月曜日, 2月 08, 2010

20100208_出エ16_詩篇70-71_マルコ4

■出エジプト16:3イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。」
★モーセと共にエジプトを脱出したイスラエルの民にとって、これから起こることは全て初めての経験です。その中で思うような食料を得ることが出来なくなった時、民の多くはどうしたでしょう。それが上の言葉で、彼らはつぶやいたのです。ここに主体性のない群衆の心があぶり出されます。「させられている。……させられる。」あなたは未経験のことに取り組むときどんな心で取り組むでしょう。リーダーの心でしょうか。群衆の心でしょうか。大切なことは主体性を持ち、可能な部分で責任を負い合おうとする姿勢です。そこで一致がもたらす喜びを人は体験し、成熟へと向かうのです。

■詩篇71:3私の住まいの岩となり、強いとりでとなって、私を救ってください。あなたこそ私の巌、私のとりでです。

■マルコ4:8また、別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」4:9そしてイエスは言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」
★ここに一つの原則が。種とは自ずと実を結ぶ命を内にたたえたもの。よっていかにその命が自由に動けるようにするかがポイントです。「何を付け加えなければならないのか」ではなく、いかに命の妨げとなっているものを取り除くかの視点です。そして命を覆い隠すものとはなんでしょう。聖書はそれを世の心づかい、富の惑わし、いろいろな欲望と表現します。信じましょう。人と較べなければあなたは既に十分のものを主から受けているのです。なにせキリストがあなたの内に住んで下さっているのですから。ヒデ

日曜日, 2月 07, 2010

20100207_出エ15_詩篇69_マルコ3

■出エジプト15:23彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラと呼ばれた。15:24民はモーセにつぶやいて、「私たちは何を飲んだらよいのですか」と言った。15:25モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。
★水が苦くて飲むことができない。これは出エジプトしたイスラエルの民に臨んだ最初の試練です。その解決のためモーセが主に叫んだ時主は一本の木を水に投げ込みなさいと語られました。その結果水は甘くなったのです。これはイエス・キリストの十字架の予表です。神様はあなたが試練に巻き込まれたなら「そこに十字架を投げ込みなさい」と語られます。十字架には罪をきよめ、傷を癒す力がり、それゆえ主は「私は主であってあなたを癒すものである」と語られるお方です。

■詩篇69:32心の貧しい人たちは、見て、喜べ。神を尋ね求める者たちよ。あなたがたの心を生かせ。69:33主は、貧しい者に耳を傾け、その捕らわれ人らをさげすみなさらないのだから。

■マルコ3:33すると、イエスは彼らに答えて言われた。「わたしの母とはだれのことですか。また、兄弟たちとはだれのことですか。」3:34そして、自分の回りにすわっている人たちを見回して言われた。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。3:35神のみこころを行う人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」
★そうです。主に招かれ、それを喜び、そこに生きようとするあなたも既に主の兄弟、姉妹、母なのです。そればかりではありません。あなたは既に主の誇りです。だからこそ託されている生涯と存在を持って神様の栄光をあらわそうではありませんか。ヒデ

土曜日, 2月 06, 2010

20100206_出エジプト13-14_詩篇68_マルコ2

■出エジプト14:13それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。14:14主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」
★エジプト中が長子と言う長子を失い、パロ自身、長子を失ったとき「もうお前たちはエジプトに留まってはならない。出て行け」と語ったものの、心頑なにしたパロは追い出そうとしたイスラエルの後を追って滅ぼそうとします。ところが上の御言葉をモーセが叫んで手を紅海に差し伸ばしたとき、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされたのです。そしてイスラエルは、彼らのために右と左で壁となった海の中を進みます。神様はご自身の選びの民のためには不思議をなさるお方です。何もなかったところから「ことば」一つで世を創られたお方。それが神様です。自分の思いを優先し、神様を小さくしてはなりません。

■詩篇68:5みなしごの父、やもめのさばき人は聖なる住まいにおられる神。68:6神は孤独な者を家に住まわせ、捕らわれ人を導き出して栄えさせられる。しかし、頑迷な者だけは、焦げつく地に住む。

■マルコ2:3そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れて来られた。2:4群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。
★人の家の屋根を剥がすなんて。しかしこの時主は何と言われたでしょう。主は彼らの信仰を見て「子よ。あなたの罪は赦されました」と、罪の赦しと、床をたたんで帰れるほどの健康の回復を中風の男に与えます。主は共同体の祈り、教会の祈りに耳を傾け、みわざをなして下さるお方です。あなたがいつも主にある友として歩めますように。ヒデ

金曜日, 2月 05, 2010

20100205_出エジプト11-12_詩篇66-67_マルコ1

■出エジプト12:22ヒソプの一束を取って、鉢の中の血に浸し、その鉢の中の血をかもいと二本の門柱につけなさい。朝まで、だれも家の戸口から外に出てはならない。12:23主がエジプトを打つために行き巡られ、かもいと二本の門柱にある血をご覧になれば、主はその戸口を過ぎ越され、滅ぼす者があなたがたの家に入って、打つことがないようにされる。
★主の命によって死の使いがエジプト中の長子と言う長子を打つ為に行き巡りました。しかし、モーセを通して神様が命じられた小羊をほふり、その血をかもいに塗ったイスラエルの家は守られたのです。この出来事を通し、430年のエジプトでの奴隷生活に終止符が打たれます。かもいに塗られた小羊の血とは何を意味するでしょう。それは裁き済です。そしてまさにキリストは、このほふられる小羊として、私たちの罪をご自分の身に負い、十字架の上で打たれ、「この血によって彼らをおゆるし下さい」と、執り成されたのです。あなたの為に命を懸けて下さる方はそんなに多くはないでしょう。しかしそこに、このお方、イエス・キリストの名を加えることを忘れてはなりません。

■マルコ1:29イエスは会堂を出るとすぐに、ヤコブとヨハネを連れて、シモンとアンデレの家に入られた。1:30ところが、シモンのしゅうとめが熱病で床に着いていたので、人々はさっそく彼女のことをイエスに知らせた。1:31イエスは、彼女に近寄り、その手を取って起こされた。すると熱がひき、彼女は彼らをもてなした。
★この直前に主は「わたしについて来なさい」とペテロとアンデレ兄弟に語ります。あなたは主に従うことに困難と恐れを感じますか。しかし主は、従うペテロの姑の熱病を癒して下さるお方。すなわちあなたが抱える問題や困難に解決を下さるお方です。もし御声を聞いたなら、自分の枠の中に留まるのではなく、主の真実と愛に信頼し一歩踏み出すのです。そこに、新たな展開と祝福を主は備えて下さるおかたです。心に満たすのは問題の大きさではありません。主の愛と真実ですよ。ヒデ

木曜日, 2月 04, 2010

20100204_出エジプト10_詩篇64-65_ローマ15-16

■出エジプト10:22モーセが天に向けて手を差し伸ばしたとき、エジプト全土は三日間真っ暗やみとなった。10:23 三日間、だれも互いに見ることも、自分の場所から立つこともできなかった。しかしイスラエル人の住む所には光があった。
★頑ななパロは神様がいなごの大群を送りエジプト中の食料を食い尽くし、エジプト全土を3日間闇で覆い尽くし、エジプトの民と家臣が「もうイスラエルを行かせて下さい」と語っても、なお行かせようとしません。エジプトの3日の闇は、まさにパロの心の暗さを象徴しているかのようです。しかしそうした時にも神様はイスラエルの所には光を注がれたのです。神様を畏れるあなたの為には、主は、どんな時にも光を注いで下さいます。いえ「私は世の光である」と語られたイエス様自身が、あなたの心の内に来て下さって、あなたの心と人生を内側から照らして下さるのです。ですから恐れることはありません。

■詩篇65:2祈りを聞かれる方よ。みもとにすべての肉なる者が参ります。65:3咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。

■ローマ16:5 またその家の教会によろしく伝えてください。私の愛するエパネトによろしく。この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。
★パウロがローマ人への手紙を閉じるにあたっての最後の挨拶の部分です。驚きです。なんとここには17回もパウロ自身がローマの教会の人々に「よろしく」と書きしるしているのです。そしてここから感じて欲しいことは教会の姿です。教会とは会堂ではありません。主を信じるあなた自身です。そして人々は家々に集まり、互いに励まし合い、詩と賛美と霊の詩とによって神様を誉め讃えたのです。関係中心の人生ゆえにパウロの生涯は支えられ、どんな困難なときにも励まされ、満ち足りたのです。いつまでも残るものは神の言葉と関係です。あなたの人生が関係中心に移行できますように。ヒデ

水曜日, 2月 03, 2010

20100203_出エジプト09_詩篇62-63_ローマ13-14

■出エジプト9:34パロは雨と雹と雷がやんだのを見たとき、またも罪を犯し、彼とその家臣たちは強情になった。9:35パロの心はかたくなになり、彼はイスラエル人を行かせなかった。主がモーセを通して言われたとおりである。
★この章の特徴はパロの心の頑なさで「それでも、パロの心は強情で、民を行かせなかった」、「しかし、主はパロの心をかたくなにされ、彼はふたりの言うことを聞き入れなかった。主がモーセに言われたとおりである」と記します。人の心を頑なにする原因とは何でしょう。明け渡したくないものがあるのです。自分がすべての面で王であり続けたいのです。しかしそれは間違いで、明け渡すべきは明け渡し、感謝すべきは感謝し、退く時は退くときに本当の王となれるのです。神の言葉を退ける頑なさは人を孤立させ、滅びに向かわせるものであることを覚えましょう。

■詩篇62:8民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。

■ローマ14:4あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。
■自分を見て、その能力や未熟さに尻込みする人がありますか。しかしあなたは自分で限界を設けたり、「私はダメだ」とのレッテルを貼ってはなりません。またあなたは自分より劣る人を見て「なんで……できないんだ」と裁きの思いに囚われていますか。あなたは強いコンプレックスに支配されていますね。神様はあなたが弱い信仰に留まることを願われませんが、強い信仰で人を裁くことをも願われません。求めておられる信仰とは成熟した信仰。この信仰は一時的な頑張りに基づくものではなく、日々神様を王として信頼し、委ね明け渡し、神様を体験し続ける中で養われて行くのです。その一歩を踏み出すことが大切です。ヒデ

火曜日, 2月 02, 2010

20100202_出エジプト07-08_詩篇60-61_ローマ12

■出エジプト7:20モーセとアロンは主が命じられたとおりに行った。彼はパロとその家臣の目の前で杖を上げ、ナイルの水を打った。すると、ナイルの水はことごとく血に変わった。7:22しかしエジプトの呪法師たちも彼らの秘術を使って同じことをした。それで、パロの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞こうとはしなかった。主の言われたとおりである。
★「イスラエルを去らせよ」との命に頑ななパロに神様はモーセを通して幾つかの不思議を行います。するとどうでしょう。パロはエジプトの秘術をもって対抗し、心頑なにするのです。言うなれば「そんな事くらい。私にだって出来るわ!」と、まさにそれは神様への挑戦です。しかしやがて同じように出来ない時が来ます。それでもパロは心頑なにし、神様の命に従おうとしないのです。なぜ人であるパロが神様に対抗しようとするのでしょう。聖書はそれを罪と指摘し、神様に向かう不従順を警告します。罪は人を最終的に死と滅びに向かわせることを知り、そこから離れる人は幸いです。

■ローマ12:1そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
■まさにこれこそが平安の生涯の秘訣であり目標です。そして「あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』」に信仰によって立つのです。しかし自分の力で立つのではないですよ。そこに立てない痛み、辛さ悲しみを全て主に知って頂いて、その後、主に任せするんですよ。あなたはもう目の涙を主によってぬぐって頂きましたか。まずそこからです。ヒデ

月曜日, 2月 01, 2010

20100201_出エジプト05-06_詩篇58-59_ローマ10-11

■出エジプト5:23私がパロのところに行って、あなたの御名によって語ってからこのかた、彼はこの民に害を与えています。それなのにあなたは、あなたの民を少しも救い出そうとはなさいません。」
★主が命じられた通りイスラエルをさらせよとパロに命じたモーセ。しかしパロの反応は「お前たちは怠け者だ。今まで与えていたわらは与えないがレンガを作る数は同じだけ作れ」でした。主の御心に従ったばっかりに状況が返って悪くなったのです。しかし目先のことに捕らわれてはなりません。主はやがて200万の民をモーセと共に導き出すお方です。御心に従おうとする者の周りには、自らの不都合のためそれを留めようとする力が必ず働くことを覚えましょう。しかし「光は闇の中に輝いている。そして闇はこれにうちかたなかった」との御言葉の通り勝利は必ずみここを選び取るあなたの側にあるのです。

■詩篇59:16しかし、この私は、あなたの力を歌います。まことに、朝明けには、あなたの恵みを喜び歌います。それは、私の苦しみの日に、あなたは私のとりで、また、私の逃げ場であられたからです。

■ローマ10:9なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。10:10人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
■神様が恵みによって備えて下さった、人に永遠の命もたらすイエス・キリストの救いを難しくしてはなりません。あまりに高価で尊く値の付けようがないので、ただ感謝しそれを告白して受け取るのです。神であるキリストの命が懸けられたのです。代価を払いきれる訳がありません。にも関わらずその恵みを行いで得ようとするならば、その価値を引き下げることになりませんか。あなたは愛されているのです。ゆえにただ神であるイエス様感謝しますと受け取りましょう。それによって与えられる平安をあなたから奪えるものは何もありません。ヒデ

日曜日, 1月 31, 2010

20100131_出エジプト03-04_詩篇56-57_ローマ09

■出エジプト3:7主は仰せられた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。3:9見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプトが彼らをしいたげているそのしいたげを見た。3:10今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」
★神様は選びの民の苦しみと苦悩を見、その叫びを聞き、助けを送って下さるお方です。そして主はあなたのためにも「叫びを聞いた」と語られるお方です。この言葉に込められた神様の愛と力強さにこそ望みがあるのです。だからあなたは諦める必要はありません。

■詩篇56:11私は、神に信頼しています。それゆえ、恐れません。人が、私に何をなしえましょう。

■ローマ9:3もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。
★パウロの告白です。彼は他の箇所で「ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました」と語ります。なぜにこんなにも彼は強いのでしょう。いえそうではありません。愛する対象が彼を強くしたのです。あなたは何を愛しますか。ヒデ

土曜日, 1月 30, 2010

20100130_出エジプト01-02_詩篇53-55_ローマ07-08

■出エジプト1:8さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。
★イスラエルのエジプトにおける430年の苦役の生活の始まりです。パロのイスラエルへの酷使の背後には「これ以上イスラエルの民が増えたら支配しきれないかも知れない」との恐れの動機がありました。権威主義に陥った者は、自らの恐れの動機から、往々にして弱い立場にある人を傷付けるものです。支配ではなく共に生きる価値観の尊さを覚えましょう。しかし神様はこうした中にあっても、モーセの誕生を通してイスラエル救出の準備をこの時すでに始めます。今不当な苦しみの中に置かれている人がありますか。しかし知って下さい。たとえあなたはまだ気づいていなくても、具体的な現れはまだ見えなくても、神様を畏れるあなたのためには、神様は救いの道を既に開いて下さっていることを。

■詩篇55:22あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。
★人には負うべき重荷と、負ってはならない重荷があります。ではどうすればよいでしょう。一度全ての重荷を主に委ね、主が負わせて下さる重荷を負うようにするのです。その時あなたは守られます。

■ローマ8:33神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。8:34罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
★そうです。あなたはこのお方の愛によって強められ、どんな時にも希望を持つ人となり、状況に支配される人ではなく、支配することのできる人となれるのです。この朝も心に主の愛をいっぱいに受け取りましょう。あなたの為にとりなして下さるお方は全能なる神イエス様なのですから。ヒデ

金曜日, 1月 29, 2010

20100129_創世48-50_詩篇51-52_ローマ5-6

■創世記50:19ヨセフは彼らに言った。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。50:20あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。50:21ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたがたや、あなたがたの子どもたちを養いましょう。」こうして彼は彼らを慰め、優しく語りかけた。
★父イスラエル(ヤコブ)が亡くなった後、兄たちの心に恐れの心が入りました。エジプトに弟ヨセフを売った件が原因です。上の言葉はそんな兄たちの気持ちを察したヨセフの言葉です。あなたが意識して人に優しく語りかけたのはいつでしょう。「私が語りかけるこの言葉を用いて、神様この人を癒して下さい」と祈らせて頂きましょう。

■詩篇51:10神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。
★キリストにある救いはあなたの心に何か良いものを付け足すのではありません。神様がご自身の創造の力によって新しくするのです。ポイントは神様があなたの中で自由に働けるよう主権を明け渡すことです。

■ローマ6:10なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。
★ここにはキリストが死なれた理由が明確です。「罪のため」。誰の罪のためでしょう。キリストご自身が犯した罪ですか。いいえ。あなたが、私が犯した罪のためです。キリストが十字架の上で命を捨てられた理由は唯一この理由以外にありません。そしてキリストの流された命の代価によって、神様に対しての全ての罪の代償は払い終わったのです。裁きは終わりました。赦されているのです。もはや恵みの中にあるのです。主は責めることを為さいません。かわりに「私はあなたの罪を思うことをしない」と語られます。受け取りましょう。そして恵みの中を生きるのです。ヒデ

木曜日, 1月 28, 2010

20100128_創世46-47_詩篇50_ローマ3-4

■創世記47:25すると彼らは言った。「あなたさまは私たちを生かしてくださいました。私たちは、あなたのお恵みをいただいてパロの奴隷となりましょう。」
★世界を襲った飢饉の中で食料の管理を委ねられた宰相ヨセフに語った人々の言葉です。彼は飢饉の中で最初銀で、次ぎに飢饉の中で家畜を飼うことは困難なので家畜を代価とし穀物を売り、次ぎに土地と引き替えに、と飢饉をしのぎ、最後に飢饉の終焉を感じたヨセフは「さあ今、ここの種を蒔きなさい。そして収穫の時になったら、その五分の一はパロに納め、五分の四はあなたがたのものとし、畑の種のため、またあなたがたの食糧のため、またあなたがたの家族の者のため、またあなたがたの幼い子どもたちの食糧としなさい」と語ります。ここにはヨセフの飢饉を利用して私腹を肥やすよりも、いかにこの試練を民とともに切り抜け、弱い立場の者を生かし守ろうとするのかの価値観が明確です。確かにヨセフと共に主がおられます。

■詩篇50:15苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」

■ローマ4:19アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。4:20彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、4:21神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。4:22だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。
★私にはそれが出来なくても神様はそのことをなして下さる力がある。そればかりか神様はこの私も顧み、約束を守って下さるお方である。信仰とは何でしょう。それは自分を見ることを止め、愛と真実と力に富む神様に目を向け、このお方に寄り頼むことです。さてあなたは信仰によって歩んでいるでしょうか。主はあなたと歩むことを心から願い、この朝も待っていて下さるお方ですよ。ヒデ

水曜日, 1月 27, 2010

20100127_創世44-45_詩篇49_ローマ1-2

■創世記45:28イスラエルは言った。「それで十分だ。私の子ヨセフがまだ生きているとは。私は死なないうちに彼に会いに行こう。」
★口語訳では「満足だ」と記します。人生は時に人の妬みをかったり事件に巻き込まれたり予測不可能なことが起こりますが、神様はご自身に信頼する者の生涯を恵みに満たし、あなたに「満足だ」と言わせて下さるお方です。信じましょう。
またここには2度目の再会で恐れ惑う兄たちに「どうか私に近寄ってください。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。この二年の間、国中にききんがあったが、まだあと五年は耕すことも刈り入れることもないでしょう。それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。」と語るヨセフの姿があります。
あなたは赦しに困難を覚えますか。ならば自分の憎く悔しく悲しく苦しい感情を押し殺し隠すことなく神様の前に全て注ぎ出しましょう。そしてその後はヨセフの様に神様の御心に心を向けるのです。その時、神様があなたの赦す心を助けて下さいます。この順番は大切です。ごまかしてはなりません。

■詩篇49:15しかし神は私のたましいをよみの手から買い戻される。神が私を受け入れてくださるからだ。

■ローマ2:16私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをさばかれる日に、行われるのです。
★これは主に対する主の弟子パウロの確信です。しかも神様は偏り見られることなく、ひとりびとり、その行いによって裁かれるお方。だから神様から離れた罪人である私たちの救いのために、神様は救い主キリストをお与え下さいました。まさに恵みです。だからこそただ感謝して受けとる以外、受け取り方がありません。感謝しましょう。ヒデ

火曜日, 1月 26, 2010

20100126_創世42-43_詩篇46-48_マタイ28

■創世記43:14 全能の神がその方に、あなたがたをあわれませてくださるように。そしてもうひとりの兄弟とベニヤミンとをあなたがたに返してくださるように。私も、失うときには、失うのだ。」
★神様の御計画が大きく一歩前進しようとする時です。神様はヤコブの決断を大きく用いられます。この決断の背後には、パロが夢で見たとおりの豊作に続く大飢饉の為に、エジプトとその周辺の国々は飢饉に見舞われ、イスラエルものその例外ではなく、12人の息子の父であるヤコブは失ったヨセフの弟のみを自分のもとに残し、エジプトに食料を買わせにやったのです。そこで何と兄たちはエジプトの宰相となり、食料売買をつかさどる弟ヨセフに出会うのです。かつてエジプト行きの商隊に売られたヨセフは兄たちだと直ぐに気づきます。しかし兄たちは全く気づきません。そればかりか「お前たちはスパイダ」と宰相となったヨセフに濡れ衣を着せられ、その上、父のもとにいると言った末の弟を連れてこなければ、食料を買うために私の前に立つことはゆるさないと語られるのです。それでエジプトから帰って来た息子達からその報告を受けた父ヤコブは深い苦悩の中に陥ったのです。しかし「失うときには失う」と腹を括って神様に委ねたときに、どんでん返しである、愛する息子ヨセフとの再開が与えられるとは。この後の章からがヤコブとヨセフの生涯のクライマックスです。さて神様は一体どのようにしてヤコブの家族をすくわれるのでしょう。決断して、最終的には我が思いを神様にしっかり申し上げつつも、しかし神様に明け渡し、神様の愛に信頼しすることの尊さを憶えましょう。神様は人が神様ご自身に委ねられたその領域において不思議をなし、ご自身神であることをそこであらわし、あなたを救いへと導かれます。ヒデ

月曜日, 1月 25, 2010

20100125_創世41_詩篇45_マタイ27

■創世記41:39パロはヨセフに言った。「神がこれらすべてのことをあなたに知らされたのであれば、あなたのように、さとくて知恵のある者はほかにいない。41:40あなたは私の家を治めてくれ。私の民はみな、あなたの命令に従おう。私があなたにまさっているのは王位だけだ。」
★エジプトの王パロが見た夢を神様の霊によって解き明かしたヨセフ。それはエジプトに臨む豊作とその後の激しい飢饉に関するもので、ヨセフはその解決策まで示します。神の霊に満たされることの大切さ、神様の知恵を頂くことの大切さを覚えましょう。その人は一時的に人に忘れられ、苦しみの中を通ることがあっても、決して神様はその人を忘れることはないのです。あなたは人と比較し早く高くならねばと人間的な焦りの中にないですか。信じましょう。神の霊を持つ人を、神様は丁度よい時に高く引き上げ用いて下さり決して忘れることはないのです。

■マタイ27:42「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。
★この様にキリストをあざける祭司長、律法学者、長老たち。しかしキリストが12軍団よりも多くの御使いに命じて十字架から降りたならば、彼らはどうなるのでしょう。ただ彼らは恐れおののき、口を地に付けて伏し拝み、二度と彼らは主の前に顔を上げることができず、キリストの奴隷とならざるを得ないでしょう。知って下さい。キリストは十字架から降りて自らを救うことの出来ない、力ないお方ではないのです。しかし、それをしなかったのは、あなたのため。あなたを救うためでした。いざとなったら、自分を守り、自分を救おうとする人は、結局他者を救うことは出来ません。むしろキリストが十字架から降りれたにも関わらず、そうなさらなかったことに、救いがあることに目を開かれて、この愛の中で今日も一日感謝の歩みを始めましょう。主は決してあなたを離さず、あなたを捨てることはありません。ヒデ

日曜日, 1月 24, 2010

20100124_創世39-40_詩篇44_マタイ26

■創世記40:23ところが献酌官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった。
★エジプトに売られたヨセフについて一言で表現するなら「主がともにおられたので」です。そして実際、御言葉はそのことを「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。」(39:2)、「しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。」(39:21)と紹介します。それだからこそサタンは人を用い、ヨセフを誘惑し、ヨセフへの当然の恩を忘却させることを通して、彼を失意のどん底に突き落とそうとするのです。それでもヨセフはかつて見た幻と、どんな時にも常に主がともにいて下さる事実を忘れません。あなたは自分を見るなら落胆します。人を見るなら失望します。だからこそヨセフのように主を見上げて生きるのです。

■マタイ26:74すると彼は、「そんな人は知らない」と言って、のろいをかけて誓い始めた。するとすぐに、鶏が鳴いた。26:75そこでペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います」とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。
★「あなたがたは私を裏切るでしょう」と主が語ったとき、弟子たちは皆そんなことはありませんと反論を。ペテロはその中でも殊更に「他の弟子たちが裏切っても、私は決して裏切りません」と語り、何とか主の姿を追って大祭司の官邸にまで従います。しかし結末は主の言葉通り、一婦人の語りかけによって「その人を知らない」と否むのです。なぜでしょう。それは、いつでもいざとなったら逃げ出せる距離、遠すぎたのです。もっと近ければ、否む前に主の眼差しと愛がペテロの心に注がれ、恐れの中にも大胆に告白し立つことができたでしょう。さてあなたと主との距離はどうでしょう。主の心臓の鼓動を主の胸もとで聞くほどに近くおらせて頂きましょう。主は語られます。「私は決してあなたを離れずあなたをすてない」と。ヒデ

土曜日, 1月 23, 2010

20100123_創世38_詩篇41-43_マタイ25

■創世記38:1そのころのことであった。ユダは兄弟たちから離れて下って行き、その名をヒラというアドラム人の近くで天幕を張った。
★どうしてヤコブの12人の息子の一人ユダは、父と他の兄弟のもとを離れて住むようになったのかを考えるとき、かつて自らが語った、「弟を殺し、その血を隠したとて、何の益になろう。さあ、ヨセフをイシュマエル人に売ろう。われわれが彼に手をかけてはならない。彼はわれわれの肉親の弟だから。」を抜きに考えられません。ひょっとすると長男ルベン同様、他の兄弟の殺意からヤコブを何とか救いたかった、あるいはほんの出来心で「エジプトに売ろう」と言ったのかものかも知れません。しかしここに罪を犯す恐ろしさが。罪とは人が負い切れるものではないのです。その結果、ユダは自分を責め、父のもとを離れヒラの地へ。では私たちが故意にしろ、ほんの出来心、あるいは不注意であっても罪を犯した場合、どこに行けばよいのでしょう。その答えはキリストです。十字架で「彼らを赦して下さい」と執り成し、「私のもとへ来なさい。休ませてあげよう」と語られたキリストの言葉を掘り下げ深く受け取りましょう。あなたの前には既に恵みによる赦しが広げられています。

■マタイ25:40すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
★ここにはキリストの愛の深さ広さ長さ高さが鮮やかです。キリストは「最も小さい者にしたのは私にした」と明確に語ります。あなたは隠れた所における愛と施しに勇気を持てませんか。あるいはもっと自由に大胆に愛を現すことのできる人になれたらとの願いをお持ちですか。マザーテレサは「私は渇く」との御言葉と、この箇所の御言葉で、最も小さき者の中にキリストを見出し、その生涯が変えられました。信じて下さい。キリストの身体、すなわち教会としてあなたが生きようとする時、そこには必ずキリストが共におられ喜んで下さっていることを。そしてそんなあなたを主は決して、御国に於いても退けなさらないのです。ヒデ

金曜日, 1月 22, 2010

20100122_創世37_詩篇39-40_マタイ24

■創世記37:6ヨセフは彼らに言った。「どうか私の見たこの夢を聞いてください。37:7見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、しかもまっすぐに立っているのです。見ると、あなたがたの束が回りに来て、私の束におじぎをしました。」37:8兄たちは彼に言った。「おまえは私たちを治める王になろうとするのか。私たちを支配しようとでも言うのか。」こうして彼らは、夢のことや、ことばのことで、彼をますます憎むようになった。
★ヤコブと12の息子の歴史の始まりです。地中海世界はこの後7年間も続く大飢饉に見舞われますが、不思議な神様の計画で、エジプトの宰相となったヨセフによって救われます。それにしてもなんと言うことでしょう。兄たちの妬みをかって、17歳の弟ヨセフは兄たちの手で、エジプト行きの隊商に売り渡たされるのです。彼が夢を見たゆえんです。しかし神様は、神様にあって夢見るものに将来を託されるお方です。あなたは神様を偉大な全能者として受け入れ、このお方にあってどんな夢を見るのでしょう。

■詩篇40:7そのとき私は申しました。「今、私はここに来ております。巻き物の書に私のことが書いてあります。40:8わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。」
★これは、子なる神キリストが受肉の前に父なる神様に語った言葉です。神様の御心は、心を神様にあって定めた者によって成し遂げられます。あなたの心はどうでしょう。もう既に、神様の御心をつかみ平安を得ましたか。

■マタイ24:35この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
★あなたは永遠に残るものが何かを知っていますか。神の言葉と教会です。たとえではありません。やがてこの天地も崩れるのです。そして崩れないものに望みを掛ける人が最終的な勝利者です。神の言葉と教会の交わりの中に歩める豊かさを、もう一度主にあって感謝しましょう。なぜならあなたの永遠は既に主にあって約束されているのですから。ヒデ

木曜日, 1月 21, 2010

20100121_創世36_詩篇38_マタイ23

■創世記36:6エサウは、その妻たち、息子、娘たち、その家のすべての者、その群れとすべての家畜、カナンの地で得た全財産を携え、弟ヤコブから離れてほかの地へ行った。36:7それは、ふたりが共に住むには彼らの持ち物が多すぎて、彼らが滞在していた地は、彼らの群れのために、彼らをささえることができなかったからである。36:8それでエサウはセイルの山地に住みついたのである。
★兄エソウの思いやりをここに見ます。筋で言うなら弟ヤコブが他の地へ行くべきでしょうか。この箇所を通して「立っていると思っている人は倒れないよう気をつけなさい」の御言葉を思い出します。人とは、どれほど多くの隠れた善意と愛によって支えられ生かされていることか。あるいは力を得、強くなった弟ヤコブに兄エソウはこのことを言い出しきれず仕方なく自ら他の地に移ったのかもしれません。ならば力とは何とむなしいもの。人の気持ちをねじ伏せ、人の善意さえわからなくさせ、成功はすべて私が……したからと自己満足の世界で終わらせてしまう。神様の恵みに、人の優しさに心向けましょう。そして感謝と愛を分かち合う生き方を歩みましょう。

■マタイ23:37ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。
★この章は自らの力ある立場を利用し、多くの民衆をコントロールし苦しめていた律法学者、パリサイ人に対して主が呵責のない叱責を与えている箇所です。たとえば「彼らは重い荷をくくって、人の肩に載せ、自分はそれに指一本さわろうとはしません。彼らのしていることはみな、人に見せるためです」と。しかしここで主の目には涙がありました。それはその叱責が単なる裁き、彼らを退けることが目的でないゆえです。私たちが常に受け取るべきはこの主の愛の心です。今日も主と共に歩みましょう。ヒデ

水曜日, 1月 20, 2010

20100120_創世34-35_詩篇37_マタイ22

■創世記35:10神は彼に仰せられた。「あなたの名はヤコブであるが、あなたの名は、もう、ヤコブと呼んではならない。あなたの名はイスラエルでなければならない。」それで彼は自分の名をイスラエルと呼んだ。
★一つの試練がヤコブ一家を襲ったとき、彼は「私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう。」とベテルへと向かいます。その時神様が上の御言葉を語られたのです。「押しのける者ではなく神の皇太子だ」と。神様とはいかなるお方でしょう。それは悩みの時あなたを励まして下さるお方です。近づくべきはこのお方、心に礼拝の祭壇を築いて主の名を求めましょう。主は必ずあなたを励まし助けて下さいます。

■詩篇37:3主に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。37:4主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
★あなたが遣わされているところは「この地でありこの世」。そこで誠実を養うのです。だからこそ内に霊の命が必要です。神様はあなたを世捨て人とするためではなく、この世の変革のために召し出されました。心を強めて下さる主との交わりから、あなたが地の塩、世の光として輝きますように。

■マタイ22:21彼らは、「カイザルのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」
★陥れようとした宗教家に対し、主が応えられた有名な御言葉です。「カイザルの形はカイザルに」。すなわち為政者への納税の義務を疎かにしてはなりません。しかしここで主が最も伝えたかった本質は何でしょう。「カイザル形はカイザルに、ではあなたにはどんな形が刻まれているのか。あなたには『神のかたち』が刻まれているではないですか。それは神様に返すのです」です。わすれないで下さい。あなたの中には神御自身が造られた、永遠を慕う、神に似せて造られた「神のかたち」があるのです。ヒデ

火曜日, 1月 19, 2010

20100119_創世32-33_詩篇36_マタイ21

■創世記33:1 ヤコブが目を上げて見ると、見よ、エサウが四百人の者を引き連れてやって来ていた。ヤコブは子どもたちをそれぞれレアとラケルとふたりの女奴隷とに分け、33:2女奴隷たちとその子どもたちを先頭に、レアとその子どもたちをそのあとに、ラケルとヨセフを最後に置いた。33:3ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ。彼は、兄に近づくまで、七回も地に伏しておじぎをした。33:4エサウは彼を迎えに走って来て、彼をいだき、首に抱きついて口づけし、ふたりは泣いた。
★兄をだまし、長子の特権と祝福を奪ったヤコブが21年ぶりに生まれ故郷に帰り、兄に対面しようとするとき最初に取った態度とは。400人の勇者を前に使わし、力で兄をねじ伏せようとするそれでした。それによって激怒する兄。そんな不遜な態度ででるならば、こちらも400人の勇士をもって迎えてやろうじゃないか。ヤコブはその兄の反応を恐れ、一行全員が皆殺しにされても自分は助かれるように、一番後にわが身を置きます。しかし、その夜あらわれた神様の使いとの霊的格闘で、霊的もものつがい「力の源」に触れられ砕かれたヤコブは、自分の非を認め一番後ろからではなく、先頭にたって、謝罪の気持ちで兄に向かいます。なんとその結果、生まれたのが上の麗しい兄弟の再会の場面です。
人は問題の原因を外に見出し、それを指摘し叩き、他者を変えようとしますが、多くの場合うまく行きません。しかし、まず自分自身を掘り下げ、誤魔化さないで自分の非と向き合い、それを認め、主の前にひざまずき、あわれみを求めるなら、主は思わぬ恵みと祝福を与えてくださるのです。ヤコブはこの時、神様の使いにあなたの名はと尋ねられ時、はじめて自ら「私は押しのける者。ヤコブです」と応えます。祝福の鍵を握るのは人ではなく自分。変わることの出来るのも人ではなく自分。結果、主からヤコブではなくこれらイスラエル「神の皇太子」と呼びなさいと語られました。ヤコブとその信仰に生きる彼の霊的子孫の上に、今も後も代々限りなく神様の祝福がありますように。ヒデ

月曜日, 1月 18, 2010

20100118_創世31_詩篇35_マタイ20

■創世記31:36そこでヤコブは怒って、ラバンをとがめた。ヤコブはラバンに口答えして言った。「私にどんなそむきの罪があって、私にどんな罪があって、あなたは私を追いつめるのですか。31:37あなたは私の物を一つ残らず、さわってみて、何か一つでも、あなたの家の物を見つけましたか。もしあったら、それを私の一族と、あなたの一族の前に置いて、彼らに私たちふたりの間をさばかせましょう。
★ここに押しのける人ヤコブの性質が如実に表れます。伯父ラバンのもとを逃げるように出で立ったヤコブ。その時ヤコブの妻ラケルはヤコブに内緒で、父ラバンが占いに使うテラフィムを盗んでいたのです。結局ラバンはラケルが隠し持っているテラフィムを見つけることができません。その時ここぞとばかりに訴えているのが、このヤコブの姿です。自分に非のないのがわかり、相手の間違いを容赦なく責め立てるヤコブ。まさにこれが押しのける者の性質。そして恐れに心が捕らわれている人、ヤコブの姿でした。神様はそのヤコブを、神の皇太子へと造りかえられるのです。主の御名は、ほむべきかな。

■詩篇35:1主よ。私と争う者と争い、私と戦う者と戦ってください。

■マタイ20:12言った。『この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。』20:13しかし、彼はそのひとりに答えて言った。『友よ。私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。20:14自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。
★たとえどんな人であれ精一杯生きようとする人には1日1デナリ。即ち人が生きて行く上で必要なものは得られるべきである。「私はそうしてあげたいのだ」。最も辛く悲しい立場の人にとって、この主の発言はどれほどの慰めでしょう。この主のお心のゆえに私たちは主を誇り、その心を自らのものとさせて頂きたいのです。あなたの辛いときにも、主はそう語って下さいます。ヒデ

日曜日, 1月 17, 2010

20100117_創世30_詩篇34_マタイ19

■創世記30:33後になってあなたが、私の報酬を見に来られたとき、私の正しさがあなたに証明されますように。やぎの中に、ぶち毛やまだら毛でないものや、羊の中で、黒毛でないものがあれば、それはみな、私が盗んだものとなるのです。」30:34するとラバンは言った。「そうか。あなたの言うとおりになればいいな。」
★「そうか。あなたの言うとおりになればいいな」とは、押しのける者ヤコブへの母の兄ラバンの言葉です。そしてその言葉の意味はヤコブはラバンのもとで働いたが、当然得るべき報酬も得ることができず、ただ働き同然の軽んじられた生活を強いられたと言うことです。兄の長子の特権や祝福を父さえ騙して奪おうとするヤコブの性質を知ったラバンはヤコブの人格を蔑み、正当に扱うことが出来なかったのでしょう。本当に、人は必ず蒔いた物を刈り取ることになる霊的法則は、ここでも明らかですから厳かです。一時的に人は騙せても決して神様をだますことが出来ないことを知る人は幸いです。

■詩篇34:18主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。34:19正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。

■マタイ19:26イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」
★「まことにまことにあなた方に言います」とか、主がじっと見つめて語られるその時とは、主が最高度に今から語る真理をしっかりと受けとめて欲しいと願って取られる行動の常套手段です。主はあなたに知って欲しいことがあるのです。神は人でないことを。私もあなたに知って欲しいことがあるのです。人が神様の前に犯せる最大の罪とは不信仰であることを。あなたは決して自分の知識と経験で神様を小さくしてはなりません。神様はあなたよりも大いなるお方で、決してあなたの設ける枠の中には入りきらない愛と恵みに富むお方です。それを感謝し信じましょう。ヒデ

土曜日, 1月 16, 2010

20100116_創世28-29_詩篇33_マタイ18

■創世記28:15見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」
★兄エソウの長子の権を奪い、祝福まで弟ヤコブが奪ったことを知ったとき兄エソウの中に弟ヤコブへの殺意が芽ばえます。それを知ったヤコブは母リベカの生まれ故郷、兄ラバンのもとに向かいます。上の御言葉はその途中、不安と孤独の中で石を枕に一晩過ごしたとき、夢の中に語りかけられた神様のことばです。なんと神様はあわれみ深いお方でしょう。先が全く見えず希望がなく、自分がしたことが正しいことかと言えばその確信もなく、かといって兄のもとに帰って悔い改める遜った心があるかと言えばそれもなく。そんなヤコブにとって「あなたを捨てない」はどれほどの慰めだったでしょう。聖書は語ります。「神の選びと召しとは変わることがない」と。
そして神様があなたに注ぐ愛と、あなたへの召しも変わることがありません。安心しましょう。そして人の祝福は自分が押しのける者ヤコブであることに気づき、神様の憐れみを求め始めるところからスタートすることを覚えましょう。罪を犯したアダムの子孫は皆、霊的な意味において、押しのける者の性質を持つヤコブです。しかし神様はその私を神の皇太子「イスラエル」へと変えて下さり、ここにこそ希望があるのです。

■詩篇33:9まことに、主が仰せられると、そのようになり、主が命じられると、それは堅く立つ。33:10主は国々のはかりごとを無効にし、国々の民の計画をむなしくされる。33:11主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る。33:12幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。……33:18見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。
★そうです主の目はあなたに注がれています。そして主の救いと恵みはあなたのも、なによりも神様を恐れ、御心を求めるあなたの計画を主が成し遂げて下さるのです。何とあなたは幸いな人でしょう。ハレルヤ!ヒデ

金曜日, 1月 15, 2010

20100115_創世27_詩篇32_マタイ17

■創世記27:38エサウは父に言った。「お父さん。祝福は一つしかないのですか。お父さん。私を、私をも祝福してください。」エサウは声をあげて泣いた。
★兄の祝福まで奪った押しのける者ヤコブ。決してヤコブが正しいわけではありません。結果、彼は今後21年間、生まれ故郷を離れ、苦しい生活を強いられます。しかしこの兄エソウはかつて「長子の特権」など何になろうと、飢えを満たすにまかせて、パンとレンズ豆の煮物で弟ヤコブにその特権を売り渡してしまうのです。神様がよしとされた「長子の特権」をいとも簡単に売り渡すなんて、注がれる霊の祝福の秩序の見えていない証拠です。学びましょう。あなたにも今でなけれ開かれていない祝福があるのです。取りもどせない祝福も、ただ信じて受け取る恵みの祝福も、神様の祝福の中にはあるのです。
あなたは神様が「……を祝福する。……の祝福をおまえに与える」と語られるのに、「どうせ私なんか……。まさか私なんかに……。」とあれこれ理由をつけて折角の祝福を拒絶しているところはないですか。神様はあなたが想像する以上に、あなたに対し気前よく素晴らしいことをして下さるお方です。信じ受け取るのです。そう神様が今くださろうとしている祝福は今受け取るのです。決して神様のくださる祝福を、かつてのエソウのように軽んじ拒んではなりません。恵みに対し素直な人が祝福を受けます。

■マタイ17:4 すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」
★主と共に山に登り、主の素晴らしいことを見たペテロは何と言ってその素晴らしさを表現してよいか分かりませんでした。しかし、素晴らしさはそれだけではありません。山のふもとに留まった他の弟子たちの所にも、てんかんで苦しむ少年を癒す機会が備えられたのです。大切なことは信仰によってその人をキリストのもとにお連れすること。あなたは他者の祝福のために遣わされた所で祝福をお祈りするためにも召し出されました。ヒデ

木曜日, 1月 14, 2010

20100114_創世25-26_詩篇31_マタイ16

■創世記26:24主はその夜、彼に現れて仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいる。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加えよう。わたしのしもべアブラハムのゆえに。」
★主がアブラハムの子イサクに語れた言葉です。この言葉によってイサクはどれほど励まされたことでしょう。しかし思い違いをしてはならないことは「アブラハムのゆえに」です。ある人々は「……は全部、自分がやった」とのことばで、その場をコントロールし周りの人々を不愉快な思いにさせることがありますが、聖書はここで「恵みのゆえに」とイサクに示すのです。立っていることは感謝、倒れないようにしなければなりません。そのためには「受けた恵み・支え・励まし・執り成し」を、感謝を持って受けとめ、栄光を父なる神様にかえすことです。「高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みを給う」のは神様によって定められた不変の法則です。

■マタイ16:24それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。16:25いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。16:26人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。
★命には2種類のいのちがあることを主はここで示されます。肉体の命とまことの命(永遠に存在する霊の命)です。あなたはどちらを優先していますか。また自分の命とは、自分で守ろうとするよりも、使うことを優先すべきも、ここで主は示されます。もっとも幸せな人とは誰でしょう。それは自分の命を捨てても惜しくないほどに、価値あるものを見つけ、そこに人生をかけることのできる人。そして主はあなたの中に価値を見つけ、その為に命を捨てて下さいました。あなたはこの愛にどう応えるでしょう。ヒデ

水曜日, 1月 13, 2010

20100113_創世24_詩篇29-30_マタイ15

■創世記24:14 私が娘に『どうかあなたの水がめを傾けて私に飲ませてください』と言い、その娘が『お飲みください。私はあなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたがしもべイサクのために定めておられたのです。このことで私は、あなたが私の主人に恵みを施されたことを知ることができますように。」
★これはアブラハムから息子イサクのお嫁さん探しの使命を託された、アブラハムの最年長の僕の、お嫁さん探しの規準です。彼はアブラハムの家の全財産を任されていました。あなたは人を選ぶとき何を規準に選びますか。この僕の規準は私だけではなく、もう一つ気を使い、ラクダにもと言うことのできる愛の人でした。何を物差し、規準にするかによってその人自身が測られ、それによってその人の将来が変わります。願わくは、一時的なこと外見的、表面的なことではなく、内面的、本質的なことによって、人と関わることができますように。

■詩篇30:4聖徒たちよ。主をほめ歌え。その聖なる御名に感謝せよ。30:5まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。

■マタイ15:26すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」と言われた。15:27しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」15:28そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。
★主はあなたの信仰をためされるお方。神様は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みを下さいます。主はあなたの為に素晴らしい用意を既にしておられます。あきらめの霊、敗北の霊に支配されることを神様は願っておられません。遜りましょう。求めましょう。そして約束のものを頂いて栄光を神様に帰しましょう。ヒデ

火曜日, 1月 12, 2010

20100112_創世22-23_詩篇26-28_マタイ14

■創世記22:2神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」
★アブラハムに臨んだ神様からの試練です。最愛、しかもひとり子であることをよくご存知の上で「イサクをささげよ」と。アブラハムは次の日躊躇することなく出かけ、指定された山のふもとまで来たとき、若い僕たちに「ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとは行き、礼拝をして、戻って来る」と言ったのです。この時のアブラハムの確信とは何でしょう。聖書は他の箇所で「彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです」と答えます。神様は最善以外なさらない。生かして返して下さるお方。そして、まさにこのことを通して、アブラハムはイサクへの盲目的な溺愛から守られ、神様から託された大切な子供を、神様からお預かりしたものとして、育てることができたのです。全ては神様のもの、しかし神様はこの私も信任下さって、神様の尊いものを委ねて下さるお方。あらゆる面において、この信仰に立つ尊さを、心に憶える人は幸いです。

■マタイ14:27しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
★嵐となった湖の上で船をこぎあぐねる弟子たち。そこに歩いてイエス様が近づいたのです。主を幽霊と思い、恐れるのは当然かもしれません。しかしその時主は「恐れるな」と語られます。そして主が弟子たちの船に乗り込まれたとき嵐は止みました。そう、主は全能者。そのお方が、あなたの救いの為におとめマリヤのお腹をかり、人の姿を取って来て下さったのです。今日あなたは「恐れるな」と語りかけて下さる主の御声が聞こえますか。主を心の中に迎え入れましょう。主は嵐を静めて下さいます。ヒデ

月曜日, 1月 11, 2010

20100111_創世20-21_詩篇23-25_マタイ13

■創世記21:1主は、約束されたとおり、サラを顧みて、仰せられたとおりに主はサラになさった。21:2サラはみごもり、そして神がアブラハムに言われたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。
★それはアブラハムに神様が「父のもとを出て私の示す地に行きなさい」と語られた25年目のことでした。確認しましょう。主が語られたことは必ず実現へと導かれるのです。その途中には一度ならず2度までも「これは私の妹です」と自らとサラの関係が夫婦であることを隠し、肉策我策、自己保身の心で問題に臨もうとしたことも否めません。それでも主は、ご自身を見上げるアブラハムに、その時その時関わって下さり、信仰の父と呼ばれる器へと立て上げて下さったのです。自分に失望してはなりません。主に望みをおくのです。「この私をも神様は造りかえることができる」。主はアブラハムのこの信仰のゆえに、彼を義とし、信仰の父、やがて神の友と呼ばれることを恥とされなかったのです。

■マタイ13:23ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」
★道ばたに落ちた種。岩地に落ちた種。いばらの中に落ちた種。そして良い地に落ちたものは30倍60倍100倍と。しかし大事なことは、人の心に関して最初から良い地はないと言うことです。神の言葉に示されて、聖霊様のあたたかな配慮のもと、罪を悔い、弱さ傷を認めて、励ましを受け取った結果、実を結ぶ良い地とされるのです。悔い改めてない罪は自己弁護、自己保身をもたらし。癒されていない傷を認めない場合は、時には自分は無意識の中にあっても結果、攻撃的人生の中で相手を傷付けざるを得ません。赦しと癒しは既に主の中に。恐れないで心を開き神様の恵みの中に飛び込む時そこから神様の不思議がはじまります。ヒデ

日曜日, 1月 10, 2010

20100110_創世19_詩篇22_マタイ12

■創世記19:8お願いですから。私にはまだ男を知らないふたりの娘があります。娘たちをみなの前に連れて来ますから、あなたがたの好きなようにしてください。ただ、あの人たちには何もしないでください。あの人たちは私の屋根の下に身を寄せたのですから。」
★ソドムとゴモラに神の使いが訪れた時、ロトは自分の家に泊まるようにと語りますが、ホモセックスを求めて戸を叩く町の汚れた人々の前に、自分の娘を差しだそうとするのです。アブラハムと分かれたときも、こうした時も外面のよさを優先しようとするロト。結果、彼は家族を失うことになるのです。しかし、本来ロトが守るべきは家族であり神様への信仰です。その心が世の欲に囚われている人のあわれを覚え、心のスイッチを明確に神様の側に切り替えさせて頂きましょう。

■詩篇22:1わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。
★あなたは父に捨てられた経験がおありですか、あれば主はあなたと同じ経験をなさいました。なければキリストが捨てられたのは、あなたが父なる神様に捨てられなくてすむ道を開いて下さるためです。感謝して受け取りましょう。

■マタイ12:45そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。」
★聖書はあなたが関心を寄せ、心開こうとするものについて、よく吟味しなさいと語ります。開いたものに影響を受けるのです。とりわけ注意すべきは偶像礼拝です。何にでも手を合わせることがないように。なぜなら霊的には手を合わせ、礼拝をすることによって、そこに契約関係が生じるからです。キリストはあなたを奴隷ではなく、あなたに自由を与えるために十字架の上で死んで下さいました。ヒデ

土曜日, 1月 09, 2010

20100109_創世17-18_詩篇19-21_マタイ11

■創世記17:5あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。
★アブラムとは高貴なる父、高められた父との意味。アブラハムとは多くの国民の父との意味。そう神様は人の生涯に関わり、名前とその人の本質を新しくして下さるお方です。サライはサラへ。シモンは大岩の意味であるペテロへ。大きいものとの意味のサウロは、キリストにあっていと小さき者との意味のパウロへ。押しのける者ヤコブは神様の皇太子との意味のイスラエルへ。あげれば更に続きます。あなたを母の胎に形づくられ、あなた以上にあなたを知っておられる神様は、どのようにあなたを祝福しようと計画しておられることでしょう。今まで以上に関心をもって神様の語りかけに耳を傾けましょう。あなたは神様の喜びの対象です。

■詩篇19:13あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、私は全き者となり、大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。19:14私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ。

■マタイ11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
★有名なキリストのことばです。どうすれば安らぎが与えられるのでしょう。この点においてある人々は誤解のゆえに失敗します。全ての責任の放棄、自由の権利の主張によってではありません。キリストがともに負って下さるくびきを負うことによってです。人は父なる存在、天の神様のもと、価値あることに参加し、自ら必要とされ、ともに励まし合える関係の中で満足と安らぎを経験します。あなたもこの関係の中で安んじましょう。ヒデ

金曜日, 1月 08, 2010

20100107_創世15-16_詩篇18_マタイ10

■創世記16:4彼(アブラム)はハガル(サライの女奴隷)のところに入った。そして彼女はみごもった。彼女は自分がみごもったのを知って、自分の女主人(サライ)を見下げるようになった。
★主人を見下げるようになったハガルもハガルです。しかし、アブラムの妻サライも「ご存じのように、主は私が子どもを産めないようにしておられます。どうぞ、私の女奴隷のところにお入りください。たぶん彼女によって、私は子どもの母になれるでしょう。」とアブラムに勧めたのです。その点聖書は「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」と教えます。主人の迷いは主人の迷いに留まりません。その下に置かれた全ての人に影響をもたらします。だからゆるがない神の言葉に踏みとどまる責任が大きいのです。あなたに必要なのは神の約束ですか。信仰ですか。それとも忍耐ですか。

■詩篇18:6私は苦しみの中に主を呼び求め、助けを求めてわが神に叫んだ。主はその宮で私の声を聞かれ、御前に助けを求めた私の叫びは、御耳に届いた。18:9主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして。
★主はあなたの為にくだって下さるお方です。

■マタイ10:28からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
★あなたは何を恐れているでしょう。人は何を恐れるかによって生涯が変わります。それは、ある人にとっては「あなたは何に支配されていますか」との言葉に置き換えることも可能かもしれません。唯一あなたが恐れることによってあなたを解放して下さるのは神様。それ以外はあなたを奴隷として縛るものであることに目がくらまされていてはなりません。ヒデ

木曜日, 1月 07, 2010

20100107_創世13-14_詩篇17_マタイ09

■創世記13:14ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。13:15わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。
★本当のところあなたは何に信頼しているのか。依存しようとするのか。神様のアブラムに対するテストです。そしてアブラムがロトに対して「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」と神様のみに望みを置いたとき、上のみ言葉が語られました。神様の祝福の法則を知って下さい。それは、まずは分離です。「父の元を離れ」の原則を心に刻みましょう。

■詩篇17:1主よ。聞いてください、正しい訴えを。耳に留めてください、私の叫びを。耳に入れてください、欺きのくちびるからでない私の祈りを。17:2私のためのさばきが御前から出て、公正に御目が注がれますように。

■マタイ9:18イエスがこれらのことを話しておられると、見よ、ひとりの会堂管理者が来て、ひれ伏して言った。「私の娘がいま死にました。でも、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。そうすれば娘は生き返ります。」
★主の奇蹟は「でも、おいでくださって……」と、主のみわざを信じて、主を問題のただ中に迎え入れようとする人を用いて為されます。あなたにとって問題と、主とどちらが大きいでしょうか。主の偉大さに目を留めましょう。主の愛の大きさに心を満たして頂きましょう。そして主を信頼して問題のただ中に迎え入れさせて頂きましょう。そして主の奇蹟を見させて頂きましょう。主は今日もあなたが主よお越し下さいと招く所に一緒に行って下さるお方です。ヒデ

水曜日, 1月 06, 2010

20100106_創世11-12_詩篇14-16_マタイ08

■創世記12:1主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。12:2そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
★「神の友」「信仰の父」「祝福の基」と呼ばれたアブラムの生涯に関わる記述のスタートです。子供が与えられていないアブラムとサライに神様は上の言葉を語られます。「そうすればあなたを大いなる国民にする」と。考えてみましょう。人に与えられているもので自分にないもの、それは必ずしも不幸でしょうか。いいえ。もしそれが同じように与えられていたらアブラム夫婦はこの時、神様に従うことは出来なかったでしょう。ならば自ずとその後の全ての祝福もありません。そう、人は弱さの中でこそ、主に心を向けることが出来るのです。あなたには人知れない弱さや痛みがありますか。それは見方を変えれば、あなたになくてはならない祝福ではないでしょうか。問題は神様に従い始める生涯を歩むかどうか。そして神様は従う者の生涯を必ず祝し、埋め合わせをして下さるお方です。アブラムを召し出された主はあなたをも召し出そうと「私の示す地に行きなさい」と語られるお方です。祝福を与えるために。

■詩篇16:7私は助言を下さった主をほめたたえる。まことに、夜になると、私の心が私に教える。16:8私はいつも、私の前に【主】を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。

■マタイ8:16夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみないやされた。8:17これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」
★そう主は「私たちのわずらいを、私たちの病を」十字架の上で身に受け、私たちの生涯に癒しと解放をもたらすために、この世に来て下さいました。信仰を持って今、この恵みを感謝して受け取りましょう。そこから主の命はあなたの内に注がれるのです。ヒデ

火曜日, 1月 05, 2010

20100105_創世09-10_詩篇11-13_マタイ07

■創世記9:15わたしは、わたしとあなたがたとの間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。
★洪水後、神様は改めて「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。」とノアの家族を祝福して下さり、その上で二度と洪水によっては滅ぼさないと虹の契約を下さいました。それが出来ないからではありません。いえ、できますが、愛がそれを留めたのです。よって聖書は「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。」と神様のご性質を証詞します。

■詩篇12:6主のみことばは混じりけのないことば。土の炉で七回もためされて、純化された銀。
★神の言葉は歴史上何度となく試され、それで人々は真理として受け入ることができるようになりました。試みの中にある時、それはどれほどの苦しみでしょう。しかし投げ出さないで下さい。神様がその試練の後、あなたを高く引き上げようとしておられるのですから。

■マタイ7:24だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。7:25雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
★この世の価値観は外見を飾らせようとしますが、神様はあなたの内面を揺るぎないものとして輝かせようとなさいます。神の言葉に聞き、そこに生きる決心をするのです。その時あなたは神様が生けるお方であることを体験し、神様の助けの中で、今まで成し得なかったことを成し遂げる人となるのです。ヒデ

月曜日, 1月 04, 2010

20100104_創世07-08_詩篇09-10_マタイ06

■創世記8:1神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。それで、神が地の上に風を吹き過ぎさせると、水は引き始めた。
★ノアの洪水の史実性に関心のある方へのキーワードは創世1:7「神は大空を造り、大空の下の水と、大空の上の水とを区別された。そのようになった。」の「大空の水」。ノアの洪水後の人間の年齢が急激に短くなった創世記11章の記載。更に化石形成にまつわる不思議です。端的にはそれまで地球を覆っていた厚い水蒸気層が、何らかの原因で雨となり地に注がれたことが原因です。
さて本論です。40日40夜降り続いた洪水の中で、ヨブ達はいつ降り止むのだろうと不安になった事でしょう。しかし御言葉には「神はノアを心に留めておられた」と記します。今、あなたはどんな不安をお持ちですか。しかし神様はあなたを心に留め、合わせてその不安にも終止符を打って下さるお方です。

■詩篇10:3悪者はおのれの心の欲望を誇り、貪欲な者は、主をのろい、また、侮る。10:4悪者は高慢を顔に表して、神を尋ね求めない。その思いは「神はいない」の一言に尽きる。10:5彼の道はいつも栄え、あなたのさばきは高くて、彼の目に、入らない。敵という敵を、彼は吹き飛ばす。
★本当にそうでしょうか。彼は知らないのです。やがて神様が正しい裁きをなさることを。悪に負けてはなりません。そしてあなたは、この詩でダビデがしたように、辛い思い、憤り、悲しみの訴えを主に持ち出してよいのです。主の前に辛く悲しい時、義憤の思いを留めることができない時、いつにも勝って、心を注ぎ出しましょう。主はあなたを受けとめて下さいます。

■マタイ6:4あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
★4・6・18節と3度御言葉は「隠れた所で見ておられるあなたの父」と記します。あなたの人生の厚みはどれほどでしょう。父なる神様のみご存知の愛の業はあなたの宝です。多くの人はそれを人の前で吹き鳴らし、自己宣伝に用い、祝福を虚しく地に落としてしまうのです。厚みのある人生を生きましょう。ヒデ

日曜日, 1月 03, 2010

20100103_創世05-06_詩篇06_マタイ05

■創世記6:7そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」6:8しかし、ノアは、主の心にかなっていた。
★神様さえ、手のつけようがないほどの悪とは、どれほどのものでしょう。これが自由を与えられた者の恵みと怖さです。その中でも一人輝く存在がノアです。神様は、罪を犯した人間に対して、もうダメだ。ゼロからやり直しと、書き損じた紙を丸めて、全部いっぺんにゴミ箱に捨てるようには、人を扱われません。むしろ回復を願い、その可能性に目を注がれるお方です。あなたは自分自身の過去の失敗の経験から、自分を諦めてしまってはいませんか。しかし主は決してあなたを諦めてはいませんよ。

■詩篇6:8不法を行う者ども。みな私から離れて行け。主は私の泣く声を聞かれたのだ。6:9主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる。
★その通りです。主は確かにあなたの流す涙に心を合わせ、嘆く声に耳を傾け、あなたをゆえなく滅びに陥れようとする者に対して、あなたに代わって戦って下さるお方です。神様はあなたを耐えられない試練に会わせることはなさらないばかりか、脱出の道をも備えて下さるお方です。信じましょう。そして報復の思いがあるなら、それを主の御手に委ねるのです。

■マタイ5:9平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
★主イエス様が山上の説教として語られた8つの祝福の中のひとつです。平和を語る人は沢山います。しかし主は、平和をつくる者たることを願われます。そしてそれは自らの心に平和を持つものでなければ実現不可能です。では第一ステップは何でしょう。心の中から赦せない思いを、全部主の前にはき出すのです。捨てれば新たに主の平和を受け取れます。そして主にある友に執り成しをしてもらうのです。そこから生まれる平和こそ、やがて世界を変える平和です。そしてそのスタートはあなたの心から。真の平和を造るために、神様に召しだされたあなたとあなたを主の前に執り成してくれる友に主の祝福を。ヒデ

土曜日, 1月 02, 2010

20100102_創世03-04_詩篇03-05_マタイ03-04

■創世記3:7このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。
★神様の言葉よりも、惑わす者、サタンの言葉をより信じたアダムとエバの姿です。罪とは何でしょう。それは、他者との違いが受け入れられなくなることです。ありのままの自分、他者と違う自分に自信が持てなくなるのです。その結果、物まね、責任転嫁、恐れの人生が始まります。しかし神様はこの時既に「神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。」と、キリストによる身代わりの救いの予表を示して下さいます。人が罪に支配されたその時から、私たちの望みは、ほふられる小羊キリストにあります。仰ぎましょう。そして生きるのです。

■詩篇3:7主よ。立ち上がってください。私の神。私をお救いください。あなたは私のすべての敵の頬を打ち、悪者の歯を打ち砕いてくださいます。3:8救いは主にあります。あなたの祝福があなたの民の上にありますように。
★まさにアーメン。あなたの祝福がこうしてディボーションを通して主に近づくおひとりおひとりの上にこの一年も豊かにありますように。

■マタイ4:11すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。
★御使いに支えられ仕えられるキリストの生涯のスタートです。そしてキリストが通ったこの誘惑は、神様を愛し、神様の御心を行いたいと願う人なら一度は誰でも通る試みです。ではキリストとあなたとの違いは。それはあなたが、その試みに勝利しようとする時、キリストはあなたのかたわらで励まし、あなたを力づけ、あなたを導いて下さる。即ちキリストはどんな時にもあなたのかたわらにいて下さるということです。キリストの側に立てば勝利は必ずあなたの側にあります。恐れなく立ちましょう。そしてあなたはこの一年、主の奇蹟をみるのです。ヒデ

金曜日, 1月 01, 2010

20100101_創世01-02_詩篇01-02_マタイ01-02

■創世記1:26神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」
★天地創造のくだりです。よりによってどうして人間を一番最後、6日目に造られたのでしょう。大切ならば、好きならば、一番最初に造ればいいものを。「いつ生まれても困らない用意ができてから」がその答えです。そうです神様はあなたを愛し、顧みておられるのです。神様はあなたの命をご計画のうちに与え、あなたの人生に希望と喜びを抱きつつ創造して下さいました。さあ今年も、その神様のあなたへの愛を発見する喜びの旅のスタートです。このメールを受け取られた全ての人の上に神様の祝福が豊かにありますように。

■詩篇1:3その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
★うわべではありません、問題は根っこが水路に届き、そこから命を受け取っているかどうかです。あなたのルーツとは何でしょう。そうこのディボーションを通しての主との交わりです。ですからあなたは何をしても栄えるのです。一人では弱いです。だから励ましつつ歩むのです。そして心を主に注ぎ出しましょう。

■マタイ1:19夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。
★あなたは年の初め、神様の御心を間違って受け取ったらどうしようと恐れに囚われてはいませんか。神様が見られるのは動機です。ここでもヨセフの決心は正しさにおいて不十分でしたが、神様は御使いを遣わし、完全にして下さいました。それに何より、ヨセフは神様の喜びの対象。そしてそれはあなたもです。この年の初め萎縮してはなりません。神様はあなたよりも大いなるお方。さあ背筋を伸ばして、示され、信じたところに従い歩み出しましょう。間違ってたら神様が軌道修正して下さいます。大丈夫。ヒデ

木曜日, 12月 31, 2009

20091231_ヨブ41-42_マラキ03-04_黙示録21-22

■ヨブ42:10ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブの繁栄を元どおりにされた。主はヨブの所有物もすべて二倍に増された。
★苦難の中、3人の友の自己満足の説得によってどれほどヨブの心は傷付いたことか。しかし主は彼らに「私の怒りはおまえたちに向かって燃える。それは、おまえたちがわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったからだ。今、おまえたちは雄牛七頭、雄羊七頭を取って、わたしのしもべヨブのところに行き、お前達のために全焼のいけにえをささげよ。わたしのしもべヨブはお前達のために祈ろう。わたしは彼を受け入れるので、わたしはあなたがたの恥辱となることはしない。あなたがたはわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったが。」と語られます。即ち主は必ずつじつまを合わせられるお方です。あなたがもし、いわれのないさげすみの中に置かれたとしても、悪に対し悪をもって酬いてはなりません。神様は「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』」と、あなたの義を輝かせ、悪に酬いて下さるお方なのですから。

■マラキ4:5見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。4:6彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」
★父の心を子に向けさせ、子の心を父に向けさせる、聖書の関係回復の奥義に精通したエリヤとは誰でしょう。あなたです。父の心をもった癒しの器としてあなたを立て上げようとする父の心を知って下さい。人の痛みを理解できる苦しみを主がもしあなたにゆるされたことがあるなら、それはこの事の為ではないですか。共に立ち上がりましょう。マラキは「その人の上には義の太陽が上り、その翼には、いやしがある」と語ります。ヒデ

水曜日, 12月 30, 2009

20091230_ヨブ40_マラキ02_黙示録19-20

■ヨブ40:3ヨブは主に答えて言った。40:4ああ、私はつまらない者です。あなたに何と口答えできましょう。私はただ手を口に当てるばかりです。40:5一度、私は語りましたが、もう口答えしません。二度と、私はくり返しません。
★これは全能者なる神様の臨在に触れ、その苦悩から放たれたヨブの神様への応答です。詩篇の記者もまた「万軍の神よ、われらをもとに返し、われらの救われるため、み顔の光を照してください。主とそのみ力とを求めよ、つねにそのみ顔を尋ねよ。」と、その苦悩からの脱出法を語ります。苦しければ苦しいほどに、何を求めることが幸いでしょう。それはまさに神様の御顔でしょう。父なる神様は裁きのためではなく、救いのためにあなたにみ顔を現して下さるお方。主の御名を崇め、主のみ顔を求め続けましょう。主の臨在があなたの救いです。

■マラキ2:10私たちはみな、ただひとりの父を持っているではないか。ただひとりの神が、私たちを創造したではないか。なぜ私たちは、互いに裏切り合い、私たちの先祖の契約を汚すのか。
★愛し合う関係ではなく、傷付け合う関係に人が流れることに、どれほど父なる神様は心を痛められることでしょう。あなたのこの一年は関係の修復のために心砕いた一年でしたか。それともそうしたことに無関心で、我が道を歩まれましたか。最後に残るのは関係しかないことを知る人は幸いです。

■黙示録20:2彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕らえ、これを千年の間縛って、20:3底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。
★ここには神様が地獄を造られた目的が明確です。人を誘惑し、人を滅ぼそうとするサタンをしばる為です。あなたは決して地獄にいってはなりません。キリストを仰ぎましょう。それが天国への道を歩む唯一の方法です。ヒデ

火曜日, 12月 29, 2009

20091229_ヨブ39_マラキ01_黙示録17-18

■ヨブ39:14だちょうは卵を土に置き去りにし、これを砂で暖めさせ、39:15足がそれをつぶすことも、野の獣がこれを踏みつけることも忘れている。39:16だちょうは自分の子を自分のものでないかのように荒く扱い、その産みの苦しみがむだになることも気にしない。39:17神がこれに知恵を忘れさせ、悟りをこれに授けなかったからだ。
★更に主はこの章でヨブに語りかけます。「あなたは岩間の野やぎが子を産む時を知っているか。あなたはこれらがはらんでいる月を数えることができるか。だれが野ろばを解き放ったのか。その力が強いからといって、あなたは野牛により頼むだろうか。また、あなたの働きをこれに任せるだろうか。」更に主は、「馬は、鷹は」と問いかけられます。こうしてヨブは知っていることはわずかで、むしろ知らないことの方が多いことを自覚させられます。その中で生かされているヨブ。神様への畏れの思いが深めらる中、さてヨブはこのお方に何と答えるのでしょう。神様のヨブへの語りかけがなお続きます。

■マラキ1:2「わたしはあなたがたを愛している」と主は仰せられる。あなたがたは言う。「どのように、あなたが私たちを愛されたのですか」と。
★旧約最後の預言マラキの警告です。「終わりの時代は神様への恩が軽んじられ、愛が冷える」と。父なる神様のあなたへの愛とは当たり前の愛ではなく、特別な愛です。あなたの目は既にこのことに開かれていますか。

■黙示録18:10彼らは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、こう言います。『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。力強い都、バビロンよ。あなたのさばきは、一瞬のうちに来た。』
★災い、滅びは一瞬です。そしてそれを来たらす最も恐るべきは高慢です。高ぶる者を退け、遜る者に恵みを備えたもう神様は、昔も今も変わることはありません。今日も感謝を持って一年を閉じる為に用いましょう。ヒデ

月曜日, 12月 28, 2009

20091228_ヨブ38_ゼカリヤ13-14_黙示録15-16

■ヨブ38:1主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。38:2知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。38:3さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。
★遂にヨブへの主の顕現です。「私が地の基をすえた時あなたはどこにいたか。海の源を定めた時、その淵の底を歩いたことがあるか。雪の倉に入ったことがあるか。あなたはプレアデスの鎖を結び、オリオンの綱を解き、北斗とその子星を導くことができるか。」この主からのヨブへの語りかけによって、どれほどヨブは慰められたことでしょう。そう、神様は人ではなく全能者。それをヨブはこの時体感し、全能者と人の違いを受け入れ、神様の語りかけによって満足したのです。十字架上の苦しみでキリストが最も苦しまれた苦しみとは何だったでしょう。それは「我が神、我が神どうして私をお見捨てになったのですか」と、神からの反応がないことでした。あなたはこれほどの苦しみを味わわれたことがあるでしょうか。そう思うと、神様からの叱責、警告、注意も、考えてみればみな神様が私に語って下さる恵み、それは神様のあなたへの愛なのです。さてヨブはこの全能者との出会いを通してこれから、いかに変えられて行くのでしょうか。

■ゼカリヤ13:1その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。13:2その日、─万軍の主の御告げ─わたしは、偶像の名をこの国から断ち滅ぼす。その名はもう覚えられない。わたしはまた、その預言者たちと汚れの霊をこの国から除く。
★「その日」を主は、あなたのためにも備えて下さいました。既に開かれた泉を受け取ったでしょうか。これからでしょうか。いずれにしても感謝です。主はあなたを顧みておられます。そして神様の約束はあなたの生涯に必ず成就するのです。神様は既にあなたを祝福しておられます。ヒデ

日曜日, 12月 27, 2009

20091227_ヨブ37_ゼカリヤ12_黙示録14

■ヨブ37:14これに耳を傾けよ。ヨブ。神の奇しいみわざを、じっと考えよ。
★主は伝道者の書の中で「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ」と私たちに語らせられますが、ここでもエリフはヨブの心を神様に向かせようと、背後で執り成し、励まします。そうして次の章でヨブは神様の語られる御声を聞き分けることができたのです。人の心を神様へと向かわせたエリフ。その背後には彼自身、神様に心を向けていた人であったことを忘れてはなりません。

■ゼカリヤ12:8その日、主は、エルサレムの住民をかばわれる。その日、彼らのうちのよろめき倒れた者もダビデのようになり、ダビデの家は神のようになり、彼らの先頭に立つ主の使いのようになる。
★あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、私たちをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身は、あなたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださるお方です。

■黙示録14:13また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行いは彼らについて行くからである。」
★主に、価値ある貢献をもって仕えさせて頂けるのは地上の生涯を生かして頂いている今。私たちです。聖書はやがて「夜が来る。すると誰も働けなくなる」と語ります。ですから、主の弟子パウロは「私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから」と語りました。2009年最後の週となりました。恵みの感謝と新たな年いかに主に仕えるべきか待ち望みと、決断の週となりますように。ヒデ

土曜日, 12月 26, 2009

20091226_ヨブ35-36_ゼカリヤ11_黙示録12-13

■ヨブ36:20国々の民が取り去られる夜をあえぎ求めてはならない。36:21悪に向かわないように注意せよ。あなたは悩みよりも、これを選んだのだから。
★エリフのヨブへのことばの底流には思いやりが流れています。エリフは語りかけます。「自分から進んで神様のさばきを招くようなことは避けるように。」また神様に挑戦し、神様を厳しく責めることのないようにと。エリフのことばは、ヨブが自らを語ることばの受容と励ましからのスタートです。キリストは「『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』ということがどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、罪のない者たちを罪に定めはしなかったでしょう」と語ります。

■ゼカリヤ11:4私の神、主は、こう仰せられる。「ほふるための羊の群れを養え。11:5これを買った者が、これをほふっても、罪にならない。これを売る者は、『主はほむべきかな。私も富みますように』と言っている。その牧者たちは、これを惜しまない。
★イスラエルの偽りの指導者への叱責です。転じて教会のリーダー、牧師への警告です。牧師が高慢に陥り罪を犯すことがないように背後のお祈りを、よろしくお願いします。神の僕の立てられた目的は、羊をコントロールし、羊によって私腹を肥やすことではなく、その人に萎えた部分があるならば、その癒しと回復のために、共に主のみもとに近づき、その人が、その人として遣わされた所で輝くことを助ける働きです。あなたは誰にも利用されてはならない、神様の誇りの作品、またこの世で光り輝く教会です。

■黙示録12:11兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
★主があなたに為して下さった証しとは力あるもの。それによって悪魔があなたに巻き付けようとする絶望の鎖を打ち砕くことができるのです。さあテストです。「私は弱い、しかし主は強い方。」を例文とするなら、あなたは「私は○○、しかし主は□□」の○と□にどんな言葉を入れますか。さあ悪魔の鎖を打ち砕きましょう。ヒデ

金曜日, 12月 25, 2009

20091225_ヨブ34_ゼカリヤ10_黙示録10-11

■ヨブ34:33あなたが反対するからといって、神はあなたの願うとおりに報復なさるだろうか。私ではなく、あなたが選ぶがよい。あなたの知っていることを言うがよい。
★前章に続いてエリフのヨブへの語りかけです。この章でもエリフは独断的な決めつけを回避し、ヨブの主体的判断と思いを述べることを求めています。それに対して3人の友のかつての言葉は「見よ。神は潔白な人を退けない。悪を行う者の手を取らない。ついには、神は笑いをあなたの口に満たし、喜びの叫びをあなたのくちびるに満たす。あなたを憎む者は恥を見、悪者どもの天幕は、なくなってしまう」でした。断定的な決め付けがいかに愚かかを心に覚えましょう。聖書は語ります。「隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現されたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである」と。

■ゼカリヤ10:6わたしはユダの家を強め、ヨセフの家を救う。わたしは彼らを連れ戻す。わたしが彼らをあわれむからだ。彼らは、わたしに捨てられなかった者のようになる。わたしが、彼らの神、主であり、彼らに答えるからだ。
★主はユダの家(南ユダ王国)ヨセフの家(北イスラエル王国)共に回復すると約束されます。もちろんあなたも私もその中に含まれます。

■黙示録11:1それから、私に杖のような測りざおが与えられた。すると、こう言う者があった。「立って、神の聖所と祭壇と、また、そこで礼拝している人を測れ。11:2聖所の外の庭は、異邦人に与えられているゆえ、そのままに差し置きなさい。測ってはいけない。彼らは聖なる都を四十二か月の間踏みにじる。
★礼拝者として測れ(数えよ)とはあなたが神様に保護されている保証です。同時に神様は測ってはならないと、なお救われる人が加えられることを望まれるお方です。やがて働けない夜が来ます。このお方の心を受けとめ、今日も主に遣わされた教会として生きましょう。ヒデ

木曜日, 12月 24, 2009

20091224_ヨブ33_ゼカリヤ09_黙示録07-09

■ヨブ33:8確かにあなたは、この耳に言った。私はあなたの話す声を聞いた。33:9「私はきよく、そむきの罪を犯さなかった。私は純潔で、よこしまなことがない。33:10それなのに、神は私を攻める口実を見つけ、私を敵のようにみなされる。33:11神は私の足にかせをはめ、私の歩みをことごとく見張る。」
★エリフはここで、これまで3人の友人に向かって語って来たヨブの言葉を要約します。そしてそれは、ヨブ自身も納得するものでした。人は以外と人の話を聞いているようで、本当は聞いておらず、次ぎに返す言葉を考えたり、いかに相手をねじ伏せようかと、使える言葉じりを探す時間に使ったりで、本当のところ聞いていないのです。しかし、聞くとはあなたがどう思うかの前に、その人がどう考え、どう感じているかを受けとめることです。不思議です。そうする時に、あなたが相手に語らなくとも、神様ご自身がその人に語って下さるのです。エリフの姿勢に倣いましょう。彼はヨブと同じ所に身を置き(6)決して自ら神になろうとはしませんでした。

■ゼカリヤ9:9シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。
★キリストが人となって来られる550年前、既に神様は預言者ゼカリヤを通して、キリストの十字架前のエルサレム入場を預言なさいます。そしてその通りの事として成就したのです。そのお方があなたの将来に計画を抱き、しかもその計画は災いではなく、あなたに将来を与え、平安と希望を与える計画です。安んじましょう。

■黙示録7:16彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。7:17なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」
★あなたの目の涙をぬぐって下さる方に目を向け、さあ一日を始めましょう。主は今日もあなたを祝福されます。ヒデ

水曜日, 12月 23, 2009

20091223_ヨブ31-32_ゼカリヤ08_黙示録05-06

■ヨブ32:13だが、おそらくあなたがたは言おう。「私たちは知恵を見いだした。人ではなく、神が彼を吹き払った」と。32:14彼はまだ私に向かってことばを並べたててはいない。私はあなたがたのような言い方では彼に答えまい。
★4人目の人物、エリフの登場です。彼はここでヨブの友人とは異なる視点から論じるつもりを前置きし、「神様以外にヨブを納得させ得る者はいない」との意味の「神が彼を吹き払った」の言葉を語り、ヨブの心を神様ご自身に向けさせます。確かにそれは今までの経験から得られるところの常識的な知恵と説得とは異なるもので、その人自身が神様からの語りかけに集中できるよう助けるものでした。
本当のカウンセリング、励ましとは何でしょう。聖書はここで真理を明確にします。それはその人自身が神様の語りかけを聞けるように助けることで、決して自ら神に変わって説得したり、分析することではありません。痛んだ人に仕えるためには、主はこう仰います。「その子をわたしの所に連れてきなさい」と。

■ゼカリヤ8:23万軍の主はこう仰せられる。「その日には、外国語を話すあらゆる民のうちの十人が、ひとりのユダヤ人のすそを堅くつかみ、『私たちもあなたがたといっしょに行きたい。神があなたがたとともにおられる、と聞いたからだ』と言う。」
★「私たち(異邦人)もあなたがた(選民イスラエル)と一緒に行きたい」と、旧約の祝福がここで明確です。では新約の恵みとは何でしょう。それは「全世界に出て行って(クリスチャン)」で、あなたこそが神殿であることを神様は明確に示します。出て行って新たな関係を築き、またすでにある関係を深めるために、あなたの中でそれを躊躇させるものがありますか。もしあれば、あなたにも主の癒しが必要です。主はそこに命を注ぎ、あなたが関係を楽しめる者となるために来て下さいました。主の愛がまだ届いていないあなたの心の深い部分に、このクリスマス、主の愛が豊かに豊かに届けられますように。ヒデ

火曜日, 12月 22, 2009

20091222_ヨブ29-30_ゼカリヤ06-07_黙示録03-04

■ヨブ30:8彼らはしれ者の子たち、つまらぬ者の子たち、国からむちでたたき出された者たちだ。30:9それなのに、今や、私は彼らのあざけりの歌となり、その笑いぐさとなっている。
★かつて滅びるばかりであった所をヨブがあわれみを掛け、使用人とした人たちでさえ今やヨブに仕える気持ちを失います。その苦悩を上のことばでヨブは表現します。主にある者は義理と人情に生きる必要は毛頭ないでしょう。しかし恵みに対する感謝を捨てることは信仰を捨てることを意味し、不信者以上に悪いと語ります。試みの中にある人にあなたはどんな形で励ましを与えることができるでしょう。全ての人にではないでしょう。しかし、確かにあなたは、ある人に対しては、その人の将来さえ変わるほどの鍵を握っているキーパーソンに違いありません。あなたの存在が励ましと慰めのために用いられますように。

■ゼカリヤ6:12 彼にこう言え。『万軍の主はこう仰せられる。見よ。ひとりの人がいる。その名は若枝。彼のいる所から芽を出し、主の神殿を建て直す。6:13彼は主の神殿を建て、彼は尊厳を帯び、その王座に着いて支配する。』
★やがて成就するイエス・キリストの預言です。若枝とはキリスト。では神殿とは……?それはあなたです。そう、主はあなたとあなたの生涯を再建して下さるのです。欠けを補う方法ではなく、あなたの従順を用いて新たに造りかえる方法です。そしてその神殿は永遠に続きます。

■黙示録4:10二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。
★これこそが、まさにあなたがやがて神様の前に出たときの光景であることを願います。ゆえに主は「わたしは、すぐに来る。あなたの冠をだれにも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい」と語られます。それを保つ秘訣は純粋な信仰ときよい愛です。ヒデ

月曜日, 12月 21, 2009

20091221_ヨブ28_ゼカリヤ04-05_黙示録01-02

■ヨブ28:20では、知恵はどこから来るのか。悟りのある所はどこか。
★地上には確かに価値あるものは数多くあるでしょう。しかしヨブは上の問に答えるならば、それは神様が人に仰せられたではありませんか「見よ。主を恐れること、これが知恵である。悪から離れることは悟りである」と、語ります。このことを箴言では「主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ」と更に強調します。何かを拾うため、下に目を向ける生き方もあるでしょう。しかし天を仰ぎましょう。本当にあなたを生かす良きものは主か来るのです。

■ゼカリヤ4:6すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は仰せられる。
★ゼルバベルとは、ペルシャのクロス王の勅令によってバビロンからエルサレムへ帰還する4万2千の民のリーダーとして立てられ人物です。厳しい状況の中にあるリーダーに対する神様の語りかけは明確です。「わたしの霊によって」。題目ではなく求めるべきは神様です。このお方によってこそ人は強められ立ち上がれるのです。

■黙示録1:7見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。
★あなたはキリストが再び来くると言う教えをご存知ですか。これは主ご自身が、天に帰られる前、ご自身、「用意が出来たならば私はまた来る」と語られた言葉に由来し、その信ぴょう性は確実です。だからこそ聖書は「神に会う備えをせよ」と語ります。黙示録を通してそうしましょう。再び来られる主への希望があなたの心に大きく大きく広がりますように。ヒデ

日曜日, 12月 20, 2009

20091220_ヨブ25-27_ゼカリヤ02-03_ユダ01

■ヨブ26:7神は北を虚空に張り、地を何もない上に掛けられる。
★コペルニクス的発想の転換とも言われますが彼が地動説を唱えたのは1490年代のこと。何とその3000年近く前にヨブはすでにこの事を、神様から啓示として示され、語っていたとは驚きです。この所から改めて神様は全能者であられ、ご自身に望みを置く者の生涯に、不思議と真理の啓示をもってご自身助け出して下さるお方であること示されます。ヨブのように、このお方にこそ拠り頼みましょう。神様は私たちの隠れ場、いと近き、そこにある助けです。

■ゼカリヤ2:1私が目を上げて見ると、なんと、ひとりの人がいて、その手に一本の測り綱があった。2:2私がその人に、「あなたはどこへ行かれるのですか」と尋ねると、彼は答えた。「エルサレムを測りに行く。その幅と長さがどれほどあるかを見るために。」
★旧約時代の王ベルシャザル王は測り縄で神様から測られ、足りないと宣告された人物の一人です。果たして測られても、なんのほころびもなく、神様の前に立つことのでき人があるのでしょうか。ひとりもありません。だからこそゼカリヤは、さあ共に主を仰ごうと私たちに語るのです。仰いで主の恵みを受け取りましょう。

■ユダ1:24あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、
★神様はユダを用いてもやはり信仰の望みは自分にではなく神様にあることを語ります。
主の弟子ペテロも同じように「あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。」と語りました。自ら握りしめる信仰ではなく、神様が握り続けて下さることを信じ感謝する信仰に生きましょう。ヒデ

土曜日, 12月 19, 2009

20091219_ヨブ23-24_ゼカリヤ01_2・3ヨハネ

■ヨブ23:10しかし、神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。
★口語訳聖書ではこの箇所を「しかし彼はわたしの歩む道を知っておられる。彼がわたしを試みられるとき、わたしは金のように出て来るであろう」と訳します。それはまさにパウロの「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」(1コリント10:13)の告白に通じます。そうです。キリストにある者はどんな八方塞がりに見える場合でも天への道は塞がれることはありません。そして、キリスト者とは自分がまだどんな者かをも知らない幼稚なものではなく、自らを知りつつも、燻し銀のように錬られきよめられた存在と言うのです。主の御手におちいりましょう。そこが最もあなたにとって安全です。

■ゼカリヤ1:3あなたは、彼らに言え。万軍の主はこう仰せられる。わたしに帰れ。-万軍の主の御告げ-そうすれば、わたしもあなたがたに帰る、と万軍の主は仰せられる。
★描かれたモナリザの微笑みが日毎に変わるわけではありません。それを見る自分の気分が変わるので、変わるように見えるのです。神様の愛も同様で、決してあなたを見放すことも、見捨てることもなさいません。ただ私たちの心がコロコロと変わるのです。だからこそ、変わらない主の愛と真実に支えられる必要があるのです。主を求めましょう。主は最初から変わることなくあなたに近くいて下さいます。

■3ヨハネ2愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。
★使徒ヨハネのくちびるを通して語られた主のあなたへの語りかけです。いいですねーっ。あなたは主に愛されています。ヒデ

金曜日, 12月 18, 2009

20091218_ヨブ22_ハガイ01_1ヨハネ05

■ヨブ22:21さあ、あなたは神と和らぎ、平和を得よ。そうすればあなたに幸いが来よう。22:22 神の御口からおしえを受け、そのみことばを心にとどめよ。22:23あなたがもし全能者に立ち返るなら、あなたは再び立ち直る。あなたは自分の天幕から不正を遠ざけ、22:24宝をちりの上に置き、オフィルの金を川の小石の間に置け。22:25そうすれば全能者はあなたの黄金となり、尊い銀があなたのものとなる。
★3巡目のヨブを訴えるエリファズの言葉にもう嫌気がさします。言っていることは最もでしょう。しかしエリファズよ、お前の言う言葉と、神様が義人と仰るヨブと何の関係があるのかと言いたくなります。人間とは一旦思いこんだらどこまで自分を自己肯定し、相手をねじ伏せたら気が済むのでしょうか。ヨブが「エリファズ様。私が悪うございました。」とでも言って頭を下げれば、それで満足なのでしょうか。しかしこれが現実の人間の姿です。

■ハガイ1:14主は、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルの心と、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアの心と、民のすべての残りの者の心とを奮い立たせたので、彼らは彼らの神、万軍の主の宮に行って、仕事に取りかかった。
★彼らが取りかかった仕事とは何でしょう。神殿建設です。キリストは神の宮であるあなた自身を神の宮として建て上げようとしておられます。あなたはそれを喜び、歓迎し協力していらっしゃいますか。あなたの人生の主権者として主を認め、主の語りかけに喜びをもって同意し、従いましょう。そこから奇蹟の生涯が始まります。

■1ヨハネ5:3神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
★どんなに小さく力なく親を助けることのできない子供でも、父を喜ばすことができます。それは父の言いつけを守ることです。しなければ受ける罰のためではありません。愛のゆえにそうするのです。それが神様の愛を知った者の歩みです。あなたはもう奴隷生活から解放されましたか。ヒデ

木曜日, 12月 17, 2009

20091217_ヨブ21_ゼパニヤ03_1ヨハネ03-04

■ヨブ21:1ヨブは答えて言った。21:2あなたがたは、私の言い分をよく聞け。これをあなたがたの私への慰めとしてくれ。21:3まず、私が語るのを許してくれ。私が語って後、あなたはあざけってもよい。
★「天は彼の罪をあらわし、地は彼に逆らって立つ。彼の家の作物はさらわれ、御怒りの日に消えうせる。」と語るツォファルの蔑みの言葉を受けて、ヨブが上の言葉を返します。試みの中にある者の語る言葉に耳を傾けることなく、自分勝手に分析し、さもそれが最高の提案のように語る愛のない言葉にヨブはほとほと疲れます。あなたは愛する人の語る言葉に先ず耳を傾けていますか。人を生かし励ますために、自分勝手な分析は何の役にも立ちません。

■ゼパニヤ3:17あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。
★この御言葉が実現したあなたは、主にあって何と素晴らしい存在でしょう。主はあなたによって喜び、楽しまれるのです。そしてあなたこそ神様の臨在を持ち運ぶ「教会」です。どうか、神様が喜びを持って置かれたその場所で、あなたが豊かに輝きますように。

■1ヨハネ3:20たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。
★「神様は私たちの心よりも大きなお方。」あなたはこの真理を受け取っているでしょうか。それともこの恵みから離れ、自分の欠点や、汚れをみて自分に失望落胆し、自分を裁いてしまっていますか。だとするならば、それはサタンです。だまされてはなりません。主は最初にあなたに声をかけられたその時から、いえその前から、主はあなたの全てを知られ、その上であなたを赦しておられます。仰ぐのです。主の愛に飛び込むのです。そしてその主の愛の中であなたは生きるのです。ヒデ

水曜日, 12月 16, 2009

20091216_ヨブ20_ゼパニヤ02_1ヨハネ01-02

■ヨブ20:2それで、いらだつ思いが私に答えを促し、そのため、私は心あせる。20:3私の侮辱となる訓戒を聞いて、私の悟りの霊が私に答えさせる。
★「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。」「このいわれのない苦難の中で、私に苦難をゆるされた神御自身は、あなた方が何と言おうと必ず救い出して下さる」とヨブが語ったとき、ナアマ人ツォファルが最初に語ったことばが上の言葉です。ツォファルにとってみれば売り言葉に買い言葉で、彼の内にある怒りの霊を留めることができず、ヨブに自らの感情と思いをぶちまけるのです。自分の方が絶対に正しいと、自らを神様の立場に置いた者のなせるわざです。売り言葉に買い言葉で人は罪のない人を傷付けます。だからこそ十字架が必要です。一度自分の思いを十字架につけ、言葉のとげを主の恵みによって抜いて頂いて語るのです。

■ゼパニヤ2:15これが、安らかに過ごし、心の中で、「私だけは特別だ」と言ったあのおごった町なのか。ああ、その町は荒れ果てて、獣の伏す所となる。そこを通り過ぎる者はみな、あざけって、手を振ろう。
★エチオピアに臨んだ主の裁きです。あなたは「私だけは特別だ」と「私も特別だ」の違いが分かりますか。その違いが主の裁きを身にもたらすのです。

■1ヨハネ2:28そこで、子どもたちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、キリストが現れるとき、私たちが信頼を持ち、その来臨のときに、御前で恥じ入るということのないためです。
★ヨハネが語る重要なメッセージのひとつに「キリストにとどまる」があります。そう、あなたは生涯、キリストに留まり、通り過ぎて、キリストを卒業してはならないのです。サタンの誘惑はエバを誘惑したときと同様、まずあなたを神の言葉から引き離そうとさせ、次ぎに神の言葉を否ませるのです。だまされてはなりません。離れてはなりません。キリストにとどまる以外、あなたを恵みのいのちに保つ秘訣はないのですから。ヒデ

火曜日, 12月 15, 2009

20091215_ヨブ18-19_ゼパニヤ01_2ペテロ03

■ヨブ19:25私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。19:26私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。
★2度目のビルダデの「彼には自分の民の中に親類縁者がなくなり、その住みかにはひとりの生存者もなくなる」の言葉を受けてヨブが語った、ヨブ記の中で最も重要な聖句の一つと言うことのできる御言葉です。元来は確かに「贖う者」は親族縁者でしょう。しかし、このいわれのない苦難の中で、私に苦難をゆるされた神御自身が必ず救い出して下さるのだと、まさに神様から預言的な言葉をヨブは授かるのです。そうです。あなたの人生とその苦難に責任を取って下さるのは人ではありません。神様ご自身です。そして、このお方はあなたを弁護して下さる為に地の上に立たれます。その成就の一つが御子の受肉、クリスマスです。ヨブのごとくこのお方に望みを置きましょう。

■ゼパニヤ1:18彼らの銀も、彼らの金も、主の激しい怒りの日に彼らを救い出せない。そのねたみの火で、全土は焼き払われる。主は実に、地に住むすべての者をたちまち滅ぼし尽くす。
★神の選びの民「イスラエル」の回復を願う主の叱責です。人はいざと言うとき自らを救い得ない、命のないものになんと望みを置く者でしょう。激しい叱責の中に「目覚めよ。悟れ」との主の愛が込められていることを受け止めましょう。

■2ペテロ3:16その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所の場合もそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。
★聖書は自分自身を滅びに至らせる原因について、それはその人の心が定まっていないことだと指摘します。あなたは既に心を定めましたか。自分ではなく、まず神様を愛することをもって心を定めましょう。そこからあなたを生かす祝福は流れます。ヒデ

月曜日, 12月 14, 2009

20091214_ヨブ16-17_ハバクク03_2ペテロ01-02

■ヨブ16:19今でも天には、私の証人がおられます。私を保証してくださる方は高い所におられます。16:20私の友は私をあざけります。しかし、私の目は神に向かって涙を流します。16:21その方が、人のために神にとりなしをしてくださいますように。人の子がその友のために。
★エリファズの呵責のない2度目の叱責。しかしヨブの心は更に神様へと向けられます。そして9章では「神は私のように人間ではないから、私は『さあ、さばきの座にいっしょに行こう』と申し入れることはできない。私たちふたりの上に手を置く仲裁者が私たちの間にはいない」と語っていたヨブが、ここでは神様とヨブとの間をとりなして下さる仲介者を語るのです。ここから伝えたいことは、神を仰ぎ続けようとする者に、神様は救い主に対する啓示を新たに更新し、続けて下さること。御言葉は試練と同時に脱出の道を備えて下さる主を明確に語っています。信頼し近づきましょう。

■ハバクク3:12あなたは、憤って、地を行き巡り、怒って、国々を踏みつけられます。3:13あなたは、ご自分の民を救うために出て来られ、あなたに油そそがれた者を救うために出て来られます。
★主は、ご自身、油注いだもの「神様の特別の選びの器として祝福を与えた者」のために戦って下さるお方。そしてあなたの頭には既に油が注がれています。

■2ペテロ1:18私たちは聖なる山で主イエスとともにいたので、天からかかったこの御声を、自分自身で聞いたのです。
★変貌山でモーセとエリヤとイエス様が語り合う光景に遭遇したペテロ。「キリストの威光の目撃者なのです」と、キリストの再臨について語るペテロの確信はこの出来ごとにあります。頭の中での理解から更に体験の恵みへと引き上げられたペテロ。体験に勝る力はそう多くありません。御言葉への従順を通し、今日も一日神様を体験しましょう。ヒデ

日曜日, 12月 13, 2009

20091213_ヨブ15_ハバクク02_1ペテロ03-05

■ヨブ15:2知恵のある者はむなしい知識をもって答えるだろうか。東風によってその腹を満たすだろうか。15:3 彼は無益なことばを使って論じ、役に立たない論法で論じるだろうか。15:4 ところが、あなたは信仰を捨て、神に祈ることをやめている。15:5 それは、あなたの罪があなたの口に教え、あなたが悪賢い人の舌を選び取るからだ。15:6 あなたの口があなたを罪に定める。私ではない。あなたのくちびるがあなたに不利な証言をする。
★友人のヨブへの励まし?(説得・強迫)が一巡した後、再びエリファズのヨブへの励まし?(叱責)です。ヨブの慰めの為か、自分の義の正しさの証明の為か分かりません。聖書は初めの愛にもどること、留まることの尊さを教えます。

■ハバクク2:4見よ。彼の心はうぬぼれていて、まっすぐでない。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。
★私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者として召し出されました。信仰に立った決断を今週も心掛けましょう。

■1ペテロ5:6ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。5:7あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
★自分で今の地位を高く引き上げよう。将来について心配しよう、としないようにしましょう。なぜなら主がそのことをして下さるのですから。主があなたに求めておられる主への信頼の中を今週も歩ませて頂きましょう。ヒデ

土曜日, 12月 12, 2009

20091212_ヨブ14_ハバクク01_1ペテロ02

■ヨブ14:14人が死ぬと、生き返るでしょうか。私の苦役の日の限り、私の代わりの者が来るまで待ちましょう。14:15あなたが呼んでくだされば、私は答えます。あなたはご自分の手で造られたものを慕っておられるでしょう。
★ヨブが生きたこの時代。復活の信仰が明確に啓示されていた訳ではありません。その中でも彼は前章に続き、繰り返し「あなたが呼んでくだされば、私は答えます」と神様に望みをおきます。詩篇の記者は「民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。」と告白しました。心を注ぎだして神様に向かう、これほど人が単一な心、二心なく純粋な者として神様の前に近づく方法はないでしょう。あなたが心を注ぎだして神様に近づいたのはいつでしょう。主はその姿勢を何にもまして喜ばれます。

■ハバクク1:12主よ。あなたは昔から、私の神、私の聖なる方ではありませんか。私たちは死ぬことはありません。主よ。あなたはさばきのために、彼を立て、岩よ、あなたは叱責のために、彼を据えられました。
★バビロンに征服されるイスラエル。しかしハバククのそのことに対する捉え方は「叱責」、即ち回復で、まさにその通りです。神様の選びと召しは変わる事がありません。たとえ神様があなたに叱責のメッセージを送られることがあっても、それは同様です。神様はあなたを愛しておられます。

■1ペテロ2:24そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。2:25あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。
★そうです。立ち帰ったのです。「失われている」とは、本来あるべきものが、あるべき所にないこと。しかしあなたは本来あるべき神のもとに立ち帰ったのです。全ての祝福の源である神様の御腕の中心に今、立っているのです。仰ぎましょう。胸を張りましょう。神様があなたの見方です。ヒデ

金曜日, 12月 11, 2009

20091211_ヨブ13_ナホム03_1ペテロ01

■ヨブ13:13黙れ。私にかかわり合うな。この私が話そう。何が私にふりかかってもかまわない。13:14それゆえ、私は自分の肉を自分の歯にのせ、私のいのちを私の手に置こう。13:15見よ。神が私を殺しても、私は神を待ち望み、なおも、私の道を神の前に主張しよう。
★「黙れ」と、ヨブがその苦しみを、人を無意識の内にも傷付ける3人の友にはき出すことが出来たことを、思わず、よかったと思います。いったいどれほどのヨブの苦しみでしょう。確かに3人はヨブの痛みを知る必要があったでしょう。また、こうしてヨブが自分をはき出す機会がなければ、ヨブの内にある余りに深い悲しみと絶望、怒りはヨブ自身を滅ぼすこととなったでしょう。その上で彼は更に「ただ二つの事を私にしないでください。そうすれば、私は御顔を避けて隠れません。それは苦悩をもたらすあなたの御手と威圧的恐怖です。それで私をおびえさせないでください。神様、呼んでください。私は答えます。」と、その心を神様に向かわせるのです。そして神様に向かおうとするヨブにひとつも無駄なことはありません。神様はやがて万事を益として下さいます。ヨブのように逃げないで、神様に向き合おうとする人は、決して不幸でないことを深く心に刻みましょう。

■1ペテロ1:21あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。
★多くの人はキリストを信じた後、こんなにも尊い救いにあずかったのだから、これから主を悲しませることのないようにと、注意深い生活に心掛けることでしょう。しかし殆ど間違いなく、人は誰でも失敗を経験するものです。そして自分を見て「やっぱり私はダメだ」と落胆するのです。しかしイエス様はその事さえも知り、既に受け止め赦して下さっているお方です。あなたは主が、裏切ったペテロに「あなたの信仰がなくならないように祈った」との箇所をご存知ですか。いいですか。既にあなたの生涯は、あなたにではなく、神様にかかるものとなったのです。即ち主を告白するあなたは、必ず主の真実と愛によって支えら守られるのです。このキリストにあって安んじましょう。ヒデ

木曜日, 12月 10, 2009

20091210_ヨブ12_ナホム01-02_ヤコブ05

■ヨブ12:1そこでヨブが答えて言った。12:2確かにあなたがたは人だ。あなたがたが死ぬと、知恵も共に死ぬ。12:3私にも、あなたがたと同様に、悟りがある。私はあなたがたに劣らない。だれかこれくらいのことを知らない者があろうか。
★キリストは弟子ユダの裏切りを「私が信頼し、私のパンを食べた親しい友までが、私にそむいて、かかとを上げた」と旧約聖書詩篇を引用して、その心境を語りましたが、3人の友の説得の言葉が一巡した時、ヨブの心境も同じでした。しかしこの時ヨブに必要で、彼が求めたものは、説得ではなく、同情であり、理解でした。「世には友らしい見せかけの友がある、しかし兄弟よりもたのもしい友もある。」(旧約聖書箴言)いかがでしょう。あなたは、あなたを必要とする人々にとって良き友となっているでしょうか。立ち止まって主の語りかけに耳を傾けましょう。

■ナホム1:3主は怒るのにおそく、力強い。主は決して罰せずにおくことはしない方。主の道はつむじ風とあらしの中にある。雲はその足でかき立てられる砂ほこり。
★ヨナの宣教によって悔い改め、神様の裁きを免れた町ニネベ。しかし、その悪が悔い改めの可能性がないほどのものとなって、もう一度のぼってきたとき、神様は預言者ナホムを立て、それを叱責されます。間違ってはいけません。神様はあなどられるお方でも、偏り見られるお方でもありません。そしてキリストは世の終わりもう一度地の上に立たれます。どうか正しいキリストの裁きが、あなたに災いではなく、祝福をもたらすものでありますように。

■ヤコブ5:7こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。5:8あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。
★「主の来られるのは近い」。そうあなたの為に、主の来られるのは近いのです。勇気を主から受け取りましょう。そして悪に負けてはなりません。今日あなたの顔は主にある笑顔と感謝に満ちてますか。行ってらっしゃい。ヒデ

水曜日, 12月 09, 2009

20091209_ヨブ11_ミカ07_ヤコブ03-04

■ヨブ11:1ナアマ人ツォファルが答えて言った。11:4あなたは言う。「私の主張は純粋だ。あなたの目にも、きよい」と。11:5ああ、神がもし語りかけ、あなたに向かってくちびるを開いてくださったなら、11:6神は知恵の奥義をあなたに告げ、すぐれた知性を倍にしてくださるものを。知れ。神はあなたのために、あなたの罪を忘れてくださることを。
★エリファズが教条主義者、ビルダデが建て前主義者であるとすればツォファルは感情露出型で、もはやヨブへの同情心は全く見られず本人は気づいていませんが暴力を振るう始末となっています。暴力とは何でしょう。
それはノーと言える関係、フェアーな関係かどうかです。腕力、能力、経済力、言葉の巧みさ、知識において、ああかなわないと感じさせ、怒らせたら怖いとの恐怖心を相手に植え付け、コントロールしようとしたら、もはやフェアーな関係は保てません。それは既に暴力なのです。(日本伝道会議)身体的暴力と目に見えない暴力、いずれも、主の十字架の愛とキリストの身体なる教会、共同体の愛はその心に癒しをもたらします。

■ミカ7:8私の敵。私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がり、やみの中にすわっていても、主が私の光であるからだ。
★ミカのように敵に対し萎縮ではなく、信仰の宣言により立ち上がろうとする信仰があなたを強め、信仰の成熟へと向かわせます。さあ今、声に出して宣言してみましょう。「闇の中に座っていても、主が私の光だ」と。

■ヤコブ4:7ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。
★いいですか。本当の真理はあなたの全てにおいて、神様には既に赦しの用意があることです。しかしサタンはそれを隠し、恐れであなたの心を支配し、問題の本質に向き合えなくさせ、蓋をさせてコントロールしようとするのです。だまされてはなりません。あなたはその恐れを信仰によって打ち砕くことが可能です。逃げではなく、キリストと共に問題の本質に向き合うのです。すでに光は闇の中に輝いています。ヒデ

火曜日, 12月 08, 2009

20091208_ヨブ10_ミカ06_ヤコブ02

■ヨブ10:7あなたは、私に罪のないことを知っておられ、だれもあなたの手から救い出せる者はいないのに。10:8あなたの御手は私を形造り、造られました。それなのにあなたは私を滅ぼそうとされます。10:9思い出してください。あなたは私を粘土で造られました。あなたは、私をちりに帰そうとされるのですか。
★「あなたは、私に罪のないことを知っておられ……」と、この苦しみの中にもヨブは神様の真実に拠り頼みつつ主に語りかけます。そして、ヨブ記の結末は、主ご自身がヨブの前に現れ、語りかけて下さり、一挙にヨブは苦悩のトンネルを抜け出すことに。しかし彼はまだこの時点では全く先が見えないのです。その中で神様に信頼し続けようとするヨブ。あなたはヨブのこの姿から何を学ぶでしょう。

■ミカ6:8主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。
★神様を愛することは、人の前の生き様としてあらわれるもの、とミカは語ります。まことの礼拝者は、その生活において自ずと愛の実践者となるのです。クリスマスを前に探られ、慰めの人とさせて頂きましょう。

■ヤコブ2:22あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行いとともに働いたのであり、信仰は行いによって全うされ、2:23 そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
★「神の友」と呼ばれたアブラハムの信仰から学べる特権です。信仰とは机上の学びで終わるものであってはなりません。生涯の中で信じたとおりに生きようとし、その中で助けて下さる神様を体験し、真心からの感謝の礼拝へと導かれることです。信じて行動に移した時、結果の如何は問題ではなく、それを失敗とは呼びません。むしろ自己保身のため踏み出さないこと、それこそが最大の失敗です。さあ今日も誰も歩いたことのない道を、主を信じ、主と共に歩み出しましょう。ヒデ

月曜日, 12月 07, 2009

20091207_ヨブ09_ミカ05_ヤコブ01

■ヨブ9:32 神は私のように人間ではないから、私は「さあ、さばきの座にいっしょに行こう」と申し入れることはできない。9:33 私たちふたりの上に手を置く仲裁者が私たちの間にはいない。
★二人目の友ビルダデへのヨブの反論です。
ヨブは先ずビルダデの言葉に「まことに、そのとおりであることを私は知っている。しかし、どうして人は自分の正しさを神に訴えることができようか」。「神はただひとりで天を張り延ばし、海の大波を踏まれる。神は大いなることを行って測り知れず、その奇しいみわざは数えきれない。」と3人の友よりも深い神理解を示しつつ、上の言葉を語りました。
それはまさに預言的な言葉で「人間同士の争いは仲介者に和解の労を依頼できるが、神様との間の仲介者は考えられない」との意味でした。しかしその考えられないことがクリスマスにおこったのです。み位を捨てて人となって下さったキリストがご自身の命を懸けてその仲介役を全うして下さったのです。あなたは今試練の中にいますか。しかし、聖書はその中でしか悟り得ない真理や言葉のあることをここに示します。

■ミカ5:2ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。
★「救い主はベツレヘムに」とのこの預言どおりキリストはこの町で誕生されます。この小さな町を忘れない主は、あなたをも間違いなく顧みておられます。仰ぎましょう。そして主の愛を全身で受け取りましょう。

■ヤコブ1:2私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。1:3信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。1:4その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。
★主の実弟、十字架のあと弟子となったヤコブの告白です。ヒデ

日曜日, 12月 06, 2009

20091206_ヨブ08_ミカ03-04_ヘブル13

■ヨブ8:5もし、あなたが、熱心に神に求め、全能者にあわれみを請うなら、8:6もし、あなたが純粋で正しいなら、まことに神は今すぐあなたのために起き上がり、あなたの義の住まいを回復される。
★「もし、あなたが……、もし、あなたが……」と繰り返して語る人物は、エリファズと同じく1週間は何も言わずヨブに寄り添ったヨブの友ビルダデです。しかし彼はエリファズとヨブが交わす会話を聞いた為か、さながら最初から叱責するかの如くです。私が、ヨブを悔い改めに導かなければとの強い思いがあったのでしょうか。しかしどんな時にも鼻から息をする私たちのスタートは、聖霊様の助けを仰ぎつつの傾聴です。自分を神の立場に置くことのないように。

■ミカ4:13シオンの娘よ。立って麦を打て。わたしはあなたの角を鉄とし、あなたのひづめを青銅とする。あなたは多くの国々の民を粉々に砕き、彼らの利得を主にささげ、彼らの財宝を全地の主にささげる。
★主の選びの民に対する回復の預言です。イスラエルは確かに苦悩のバビロン捕囚を通りますが、その苦難の中で今まで不可能だった偶像礼拝から手を切ることになるのです。主に選ばれたあなたの生涯にもそのことは起こります。その根拠は召されたお方の真実のゆえで、主の真実と恵みは必ずあなたの生涯に勝ち得て余りある人生をもたらします。自分ではありません。主の言葉を信じて仰ぐのが信仰です。主の母マリヤは「お言葉どおりこの身になりますように」と告白し、わが身になされる神の言葉の成就を見たのです。

■ヘブル13:20永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを死者の中から導き出された平和の神が、13:21イエス・キリストにより、御前でみこころにかなうことを私たちのうちに行い、あなたがたがみこころを行うことができるために、すべての良いことについて、あなたがたを完全な者としてくださいますように。どうか、キリストに栄光が世々限りなくありますように。アーメン。
★まさにアーメン。あなたを完全にして下さるお方は主以外にありません。ヒデ

土曜日, 12月 05, 2009

20091205_ヨブ06-07_ミカ02_ヘブル12

■ヨブ6:8ああ、私の願いがかなえられ、私の望むものを神が与えてくださるとよいのに。6:9私を砕き、御手を伸ばして私を絶つことが神のおぼしめしであるなら、6:10私はなおも、それに慰めを得、容赦ない苦痛の中でも、こおどりして喜ぼう。私は聖なる方のことばを拒んだことがないからだ。
★友エリファズの説得に対するヨブの反論です。原因の分からない苦悩。それほどに人の心を萎えさせ苦しめることのないことがここでも描かれます。それに対して、原因が明確な罪のゆえに負っている苦悩とは反面なんと感謝なことでしょう。キリストはその為に贖いを完成し、その罪を告白し十字架を仰ぐなら罪赦され、その苦悩から明確に解き放たれることが出来るのですから。だからこそ今日という日に主の御声を聞いたならその語りかけを虚しくしてはならないのです。恵みの中にあることを改めて感謝しましょう。

■ミカ2:13打ち破る者は、彼らの先頭に立って上って行き、彼らは門を打ち破って進んで行き、そこを出て行く。彼らの王は彼らの前を進み、主が彼らの真っ先に進まれる。
★打ち破る者とは敵国から神の民を解放する神様ご自身です。即ち主はあなたの前に置かれた門、あなたの自由な前進を留める門を打ち破って下さるお方です。主が先頭に立たれるので、あなたは必ず勝利し門から出て行きます。この預言的な言葉を受け取るあなたの生涯に必ずそれがおこります。ハレルヤ主よ感謝します。●の将来には希望があります。

■ヘブル12:26あのときは、その声が地を揺り動かしましたが、このたびは約束をもって、こう言われます。「わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす。」12:27この「もう一度」ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。
★やがて神様の前に立つとき、人間が欲と肉で築いたもので何一つ残るものはありません。霊に命を蒔きましょう。ヒデ

金曜日, 12月 04, 2009

20091204_ヨブ05_ミカ01_ヘブル11

■ヨブ5:17ああ、幸いなことよ。神に責められるその人は。だから全能者の懲らしめをないがしろにしてはならない。5:18神は傷つけるが、それを包み、打ち砕くが、その手でいやしてくださるからだ。
★ヨブの友エリファズの説得の続きで、彼の言うことはもっともです。そして彼は「神は悪賢い者のたくらみを打ちこわす。それで彼らの手は、何の効果ももたらさない。神は知恵のある者を彼ら自身の悪知恵を使って捕らえる。彼らのずるいはかりごとはくつがえされる。」とさえ語り、結果ヨブの心の傷口に塩をすり込む様な言葉へと進みます。しかしヨブの苦悩の原因は別の所にあり罪の結果ではありません。的を得ない、言葉数の多いことがいかに人を傷付けるかを心に刻みましょう。あなたは人を説得し、相手を変えようとすることに焦点を置いた人生を歩んではなりません。むしろその人を理解しようと努め、寄り添い友となることに焦点を置いて生きるのです。

■ミカ1:3見よ。主は御住まいを出、降りて来て、地の高い所を踏まれる。
★ミカはキリスト誕生の740-680年前ごろ、即ちイザヤと同年代に活躍した預言者です。彼はキリスト降誕の地と、神の公義を生きることの尊さを主にあらわしました。あなたは託された生涯で何を中心にあらわしますか。

■ヘブル11:6信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
★このヘブル人の著者は、根拠なしにこの言葉を語ったのではありません。アベル、エノク、ノア、アブラハム、……と16人とそこにまだ含まれていない人たちの名をあげて、信仰による歩みの確実性を語るのです。あなたは神様を脇に置いた、神抜きの計算の生涯を生きてはなりません。神様を期待し、神様を見上げる生涯を生きるのです。その生涯で神様が働かれる領域を豊かに備えるのはあなた自身のテーマです。あなたの信じたとおりになりますように。ヒデ

木曜日, 12月 03, 2009

20091203_ヨブ03-04_ヨナ04-03_ヘブル10

■ヨブ4:7さあ思い出せ。だれか罪がないのに滅びた者があるか。どこに正しい人で絶たれた者があるか。4:8私の見るところでは、不幸を耕し、害毒を蒔く者が、それを刈り取るのだ。
★ヨブはそもそも神様ご自身が義人であることを認める者。そして、その降りかかった災いも神様を訴えるサタンのゆえに神様が「彼の命には触れるな」と、制限を加えた上で許されたもの。しかしそれを知らされていないヨブの心には「私の生まれた日は滅びうせよ。男の子が胎に宿ったと言ったその夜も。その日はやみになれ」との思いさえ湧きあがります。その原因が分からない苦悩ほど人を痛めることのないことを覚えましょう。
初めの御言葉は、その中で友人エリファズがヨブに語った言葉です。友人として1週間寄り添いながら一言も語らなかったエリファズが口にした言葉です。「さあ思い出せ。だれが罪がないのに滅びた者があるか……」は確かに原則でしょう。しかしその友情さえも今はヨブを苦しめるのです。苦難の中にある友への友情をきよめて頂きましょう。また、原因の分からない苦悩の中におかたれたとき、一旦深く自らを内省した後は、神様を仰ぐことの尊さをも心に留めましょう。イエス・キリストの弟子パウロは「私は自分で自分をさばくことさえしません」と語りました。神様の御手の中にただ陥るのです。

■ヨナ4:2主に祈って言った。「ああ、主よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへのがれようとしたのです。私は、あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直されることを知っていたからです。
★罪とは何でしょう。その本質は神様の恵みにさも突き上げるような思いが涌きあがるヨナのその心です。預言者ヨナさへもその心は痛んでいたのです。人は皆キリストにある十字架の癒しが必要です。

■ヘブル10:36あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。ヒデ

水曜日, 12月 02, 2009

20091202_ヨブ01-02_ヨナ02-03_ヘブル08-09

■ヨブ1:21そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」
★しかし、彼は彼女に言った。「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか」と。この二つの御言葉は自然災害によって10人の子供を亡くし、更には自分の身に腫瘍を病み、妻から「もう信仰もいい加減にしなさいよ。こんなに苦しい目に合わされているのに。信仰を捨て、神を呪って死になさい」と言われた時、語ったヨブのことばです。真に神様を畏れる正しい人ヨブは、こうしていかなる状況の中においても罪を犯しません。それはまさに神様がヨブに抱いた評価そのものでした。ヨブ記の結末は何でしょう。それは「神様を恐れる人の為には、神様が責任を取って、その生涯を全うし、必ず祝福を回復して下さる」です。そしてヨブは「もし神、我を試み給わば、我燻し銀の如くにいできたらん」と歌うのです。もしあなたが今試練のただ中にあるならば、立ち止まり、主を見上げましょう。そしてヨブの告白を我が告白としてささげましょう。そこから天は開けます。

■ヨナ2:4私は言った。『私はあなたの目の前から追われました。しかし、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです』と。
★「私を海の中に放り込みなさい。そうすれば嵐は止みます。それでも私は神には従いたくないのです」と語っていたヨブ。そのヨブが嵐に揉まれる試練の中で上の言葉を語るのです。なぜ神様は試練を許されるのか。この箇所はその答えを示します。

■ヘブル9:27そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、9:28キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。
■主は必ず再び来られます。今日も主に合う備えとして、心からの一日を主の前に、主と共に生きましょう。ヒデ

火曜日, 12月 01, 2009

20091201_エステル09_ヨナ01_ヘブル06-07

■エステル9:28また、この両日は、代々にわたり、すべての家族、諸州、町々においても記念され、祝われなければならないとし、これらのプリムの日が、ユダヤ人の間で廃止されることがなく、この記念が彼らの子孫の中でとだえてしまわないようにした。
★プリムとはプル(くじ)の複数形で、人の投げるくじは、神様の御手の中にあり、神様はすべてをよきに変えたもう、との信仰告白をユダヤ人はプリムの祭りに込め、その恵みを子孫に伝えようとしたのです。まさにどんでん返しの一日、滅ぼされる者が神様の恵みによって国を治める者へと高められたのです。どうでしょう。あなたは、主があなたの生涯に与えて下さった記念すべき日を、感謝の日として捧げ、友や家族と共に喜びを分かち合っているでしょうか。あなたの愛する大切な人への信仰継承は、用意した喜びの日としてなされるに勝るものはありません。

■ヨナ1:12ヨナは彼らに言った。「私を捕らえて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。わかっています。この激しい暴風は、私のためにあなたがたを襲ったのです。」
★今にもイスラエルを滅ぼそうとすきを伺うアッシリヤの主要都市ニネベ。しかしなぜか神様は愛国心に富む預言者に、ニネベに言って悔い改めを説くことを促します。ニネベなど一日も早く滅びてしまえばよいと思うヨナは、そこで神様の命に背を向けてニネベとは正反対のタルシシュ行きの船にのるのです。罪とは何でしょう。「私を海の中に投げ込みなさい、たとえ私は死んだとしてもその神様の御心には従いたくない。」にあらわれます。人はここから神様の恵みによって変えられ、神様の愛を表す人となるのです。

■ヘブル7:25したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
■だからこそ、あなたははばかることなく主の赦しの御手の中に憩うことができるのです。主は完全なお方。飛び込みましょう。そして一人ではない神様に支えられる生涯を始めるのです。ヒデ

月曜日, 11月 30, 2009

20091130_エステル07-08_オバデヤ01_ヘブル03-05

■エステル8:15モルデカイは、青色と白色の王服を着、大きな金の冠をかぶり、白亜麻布と紫色のマントをまとって、王の前から出て来た。するとシュシャンの町は喜びの声にあふれた。8:16 ユダヤ人にとって、それは光と、喜びと、楽しみと、栄誉であった。
★うぬぼれと高慢不遜の固まりハマンは自分の前でひざまづかないモルデカイを高い塔につるし、ペルシャの全ユダヤ人を虐殺しようと試みましたが、結果は自らが造ったその塔に吊され、ペルシャの国の全ユダヤ人の立場が守られる祝福へと変えられました。エステル記には一度も「神様」との記述はありません。しかし、「神様」により頼み、正義と愛を求めて行こうとするその時に、神様は生きてみわざをあらわされます。その為にエステルは鍵を握る存在として、神様によって王宮におかれたのです。あなたもその一人です。
今置かれたその場所で神様があなたに求めていることはなんでしょう。さあその時の為に、今日も変わらず神様を畏れ愛する生き方を積み上げさせて頂きましょう。あなたは主の前に喜びと誇りの存在です。

■オバデヤ1:15主の日はすべての国々の上に近づいている。あなたがしたように、あなたにもされる。あなたの報いは、あなたの頭上に返る。
★「人は蒔いた物を必ず刈り取ることになる。」この霊の法則を、神様は預言者オバデヤを通しても語られます。一章しかないオバデヤ書の中心メッセージです。欲にではなく命と御心の為にあなたの生涯が蒔かれ、そこから良きものを刈り取られますように。

■ヘブル4:2福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。
■「信仰によって結びつけられなかったから……」興味深い御言葉です。今日一日味わって下さい。何をどう結びつけたらあなたの為に益となるのでしょう。ヒデ

日曜日, 11月 29, 2009

20091129_エステル05-06_アモス09_ヘブル01-02

■エステル6:6ハマンが入って来たので、王は彼に言った。「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう。」そのとき、ハマンは心のうちで思った。「王が栄誉を与えたいと思われる者は、私以外にだれがあろう。」
★あなたの友人でうぬぼれの意味を知らない人がもしいるなら、このハマンの話をすればよいでしょう。王女となったエステルの育ての親モルデカイの功績をたたえようとアハシュエロス王が、「王が栄誉を与えたいと思う者には……」と語ったとき。ハマンはそれを自分の事と思いこみ「その人のためには、王が着ておられた王服を持って来させ、また、王の乗られた馬を、その頭に王冠をつけて引いて来させてください。そしてその人を馬に乗せて、町の広場に導かせ、その人の前で『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである』と、触れて下さい。」と語るのです。
しかしその結果ハマンは自分が蒔いたうぬぼれの実を刈り取らされ、モルデカイの馬車を引く役に。確かに聖書は上座から下座に引き下ろされる人と、反対に下座から上座へと神様によって引き上げられる人のあることを教えます。うぬぼれは人生を愚かにします。主を仰ぎ、主への感謝を数えて守られましょう。

■アモス9:15わたしは彼らを彼らの地に植える。彼らは、わたしが彼らに与えたその土地から、もう、引き抜かれることはない」とあなたの神、主は、仰せられる。
★主とは取り扱われるお方、なぜでしょう。それはあなたを揺るぎない者とするためです。だからあなたは主の御手を信じて飛び込むのです。

■ヘブル2:18主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。
■クリスマスを前にして、ここに受肉の大きな意味が開かれます。そうキリストはあなたの為に決心し、この地に来て下さいました。あなたはこの年のクリスマス、どんな決心をなさいますか。アドベントはその実行に向けた準備の時。主の祝福をお祈りします。ヒデ

土曜日, 11月 28, 2009

20091128_エステル03-04_アモス08_ピレモン01

■エステル4:16「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」
★捕囚の民イスラエルを嫌うハマンがペルシャ帝国代2の位に。彼は王から帝国中の全ユダヤ人虐殺の許可を取り付けます。そして上の御言葉はその時エステルが、育ての親モルデカイに「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」と語られた言葉の応答として返した言葉です。誰でも人は神様の摂理の中で、事の大小はありましても「あなたでなければ、この時のため」といった状況におかれます。その理由は、目には見えませんが神様がおられ、神様は、あなたがその生涯を用いて神様の栄光を現せるようにと時を必ず定めておられるからです。「たとえ死ななければならないのでしたら……」と、あなたも神様が下さったそのチャンスをのがしてはなりません。しかも、そこには「この時」でなくても取り返しのつくものと、「この時」でなければ意味をなさなくなるものもあるのです。そして主は語られます。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」と。

■ピレモン1:12 そのオネシモを、あなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。
★パウロはピレモンにこの手紙を書き送りましたが、神様は「わたしの心そのものです」とあなたをこの世に送り出されます。大丈夫あなたは今日も一人ではありません。あなたを愛し守って下さる主が共にいて下さいます。さあ今日も神様と一緒にはじめさせて頂きましょう。たとえそこに困難があったとしても。主が丁度良い時にあなたを高くして下さいますから。ヒデ

金曜日, 11月 27, 2009

20091127_エステル02_アモス07_テトス01

■エステル2:17王はほかのどの女たちよりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と恵みを受けた。こうして、王はついに王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。
★アハシュエロス王は、エステルの頭の上に王冠を置き、彼女を妻としましたが、主はあなたを選び、あなたの頭の上に、キリストの花嫁としての王冠をおいて下さいました。エステル記にはどこにも神様の名前は出てきません。が、そこには確かな神様の導きが流れ、あなたの人生も同様です。その為エステルの生き様に心を向けましょう。御言葉は彼女について「エステルが、王のところに入って行く順番が来たとき、王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった。こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた。」と記します。どうがあなたの飾りがこの世の物ではなく、神様への従順をもって飾られますように。

■アモス7:8主は私に仰せられた。「アモス。何を見ているのか。」私が「重りなわです」と言うと、主は仰せられた。「見よ。わたしは重りなわを、わたしの民イスラエルの真ん中に垂れ下げよう。わたしはもう二度と彼らを見過ごさない。
★神様は正しい裁きをなさるお方。ゆえに私たちの生涯にも「量りなわや重りなわ」を投げ込まれるお方です。キリストの十字架を感謝しましょう。

■1:15きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。
★「人の問題は動機にある」と、ここで聖書は語ると共に、その動機は信仰によってきよめられることを記します。動機が汚れていれば、神と人への愛を動機としていなければ無益だと言うのです。そして動機を御子イエスの血はきよめます。愛か欲か、この問いかけを通して神様はあなたを命ある者として下さるお方。仰ぎましょう。そして主に告白しましょう。赦しときよさは他でもないあなたへの神様からのプレゼントなのです。ヒデ

木曜日, 11月 26, 2009

20091126_エステル01_アモス06_2テモテ03-04

■エステル1:16メムカンは王と首長たちの前で答えた。「王妃ワシュティは王ひとりにではなく、すべての首長とアハシュエロス王のすべての州の全住民にも悪いことをしました。
★本当にそうでしょうか。なぜ127州を治めるアハシュエロス王の命とはいえ、酔った勢い、しかも宴会の席で妻を守るべき夫から、その美しさを見せびらかすためにと、屈辱的な恥ずべき舞を踊れとの命に従順しなければならないのでしょうか。しかし王妃ワシュティは結果、時代の流れの波に飲み込まれてしまうのです。自らの良心だけでは太刀打ち出来ない時代、だからこそ、その決断に生涯悔いを残さないように、あなたは神様を信じるのです。神の御心に基づく決断はたとえそれがどんな結末になろうとも、私はするべきことをしたと、困難の中でむしろ感謝の心がおこって来るでしょう。しかも神様はあなたを丁度良いときに高くして下さることができる全能のお方です。

■アモス6:6彼らは鉢から酒を飲み、最上の香油を身に塗るが、ヨセフの破滅のことで悩まない。6:7それゆえ、今、彼らは、最初の捕らわれ人として引いて行かれる。身を伸ばしている者どもの宴会は取り除かれる。
★酒が問題ではありません。本来、先祖から受け継いだ神様を畏れるその良き生き方が失われようとする中にあっても、何の危惧もなく、また痛みを共有しようとするでもなく、目先の欲に踊らされる彼ら。主はそれを叱責なさるのです。本来あなたが傍らに立ち励ますべき人はあなたの周りにいませんか。

■2テモテ3:16聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
★もう一度確認しましょう。大切な1節です。聖書の言葉は人間の言葉の寄せ集めですか。いいえ。神様が全ての人とご自分の教会のために下さったもの。だからあなたを救うのです。すなわちあなたは土台ある生涯へと導かれました。主の御名をほめたたえましょう。ヒデ

水曜日, 11月 25, 2009

20091125_ネヘミヤ13_アモス05_2テモテ02

■ネヘミヤ13:2それは、彼らがパンと水をもってイスラエル人を迎えず、かえって彼らをのろうためにバラムを雇ったからである。しかし、私たちの神はそののろいを祝福に変えられた。
★自由を与えられた人間はそもそもロボットではなく失敗するものであり、アダム以来罪を犯す者となりました。しかし神様はそれを祝福へと変えて下さるお方と聖書は語ります。今あなたは過去の一度の失敗や過ち罪にしばられて、「私はダメだ」とのレッテルの中に自らを置き、諦めた生活をしていることはありませんか。それは訴える者、悪魔サタンの働きです。神様はその呪いを祝福に変えて下さるお方です。十字架はその為の神様の恵みのみわざです。何によって縛られているのか恐れず神様の前に告白しましょう。主は流された十字架の血潮によってあなたを赦し、あなたの内に神様の命を注がれます。そしてあなたは生きるのです。あなたは過去の失敗に縛られた生活をしてはならない、神様にとってかけがえのない神様の子供です。

■アモス5:4まことに主は、イスラエルの家にこう仰せられる。「わたしを求めて生きよ。」
★神様以外の何かによって自分を救おうとするイスラエルに対し、神様は「あなたが求めるべきは私だ。」と語られます。恐れる必要はないのです。神様はあなたのためにキリストを惜しみなくお与え下さった父の心をもった天のお父様です。近づきましょう。

■2テモテ2:1そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。
★キリストにある恵みによって強くなるのでなければ人は何によって強さを求めるでしょう。腕力。能力。才能。知識。財力。しかしこれらは神様から離れるなら即暴力に変わります。人との比較ではなく御言葉の光と規準によって自分自身を見るのです。そして神の恵みに寄り頼むのです。それがあなたを罪から守る生き方です。ヒデ

火曜日, 11月 24, 2009

20091124_ネヘミヤ12_アモス04_2テモテ01

■ネヘミヤ12:43こうして、彼らはその日、数多くのいけにえをささげて喜び歌った。神が彼らを大いに喜ばせてくださったからである。女も子どもも喜び歌ったので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。
★女も子どもも喜び歌ったので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。素晴らしい御言葉です。あなたの喜びはどこまで届いているでしょう。与えられている喜びを外に表現する自由が与えられているでしょうか。またあなたの属するキリストにある共同体は、女も子どもも、その喜びを表せるほどに、安全な守られた場所となっているでしょうか。安全な場所は自然には生まれません。彼らは勝ち取ったのです。召された男たちが中心になり一つ心となって、イスラエルの城壁を築くことを通して。男の使命はここにあります。立ち上がりましょう。女性達よ、男の為に祈って下さい。主にある男達が一つとなって神様の事業にあたることができるように。男が一つになったらどんなに大きな素晴らしいことがおこるかわかりません。その喜びの声がはるか遠くまで響きますように。

■アモス4:12それゆえ、イスラエルよ、わたしはあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。
★この章には「それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。」と5回繰り返されています。神様がその愛によって、何とかイスラエルを立ち帰らせようとしてもです。日毎に神様にまで立ち帰って、神様の元からこうして遣わされる恵みは何にも勝ったあなたの財産です。その心を与えて頂いた主に感謝しましょう。主が今日も一日あなたを守って下さいます。

■2テモテ1:7神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。
★だれであれ臆病の霊に支配されそうになる時はあります。その時はこの御言葉によって奮い立ちましょう。そして主にある威厳と穏やかさを回復され、事に当たりましょう。そのために今日も祈るあなたを主は喜ばれます。ヒデ

月曜日, 11月 23, 2009

20091123_ネヘミヤ11_アモス03_1テモテ06

■ネヘミヤ11:1民のつかさたちはエルサレムに住んでいたが、ほかの民は、くじを引いて、十人のうちからひとりずつ、聖なる都エルサレムに来て住むようにし、あとの九人をほかの町々に住まわせた。11:2すると民は、自分から進んでエルサレムに住もうとする人々をみな、祝福した。
★城壁再建後のエルサレムを守るために自ら進んで犠牲を払おうとする者を、民は祝福したことが記されます。そしてキリストは「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」と犠牲を払って、神の民と共に歩もうとする者を、心に刻まれるお方であることが紹介されます。さて、あなたは何のために犠牲を払われるでしょう。

■アモス3:2わたしは地上のすべての部族の中から、あなたがただけを選び出した。それゆえ、わたしはあなたがたのすべての咎をあなたがたに報いる。3:3ふたりの者は、仲がよくないのに、いっしょに歩くだろうか。
★神様はご自身「主であるわたしは、ねたむ神である」と語られます。なぜでしょう。それは約束した者への誠実な愛ゆえです。イエスと共に歩むことを約束したあなたの為には主は命をかけて下さるお方で、既に十字架でそうして下さいました。これからもあなたに注がれるその愛は少しも変わることがありません。

■1テモテ6:6しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。6:7私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。6:8衣食があれば、それで満足すべきです。
★パウロは愛弟子テモテに足ることを知る人生の尊さを教え諭します。そう、足ることを知らなければ貪る人生となり、感謝のない人生で、それは即ち誘惑と罠に陥る人生となるのです。だから人は何にもまして先ずキリストの愛で心満たされる必要があるのです。だからこうして日毎にご自身に近づくあなたを主は喜ばれます。主の誇りであるあなたを今日も一日祝福します。行ってらっしゃい。ヒデ

日曜日, 11月 22, 2009

20091122_ネヘミヤ10_アモス02_1テモテ04-05

■ネヘミヤ10:39この部屋に、イスラエル人とレビ人たちは、穀物や、新しいぶどう酒や油の奉納物を携えて来るようになっているからである。そこには聖所の器具があり、また、当番の祭司や門衛や歌うたいもいる。こうして私たちは、私たちの神の宮をなおざりにしないのである。
★「なおざりにしない」と。思えば、人の神様への態度とは一番か、あるいはなおざりか。そのどちらかで中間はありません。その中で、こうしてあなたの心に朝ごとに御言葉に近きたいとの思いが与えられていること自体、神様の恵み、奇蹟です。ただ主に感謝しましょう。

■アモス2:6主はこう仰せられる。「イスラエルの犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない。彼らが金と引き換えに正しい者を売り、一足のくつのために貧しい者を売ったからだ。
★昨日の箇所はイスラエルに対して罪に罪を重ねる国々への叱責でした。しかし主はこの箇でイスラエルそのものの罪に向かいます。関わって下さるのは愛ゆえです。あなたに対して無関心でいれることなどあり得ない、それが主の心です。あなたの生涯への主の介入を喜びましょう。

■1テモテ5:20罪を犯している者をすべての人の前で責めなさい。ほかの人をも恐れさせるためです。5:21 私は、神とキリスト・イエスと選ばれた御使いたちとの前で、あなたにおごそかに命じます。これらのことを偏見なしに守り、何事もかたよらないで行いなさい。
★罪に対して人情的な対応に流されることは良いことでしょうか。いいえ、聖書は罪を曖昧にすることによって、その人の悔い改めのチャンスを奪ってはならないと警告します。あなたは問題の解決にどんな手段を用いますか。いつまでも悔いの残らない神様にある方法を選び取りましょう。そのためにも御言葉に親しむことは大切です。ヒデ

土曜日, 11月 21, 2009

20091121_ネヘミヤ09_アモス01_1テモテ01-03

■ネヘミヤ9:36ご覧ください。私たちは今、奴隷です。あなたが私たちの先祖に与えて、その実りと、その良い物を食べるようにされたこの地で、ご覧ください、私たちは奴隷です。
★神様の御手を動かし、民の心を動かした、神の人ネヘミヤの真摯な告白です。しかし自然にうまれた告白ではありません。それはこの章を読んで頂ければ分かると思います。たとえ旧約聖書をまだ一度も読んだことがない方であっても、ここを読めば、ほぼ旧約聖書の出来事と、神様の愛が理解できるほどの内容です。それによって、口先だけの言葉ではなく、できる限りをもって相手やその人の置かれた状況を理解し、受けとめようとする心の大切さを覚えます。あなたは共に歩きたい、救いたいと願う大切な人の置かれた環境や言葉を見、聞こうとしていますか。祈りはそこから生まれます。

■アモス1:3主はこう仰せられる。「ダマスコの犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない。彼らが鉄の打穀機でギルアデを踏みにじったからだ。
★神様が預言者アモスに語られた聖書です。この章には「……犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪……」と5回繰り返されています。それは神様は罪に罪を重ねてあなたを傷付けようとするものを見ておられると言うことです。報復は主に委ねましょう。あなたのために主は立ち上がり戦って下さるお方です。

■1テモテ1:5この命令は、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛を、目標としています。
★あなたが神様を求める理由は何でしょう。ここにはそのゴールが明確です。愛の人となることです。主イエス様はそのために十字架の上でご自身の命の代価によって和解の救いを拓いて下さいました。神様との和解、人との和解のために心を砕きましょう。その労苦は永遠の次元において決して無駄になることはありません。ヒデ

金曜日, 11月 20, 2009

20091120_ネヘミヤ08_ヨエル03_2テサロニケ03

■ネヘミヤ8:9総督であるネヘミヤと、祭司であり学者であるエズラと、民に解き明かすレビ人たちは、民全部に向かって言った。「きょうは、あなたがたの神、主のために聖別された日である。悲しんではならない。泣いてはならない。」民が律法のことばを聞いたときに、みな泣いていたからである。
★どんなに留めようとしても留めることができず、ほおを伝って溢れ流れる涙。その彼らの姿に、彼らの喜びの大きさを思います。囚われの中から、主の恵みによって引き出され、礼拝を捧げるためにみんなで築き直した城壁と神殿。彼らが神殿建設の為に払った犠牲と奉仕はこうして豊かに報われたのです。ゆえに聖書は「だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはない」と語ります。自分の命を守ろうとしてはなりません。むしろ注ぎ出すのです。この世で一番幸せな人。それは自分の命を捨て場所を発見した人であることを心に刻みましょう。

■ヨエル3:21わたしは彼らの血の復讐をし、罰しないではおかない。主はシオンに住む。
★聖書は血の復讐について、「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』」と記します。人は必ず蒔いた物を刈り取ります。あなたは決して自ら血の復讐をもって、滅びを自分の生涯で刈り取ってはなりません。

■2テサロニケ3:6兄弟たちよ。主イエス・キリストの御名によって命じます。締まりのない歩み方をして私たちから受けた言い伝えに従わないでいる、すべての兄弟たちから離れていなさい。
★なぜですか。御言葉は「彼が恥じ入るようになるたに」と語ります。間違ってはならないこと、それは決してあなたは神様でもなく相手は敵でもないからです。共依存ではなく相互依存の関係に生きる、豊かな人生を築いて行かれますように。ヒデ

木曜日, 11月 19, 2009

20091119_ネヘミヤ07_ヨエル02_2テサロニケ01-02

■ネヘミヤ7:1城壁が再建され、私がとびらを取りつけたとき、門衛と、歌うたいと、レビ人が任命された。7:2私は、兄弟ハナニと、この城のつかさハナヌヤとに、エルサレムを治めるように命じた。これは、ハナヌヤが誠実な人であり、多くの人にまさって神を恐れていたからである。
★遂に城壁が再建されたとき門衛が立てられます。都を敵から守るため要となる職の任命です。一体どんな能力、賜物豊かな人材でしょう。しかし任命の実際の規準は、「誠実さ」、また何にも勝って「神を恐れる人」でした。聖書は「神を畏れことが知識のはじめ」とし、その人には成長の可能があることを示唆します。キリストは「従って来なさい。……わたしがあなたをつくる」と語られます。しかも神を退けた知識や才能はやがて崩れ去りますが、主を畏れる者の生涯は永遠に残るのです。何ができる人になりたいかではなく、どんな人でありたいかを自分自身に問いかけ、主に祈り求める人は幸いです。

■ヨエル2:28その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。
★これが神様の約束です。あなたの上にも聖霊の祝福が注がれています。心を開き受け取りましょう。歓迎してお迎えするのです。こうしてあなたの内なる霊は強められ、あなたは夢を語る人となるのです。

■2テサロニケ1:7 苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現れるときに起こります。
★主にある者の苦しみは永遠ではありません。かならず終わりが来ます。しかも主からの酬いとしての安息の約束があるのです。更にあなたは気づいていらっしゃいますか。その苦しみの中で、ほら、あなたはそんなにもキリストに似る者とされているではありませんか。主にとってあなたは誇りの存在ですよ。決して決して忘れないで下さい。ヒデ

水曜日, 11月 18, 2009

20091118_ネヘミヤ05-06_ヨエル01_1テサロニケ05

■ネヘミヤ6:15こうして、城壁は五十二日かかって、エルルの月の二十五日に完成した。
★確かにネヘミヤはこの時、城壁再建のリーダーとして事を成し遂げました。しかしそこに至までの道のりは平坦ではありません。開封した手紙、すなわち内容が人々にも知れ渡り、あえてうわさが流れるように、とした上で「ネヘミヤよ。あなたとユダヤ人たちはペルシャ帝国の王に反逆するために城壁を築き、彼らの中で王になろうとしている。その動機がペルシャの王に伝わったらどうなることか。さあ相談しよう……」との反対者による強迫や、その他です。しかし彼は「主よ、今私を力づけて下さい。」と、主によって自ら奮い立ち、事を成し遂げました。絶対に応答しなければそこから先の進展は無いようにさえ見える誘惑。けれども聖書は「人を恐れると罠に陥る」と警告します。あなたの本来成し遂げるべきことはなんでしょう。ネヘミヤの生き様に学べますか。御心に立った決断と行動の背後には、それを完成へと導かれる主がおられることを知りましょう。主は勇気をもって踏み出すあなたの一歩を決して辱められることはなさいません。

■ヨエル1:4かみつくいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、ばったが食い、ばったが残した物は、食い荒らすいなごが食った。
★神様の裁きを類比的、詩的に預言するヨエル。神様は常に悔い改めと執り成しのチャンスを下さいます。時代の見張り人、祭司として神様はあなたを立てられました。

■1テサロニケ5:9神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。
★この御言葉。アーメン!アーメン!アーメンです。だからこそ父なる神様は私たちの罪を十字架に掛かられたキリストの上に置き、その上で仮借のない裁きと怒りを下されたのです。あなたに対する永遠の裁きは終わったのです。だからこそ、私たちは御手を広げて待って下さっている父なる神様の御腕の中に飛び込むのです。この信仰こそがあなたを全ての恐れと絶望から救います。主の救いを感謝して受け取りましょう。ヒデ

火曜日, 11月 17, 2009

20091117_ネヘミヤ04_ホセア14_1テサロニケ03-04

■ネヘミヤ4:11一方、私たちの敵は言った。「彼らの知らないうちに、また見ないうちに、彼らの真ん中に入り込んで、彼らを殺し、その工事をやめさせよう。」
★城壁再建を喜ばないサマリヤの総督サンバラテと反対者の言葉です。「彼らの内に入り込んで……」。万里の長城が破られたのも、内側で賄賂を受け取った兵士の為。また宣教地から帰ったある宣教師に「最も困難は」と聞いたときの答えは「自分自身」と。敵、すなわちサタンの攻撃とは目に見える部分のみならず、その破壊の大半の働きは、高慢、妬み、裁き合いによって一致を崩そうとするものです。神の民と一致できないほどあなたは偉くなっても強くなってもなりません。それらは祝福ではなく、見えないうちに忍び寄るサタンの策略そのものです。御霊による祈りと謙遜によってサタンの業を打ち砕きましょう。

■ホセア14:9知恵ある者はだれか。その人はこれらのことを悟るがよい。悟りある者はだれか。その人はそれらを知るがよい。主の道は平らだ。正しい者はこれを歩み、そむく者はこれにつまずく。
★神様が預言者ホセアによって語らせた最後の言葉です。十字架によって「私は道であり、いのちであり、真理なのです。」と、「道そのもの」となって下さった主を踏んで、あなたは天国へ向かうのです。平らなる道の背後には主の命の犠牲がありました。

■1テサロニケ4:16主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、★キリストは初臨、すなわち2000年前、救い主として地に立たれました。しかし世の終わりに裁き主として、再び地の上に立たれると語ります。即ち再臨です。あなたが与えられた尊い信仰で否んではならないこと。すなわちそれはイエスが神御自身と言うことです。このお方が神御自身だからこそ、あなたはこのお方に錨を降ろし、どんな時代の荒波の中にあっても安息を保つのです。ヒデ

月曜日, 11月 16, 2009

20091116_ネヘミヤ03_ホセア13_1テサロニケ01-02

■ネヘミヤ3:5 その次に、テコア人たちが修理したが、そのすぐれた人たちは彼らの主人たちの工事に協力しなかった。
★バビロン捕囚から帰ることのできた民によるエルサレム城壁再建の話の継続です。この3章は全部で32節。その中に「次ぎに、そのあとに、誰々が修理した。」と28回繰り返されます。それはまさに、みんなの協力なくして城壁の再建のあり得ないことを教えています。そこで唯一協力しなかったのが上の「すぐれた人たち」でした。神殿再建の命は神様からのもの、彼らに与えられている特別の能力も神様からのもの。しかし彼らは「自分」を主張するためにその能力を用い、城壁再建の為には協力しなかったのです。主から特別の能力が与えられている人は、より一層の謙遜さと祈りをもって、他のものではなく神様にその才能を捧げることが求められます。御心の妨げとなってはなりません。

■ホセア13:14わたしはよみの力から、彼らを解き放ち、彼らを死から贖おう。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。よみよ。おまえの針はどこにあるのか。あわれみはわたしの目から隠されている。
★「あわれみは……隠されている。」とは、「神様が心を変えることはない」との意味です。十字架による神様の愛を知った使徒パウロはこの事を「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」……「神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」と語ります。まさにあなたへの愛を神様は決して変えることはなさいません。

■1テサロニケ2:3私たちの勧めは、迷いや不純な心から出ているものではなく、だましごとでもありません。2:4 私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。
★人の前にではなく神様の前に生きましょう。主があなたを支えて下さいます。ヒデ

日曜日, 11月 15, 2009

20091115_ネヘミヤ01-02_ホセア12_コロサイ03-04

■ネヘミヤ2:20そこで、私は彼らにことばを返して言った。「天の神ご自身が、私たちを成功させてくださる。だから、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。しかし、あなたがたにはエルサレムの中に何の分け前も、権利も、記念もないのだ。」
★人が神様の事業に取りかかろうとすると様々な反対をうけます。ここでは主に敵対する者たちが「おまえたちのしているこのことは何だ。おまえたちは王に反逆しようとしているのか。」と訴えます。そうサタンの霊は「お前はだめだ。お前になんか出来るはずがない。何をお前は思い上がっているのか。もし取り掛かっても失敗して恥をかくぞ。後から後悔するぞ。止めとけ」と、あなたの良き志しを萎縮させようとするのです。その時、ネヘミヤは上の言葉のように「天の神ご自身が成功させて下さるのだ」と語りました。信仰の宣言によってサタンの霊から解き放たれましょう。

■ホセア12:6あなたはあなたの神に立ち返り、誠実と公義とを守り、絶えずあなたの神を待ち望め。
★同じ事を主は預言者ミカを用いて「人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」とも語ります。為すべき事を為すのが人の分。主はその人を助けられます。

■コロサイ3:13互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。
★自分の事は棚の上にあげておいてと、主はその生き方を求められません。むしろ「主があなたを赦して下さったように」と、あわれみの心で生きることを願われます。あなたが主につながっているかどうか、あなたは自分が見えているかどうか。主はそれを見られます。あなたは自分を怒りと高慢によって滅ぼしてはなりません。ヒデ

土曜日, 11月 14, 2009

20091114_エズラ10_ホセア11_コロサイ02

■エズラ10:4立ち上がってください。このことはあなたの肩にかかっています。私たちはあなたに協力します。勇気を出して、実行してください。」
★バビロンから帰還し、神殿再建のために立ち上がったイスラエルの民と指導者エズラ。そして再建のために用いられた協力関係とは。エズラの仕えるリーダーシップと、民の立てられたリーダーを喜び従順する姿勢に秘訣がありました。一致には驚くばかりの力が現れます。御心に従って一致するか、神様への敵対をもって一致するか。天と地の違いです。あなたは主にある一致の為に心を砕こうとしていますか。ある人は「早く行きたいなら一人で行きなさい。しかし遠くまで行きたいなら一緒に行きなさい」と語ります。

■ホセア11:9わたしは燃える怒りで罰しない。わたしは再びエフライムを滅ぼさない。わたしは神であって、人ではなく、あなたがたのうちにいる聖なる者であるからだ。わたしは怒りをもっては来ない。
★売り言葉に買い言葉。叩かれたら叩き返す。しかも2倍にして、と。人間は妬みや憎しみをコントロール出来ない罪深さを否めません。しかしここで主なる神様は「私は人ではない」と語られます。ここに希望があるのです。神様はあなたの為に最も良いものを惜しみなく下さるお方。悔い改めをもって、偏見のフィルターを取り除きましょう。そして受け取るのです。キリストを通して与えられた父なる神様の愛と、無尽蔵の富と祝福を。

■コロサイ2:14いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。
★店で何かを注文すると、その品物と請求書がテーブルに置かれます。精算のためレジに行き精算を済ませると、その脇に置かれた台付き千枚通しに請求書は刺し通されるのです。同様にキリストは十字架の上で刺し通され、あなたの債務を支払って下さいました。もう恐れる必要はなく自由で、これが福音の本質です。ヒデ

金曜日, 11月 13, 2009

20091113_エズラ09_ホセア10_コロサイ01

■エズラ9:15イスラエルの神、主。あなたは正しい方です。まことに、今日あるように、私たちは、のがれた者として残されています。ご覧ください。私たちは罪過の中であなたの御前におります。このような状態で、だれもあなたの御前に立つことはできないのに。」
★これは主のあわれみによってバビロンの奴隷状態から、エルサレムに帰ってこれた民であるにもかかわらず、忌み嫌うべき事を行う民と一つとなってはならないと昔から語られているにも関わらず、そうした民と縁を結んでいるイスラエルの現実を知った指導者エズラの嘆きです。彼は語るべき言葉を失い、我が事のように主の前に出て執り成します。主を信じた者の歩みとはいかなるものでしょう。それは破れ口に立って、単に人の罪を裁くのではなく、共同体の痛みを共に負いつつ、執り成す者であることを覚えましょう。

■ホセア10:12あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。
★「耕地」とは休耕田とも訳せる言葉。どうでしょう。外ではなく先ずあなた自身の内側で、諦めてしまっていること、投げ出したままになっていることはないでしょうか。主は「開拓せよ」と語られます。かつては自分の力でそれをしようとしたかも知れません。しかし主はここで「私と一緒にそれに当たるんだ」と改めて恵みの励ましを下さいます。主があなたの味方なら一体誰があなたに敵することが出来るでしょう。信じ立ち上がりましょう。

■コロサイ1:6この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。
★福音とは理解され受け入れられたときにあなたの生涯を変える力があるとパウロは語ります。十字架による完全な罪の赦しと復活の希望。聖霊なる神様がこの真理を私たちの内に開いて下さるよう切に求めましょう。ヒデ

木曜日, 11月 12, 2009

20091112_エズラ08_ホセア09_使徒28

■エズラ8:22私は道中の敵から私たちを助ける部隊と騎兵たちを王に求めるのを恥じたからである。私たちは、かつて王に、「私たちの神の御手は、神を尋ね求めるすべての者の上に幸いを下し、その力と怒りとは、神を捨てるすべての者の上に下る」と言っていたからである。
★これは再建された神の宮で使う奉納物、金、銀の器を、バビロンからエルサレムに運ぶときの出来事です。当初エズラはアルタシャスタ王の部隊に保安の要請をと願いましたが、やがて自らのその信仰姿勢を恥じ「私たちを守られるのは神様」との信仰を明確にしたのです。そして彼は主の前に断食をもって神様により頼もうとし、この事業に携わる者達にも要請します。その結果、主はエズラの信仰に応えて無事に旅路を守られます。ここから人生の優先順位、真の信仰姿勢とは、真により頼むべきは誰かを教えらます。聖書は「彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。」と記します。

■ホセア9:1イスラエルよ。国々の民のように喜び楽しむな。あなたは自分の神にそむいて姦淫をし、すべての麦打ち場で受ける姦淫の報酬を愛したからだ。
★主が預言者ホセアを通してやむにやまれぬ思いと痛みの中で語られた御言葉です。イスラエルの国さえ滅びに至らせた偶像礼拝と姦淫。主は、国を滅ぼすほどの罪は、これ以外ないと語られます。添えて与えられる人生の原点は、先ず神の国とその義を求める事と以外にありません。

■使徒28:30こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、28:31大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。
★これは使徒の働きの最後の御言葉で、カイザルの前に立つまでのパウロの姿が描かれます。これで「使徒の働き」を記す筆は置かれたのでしょうか。いいえ、ここから先の「使徒の働き」はあなたの人生に引き継がれたのです。ひとりではありません。共に働いて下さる聖霊様が一緒です。ヒデ

水曜日, 11月 11, 2009

20091111_エズラ07_ホセア08_使徒27

■エズラ7:6エズラはバビロンから上って来た者であるが、イスラエルの神、主が賜ったモーセの律法に通じている学者であった。彼の神、主の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをみなかなえた。
★バビロン捕囚の苦しみを経験したエズラを主は神殿再建のために大きく用いられます。更に聖書は「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。」と語ります。耐えられない苦しみの中にある方がいらっしゃいますか。神様は今あなたを慰めの器として大きく成長させて下さっています。聖書はハッキリと「ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださる」と約束します。苦しみは神様のみ前に、決して決して無意味ではありません。

■ホセア8:14イスラエルは自分の造り主を忘れて、多くの神殿を建て、ユダは城壁のある町々を増し加えた。しかし、わたしはその町々に火を放ち、その宮殿を焼き尽くす。
★主は私たちの造り主。私たちは糸の切れた風船ではありません。主に握られた凧です。そして主はその握っている糸を決して放すことはなさいません。その主によってあなたは高く舞うのです。

■使徒27:24こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』
★「必ず……の前に立つ」キリストによって贖われたあなたもやがて必ず神様の前に立ちます。しかし恐れることはありません。主があなたを弁護し守って下さいます。既にあなたの将来の祝福は決定されています。さあ胸を張りましょう。キリストを誇りましょう。今日も感謝の一日を過ごしましょう。ヒデ

火曜日, 11月 10, 2009

20091110_エズラ05-06_ホセア07_使徒25-26

■エズラ5:11 すると、彼らは次のように私たちに返事をよこして言いました。『私たちは天と地の神のしもべであり、ずっと昔から建てられていた宮を建て直しているのです。それはイスラエルの大王が建てて、完成させたものです。
★ペルシャの王ダリヨスに報告するためにパレスチナ一帯を管理する書記官タテル・ボズナイは「誰の命によって神殿を再建するのか」と尋ねます。その時の民の答えが上の御言葉です。「イスラエルの大王の命」。即ち主なる神様の命によって。その後ダリヨス王はペルシャの記録を調べさせますが、「神殿を再建させ、ユダヤ人に王家の祝福のために祈るようにさせよ。」との文書を見つけ、継続を命じ遂に神殿は完成したのです。確認しましょう。私たちは「誰の命によって」と問われるとき「主の命によって」と語ることが許されている者です。そしてそれがまさに「主の命」によるものならば、必ず主が責任を持って成し遂げて下さるのです。あなたは何でも自分で責任を取らなければ……と抱え込む人生を歩んでいませんか。主は「あなたがたを休ませてあげよう」と語られます。

■ホセア7:14彼らはわたしに向かって心から叫ばず、ただ、床の上で泣きわめく。彼らは、穀物と新しいぶどう酒のためには集まって来るが、わたしからは離れ去る。
★求めるべき、近づくべきは主のみもと。そこにこそ慰めと平安、そして解決があるのです。主もまたそれを願われます。今日も変わらずあなたは、主にとっての喜びの対象です。

■使徒26:18それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』26:19こういうわけで、アグリッパ王よ、私は、この天からの啓示にそむかず、……宣べ伝えて来たのです。
★人生でいつ証詞の機会が訪れるか分かりません。用意は出来ていますか。いえ人生そのものが証詞です。パウロはそれを心に刻み歩みました。あなたは今日どの様な状況におかれるでしょう。主はそこであなたを助けられます。ヒデ

月曜日, 11月 09, 2009

20091109_エズラ03-04_ホセア06_使徒23-24

■エズラ3:11そして、彼らは主を賛美し、感謝しながら、互いに、「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」と歌い合った。こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな、主を賛美して大声で喜び叫んだ。
★神殿再建を志し遂に主の宮の礎が据えられました。ソロモンが建てた最初の宮を見たことのある多くの老人たちは、余りの感慨に大声を上げて泣き、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げました。いずれにしても主への讃美と共に歩む民は決して滅びることはありません。しかし時には妬みの嫌がらせや、試練も経験します。この後、近隣の国々は妬み、神殿再建を命じたクロスからアルタシャスタ王に変わったとき「ユダヤの民は神殿建設が進み城壁が完成した時には王に謀反を起こそうと計画しているのです。どうぞ再建中止の命令を出して下さい」と、その結果、計画が中断させられる時も。しかし主への讃美と共に歩むとき全ての事は必ず成就します。それはあなたの人生においても例外ではありません。

■ホセア6:11ユダよ。わたしが、わたしの民の繁栄を元どおりにするとき、あなたのためにも刈り入れが定まっている。
★6章の最初は「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。」との呼びかけから始まります。なぜでしょう。その根拠が11節の繁栄を元どおりにするための刈り入れです。人は蒔いた物を必ず刈りとる事に、命に蒔けば祝福を、悪に蒔けば滅びを刈りとることになるのです。だから滅びの刈り取りの前に十字架を立て守って頂くのです。主に立ち帰りましょう。そここそが真のあなたの隠れ家です。

■使徒24:15また、義人も悪人も必ず復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神にあって抱いております。24:16そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。
★これがパウロの生き方。人生は短いです。今日も主にある最善の中を主と共に歩みましょう。祝福をお祈りします。ヒデ

日曜日, 11月 08, 2009

20091108_エズラ01_ホセア05_使徒21-22

■エズラ1:3あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。
★これは主がその霊を奮い立たせられたペルシャの王クロスのことばです。エズラ記は南ユダ王国が神様に背いた結果、神様の裁きを受け、バビロンに捕囚となった記事をもって終わる歴代誌に続き、引かれて行った捕囚の民が、パレスチナに帰還する所から始まります。そのために異国ペルシャの王クロスさえも用いられたのです。今日から始まるエズラ記で受け取るメッセージとは何でしょう。神様は、ご自身神の宮を建て上げることについて必ず成し遂げられる。神様は、神の宮に仕える一人びとり、たとえどこに於いてもその名を覚えておられると言うことです。そして新約の現代、神の宮の原点とは何でしょう。あなたです。神様は、必ずあなたを神様の御計画に基づいて完成させて下さいます。

■ホセア5:11エフライムはしいたげられ、さばかれて打ち砕かれる。彼はあえてむなしいものを慕って行ったからだ。
★なぜ人は「あえてむなしいものを慕って」本来為すべき大切なことを、時に失うことがあるのでしょう。立ち止まりましょう。心を開き、神様み声を注意深く聞きましょう。そうして、人生を虚しくする滅びから立ち帰るのです。

■使徒22:16さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』
★あなたはこの「さあ……」の励ましに従ってバプテスマに預かりましたか。まだの方がいらっしゃったなら是非バプテスマに与ることをお勧めします。主はバプテスマを通してあなたの罪を赦し、洗い流して下さいます。パウロもこれを受けたのです。その時、あなたは今まで経験したことのない、あなたの一番深い霊の部分から喜びと平安が込み上げて来るのを体験なさる事でしょう。祝福をお祈りします。ヒデ

土曜日, 11月 07, 2009

20091107_2歴代36_ホセア04_使徒20

■2歴代36:13彼はまた、ネブカデネザルが、彼に、神にかけて誓わせたにもかかわらず、この王に反逆した。このように、彼はうなじのこわい者となり、心を閉ざして、イスラエルの神、主に立ち返らなかった。
★ゼデキヤ王と祭司長、そればかりか当時のユダの民衆について、聖書を「はうなじのこわい者と」と記します。ゆうずうの聞かない、遜ることの出来ない頑なな民だと言うのです。まさにその生き方の結末が囚われの身。バビロン捕囚と言えるでしょう。しかし神様は「わたしは何人の死をも喜ばない。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ」と語られます。あの放蕩息子が帰ってきたとき走り寄って接吻した父の姿を心に刻みましょう。

■ホセア4:6わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあなたを退けて、わたしの祭司としない。あなたは神のおしえを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れよう。
★「わたしもまた、あなたの子らを忘れよう」と、神様に忘れられたら大変です。この語りかけ自体、神様の愛と恵みの警告です。どんなときにも立ち帰って生きることができるように、それが神様のあなたに対するはらわたです。神様がどうしてあなたを退けて平気でいることができるでしょう。神様によって与えられた心は閉ざすためではなく、常に神様に向かって開き、祝福と命を受け取るためであることを覚えましょう。

■使徒20:35このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」
★「受けるより与えるほうが……」と、この有名なみことばはパウロが他の弟子より伝え聞き、今や自らが実感し語る言葉です。当然自らに何も分かち合うものがないために、受けることに心が向かうより、与える事に心が向かう方が幸いです。与える為には富まなければ不可能です。まず今日も主によって心満たされ遣わされましょう。ヒデ

金曜日, 11月 06, 2009

20091106_2歴代35_ホセア03_使徒18-19

■2歴代35:22しかし、ヨシヤは身を引かず、かえって、彼と戦おうとして変装し、神の御口から出たネコのことばを聞かなかった。そして、メギドの平地で戦うために行った。
★この章は、バアルの祭壇とその預言者をことごとく討ち滅ぼし、宗教改革をみごと成し遂げたヨシア王の前章に続く記録です。彼は神殿を修復し、かつてなかった規模の全焼のいけにえを民と共に神様に捧げ、神様を誉め讃えます。そしてその生涯の最後は、民に愛され、先祖たちの墓に葬られます。けれどもエジプトの王が、アッシリヤ帝国がバビロンとメディヤの連合区によって瀕死の状況となったのをよいことに、攻めようとする時。彼は関係のない立場であるにも関わらず、でしゃばり変装し戦地に出かけます。その結果、射手たちが何気なく放った弓によって命を落とす羽目になったのです。成功や物事の達成は確かに祝福ですが、合わせて最も大きな誘惑に巻き込まれる可能性も否めません。主はその為「はいをはい、いいえをいいえ、としなさい。」と語られ「それ以上に出ることは、悪から来るのである」と正して下さいました。

■ホセア3:5その後、イスラエル人は帰って来て、彼らの神、主と、彼らの王ダビデを尋ね求め、終わりの日に、おののきながら主とその恵みに来よう。
★これこそが主が約束の民イスラエルとあなたに抱いておられる視点です。また別の箇所で主は「しかし、彼は立つようになる。主は彼を立たせることができるからである」とも語られます。先走りして自らさばかないようにすることは大切です。既に主はあなたを赦しておられるのです。それを信じて受け入れるのが福音です。

■使徒18:11そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。
★あなたは1年半を長いと思いますか。それとも短くて、それじゃあ何も出来ない期間と考えますか。パウロは1年半を腰を据えて事を為す期間と捉え、出来ることを為したのです。あなたはどのように受け取りますか。主があなたの信じたとおりになして下さいますように。目標やビジョンを抱きつつも、思い煩うことなく、今日一日生きることを主がゆるし給うその時まで誠実に続けさせて頂きましょう。ヒデ

木曜日, 11月 05, 2009

20091105_2歴代34_ホセア02_使徒16-17

■2歴代34:14彼らが、主の宮に携え入れられた金を取り出していたとき、祭司ヒルキヤは、モーセを通して示された主の律法の書を発見した。
★バアルの祭壇とその預言者ことごとく討ち滅ぼし、宗教改革を断行したヨシュア王。彼は合わせて神殿の修理を命じますが、何と言うことでしょう。その時モーセーの律法、申命記が発見されるのです。この時、神の言葉を聞いたヨシュア王は、衣を裂きその光に従い悔い改め、民に対しても悔い改めを促しますが、それまで律法の書申命記はどの様に扱われていたのでしょう。まさに神の言葉を軽んじ、選びの民イスラエルでありながら滅びに向かう姿の原因がここにあったのです。
悔い改めるヨシュア王に主は「あなたが、この場所とその住民についての神のことばを聞いたとき、あなたは心を痛め、神の前にへりくだり、わたしの前にへりくだって自分の衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる。」と励ましを与えます。ならば、日毎に神のことばを重んじるあなたに対して主はどうでしょう。もちろん主はあなたを喜び楽しんでおられます。感謝して主との交わりに生き続けましょう。

■ホセア2:15わたしはその所を彼女のためにぶどう畑にし、アコルの谷を望みの門としよう。彼女が若かった日のように、彼女がエジプトの国から上って来たときのように、彼女はその所で答えよう。
★「アコル」とは災い。主は恵みによって今ある災いのその場所を、希望の門に変えるとホセアを通して約束されます。あなたのアコルは何でしょう。主の前に持ち出しましょう。それも主は希望の門として下さいます。

■使徒16:5こうして諸教会は、その信仰を強められ、日ごとに人数を増して行った。
★ここには初代教会の姿が鮮やかです。「日毎に人数が……」。そこには普段の日のキリスト者の活動と、そのフィールドが生活の場であることを示唆します。どこで主を仰ぎ、主はあなたを助けて下さるのでしょう。そう。遣わされたその場所です。パウロはこの後「私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです」と語ります。ヒデ

水曜日, 11月 04, 2009

20091104_2歴代33_ホセア01_使徒14-15

■2歴代33:11そこで、主はアッシリヤの王の配下にある将軍たちを彼らのところに連れて来られた。彼らはマナセを鉤で捕らえ、青銅の足かせにつないで、バビロンへ引いて行った。
★主はなぜ南ユダの王マナセを青銅の足かせにつないでバビロンに連行されたのでしょう。その原因は、マナセがベン・ヒノムの谷で、自分の子どもたちに火の中をくぐらせ、卜占、まじない、呪術、霊媒や口寄せをまでして、悪を行い、主の怒りを引き起こした為です。ともう一つの理由は、彼が真の神様を知るようになるためです。御言葉は「悩みを身に受けたとき、彼はその神、主に嘆願し、その父祖の神の前に大いにへりくだって、神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうして、マナセは、主こそ神であることを知った」とあります。試練が全てこの理由ではありません。しかし主は試練の中で御自身を見上げる者のために、必ず脱出の道を備えて下さるお方です。

■ホセア1:10イスラエル人の数は、海の砂のようになり、量ることも数えることもできなくなる。彼らは、「あなたがたはわたしの民ではない」と言われた所で、「あなたがたは生ける神の子らだ」と言われるようになる。
★危機の時代に立てられた預言者ホセアのメッセージは、まさに主にある回復のメッセージです。主はあなたが絶望と感じているその場所で、あなたを希望に満たすことの出来るお方です。見上げましょう。

■使徒15:28 聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。
★ここには神様である聖霊様が、いかに主を信じる者の人格を尊んで下さるお方であるかが鮮やかです。独断ではない私たちの同意を重んじて下さるのです。ロボットではない主に真心をささげることが出来るのです。強いられてではなく主体的に主と共に歩む今日一日とさせて頂きましょう。あなたの人生をこのお方以外に奪われ、奴隷とされてはなりません。内にある自由を主と共に守り抜きましょう。ヒデ

火曜日, 11月 03, 2009

20091103_2歴代32_ダニエル12_使徒13

■2歴代32:4そこで、多くの民が集まり、すべての泉と、この地を流れている川をふさいで言った。「アッシリヤの王たちに、攻め入らせ、豊富な水を見つけさせてたまるものか。」
★これはアッシリヤの王セナケリブが南ユダ王国に攻め入ろうとした時、ヒゼキヤ王が勇士たちを励まし泉の口を塞いだ行為です。泉の水しか手にできない当時、攻め込もうとしたアッシリヤ軍はこのことによって苦しめられます。更に神様の助けを得たヒゼキヤ王と勇士達は結果、国を守り抜くことができました。聖書は「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。」と、泉を誰が支配するかによって勝敗が決定することを警告します。あなたの心の思いと願いを主におささげし、主に守って頂きましょう。そうするあなたの生涯は常に主にある勝利で支えられるのです。

■ダニエル12:13あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」
★この言葉は主がダニエルに語られた最後の預言です。主は「ダニエルよ。最後まであなたの道を行け」と励まされました。そして同じ主はあなたに対し「最後までキリストにあるその生き方を全うしなさい。私が必ず約束の地に導く。あなたの名は既に命の書に書きしるした」と励まして下さるお方です。何があろうと大丈夫。勝利は既に主と主の内にあるあなたの側にあるのです。

■使徒13:2彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい」と言われた。
★昨日バルナバがサウロを励ました事を学びました。そしてこの章の最初と最後の相違は「バルナバとサウロ」が「サウロとバルナバ」となることです。主にある成熟とはまさにこのバルナバの姿です。あなたは人を育て励まし、その人が自分よりも用いられる事を喜べるように歩んでいますか。いつまでも残る宝は物ではなくあなたが築く主にある関係です。上からの励ましを頂いて、今日も良き関係を築かせて頂きましょう。ヒデ

月曜日, 11月 02, 2009

20091102_2歴代31_ダニエル11_使徒11-12

■2歴代31:3また、主の律法にしるされているとおりに、朝夕の全焼のいけにえ、安息日、新月の祭り、例祭ごとにささげる全焼のいけにえのため、王の分は王の財産から出した。
★「王の分は王の財産から出した」と、南ユダ王国の宗教改革を断行したヒゼキヤの決断です。かつてダビデ王も「いいえ、私はどうしても、代金を払って、あなたから買いたいのです。費用もかけずに、私の神、主に、全焼の生け贄をささげたくありません。」と語ります。何より私たちの主イエス様は、御自身の命を捧げて私たちの罪の贖いのみ業を完成して下さいました。真心の礼拝には犠牲が伴います。しかしあなたが示す模範は決して虚しく地に落ちる事はありません。主は必ずあなたの生涯に祝福の刈り取りを下さるお方です。

■ダニエル11:40終わりの時に、南の王が彼と戦いを交える。北の王は戦車、騎兵、および大船団を率いて、彼を襲撃し、国々に侵入し、押し流して越えて行く。
★北の王とは反キリストで、南の王とは反キリストに対抗する者の預言です。聖書は世の終わりの戦い。ハルマゲドンを預言します。人の心もキリストにある真の平和に至るまでには戦いがあります。心の王座から自ら退きキリストを王として迎える時、私たちの生涯は秩序と祝福へと回復します。

■使徒11:25バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、11:26彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。
★主の前に回心はしましたが、その存在を恐れられ敬遠されていたサウロ。にも関わらずバルナバはサウロを捜しにタルソまで出かけます。何の為ですか。彼の賜物、彼の能力を認め、彼に居場所を与え、彼を生かすためでした。生涯最後まで残るのは麗しい主にある関係です。人を励ますこと、人を立て上げる事に目を向けましょう。それが人生を豊かにする秘訣です。聖書はバルナバについて「彼は立派な人で、聖霊と信仰に満ちている人であった」と語ります。ヒデ

日曜日, 11月 01, 2009

20091101_2歴代30_ダニエル10_使徒10

■2歴代30:9あなたがたが主に立ち返るなら、あなたがたの兄弟や子たちは、彼らをとりこにした人々のあわれみを受け、この地に帰って来るでしょう。あなたがたの神、主は、情け深く、あわれみ深い方であり、もし、あなたがたが主に立ち返るなら、あなたがたから御顔をそむけるようなことは決してなさいません。」
★上の御言葉は29章に続いて、ユダ王国の宗教改革に取り組むヒゼキヤ王の言葉です。その人の神様理解とその確信は、個人に留まることなく家族、友人、学校、職場、社会にとその影響は広がります。その上でヒゼキヤの神様理解は「神様は立ち帰る人に憐れみ深いお方です」でした。積極的、肯定的に神様の赦しと恵みを受け取りましょう。その信仰はあなたのみならず、必ずあなたの愛する人を救い、祝福することになるのです。

■ダニエル10:19言った。「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」彼が私にこう言ったとき、私は奮い立って言った。「わが主よ。お話しください。あなたは私を力づけてくださいましたから。」
★主はダニエルに「神に愛されている人よ」と語られます。それは同様に主があなたに語られる言葉です。「神に愛される人よ」。この語りかけを、日毎に心の底から感謝して受け取りましょう。あなたの生涯は変わります。

■使徒10:34そこでペテロは、口を開いてこう言った。「これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、10:35どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるのです。
★異邦人への福音宣教に疑問を持つペテロ。そんなペテロのために、主は敬虔に主を信じるイタリヤ隊の百卒長コルネリオを遣わして下さいます。主は愛する者の偏見、間違いを少しずつ明らかにし、正しい道に導いて下さるお方です。あなたはまだ気づいていないどんな慣習や間違った文化に囚われているでしょう。主が更なる解放と自由の中にあなたを導いて下さいますように。ヒデ