ15-16

■2サムエル23:5まことにわが家は、このように神とともにある。とこしえの契約が私に立てられているからだ。このすべては備えられ、また守られる。まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる。
★「これはダビデの最後のことばである。」と記されている中に含まれる内容です。ここにはダビデの確信が明確です。神様が私に与えて下さった約束は永遠のもの。神様は信頼をもって近づく私の生涯を育て上げて下さる。そしてその通りとなったのです。ヘブル11:6には「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」とありますが、まさにダビデは信仰の人でもあったのです。あなたも事実、永遠の契約に招かれています。あなたの信仰の確信はどうですか。

■エレミヤ26:2「主はこう仰せられる。主の宮の庭に立ち、主の宮に礼拝しに来るユダのすべての町の者に、わたしがあなたに語れと命じたことばを残らず語れ。一言も省くな。26:3彼らがそれを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすれば、わたしは、彼らの悪い行いのために彼らに下そうと考えていたわざわいを思い直そう。
★ここには主が民に向かってなぜ叱責するかが明確です。それはひとえに赦しを与えたいから。この父なる神様のはらわたを心深く留めることは大切です。なぜなら父の心を知った者と知らない者の生き方は自ずと変わって来るのです。主は既にあなたを赦しておられます。赦されたものとして生きるのです。

■ローマ16:20平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。
★ここはパウロがローマに宛てて記した手紙の最後の部分です。ここでパウロは「……よろしく」と16回繰り返し、様々な人に向けて感謝をあらわします。真に神に仕えるとは、人を励まし育てる人になることを意味します。パウロのようにあなたは周りの人の良き点を認め評価し感謝と励ましを率直にあらわしていますか。あなたの足でサタンを踏み砕くとはまさにそうした生き方をすることです。ヒデ

水曜日, 8月 04, 2010

20100804_2サムエル22_エレミヤ25_ローマ13-14

■2サムエル22:10 主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして。22:31神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。22:32まことに、主のほかにだれが神であろうか。私たちの神のほかにだれが岩であろうか。22:33この神こそ、私の力強いとりで。私の道を完全に探り出される。22:34彼は私の足を雌鹿のようにし、私を高い所に立たせてくださる。22:35戦いのために私の手を鍛え、私の腕を青銅の弓でも引けるようにされる。
★この詩はサウルの手より救い出された時ダビデが詠んだもの。主とはどんな方ですか。ダビデは、あなたの腕を強くして下さる方。あなたが事を成し遂げる人となるように助けて下さるお方。その為には天をおし曲げて下り、あなたに関わり助けて下さるお方と語ります。このお方によって彼は強められ国と自らの人生を治めて頂いたのです。

■ローマ14:4あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。
★まず知って下さい。キリストを告白したあなたに対して神様はどんな時でもあなたの味方であることを。そして主こそがあなたを完成して下さるお方であることを。主はあなたの人生、人格、存在そして永遠までも完成して下さるお方です。今まで私たちは自分の人生にそこまで関わって下さるお方を経験したことがありません。しかし、このお方は罪の支払う報酬として私たちに求められる命の代価を、御自身の命をもって払い、私たちを買いとって下さったのです。それゆえ今朝も主はあなたに対してハッキリと「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。」と語られるのです。周りの「人」の評価にではなく、このお方を意識して歩ませて頂きましょう。そうするならあなたの人生は約束どうり必ず主にあって完成し倒れることはないのです。ヒデ

火曜日, 8月 03, 2010

20100803_2サムエル20-21_エレミヤ24_ローマ12

■2サムエル21:1ダビデの時代に、三年間引き続いてききんがあった。そこでダビデが主のみこころを伺うと、主は仰せられた。「サウルとその一族に、血を流した罪がある。彼がギブオン人たちを殺したからだ。」
★ダビデは飢饉のため、主に御心求めます。その時、主はかつてサウル王が罪のないギブオン人を殺したことを指摘されたのです。聖書は無慈悲な殺戮はその地に呪いをもたらし、家系の祝福を奪うことを教えます。ダビデはそのためギブオン人の心の癒しと和解のために心を砕き、具体的に流された血の恨みを解き、イスラエルの土地に癒しをもたらします。聖書は「家系の罪」の存在を示します。が、同時に私たちの主キリストが十字架の上で救いのみ業を完成させ、呪いを祝福に変えられたことをも示します。あなたはその力ある十字架の癒しと和解の力を家系に流れる罪と家族の間に打ち立てるためにも召し出されたのです。キリストの贖いの完全さを信じ感謝して告白しましょう。主はあなたとあなたの家族を祝福されます。

■ローマ12:1そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。12:2この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
★人間にとって一番困難なこと。それは自分を変えること。人を変えようとする試みは、たとえ強引であっても、それを成し遂げようとするのに、自分を変える力がないのです。しかしキリスト者には自分を変える希望がある事をここは謳います。自分の命を懸けても惜しくないものを発見した者の特権です。ああ何と感謝でしょう。主はあなたのために命を捨てて下さったのです。今日もこのお方を仰いで一日を始めるあなたの上に神様の祝福は一杯です。ハレルヤ。ヒデ

月曜日, 8月 02, 2010

20100802_2サムエル19_エレミヤ23_ローマ10-11

■2サムエル19:5 ヨアブは王の家に行き、王に言った。「あなたは、きょう、あなたのいのちと、あなたの息子、娘たちのいのち、それに、あなたの妻やそばめたちのいのちを救ったあなたの家来たち全部に、きょう、恥をかかせました。19:6あなたは、あなたを憎む者を愛し、あなたを愛する者を憎まれるからです。あなたは、きょう、隊長たちも家来たちも、あなたにとっては取るに足りないことを明らかにされました。今、私は知りました。もしアブシャロムが生き、われわれがみな、きょう死んだのなら、あなたの目にかなったのでしょう。
★民を苦しめた反逆の子アブシャロムを悼むダビデに対する将軍ヨアブの直言です。この直言ゆえにダビデは我を取りもどし、民への感謝を語ります。あなたには直言してくれる友がありますか。それともあえて避けますか。またそれを聞き、受け入れる用意がありますか。

■ローマ11:13そこで、異邦人の方々に言いますが、私は異邦人の使徒ですから、自分の務めを重んじています。11:14そして、それによって何とか私の同国人にねたみを引き起こさせて、その中の幾人でも救おうと願っているのです。
★これは迫害者から主の弟子とされ、当時の世界を福音によって変えたパウロの言葉です。パウロは何と語っているでしょう。「私は私に与えられたこの知恵と能力を用いて全世界を変えるのだ」でしょうか。いいえ。「幾人かでも」です。良き感化を与えたいと願う人は野心によってではなく動機の純粋さが求められるのです。さらに、愛の心、たとえ一人でものスピリットです。まさにそれは主の心。主はたとえ全世界であなただけしか罪を犯さなかったとしても、あなたの為に十字架の上で命を捨てて下さるお方です。今週もこの愛に感動し、ひとりの人との出会いを大切に、遣わされて行きましょう。主の目にあなたはスペシャルな存在です。ヒデ

日曜日, 8月 01, 2010

20100801_2サムエル18_エレミヤ22_ローマ9

■2サムエル18:33すると王は身震いして、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」
★これは自らに謀反を起こし、民を苦しめた息子アブシャロムが心臓をひと突きにされた伝令を聞いた時のダビデの反応です。王を守る為に命を懸けた兵士達。しかしその兵士達の献身よりも謀反を起こし、国を滅ぼそうとしたアブシャロムの死をダビデは悼むのです。ダビデも人の子であることを思います。が、その事を通して兵士の心は、どれほど急速にダビデから離れて行ったことでしょう。危機一髪、ダビデの窮地。しかしそこから彼は立ち直らせたのは……?その顛末は明日の箇所。ただ一つ、人は時に誰でも盲目になりうるもの。その為に真実な助言を与えてくれる友が必要なことを覚えましょう。

■ローマ9:33それは、こう書かれているとおりです。「見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
★確かにイエス・キリストの十字架と復活の福音ほど、愚かに見え、躓き、妨げと感じる人々のあることは否めません。にも関わらず神様はあえてその道を備えられたのです。そんな愚かではなく、もっと知的納得を与える救いをさえ備えて下さったなら……。ではどんな救いなら人は信じるとこができるのでしょう。問題の本質は決して神様の側にではなく、神様を感謝できない人の側にあるのです。神様が備えて下さったものを感謝して受け取ることが全ての始まりであることを知るあなたを、主は今日も祝して用いて下さいます。ハレルヤ。ヒデ

土曜日, 7月 31, 2010

20100731_2サムエル17_エレミヤ21_ローマ7-8

■2サムエル17:14アブシャロムとイスラエルの民はみな言った。「アルキ人フシャイのはかりごとは、アヒトフェルのはかりごとよりも良い。」これは主がアブシャロムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェルのすぐれたはかりごとを打ちこわそうと決めておられたからであった。
★ダビデを蹴散らして王座についた息子アブシャロムに、今すぐ1万2千の兵で父ダビデを奇襲すべきとアヒトフェルは語ります。これはまさに名案で、そうすれば、さすがのダビデも首を跳ねられていたことでしょう。しかし神様はダビデを守ろうとし、もう一人の高官フシャイの口を通して、王は昔からの戦士なのでイスラエルの全軍をもって出なければ立ち向かうことが出来ないでしょうと語らせ、アブシャロムとその兵士達を納得させ、結果ダビデを救う道を開かれたのです。聖書は「主のはかりごとはとこしえに立ち、そのみこころの思いは世々に立つ」と語ります。大切なことは神様の側に立ち続けること。そうすれば他でもなく主御自身があなたを守って下さるのです。

■エレミヤ21:8「あなたは、この民に言え。主はこう仰せられる。『見よ。わたしはあなたがたの前に、いのちの道と死の道を置く。
★道とは人を目的地に導くと共に、人の終着点を分けるもの。間違いのないキリストにある道を選び取りましょう。

■ローマ8:15あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。
★ここではキリストを信じる人に与えられる聖霊について明確です。結論はたとえ失敗しても奴隷ではないので、あなたは裁かれ、むち打たれる必要も無ければ、捨てられる必要もないと言うこと。またあなたは神様の目には誇りの息子であり娘であると言うことです。さあ今日もこの励ましの内に遣わされて行きましょう。ヒデ

金曜日, 7月 30, 2010

20100730_2サムエル16_エレミヤ20_ローマ5-6

■2サムエル16:11ダビデはアビシャイと彼のすべての家来たちに言った。「見よ。私の身から出た私の子さえ、私のいのちをねらっている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。16:12たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。」
★息子アブサロムの反逆でエルサレムから陥落するダビデ王。その前には何とサウルの家の人々が立って「出て行け。血まみれの男、よこしまな者。主がサウルの家のすべての血をおまえに報いたのだ。だから主はお前に敵対するお前の息子アブサロムをお前に代えてて王として立てお前を苦しめるのだ。お前が災いにあうのは血まみれの男だから。」となじります。が、その時ダビデが語った言葉は先の御言葉です。確かにダビデにも落ち度が。しかしなぜ主はダビデを用いるのか。裁きを主に委ねる彼の姿から教えられましょう。

■ローマ6:3それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。6:4私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。
★ここにはバプテスマの意味が明確です。キリストにあって罪に死に、キリストと共に復活の命によみがえる。これもまたキリスト教教理の根幹で、イエス・キリストにある信仰の土台です。あなたはもはや、かつての人ではありません。新しくされた使命と希望に目を留め、新しい人として進むのです。ヒデ

木曜日, 7月 29, 2010

20100729_2サムエル15_エレミヤ19_ローマ3-4

■2サムエル15:4さらにアブシャロムは、「ああ、だれかが私をこの国のさばきつかさに立ててくれたら、訴えや申し立てのある人がみな、私のところに来て、私がその訴えを正しくさばくのだが」と言っていた。15:5人が彼に近づいて、あいさつしようとすると、彼は手を差し伸べて、その人を抱き、口づけをした。15:6アブシャロムは、さばきのために王のところに来るすべてのイスラエル人にこのようにした。こうしてアブシャロムはイスラエル人の心を盗んだ。
★ダビデ王に助けを求めて近づこうとする人々の前に立って、「私が王でさえあったなら」と語るアブシャロム。聖書はそんな彼の行為を明確に盗みと告発します。背後に自分の野望を隠し持ち、人に善意を施すこと。それは盗み、罪なのです。主よ、私たちが人の心を盗むことが有りませんようにお守り下さい。

■ローマ3:21しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。3:22すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。3:23すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、3:24ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
★ここには信仰義認と言うキリスト教教理が明確です。おこないではなく。おこないでは成し得ないために。だからこそ神様の恵みによって備えられた救い。それが福音で、ただ感謝して受け取る以外になく、そこでは誰も誇れませんし、いえ誇る必要がないのです。御子の命の代価によってなし遂げられた福音は値付けすることが出来ません。すなわち「誇るものは主を誇れ」です。どうか福音を理解し福音に生き、福音が輝くことができますように。ヒデ

水曜日, 7月 28, 2010

20100728 2サムエル14_エレミヤ18_ローマ1-2

■2サムエル14:13女は言った。「あなたはどうして、このような神の民に逆らうようなことを、計られたのですか。王は、先のようなことを語られて、ご自分を罪ある者とされています。王は追放された者を戻しておられません。14:14私たちは、必ず死ぬ者です。私たちは地面にこぼれて、もう集めることのできない水のようなものです。神は死んだ者をよみがえらせてはくださいません。どうか追放されている者を追放されたままにしておかないように、ご計画をお立てください。
★息子アムノンを殺した、やはり我が子アブサロムをダビデは赦しきれません。その時、用いられたのがこの婦人。男や兵士には出来ない和解の務めが彼女に託されたのです。今日、主の前に立ち上がろうとするあなたですが、ここに至までには背後における多くの執り成しが。それを覚えて一日を始めましょう。

■エレミヤ18:23しかし、主よ。あなたは、私を殺そうとする彼らの計画をみな、ご存じです。彼らの咎をおおわず、彼らの罪を御前からぬぐい去らないでください。彼らを、御前で打ち倒し、あなたの御怒りの時に、彼らを罰してください。
★預言者エレミヤの赤裸々な告白です。それで良いのです。主の前には正直な気持ちを告白すべきです。またそうする人にこそ、主は癒しの霊を注ぎ、涙の預言者とし、新たに遣わされるのです。子として近づきましょう。神様の前では上品すぎてはなりません。

■ローマ2:6神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。
★「その行いによって」と、ここは神様の裁きの規準が明らかです。であれば誰がその規準をクリアーできるでしょうか。皆五十歩百歩です。だからこそ福音が神の恵みによって備えられたのです。この原則を抑えて、今日も生かされている感謝をもって始めましょう。ヒデ

火曜日, 7月 27, 2010

20100727_2サムエル13_エレミヤ17_マタイ28

■2サムエル13:32しかしダビデの兄弟シムアの子ヨナダブは、証言をして言った。「王さま。彼らが王の子である若者たちを全部殺したとお思いなさいませんように。アムノンだけが死んだのです。それはアブシャロムの命令によるので、アムノンが妹のタマルをはずかしめた日から、胸に持っていたことです。13:33今、王さま。王子たち全部が殺された、という知らせを心に留めないでください。アムノンだけが死んだのです。」
★イスラエル統一については偉大な王ダビデ。しかし家庭を納めることにおいては困難を極めます。複数の妻、そばめの子供達の憎しみ合いが原因です。そのことはたとえ王ダビデにもどうしようもありません。ただ神のことばに従う以外に祝福はないのです。そして聖書は明確に「それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」と語ります。蒔いた種は必ず刈り取ることに!良き種を蒔きましょう。

■エレミヤ17:14私をいやしてください。主よ。そうすれば、私はいえましょう。私をお救いください。そうすれば、私は救われます。あなたこそ、私の賛美だからです。
★何と正直な神に向かった告白。私たちも神様への良き賛美をささげさせて頂きましょう。

■マタイ28:20また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
★マタイ1章にはインマヌエルの救い主となるために主が来られたクリスマスの説明が。そしてマタイ福音書最後の主の約束はやはりインマヌエル。それは「私たちと共におられる神」と言う意味です。御自身決して約束をたがえない主は今日もあなたと共にいて下さいます。そしてそのお方はあなたのために天においても地においても一切の権威が授けられているのです。ヒデ

月曜日, 7月 26, 2010

20100726_2サムエル12_エレミヤ16_マタイ27

■2サムエル12:13ダビデはナタンに言った。「私は主に対して罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。
★「あなたがその男です」と、預言者ナタンに兵士ウリヤとその妻バテシェバへの罪を糾弾されたダビデ。その時のダビデの告白が上の御言葉です。何と言う神様の哀れみ深さ。彼が悔い改めると同時に、主もまたダビデの罪を赦されたのです。預言者を通して厳格に罪を指摘する神様のはらわたを受け取りましょう。それは決して裁きの為ではなく赦しのため。また主にあるあなたは勇気を失い、預言者の心を失ってはなりません。あなたのこの世に対する武器は真実な言葉と、愛の心、主はそんなあなたの生き様を喜び助け、用いて下さるのです。

■エレミヤ16:21「だから、見よ、わたしは彼らに知らせる。今度こそ彼らに、わたしの手と、わたしの力を知らせる。彼らは、わたしの名が主であることを知る。」
★何と感謝。やっぱり主はあなたの味方!この言葉に心励まされて、先走り裁くことがありませんように。今週も前に進んで下さる主を仰ぎ見つつ進みましょう。

■マタイ27:17それで、彼らが集まったとき、ピラトが言った。「あなたがたは、だれを釈放してほしいのか。バラバか、それともキリストと呼ばれているイエスか。」27:18ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていたのである。
★使徒信条には「ポンテオ・ピラトのもとに十字架につけられ」と。何という屈辱をピラトは負ったことか。しかし彼はローマの総督として正しさを明らかにする目的のために裁判をすべきであるにも関わらず、それを自分の益のために利用しようとしたのです。聖書はただ「ハイをハイ、いいえをいいえとしないさい」と。これこそがあなたの生涯を誘惑から守り、神様の祝福を受ける秘訣です。主を信じる生き方は、確かに勇気も求められます。しかし、忘れないで下さい。この生き方を選び取るあなたの傍らには、常に真実な主がおられ、あなたを助けて下さることを。ヒデ

日曜日, 7月 25, 2010

20100725_2サムエル11_エレミヤ15_マタイ26

■2サムエル11:5女はみごもったので、ダビデに人をやって、告げて言った。「私はみごもりました。」
★今や王国の全体から信任を受けている王ダビデ。しかしこの時ダビデは王の持つ特権を濫用し、今まさに国のために命をかけて戦っている兵士ウリヤの妻バテシェバを辱めたのです。「私はみごもりました」。この報告ほどダビデの目の前を真っ暗にしたものは、彼の生涯今だかつてあったでしょうか。ここから心に刻みましょう。蒔いた物は必ず刈り取ること。たとえどんな人物であっても、様々な誘惑に対して私は絶対大丈夫と言い得る人はいないこと。さらに、祝福、自由、充実の中でこそ人は神様から離れ、道を踏み外すということを。

■エレミヤ15:16私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。万軍の神、主よ。私にはあなたの名がつけられているからです。
★「私にはあなたの名がつけられているからです」と、恥ずかしがることなく告白する魂はなんと幸いでしょう。神様は聖書を通してはっきりと「あなたは私のものだ」と宣言しておられます。あなたはご存知ですか。

■マタイ26:32しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」
★十字架を前にした主が弟子たちに語った話です。ガリラヤとはどこですか、彼らが生まれ育った故郷でもありますが、そこは彼らが自らの弱さを自覚させられたところでもありました。しかし復活の主はあなたをそこに一人で行かせることはなさいません。私が先にそこに行き、あなたを歓迎するために迎えようと語られるのです。この週も復活の主を見上げつつ神様の恵みの中を歩みましょう。ヒデ

土曜日, 7月 24, 2010

20100724_2サムエル10_エレミヤ14_マタイ25

■2サムエル10:3アモン人のつかさたちは、彼らの主君ハヌンに言った。「ダビデがあなたのもとに悔やみの使者をよこしたからといって、彼が父君を敬っているとでもお考えですか。この町を調べ、探り、くつがえすために、ダビデはあなたのところに家来をよこしたのではありませんか。」10:4そこでハヌンはダビデの家来たちを捕らえ、彼らのひげを半分そり落とし、その衣を半分に切って尻のあたりまでにし、彼らを送り返した。
★かつてダビデがサウル王の妬みのゆえに苦しみを受けた時に助けてくれたハヌンの父ナハシュが死にました。ダビデはその真実に酬いる為に家来を遣わしますが、ナハシュの重臣たちは若き王ハヌンに上の言葉を語ります。そして結局ダビデが遣わした家来を辱め、自ら滅びを選び取るのです。聖書は「悪者は追う者もないのに逃げる」と語り、私たちは計る計りで計りかえされると警告します。大切な事は偽りのない心で普段から生きること。あなたはその為に主を仰ぐのです。

■エレミヤ14:14主は私に仰せられた。「あの預言者たちは、わたしの名によって偽りを預言している。わたしは彼らを遣わしたこともなく、彼らに命じたこともなく、語ったこともない。彼らは、偽りの幻と、むなしい占いと、自分の心の偽りごとを、あなたがたに預言しているのだ。
★言葉が氾濫している時代。目を閉じて心を開き「父よ、聞き分ける霊を私に与えて下さい」と心静める者でありましょう。

■マタイ25:39また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』25:40すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
★神様を愛するとは自分を愛するように隣人を愛すること。困窮の中にある人を助けること。そして愛は言葉だけでなく、行動としてあらわされます。主はあなたのその行動を決して忘れることはなさいません。人生とは、早く行くことでも、いかに多くを所有するかでもなく、分かち合うためにあることを心に刻みましょう。ヒデ

金曜日, 7月 23, 2010

20100723_2サムエル8-9_エレミヤ13_マタイ24

■2サムエル9:1ダビデが言った。「サウルの家の者で、まだ生き残っている者はいないか。私はヨナタンのために、その者に恵みを施したい。」
★イスラエル12部族を統一し王となったダビデが、かつての王サウルの家を預かるツィバに語った言葉が上の御言葉です。聖書には「神に誓願を立てるときには、それを果たすのを遅らせてはならない。神は愚かな者を喜ばないからだ。誓ったことは果たせ。」とありますが、ダビデはこの御言葉を重んじたのです。かつてダビデは「たとい、私が死ぬようなことがあっても、あなたの恵みをとこしえに私の家から断たないでください。主がダビデの敵を地の面からひとり残らず断ち滅ぼすときも。」と語るヨナタンと、とこしえの契約を結んでいたのです。ダビデのように誓ったにもかかわらず果たせていない誓いはないだろうかと、気づきを主に求めることは祝福の生涯を全うする為に外せない土台の一つです。

■エレミヤ13:23クシュ人がその皮膚を、ひょうがその斑点を、変えることができようか。もしできたら、悪に慣れたあなたがたでも、善を行うことができるだろう。
★イスラエルの祝福のために主がどれほど真理の言葉を語っても、結局民は、自らの欲望を満たすため偶像礼拝を。そんな民の姿を主は預言者エレミヤを通して上の御言葉の様に語らせました。人は本質において自分で自分を変えることは出来ません。しかしそれを認めて、主を仰ぐ者のために神様は救いの御手を伸ばして下さいます。ここに希望があるのです。

■マタイ24:10そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。24:11 また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。24:12不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
★主が語られた世の終わりの預言です。まさに今が残念かなそうした時代であることを感じます。襟を正しましょう。主を仰ぎ、豊かな命を受け続けましょう。あなたの場所の用意をし、再び来られる主のおいでは近いのです。ヒデ

木曜日, 7月 22, 2010

20100722_2サムエル7_エレミヤ12_マタイ23

■2サムエル7:18ダビデ王は行って主の前に座し、そして言った。「神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、あなたはここまで私を導いてくださったのですか。
★ダビデは周囲のすべての敵から守られて王国が確立した時、預言者ナタンに「ご覧ください。この私が杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕の中にとどまっています。」と、主の為に杉材の神殿を建てることを自ら進んで願い出ました。その動機と志を喜ばれた主はダビデにとこしえの王国と子孫の繁栄までも約束して下さったのです。その恵みの応答として告白したのが上の御言葉です。この世は自分が栄光を受けようとそれを奪い合います。しかしその前には必ず、当然ささげるべき主への感謝があり、そこには大きな報いが伴うのです。

■エレミヤ12:1主よ。私があなたと論じても、あなたのほうが正しいのです。それでも、さばきについて、一つのことを私はあなたにお聞きしたいのです。なぜ、悪者の道は栄え、裏切りを働く者が、みな安らかなのですか。
★神の裁きに対する疑問がぬぐえない預言者エレミヤ。主は何とあわれみ深い、深すぎる?お方でしょうか。しかし「毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ」と世の終わりには二度と覆すことのない正しい裁きを為されるのです。峻厳なる神様に委ねるべき裁きは委ね、今日あなたが生きるべき道があるのです。

■マタイ23:25わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。
★十字架を前にし「偽善なるかな律法学者、パリサイ人たちよ」と激しい主の叱責が続きます。しかし主の目には涙があったことを忘れてはなりません。単に滅ぼし退ける為ではなく回心を願ってのそれなのです。キリストにある者の動機。それはいつも愛であるべきです。主にあるあなたの心から湧き出る愛が、今日も人々を生かしますように。ヒデ

水曜日, 7月 21, 2010

20100721_2サムエル6_エレミヤ11_マタイ22

■2サムエル6:16主の箱はダビデの町に入った。サウルの娘ミカルは窓から見おろし、ダビデ王が主の前ではねたり踊ったりしているのを見て、心の中で彼をさげすんだ。
★ここでサウルの娘ミカルは「ダビデをさげすんだ」と。しかし聖書はかつてのミカルのダビデへの思いを「サウルの娘ミカルはダビデを愛していた。」と記します。当時は父であるサウル王がダビデの命をゆえなく狙っていた時でした。しかし今や、不従順の為に命を神によって絶たれた父サウル王の亡き後です。ダビデの神への姿勢が変わったわけではありません。ミカルの方が変わったのです。かつては王の娘として安定の中でダビデにあわれみを掛けたミカル。しかし今は妬みとさげすみが心に。人の心から湧きあがる愛について、どれほど人は父の影響を受ける事でしょう。だからこそ私たちは「悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださる」天の父の愛でまず自らが受け止められる体験が生涯で決定的に重要なのです。

■マタイ22:21彼らは、「カイザルのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」
★「税金をカイザルに納めることは法に適っているか。いないのか」。問をする宗教家の心に悪意のあることを読み取った主が彼らに答えた内容が上の御言葉です。大切なことは納税の義務の当然さと合わせ、「神のかたち」に似せて作られた人には「神に帰すべき当然の義務がある」と言うこと。しかし残念なるかな、宗教家はその義務とも言うべき真心と愛を主におささげすることが見えていなかったのです。「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。そしてあなたは命をかけた主の贖いで「神のかたち」を回復された「神のもの」。神様にお返しできる出来るものを持つ人の生涯がいかに光栄かを心に留め、感謝の中を歩みましょう。今日も一日、主はあなたを御自身の誇りとしてこの世に遣わして下さいます。ヒデ

火曜日, 7月 20, 2010

20100720_2サムエル4-5_エレミヤ10_マタイ21

■2サムエル5:4 ダビデは三十歳で王となり、四十年間、王であった。
★かつての主人であるサウル王の子イシュ・ボシェテの首をとってダビデに気に入られようとやって来たバアナとレカブに、ダビデは正しい審判をくだし、それをもて遂にサウル全家からの信頼をも勝ち取り、イスラエル12部族をまとめる王となりました。それはダビデが預言者サムエルから王としての油の注ぎを受け、あのペリシテ人ゴリアテを倒してから十数年後の事でした。
モーセがイスラエルを救う決心をして立ちがあったのは40才。実際に解放者となったのは、その後の40年の荒野の訓練を経た80才の時。神様の選びと召しは変わる事ことなく、やがてリーダーになった彼らです。では何が彼らをリーダとしたのでしょう。目の前に置かれた事柄を一つ一つ主にあって決断した結果と合わせ、時間によって練られた人格であることは否めません。聖書が語るリーダーとは立場ではなく実質です。その道は、今日も目の前に置かれた課題に真摯に向き合おうとするあなたの眼差しの延長線上にあるのです。

■エレミヤ10:23主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。
★エレミヤはこの時、人の道を確立できるお方はただお一人、主であると告白しました。告白によって人の人生は造り上げられます。

■マタイ21:28ところで、あなたがたは、どう思いますか。ある人にふたりの息子がいた。その人は兄のところに来て、『きょう、ぶどう園に行って働いてくれ』と言った。21:29兄は答えて『行きます。お父さん』と言ったが、行かなかった。21:30それから、弟のところに来て、同じように言った。ところが、弟は答えて『行きたくありません』と言ったが、あとから悪かったと思って出かけて行った。
★兄は処世術として頭のみを用いましたが、弟は心を用いました。主は私たちが自ら心を用い判断し、神と人への愛を選び取ることを願われ、それを助けて下さるお方です。今日も健康の為、身体と知性と合わせ、なにより心をも用いさせて頂きましょう。そんなあなたを主は今日も豊かに祝福して下さいます。ヒデ

20100720_2サムエル4-5_エレミヤ10_マタイ21

■2サムエル5:4 ダビデは三十歳で王となり、四十年間、王であった。
★かつての主人であるサウル王の子イシュ・ボシェテの首をとってダビデに気に入られようとやって来たバアナとレカブに、ダビデは正しい審判をくだし、それをもて遂にサウル全家からの信頼をも勝ち取り、イスラエル12部族をまとめる王となりました。それはダビデが預言者サムエルから王としての油の注ぎを受け、あのペリシテ人ゴリアテを倒してから十数年後の事でした。
モーセがイスラエルを救う決心をして立ちがあったのは40才。実際に解放者となったのは、その後の40年の荒野の訓練を経た80才の時。神様の選びと召しは変わる事ことなく、やがてリーダーになった彼らです。では何が彼らをリーダとしたのでしょう。目の前に置かれた事柄を一つ一つ主にあって決断した結果と合わせ、時間によって練られた人格であることは否めません。聖書が語るリーダーとは立場ではなく実質です。その道は、今日も目の前に置かれた課題に真摯に向き合おうとするあなたの眼差しの延長線上にあるのです。

■エレミヤ10:23主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。
★エレミヤはこの時、人の道を確立できるお方はただお一人、主であると告白しました。告白によって人の人生は造り上げられます。

■マタイ21:28ところで、あなたがたは、どう思いますか。ある人にふたりの息子がいた。その人は兄のところに来て、『きょう、ぶどう園に行って働いてくれ』と言った。21:29兄は答えて『行きます。お父さん』と言ったが、行かなかった。21:30それから、弟のところに来て、同じように言った。ところが、弟は答えて『行きたくありません』と言ったが、あとから悪かったと思って出かけて行った。
★兄は処世術として頭のみを用いましたが、弟は心を用いました。主は私たちが自ら心を用い判断し、神と人への愛を選び取ることを願われ、それを助けて下さるお方です。今日も健康の為、身体と知性と合わせ、なにより心をも用いさせて頂きましょう。そんなあなたを主は今日も豊かに祝福して下さいます。ヒデ

月曜日, 7月 19, 2010

20100719_2サムエル3_エレミヤ9_マタイ20

■2サムエル3:39この私は油そそがれた王であるが、今はまだ力が足りない。ツェルヤの子らであるこれらの人々は、私にとっては手ごわすぎる。主が、悪を行う者には、その悪にしたがって報いてくださるように。」
★今は亡きサウル王に仕えた将軍アブネルとダビデに仕える将軍ヨアブの間では王ダビデの知らない所で激しい権力闘争が。そしてヨアブは自分の兄弟アサヘルの血に酬いるために、アブネルの腹を剣で刺し通して殺したのです。あなたに力が増し加われば加わるほど、あなたの回りには恵みと共に、あなたの立場を利用し、自らの思いをなし遂げようとする人も集います。その時ダビデが祈った祈りが上の祈りです。私たちも「試みに合わせないで悪しき者からお守り下さい。」と主の祈りを心を込めて祈りましょう。

■エレミヤ9:8彼らの舌はとがった矢で、欺きを語る。口先では友人に平和を語るが、腹の中では待ち伏せを計る。9:9これらのために、わたしは彼らを罰しないだろうか。─主の御告げ─このような国に対して、わたしが復讐しないだろうか。」
★主はあなたがおかれているこの地が、上の聖書の言葉の様であることを知って下さっています。だからこそ私たちは、岩なる主の裂け目に隠れ込み、細き主の御声に耳を傾けるのです。

■マタイ20:28人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」
★人生の目的とはまさに「分かち合うこと」と、そのことが主によってここで明確に。しかしこの前には他の弟子に隠れて「イエス様。あなたが御国の位に着かれた時には私の二人の息子をあなたの右と左においてやって下さい」と願う母の姿が。何と多くの人が損しないこと、騙されないこと、少しでも他の人より得することを人生の目的にして、友さえも出し抜こうとすることでしょう。残念です。しかし主は「分かち合うこと・愛し合うこと」こそが人生の目的だと示されたのです。この神の国の価値観に生きる者の為には全てのものを備え給う主がおられることを証詞する為にあなたは召し出されました。主があなたと共におられます。ヒデ

日曜日, 7月 18, 2010

20100718_2サムエル2_エレミヤ8_マタイ19

■2サムエル2:14アブネルはヨアブに言った。「さあ、若い者たちを出して、われわれの前で闘技をさせよう。」ヨアブは言った。「出そう。」2:15そこで、ベニヤミンとサウルの子イシュ・ボシェテの側から十二人、ダビデの家来たちから十二人が順番に出て行った。2:16彼らは互いに相手の頭をつかみ、相手のわき腹に剣を刺し、一つになって倒れた。それでその所はヘルカテ・ハツリムと呼ばれた。それはギブオンにある。
★サウル王亡きあともサウルの兵士とダビデの兵士との間で憎み合いが。しかしよく考えるなら彼らは皆ヤコブの子孫、イスラエル12部族の一員で兄弟でした。一人の人の罪深さ、不従順がもたらす影響の大きさを思います。罪は決して自分だけに留まらず、結果的には最も愛する者をも巻き込むもの、だからこそ聖書は神の前に罪は告白し離れなさいと語るのです。

■エレミヤ8:10それゆえ、わたしは彼らの妻を他人に与え、彼らの畑を侵略者に与える。なぜなら、身分の低い者から高い者まで、みな利得をむさぼり、預言者から祭司に至るまで、みな偽りを行っているからだ。8:11彼らは、わたしの民の娘の傷を手軽にいやし、平安がないのに、『平安だ、平安だ』と言っている。
★今や大国バビロンがイスラエルを飲み尽くそうとしているのに「大丈夫。大丈夫」とにせ預言者は語ります。しかし聖書は「人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。」と警告します。大丈夫かどうかの規準は神の言葉。神の言葉に留まり続ける以外に自分を守る術はないのです。

■マタイ19:2 弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるのでしょう。」19:26イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」
★「人には出来なくても神にはできる」これが聖書の語る究極です。それを実証したのが神たるキリストが人となって来られた受肉(クリスマス)であり身代わりの十字架です。信仰とはこのお方を見上げること。さあこの一日も主を仰ぎ、始めましょう。ヒデ

土曜日, 7月 17, 2010

20100717_2サムエル1_エレミヤ7_マタイ18

■2サムエル1:14ダビデは言った。「主に油そそがれた方に、手を下して殺すのを恐れなかったとは、どうしたことか。」1:15ダビデは若者のひとりを呼んで言った。「近寄って、これを打て。」
★ペリシテ軍との戦いで深い傷を負い、自ら剣に覆い被さり命を絶ったサウル。しかしダビデの前に報告に出た青年は「ひどいけいれんが起こったのでサウル王が、この私に殺してくれと頼んだのでそうしました」と。この青年はダビデから誉れを受けれると思いそう語りました。が、ダビデは「主が油注がれた方の命にふれることを畏れなかったのか」と。「主が油注がれた者を畏れる」べき。それがダビデの一貫した姿勢であり、結果として神様の祝福を受けることになったスピリットでした。聖書は「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです」と。よって立てられた両親、夫、先生、上司の祝福を祈るとこは大切で、反発反抗でなく和解の道の模索が祝福です。

■エレミヤ7:5もし、ほんとうに、あなたがたが行いとわざとを改め、あなたがたの間で公義を行い、7:6在留異国人、みなしご、やもめをしいたげず、罪のない者の血をこの所で流さず、ほかの神々に従って自分の身にわざわいを招くようなことをしなければ、7:7わたしはこの所、わたしがあなたがたの先祖に与えたこの地に、とこしえからとこしえまで、あなたがたを住ませよう。
★神様を愛するとは公義とあわれみに生きること。これが昔も今も変わることのない祝福の選択です。

■マタイ18:21そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」18:22イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。
★「無限に」と言うことは「赦し」とは自分の力や頑張りで与えることのできるものではなく、聖霊様の力によって開かれるもの。そして今日も神様に向かって開かれたあなたのその心に、聖霊様は喜んで住まわれます。ハレルヤ。ヒデ

金曜日, 7月 16, 2010

20100716_1サムエル31_エレミヤ6_マタイ17

■1サムエル31:3攻撃はサウルに集中し、射手たちが彼をねらい撃ちにしたので、彼は射手たちのためにひどい傷を負った。31:4サウルは、道具持ちに言った。「おまえの剣を抜いて、それで私を刺し殺してくれ。あの割礼を受けていない者どもがやって来て、私を刺し殺し、私をなぶり者にするといけないから。」しかし、道具持ちは、非常に恐れて、とてもその気になれなかった。そこで、サウルは剣を取り、その上にうつぶせに倒れた。
★これがサウル王、生涯最後の記述であり残念です。なぜ主は「わたしはサウルを王としたことを悔いる。」と語られたのか。それは彼が心からの悔い改めをしなかったから。聖書には「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない」と記述が。悔い改めの機会が与えられていること自体、祝福でありチャンスであることを覚えたいものです。

■エレミヤ6:9万軍の主はこう仰せられる。「ぶどうの残りを摘むように、イスラエルの残りの者をすっかり摘み取れ。ぶどうを収穫する者のように、あなたの手をもう一度、その枝に伸ばせ。」
★ぶどうの収穫の時、農夫は良い実を取り残して無駄にしないように、同様に神様は「私を畏れる正しい人が捨てられてしまわないように。」と預言者に注意を促します。それは時代の暗さをいたまれると共に、その中にあっても神様は、神を畏れるあなたを覚え、支えて下さっていると言うことです。

■マタイ17:17イエスは答えて言われた。「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。その子をわたしのところに連れて来なさい。」
★ここは、てんかんの癒しを求めて訪れた親子に、弟子たちが右往左往しつつ対応しても癒されなかった後、主が弟子たちに語られたことばです。「その子を私の所に」。ここに生じた問題の解決法が。そう、問題の解決は主の中に。祈りはその問題・課題を主のもとにもって行く手段。さあ今日も主の前に課題を持ち出し、委ねて一日を始めましょう。主はあなたを祝福して下さいます。ヒデ

木曜日, 7月 15, 2010

20100715_1サムエル29-30_エレミヤ5_マタイ16

■1サムエル29:8ダビデはアキシュに言った。「私が何をしたというのでしょうか。私があなたに仕えた日から今日まで、このしもべに何か、あやまちでもあったのでしょうか。王さまの敵と戦うために私が出陣できないとは。」29:9アキシュはダビデに答えて言った。「私は、あなたが神の使いのように正しいということを知っている。だが、ペリシテ人の首長たちが、『彼はわれわれといっしょに戦いに行ってはならない』と言ったのだ。
★ダビデの生涯における数少ない汚点です。執拗なサウル王の脅威から逃れて、以前気が違った者を装ったガテのアキシュ王のもとに逃げ込んだダビデ。ところがペリシテ人とアキシュは同盟を結び、今やイスラエルに向かおうとしているのです。そしてペリシテ人がダビデの存在を知ったとき「彼は私たちの首をもって主君サウルの好意を得ようとしないでしょうか」と語ります。その時のダビデの反論が上の言葉。しかしこの場面は神様が憐れみによってダビデが神の民イスラエルと戦わなくても済むようにして下さった箇所で、ダビデがアキシュ王に上の言葉を誓っても、いざ戦いに出たならば上滑りせざるを得ない言葉でした。言うべきでない言葉。しかし私たちもダビデの様に時に失敗を……。けれどそれ以上に輝くのは神様の選びの器に対する憐れみです。そしてあなたもその選びの器の一人として神様から選び出されたのです。主があなたの生涯を勝利の右の手をもって支えて下さるために。

■エレミヤ5:18しかし、その日にも、【─主の御告げ─】わたしはあなたがたを、ことごとくは滅ぼさない。」

■マタイ16:19わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
★「あなたこそ生ける神の御子キリストです」と告白する人に、神様は驚くばかりの特権を授けて下さいました。さてその特権である鍵はどこで力を発揮するのでしょう。鍵穴です。今日も託された鍵を用いて、あなたが神の国の支配を広める鍵穴がどこにあるか見出し、それを用いることが出来ますように。ヒデ

水曜日, 7月 14, 2010

20100714_1サムエル28_エレミヤ4_マタイ15

■1サムエル28:19主は、あなたといっしょにイスラエルをペリシテ人の手に渡される。あす、あなたも、あなたの息子たちも私といっしょになろう。そして主は、イスラエルの陣営をペリシテ人の手に渡される。28:20すると、サウルは突然、倒れて地上に棒のようになった。
★上の言葉は霊媒の女にサウル王が「死んだサムエルを呼び出して欲しい」と願った時、呼び出された預言者サムエルがサウル王に語った言葉です。「あすあなたも息子達も私と一緒になる。」すなわち死ぬと。それで彼は突然棒の様になって地に倒れたのです。彼が主の言葉を退けて以来、主は彼に語られず、その為サウル王は口寄せ霊媒に頼ることがありました。しかしそれらに頼る時、もっと彼自身苦しめられる為、口寄せ霊媒をイスラエルから彼が追い出し禁じていたのです。にも関わらずペリシテ人が迫り来る中、誰も頼る者がいなくなったサウルは自らその禁じ手を破り口寄せを。
神様から離れた人間が落ちて行く姿が残念ながらここに。混乱から混乱。混沌から混沌。こうなる前に本来彼は「あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。」の御言葉に従い心を裂くべきでした。
更に霊媒の女を通して呼び出されたサムエルとは本当に今や主の懐に憩う彼だったのでしょうか。非常に怪しいです。むしろそれは人を混乱から混乱へと導く、惑わす霊に他なりません。だからこそ真の神様は聖書を通し、決して口寄せ霊媒占いをしてはならないと。決してしてはならないのです。もしあなたにその経験があるなら今その関係を断ち切ります。「汚れた霊よこの人から立ち去れ。今までの関係をキリストの血潮によって破棄する。今キリストの御名によってそれを宣言する。この人はキリストの者である」。
あなたが真に信頼すべきお方、それは胎内にいる時から白髪になる迄あなたを担い「私は造ったゆえ必ず負い持ち運びかつ救う」と語って下さる神様です。あなたは神様に愛されている者。ゆえに今日もこのお方以外にではなくこのお方に聞いていいのです。さあ今日も「主よ感謝します。よろしくお願いします」と遣わされていきましょう。目には見えませんが主があなたの前を進んで下さっていますよ。ヒデ

火曜日, 7月 13, 2010

20100713_1サムエル26-27_エレミヤ3_マタイ14

■1サムエル26:21サウルは言った。「私は罪を犯した。わが子ダビデ。帰って来なさい。私はもう、おまえに害を加えない。きょう、私のいのちがおまえによって助けられたからだ。ほんとうに私は愚かなことをして、たいへんなまちがいを犯した。」
★以前三千人の精鋭をえり抜き、ダビデ討伐に出かけたサウルは洞穴から出た所で、自らの衣の裾だけを切ったダビデが「王よ、私があなたに対する殺意の無いことをご承知下さい」と語ったとき、「あなたは私よりも正しい。主が私をあなたの手に渡されたのに私を殺さなかったからだ」と泣きながら語り、殺意をもってダビデを追うことを悔い、止めたはずでした。ところがここでサウル王は再度ダビデ討伐に出かけるのです。
上の言葉は、野営している討伐隊の中心で眠っているサウル王のテントの中から槍と水差しだけを取り、丘の上に登ったダビデがサウル軍の将軍アブネルに「なぜお前は王を守るために見張っていないのか」とサウル王への殺意のないことを示した時、サウル王みずから語った言葉です。
自己保身の為にダビデ(人)を信じる事が出来なくなったサウル王の姿は何とあわれで惨めなことでしょう。しかし、これが語りかけられる神の言葉がありながら、それを無視し続けることによって、心の深い部分に責めを感じ続ける者が払うことになる代償です。彼に必要なのは敵を追い、攻めることでもなければ、何かに没頭して気を紛らわすことでもありません。ただ神様への真の悔い改めが必要なのです。真に明け渡しきれない罪によって、あるは真に悔い改め切れない生き様によってどれほど多くの人が心の平安を保つことが出来ず苦しんでいることでしょう。サウルを教訓としたいものです。
さらにあなたの回りには訳なくサウル王のようにあなたを傷付けようとするものがありますか。ダビデはその時「主は生きておられる。主は、必ず彼を打たれる。彼はその生涯の終わりに死ぬか、戦いに下ったときに滅ぼされるかだ。」と、主の裁きにサウルを委ね、自ら罪を犯すことをしませんでした。イエス・キリストは「世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」と語られます。さあ勇気をもって今週も罪に手を染めぬ生き方を全うさせて頂きましょう。主があなたを助けて下さいます。ヒデ

月曜日, 7月 12, 2010

20100712_1サムエル25_エレミヤ2_マタイ13

■1サムエル25:34私をとどめて、あなたに害を加えさせられなかったイスラエルの神、主は生きておられる。もし、あなたが急いで私に会いに来なかったなら、確かに、明け方までにナバルには小わっぱひとりも残らなかったであろう。」25:35ダビデはアビガイルの手から彼女が持って来た物を受け取り、彼女に言った。「安心して、あなたの家へ上って行きなさい。ご覧なさい。私はあなたの言うことを聞き、あなたの願いを受け入れた。」
★荒野にいるナバルの羊と僕たちを守ったダビデとその家来。しかしナバルはそんなダビデに「ダビデとは、いったい何者だ。このごろは、主人のところを脱走する奴隷が多くなっている。私のパンと私の水、それにこの肉を取って、どこから来たかもわからない者どもに、くれてやらなければならないのか。」と語ります。その報告を聞いたダビデは即座に「剣を付けよ」と、ナバルにかかわる者の全てを殺すために出で立ちます。しかし夫ナバルの愚かを聞いた妻アビガイルは、用意できるだけのパンと肉とぶどう酒を携えてダビデのもとに謝罪に向かいダビデに出会った時にこう語るのです。「主が、あなたについて約束されたすべての良いことを、ご主人さまに成し遂げ、あなたをイスラエルの君主に任じられたとき、むだに血を流したり、ご主人さま自身で復讐されたりしたことが、あなたのつまずきとなり、ご主人さまの心の妨げとなりませんように。ナバルは本当に愚か者です。どうぞこの私に免じておゆるし下さい」。
このアビガイルの言葉を受けて語ったのが冒頭のダビデの言葉で、彼女はダビデの怒りを収めたのです。配慮の無さと高慢、またその人の愛のわざを見抜けず人の心に油を注ぐナバルの様な者があるかと思えば、アビガイルの様に、怒りに燃える心に理解と慰め、あるいは感謝をもって臨み、その人の心の嵐が静まるように助ける執り成し手もいます。私たちは愚か者ナバルにならないように、感謝を忘れ恩を仇で返す者であってはなりません。また私たちには怒りに燃える心に理解と慰めをもって関わって下さり、私たちの心の嵐を沈めて下さる救い主であり友なる主イエス様が必要です。今週もこのお方と共に歩みましょう。ヒデ

日曜日, 7月 11, 2010

20100711_1サムエル24_エレミヤ1_マタイ12

■1サムエル24:19人が自分の敵を見つけたとき、無事にその敵を去らせるであろうか。あなたがきょう、私にしてくれた事の報いとして、主があなたに幸いを与えられるように。24:20あなたが必ず王になり、あなたの手によってイスラエル王国が確立することを、私は今、確かに知った。
★これは妬みのゆえにダビデを殺そうと謀るサウル王がダビデに直接語りかけた言葉です。その背景には三千人の精鋭をえり抜いてのダビデ討伐でサウルは用をたすため、たまたまほら穴に。しかしそこにはダビデと部下が息を潜めて身を隠していた場所だったとは。「今こそ、主があなたの手にサウル王を渡して下さった時です。さあ一突きにして殺して下さい。」そう迫る部下達でしたがダビデは「どうして主が油注がれた人に手を掛ける事ができようか」と、衣の裾だけを切り、サウロが洞穴から出たところで、皆の見ている前でその切った衣の裾を示しつつ殺意の無いことを示したのです。このダビデの姿から神様を畏れる生き様を教えられます。報復は私のすることではなく主の為されること。そしてこの姿勢が結局彼をイスラエルの王へと導いたのです。神様を信じ神様を畏れる者にはそれにふさわしい生き様のあることを覚えましょう。蒔いた種は必ず刈り取ることになるのです。

■エレミヤ1:7すると、主は私に仰せられた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。1:8彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。
★無理もないように思います。二十歳ほどのエレミヤに預言者としての重荷が担わされたのですから。自らの乏しさを見てその職の不可能なことを彼は並べ立てようとします。が、しかし主は「まだ若いというな」と語られたのです。人は逃げようと思えば、あるいは使命を回避しようと思えばいくらでも出来るもの。けれども彼はここで主の言葉を信じて立ち上がったのです。「まだ若いというな」とはあなたにとってはどんな意味となるのでしょう。不可能を、乏しさを数えたらきりはありません。しかし主を信じて立ち上がるとき、あなたは主にあって事を成し遂げる人になるのです。その為にあなたは召し出されました。祝福はあなたの前に既に主がおいて下さっています。さあ主の約束を信じて立ち上がりましょう。ヒデ

土曜日, 7月 10, 2010

20100710_1サムエル23_イザヤ66_マタイ11

■1サムエル23:26サウルは山の一方の側を進み、ダビデとその部下は山の他の側を進んだ。ダビデは急いでサウルから逃げようとしていた。サウルとその部下が、ダビデとその部下を捕らえようと迫って来ていたからである。23:27そのとき、ひとりの使者がサウルのもとに来て告げた。「急いで来てください。ペリシテ人がこの国に突入して来ました。」23:28それでサウルはダビデを追うのをやめて帰り、ペリシテ人を迎え撃つために出て行った。こういうわけで、この場所は、「仕切りの岩」と呼ばれた。
★妬みのゆえにダビデを殺そうと謀るサウル王。権力をもってダビデを追い詰め、ついにその目的を成し遂げる日が目前に。しかし「王よ。急いで帰って下さい。敵ペリシテ人が国に突入してきましたから」とサウル王は使者を通してその知らせを聞かされます。危機一髪の状況に追い込まれたダビデ。しかし他でもない主ご自身がペリシテ人さえ用いてダビデの命をサウル王の罠から守って下さったのです。そう主を畏れる者の命は神様ご自身がその懐の中にかき抱き守られます。あなたも決して例外ではありません。

■マタイ11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
★主はあなたに安息を与えるために私のもとに来なさいと招かれるお方です。そしてあなたが安息の中を生きるため、ここは大切なことを教えます。知って下さい。人は負うべき重荷と、負ってはならない重荷があることを。負うべきは主が負わせて下さる使命やビジョン。負ってはならないのは罪の報酬。絶望。死の不安。これらは人間が自ら犯した罪の結果当然負うものでしたが、その代価を主は十字架の上で御自身の命をもって払って下さったのです。だからあなたは絶望に留まってはなりません。あなたは十字架を仰いで生きるのです。それが心からの主の願いです。今日も主の願いを受け取り、主の命と赦しの中を歩みましょう。ヒデ

金曜日, 7月 09, 2010

20100709_1サムエル21-22_イザヤ65_マタイ10

■1サムエル21:13それでダビデは彼らの前で気が違ったかのようにふるまい、捕らえられて狂ったふりをし、門のとびらに傷をつけたり、ひげによだれを流したりした。21:14アキシュは家来たちに言った。「おい、おまえたちも見るように、この男は気が狂っている。なぜ、私のところに連れて来たのか。
★妬みのゆえにサウル王に命を狙われるダビデの苦しみはいかばかりだったでしょう。彼はここにあるように、時に気が違った者の様に立ち振る舞わなければ、自らを守れないほどの窮地に立たされたのです。しかし彼はその苦しみの中で主への祈りを詩篇とし、自らを保ちました。詩篇34「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。」はまさにこの時の彼の祈りです。
それにしてもこの時「困窮している者、負債のある者、不満のある者たちもみな、彼のところに集まって来たので、ダビデは彼らの長となった。こうして、約四百人の者が彼とともにいるようになった。」と聖書は紹介しますが、彼は不平不満の渦に自らを投じて、決して自らを失うことはありませんでした。徹底した神様への畏れの姿勢を貫くダビデ。こうして神様はイスラエルの王としての備えを着々とダビデの生涯になして行かれたのです。あなたは今どんな状況にありますか。たとえいかなる状況の中に置かれても、神様を畏れる人への約束はひとつ。1ペテロ5:10の通りです。
「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」この約束を受け取りましょう。そして揺るぎない人生を生きるのです。

■マタイ10:19人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。
★大丈夫です。だから今日も肝心なとき主を仰ぐのです。ヒデ

木曜日, 7月 08, 2010

20100708_1サムエル20_イザヤ64_マタイ9

■1サムエル20:30 サウルはヨナタンに怒りを燃やして言った。「このばいたの息子め。おまえがエッサイの子にえこひいきをして、自分をはずかしめ、自分の母親の恥をさらしているのを、この私が知らないとでも思っているのか。20:31エッサイの子がこの地上に生きているかぎり、おまえも、おまえの王位も危うくなるのだ。今、人をやって、あれを私のところに連れて来い。あれは殺さなければならない。」
★息子ヨナタンをあらんかぎりの言葉をもって叱責するイスラエルの王サウル。サウルは息子を愛していなかったからでしょうか。いいえ王として他の父に勝って息子を愛していたと言えるでしょう。「ダビデが民衆の人気を博する事はお前の将来の王としての立場が危うくなるんだぞ。なのに、なぜダビデの肩を持つのか。私はただお前の将来の為を思って行動しているんだぞ。お前は、この父の気持ちが分からないのか。」その結果「このばいたの息子め」と最悪の言葉となったのです。まさに息子の将来と心を勝ち取ろうと願いつつ、自ら息子の心を引き裂き、踏みにじる結果となりました。どこに問題が。それは民の心を引き付けつつも自ら損をしないようにと上手に立ち振る舞う2面性のあるサウルの生き方でした。あなたは多くの人に尊敬され信頼されている人ですね。そんなあなたを信頼する人や、神様があなたに求めておられる生き方は、純粋に生きようとするあなた本来の生き方であり価値観です。あなたを大切に思う人も、神様もその生き方を応援して下さっています。主にあって輝きましょう。

■マタイ9:12イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。9:13『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
★正しい聖書知識は私たちを救います。神様に近づく人生ではなく、神様から遠ざかろうとする生き方。それを聖書は罪と呼び、その意味において全ての人は罪人であり医者を必要とするのです。しかしそれを認める人には、おしげもなく注がれるキリストの赦しと愛の特権が。キリストにあって新たにされたあなたは今日もこのキリストの愛を受け取って輝くのです。ヒデ

水曜日, 7月 07, 2010

20100707_1サムエル19_イザヤ63_マタイ8

■1サムエル19:9ときに、わざわいをもたらす、主の霊がサウルに臨んだ。サウルは自分の家にすわっており、その手には槍を持っていた。ダビデは琴を手にしてひいていた。19:10サウルが槍でダビデを壁に突き刺そうとしたとき、ダビデはサウルから身を避けたので、サウルは槍を壁に打ちつけた。ダビデは逃げ、その夜は難をのがれた。
★イスラエルを救うために戦ったダビデに対し、サウル王の息子ヨナタンもダビデの妻となったサウル王の娘ミカルも、心からの尊敬と信頼を寄せていました。ゆえに彼らは父に「ダビデを憎まないで」と説得します。そして父サウル王も「そうしよう」と。けれども御霊がサウル王に臨んだ時に、彼は上記の如くダビデを槍で刺し殺そうとしたのです。聖書は、御霊は人の心の奥底の思いさえも明らかにすると紹介します。自分さえ気づかなかった罪深さに気づかされた時、そこには御霊様の恵みの介入があり、思いやりがあるのです。その恵みに対する応答によって人の人生は変わります。

■イザヤ63:9彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。
★あなたは知っていらっしゃいましたか。これまでのあなたの生涯どんな時にも決して一人ではなかったことを。主は絶えずあなたと共におられたのです。そしてあなたが苦しみの中にある時、このお方もあなたの苦しみに心を合わせ、あなたがそこから脱出できるよう支え続けて下さっていたのです。いいですか。あなたは一人ではありません。主の瞳の中には常にあなたと言うかけがえのない存在があるのです。

■マタイ8:3イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐに彼のツァラアトはきよめられた。
★知って下さい。主は決して主に近づくあなたを退けるお方ではありません。そうではなく、かかわり、手を伸ばして下さるのです。今日もあなたはこのお方の愛と真実の御手に触れられて一日遣わされます。ヒデ

火曜日, 7月 06, 2010

20100706_1サムエル18_イザヤ62_マタイ7

■1サムエル18:7女たちは、笑いながら、くり返してこう歌った。「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」18:8サウルは、このことばを聞いて、非常に怒り、不満に思って言った。「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。」18:9その日以来、サウルはダビデを疑いの目で見るようになった。
★これは巨人ゴリアテをはじめ、王の命令によって送り出された戦に、ことごとく勝利を治めたダビデを迎えに出た、イスラエルのむすめ達の言葉を聞いたサウル王の反応です。ここには命のないリーダーと、真に命あるリーダーの対比が明確です。物事で何が一番大変かと言えば自分の後を次ぐ後継者を育てること。よって真のリーダーは自分を越える後継者が起こったなら、これほどの光栄と喜びはありません。しかし命のないリーダーにあっては同じ事が妬みとなるのです。あなたは人の成長を喜べる人ですか。それとも妬む人ですか。共に喜び続ける人であれるよう自分自身主の御手の中で成長させて頂くのです。

■マタイ7:24だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
★主によって語られた山上の説教を締め括る譬えがこの話です。岩の上に家を建てた賢い者と、砂の上に家を建てた愚かな者との対比はあまりにも有名で、その結果は誰もが知るところ。洪水が来ようが嵐が来ようが倒れなかったのは、もちろん岩の上に建てた方。しかし賢い者と愚かな者を分ける規準は?と言われるとそれは時に曖昧です。その違いは岩なるキリストを土台とするか、しなかったかということですか。いいえ違います。キリストの言葉を聞いてもそれを素通りにするかしないかです。すなわちキリストの言葉は、ただありがたい話として聞き流すものではないと言うことです。是非生きようとする決心をして下さい。そして新たな一歩を主と共に踏み出すのです。その時あなたの足と存在は御使いと主の御腕に支えられていることを発見するのです。「見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた」これがあなたへの主の約束です。ヒデ

月曜日, 7月 05, 2010

20100705_1サム17_イザヤ61_マタイ6

■1サムエル17:39ダビデは、そのよろいの上に、サウルの剣を帯び、思い切って歩いてみた。慣れていなかったからである。それから、ダビデはサウルに言った。「こんなものを着けては、歩くこともできません。慣れていないからです。」ダビデはそれを脱ぎ、17:40自分の杖を手に取り、川から五つのなめらかな石を選んできて、それを羊飼いの使う袋、投石袋に入れ、石投げを手にして、あのペリシテ人に近づいた。
★ダビデ以外の兵士はペリシテの代表戦士ゴリアテの280センチの体格とその轟きのような声に支配され、立ち上がることが出来ません。しかしダビデは王の鎧を脱ぎ、河原で拾った5つの石と石投げを持ち、ゴリアテの声にではなく「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。」とゴリアテを倒したのです。人の人生と価値は何を見ているかによって変わります。見上げ信頼すべきお方は主。大事にすべきは「しかし私は、主の御名によって…」のスピリットです。

■マタイ6:31そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。6:32こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。6:33だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。6:34だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
★主イエス様は山上の説教の全体を通して人生には優先順位があることを教えられました。神様は私たちが敬虔な宗教家となることを願っておられる訳ではありません。この世には、すれば良いことは一杯です。しかし神様は良い事ではなく、あなたが神に託された御心を、キリストと共に行う人となることを願っておられるのです。この世に遣わされるあなたが、今週もその所で御国をこの地にもたらすものとなりますように、キリストの御名で祝福します。ヒデ

日曜日, 7月 04, 2010

20100704_1サムエル16_イザヤ60_マタイ5

■1サムエル16:6彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「確かに、主の前で油をそそがれる者だ」と思った。16:7しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」
★サウルを王位から退けた神様はエッサイの子供達の中にその器を見つけ預言者サムエルを遣わします。長男エリアブを見たサムエルはまさにこの人物がと。しかしその時主が語られた言葉が上の6節のお言葉です。別にエリアブや後から次ぎ次ぎと連れて来られる7人の兄弟たちが悪いと言うのではありません。しかし国を治めるリーダーとなるべき人ではないと言うのです。そして主はダビデに王としての油をサムエルによって注がれました。なぜダビデが…?それがこのサムエル記のテーマです。そしてそれはまさに神の国を治めるために召し出されたあなたのテーマです。興味を持ってその真理を発見することをお勧めします。

■イザヤ60:1起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。60:2見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる。60:3国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。
★上の御言葉は平たく言うと。「あなたは自らを誰と心得るか」「あなたは我が誇りの息子、娘ではないか」と言うことです。これは他でもない、あなた自身の自覚の問題です。あなたはこの真理を既に受け取りましたか。遠慮しなくて良いのです。受け取って主の輝きの反映の中に歩みましょう。

■マタイ5:8心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。
★ここは有名な山上の説教の一節です。そしてここにキリスト教の本質が。きよいとは単一の意。混ざりものではないと言うこと。すなわちキリスト教はお参りの宗教ではなく、信じた所に従って生きるもの。だから神様の奇蹟を拝し、神様が生きておられることを体験できると言うのです。生きましょう。あなたのために全ての事を成し遂げて下さる主を信じて。ヒデ

土曜日, 7月 03, 2010

20100703_1サム15_イザヤ59_マタイ3-4

■1サムエル15:22するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。
★恵みによってイスラエル最初の王となったサウル。しかし彼は神様から命じられたことよりも民を恐れて物事を曖昧に処理しようとする者でした。主は預言者サムエルを通しそんなサウルに「私は悔いる」と語られます。以下はそれ以降のやり取りです。「私は主の言葉を守りました。」「ではこれはなんですか」「それは私ではなく民のせいです」「いい加減止めなさい。言い訳は」「私は罪を犯しました。でも今は人々の前で、王としての私の面目を立てて下さい」。聖書は人を恐れると罠に陥ると明確に語ります。また罪を悔い改めようと言う者が「今は人の前での面目を立てさせて」とはゼスチャーでなくて何でしょう。最初は素晴らしいスタートを切ったサウル。にも関わらず彼は神の関心から人の関心に心を奪われ、結果全てを失うことになったのです。繁栄と栄誉のそばには常に罠が!しかしそれを主の助けによって退けてこそ、イスラエルを治める王足りうるのです。主の恵みの光の中で心の動機の点検を日毎に頂ける私たちは何と幸いなことでしょう。

■イザヤ59:1見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。59:2あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。
★上記御言葉は、罪とは神様の側に関することでなく、私に与えられた自由をいかに私が用いるかである事を教えます。委ねられている自由をもってキリストの十字架を仰ぎましょう。

■マタイ4:19イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」4:20彼らはすぐに網を捨てて従った。
★「ついて来なさい」と、主は召し出されるお方。そしてその中にある希望を受け取れるようにと備えられたのが今日一日。あなたの前を進んで下さる主がこの朝も見えますか。ヒデ

金曜日, 7月 02, 2010

20100702_1サムエル14_イザヤ57-58_マタイ1-2

■1サムエル14:45すると民はサウルに言った。「このような大勝利をイスラエルにもたらしたヨナタンが死ななければならないのですか。絶対にそんなことはありません。主は生きておられます。あの方の髪の毛一本でも地に落ちてはなりません。神が共におられたので、あの方は、きょう、これをなさったのです。」こうして民はヨナタンを救ったので、ヨナタンは死ななかった。
★ペリシテ軍の脅威から、勇敢な行動ゆえにイスラエルに勝利をもたらしたサウル王の息子ヨナタン。しかし父サウル王は、極度のプレッシャーの中で「夕方、私が敵に復讐するまで、食物を食べる者はのろわれる」と。結局その父の言葉を聞く前に戦いにでたヨナタンと道具持ちは戦いに勝利を治めますが、途中ミツバチの巣の蜂蜜に手をつけ、王の命令に背いた者として罪に問われてしまったのです。その全容を知った時サウル王は息子ヨナタンに対して「あなたは死ななければならない」と。しかし民が冒頭の言葉を語りヨナタンを死から免れさせたのです。ここからリーダーは極度のプレッシャーの中に置かれた時、いかに自らを処すべきか。また例え王と言えども間違った判断をした時、その王に対して進言する事のできる勇気ある民のあることの幸いを覚えます。またサウル王はイスラエルに勝利をもたらした息子ヨナタンを王の命令を破った者として、本心では殺したくなくても立場上「死ななければならない」と語らざるを得なかったのです。そう思うと何と国を愛し、王を愛し、会社を愛し、家庭を愛し、教会を愛して、リーダーに進言することのできる勇気ある人物のいる共同体は幸いなことか。また、立てられたリーダーは本当に共同体を愛する者の進言を聞き分ける心と謙虚さが求められる事でしょう。キリストにあるものとされ、なくてはならない共同体の中に世の光、地の塩として遣わされるお一人お一人を主が今日も豊かに祝福して下さいますように。主はこの朝もあなたの祈りに耳を傾け、あなたと共に戦い勝利を治めて下さるお方です。ハレルヤ ヒデ

木曜日, 7月 01, 2010

20100701_1サムエル13_イザヤ56_黙示21-22

■1サムエル13:11サムエルは言った。「あなたは、なんということをしたのか。」サウルは答えた。「民が私から離れ去って行こうとし、また、あなたも定められた日にお見えにならず、ペリシテ人がミクマスに集まったのを見たからです。13:12今にもペリシテ人がギルガルの私のところに下って来ようとしているのに、私は、まだ主に嘆願していないと考え、思い切って全焼のいけにえをささげたのです。」
★全焼のいけにえをささげる日を決めたのはサムエル。けれども預言者サムエルの到着は1週間遅れ、しかも自分たちの2倍以上のペリシテの軍隊の圧迫によって兵士がサウルのもとを去ることを恐れて、預言者でもない王サウルは全焼のいけにえをささげてしまったのです。遅れたのはサムエルなのに。しかしここからリーダーにとってのなくてはならない気質が何かが浮かび上がります。それは人の目を恐れない。人気に支配されない。むしろその心を捕らえられる必要があるのは神への畏れと御心を神様の方法によって成し遂げる決断です。リーダーは試されざるを得ず、しかも誘惑も一杯です。ただ主に目を留めましょう。それ以外勝利の道はないのですから。

■イザヤ56:7わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。
★私たちの祈りを楽しみへと導くのはイエス様。祈りの言葉も願いもまずは脇において、イエス様を思いましょう。新しいことはそこからおこることを信じます。

■黙示録22:18私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。22:19また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。
★ここに外せない聖書の本質が。それは聖書は神様が人にお与え下さった契約書と言うこと。だから加えても削除もならないというのです。信じて文字どおり、永遠の祝福を受け取りましょう。ヒデ