★テマン人エリファズの言葉に、隠された暗い思いのないことを何とか弁明するヨブですが、友から受けた言葉に深く悲しみ、痛み、ヨブは上のことばを語ります。あなたが語られる時は、主をあなたのわきに置いて、いえあなたが主の脇に立って語ることは、どんな場合にも必要であり正しいことです。
■ヨブ18:17彼についての記憶は地から消えうせ、彼の名はちまたから消える。18:18彼は光からやみに追いやられ、世から追い出される。18:21不正をする者の住みかは、まことに、このようであり、これが神を知らない者の住まいである。
★シュアハ人ビルダデのことばは友の言葉と言うより、まるで悔い改めないヨブへの怒りが先行し脅迫しているかのようです。彼は神様とサタンのやりとりを知らず、ヨブの潔白さゆえにおこった、ヨブの試みであることを知らないにも関わらず。ただ残念でなりません。
■ヨブ19:25私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。19:26私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。
★何という昇華された言葉でしょう。ヨブは試練の中で聖霊に導かれて復活について歌うのです。試練はない方がよいに決まっています。しかしその中になければうまれない信仰と希望があることも否めません。
■ヨブ20:2それで、いらだつ思いが私に答えを促し、そのため、私は心あせる。
★ヨブのことばにナアマ人ツォファルは上のように語り始めます。しかし心焦って人を責めてはなりません。ヒデ
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