火曜日, 11月 20, 2012

20121120_ヨブ記8-10

ヨブ8:3神は公義を曲げるだろうか。全能者は義を曲げるだろうか。8:4 もし、あなたの子らが神に罪を犯し、神が彼らをそのそむきの罪の手中に送り込まれたのなら、8:5もし、あなたが、熱心に神に求め、全能者にあわれみを請うなら、8:6もし、あなたが純粋で正しいなら、まことに神は今すぐあなたのために起き上がり、あなたの義の住まいを回復される。
★臨んだ災いはヨブが密かに罪を犯したからに違いない「あさ、悔い改めよ」とビルダデが迫ります。確かに箴27:6には「憎む者が口づけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である。」とありますが、先走り裁くことのない注意深さの上に、更なる注意深さが必要です。

■ヨブ9:32神は私のように人間ではないから、私は「さあ、さばきの座にいっしょに行こう」と申し入れることはできない。9:33私たちふたりの上に手を置く仲裁者が私たちの間にはいない。
★ヨブはここでまさに仲裁者としての神たるキリストの必要性を語ります。理不尽な状況にあればあるほどに人はこの神たるお方の仲裁が必要であり、これ以外に望みはありません。

■ヨブ10:1私は自分のいのちをいとう。私は自分の不平をぶちまけ、私のたましいの苦しみを語ろう。10:2私は神に言おう。「私を罪ある者となさらないように。なぜ私と争われるかを、知らせてください。10:3あなたが人をしいたげ、御手のわざをさげすみ、悪者のはかりごとに光を添えることは良いことでしょうか。
★どこまでも物事の原因を神様に求め、迫ろうとするヨブ。それゆえに義人と言えるのかも知れません。私たちお互いは神様に問うよりも、その方が楽であるゆえに諦めてしまっていることはないでしょうか。今一度神様に迫るものでありましょう。ヒデ

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